8月も終わったというのに、コロナウイルスにかかりまして、更新が遅れてしまいました。自宅療養をしているところで、熱はすぐ引いたけどもともかく喉が唾が通りにくくなって痛くて苦しんでいたりを経て、もうすぐ自宅療養解除となる今日この頃です。
ただでさえ盆を過ぎたら夏も終わりって感じなのに8月も終わってしまった、そんな中でもとりあえずこの企画の次の記事を書いておきます。サムネ画像はもうこんな状況なのでまともに選びたくなくなって、南イタリアのガリポリというところの夏っぽい写真をどこかから引っ張って来たものです。
今回は19曲、という中途半端な曲数にあともう1曲を追加した20曲取り上げます。なんでこんな歯切れが悪いかというと、1曲、リリース年が分からない楽曲があって、時代がもう2022年にもなっているというのにそんなことある…?とは思うけど調べても分からなかったので諦めてまあ多分1970年代のどっか初出だろう、ということで書いていきます。
前回(1960年代:20曲)・前々回(〜1950年代:10曲)の記事はこちら。
はじめに:1970年代のロック周辺のムードと夏
あくまでディケイドの区切りというのは人為的なもので、そこに必ず意味が生じるものでもない、ということは、なんとなくこの1970年代のロックやソウル周りを考えているとそう思えます。この年間の半ばで打たれたピリオドの前と後の音楽群を「同じ時代」と語ることの意味の無さ。それは、どことなく1980年代がひとつの年間としてまだ納得がいく印象を抱くのとは対照的に、大いに乱れた感じがある。率直に言えば、もうパンク・ディスコ以降は1980年代でいいんじゃないか、という、その断絶が。
それと、1960年代がたまたまサーフィンブームという非常に大きなイベントがあったので印象的だっただけで、それ以外の年間に「このディケイドの夏はこんな雰囲気」みたいなのを見出すのは些か難しいような気がします。できなくもないけど、それは一部の傾向のみを捉えた「決めつけ」に限りなく近くて、あまり意味を感じません。
これより下の部分に元々は、最初それなりに書こうとした1970年代初頭的なロックの“完成と膨張と腐敗”の物語*1と、それと入れ替わるようにやって来るパンクやディスコの興隆に関する話とを書こうとした文章がある程度ありましたが、そういった変化が特に「夏の歌」の傾向に大きく影響が出たようには思えなくて、そういう話が書けなかったので、全部消しました。
なので早速本編に入ります。1970年代も、カントリーロックの深化にプログレにニューソウルにニューミュージックにAORにそしてパンクにディスコにダブと、様々な新しい音楽ジャンルが生まれ出た年間ですので、そういうのをなるべく欲張ってリストを作れたと思うので、以下の曲の並びや文章で何か面白いところがあれば幸いです。
- はじめに:1970年代のロック周辺のムードと夏
- 本編
- 1. Time to Kill / The Band(1970年)
- 2. Lazy Summer Night / Claudine Longet(1970年)
- 3. In the Summertime / Mungo Jerry(1970年)
- 4. Fat Old Sun / Pink Floyd(1970年)
- 5. Loving Cup / The Rolling Stones(1971年)
- 6. 夏なんです / はっぴいえんど(1971年)
- 7. Thirteen / Big Star(1972年)
- 8. Summer Breeze / Seals and Crofts(1972年)
- 9. Flying Easy / Donny Hathaway(1973年)
- 10. We're All Alone / Boz Scaggs(1976年)
- 11. Summer Soft / Stevie Wonder(1976年)
- 12. 天気雨 / 荒井由実(1976年)
- 13. Celebrate Summer / T. Rex(1977年)
- 14. It's Over / Electric Light Orchestra(1977年)
- 15. 真夏の昼の夢 / 大瀧詠一(1977年)
- 16. Racing in the Street / Bruce Springsteen(1978年)
- 17. Tempo De Estio / Caetano Veloso(1978年)
- 18. Summer Night City / ABBA(1979年)
- 19. A Warm Summer Night / Chic(1979年)
- +1. Breezing Dub / King Tubby(????年)
- 終わりに
本編
1. Time to Kill / The Band(1970年)
Time To Kill (Remastered 2000) - YouTube
The Bandの呑気そうに見えて実はそうでもない側面というのは、どちらかというと冬のイメージを纏っている。代表曲『The Night They Drove Old Dixie Down』で歌われるのは南北戦争で敗れたある冬の光景だし、また悲壮感漂う歌詞ばかり並ぶ後期の傑作『Northern Lights - Southern Cross』においても冬の舞台設定が多々現れるところ。
しかしながらこの曲は、そういったシリアスさはまるで抜きな呑気さが全体を貫いている。いかにもな1970年代的な大味アメリカンロックといった雰囲気が、弦の振動が程よく感じられそうな具合に程よく歪んだイントロからして沸き上がる。歌が始まって以降も必要以上のドラマチックな展開はせず、イントロのコード感を守ったまま、自然に、流れ出てくるままにメロディを結ぶ。そこにはこの曲が入ってるアルバムより前2作にあったルーツロック&文化探究の色も全然なく、ただただ気楽にその自由なドライブ感をセルフ堪能している風だ。
歌詞の方を見ても、全く呑気という訳ではないが、力強い呑気さがある。
多くの道を通ってきたし 多くの痕跡を焼いてきた
だけどぼくらの道が愛で交差したら ああ
ぼくの世界全部が変わってしまった
潰せる時間を持とう なんてスリルだ 6月から7月
持てる限りの愛を持とう
流して来た涙がバケツに溜まる
そしてこの曲の歌詞での「夏っぽい要素」はここの「6月から7月」しかない。果たして夏の曲か…?しかしこの曲のあっけらかんと進む感じは、夏っぽい自由さを表しているようでもあるような。
ちなみにこの企画、同じ年の曲が複数ある場合はa to z to あ〜ん の順番で並べていくけれども、たまたまこのお気楽な曲が先頭に来たのは、「はじめに」で書いたような話をしていく上ではとても都合がいい。
2. Lazy Summer Night / Claudine Longet(1970年)
フランス訛りの英語をウィスパーボイスで歌うこと+スタッフの洒落たトラック制作により当時及びしばらく先の渋谷系の時代などに脚光を浴びた、後にソフトロックと呼ばれることになる彼女の作品群のうち、レーベルがA&Mから出た最後の作品が1970年のもので、この曲はその中に入っている*2。原曲はドゥーワップ時代のアーティストであるThe Four Prepsのものになるけれど、いかにもな三連符ロマンチックソングだったものをここではかなりボーカルを軽量化し、虫の声も入って、どこか人里離れた土地で涼しい夏の夜を過ごすかのような、そんな可憐さに見事に変換してみせる。ゆっくりのシャッフルのリズムに合わせてアコギの響きが残っていくのが洒落きってる。
とっても物憂げな夏の夜
動くものなんて見えなくて 何もかも静か
暴動なんてあるはずない
どうして茂みの中でさえ
クリケットさんは減速するの
とっても物憂げな夏の夜
景色の見どころは合ってる
ファンシーな夢や目論見を求めて
ただただリラックスして街から逃げ出してね
元々は1950年代の曲だからどうか分からないが、ここで「暴動なんてあるはずない」と言ってるところが、ここでいう「暴動」というのが、公民権運動とか何とかのことなのかと思うと、ちょっとこの曲の「バカンス」の雰囲気が変わってくる気もする。こんなゆったりムードある曲でこんなこと書くのも興醒めかもしれないが。
3. In the Summertime / Mungo Jerry(1970年)
タイトルからしていかにも夏の曲だけども、この曲に関しては実際は4人のおっさんが、それもどの人も妙に暑苦しそうな身なりをした人たちが延々と、ブルーズ形式な楽曲を1970年代式のラグタイムみたいに延々と繰り返す。夏の鮮やかさ・爽やかさなどは特に見当たらず、不思議なファニーさが続いていく。本当にずっとずっと同じメロディの繰り返しをやたら楽しそうに暑苦しくくっきり歌う。ドラムがないのがまた独特の土っぽさになってる。一回終わったかに見せて、すぐにまた延々と再開していく。ソングライターが言うには、書くのに10分も掛からなかったとか。そりゃそうかこういう閃き一発な曲は。
それにしてもひたすらはしゃいでる曲だ。繰り返し等除き意味ある部分は全文訳。
こんな天気のいい夏の日は
まっすぐ伸び上がって空に触れるぜ
こんな天気がいい時は 好きな女性を連れて
飲んで ドライブして 何か見つけにいこうぜ
その娘のパパが金持ちなら 食事に連れてきな
その娘のパパが貧乏なら まあ好きにしな
車線にあった速度を出して
時速100マイルか125マイルくらいかね
陽が沈む頃にゃ待避所でいいことできてるぜ
俺ら憂鬱な人じゃねえし
汚れてねえし 意地悪じゃねえし
みんな愛してるさ でも好きなようにするさ
天気がいい時は 海まで釣りか泳ぎに行くぜ
いつだって幸せさ
「人生は生きるためにある」俺らの哲学だぜ
一緒に歌おうぜ ディディッディーダダー…
(スキャット)
冬が来たら そう パーティーの時間だ
自分のグラスを持って 明るい服を着て
そしたらもうすぐに夏になっちまう
そしてまた歌おう
ドライブに行くか もしくは腰を落ち着けるか
その娘が金持ちなら いい娘なんなら
友達連れて みんなで街へ繰り出そうぜ
冬になってもまたすぐに夏になってしまう。すごいテンションだ。
それにしても、これだけ泥臭い感じの音楽だけど、このバンドがイギリスの人たちだということはかなり意外性がある。この曲は彼らのデビュー曲で、それでいきなり世界各地のチャートで1位を獲得しているらしい。そんなすごい曲なのかこれ…。なお、特徴的なアフロヘアーをしたボーカルギターの人が曲も書いてたっぽいが、この人はなんか1972年にはバンドをクビになっているらしい。どういうことだ…?
4. Fat Old Sun / Pink Floyd(1970年)
邦題は「デブでよろよろの太陽」。サニーデイ・サービスの歌詞に出てくることでも有名なこの邦題の楽曲は、かの超有名プログレバンドの超有名作『原子心母』のうちの『原子心母』じゃない曲のうちの1曲だったりする。このアルバムはA面にタイトル曲24分がドカッとあって、B面はソングライター3人の3者3様なフォーキーな楽曲が収録されていて、最後に10分超えのサウンドコラージュ的作品と、特にB面は全体的にやや地味なところがあるけども、よく聴くとなかなか悪くない。特にこの曲は作者であるDavid Gilmourのお気に入りで、バンドから彼のソロにかけてずっとライブレパートリーとして演奏され続けている。
曲としてはソフトでフォーキーな楽曲となっていて、あのアルバムらしい茫洋とした感じがありつつも、段々歌や演奏の線が濃くなるのは面白く、サビ的な展開に巧みに忍ばせたメロウさは可憐で、ドラムの入り方の慎重で不思議な具合も面白い。そして楽曲の3分の2くらいが終わってからついに入ってくるギターの、程よく王道的な外連味と泣きの効いたフレーズの、朴訥としつつも実に伸び伸びと響き渡る様は、成程このいなたさは、なんかどこかサニーデイ・サービスっぽい、と因果が逆なのは承知の上で思ってしまう。
あのお空で大きく古くなった太陽が沈む頃
夏の夕刻の鳥たちが鳴き声を上げる
日曜の夏の日 そして1年間
ぼくの耳に音楽が聴こえる
遠くでベル 新狩りの草は甘美な匂いがする
川のそばで腕を押さえて
ぼくを抱き起こしてくれ また横にさせてくれ
気づいても 音を立てないでね
大地に足を着けないようにして
暖かな夜が帷を下ろすのを聴いたら
とても奇妙なソフトな音を聴いたら
歌っておくれ ぼくに歌いかけておくれ
曲調のとおり、歌詞の方もどこかフワフワして要領を得ないような、曖昧な何かを曖昧な言葉で追いかけてるような感じ。『Animals』以降と同じバンドの歌詞には見えないだろうな。どことなく牧歌的な夏の光景が思いやられて、やはり1970年代の夏はどこか無邪気で牧歌的だったかな、というイメージを強化する。
5. Loving Cup / The Rolling Stones(1971年)
大物アーティストが連発される並びになった。でもこの曲はかなり根気強く探して歌詞から夏を見つけられた方だと思う。今更言うまでもないストーンズの名盤『Exile on Main St.』の中でも前半の終盤で大いに盛り上がるサザンソウルなバラッドの中に、確かにちゃんと「夏」という語があった。もう何回も聴いた、長いなと思って、部分部分で聴いたことも含めて何回も聴いてきた、この中盤くらいにある曲*3は、実は夏について歌った曲だったんだと、今まで知らずに来てたとは。
山の上の男だぜおれは さあおいで
谷下の百姓さおれは 顔中泥まみれで
ああ いつもしくじってるし 車も動かせないさ
ああ いつも躓いてるし 悪いギターばかり弾くさ
お前の愛しいカップで少しばかり酒をおくれ
一発で酔い潰れちまうだろうさ
甘美な夏の陽の中 丘を歩くのさおれは
お前が何も持ってないなら 薔薇を差し出すさ
ああ 走ったり飛んだり捕まえたりはできるが
でもお前と言い争いはしないさ
一晩中おれと押し引きし続けたいのならね
お前の愛しいカップで少しばかり酒をおくれ
一発で酔い潰れちまうだろうさ
今夜はお前に対して極めて慎ましさを感じ
ただ暖炉の前に座ってるわけだ
炎の中で揺れるお前の顔を見る
また口付けてくれるお前の口を感じる
なんて美しいうなり うなり うなりだろうね
ゴスペルじみたところも含む曲の割に、歌詞の方では神様どうこうではなく、大地がどうこうでもなく、ただひたすら愛の歌なのかなと。ここで「you」を神様だと訳してしまう方がまずいだろう。神様と「一晩中“押し引き”」しちゃうのは流石にヤンチャじゃ済まないだろう。
それにしても、こういう歌詞だと分かった上で楽曲を聞き直すと、Mick Jaggerって改めて、やっぱ歌すごく巧いんだなあと思わされる。絶妙な歌い回しの崩し方の心地良さ。あと何気に、この曲はどうももっと古くから、おそらく1969年くらいからあった曲らしいということも今回知った。ずっと聴いてたつもりでも色々なことを知らないままってことも案外よくあるもんだ。
ライブでこの曲をJack Whiteと共演してたというのも今回初めて知った。楽しそうすぎるでしょJack Whiteさん。
6. 夏なんです / はっぴいえんど(1971年)
こんな企画をしていてこの曲を入れないはずがない。むしろメインに扱いたい曲のひとつでさえあった訳だ。曲名からして、この曲が夏の曲か疑う人もいないだろうし。
それにしても、ちゃんと聴くとこの曲は実に変な曲だ。確かにフォーク的な響きが強い曲だとは思う。でもそれは単にフォークギターがメイン楽器というだけだ。凡百のフォークソング的なコードを掻きむしるようなことをしないし、アルペジオを弾きながら歌うにしても、コードがどんどん変化していく歌でもない。
この曲は、たまたま選択した情緒の都合で楽器がアコギなだけで、幾つかのギターリフを延々反復していく、そこに淡々とした歌を半ば無理矢理載せた、その結果案外ポップな情緒も出てきた、そんな曲だと思う。もっとオーソドックスにフォークソングしてポップソングしてる『風をあつめて』とかとは根本的に訳が違う。むしろ本来は『相合傘』とかと同じグループに属する、案外ファンキーな構造の曲なのではとさえ思う。単にそのファンクさの温度が低すぎて、結果として地味なフォークソングみたいな雰囲気も持てているだけで。今更あまり言うこともない名盤『風街ろまん』の細野曲にあっては、実はこの曲が一番“不思議な”曲のあり方をしてると思う。
そんな「淡々としすぎてファンクさが失せたファンクの曲」だと思って聴くと、夏の曲のはずなのにまるで汗を感じないひんやりとした描写にちょっとだけ訳知り顔になれるのかも。こんな淡々とした曲に「夏だ最高」とか「夏で暑くてうんざり」みたいな情緒を入れ込めるはずもない。曲の奇妙な停滞感にきちんと寄り添った、余計な意味が生じるのを丁寧に抑え込んで風情だけ香らせた、いい歌詞だ。
空模様の縫い目を辿って 石畳を駆け抜けると
夏は通り雨と一緒に
連れ立って行ってしまうのです
モンモンモコモコの 入道雲です
モンモンモコモコの 夏なんです
日傘くるくる ぼくはたいくつ
日傘くるくる ぼくはたいくつ
また1曲それなりに丁寧に細野さんの楽曲に触れられた。他の弊ブログで触れた色々については以下をご参照ください。案外この曲、当時からテンションが低すぎるから、近年の渋めの楽曲の中に混じっても全然突出せずに馴染みそうな感じがあるな。
7. Thirteen / Big Star(1972年)
Big Starの一番有名な曲も、ギリギリ夏の曲と言えそうな要素が歌詞に混じってるので今回取り上げてみる。この曲が一番有名なせいでこのバンドが「最初期のパワーポップバンド」だと言われてることやその要素が特に強いのは2ndアルバムであることなどが分かりにくくなってるとこはあると思う。でも、シンプルでいい曲だ。演奏するのにこれをカバーしてるElliott Smith程のギターの腕前は要らないだろうけど、それでしっかりいい曲だって思えるからやっぱいい曲なんだろう。
せっかくだから全文訳。
学校から家まで一緒に歩いてかせてよ
プールで会うようにしようよ
多分金曜ならいけそうさ
ダンスのチケットを買っとくよ
連れてってあげるよ ああ
きみのパパに言っといて ぼくを放っといてと
『Paint It Black』についてぼくらが話したことも
そのパパには伝えといて
ロックンロールは確かに世にあるよ
さあおいで 今ならオーケーさ
きみの心を奮わせよう ああ
何を考えてるかを教えてよ
この恋のために道を踏み外してくれるかい
できそうなら教えてよ
無理そうならぼくは立ち去れるよ
そしてきみに何もしないんだ ああ
1960年代初頭の「学校なんてアレして夏だ海だ」みたいな勢いからしたらずっと奥ゆかしくていじらしいプールでの待ち合わせに淡い夏の感じがする、と思ってたら最後のパラグラフで「Would you be an outlaw for my love?」なんていうえらくスピッツ的な恋のエゴイスティックさがサラッと炸裂していて、途中のロックンロールの話といい、なんでこんな大人しい曲の中で案外思い切ったストーリーが進展してるんだろう、と不思議になる。けどそこが、13歳の頃の何かしらの危うくも掛け替えのない全能さとかの表れなのかな。
楽曲自体は弾き語りのようで、よく聴くと複数ギターが入ってたりコーラスワークがあったりと、この原曲は案外凝ってる。
8. Summer Breeze / Seals and Crofts(1972年)
いかにも夏の哀愁を感じさせる涼しげなメロディの楽曲。カリフォルニアのソフトロックデュオとして1970年代に一世を風靡した彼らの代表曲でもあり、2年後にこの曲をIsley Brothersもカバーしそこそこのヒットになっている。
曲のメロディの涼しい感じ。マイナー調のコードに対してこの、特にヴァースにおけるスムーズなメロディ回しには同時代のSSW的な泥臭さとは少し異質のものがあって、少しラテン的なところがあるのか、この辺のメロディ感覚は後のメロウな曲の時のRed Hot Chili PeppersとかJack Johnsonとかそういう、もっと伊達男系というかそういう感覚がするような気がする。シンセの類の使い方も派手になりすぎない小憎らしい上手さがある。しかしそんな洒落た割に実はコード進行はミドルエイト以外案外シンプルみたいで、調べてちょっと弾いて口ずさんでみるとなかなか気分がいい感じがある*4。
歌詞もまた「楽しい夏、はしゃげる夏」ではなく、もっと日常の労働の合間のささやかな“大人の”夏みたいな風情をしている。ジャスミンがどうこう歌ってるものな。女性が家で待ってるスタイルの「幸せの光景」だから、今の時代には無批判では合わないところもあるけども。
甘美なる夏の日々 ジャスミンが咲き乱れる
7月は着飾って 自身の曲を奏でる
しんどい日々の仕事から帰ってくると
きみがそこで待ってるんだ 心配事など世界にない
キッチンで待つ笑顔を見つけて
料理をして お皿が二つ並ぶ
ぼくを抱きしめるべく伸びた腕を感じる
そんな 1日が過ぎていく夕方の光景
夏のブリーズが気持ちよくさせる
心の中のジャスミンを吹き抜けていく
とことん洒落乙なる文体。「“心の中のジャスミン”って何だよ」って言われてもそう本当に書いてあるんだから仕方がない。そういう生活もきっとどこかにあるんだろう。
ちなみに、今年2022年の6月に、この二人組のうちの片方であるJames Sealsが長い闘病生活の末に他界した。
9. Flying Easy / Donny Hathaway(1973年)
1960年代のR&Bをモータウンだけで意識してると1970年代になって「ソウル」って感じが急に強まったように感じてしまう。ちゃんとスタックスとかそういうのも聴いておくべきだった。でもOtis Reddingとかちょっと暑苦しくて苦手なんだよな*5。いきなりかなりの余談。でもニューソウル勢の聴きやすくていいところは暑苦しくないところだとは本当思う。
それで、そんなニューソウル勢の中でも彼の場合、大学で本格的にクラシックを学び、裏方でアレンジの研鑽を積んだ上で、キーボードを弾きながら歌うSSWとしてデビューした、と言った方が伝わりやすいような世界観を持つ。作品を重ねるごとにエレピを基調としたジャズ的で洗練された作風になっていくのには、むしろAORとの整合性の方が高いかもと思わされることが多々ある。
この曲とかまさにその方向の洗練の極み。Stevie Wonderとかでもあり得そうな具合ではあるけど、もっとどこか軸が落ち着いたところにあるように思えるのは、ひらめきというよりもむしろジャズ経由の十分な修練からこのスムーズさが生まれてる風に感じるからか。細かく打つリズム、少しラテン感覚の入った高揚の仕草は、これをソウルミュージックとして捉えることを積極的に諦めさせてくれる。
ぼくたち ベルベットの空を高く飛んでいく
その羽根に風を受けながら
そよ風に乗って軽快に浮き上がる
ぼくら 気軽に飛んで したいことだけをする
ワインを飲むようにそよ風を嗜み その美酒は甘美
今この気持ちはいい感じで
夏のそよ風に漂い気楽に飛んでいく
旅はスムーズで ぼくら穏やかにグライドする
虹に乗って グラウンドのティーを見つけて
こんな自由でいられることのなんと幸せか!
この曲は元々他者のために彼が書いた曲らしいけど、この歌詞の中で歌われる「自由への憧れ」の強さは、逆説的に当時の彼にかかっていたプレッシャーがそうさせたものかもしれない。この曲の入ったアルバムの後、彼は統合失調症との診断を受け、急速に活動を縮小していく。一時期どうにか再起を図ろうとしたけど、結局1979年にホテルから転落死した。
彼の、白人ポップスとも分け隔てなくむしろ積極的にカバーしていく姿勢は、非常に多くのクロスオーバーの可能性を秘めていただろう。しかし現実はなかなか難しかったところを、この曲のスムーズさを聴きながら思う。これだけのスムーズさを、鬱病気味だったとされる彼がどれほど必死になって捻り出していたのかを。
10. We're All Alone / Boz Scaggs(1976年)
アルバム『Silk Degrees』こそ2010年代の一時期のAOR再評価の中でとりわけ重要な1枚だったんだろうか。AORというジャンルをよく知らない自分でも、このアルバムの代表曲『Lowdown』の定期的に「ベリッ」と入ってくるベースを聴くと「あっ」て思う*6。そして同じアルバムにきちんと、超コッテコテのラブバラードなこの曲も入っているから偉い。AORのクールなところだけでなくこういう暑苦しいくらいに情熱的なところもきちんと摂取できる。AORを普段聞かない自分はこの1枚だけで満足なくらいの幅のあり方してる。
冒頭のピアノの丁寧で繊細すぎるが故の「クサさ」の時点でこれはそういうもの、だと切り替えが捗る。しかし、基本的に同じメロディを繰り返して、次第に発展させて盛り上がっていくこの曲のメロディのあり方は、純粋に「歌」が時に増幅され収縮されの字その情感そのもので聞かせる強みがある。つまり、クサかろうが何だろうが「いいもんはいいな…」とやっぱり思ってしまう。強いなあ。
外では雨が降り始めて まるで止みそうにない
だから もう泣かないで
浜辺では夢がぼくらを海へ連れ出す 永遠に
目を閉じて 愛しい人 そうすればぼくといられる
波をくぐり抜け 時のトンネルを超えて
遙か忘却の果てへ ぼくら二人きり 二人きりで
窓を閉じ 灯りを落として そしたら大丈夫
もう悩む必要なんてない
胸の内を解放しよう 全て始めよう
そう繕うやり方を覚えていこう
この曲の歌詞も別にはっきりと「夏」と言ってる訳ではないけど、でも浜辺とか波とか言ってるので、少なくとも「思い出の夏」くらいは想定されているものだろう。
11. Summer Soft / Stevie Wonder(1976年)
海外のサイト目当てで検索かけて夏の曲を探してても、どうしてこの超有名アーティストの思いっきりタイトルに「summer」って入ってるいい曲が全然出てこないのか。別に歌詞で楽しい夏の話をしてるわけじゃないからなのか、むしろ辛い夏の話だからか、何なら冬の話も出てくるからなのか。もしくは、この曲が没になる間際で急に天才が気まぐれみたいに拾い上げられたことでギリギリ世に出れた、という経緯があるからか。没寸前まで行った曲にしては良過ぎて、天才の考えることは分からない。
夏の柔らかさ…がキスできみを起こし 朝の始まり
サンタクロースを演じているその最中に
彼女はそよ風に乗せて贈り物をくれる
朝の雨…が窓枠で優しく彼女のリズムを鳴らす
いつ気分を変えるかの手がかりもきみでは分からない
時に雨を降らし または陽光を照らし
そしてきみは彼女が何をするかを見ようと待つ
きみに与えられるは太陽なのか雨なのか
でもきみの心はふたつに裂かれてしまう
気付けばもう10月だよね
そして彼女は行ってしまった 行ってしまった
夏は去ったんだ 彼女の夏の戯れとともに
この後「Winter wind…」と歌詞が続いて、ここまで「she」だったものが「he」に変わり、「気付けば4月に化かされて」からまたサビの「行ってしまったあ」な展開になるので、確かに夏の曲なのか冬の曲なのか、そもそもそういう季節の話がどれだけ大事かよ、っていう歌ではある。
でも、イントロから夏の雨を思わせるようなピアノの音色が綺麗で、程よくウェットに進行してはサビでグッとソウルを燃やすStevieのボーカルが実に鮮やかで、またサビが来るごとに段々キーが半音上がっていくところも激烈で、この曲が名曲なことはその鮮烈さからもう間違いない。なのでどうにか夏の曲と言えんことも無いんだから、別に海外の有力雑誌とかもわざわざこんないい曲を夏の曲リストから外さんでもいいじゃろうに、とは思う。そもそもこれをぼつにしようとしたStevieからして本当に本当に理解できない。ピアノとオルガンとシンセベースのスリリングな絡みといい、余裕で彼のベストトラックのひとつなのでは…と思ってしまうが果たして。
12. 天気雨 / 荒井由実(1976年)
松任谷時代まで含めたら間違いなくもっと有名な夏の曲があるけども、荒井由実時代だと案外そんなに無くて、はっきり「夏」という語が歌詞に入る曲は何故か荒井時代最後のアルバム『14番目の月』のそれも後半に集中している。『避暑地の出来事』とか『晩夏(ひとりの季節)』とかあるが、この曲が一番フラットにポップな荒井由実の感じが出てる。
演奏は松任谷正隆総合プロデュースになって以降のサウンド然とした、サラッとした曲の中で何気にすげえゴリゴリのベースが動いてたりといった仕様。夏の曲だからということなのか、少しばかりThe Beach Boys意識が感じられるコーラスワーク(特にブリッジで入ってくるファルセット)が設えてある。
夏のはじめの通り雨
ついてないのは 誰のせい?
白いハウスをながめ 相模線にゆられて来た
茅ヶ崎までのあいだ あなただけを想っていた
やさしくなくていいよ クールなまま近くにいて
すごいいい躍動感のリズムで歌われる「相模線に」のフレーズが可笑しい。同じアルバムに入っている『中央フリーウェイ』といい、なんでもないものを洒落た風に響かせるのがこの人はとても上手い。
13. Celebrate Summer / T. Rex(1977年)
今回のリストで最後に見つけた曲だけど、これが見つかった時の驚きが一番凄かった。えっT. Rexにこんな曲があったの…?というくらい、モロにストレートな8ビートのリズムにシンプルにバーストしてドライブするギター、つまり殆どパンクみたいなトラックの上で、それでも案外T. Rexしてるという、このパンクとT. Rexの相性の良すぎる具合。やたらと躍動しまくるヤンチャなベースが可愛らしい。また間奏で突如リズムを止めて短い掛け声の後ホワイトノイズセクションを用意するなど、仕掛けも実に周到でかつ早すぎる。まだ1977年なんですよ。Sex Pistlesがシングル『God Save the Queen』が同じ年の5月に出て、この曲はその3ヶ月後にはもう出てる。
この曲の存在を今回調べるまで全然知らなかった。この曲はMark Bolanの生前最後に出たシングル曲で、そして彼の生前最後のアルバムとして出された『Dandy in the Underworld』から5ヶ月後のリリース。つまりこの曲が彼の生前最新の地点だった訳で、それはもう完全にパンクのスタイルな訳で、これもう彼がもう1枚アルバム出せるくらい生きてたらパンク以降の歴史はどうなっていたやら。しかもこの曲はシングルなので、T. Rexの最終アルバムのボートラに入るかどうかというところで、ベスト盤にしてもT. Rex活動中に出たベスト盤が今も広く聴かれてるため、そこにこの曲は未収録で、ともかく存在が分かりにくくて、なおかつとんでもない可能性を秘めた、いや秘めていない全開にしていた楽曲、ということで、今回とても驚いています。
驚きの全文翻訳。
やあ 可愛い娘 ダンスはいかが?
やあ 可愛い娘 すぐにロマンスしたいんだ
やあ 可愛い娘 チャンスを掴んでみる?
そしてぼくと夏を祝おうよ
やあ ひよっこ どこでそのリックを習った?
なあ それはロックンロールって知らねぇの?
なあ 可愛いパンクス あんなゴミ全部忘れて
そしてぼくと夏を祝おうよ
夏はつまらないものなんかじゃない
これが夏 そしてそれは今なんだ
夏ってのは1977年の天国なんだ
やあ 可愛い娘 ダンスはいかが?
やあ 可愛い娘 すぐにロマンスしたいんだ
やあ 可愛い娘 そんなひとりになってみようよ
そしてぼくと夏を祝おうよ
「Hey little girl〜」という歌い出しから明らかにT. Rex的なヘロさを感じれるのに、しかし歌詞にはっきりと「punk」の4字が刻まれていて、その前後にロックンロールもしっかり歌われて、Mark Bolanは確実に「パンクってロックンロールじゃん、つまり最高じゃん」という気持ちをこの歌に載せている。
いやあ、コロナで更新が遅れたお陰で、こんないい曲見つけられて、塞翁が馬ということもあるもんだなと、更新が遅れた言い訳めいてもいるけれども、本当に思う。
14. It's Over / Electric Light Orchestra(1977年)
夏の本当に暑い時にはあまり見たくないJeff Lynneのモッサモサの髪型だけど、この曲ははっきりと夏の歌をしていて、なおかつポップスに典型的な「夏は過ぎていって、それとともに私の幸せも終わった」形式の歌詞物語の楽曲。さすがポップの技巧派、サウンドは複雑でもその辺は分かりやすい。有名な『Mr. Blur Sky』も夏の曲だと英語サイトによっては紹介されてるけど、歌詞に明確に夏要素が見られなかったので残念。
夏が来て そして過ぎていった
殆ど1日もかかってないんじゃないか
でも終わってしまったし ぼくに何ができるよ
空気中を流れる音楽 暗くなった階段に降る静寂
だって終わったんだ 何ができるっていうんだ
終わり 終わり もう全部 何もかも終わりだ
きみがどう観ようと 別に落ち込んでる訳じゃない
もう終わり
きみが海を追い出して 太陽が別れを告げたら
もう話すことなんて殆どないよ
落ち込んでしまう 落ち込む 終わったんだ
落ちる 落ちる 落ちる 海に繰り出されて
落ち込んでるのか落ち込んでないのかどっちなんだよ…筆者の翻訳がどこか悪いのかもだけども。ともかく投げ出しっぷり・途方に暮れっぷりがこの曲ではよく描写され、むしろその途方に暮れ方の新記録を目指すみたいな姿勢がなんか清々しい。
楽曲自体は夏というテーマがあるからか仄かにThe Beach Boysテイストを感じさせつつも、それは1967年より後のBB5スタイルなことに注意が必要。そして、ピアノとストリングス中心のサウンドや、妙に硬く纏まったコーラスワークなどは、大変典型的にELOらしいサウンドの特徴だ。終盤の演劇的な仕掛けも込みで、「演出過多」という語が本当にいい意味で彼らにはよく似合う。
15. 真夏の昼の夢 / 大瀧詠一(1977年)
大瀧詠一の1980年代の売れたアルバムの方にもっと有名な夏の曲が幾つかあることはそりゃもう十分に知っているけども、でも大瀧詠一で夏の曲ならこの曲が一番好きだし、そしてなおかつこの曲は1981年のリミックス版ではなく、1977年、半ば宅録のような環境で、本人がミックスの余裕がなくて上手くいかなかったと溢す、けれどもその波音のSEのゴツゴツした挿入とエコー少なめなボーカルがかえって現代のインディーロック的な質感にマッチしている、そんな1977年リリース版でなければならない。
その辺の拘りは以下の記事でもうしっかりと吐き出しておいたので、詳しくはそちらを参照。
ぼくは深い眠りに 誘われるまま ゆらり
夢の波の音は いつか きいた 子守唄
終わりのない すき透った調べ
真夏の昼の夢
はっきりいってこの曲のこのバージョン最高だ。こんなにロマンチックな夢見心地さもなかなかない。そのひとりぼんやりとロマンに埋没する大瀧詠一自ら書いた歌詞含めて、日本有数の“ドリーム”ポップだと、これは断言します。
16. Racing in the Street / Bruce Springsteen(1978年)
自分の認識は「Red House Paintersに似ているもの=スロウコア」となるので、その脳からいくとこの『Shadows』に似た、というかその直接のご先祖であろうこの曲はスロウコアに分別される。Bruce Springsteenがスロウコア、そんなことがあるもんなのか…と不思議に思ったけど、この曲はでも確かに、そういう連想が全然成り立つくらいにしっかりと感情の爆発を抑制し、同じメロディをじっくりと繰り返していく中で、彼のストーリーテラーの部分の抒情性だけが可憐さを保ったまま進行していくのを味わえる。
最初の歌詞展開では、どうやら自分たちで組み立てた車でレースを続ける人生について歌われる。これはおそらく、バンド活動とどこかしら被せてるんだろうと思う。ドラムが静かに入ってきてゆっくりと盛り上がる中で、歌詞には少しの苦味がまず投じられる。
今 ある連中は生きることを諦めて
少しずつ段々と 死に向かっている
またある連中は仕事から帰り シャワーを浴び
そしてレースをするために通りに出ていく
この辺にはどことなく、1970年代初頭は能天気でぼんやりと可能性と活力を秘めていった旧きロックの世界が、パンクやディスコの興隆と入れ違うように、段々と行き詰まりと衰退に向かっていったところを感じさせる。
しかし、彼のストーリーテリングの重要なところはむしろ、この後演奏が一度盛り上がった後にブレイクして、またピアノ伴奏のみの静寂から始まる3番目のヴァース以降にこそある。
彼女とは3年前に路上で出会った
ロスから来たカマロに乗った男の横に座ってた
おれはそのカマロを破り その少女を追い払った
だが今や彼女の眼には皺が寄り
夜になると泣いてしまってから眠りに就く
おれが家に行くと辺りは暗く
「ああ 上手くやってくれたね」と彼女が囁く
彼女の父親の家のポーチに座って
でも彼女の可愛らしい夢はみんなズタズタになった
一人きり夜をじっと見つめる 自分の出生さえ憎む瞳で
全ての 見知らぬ潰れ去った連中
そして約束の地を目指すホットロッドの天使たちへ捧ぐ
今夜 彼女とおれは海までドライブし
その手に塗れた罪を洗い流すんだ
今宵この夜 ハイウェイは明るく
おれたちの前を走らないでおくれ
だって夏が来て
レースしに通りに出るのにいい時分なんだ
この、レースで任した車に乗っていた女性の、寂しく病んで年老いていく様を描き、そしてその悲しみをせめて背負いたいと手を伸ばそうとする姿勢を重ねる様は、ある意味では「弱い女性を強い男性が救う」みたいな現代ではあまり良くないステレオタイプの感じも滲まなくもないが、でも彼がしたいのはそんなヒロイックなだけの次元ではなさそうなことが、その描写の沈痛な感じから感じられるような気もしてくる。彼は泥臭くも、アメリカのこうした「社会的にダメになってしまった連中」への視線を深めていくこととなるけども、この曲はその一端なんだと思う。その姿勢が普段的なロックスタイルではなく、ここまで静かに、神妙に歌われていたことは少々意外だったけど、この歌詞の後、長い後奏を、静かな盛り上がりだけを添えて、淡い感傷を丁寧に編み込んでいく様が続いていくこの曲*7を知ると、彼の作品をちゃんと腰を据えて聴かないといけないなという気持ちにもなってくる。
17. Tempo De Estio / Caetano Veloso(1978年)
かのJoão Gilbertoの後継の一人としてそのボサノバのキャリアを始めつつ、次第に1960年代のロックンロールやサイケ・前衛音楽、そして混迷に進んでいく社会情勢などと共鳴し、トロピカリアと呼ばれる音楽ジャンルを築いていったのがこの人。今回サブスクで順を追って聴いていくと確かに、最初はまだ順当にボサノバでそれはそれで大変完成度高そうなのに、1967年のアルバムからしてサイケなジャケットだし、次第にバンドサウンドやブラスなんかも混入し、イギリス亡命期にはSSW作品みたいなアルバムがあったり、1973年には『Araçá Azul』という前衛的でかなり困惑させられるアルバムをリリースしていたりすることを知った。とはいえそれ以降はもっと本来のボサノバに寄ったポップスを多数出す人に落ち着いたような感じもある。それでも時折、少し思い切った作品を出したりするあたりのバランス感覚が面白い。
1978年のアルバム『Muito』の2曲目に置かれたこの曲のタイトルは、Google翻訳によると「サマータイム」の意味らしい。聴くと、ボサノバなアコギに賑やかなパーカッションが入ってきて、また洒落たピアノのはね方も愛おしく、何よりもこの人の声質がとてもイケメンな優しく甘い声で、こりゃ普通にいい歌歌ってりゃいくらでもうっとりできるなあ、という感じがする。程よいムードのリゾート音楽っぽく途中まではあるのだけど、しかしながら途中「このままでは終わらせん…」と思ったのか、3分前後くらいから急に不穏なコードに変わり、妙にノイジーなエフェクトや不協和音的なピアノのプレイが暴れ始める。この辺をリゾート地で流してたら「えっ…?」ってなりそう。その興奮から4分過ぎにスッと元のリゾートライクな安楽メロディに戻る様は、ポップも反ポップもその粋を味わい尽くした達人かのような巧さがある。
以下の歌詞は、ポルトガル語の文法も単語も分からないので、Google翻訳を適当に整理しただけのやつ。なのに全文翻訳をしてみる。横暴。
食べてしまいたい しゃぶり尽くしたい
怠惰に溺れたい
愛したい 夢を見たい 幸せに満ちたような
それは愛 それは熱 人生の色味
ぼくの心は夏の街
奔流 きみみたいな女の子が欲しい
奔流 きみみたいな女の子が欲しい
川の奔流には太陽がいっぱい
ソランジュとレイラ
フラビアスとパトリシアスとソニアスとマレナス
アナスとマリナスとルシアスとテレサ
栄光とデニスと永遠の光ヴェラ
最後の方の固有名詞連発はもう分からん。聖人の名前か何か?それを挙げて何を表現してるの?まあ、別にこの辺の意味がちゃんと分からないとこの曲の魅力が激減するわけでもなさそうなので、怠惰にもこの辺で捨て置くわけだけども。何たって夏に頑張りたくなんかないし、この曲の雰囲気だって「頑張れ」とは真逆の弛緩を求めてるだろうから、もうこれ以上頑張らないのだけど。
18. Summer Night City / ABBA(1979年)
売上で見るとABBAは1970年代中盤以降の最大の勝者だったことを今回調べて改めて知った。『Dancing Queen』の一発屋などでは全然なくて、確かにそれが一番大きいけど、他にも幾つもの世界的ヒット曲を多数持つゲキ強集団だった。今回初めてちゃんと各アルバムをサブスクでザッピングしてみた感じ、初期はWar』バンドだったのに驚くけども、次第にシンセ等を活用した、平たく言ってディスコなサウンドに移り変わってから、世界的なヒットを飛ばすようになった。
そんな中で、この曲もバンドの本国などではチャート1位を獲得しているけど、どうも飛び抜けたヒット曲ではなさそう。また英語のWikipedia記事によると、何らかの理由でメンバーがサウンドに異常を覚え満足せず、しかしそのままリリースせざるを得なくなったことなどがあり、メンバー自身ネガティブに捉えてるところもあるらしい。あまりABBAマニアではない身としては他の曲との差異がどうこうはよく分からない、普通にこの人たちっぽいもっさりしたディスコ感が程よく軽快で軽薄なそこそこの曲に思えるけども。結婚してたメンバーが離婚したりが同じ時期に起こっていることもあり、1982年に実質解散するまでの何かしらダークな流れの中で生まれたのが影響してるところももしかしたらあるのかも。曲として聴く分には、そんなネガティブさが何にも分からないけども。
“煌めき”とか言うけど よく分からないよね
ともかくも何かしらが気持ちをオンにさせる
そんなのクズだって言う人もいるけど
その人達がいなくなっても感傷なんてないね
空気中を漂うこのフィーリングが私は好き
私みたいな人ならどこにでもいるよ
夜が活動を始めると 行かなきゃって理解する
あの巨大ダイナモの妙な魅力には抗えない
そして明日 明け方ごろ
鳥が最初に鳴き始める 淡い朝の光の中で
覚えておく価値あるものなんて何もない
それは夢
まるで手の届かない 浜辺て散乱した流木みたいな
日の出を待って暗闇で魂踊る 夏の夜の街
月夜に歩く 公園で愛を営む 夏の夜の街
この「夏の夜の楽しみ」に対して妙に冷め切ったスタンスはなんか面白い。軽薄さを極めたが故の寂しい達観、みたいな感じにも思えるけども。何にせよグループの黄昏にも感じられる類の哀愁というか。
19. A Warm Summer Night / Chic(1979年)
白人サイドのディスコマスターがABBAやBee Geesだとすれば、黒人サイドからのディスコマスターはChicだったであろう。そして、白人のディスコがいい具合にはしゃぐような楽しむような感覚があったことに対して、彼らの音楽は徹底的に“楽しませる”方面にプロフェッショナルな機構を有していた。Nile Rodgersによる強靭かつ蠱惑的なギターカッティングなどに代表される演奏が彼らのディスコ面を大いに強調し、特に彼は2010年代以降『Get Lucky』をはじめとして旧にまた全盛期のような知名度を取り戻すこととなったけど、Chicの共同設立者であり、Nileと組んで多くの楽曲をプロデュース・演奏したベーシストのBernard Edwardsの存在は、彼が1990年代のうちに亡くなってしまったがために、その存在感が薄くなってしまっている。
それでこの曲、どうやらBernard Edwardsが主導して作ったトラックのようで、これはアルバムの2曲目になっているが、冒頭曲『Good Times』がまさに『Get Lucky』に直結するカッティングギターがリードする曲であるのに対し、この曲はディスコ場を降りて、もっとしっとりした、まるでホテルの一室で恋人と曖昧なまま湿度を上げ続けるような弛緩した光景が延々と演出され続ける。ギターもここではとろける光景を演出する小道具の一つにすぎない。
ここに、1970年初頭のニューソウルのような「黒人としての社会的主張や、それを強力に押し通す生命力に満ちたオリジナリティー」みたいなものはまるで見られず、ひたすら映画音楽か何かみたいに、雰囲気作りに徹して自身の個性の表出みたいなものをまるで放棄している。この徹底した作りにどこかやはりプロフェッショナルなものを感じて、その職人気質こそが時代を経て、個性どうこうをまるで抜きにした次元での何か強靭さみたいなものに映るのは興味深い。
貴方 今夜私を愛してくれる?
この熱っぽい夏の夜に
今夜はとっても素敵でしょうね
延々とこのフレーズだけを繰り返し続けるメロディというのもまた、ムードを演出するための装置としての機能しか与えられておらず、そんな濡れ濡れの雰囲気が別に何か物語が進展するわけでもなく延々と6分間続いていく、その繰り返しの執拗さに、どこか弛緩し切った享楽が見えてくる気もする。ここにおいては「まとまりのいいポップス」であろうとすることさえ放棄され、ひたすら「ムードを引き伸ばしていく」ことに全てが捧げられる。そこに退屈を感じてしまう自分みたいなようでは、まだまだ大人じゃないのかもしれないな。
+1. Breezing Dub / King Tubby(????年)
最後に、おそらく1970年代くらいのリリースじゃないのかなあと思いつつも結局いつリリースなのかよく分からないままになってしまったこの曲を最後に無理矢理詰め込んで今回のリストは終わり。Discogsと睨めっこしたり色々検索したりと色々調べたけど結局よく分からなかった。
「Breezing Dub」という題で、聴いていただければもう、すぐに夏の日の夕日が沈む海岸線とかそういう風景が何となくぼんやりとダブ的に見えてくるんじゃなかろうか。ダブのオリジネイターとして知られるKing Tubbyの、ここにおけるエフェクトの仕掛けはいい具合に落ち着いた掛けられ方をしていて、微妙に頼りなくも確実にディレイを効かせてフレーズとメジャー調の感傷を積み重ねていくギターの響きをささやかにダブナイズドする。その不思議に「あらかじめレトロに」仕上がったトラックは、まるで夏休みの最後の日の夕方みたいな、何かがぼんやり終わっていく寂しさみたいなものがあるように感じれてしまうのは一般的なものかそれとも筆者の何か幼児期の体験によるものなのか。
King Tubbyは間違いなくダブというジャンルの創設に多大なる貢献をした人間だけど、その作品量が膨大すぎて、そして尚且つ本人が1989年に射殺されてしまうという悲劇によって本人が監修に入ることが永遠に無くなり、その膨大なディスコグラフィの整理がされているようなされていないようなまま、様々な復刻盤も山ほど出されて、正直粗製濫造気味なくらい似たようなトラックも多いため、色々よく分からない。少なくとも、1960年題の終盤に偶然「ダブ」が見つかって以降の1970年代の全盛期の作品群と、後年になって彼自身のスタジオをアップデートして以降の作品群とがあるらしい。1980年代ではダブがイギリスで流行したことなどもあり、彼の作品も1980年代以降のものはより現代的な音のヘヴィさがあったりするように感じられる。
翻ってこの曲の、どこかヘナヘナな楽器の響き方やエフェクトのかかり具合は、おそらくは少なくともトラック制作は1970年代の方なんじゃないかと思われる。もしかしたら生前はリリースされず、どこかの段階で発掘された膨大な「未発表曲」のひとつなのかもしれない。そうなるとリリースは別に1970年代ではない、ということになってしまうけども、それでも、制作はきっと1970年代だと思われるし、それにもしかしたら、リリースはされないにしてもこのへなちょこ具合がいい塩梅に「ブリーズ」してるこのトラックを本人が1970年代ジャマイカの夏の夕方に自慢のサウンドシステムから流していたかもしれない。
きっとそうだと信じて、今回このように1970年代のラベルの夏の楽曲群の中に放り込むものである。『レゲエ入門』という本に書かれたダブの項目のところで、ダブとは「まず第一に擬似的な「感覚の変容」である。」と書かれている。
あるはずの音が突然消えたり、いきなり立ち現れる。遠くの方で鳴っているようなエコーがかかったり、ドラム缶の中にいるような響きが広がる。鋭く高いタムの一打が凍結され、減衰しながら何度も反復される。ひとの声がなめらかに揺れながら消えていく。
それは、まるで空間が歪み、時間の進行が変容した幻聴のように感じられる。
(中略)
それが、擬似的であるというのは、実際に聞いている人間の内部で起こるのではなく、すでにディスクの中で起こっている事柄だからである。つまり、これはヴァーチャル(仮想現実)な感覚変容の体験なのだ。
『レゲエ入門』牧野直也 164-165p
この記事も所詮、1970年代にリリースされた楽曲を19か20くらい集めて、自分の人生では満足に満喫もできない夏についてヴァーチャルな感覚変容を少しでも体験できるよう築いた寂しいリストであるから、別にこの曲1曲のリリース年が正確じゃないからといって、そんなことは割とどうでもいい。
せめて、誰かの叶わなかった・叶えようと夢にも思わなかった夏の思い出が、このよく分からない立ち位置の曲で可憐にチルされることを祈って。
・・・・・・・・・・・・・・・
終わりに
以上19曲と1曲でした。
コロナ感染と自宅療養のせいで内容の記述が全然進まなかったりもありましたが、そのお陰でリスト自体を見直して曲の入れ替えを幾つか出来たりもしたので、書き終わるのは遅くなったけど悪いことばかりでもなかったのかなと思いました*8。
この20曲だけをもって「1970年代の夏のフィーリングが完全に解った」みたいになるのはまず絶対無理だと思いますし、自分でも書いてて何の意味があるのかよく分からなくなったりもしつつありますが、でも完全には解らないなりにも、この曲のリストを作って何かが少しばかり解ったような気持ちになったりも正直しているところで、それは別にここにはっきり書けるような意味のあることではなくて、なんかどこか個人的な耳や脳や肌で感じた質感のようなものなので、まあ結局「自己満足」ということになってしまいますが、そういう意味ではそこそこ満足できた気もします。特にT. Rexの曲を見つけられたのが良かったと思います。
何度も繰り返してすいませんが、筆者の8月はコロナ感染と自宅療養という自分の人生でも一番最悪な終わり方をしてしまいましたが、今回作ったリストや上記の文章を危篤にも読んでいただいて何か面白いところがあったのであれば、この夏が虚しく終わってしまうことにも何か救いがあるような気がします。
それではまた。せめて1980年代までは絶対9月中、まだギリ「夏」と言い張れそうなうちに終わらせるつもりです。それと、今回取り上げた曲をこのシリーズのプレイリストに追加してますので、そちらもお時間と興味があれば、ぜひどうぞ。
*1:これはむしろ単体の記事としていつかちゃんと書きたい気もしました。
*2:ちなみにThe Beatles作品も2曲入ってる。どっちも『Abbey Road』からの曲。
*3:この「中盤くらいにある曲」という感覚は、元々2枚組だったアルバムをCD時代以降、CDなら1枚に収まるものだから、1枚の作品だと思って聴いてきたからこそなんだろうな。LP時代から聴いてる人はこの曲を「『Happy』の1曲前の曲」なんて思わないんだろうな。そこでLPが分かれているんだから。そう思うと、LPで聴いてきた方々との、このアルバムに関する根本的な思い入れの作法が違っていることに気付かされ、そのことにある種の絶望も覚えるし、その違いについて興味深くも感じられる。
*4:特にサビの切れ目のオブリガードがGのコードからsus4を付けてちょっと爪弾くだけで出たのはシンプルなのにやたら洒落てて笑った。
*5:Otis Reddingがその不幸な死の直前に録音に残した名曲『(Sittin' on) the Dock of the Bay』だけは、暑苦しくないし程よくメロウでシックで好き。生きてればこういう方面のをもっとやってくれてたのかな。どうしてもこの曲から「夏」をはっきり読み取れなくて前回の記事に入れられなかったのはもどかしかった。
*6:多分そうなるのは、サニーデイ・サービス『冒険』の元ネタだから。
*7:英語のwikipediaの解説を読むと、この曲には様々な過去の楽曲へのオマージュも捧げられているらしい。まずそもそも曲タイトルが全開記事でも取り上げたMartha & the Vandellas『Dancing in the Street』のもじりだし、またほっとロッドに関する熱狂はThe Beach Boys以来の文化であり、しかし1960年代当時に若くレースに精を出していた世代が歳を取った後の哀愁、というものもここには込められている。歌詞冒頭にはもう少し詳細に歌の主人公の車のスペックが記載され、それは当時のアメリカのワイルドでマッチョなカー文化の表象でもある。
*8:特に、一番最後に書こうとしてた曲がよく調べたら1980年のリリースだったりして急遽他の曲と入れ替えたりもあったので、時間を掛けてゆっくり書けたのはそれなりにいいこともあった。