ブンゲイブ・ケイオンガクブ

本を読まない文芸部員と楽器を練習しない軽音楽部員のような感じのブログ。適当な創作・レビュー等々。

『It's the moooonriders』ムーンライダーズ(2022年4月リリース)

 

 1976年から活動を続け、2011年に活動休止、その後主要メンバーの他界などを経つつもやがて活動再開したムーンライダーズですが、今年の4月に遂に新作アルバムのリリースまで辿り着きました。この作品がもう実にムーンライダーズでしかない作品でとても嬉しくなったので、全曲レビューを書きます。

 アルバムタイトルだけ見ると、“復活による記念っぽさ”を感じさせる雰囲気がありますが、その実態は果たして…?

 

songwhip.com

 このアルバムは2011年のラストアルバム“だった”『Ciao!』以来の新作スタジオアルバムということになりますが、その『Ciao!』までのアルバム22枚*1についてのレビューは以下の記事で書きました。

ystmokzk.hatenablog.jp

 

 また、今回の新作に収録された楽曲3曲も含んだ日比谷野音でのライブレポート記事も書いています。

ystmokzk.hatenablog.jp

 

 思えば今年の弊ブログ記事でムーンライダーズはこれで3つ目。

www.youtube.com

 

 

アルバムリリースまでのヒストリー

moonriders(ムーンライダーズ)、クリスマスライブのレポートが到着 | OKMusic

 年表的な形式で、彼らの「活動休止」から本作リリースまでの流れを纏めておきます。

 

●2011年

・11月

 ・無期限活動休止を発表

・12月

 ・“ラストアルバム”『Ciao!』リリース

 ・大晦日のファン限定ライブをもって活動休止

 

●2012年

・1月

 ・ライブ盤『火の玉ボーイコンサート』がリリース 

  活動休止中も過去のライブを収録したアーカイブシリーズは続いた

・8月

 ・ライブDVD『Ciao!THE MOONRIDERS LIVE 2011』リリース

 

●2013年

・11月

 ・アルバム『MODERN MUSIC』スペシャルエディションをリリース

・12月

 ・メンバーのかしぶち哲郎が死去。享年63。

 

●2014年

・12月

 ・かしぶち哲郎トリビュート盤

  『a tribute to Tetsuroh Kashibuchi〜ハバロフスクを訪ねて』リリース

  また、同氏の追悼ライブとして一夜限りの再結成

 

●2015年

・6月

 ・上記ライブを収録したライブ盤『Ciao! Mr.Kashibuchi〜』リリース

 ・メンバーの武川雅寛が急性大動脈解離で手術。後に復帰するも以降声が変化

 

●2016年

・7月

 ・バンド活動40周年の年なのでか、「活動休止の休止」を発表

  ツアーを行い、12月に「活動休止の休止の休止」を発表

・12月

 ・鈴木慶一、ミュージシャン45周年コンサート

 ・トリビュート盤『BRIGHT YOUNG MOONLIT KNIGHTS』リリース

  佐藤優介(カメラ=万年筆)や澤部渡(スカート)が中心となって企画

 

●2020年

・8月

 ・アルバム『カメラ=万年筆』40周年記念ライブで再結成

  このライブが思いの外良かったことから、新譜制作が始められたとのこと

・10月

 ・中野サンプラザでライブ。後にライブ盤もリリース

 

●2021年

・初頭

 ・メンバーの岡田徹が圧迫骨折。半年間入院

・6月

 ・活動45周年記念ライブ『THE SUPER MOON』開催

・12月

 ・クリスマスに2Daysライブ『THE COLD MOON』開催

  この中で「一生バンド宣言」や新譜リリースの発表

 

●2022年

・1月

 ・3月リリース予定だったアルバムが、メンバーの体調不良により延期

  それが編曲の要だった白井良明だったことが大きく影響した?

・3月

 ・日比谷野音でのコンサート実施

・4月

 ・11年ぶりニューアルバム『It's the mooonriders』リリース

 

 

新作に関する様々な前書き

1. 名作なのか?

 個人的には、「好盤だと思うけど、彼らがかつて作ってた幾つかの“取り憑かれたような”名盤ではない」という感じかと思ってます。そりゃ『ANIMAL INDEX』とか『DON'T TRUST OVER THIRTY』とかみたいな1980年代の尖り方や、このブログでやたらと評価の高い暗く重く電波な『Dire Morons TRIBUNE』みたいな、アルバム1枚を丸々覆うような凄みの雰囲気は、本作には感じられません。

 それもそのはず。だって別に本作を作るのに何か鬼気迫った状況でもないだろうし、そもそも、大筋となるテーマがあったわけでもない。本作はどちらかといえば「久々にバンドで制作に入るから、これまでを踏まえつつ様々な曲を出していこう」くらいの、比較的伸び伸びとした制作背景だったと思われるので、そんな剣呑な状況で作品を作る必要性はなかったはずだし、聴く側のファンとしても、11年ぶりの新作をそんな剣呑な緊張感に塗れた作品で迎えたかった訳でもないでしょう。

 でも逆に、周年アルバム的な、アニバーサリーのお祭り感みたいなのも今作は希薄なもので*2、そのため、収録された楽曲はいつになく自然にムーンライダーズな雰囲気を感じられるように思います。

 

 

2. アルバムとしての特徴は?

 テーマがあったとすればそれはむしろ「これまでにやっていなかったパターン」の新規開拓としての“多様な作曲パターンの球出し”であって、後任ドラマーとしていつの間にかメンバー化していた夏秋文尚やサポートメンバーの佐藤優介・澤部渡の作詞や作曲への参加といった、むしろ多様なアイディアを求め拡散していく方向でしょうか。少なくとも、「多様なメンツが曲を書き、多数のアイディアをごった煮にする」というムーンライダーズらしい在り方自体は、今回はとてもナチュラルに出ているように思われました。

 別に、11年ぶりのアルバムなんだからもっとアニバーサリー感を出す手も全然アリだったと思うんですが、今回誰もそういうことをしてる感じがしません。アニバーサリー感重視で作風が緩めな『Bizarre Music For You』(1996年)や『MOON OVER the ROSEBUD』(2006年)の作風と似てる感じは全然しない。周年イベント的な力みもまるで感じられません。まあ周年イベントじゃないからかもだけど。

 久々のアルバムだけども無理をせずナチュラルな作風になったのには、本作を自称して「老齢ロックの夜明け」としているからかもしれないです。でも別に「老齢ロック」なる語に寄せて渋めを狙ってる風でもなくて、ただただ各作曲者が自分の持ち味を素直に提供した感じが出てますが。「もう年なんだから無理に自分の曲を他の何かに寄せたりしないよ」という意味での「老齢ロック」なのか…?

 

 

3. 各メンバーの作曲状況

 メンバー全員が曲を書くという特色を割と前面に押し出している本作において、作曲者内訳を数えると、比較的登場が多いのは鈴木慶一白井良明の2名。鈴木慶一は単独で作詞作曲が3曲、白井良明も単独作詞作曲2曲+作詞共作の自作曲1曲。この2人の収録曲については、この2人らしい作風が目立つなあ、といった感じ。いい具合に複雑なコーラスワークと神経引き攣った詩作の鈴木慶一曲に、コンテンポラリーでツルッとしたベタなポップさと実験精神とを適度に織り交ぜる白井曲は、どちらもいい意味で、いつもの安定感みたいなものを、この11年ぶりの作品で見せています。というかこの2人の曲でアルバムの半数を占めるのか。

 で、むしろこの2人の6曲“以外”の部分にこそ、本作の色が自然と出てきてるのかなあと感じてもいます。特に思うのは、ラテン的な要素を目次6滴サウンドでやってしまう『岸辺のダンス』、ケルト民謡チックな雰囲気もありつつ延々と変な譜割とコーラスワークで進行する『S.A.D』、突然どこか異国の楽団の演奏が始まったかと思うと泥臭いロッカバラッドと交わる『Smile』の、アルバムに先駆けてライブで演奏された3曲について、その国籍不明な感覚にこそ、本作的なムーンライダーズらしさを感じるような気もします。

 個人的な贔屓もあるかもですが、鈴木博文の活躍が本作では目立つ気がします。冒頭に置かれた、11年ぶり作品であることの祝福感とかをまるで無視してしまったカオスな『monorail』と、そして本作で最も穏やかで雄大なスケール感を有した『Smile』の2曲を作詞作曲し、他者の曲2つに作詞提供、更には『岸辺のダンス』のアレンジのまとめ役など、要所要所で出てくる彼の奮闘が、陰でこのアルバムを支えているように感じています。陰、というか、冒頭2曲がいきなり彼の影響力が大きく、そしてキャッチーとは言い難い中々の仕上がりなので、結構目立ってるのかもですが。

 メインのボーカルも、鈴木慶一がやや多いとはいえ、メンバー全員で分担している感じがあり、1曲の中で複数人が歌い継ぐパターンも多いところは『Ciao!』から引き続いているようにも思えます。ボーカル引き継ぎによって、「鈴木慶一がフロントマンのバンド」ではなく「いろんなおじさんが集まって色々やるバンド」としての色が強くなるというか。

 

 

本編

 ムーンライダーズの作品の場合、どういう演出かを聴く前に読んでしまうのは結構ネタバレとして痛いような気もしますので、まずは最低でも1回くらい聴いてから読んだ方が損がなくていいかもしれません。

 

 

1. monorail(5:06)

●作詞作曲:鈴木博文

 冒頭から“キャッチーさ”とか“アニバーサリー感”みたいなものを微塵も感じさせない、逆再生を多く含んだドリーミーな音響の中で“多重”ポエトリーリーディングを5分間もかます、他のアーティストがやったら事故みたいになりそうな曲。11年ぶりの新作の頭にこんな思わせぶりにしてもなかなか大概な曲を置くあたり、ムーンライダーズはやっぱり変なバンドだなあと思える。

 定期的に繰り返される、2音くらいの白玉ピアノ、その背景でフェードインする何かの逆再生エフェクト、基本これらだけのアンビエントな演奏の中を、延々と「歌」にならない語りが、妙な形で連なっていく。作者である鈴木博文の語りは前半はなんと逆再生で収録され、何を言っているかまるで訳がわからない。そして、次第に他のメンバーも歌詞を語っているらしいことに気づくけど、その聞こえ方が随分おかしいことにも気づく。インタビューによると、同じ歌詞をメンバーそれぞれで録音し、話すタイミングも指定せずバラバラになって重なりようがないものを無理やりトラック状で重ね合わせているらしい。相変わらず血迷ったことをしてる。

 このせいで声が混線して言葉が曖昧にしか聞こえない場面が多く、歌詞の内容も含めて、そうなることに意味が出てきてるようなところが面白い。時々、偶然なんだろうけど所々で言葉が鮮明に聞き取れる場面もあったりして、そういう時は言葉が浮かび上がってくるみたいだ。

 読まれてくる歌詞の方は、バンドの“キザさ”の象徴でもある鈴木博文の詩世界の、その老成を思わせる内容。彼がやっぱり「高齢ロック」を一番地で行ってるのかも。

 

いつもの防波堤に寝転んで 青を浴びていた

海の匂いが 髪にこびりついて歳をとった

胸の中にある熱い思いを 卑しい海鳥が突いている

たまに腕枕をすると モノレールが海に沈んで行く

 

海辺の舞台はきっと、鈴木兄弟の出身地であり彼の根城の湾岸スタジオがある羽田の光景なんだろう。ということは、海に沈んでいくのは空港からのモノレールなのか。どういう幻想なんだろうなこれは。

 

 

2. 岸辺のダンス(4:59)

●作詞:鈴木博文 作曲:岡田徹

 バンド初期から時々楽曲を作ってきたこの作詞作曲コンビ*3で綴られる、このタイトルだけならどこかロマンチックそうに思えるこの曲は、その実、ラテン音楽をヒステリックにゴツゴツしたバンドサウンドで躍動させてしまった、本作でもとりわけ禍々しさを有した曲調に仕上がっている。前曲に続き、11年ぶりのアルバムで間口広く行こう、って感じが全く見えないその破滅的な晦渋さに初見で笑ってしまった。「アルバム冒頭はキャッチーに行こう」とかそういう定石を積極的に無視しに行ってるような捻くれ切った感じが実にムーンライダーズ的。実に彼ららしい血迷った啖呵の切り方で、その血迷いっぷりに惚れ惚れする名曲。

 イントロの不穏さからして、11年ぶりアルバムの祝祭感、みたいなのに対する期待は完全に吹き飛ぶ。むしろこの曲だけアルバム『Dire Morons TRIBUNE』(2011年)じみたヒステリックさが突如召喚されてきたかのようで、バンド側が積極的に驚かせようとかかってきてるように思える。ヴァイオリンのヒステリックさもさることながら、エレキギターの、鋼鉄の弦の振動なんだなあと思わせる質感が実に重たい。両者合わさると、まるで血を流しながら鈍重に舞い踊るかのような情緒が滲んでくる。

 イントロにも含まれる馬に鞭打つようなリズムの箇所にとりわけエキゾチックなものを感じさせる。ラテン調にしてはギターの音をはじめ重すぎるバンドサウンドの具合が面白い。歌が始まってもそのダークな岸辺の光景が様変わりすることはなく、陰鬱色に染まり切った荒涼としたメロディ展開が枝を伸ばしていく。ボーカルのメインは鈴木慶一だけど、所々コーラスがメインとなるためそこまでメインに感じない。特に、メロディ展開の末尾に付くポエトリーリーディングのセクションのボーカルが武川雅寛なのが大きいのかも。この曲の作曲がメンバーでもとりわけポップな曲に定評のある岡田徹だというところに何気に大いに驚かされる*4

 しかし、そんなメロディ展開がほんの少しだけポップに染まる展開が1度だけ仕込まれていて、その「全員ユニゾン」で歌う様の、あまりにムーンライダーズすぎる様に、この曲で一番びっくりさせられる。それがまたすぐに血迷いすぎたラテン調に回収されてしまうその儚さも込みで、このセクションにはこのバンドならではの美しさがある。

 冒頭から2曲連続で鈴木博文が綴る歌詞は実に苦味に溢れる。最初のラインからして、どうしてそんなに“安心”が無いんだろう、と思わされる。

 

壊れかけたぼくは 壊れて行けばいい

汚れかけたきみは 汚れてしまえばいい

 

嘘ばかりふたりは 黒い壁に吐いて

 

変わらないものは 変わらないままでいい

腐りかけたものは 腐らせておけばいい

 

いきなりこの投げやりそうな荒みっぷり。あらゆる変化を経験してきたムーンライダーズが「変わらないものは 変わらないままでいい」と吐き捨てるこの感じ。そして2曲目にしていきなり、この主人公は“辿り着いて”しまう。

 

忘却の岸辺に やっと辿り着いた

砂を握ると 記憶がこぼれ落ちてゆく

 

ムーンライダーズの詩情は時に生活感を感じさせない、「行きっぱなしの旅」みたいに感じられることがあったけど、この曲はその最新版にして、すっかり歳を取ったことも踏まえたその地点からの便りみたいなものなのかも。だから、ポップさなど気にしないし、何も気にせずにあまりに彼ららしく堂々と力の限り血迷ってみせるその様に、ある種の変わらない勇敢さと誠実さを見た気持ちになる。

 この曲は2021年6月のライブ『THE SUPER MOON』にて先行披露された。インタビュー記事によると、基本的なアレンジは岡田徹の体調不良により、鈴木博文が行ったらしい。1度だけ来る陽転するサビのみ岡田徹アレンジそのままなんだとか。

 この曲の評として、mikikiにおけるこのアルバムのレビュー中の言葉が面白い。その何も気にしない異形さを憐れむような、だからこそ讃えるような、そんな視線を感じる。

 

明るく、元気で、せつなく、かわいいヒット曲全盛の世間に、この歌の居場所はあるのだろうか。

 

mikiki.tokyo.jp

「物は壊れる、人は死ぬ」んだから、この人たちは好きなようにすればいい。本当にそう思うので、この曲の血迷い方は最高だと思う。

 

 

3. S.A.D(4:50)

●作詞:鈴木慶一 作曲:武川雅寛・夏秋文尚・佐藤優

 この曲もアルバムに先駆けてライブの告知動画や日比谷野音で先行公開されたが、やっぱり何かが変。トラッド調の楽曲であるはずなのに、延々と変に引き攣った譜割のメロディと、それをずっとユニゾンで歌い続けるアレンジとが合わさり、実に奇妙に不自由な躍動感を見せる、不思議なトラッド。作曲者がサポートメンバー含めて3人入った上でなんちゅうメロディ書いてんだ、と思わされるけど、こねくり回した感じではなくもっと自然にこれが出力された風に感じられるところがこのバンドの引力。

 冒頭からどこかトライバルなリズムの組み方だけど、そこに絡む延々と反復し続けるギターリフからして、トラッドの自由な空気と相反するループ性を持っていて不思議になる。展開後のイントロの高らかに鳴らされるヴァイオリンの壮大さは中々にトラッドなのに、このギターリフとその後の奇妙なコーラスでやっぱり奇妙な地平に引き摺り込まれる。そもそもこのコーラスからして混声で、でもまさかそれが最後まで続くと思わないから、歌が始まっても複数でゴチャゴチャなまま進行していくのが、演奏自体のフリーな雰囲気と実に相反していて、変な緊張感が生まれている。

 意外と展開を多くしていく楽曲だけど、特に印象的なのはⅠ→Ⅳmの繰り返しを決めてくるサビ的なセクション。トランペット等が夕焼け空みたいに情熱的なのに、相変わらず歌は混声で、シンプルに抜けたりしないどこかポエトリーリーディングじみたメロディを歌っていて、これはもう徹底してるな、ということが印象に残る。

 最後、イントロのラインに映って堂々と終了するのか、と思ったら最後に、妙に不穏なコード感に映って、ゲストの女性ボーカルのフロウをわざわざ入れた後に、唐突にバタバタと終わってしまう。楽曲が有してたはずの雄大さを自ら積極的に殺していくこの捻くれかえった感覚が、やっぱりいかにもムーンライダーズだなあと思わされる。もしかして、武川雅寛のいつものように雄大な楽曲を、皆でムーンライダーズ式に徹底的に奇妙に叩き直した結果だったりするんだろうか。

 鈴木慶一の綴る歌詞は彼が時折書くお酒に満ちた*5フワッフワな内容。半ばほろ酔いの勢いで書いてるような様が愉快だけど、最後の最後、突如シラフに帰って毒を吐くようなフレーズをゲストボーカルに歌わせていて、完全に故意犯だな、と思わされる。

 

なんだかんだ 云っても

金が儲かってる奴が 羨ましいのさ そうだろう

 

突然に鈴木慶一らしすぎるライン。自分で歌えよ…。本当に食えない人たちだ。

 

 

4. 駄々こね桜、覚醒(3:37)

●作詞作曲:白井良明

 ここまでのムーンライダーズ初見の人たちが大概困惑するだろうなあ、と思える内容からするとこの曲はまだ随分とストレートにポップな、白井良明曲でしばしばある明確にポップフィールドでやっていけるタイプのキラキラしたギターロックナンバーに鈴木慶一の腕白ボーカルと白井良明イズムがパッと弾ける形式。こういうパリッとJ-POPに入っていけるメロディやアレンジを出せるのは彼らしい手腕。

 冒頭のキラキラしたエレキギターのリフレインからしてこれまでの奇妙に澱んだ流れと一線を画してる。こういうクリアーでプレーンなメジャー調のコード感をメンバーで白井良明しか出さないのがこのバンドの特徴のひとつ。そこに勢いよく乗る鈴木慶一のボーカルの自然に大味な逸脱っぷりはかつての『ヤッホーヤッホーナンマイダー』を思い起こさせる。Bメロで白井自身がボーカルを引き継ぎ、キラキラと垢抜けた感じのサビまでたどり着く。メンバーでもプロデュース業で一番リアルタイムのポップソングに接してきた彼だからこそのストレートなメロディの響き方に、逆にこれが異端に聞こえてしまうムーンライダーズという力場の特殊さが思われる。

 間奏や後奏の箇所ではざっくりした勢いに塗れたハンドクラップも入るけど、そこで聴けるギターリフは何故かT-Rexの『Metal Guru』の奇妙な間奏コーラスをダブルチョーキングでなぞるフレーズ。白井良明が過去にプロデュースしたスピッツ版『愛のしるし』にも似たフレーズが入っているけど、好きなのかなこのラインをギターで弾くの。

 歌詞のスコーンと開き直る感じも白井節。

 彼のこういうプレーンなポップさの曲がムーンライダーズで聴けるのは『Tokyo7』ぶり。そう思うと、こういう曲を入れる隙間が無い、『Who's gonna be reborn first?』みたいなのを生み出してた『Ciao!』というアルバムがやっぱ特殊な状況だったんだなと逆説的に理解できる。

 

 

5. 雲と群衆(3:58)

●作詞作曲:鈴木慶一

 あまりに白井良明すぎる曲の後に続くのはあまりに鈴木慶一すぎる曲。鈴木慶一的な感性に満ちた俯瞰と悲観のこもった歌詞を、コーラスワークセクションをアクセントとしたファンシーな曲展開とアレンジで発散させる、おもちゃ箱的で奇妙なポップセンスが炸裂した楽曲。この人の場合、かなり年齢不詳の感じがあるのが面白い。というか、音楽的には彼のソロアルバム『Records and Memories』と陸続きだと、本作収録の3曲ともに言えるのだけど。

 冒頭のシンセの響きからしてどこかおもちゃっぽく、ギターも含めてその子供っぽさが逆に妙に毒々しくも感じられる。歌が始まると、鈴木慶一の声はまるで『Ciao!』の頃と同じようにエフェクトが掛かり妙にくぐもる。まるで、この人に“妙なこと”を見出そうとすると幾らでも出てくる、みたいに、ナチュラルに何か変わってるな、という雰囲気が不思議と満ちている*6。妙でなければ「雲と群衆」なんて題付けないか。

 ブレイクからの短いタグを経てコーラスワークのセクションに移行する箇所は実にこのバンドらしい、そして鈴木慶一イズムの出た曲展開。ボコーダーさえ混じってより加工がキツくなったメインのラインと、The Beach Boys的なものとまた違った不恰好なまま洗練されたようなコーラスワークの自在さとがセクションを不思議な浮遊間で満たす。目眩く移り変わっていく様と、元の曲調に戻ってあっさり解決してしまう具合の流れの、歪なはずのものが実に滑らかに移行していく様に熟練の手管が見える。ソロと陸続きの自由自在さとも言えるこの曲において、ムーンライダーズ的コーラスワークが飛び交うのはいい塩梅。

 歌詞における、情景描写の妙とかをすっ飛ばして意味を並び立てようとする奇怪さもまた鈴木慶一的センスに溢れている。

 

何の出し物も無い 今日の舞台には

誰が 書いたのか明日と言う字が

昨日と読める言葉に 変わってしまってる

幕は少し下がり 上がったりするだけ

 

この一節、彼が歌詞を書いたかつてのラストアルバム最後の曲『蒸気でできたプレイグラウンド劇場で』の歌詞にどこか対応してるようにも思える。対応の仕方が全然爽やかじゃなくて、折角の再結成アルバムなのに何やってんだ…って感じなのが彼らしい。

 

群衆は屋根を 伝って奏でる

耳には届かない 低音のタンバリン

マンホールの中 居心地が悪い

鎖があるなら そこから投げてよ

 

マンホールからは 子供が生まれる

助けてやろうにも 検閲だらけで

捨て子の声が 捨て子の声が 明日には あふれるはずだ

 

この、意味や意図が散らかり倒して、何が皮肉で何が祈りなのかが混濁した世界観。ハッキリしないことを志向するかのような。まさに鈴木慶一節。

 

 

6.三叉路のふたり(2:56)

●作詞:澤部渡 作曲:岡田徹・嶋崎洋司

 鈴木慶一濃度の高い世界から打って変わって、もっとソフトで小洒落た空気が流れてくる。2曲目では密かに有していたダークサイドをまざまざと見せつけてきた岡田徹が、この曲では共作者を交えて、持ち味の伸び伸びとして上品なポップさを3分に満たないコンパクトなサイズでさらりと表現している。それにしても、歌詞に定評のあるバンドなのに結構歌詞を外注するスタンスは不思議で、ここでは近年のライブのサポートメンバーとなった澤部渡(from スカート)が歌詞参加。

 イントロの不思議なオリエンタルさのあるイントロからして、ソフトで開けた雰囲気が立ち上る。ゆったり気味のリズム共々少しばかりの浮遊感を覚えるけど、これは観念的だった前曲の浮遊感とは趣を異にした、もっと現実の旅情みたいなものを感じさせるタイプの響きがある。クレジットを読む限りだと、特にマンドリンが効いてるのかも。

 歌が始まると、鈴木慶一の低音の他に、ファルセット気味なボーカルがユニゾンしていく。これはかなり澤部渡っぽい声に聞こえるけど、クレジットには載っていないので他メンバーなのか…。かなり声の感じが似てるので、似せているのなら無駄に凄い…。

 テンポよくBメロで不安げになり、サビでメンバー多数によるユニゾンで晴れやかなメロディを歌う。サビ後半でまた少し不安げになりつつも明るく抜けていく。サビで追加されるアコーディオン共々、その鮮やかで透明感があって無理のないメロディの運び方に岡田徹イズムが感じられる。

 最初のサビ直後の逆再生気味なセクションの“ムーンライダーズ的”仕掛けのあと、またすぐにBメロ・サビと続いてあっさり終わる様に、この曲の可憐な存在感が感じられる。こういう曲構成の繰り返しを減らして短い尺で曲を終わらせるのはそれこそスカートが得意とする手法で、もしかしたら澤部渡参加の中でちょっとそういう作用があったのかもしれない。

 

ystmokzk.hatenablog.jp

 

 歌詞の感じは、それこそスカートが得意としている、マンガじみた曖昧なファンタジックさの中で回顧と再来の魔法みたいなのがないまぜになる世界観を描いている。

 

それでも君は戻りたい? いつかその 手を

とれなくても 構わない? 私は今 手を

 

君が倒れ込んだ三叉路には

気の利いた通り名さえ

ひとつも ついてない じゃないか!

 

本作の鈴木博文歌詞の晦渋な後悔のリリシズムとの対比がある。

 

 

7. 親より偉い子供はいない(4:22)

●作詞:鈴木博文白井良明 作曲:白井良明

 何だそりゃ、って感じの露悪的とも反語ともマジともつかないタイトルだけども、河川敷のような白井良明的ポップ感に野性味の混じったコーラスワークと、そして度々挿入されるポエトリーリーディング、というよりも天国から「ヨシアキ」に呼びかけるご先祖さまが登場してしまう、どこまでギャグでどこまでマジなのかの境がズブズブになってしまってる感じの曲

 冒頭、ドラムのフィルからのメンバーの合唱やマンドリンの効いたトラッドめいたワイルドな演奏具合にはどこか『Damm! MOONRIDERS』とかみたいな感じがちょっと滲む。時にユニゾンボーカル中で鈴木慶一が荒ぶったボーカルを見せてるのがそう思わせるんだろう。「これをマジで思ってたら嫌だな…」と若いファンに思わせるようなフレーズを、実に怪物的に歌い上げる鈴木慶一の声が中和しているとも言える。その後の曲調が急に変わる繋ぎのセクションで謎に英語で唸る箇所も妙に冴えてる。もっとこういう方面のボーカル聴きたいな。

 そして場面転換とばかりにまた曲調が変わり、まるで夕暮れ時の河原のような明るさが広がる。そして始まるのが、落語家の春風亭昇太演じる、ご先祖様がヨシアキに語りかけてくるセクション。このやりたい放題な感じは、元々Twitterでこの曲のタイトルを白井が呟いたことを面白がった鈴木博文*7が曲にすることを勧めて、この「語り」セクションも鈴木博文が全部書き上げたとのこと。中々の悪ノリ。どこか昭和的な江戸っ子風情を漂わせつつも、死後の虚無見たいなことも言わせてみたりで、どこまでマジなのかまるで分からない。しまいに、天国から現実の「ヨシアキ」に「ギターを弾けぇ」と語りかけつつも、すぐにギターソロが始まらない、というズッコケるような展開さえ待っている。絶対ここ狙ってる。その後しばらくしてからちゃんとギターソロが始まるので安心するけども。

 それにしても、タイトルもタイトルだし、60代後半の白井ヨシアキとご先祖の対話ということもあって、何とも世界観がジジくさい。やっぱ鈴木博文が絡むと本作はジジくささがどこかしら出てくるらしいけどこれが特にそう。次の曲のゲストがDaokoなので尚更ギャップがすごい。

 

 

8. 再開発がやってくる、いやいや(4:35)

●作詞作曲:白井良明

 2連続で白井良明曲。こちらは、彼の時折出す実験的でアブストラクトな側面と、彼がJ-POPのプロデューサーとして培ってきたポップセンスとを強引に1曲に結びつけて、サビだけ突如Daokoが歌うスウィートなJ-POPになってしまう曲。そんなチャンネルも持ってるのか…と彼の日本音楽界におけるポジションのことなんかを余計に考えてしまう。

 サビ以外の箇所は実にムーンライダーズ的にこじれて見せてる風の、停滞感たっぷりにヒップホップ的なトラックをグズグズにしてみせたような展開の中、ラップとも語りともつかないフレーズを、声にきついエフェクトをかけたメンバーが紡いでいく。この曲でも鈴木慶一がブロークンでヤケクソみたいな歌いっぷりをキツいエフェクトの向こうで披露していて、本作での彼のこういう歌い方を白井良明があえて引き出している感じもある。

 こんなグダグダなセクションから突如ドラマチックなシンセが入って、白井とDaokoとでデュエットする夜っぽい感じのJ-POPに、本当に急に変貌する。その実にJ-POP的なドラマチックさのツボを抑えたメロディ回しに、作曲者の界隈での積み重ねが活きている。ここまでずっとおっさんの声ばっかり聞いてきた中で、Daokoのロリータボイスが急にガッツリメロディーしていくのは咽せるような衝撃が初見だとある。ムーディーなエレピが鳴ったりしつつも、何気にイントロと同じ奇妙なシンセが違和感なくバックトラックに溶け込んでたりする。

 またもどことなく「老人の皮肉」っぽくも聞こえる曲タイトルだけど、サビ以外の部分では「再開発にうんざりして地方への脱出を考えるけれど、色々と課題やら何やらで結局どこにも行けない」みたいな悲哀が歌われる。かと思えば、スウィートなサビには「余生」なんてワードもあって、この曲も“老い”をテーマにしたものだとわかる。そんなのをDaokoに歌わせてるところが何とも。

 

 

9. 世間にやな音がしないか(4:03)

●作詞:鈴木慶一 作曲:夏秋文尚

 『Ciao!』以前よりサポートメンバーとしてほぼ固定メンバーになっていた夏秋文尚がいつの間にか正式にメンバーになっていて、そして「メンバーなら当然曲も書くよね」と言わんばかりに、『S.A.D.』とこの曲で作曲を披露し、特にこちらは単独作曲。どことなくアルバム『MOON OVER the ROSEBUD』終盤のアンニュイな雰囲気を醸し出す前半部と、そこから開けた展開に切り替わる要素を併せ持つ楽曲となっている。ドラマー作曲だけども別にドラムが激しい訳でも目立つ訳でもない*8

 冒頭からのぼんやりとした3拍子の展開には、全体的に音色に大人っぽさがある。どの音にもふんだんなエコーが掛けられ、鈴木慶一の声もエフェクトでぼかされて、全体的に気品の香るオブスキュアーさが広がる。特にギターの響きとヴィブラフォン、トランペットの交錯具合のまろやかさは、割と大人しい楽曲であるこの曲の前半部を魅力的に彩るべく全面的にバックアップする。

 そして、2分40秒過ぎからの、急にヴェールの向こうから現実に現れたかのような曲調の変化が現れる。リズムは8ビートになり、リヴァーブは一気に減って、現実世界に現れたかのようなこの変化具合は順当に鮮やかで晴れやか。ヴァイオリンが響く中を、実にムーンライダーズらしくユニゾンで分厚く歌い上げる様には、このバンドの強みが実に素直に出ている。ギターとヴァイオリン両方の残響を残して曲が終わるなんてこと、こんなの普通のバンドでは中々起こらないものだろう。

 鈴木慶一による歌詞、そしておそらく彼が定めたであろう曲タイトルは、おそらくそんな意図はまるでなかったろうに、2022年の戦争を予期してしまったかのような映り方になってしまっている。もっとざっくりと大きな感覚で資本主義批判めいた何かをしている歌なんだろうけども。

 

世間に蛾が 住むような 豪邸が だぶついてる

試験で 0点取った 答案用紙 どこに捨てよう

余ってる 札と一緒に それが政治だ

 

急に飛び出してくる「それが政治だ」の論理展開がよくわからない。でもそうかも、それが政治なのかも…。

 

  

10. 彷徨う場所がないバス停(4:34)

●作詞作曲:鈴木慶一

 またもや目眩くサウンドとコーラスワークが舞い続ける、実に鈴木慶一的な音響感覚とぶっ壊れた哀愁とが飛び交い続ける、変な浮遊感に溢れ続ける楽曲。実にいい曲だけども、彼の本作の曲は鈴木恵一色が強すぎて少々浮いてる気もする。この曲では歌詞をメインボーカルとコーラスで分け合って、しかも歌詞カードでもそうなるよう記載しているため歌詞が読みづらい。

 不思議にトライバルなリズムと、それに沿ってキーボードやパーカッションがさまざまに飛び出して来る、その不思議空間の現れ具合は、様々なゲーム音楽・映画音楽・実験音楽を作ってきた彼だからこその音響感覚で、昭和情緒に満ちたVan Dyke Parksみたいなものかもしれない

 この曲についてはボーカルラインもまた、鷹揚な感じから、えらく細かく言葉を並べ立てる箇所まで、同じようなサウンドをバックに歌い回しが変化していく。そしてそれらに所々で、ユニゾンにすると白井良明の声が少しばかり目立つ感じの、お馴染みのムーンライダーズ式コーラスワークが奇妙な連なりでメロディを追いかけていく。特に、言葉数の多いセクションは、だんだん傍に逃げていく鈴木慶一のメインボーカルに対してその反対側からコーラスが飛び出して来るなど、その拘り方は偏執的。ただ、この曲の鈴木慶一の声はリヴァーブこそ多いものの、割と素直に彼の声質の良さを楽しめるクリアさを保っている。

 特に終盤、一度ブレイクしてから飛び出して来るコーラスワークの分厚さが素晴らしい。ここに追随するギターのポロポロとした鳴りも素晴らしく、特に後半普通にコーラスワークを見せる際の、全然コーラス単体だけでも聴かせられる程の美しい溢れ方が、本作での鈴木慶一曲でも随一の緻密さを誇っている。

 鈴木慶一成分が出まくった歌詞は、それでもこの曲では「場所」の概念があり、非常に抽象化されつつも、行き場のない寂しさみたいなものを実に多角的に描写しているようにも感じられる。

 

時に剥がされ(時は流され) バスも終わって

彷徨う場所がない(夜が着くよ 夜が行くよ)

借りたお金は返したはずだけど

奏でる音は今日の10円玉で

堪忍して下さいな 路上にポトリ 落ち葉のように

捨てて帰って くれた

 

(彷徨う場所は 清掃車両が掃いてしまう)

(彷徨える場所は 夜空の上の上)

 

擬人法とか比喩とか、そういう技法を技法ではなく感覚としてひたすら連発してくる濃厚な鈴木慶一ワールド。意味の繋がりの意味不明ささえ厭わずに複雑にこんがらがっていくという意味では、本作でもこの曲が一番鈴木慶一的なカオスさがしっとり染み込んでくる。

 

 

11. Smile(4:27)

●作詞作曲:鈴木博文

 曲者・鈴木博文らしからぬ直球なタイトルを冠したこの曲は、このバンドの「一体この人たちは世界のどこを彷徨っているんだ」という感じのオーケストラとしてのポテンシャルを、泥臭くもゆったりとしたワルツの曲調でもって限界まで引き出してみせた、本作でも屈指の名曲・名演。間奏を除けば2つのセクションだけで構成されたシンプルな曲で、だからこそ演奏の広がりと移り変わるメンバーのボーカルとコーラスワークとで威風堂々と聴かせて来る。

 どこかの国の奇妙なラジオ放送みたいな不穏なノイズから始まって何かと思うと、それが明けて広がってくる無国籍な不思議さに溢れた様々な楽器の、ゆったりとスケールの大きな広がり方。ストリングスにトランペットが遠くまで景色が見えるかのように響き渡り、にわかにBeirutみたいなサウンドが広がっていく訳だけど、そこに連なるのは、強烈な重力に逆らって泥臭くも舞い上がろうとするメンバーのコーラスワークとソロボーカルの繰り返し。元々は鈴木慶一メインボーカルを想定して書かれたらしいけど、製作中にメンバーが歌い継いでいくスタイルに変更されて、華やかな演奏のこともあり、ここだけ再結成の歓びを祝福するかのような雰囲気に満ち溢れて来て、それがもうアルバムの終わる間際だっていうのが何だか可笑しい

 祝福だけで終わらせないところが鈴木博文。もう一方のセクションではその自身の声を高低重ねて、人生の重苦しさやしんどさを思わせるようなメロディの畳み掛け方を挿入する。不思議なコーラスワークに塗れながら、ブルーズの感覚が強引にワルツに埋め込まれる、その苦々しさは実に彼のSSW的な側面が露出していて、この後すぐに元の華やかなセクションに戻ると違和感があるだろうけども、そこに繋がるまでグダグダに演奏し続けることも含めて、行き当たりばったりの旅を続けてすっかり遠くまで来たような感覚を流し込んでくる。

 一度だけ、急に8ビートに展開して、白井良明のジャズテイストなギターソロが挿入されるセクションが用意されている。別にこれがなくても全然曲は成立するだろうけども、でもこの曲においては、「あえて」無駄にこのセクションを挿入することで意味が発生してきていて、演奏の上品さ・クールさに反してエモいようにさえ思える。

 曲の終わる間際のコーラスセクションだけ、ソロパートなしに全員でコーラしし続ける。ニクイ演出だなあ、と思うと、ちょっとベタなのを恥ずかしがるかのようにあっさりと演奏が終わってしまう。こんなずっと聴いていたいようなアンサンブルをさっと終わらせてしまうのは、捻くれゆえか、哀愁を求めてか。結果的に次の最終曲イントロといい呼応をしている。

 歌詞は少なく、また鈴木慶一とは別の方向で現実的に悲観的な鈴木博文らしからぬポジティブなラインを軸に据えてある。けれども、ブルーズ的セクションにて彼らしい苦味の効いた言葉が出て来ることで、「smile」「shine」といった言葉がかえって輝かしくなるようにあつらえてある。

 

諦めきれない ことがあれば あがくんだ

忘れてしまう 言葉は 大事なことばかり

やりきれない 気持ちは 墓場まで持ってゆこう

早々に 屍と 手を取り合って

 

実に鈴木博文イズムの効いた、好々爺感のまるで無い、ヒリヒリするような「老齢ロック」の在り方の表明。本作での彼の存在の大きさは、特にこの曲に集約されているんだと思う。

 どこの国を彷徨ってるか分からない泥臭い管弦楽団、としてのムーンライダーズの魅力を見事に引き出したこの曲は、『S.A.D.』と共に、アルバム制作最初の選曲会議で提出された50曲の中で最初に収録が決まったらしい。この時点のデモはきっと宅録だろうからもっと地味だったろうに、これをここまで晴れやかなアンサンブルに昇華できると見抜き、実際に昇華したバンドやスタッフの素晴らしさは特筆される。

 

 

12. 私は愚民(9:04)

●作詞作曲:鈴木慶一

 彼らのことをそれなりに見知っていれば、タイトルを見た瞬間に「ああ…この曲は絶対に鈴木慶一だ…」って解ってしまうようなあんまりなタイトルっぷりが目立つ最終曲にして、変幻自在なサウンドクリエイターというよりむしろもっとしみったれた哀愁をぶちまけるSSWとしての鈴木慶一が本作で最もよく出た、特にエモーショナルで感動的な終盤の展開と、そしてその後のグダグダの極みのような長尺のジャムを含んだ楽曲

 本作で最も強烈なタイトルなのを受けてか、この曲の鈴木慶一は他メンバーのコーラスを伴わず、延々と一人、妙にエフェクトの効いた声でメロディを紡ぎ続ける。これがおそらく、この曲のパーソナルめいた感覚を生み出し、彼のSSW的側面を大いに引き出しているんだろうと思える。コーラスが全く入ってないのは確実にわざとで、まるでアルバム『最後の晩餐』における『10時間』のような気合いのあり方を思う*9

 不思議なラインのシンセとバンドのアタック感を繰り返す演奏の、どこにも進んで行かないような感覚の出し方が地味に絶妙で、まるで観念の海に一人取り残され続けてるかのような感覚が、特にこの曲には感じられる。もちろん演奏はバンドが多いにバックアップしている訳だけども、ここでの不思議な停滞感の在り方については、特に重々しくも華やかだった前曲の直後、ということも、アルバムの最後の曲だということも効いて、実に独特な寂しさを抽出してきている。本作収録の他二つの彼の曲よりも明らかにメロディもリリシズム寄りで、彼の哀感が剥き出しでぶち当たってくる。

 その哀感のぶちあたりが最も大きいのは間違いなく、3分過ぎに一度ブレイクした後の、急にリズムが重くなり、エモーショナルなメロディと勇敢なトランペットのアレンジが叩きつけられるこの曲の実質コーダ部分だろう。ここのセクションの、鳥肌が立つようなエモーショナルさを全身に浴びる感覚は、リズムののたうち回らせ方といい、彼の熟練の手管が彼の言語変換不能のエモーショナルさと壮絶に噛み合った、本作でも一際感動的なセクションだと思う。

 正直、このセクションでアルバムを終わらせれば感動的に終わらせられるのに、と思わないでもない。だけどそんなのもしかしたら、作曲者からしたら恥ずかしすぎて死んでしまう類のものだったのかもしれない*10。一度無音になった後、よせばいいのに、延々とグダグダで、カオスで、行き当たりばったりの極みのようなジャムセッションを展開していく。なにせ、最初にドカッと入って来るのがベースな時点で何かもう無茶苦茶で、みんなキーとか何とかを全く気にせず、思い思いに自分の楽器をなんか次々に鳴らして混沌してやろう、という気概だけで演奏が散乱していく。9分というアルバム一の尺の、その4分過ぎ以降は全てこのグダグダなジャムセッションに費やされ、おそらく本当になんの打ち合わせもないんだろう、最後まで「全体が美しく噛み合う」ことのないまま、むしろそれだけを絶対に避けることを目指しているかのようにグダグダなまま、フェードアウトもせず、やがて演奏は終わる。実験か、成熟の否定か、失敗の実践か、むしろマジで照れ隠しか、様々な可能性を思わせながらも「いい歳こいて何やってんだよこいつら」と思われることは間違いないこのデタラメをもって、アルバムは終わってしまう。

 まさか、この曲をライブでやるなら、この最後のセクションも演奏するのか…?

 歌詞の、混沌に満ちた思考の末の悲嘆の彼岸、みたいな情緒は、彼だけの世界観かもしれない。

 

感情を 吐き出しても 誰か 傷つくだけ

見分けられない 人もいる

感情は 飼い慣らして 話 続けるなら

我慢もするさ 愚民なら

 

暴れたくて夜を 買い占めてみたいけど

金も愛も欲も 無いならこの夜に 首切られるんだろう

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・

終わりに

It's the moooonriders/moonriders/ムーンライダーズ |日本のロック|ディスクユニオン・オンラインショップ|diskunion.net

 以上、全12曲56分26秒の作品でした。

 少なくとも言えることは、本作は「再結成を目的とした」作品じゃない、ということかもしれません。絶対そういうことやってもいい、もっと「おめでとう」感出してもバチ当たらないタイミングなはずなのに、メンバー全員誰も、そんなことを顧みていない感じがするのが、そういうベタをひたすら避けようとする捻くれ者の感じに深みが増したところかもしれません。再結成アルバムでこんな冒頭2曲なんて、普通のバンドならCDを床に叩きつけられかねない行為だけど、このバンドについては「コイツらやらかしやがった!」という感情になれるから強い。『岸辺のダンス』のイントロ聴いた瞬間すごい充実した困惑を迎えられました。

 とりあえず収録曲をもっとライブで聴いてみたいな、と思うけども、いつの間にか決まってたビルボード東京でのライブはもう売り切れのようで*11、ちゃんと情報収集してなかったのを反省するばかり。

 「一生バンド宣言」をしているからには、体調の問題とかはあっても活動は続けてくれそうなので、ということは、「次作に期待」なんてことも、このバンドにリアルタイムに抱くことができるのか、という喜びがあります。本作はムーンライダーズに対して「次作に期待」する、という感情を再びファンに持たせられたことも小さくない価値でしょう。

 

 様々な事柄を取り入れて情報量の多い楽曲を作る彼らなので、このレビューでそれら全てを網羅できるはずもなく*12、むしろあんまり入ってない感じもしますが、それはそれ。この文章にどこか楽しく読める部分が少しでもあれば幸いです。

 それにしても、ムーンライダーズの全曲解説って難しいな…!この次はモア・ベターよ!

 

 それではまた。

 

*1:数え方によってこの数字は若干変動するものと思われます。ひとまず筆者カウントで22枚。

*2:45周年に微妙に間に合わなかったし。

*3:具体的には『さよならは夜明けの夢に』『いとこ同士』『モダーン・ラヴァーズ』『僕はタンポポを愛す』等々。

*4:でもこの人、ポップな曲書きであると同時に『夢が見れる機会が欲しい』みたいなカオスな曲を作ってたりもするんだよな、と思うと、このバンドにまつわる様々な要素のそれぞれがまた複雑なことを思えて胸が焼けそうである。

*5:『No.9』とかソロの『ヘイト博士とラブ航海士』シリーズの幾つかとか。

*6:前の曲と次の曲が割と普通にポップな曲なのもこの曲の妙なところを強調しているかもしれない。

*7:曰く「それはもう詩だよ!」とのこと。

*8:とはいえ、それは結構どのバンドでもそんなものな気がする。理由として、ドラム自体がメロディとかコードの作曲に使用できる楽器じゃない、ということがあるかも。

*9:こっちは途中から結構コーラスは入るけども。

*10:なにせ「Tokyo Shyness Boy」と細野晴臣に呼ばれた鈴木慶一だから。

*11:とはいえこのライブは『マニア・マニエラ』再現ライブと銘打たれてるけども。

*12:むしろ雑誌とかのそういう予備知識の全てをネットに無断転載するのもまずいし。