ブンゲイブ・ケイオンガクブ

本を読まない文芸部員と楽器を練習しない軽音楽部員のような感じのブログ。適当な創作・レビュー等々。

夏の楽曲集(Vol.4 1980年代:20曲)

 夏の楽曲をある程度の数リスト化していく記事の、第4回目、1980年代編です。今回もとりあえず20曲暗い用意してます。サムネ画像はウクライナザポリージャ州のベルジャーンシクというところだそうです。この記事投稿時にはロシアに占領されてしまっていますが…。

 この一連のシリーズの過去の記事は以下のとおり。

 

ystmokzk.hatenablog.jp

ystmokzk.hatenablog.jp

ystmokzk.hatenablog.jp

 

 

はじめに:今回のリストの残念なところ

 正直、今回のリストはあまりうまく選曲できてない感じがあります。以下理由を述べます。

 

 

①幾つかの特定ジャンルで楽曲を見つけられなかった

 こういうジャンルを跨いだ記事ではそれぞれのジャンルで該当するもの1曲くらいを入れておくと自己満足度が高いのですが、今回はそれがうまく出来ませんでした。これが今回一番残念に思うところです。どのジャンルで「夏の曲」を発見できなかったのかを以下挙げておきます。

 

 

a. ゴス系ニューウェーブ

 やっぱ夏の曲とか似合わない感じなのかなーと思われます。ちなみにThe Cureはこれよりも後の年代で出て来るんですけども。まあThe Cureまで行くと何でもありかあ。

 

 

b. ブラックコンテンポラリー

 この分野で探しきれなかったのが今回1番悔しいです。元々得意なジャンルじゃないしというか全然知らなかったりで、今回曲探しで色々聴けたのは良かったんですが、肝心の夏を歌った楽曲を見つけきれなくて、傾向的にそんなに無いのかもしれないけど絶対に全く無いはずは無いので、残念さが積もります。

 ところで「ブラックコンテンポラリー」という呼び方は日本独特のものっぽい。なんかWikipediaの日本語記事に対応する英語記事を見ると「Urban contemporary music」と表示されて、しかもこの「Urban」の語についてこれが適切かどうか議論があるとのこと。そういえばそんな記事を前にどこかで読んだことがあったような。となると、「”ブラック”コンテンポラリー」はやっぱもっと不味いのかな…。

 

 

c. シューゲイザー

 このジャンルはむしろ1990年代になると色々と見つかるからまあこっちで夏の曲が見つからなくてもまあいいか。1990年代のシューゲイザーの夏っぷりを見ると、このジャンルにどうして夏のイメージが付いたのか何となく分かる感じがする。

 ちなみにマイブラは逆に冬の歌ならあります。

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②取り上げたいアーティストがこの年代に夏の曲を出してなかった

 これもそこそこありました。まあこっちはそれよりも後の年代に夏の曲が見つかったりで、ここで誰なのか書くと今回より後の記事のネタバレみたいになっちゃうので書かないですけども。

 特にPrinceとPixiesでそれっぽい曲を見つけきれなかったのが残念。Princeなんて、海外のサイトでは『When Doves Cry』とか『Little Red Corvette』とか『Raspberry Beret』とかが夏の曲扱いされてたけど、そりゃ夏の曲と読めなくもないけどでも断定できませんよねって感じの歌詞だったのでリストに入れられませんでした。Princeは本当に時間かけて探して結局ダメだったなあ…。

 

 

本編

 ということで、いまいち締まりませんが、20曲挙げていきます。

 

 

 

1. Keepin' the Summer Alive / The Beach Boys(1980年)

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 正直今回のリストの最初にしてクライマックスな選曲。夏の楽曲集に打って付けのバンドにも関わらずここまで溜めてきたThe Beach Boysをようやく放出するんだもの。

 当然、このバンドの”夏真っ盛り”の時期というのはデビュー後しばらくの1960年代前半のことで、そこでは新たな若者文化となった「サーフィン&ホットロッド」の世界観の中心としてこのバンドが楽しげで時にロマンチックな楽曲を量産し、フォロワーも色々と現れて、一大ムーブメントとなっていた。

 でも、いつまでも「若者の代表」でいれる訳でもなく、また彼らの一部もそんなものを求めていた訳でなく、『Pet Sounds』以降様々なチャレンジが行われた。でもそれらは売上があまり良くなかったり全然良くなかったりなどして、それで彼らは「時折”夏よもう一度”な曲を出す」バンドとなった。1980年にはアルバム1枚そのテーマでやってしまった作品をリリースし、この曲はそのタイトルトラックとして冒頭に置かれている。

 ここからはこの曲の特殊なところをお話しする。いかにも「夏」なタイトルのこの曲は、まさに時折出てくる「夏よもう一度」タイプな曲だけど、こういうのは普段ならメンバーのうちMike Loveがメインとなってやることが多く、どうにか復活したその時々のBrian Wilsonと共作だったり、このアルバムより後ならTerry Melcherと組んだりするところ。しかしこの曲はCarl Wilson主導の楽曲で、Mike Loveはクレジットに無い。なのでなのか、「夏よもう一度」ソングにありがちな「いかにもな60年代初期的ガレージ感」も「まろやかなリゾートの感じ」も無く、代わりに、やたらとタイトで弾力的なリズム構成の上で跳ねるピアノと、タフな歌い回しをするCarlのボーカルの取り合わせになっている。このバンド的な流麗なコーラスワークが無ければ、典型的な部分のみしかこのバンドを知らない人はこのバンドの曲と思わないかもしれない。作曲者的には、パワフルでワイルドな感じの昔のR&Bって感覚かもしれない。また間に1回メロウなセクションを挿入するのも、この作曲者の得意とする曲構成法だ。

 本来Carlはそんなに「夏よもう一度」路線に乗っかるタイプの人ではない。でもこの曲で先陣を切ってアルバムのテーマ曲を作り上げたところには、もしかしたらずっとセールス低迷してた中でバンド活動の浮揚を狙って、この時期には珍しくパワフルになった楽曲を「夏」に捧げたのかもしれない。彼はMike Loveと対立しつつもバンドを牽引する役割があったから、その責任をこの曲で果たそうとしたのかもしれない。何せ曲タイトルに「生き続ける」って入ってるものな。なので、この曲の入ったアルバムがそれでも売れなかったことが、気の毒ではあるけども。

 歌詞を見てると、The Beach Boysという巨大な存在を牽引する責任がある人間として、いい歳のオッサンになったにも関わらず誠実に「夏」を昔のまま実行しようとするその健気にさえ思える姿が浮かぶ。冒頭の歌詞とかよく分からないものの全文翻訳。

 

アイスクリームな天気がヒップな連中を呼び戻したら

窓を下ろして車で出かけよう

連中は通りで踊ってる砂丘の中で眠るんだ

彼らはただ夏を生きながらえさせようとしてるんだ

 

【サビ】

彼らはただ夏を生きながらえさせようとしてるんだ

 

アイスクリームな天気が女の子みんなよく見せたら

男の子たちは彼女らを車に乗せて行こうとする

学校の鐘が鳴る前最後のパーティーに間に合うよう

彼らはただ夏を生きながらえさせようとしてるんだ

 

【サビ】

 

太陽の下で横になって 雲が流れるのを眺めて

そして好きな人と一緒にいるんだ 夏においてはね

 

最後の9月に学校に戻ったら僕らは思い出すだろう

冬の間の憂鬱を癒す方法をね

ガールフレンドを捕まえて路上に出て ビーチへ向かう

きっと靴に砂を溜め込んで家に帰って来るんだ

 

【サビ】

 

夏を生きながらえさせるのさ

(ああ分かってるさ 俺たちがそうしてるのさ)

俺らがただ 夏を生きながらえさせるのさ

彼らはただ夏を生きながらえさせようとしてるんだ

イエー 夏を生きながらえさせるんだ

 

 しかしながら、この曲もそうだけど、アルバムも実はかなり完成度が高いものなのではと思っていて、確かにジャケットや「夏よもう一度」なコンセプトは少々ダサいものの、楽曲自体は充実してるし、アップテンポな曲としっとり目の曲のバランスも小気味良くて、普通に聴いてて楽しい感じがある。世間の評価がかなり低いように思われるアルバムだけど、十分に再評価されて良いと思う。

 

 

2. Sketch for Summer / The Durutti Column(1980年)

The Durutti Column - Sketch for summer - YouTube

 Spotifyや日本のWikipediaの表記だと1979年になっているけど、ちゃんと調べるとどうも1980年1月のリリースだったらしくて、前回の記事で慌てて書いてる最後の方で1曲差し替える羽目になった元凶の曲。1979年って書いてる方も全く根拠なしに書いてる訳じゃなかったりするんだろうか。

 この曲は、というかThe Durutti Columnというユニット自体がインストメインの音楽をやっている訳だけども、夏っぽいインストというともっとこう、スライドギターが響くボヤーっとした安楽な感じのやつだったり、それこそBreezeを感じさせるような涼しげなサウンドだったりが見られるけど、この曲はBreezeを通り越してFreezeというか、むしろ冬の曲でも良さそうなくらい冷たいサウンドをしている。程よい空間系エフェクトが効いた透き通ったギターの音は氷を想起させ*1、またリズムマシンによる単調で一定なリズムも無機的な冷たさに満ちていて、まるで冷たい冬の朝の光のような音世界が広がっていく。こんな曲に「夏のスケッチ」と名付けるのは皮肉か何かだろうか、とさえ考えてしまう。実にニューウェーブ的な冷んやり加減に満ちたインスト。

 それにしても、これまでもそういう楽曲は多数あっただろうけども、しかしこの曲を初め彼が作る楽曲ほど明確に「ギターで形作る風景画・水彩画」めいたものはそれほど多く無いかもしれない。アンビエントと大きく異なるのは、この曲などにははっきりと抒情性が叩き込まれていること。それはまるで、ギターの最も無機質な部類の音色を用いて夏の些細な景色を冷凍保存するかのようだ。

 

 

3. Summer's Here / James Taylor(1981年)

Summer's Here | JAMES TAYLOR - YouTube

 James Taylorは1980年代になっても全然James Taylorな音してるなあって思った。まあこの曲の入ってるアルバムを聴くと他の曲ではスネアのリバーブの効いた音がしっかり1980年代っぽくなってたりはするけど、スネアをパンと打つことの少ないこの曲では、アルバムでは『Gorilla』くらいから鉄壁の安定感を持った「優しくてウォームな作曲法」が一貫されてることもあり、そこまで違和感が無い。逆に言うと、1970年代初めの方からずっとやってきた人は、1980年代作品では音質そのものが違和感の原因になりがちということでもある。

 柔らかいアコギの音に導かれてスッと登場する、さりげなくも大人の優しさとしなやかさを感じさせる無理のないボーカルが、さらりと満たされた夏の光景を無理なく歌う。

 

夏はここにあって ぼくはそのためにいる

ラバーサンダルや麦わら帽子 冷たいビールを手に

ここにいることがただただ嬉しいね

 

夏はここにあって ぼくにはぴったりだ

今日は雨かもしれないが気にやしないさ

一年でお気に入りの時間 ここにいれてただ嬉しい

 

老人みたいな冬 それはとてもゆっくり過ぎていく

華氏10度以下*2なんだ 分かるだろ

氷や雪を払って 穏やかなそよ風を吹かせよう

 

ああ 水は冷たいけどそこにいたさ

ベイビー 洗濯物を失って飛び込んだりして

つまり 神の子らは皆そうやって肌と夏を取り返すのさ

 

…あれ、冬の対比も歌われてるな。「人生は辛いこともある」みたいなのの象徴として出て来るタイプの「冬」のことかな。

 

 

4. Cruel Summer / Bananarama(1983年)

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 1980年代は女性のみのユニットやバンドがいくつか出てきてヒットを飛ばすようになってきた時代で、あの『Heaven is a Place of Earth』のBelinda Carlisleも元々は女性メンバーのみで構成されたバンドThe Go-Go's*3の出身だったりする。

 それでこのNananaramaもイギリスの女性3人組のユニットで、ドラムマシンとシンセが躍動する1980年代的な、今日の視点からだと不思議な奇妙さに溢れた*4ポップソングを作り続けた。こういうサウンドは所謂ブラックコンテンポラリーなんかでも共通するところで、まさに1980年代のひとつの王道なんだろうやっぱり。特に、かなりクリーンに近いギターのカッティングが大いに特徴的で、この辺は2010年代にThe 1975辺りが効果的に復権させた要素かもしれない。あと日本でもそこそこリアルタイムで聴かれてたんだろうけど、だからこそ邦題が色々と凄い…。

 この曲はそんな彼女たちのヒット曲のひとつで、1980年代式なダンサブルなトラックの上で、特別歌が上手いメンバーがいる訳でもなく歌が重なっていくところにいい具合のチープさがあって、何回かに1回派手にエコーが響くスネアも実に1980年代様式。なおかつややダークになるサビのメロディの裏で、いかにもなギターのカッティングが小気味良く鳴り続けるところがかなりキャッチー。

 歌詞の方はどうも、夏のうんざりするところを歌い上げてある。

 

この街は人がうじゃうじゃいて

友達もどっか行って 一人っきり

暑過ぎて度し難い もう立ち上がって行こう

 

ああ なんて残酷な夏なの

私だけここで置き去りで一人ぼっち

ああ なんて残酷な夏なの

あなたももういないし

 

でもあなたは「たった一人の人」でもないし

 

あなたは行ってしまった」けど「でも別に「かけがえのない人」でもないし」と挟まれるのが強い。別れに引きずられ過ぎずあっさりと切り替えようとするところは、時代が変わってきていたのかもと思わなくもない。

 

 

5. Suddenly Last Summer / The Motels(1983年)

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 もしかしたらこの曲が今回のリストで最も推せる曲かもしれない。今回のリストを作ってて最後に見つけたけど、素晴らしく「夏を曲に閉じ込めた」感じがある。今回の記事の曲探しで初めて知ったバンドだけど、アルバムを聴くと抑制を効かせずバタくさくロックする曲も多いけど、概してニューウェーブ的な抑制が効いている曲が素晴らしい感じだった。この曲はその中でも最良の部類っぽかった。実際この曲はこのバンドの最大のヒット曲になったらしく、もう一つの有名曲『Only the Lonely』も抑制の効いた優雅な楽曲で、抑制の効いた曲が最大のヒット曲になるというパターンはFleetwood Macの『Dreams』を思わせる。

 それにしてもこの曲のメインリフの美しく閉じ切った感じは素晴らしい。ミニマルなギターアルペジオながら、絶妙にギターの煌びやかさが殺されて、生温い質感だけが残った音作りが、この曲の世界観を決定付けている。ギターという楽器は、そのトーンだけで1曲の雰囲気を決定付けてしまうことがある。これはもしかしてその最良の事例のひとつじゃないか。この閉じ切った世界観の中では、やや主張の強い女性ボーカルもいい具合の存在感を発揮して、アメリカのバンドだけども、どこかヨーロピアンな情緒を感じさせる。無駄な躍動感を切ったリズム回りの淡々とした駆動も良く、曲のメロディが展開する部分でも雰囲気の連続性が保たれていて、その淡く光景が流れていく感じが実にどうしようもなく鮮やかに儚くてホント良い。ノスタルジックさとセンチメンタルさが絶妙に入り混じった、悲しすぎるわけでも虚しすぎるわけでもないのに良くも悪くもない涼しさが優雅に通り過ぎていく、不思議な感覚だ。

 でも夏の曲に、まさにこういう切なさを求めてた気もする。全文翻訳。

 

ある夏に起きたこと ある時起きたこと

永遠みたいに思われた ちょっとの間のこと

ちょっとの間の場所 夢の終わり

永遠に貴方を愛す 永遠だとそう思えた

 

【サビ】

あの夏は終わらない あの夏は始まりもしない

それでわたしは立ち尽くしたまま

意思も全て持って行かれたまま

気付けばもう去年の夏のこと

 

立ち去らない時もあるし そうでないかもなことも

長く居座り続けることも そうなるかもなことも

怖くなっちゃうことも そうなるかもなことも

孤独に苛まれることも 叶えたいのにと願うことも

 

【サビ】

 

ついに去年の夏のことだって

そしてもう去年の夏のことだってなって

ついに去年の夏のことだって

 

 The Motels、今まで全然知らなかったけど、他にも幾つも良さげなニューウェーブ感のある曲がある。これから聴いていくのが楽しみ。それと、この曲のメインギターリフがどっかで聴いたことがあって、どこのArt-Schoolだろう、と思って探していたけど、どうやらsyrup16g『これで終わり』だったみたいだ。syrupの方はアルペジオのフレーズがもう少し発展してる感じだけども。これは五十嵐、意図して引用したものなのかたまたまなのか。引用元かもなこの曲がそこそこヒットした有名曲なので、これは分からないな。

 

 

6. C. M. C. / The Roosters(1983年)

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 前の曲がこのリストで一番推しかもと言った舌の根も乾かないうちに申し訳ないけれど、それとは全然別の次元において、この曲ほど「夏の歌」と言うものを徹底的に無意味にコケにし、冒涜し、破壊し尽くし、だからこそ最高な「夏の曲」になっている曲もないだろうとも思う。この記事冒頭のサムネだって、あのビーチが実際ロシア軍に蹂躙されたのかは知らないが、この曲をイメージして見つけたものだし。

 日本有数のロックンロールバンドにして、また同時に本人の不幸も込みで日本のパラノイアックなロックバンドのはしりでもあり、この2点において後の日本のロック文化の祖と言うべき存在でもあるのがThe Roostersというもの。特に大江真也が在籍した時代については、ロックンロールとパラノイア以降で作風が大きく違いつつも、それらに横たわるのは圧倒的に研ぎ澄まされた「やけっぱち」さということになるだろう。この「やけっぱち」具合ははっぴいえんど文脈からはどうやっても出てきようの無いものだということが、The Roostersが日本のバンド文化のひとつの根源だと言えそうな要素だという個人的見解をしっかり書いた纏まった記事を筆者はまだ書けずにいる。

 そしてこの曲は、ロックンロール期とパラノイア期の丁度狭間に存在し、「やけっぱち」さが勢いと病みでブーストされ切ったひとつの頂点に生まれ落ちた、全くもって破滅的なロックンロールの結晶だ。シンプルで勢いの良い、そしてそこそこ歪んだギターのパワーコード的なリフとノイジーリードギターで彩られたロックンロールに、大江慎也のやけっぱちも極まったボーカルと、そしてそれ以上にあらぬ方向にやけっぱち極まった、実に破滅的な光景を描く歌詞とが乗る。全文掲載すると著作権的にマズそうな気がするので全文はどこかの歌詞サイトで見ていただきたいが、その破壊っぷりとその破壊っぷりの無意味さは実に半端ない。

 

爆撃機が400機 所狭しと飛びまわり

機関銃の音がひびき 対空砲火の弾が飛び交う

500キロ爆弾 ガス爆弾 雨あられと 舞い落ちる

リゾートホテルは粉々に壊れ

火の粉が海に降りそそぐ

 

突然空は真っ黒こげ 悲劇と化した サマービーチ

やしの木繁る 海辺の歴史は

あっというまに木端微塵

 

C. M. C.  C. M. C.

SUMMER DAY SUMMER BEACH SUMMER SUN

突然空は丸こげ 悲劇のサマービーチ

 

 これはしかし別に、大江真也が「ロマンチックな夏のリゾートの曲」みたいなものに中指立てたくて書いたわけでも無いんだろうと、当時の彼の精神状態を考えるとそう思われる。当時の彼は軍事的なこと(『撃沈魚雷』という曲もある)と退廃的なこと(『ニュールンベルクでささやいて』等の歌詞にも現れている)、そして精神の病について(『バリウム・ピルズ』等々)関心を持って歌を書いていて、それらの要素が最も無意味に攻撃的に発露したのがこの曲の歌詞なんだろうと思う。そこには誰か個人の物語みたいなものは全く捨象され、ただただ圧倒的な軍事力に蹂躙されるリゾートの描写だけが下される。

 そこには戦争映画みたいなヒューマンドラマは欠片もなく、ただ無機質にニュースで報道されるような、現代であればいわゆる軍事ブロガー等がいくらか興奮してチェックするような「オープンソース・インテリジェンス」的な、淡々として冷酷な「戦争の事実」のみを意味しようとする。それは、大江真也が人間のドラマを描く気をまるで放棄した、普通に気持ちの入った人間ではたどり着けないような極地に、ある意味残念なことに辿り着いてしまっていたから可能だったことかもしれない。

 そして、そのように人間性を一切削ぎ落としたような戦争の夏の歌だからこそ、この曲は人間の感情に左右されずに、無限にやけっぱちな「FU●K」を出力し続ける。なのでたまに筆者のように、この「FU●K」を政治利用する者も現れよう。いや、この記事を書いている2022年ほど、この「FU●K」な光景に溢れた時代もなかなか無いのかもしれない。本当に痛ましくて「FU●K」だと思う。どちらの国に対してかはもう、言うまでもあるまい。

 

 

7. 君に、胸キュン。 / Yellow Magic Orchestra(1983年)

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 前の曲との雰囲気のギャップが凄過ぎて風邪をひきそうだけど、同じ年に集まってしまってA→Z順でもちょうど連続してしまうのだから仕方がない。The Roostersの歌がまさに爆撃し破壊してしまうようないなせなビーチでの軽薄な出来事を描いたこの曲は、しかしエレポップを代表する名曲であることも今更否定しようがない。音楽的仲違いを大概経験してうんざりし切ってた彼らがこの曲にどれだけ本当に乗り気だったか知らないが、もしかしたらその「やけっぱち」さえもいい方に作用して、この曲は『君は天然色』と同じくらいに「1980年代っぽさ」を見事に代表する名曲になっている。カバーが無数に存在するのもそれを裏付ける。

 リゾート風ミュージック。それはThe Beach Boys『Kokomo』にも言えることだけども、これを本気で作ろうとすると、どんな音楽的執着も人間的摩擦も一旦脱ぎ捨てなければならない、という性質があるように思う。人をほんわかとハッピーにする音楽な訳だから、その音に何らかのギスギスが少しでも見えたらいけない訳で、そう言う意味ではリゾートミュージックは完全犯罪でなければならない。そしてYMOの3人はジョークじみた仕草でその完全犯罪をやり切ったということ。

 いい塩梅の透明感ある軽薄さを含んだシンセのBreezeな感覚に乗って、雰囲気作りだけに全てを注ぐ松本隆スタイルが実によく発揮された歌詞には、深く没入しないといけないような物語はしっかり排除されて、万人がなんとなくスッと浸ってすぐに日常に帰れる程度の「雰囲気」だけが用意される。冗談抜きにこれはプロ中のプロの仕事だと思う。方向性が電通とかJTBとかそんな感じもするけども、でも元々CMタイアップで作られた曲だからそれはまあそうなる。特に以下引用する箇所はその意味で神懸かってる。

 

君に胸キュン 夏の印画紙 太陽だけ焼き付けて

君に胸キュン ぼくはと言えば

柄にもなくプラトニック

 

心の距離を計る 罪つくりな潮風

眼を伏せた一瞬の せつなさがいい

 

唐突に出てくる「印画紙」という単語の普段使わない、でもなんかインテリめいた雰囲気がまたとても効果的。こういうのをちょっと忍ばせるセンスが実に松本隆的だと思う。10年前に『はいからはくち』や『乱れ髪』のような前衛的な歌詞を書いてた人とはまるで別人だけど、これはこれで本当に天才的な職人芸で、そこはきっちりと評価しないといけない。

 

 

8. 高気圧ガール / 山下達郎(1983年)

 動画は無いよ。山下達郎だもの。

 『C. M. C.』からこの曲まで、同じ年のリリースだったとは思わず、こう並ぶと不思議なものを感じる。山下達郎で夏といえばまずは『RIDE ON TIME』だろうけど、あの歌はよく読むと「夏の歌と断言できる歌詞」が無い。なのではっきりと夏が歌い込まれているこっちを選曲。折角「『RIDE ON TIME』のサビ終わりの6thのコードが絶妙な夏っぽい寂寥感を生み出している」という文章を考えていたのに、ボツになった。

 確かアルバム『DANCA TO YOU』の頃あたりのサニーデイ・サービス曽我部恵一が、シティポップブームで熱烈に再評価が進んでいた山下達郎の1980年代作品を「人の情緒とかに左右されない、ピラミッドのような完成度」と言った形で評していたような気がするけども、そのピラミッドの頂点にあるのは、たとえばこの曲かもしれない。ドゥーワップなコーラスとアフリカンなパーカッションの躍動を天と地に貼り付けて、その中を悠々と伸びていく彼のメロディとボーカルは、確かに人ならざる地点から作曲されたかのような「そうあるべき」が感じられる。ドラムが入ってメロディが展開するところで一気に賑やかさが増すところの不思議に透き通った多幸感。そしてサビの、もう全然無意味な曲タイトルを連呼することで不思議な宙吊り効果が生まれる様は、建築物然とした鉄壁の構築美を感じさせる。その中では歌詞も特に大した意味はないのかもしれないが、100年後には社会の様相も含めてそのコードを「解読」されるようになるのかもしれない。そうなるといよいよ建築物めいてくるので、もしそこまで生きられたら笑えるかもしれない。

 

永遠の ひるさがりに くちづけの 虹をかける

目くばせに 指をからめ 華やかな 愛をくれる

 

限りない夏の匂い 両手に抱えて

”Come With Me” 離さないよ君を もう二度と

高気圧ガール…

 

現実には様々な理由でありえない「永遠に満たされ続ける夏」を的確に描き出す歌詞。やっぱり意味はあるのかもしれない。「そもそも『高気圧ガール』って何やねん」という下々の者たちのくだらない感想をよそに、この金字塔は本当にモノリスめいてずっと存在し続けるのかもしれない。ううん、山下達郎は得意分野ではないから下手なことは書くまい。

 それにしても1983年の夏の曲多かったな。

 

 

9. Celebrated Summer / Hüsker Dü(1985年)

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 ヤケクソめいた歪み方をしたギターサウンドと制球なテンポのドラムとベースのスカスカな3ピースサウンドが実に「ハードコア上がり」で「DIY録音」な感じを思わせるこの時期のこのバンドのサウンドは、もう少し後に「オルタナティブロック」の標準的ななギターバンドサウンドが形作られる前の混沌を思わせる。実際、この曲の入っているアルバム『New Day Rising』の次のアルバムからギターサウンドはグッと整理されて、オルタナギターサウンドの典型をほぼ完成させたと思われるDinosaur Jr.の『Bug』辺りの音とそんなに変わらないギタートーンになっている。逆に言えば、未整理が故に極端な歪みを撒き散らしながら疾走するこのバンドの姿が拝めるのはこのアルバムまでということか。

 それでこの曲。このアルバムは彼らのハードコアのみでない歌心がよりしっかりと表出してきた作品とされるが、そのひとつの典型としてこの曲は存在する。激烈な疾走感をもとに炸裂するボーカルの勢いはハードコア的なものをまだ保ちつつも、どこか突き抜けるような爽やかさも有している。そしてその正体をこの曲は、ハードコアサウンドを一旦鞘に収めて、代わりに突如フォークロック的なアコギのギターアルペジオが聞こえてきて、そしてそこに重ねられた先程と同じメロディは、メロディ自体は1960年代から連綿と続く何かしらのグッドなものを継承していた、ということが明かされる瞬間だ。そしてそれを少し恥ずかしげに誤魔化すかのように、またバンドサウンドに入って疾走していく様の勇猛さ。特に終盤、ギターダビングがあっても元のサウンドを微妙に広げるにとどめる程度のその何処か謙虚なダビング具合に、現場を大事にするバンドの感性を思わせる。

 そして歌詞にほのかに香る、スクールライフ、不器用、やんちゃの影。そのどれも、やがて愛しまれるべき青春じみている。これは案外青春な曲なんだな。そりゃあオルタナティブロックはまだまだまだまだ若いにも程がある時期だものなのか。

 

愛と憎しみが花粉みたいに漂っていた

4月の何処かではもう1時間おかわりされた

思うに 時間の使い方をもっと考えた方がいいな

うちに籠る準備してたら 夏が来やがる

泳ぎに行くべき? それともダチとブラブラすべき?

夏への回帰 基本への回帰 ブーラブラ

ビーチで酔っ払ったり バンドをやったりな

そして 学校の卒業でいよいよ収集つかなくなるぜ

 

これがお前の祝福された夏だったのか?

 

そして太陽は雲の壁間で解けてしまう

冬をする場所でぼくが夏をして 誰も立入禁止だ

初雪がいつだったかを覚えているかい?

一体いつ夏に雪合戦するチャンスなんかあった?

 

 

10. Summer of Love / The B-52's(1986年)

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 あのR.E.M.と同郷のジョージア州アセンズという大学町で結成されたこのバンドは、派手な衣装とニューウェーブサウンドという、割とアメリカではニューウェーブはこういう風なもんだったのかな、と文化的なものを思わせるスタイルで活動を続けシーンを印象付けた。その自在な女性ボーカルの展開の仕方など、ニューウェーブ的な臭みの効いた奇矯なサウンドをしていたのが、しかしメンバーの死を経て何とか作り上げた1986年のアルバム『Bouncing off the Satellites』からはビートはより平準化され、少し前からシカゴで生まれ拡散しつつあったハウス的なサウンドを取り入れていく。

 この曲からは特にそうした、原初のハウスからの影響を強く感じる。シンセもリズムマシンもプリセットをそのまま打ち付けるようなプリミティブさがあり、そのゴツゴツした具合の中に不思議に生々しさがある。特に、基本ハウス的なトラックに突如ギターカッティングが飛び込んでくるところはとても格好良く、ここをフックにこの曲は成り立っているような気もする。ボーカルのどこから出てきてるのか不思議な質感は蠱惑的で、歌の途切れる箇所でファルセットになったりと中々自在で、歌というよりもシンセと同じくリフみたいな配置のされ方をしている気もする。

 曲のタイトルやどこかサイケも意識されてそうな音作りなどから、この曲が1960年代の所謂「サマーオブラブ」を意識していたことはおそらくそうなんだろうけど、そこから更に海を越えたイギリスでハウスをもとに「セカンドサマーオブラブ」が起こることまでは流石に予測してないだろう。

 

ただ男を待っていただけ 騒がしいねダウンタウン

とっても特別なやつを待ってた

私が手に入れたもの見たいでしょ 入ってきて

オレンジアイスキャンディーとレモネード

 

恋の夏 私すっかり恋に恋してる

ここを超越するためなら何でもいいよ

あなたのこと考える 愛のエネルギーが突き動かす

恋する夏にしようね

 

私は言った 頭上に雲なんか見えやしないよ

 

 

11. 夏の日のオーガズム / Moonriders(1986年)

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 これもある意味では、ハウス、なのかあ…?1980年代に入って機材を先進的に揃えまくったムーンライダーズは、ひたすら無機質な打ち込みのビートを作りまくって、それが結果的にハウスっぽく聞こえることもあったのが実際のところだろう。しかしながらこの曲は、相当に歪なハウスにも、AORをすごく変な形で取り込んだハウスのようにも聞こえる。

 彼らが前人未到で後世の人間も正直未到気味な我が道を進みまくった1980年代の活動の、その最後の年である1986年の夏に出されたシングルは、そんな奇妙さを備えつつ、そして色々と台無しな曲タイトルを持ちつつも、一応は彼らなりにリゾートめいたサウンドを意識して構築されたらしい、確かに夏の曲っぽく仕上がっている、しかしながら世間一般のポップソングからすれば十分に色々とおかしすぎる代物だった。

 この曲は以下の記事で取り上げたことがあったのでそちらを参照。ともかく夏の曲にしても色々と変なんだ…。

 

ystmokzk.hatenablog.jp

 

 

12. Ask / The Smiths(1986年)

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 筆者がThe Smithsのシングルでもとりわけ好きなこの曲もそう言えば夏の曲だったなと喜んだ次第。ライブバージョンのガリガリでパンクな装いを思うと、シングル曲にするにあたって丁寧にサウンドを整えて構築した人(Johnny Marr?)は偉い。

 本当に3分ポップスのお手本のような楽曲に仕上がっていて、イントロの蕩けそうなコーラスの効いたギターサウンドアルペジオからして、夏の光と水とを反射したような輝きを有している。メロディもずっと朗らかで明るく、Morriseyのボーカルもここではその怪しさを歌詞の中に少し忍ばせるのみにして、綺麗に優雅に歌い上げることに専念し、この完璧なポップソングの完成に貢献している。そんななのでか、コードを掻きむしることの少ないThe Smithsの楽曲がギターポップと説明される際、この曲は割とそこに上がりやすい曲のひとつだろう。メロディ終わりのこっそりとシンセを忍ばせるセンスや、一度演奏がブレイクしてからまた再開していく演出なども綺麗に嵌り、本当に何から何まで瑞々しく作り込まれた、まるでケチの付けようのないポップソングだ。彼らはこの年の初めにアルバム『Queen is Dead』をリリースしていて、そこでの充実にまだ包まれ続けているかのようだ。

 歌詞も、何か皮肉や攻撃をあらわにするのではなく、聞き手に優しく問いかけるように進んでいく。歌っているのがMorriseyなのでそれはそれでうっすらと緊張感もあるのだけども。

 

シャイなのはいいね でもシャイなことで

生活の中でしたいことができなくなることがある

だから 何かやってみたいことがあるのなら

ぼくに聞いてごらん 「ダメだよ」なんて言わない

どうしてそんなことできるのさ

 

純真っていいよね でも純真なせいで

生活の中で言いたいこと言えなくなることがある

だから 何か言ってみたいことがあるのなら

ぼくに聞いてごらん 「ダメだよ」なんて言わない

どうしてそんなことできるのさ

 

暖かな夏の日々を部屋に篭って過ごし

ルクセンブルクの出っ歯の少女に向けて

身も凍るような詩を書いているよ

 

ぼくに聞いて 聞いて 聞いてごらん

ぼくに聞いて 聞いて 聞いてごらん

だってそれは愛じゃなくて 爆弾

ぼくらを一緒に連れてってくれる爆弾なんだ

 

それは愛じゃなくって爆弾」という歌詞の結論の「?」な感じと、だけどそれでも、Morriseyなりの何らかの誠実さと優しさが感じられることも確か。あれっやっぱりこの曲の歌詞彼なりの誠実なファンサービスみたいな感じ?「モリッシーのお悩み相談室」みたいな感じに捉えていいやつなのか。

 

 

13. Summer's Cauldron / XTC(1986年)

Summer's Cauldron (Remastered 2001) - YouTube

 ヘンテコニューウェーブポップ集団だった彼らが完全にポップマエストロに変質する機会にもなったアルバム『Skylarking』は、プロデューサーを務めたTodd Rundgrenとの確執をはじめ様々な語れるトピックスのある作品だけど、全体的には、夏休みにどこかの田舎村落に迷い込んだ、みたいな風情が全体的に感じられると思う。

 で、そんな音楽旅行の入り口になるこの曲はしっかりと「夏」を扱っている。意外なことにこの曲以外の他の曲では歌詞に「夏」というのは殆ど出てこない*5。しかしその分この曲がしっかりと「夏休みの田舎村落」に聞き手を導いてくれる。冒頭から鳥か虫か何かの声が響き、そこから入ってくる楽器もどこか郷愁を思わせる曖昧なシンセとアコーディオンじみた音色だ。まるで「田舎の夏の幻想」に溶けていくように、Andy Partridgeのボーカルにはエコーがかかり、そして存外に捻くれることなく自然に任せるままに伸びていく。何処かとライバルに展開されたリズムにところどころに入ってくるドラなど、色々とエキゾチックな要素はありつつ、しかしサビ的な箇所ではしっかりと安定したバンドサウンドも聴かせてみたりして、程よいバランス感覚に満ちた1曲目として存在し、そしてシームレスに次の曲『Grass』に繋がってみせる。

 「夏の大釜」という不思議なタイトルで、どんな歌詞が展開されているのかと思うと、中々にファンタジックな世界観で、やっぱり人里離れた場所へのエスケープな感覚がどこかに漂う。

 

ここで夏の大窯に浸ってる 花々の溶けた石畳の下

ぼくを引摺り出さないで どれだけ望んで来たことか

熱されたバターの上で一息 輝く白熱で汗を流す果実

ぼくの叫びは気にしないで 底流でリラックスしてるの

 

月の女神が横になって 太陽神が立ち上がるとき

ぼくだ 自分が浮かび上がってぐるぐるしてると気づく

まるで大きな青銅の器に入ったブランデー漬けの蝿

ここで夏の大窯に浸ってるんだ よ!

 

世間の色々を振り切って夏のノスタルジアに逃げ込むことは弱さだろうか。仮に弱さだとしても、それが作品の中で羨ましいくらい美しく描かれたら、それは素敵なことだよね。素敵であることは作品の中では他の何よりも優先されると、何の留保もなしに言い切ってしまいたい気持ちはあるけども。まあこの曲みたいに一人で浸ってるだけなら許してつかあさい。

 

 

14. Our Summer / All About Eve(1987年)

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 イギリスのゴスっぽさのある女性ボーカルのロックバンドであるこのバンドの、この曲はデビュー後3枚目のシングル曲。ゴスと言っても、この時期まで来るともうかなりニューウェーブ的なスカスカな神経質さは抜けて、どこかでCocteau Twinsを横目に見つつも、ガッチリとしたギターサウンドの堂々たる様は1990年代の到来の前段階を感じさせる。

 彼女たちの最初のアルバムにはギリギリ収録されなかったこの曲は、テーマのこともあってか、どこか空中に開けていくような爽やかさがありつつも、そこはサビの箇所でむしろダークな低音に落ちていく、というフックの付け方にこのバンドの個性を置いてみせた。ゴスくコーラスが効いたギターサウンドも、アコギの爽やかな響きと並走するとロマンチックな絹の揺れみたいに感じられる。間奏のマイナーコード全開な感じが少しばかり1980年代的でありつつも、サビの終盤でリズムが8ビートで入って以降の伸びやかな感じにはどこか1990年代的な健康さがあるように思える。

 なんか意外と歌詞が短かったので勢いで全文翻訳。

 

あなたを通り過ぎていって 私はなんと残酷なんだ

それはまるで凍てつく12月 次なる7月の熱気の中で

ねえ 憶えてる?憶えてない?

 

私たちの夏 またやって来る

私たちの夏 また氷を溶かすよ

私たちの夏 またやって来る

私たちの夏 また氷を溶かすよ

 

ジプシーが狂気じみた眼をして囁く

ヘザーの中でとても高圧的に

心変わりは嘘だと彼女は言う

変化 そんな天候の中で

 

終盤の歌詞が意味的にも文法的にもよくわからなかった。ジプシーは不吉な預言者的な存在なのかな。

 

 

15. Down on Me / The Jesus and Mary Chain(1987年)

The Jesus & Mary Chain - Down on me - YouTube

 「あっひとつくらい夏の曲ないかと探したらあった」その1。『Phychocandy』の中にあればまだシューゲイザー枠で語れたけどそっちではなくて脱シューゲ後のアルバムの『Darklands』の中の勢いはいいけどそこそこマイナーそうな楽曲が、実は夏の光景の曲だとは。

 曲自体は、2分半ちょっとで終わる様が実に潔く何気に無駄が無い、彼ららしい余計なことをしようと考えさえもしないようなスパッとしたギターロック。間奏のギターの「あっ別にそんな感じのコードをちょっと一部の弦だけ弾いてるだけ」みたいなのでもそこそこセンスよく歪んでればカッコつくんだな、っていうこのバンドの「センス1発それ以外は無し」みたいなところが生きている。終盤の、ボーカルが高音に映って勢いよく展開するかと思うとなんかよく分からん歌ともインストともつかないセクションに入ってそのまま終わってしまうグダグダさと、それでも曲初めからの勢いは最後まで途切れないところに、なんかこのグダグダっぷりのくせに格好いいのはずるいな、と思ったりもする。

 

時々おれは偽の笑顔で繕えるのさ

だが世界はおれを見下してくる

25歳分の熟成が ただ目の前にぶら下がってる

なぜなのか分からないし理解もできやしない

押し上げるかと思うと引き倒される

全てに時間を使わせてくれ

歌えないと心壊れそう

だって おれは見えない 触れない

 

夏の太陽が輝く時でも 空がおれに落ちてくる

暗い日々の最中に 誰かがおれをつけ狙う

 

そんな明るいギターロックっぽい曲でも、やっぱり歌詞は『Darklands』の時期だから病んでるんだなあ、ということを今回歌詞を改めて翻訳して理解した。対訳の付いたCDを持っていたはずだが、こんな小気味良い曲でもこんな被害妄想じみてるのは知らなかった。案外色々知らないもんだもんな。

 

 

16. Dog Days / 岡村靖幸(1987年)

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 ファンクの申し子としてデビューした後の最初と2枚目のアルバムの間にリリースされたシングル曲で、彼は別にファンクに徹さなくても、実に爽やかでかつ独特の粘りと臭みを有するポップソングを作ることができるんだと証明した楽曲だったんだろう。というかよく考えたらそういうポジションの曲でオリジナルアルバムには未収録なのか。そうかPVもあるのか。

 Prince的なファンクの回線を用いずとも、彼にはこの段階ですでに日本のシティポップも含む多くのポップソングのエッセンスを抽出しアレンジし、そして自身の圧倒的に記名性に満ちたボーカルで自分の曲に染め上げてしまうセンスがあった。彼の場合、こういういかにもシングル向きなポップな楽曲でも、セールスのために仕方なくやってるところが見えず、むしろ全力でどうポップにしてやるか仕掛けに行ってる感じがするのが不思議だ。この曲とかボーカルと歌詞がなければある意味「よく出来た1980年代ポップス」という感じのトラックなのだけど、でも流れ作業感は不思議と感じられない。

 それにしても、彼はどうしてこんなに爽やかでロマンチックな歌の中でも「敗北」してしまうんだろう。相当にコンプレックスを抱えてるんだろうけど、だからこその負け犬魂が炸裂した『Dog Days』な訳だろうけど。

 

あの日さ たしかに

あの娘に会ったのは 灼けたプールで

乱反射に まどろむ 君の水着姿 やられそうだよ

あいつより愛してる ぼくに気づいて

苦しくて 切なくて 泣き出しそうだよ

言葉より脆く 心より強く あなたに届けたい

 

歴史に残る勇気を振りしぼって ぼくは言ったよ

君さえよければ この夏一番の愛を築こう

She said 「車のない男には興味がないわ」

「あきらめて 出直して 勉強でもしてて」

言葉より脆く 心より強く ガラスは砕け散った

 

Sunshine お前のせいだぜ

Sunshine 輝け お前のせいで恋もままならぬ

Sunshine お前のせいだぜ

Sunshine 輝け お前のせいで堕落してしまう

だけど 心はいつも(Dog Days)

いつも ぼくを責め立てる

 

この、純情な恋が呆気なく散ってしまう様。正直彼はこういうシチュエーションのフェチめいてるところがある気もする。それで自分を責め出すんだもんなあ。この歌詞の登場人物が妙にフィクションに思えないところが、彼がやっぱりSSW的であるところか。

 それにしても、PVのロケ地綺麗だなあ。鎌倉だそうだ。神奈川県の湘南側って今も昔も強い。

 

 

17. No Bones / Dinosaur Jr.(1988年)

Dinosaur Jr - No Bones - YouTube

 「あっひとつくらい夏の曲ないかと探したらあった」その2。こっちはちゃんと重要アルバムだと弊ブログで取り扱ってる『Bug』の中に収録されてるんだから見つけた時は笑ってしまった。なんて具合のいいアルバムだろう。

 それも作品冒頭で鮮やかで当時間違いなく革新的なギターロック『Freak Scene』が流れた後の、「ヘヴィなとこもあるよ」って感じに置かれたこの曲が、実は夏を含んでいたっていうことなんだから、不思議なこともあるようだ。重くもたつくリズムの渦の中に歪んだギターのグダグダの勢いが渦巻き、サビではよりグダグダ気味な歌の中に不思議なヘヴィさが宿る構成は、Neil Youngを独特のヘロみで溶かし込んだJ Mascisのセンスが既にもう十分なほど完成し切ってることを示す。隠し味的に入ってるアコギの響きも案外に爽やかで、間奏で一度リズムが8ビートで疾走してみせるのも仕掛けとして格好いい。アルバム『Bug』で彼はもう、この先やっていく音楽性の8割くらいを完成させてしまったんではないか。

 さて歌詞、どんな風に夏が入っているのか。

 

ああ ベイビー 多分そう思った 今日は気分悪い

こんなんで乱されなきゃいいのに

月並みなやり方じゃきみを扱えやしない

 

きみを包むだろうか 暖かく葬る感じで

彼女に嘘などつくな 躊躇うな 形に嵌るな

大いなる広がりできみは乾いていく

夏の間ずっと震えてる羽目になるだろう

 

あ、やっぱりロクなもんじゃなかった。なんかもう、ドラッグか何かで夏の間も窓から離れた部屋の隅で苦しんでる光景しか浮かばない。上のHüsker Düの曲がめっちゃ爽やかに見えてくるな。

 

 

18. Every Summer / Friends(1988年)

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 ネオアコの季節は春が多いのか夏が多いのか秋が多いのか冬が多いのか。全然どれも行けそうなことを考えると、ネオアコというのは案外全天候型な音楽なのかも。めちゃくちゃ検索しづらそうなバンド名をしつつも息の長い活動を続けているこのネオアコバンドの最初のアルバムにこうやって夏の曲っぽいタイトルが見えた時は嬉しくなった。ネオアコは夏もいいよね爽やかだよね。結局ネオアコはどの季節が一番似合うんだろうまあバンドにもよるか。

 案外少し不穏な冒頭のアルペジオフレーズや初期The Cureを思わせるような不穏なシンセが聞こえてきつつ、歌もそのまま同じコード感で流れていくものの、しかしメロディが展開するとしっかりとネオアコ的な線の細い優雅さと勇敢さが見えてきて、実に満足。しかもそこからさらにリズムを落としてホーンを伴った形で展開もしてみせる、構成的にもなかなか凝った作りの夏の曲だ。どちらかというと冬空を思わせるようは不穏なメロディも挟んで見せたりで、本当に意外にも展開が多い。

 それにしても、バンド名が検索に向いてなさすぎることと、知名度が少しばかりマイナーなことが重なってか、歌詞が検索しても出てこない…。まあ曲タイトルに夏って入ってるから夏の曲なのは間違いないだろうけども。

 

 

19. Clean Heart / Sade(1988年)

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 Sadeアメリカの女性R&Bアーティストだと思ってたので、イギリスの、しかもバンド名なことを今回ちゃんと調べて知って、なんだか恥ずかしい思いをした。

 1984年の最初のアルバムの時からずっと、このバンドの作品は安定感がある。それは音質に関してもそうで、1980年代ポップス的なコテコテ感は初めっから縁がなくて、代わりに都会的でジャズめいた大人びて落ち着いた雰囲気の、アダルティックなポップスとしても聴けそうな楽曲群を数年に1回アルバムの形でリリースしている、という感じか。おそらく世間的な評価やジョジョ的な意味を含めても、1992年の『Love Deluxe』が一番有名だろう。それにしても全然普段聴かないのによく夏の曲を見つけられたな自分。

 この曲も、正直こういうサウンドを普段全く聴かないし造詣も無い筆者としては、この曲だけを取り出してこういう特徴があります、と解説するのは荷が重すぎる。実に落ち着いた、エレピの音に混じってアコギのちょっとした短いカッティングがさりげなさすぎるアクセントになってるのかな、と思われるくらいのもの。でも多分他の曲にも同じような感じでアコギ入ってるかもだし、下手なことは言えないし書けない。

 歌詞は、なんか固有の人名が多数出てきてよく分からない。物語仕立ての歌詞なんだろうか。

 

彼は兄と妹を愛していた

ルークとトニーは彼をミスターと呼んだ

彼らによって 彼はより男らしさを感じるようになった

彼は何も言いはしなかったが 父親を愛していた

そして、彼がどれほど母親を愛していたか

彼はイタリア人みたいに彼女を 愛し 愛し 愛し 愛した

 

リトル・ジャネットは 元気そうねときみに言った

でも 彼の笑顔に潜む何かが彼らに奇妙な思いをさせた

そして彼はベルトをまっすぐ締めた 恋人のタッチで

そして彼は私が家に帰るつもりだと言った

あなたのクラッチの外にあるもの

 

夏で一番暑い夜のようだった

死にそうな暑さ

次のブロックのどこか 泣いている赤子がいた

今後何年にもわたって引き金を引く

今後何年にもわたって引き金を引く

 

何かやっぱり小説じみた世界観なので、色々と考えてみることはやめておきます。この曲の歌詞を和訳しているサイトもあったので、そっちを読んでもらったほうがいいと思います。

 

 

20. How Does It Feel / Spacemen 3(1989年)

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 今回のリストの最後はイギリスのインディサイケロックバンド?の彼らの楽曲。主要メンバー2名の仲違いによって、この曲が入ったアルバムではすでにかなりの緊張感があり、この後のアルバムではすでに制作自体ソロの寄せ集めみたいな実質解散状態にあったらしい。

 それはそれとして、この曲を聴いて、果たして「ロックバンド」と思うだろうかという問題。この時期バンドは脱退したドラムを補充しないままアルバム制作に向かい、また音楽的趣向がどんどんスペイシーな方面に向かった結果、よりミニマルでドローン的な音楽になっていった。特にSonic BoomことPeter Kemberの楽曲はひたすらミニマルを目指し、反復するシンセのシーケンスに、少しばかりギターが絡んで何とかロックバンドっぽさが出てくる、ということもしばしば見られる。歌ももう無かったり。

 で、そんなのの象徴みたいなのがこの曲で、冒頭で何やら呟かれた後は、ひたすらトランスを誘うようにゆっくりフェイズしていくシンセの音と、そしてそのうち出てくるまだロックな歪みやフレーズを保ったギターの、しかし頼りなくフレーズが紡がれていく様を眺め続ける楽曲となる。確かに本当に少しずつ音が激しくなったり、途中で何やらドラムが入ったり、といった変化はあるけれども、これは殆どミニマルミュージックじゃなかろうか。まさかこんな曲を今回のリストの最後に置くことになるとは思ってなかった。どうしてPixiesの『Doolittle』にもGalaxie 500の『On Fire』にもThe Stone Rosesの1stにも夏の曲が無いのか。

 歌詞を見ていこう。最初の呟きの部分で夏要素はすぐに回収される。一応全文翻訳。

 

きみを見た時 とても驚いた顔をしてたね

そして海はきみの青灰色の瞳を通じて流れていく

ぼくは立ち尽くして 暑い夏の日の方を眺めてた

だから教えて どんな感じなんだい

 

ああ 一晩中きみの夢を見るよ 眼なんて閉じない

だってぼくが見てるものこそが天国なのだから

だから教えて きみは本物なのかい

 

ぼくら 愛し合いひとつに暮らすことができた

そして太陽で指を焼くんだ

ぼくら 愛し合いひとつに暮らすことができた

そして太陽で指を焼くんだ

 

だから教えて どんな感じなんだい

だから教えて どんな感じなんだい

だから教えて どんな感じなんだい

 

どんな感じ どんな感じ どんな感じ

 

教えて どんな感じ 教えて どんな感じ

教えて どんな感じ 教えて どんな感じ

教えて どんな感じ 教えて どんな感じ

教えて どんな感じ ねえ 教えて どんな感じ

 

 こういうロックのフォーマットに収まっていないサイケが出てくると、慣れていないためまごついてしまう自分が嫌だ。「Deerhunterへの影響が大きい」と言われてなんか納得してしまってこの曲が聴きやすくなってしまった自分もなんか嫌だ。しかしどうだろう。ぼくらは左脳で音楽を聴いてるところもあるだろうから。こんな右脳的感覚の極致のような楽曲を前に言うのも恥ずかしい話だけども。

 でもこのトランシーな楽曲に「暑い夏の日を覗き込む」とはっきり書かれてるのをみると、やっぱり夏はそれ自体を「サイケなもの」として捉える向きもあるんだなという納得が得られる。夏と永遠とノスタルジーとサイケデリア、この辺が絡まって生まれる感覚というものに、実際の夏よりもはるかに憧れを感じているのだから。それってどんな感じ?と確認するのも、この一連の記事の目標かもしれない。

 

 

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おわりに

 以上20曲を見ていきました。

 正直、取り上げたい楽曲が1990年代にかなり多いので、そっちの方を早く集めたいばっかりに、1980年代の夏の曲集めは難航してました。Princeとブラコンで見つけきれなかった時がうんざりのピークでした。それでもひとまず、あんまりバランスは良く無いけど20曲集められて良かったと思います。1983年あたりで時間とテンションを使い切ってしまって、後半急いで書いたから内容が薄かったかも。

 しかしながら、こうして見てると、ポップソングの定番として半ば工業製品みたく作られもする「夏の曲」という分野においても、1980年代のうちに段々とDIY的な、工業製品のメロドラマではなく、もっと自分の感覚から出せる何かを出力しようとする試みが増えてきた感じはあります。特にHüsker Düがインディーロックの立場から純アメリカン的な「学校と夏」のテーマで曲を書いてるところは、アメリカの伝統も抱えながらの取り組みで、何だか熱いものがあるようにも感じます。

 多分この年代は、日本のシティポップをちゃんと掘ればそれだけで20曲集まるんだろうな、とも思いました。自分でする気は無いのでどこかにそういう記事が落ちてないかな。

 何はともあれ、1980年代編でした。次の1990年代編は間違い無くモアベターですが、しかしもう夏が終わってしまうので書く時期が悩ましいところです。

 一連の記事の楽曲を載せたプレイリストも、1980年代の曲を追加した形で更新していますので、お時間が許す方はそちらもぜひ。山下達郎はサブスクに無いので代わりの人のカバーを、The Roostersはカバーすら無かったので入っていません。

 それではまた。

 

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*1:このギターの音は、日本だとたとえば浅井健一SHERBETSとかの時に弾くギターのトーンはこういった音に大きく影響を受けてるんだろうなと思える。

*2:摂氏に直すとマイナス12度。

*3:このバンドの夏の曲として『Vacation』という曲があるけど、やはり歌詞に明確に夏だと言える要素がなかったので今回取り上げませんでした。ジャケットもちょっと恥ずかしいし…。

*4:そういうのも2000年代以降のリバイバルブームで薄まったように思えつつも、やっぱこうやって聴くと不思議なメカメカしい異質さがある。

*5:一応『Season Cycle』という曲で出てくるけど、でもこれは4季の移り変わりを歌った曲なので、「夏の曲」カウントは難しいだろう。