ブンゲイブ・ケイオンガクブ

本を読まない文芸部員と楽器を練習しない軽音楽部員のような感じのブログ。適当な創作・レビュー等々。

細野晴臣に関するざっくりまとめ

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 今回は、細野晴臣さんの音楽について記事を書きます。

 言わずと知れた日本が誇る大音楽家細野晴臣。最近はナタリーで連載されてる「細野ゼミ」を興味深く読んでます。

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若手を迎えた実にゆる〜い時にゆるすぎるのでは?とさえ思うほどのトークで、ともすれば”細野史観”ともなりかねないはずの話題をゆるーくかわしていくのが実に細野的に感じられて、個人的には大瀧詠一が晩年にラジオでひとりアメリカンポップス史を延々とディープにやっていた話と、何か凄く対照的なように感じられて、良い悪いとかとは全然別の地点で、印象深く感じます。

 それで、そんなゆるいインタビューの狭間に見えてくる細野晴臣という人物のイメージのことも踏まえた上で、彼の50年を超えるその音楽キャリアについて、一回このブログなりに整理をしておこうと思って筆を取った次第です。思ったことを極力書き残しておこうと思うので、中には批判的な内容もあるかもしれませんが、ひとまず書きます。

 あと、例によってプレイリストを、今回は「細野晴臣オールタイム」的なものとして、各アルバム1曲の縛りで20曲ほど集めたので、そちらも以下の記述の軸にしていきます。記事の最後に当該プレイリストも載せます。

 なお、 ”ざっくり”という表題で、実際そうしようと試みたのですが、いざ書き終わると2万5千字程度になっていました。ご容赦ください。

 

 

序章〜細野さんの音楽ってよくわかんなくなるんだけど〜

 いきなり身も蓋もない話で申し訳ないんですけども、個人的な実感として、上記のことを結構思う時があります。これをもっと突き詰めて言うとこうなります。細野晴臣50年のキャリアと言うけれども、全然違う音楽家のキャリアが3つ4つ合わさっての50年、みたいに感じる」ということ。

 この違和感を何と説明したらいいのか。たとえば、細野さんのソロアルバム内だけでの話であってもHOSONO HOUSE』と『S-F-X』と『omni Sight Seeing』とで、同じ人が作ってるって感じが全然しないことなんかを例に出したら分かるのか。この三つについては、音楽性が全然違うことはもとより、その作曲、楽曲の構造やメロディセンスについても、同じ人が作ってるとは思えないような断絶を感じます

 彼より後世のアーティストにも音楽性が大きく変わる人がいます。同じ日本人アーティストなら、サニーデイ・サービスくるりなんかは直接的なフォロワーかと思います。だけど彼らは、サウンドは変わっても楽曲自体には曽我部節とか岸田節とか言いたくなるような、なんだかんだで同じ人が曲書いてるもんな、っていう、ちょっとした安心感があります。

 細野さんの音楽には時に、そういう安心感が全然感じられないことがあるように思います。原因は様々なものが考えられて、単にキャリアが長いので、そりゃ活動初期と今とでメロディセンスが別人のように違うこともあるでしょ、っていうことはあると思います。ただ、彼の場合、そういった作曲・メロディに現れる”細野節”みたいなものは、正直1970年代に一回断絶してるんじゃなかろうか、とさえ思います。だってYMOの細野曲、特に歌もの曲のメロディに『HOSONO HOUSE』的なメロディを感じられる曲ってかなり皆無に近い気がします。YMOでの活動時に、グループのコンセプトに沿ってそれまでの歌心を封印した、というのは大いにあるでしょうけども。

 ただ、今回改めて彼の作った作品をある程度順番に聴いていって、かつ「細野ゼミ」のような手軽に読める幾つかのテキストに当たったところ、何となく分かってきたのは、「細野さんは本当に自分の音楽的特徴に全然頓着せず、何か新しく思いついたことのみをやってきたアーティストなんだ」ということ。これはでも、だから凄い!というところには自分の中では必ずしも繋がらないです。はっきり言えば「もっと分かりやすい歌ものアルバムを残してて欲しかった」とか、彼のキャリアについてはそういうことを失礼ながら思ってしまうことがしばしばあります*1。もっと言えばそれはYMO以降の音響感で『HOSONO HOUSE』的な歌もの作品を作ってほしい」という、ないものねだりかもしれません*2

 細野さんが近年のインタビューで言うところの「ちゃらんぽらんに音楽をやってきただけ」というスタンスは、超大御所らしからぬフランクさ・気楽さがあります*3が、一方でどこか無責任な、やりっぱなしな感じにも取れる気がします。どうしても比較してしまいますが、色々やりつつもアメリカンポップスへの思慕を軸にキャリアを展開させた大瀧詠一みたいな「俺はこれ!」という音楽性が細野さんのキャリアからは見つけづらいのです。もっと言えば、細野さんの多くの作品が「余技」なんじゃないか?じゃあ「余技」じゃない部分って何なんだ?と思ったりします。

 でもその、見方によっては「余技」しかない50年のキャリアで、非常に豊かな名作・名曲を作り続けてきた、ということも、また事実。細野さんは余技の天才かもしれない、などと倒錯したことを考えそうになりますが、それは彼のセンスやプレイアビリティがやはり、常人離れしていたということを示します。

 

 ーー以上のように、弊ブログの大瀧詠一に対するスタンス以上に、いささかこんがらがった認識を細野作品に抱いているわけです。それはでもしかし、何を言ったところで「だってこうなっちゃったんだもん」となって終わる話です。なので、ここから先はそんな「何度も音楽性がリセットされて全体像がよく分からない音楽家、むしろ冒険家」と認識するところの細野晴臣氏のキャリアを、幾つかのセクションに分解して見ていきます。その分解の仕方は別に全然奇を衒ったものではなく、実にオーソドックスなものです。そのセクションの特に変わり目において、彼に何があったか、ということを考えると、上で散々展開した私の身勝手なもどかしさも、まあそういう成り行きなんだし仕方ないことだなあ、というところで落ち着きます。

 では、次からはようやく本編として、はっぴいえんどから始まる彼のキャリアを順番に見ていきます。

 

本編① はっぴいえんど〜『HOSONO HOUSE

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一番普通に「バンドで歌もの」してた時代

 大瀧詠一鈴木茂細野晴臣松本隆の四人で結成された、今や後世からの再評価込みで言わずと知れた存在となったバンド・はっぴいえんどが、やはり細野さんの音楽キャリアの、とりあえず作品ベースでは、始まり、ということになります。この四人が集まって、なぜかBuffalo Springfieldを一番のお手本にして、いなたいロックサウンドと日本語の融合に全力を尽くした時代。逆に言えば、いきなりサンバ音楽とかドローン音楽とかからキャリアを始めたわけではなく、このように一応はガッツリと何かをお手本とした「歌ものバンド」からキャリアが始まっていることは、細野晴臣という人が音楽史上で後にポピュラーな存在となったことにおいて、大きな意味があったと言えそう。

 そんな彼も初めてメインボーカルを取ったのが1st収録の『飛べない空』かららしく、当時は相当手探りでやっていたらしいです。ただ、そこから2ndで急に『風をあつめて』をはじめとするグッドメロディな名曲が沢山出てくるのは成長が急すぎる。はっぴいえんど最終作の3rdではもはや余裕のポップセンス、それこそ”細野節”と言えそうなものがメロディにしても空気感にしても円熟の域に達していて、その円熟で溜まりに溜まった楽曲をはっぴいえんど解散直後の最初のソロアルバム『HOSONO HOUSE』で吐き出し倒すところまでが「純粋にポップなロックを歌う細野晴臣」のキャリアだと言えます。

 逆に言うと、ポップな歌ものを歌ってる細野さんの作品ははっぴいえんどの3枚と『HOSONO HOUSE』のこの4枚しかない訳です。もう少し拾って次のトロピカル三部作まで入れても、計7枚。これを十分な量を残してる、と取るか、これだけなのか…と取るかは適宜。

 

この時代の楽曲

1. 飛べない空(1970年『はっぴいえんど』)

 上記にも出てきた、細野さんが初めてメインボーカルを取ったとされる曲。この曲は作曲に加えて作詞も松本隆ではなく細野さん自身で、歌詞には必死に現状認識の結果を歌詞の形に昇華しようと試みる作詞者の姿がある。同時代的なサイケ感のあるメロディ展開・サウンドを借用してきたようなトラックといい、後の細野さんからは考えられないようなぎこちなさが、自己認識も含まれた形で封入されている

 でも、歌の調子はこの時期から既にもうあの特徴的な低音ボイスで、そこから自身の歌えるキーの上限ギリギリに向かうこともなく、淡々とこなしている。高音を叫んだりファルセットしたりしないしないのは細野さんのボーカルの特徴であり、美点であり、または限界でもあるけれど、それはこの時点でもしっかりと守られている。

 最初のアルバム『はっぴいえんど』における他の細野曲もまた、直線的な攻撃性を有する曲があったりして、実はそれらは本当にあのアルバムでしか聴けなかったりで、貴重な記録。

 

2. 風をあつめて(1971年『風街ろまん』)

 もはや言うまでもない大名曲にして、誰も否定しようがないくらいにはっぴいえんどの代表曲となった曲。この曲以外でもはっぴいえんど2nd『風街ろまん』収録の細野曲はいきなり曲のクオリティも歌の安定感も完成し、また後に「理想的な和製フォークロック」として省みられる時のはっぴいえんどの特性も、この時期の細野曲がその中心だろう。そのせいか、収録曲数で言えば大瀧詠一の曲の方がずっと多いのに、『風街ろまん』は細野曲中心のアルバムに感じられてしまう*4

 前作まであった不安定さ・不穏さがまるで消え去ったことの証であるかのように、この曲はとても平和で、ぼんやりと朗らかで、平坦で、程よくポップでメロウだ。松本隆の歌詞は同時期の大瀧曲なんかではまだ欧米コンプ等に塗れたドロッドロの攻撃性を有しているけど、この曲での情景描写や感情の動きはひたすら凪ってる。サビの絶妙に間延びしたタイトルコールのポップさは未だに細野ポップスのハイライトの一角だろう。アコギのフレーズにも泥臭いところが全然なく、かといって煌びやかすぎもしない、絶妙な、『風街ろまん』的な、といってもいいくらいの独特な”いなたさ”がある。日本のインディ音楽家の多くはずっとこの曲のイントロみたいな程々に瑞々しく野暮ったく優しいアコギの音やフレーズを出したいのである。

 

3. 相合傘(1973年『HAPPY END』)

 後に様々な音楽をやるからしょっちゅう分からなくなるけど、細野さんのメイン楽器はベースである。そして重要なことは、彼のスラップ等を効果的に活用したファンクベースは邦楽でも有数の素晴らしいものだということ*5。彼は優れた作曲家・編曲家・コンセプターであるのと同程度に、優れたベーシストでもある。様々なアーティストの録音にベーシストとして参加し、多くの名演を残している。ただ、そんな彼が、ファンクに振り切ったソロアルバムを残していないことには気をつけておかないといけない。『HOSONO HOUSE』の次がそういうアルバムになる予定だったけど、声が曲のイメージに合わず見送られたらしい(ソース)。

 

当時、僕はベースプレイヤーとしてファンクみたいなことをやってたから、「HOSONO HOUSE」の次のソロアルバムは、そういう作品にしようと思ってた。でも、ファンキーなサウンドに乗せて歌ったら、自分の声が曲のイメージに全然合わなくてね。その頃、久保田くんが遊びに来て、悩んでる僕を見て「細野さんはトロピカルでしょ」って言ったの。

 

 分からないのは、はっぴいえんどの『相合傘』の時点で細野的なフォーキーさ×ファンクの楽曲が既に出来上がってるじゃないか、ということ。『HOSONO HOUSE』収録の何曲かといい、絶妙にフォーキーでいなたい「軒先ファンク」とでも言いたくなるような楽曲群が、1970年代の彼の作品には点在している。そういった曲を1枚分集めてアルバムにすることは全然できたような気がするけど、史実として彼はしなかった。不思議なことだと思う*6。こんな飄々とした歌が乗る、アコギでリフを弾くファンクなんて、世間を探してもそんなにないだろうに。そして飄々としてるからこそ、歌のフローにもいい具合のポップさがまとわりつく。実にいい塩梅の小気味良さだ。後にしれっと『HOSONO HOUSE』に断片的に収録しちゃうのも分かるくらいの小気味良さ。

 話は変わるけど、この曲のように細野さんの各作品に散らばるファンクっぽい曲・ベースがゴリゴリ効いてる曲を集めたプレイリストをとっさに作ったので、ここに貼っておきます。これでも聴いて、もしかしたらあったかもしれない細野晴臣ファンクアルバムに思いを馳せましょう。

 

4. 恋は桃色(1973年『HOSONO HOUSE』)

 『風をあつめて』とこの曲で細野晴臣の名曲ツートップだろうとか思ってしまう、彼のキャリアを代表する1曲”に、させられてしまってる”純然たる名曲。彼の作家性の断絶さえ感じさせる広範なキャリアを前にしてこの曲を「キャリアを代表する曲」と言い表すことに何の意味があるんだろう、とは時々思うけども。

 「歌もの細野を代表する楽曲」ということなら大賛成。3分足らずの尺で展開される、全く無駄なく歌の世界が立ち上ってくる、本当に名曲。彼の最初のソロアルバム『HOSONO HOUSE』はサウンド的にはThe Band的なデッドなホームレコーディング感を目指して制作されているけど、そこに早くも円熟の極みに達した彼のポップセンスが結合した、本当に素晴らしい名曲。松本隆っぽく感じれる歌詞も細野晴臣*7。この、情景描写なのか心理描写なのか曖昧な不思議な語り口が、独特のファンタジックさを生み出している。散歩してるだけ風な『風をあつめて』よりも世界観がどこかナチュラルに幻想的でサイケで、本当に好き。

 そしてこれより後、こういう曲は他人向けに作ったりはしても、もう全然自分で歌ってくれなくなる。朗らかな歌心の細野晴臣を濃厚に摂取するには、やっぱりいつまで経っても『HOSONO HOUSE』は手放せないアルバム。そもそも細野晴臣含む鉄壁の演奏ユニットTin Pan Alleyを中心とした面々で、この時期の充実しまくった細野さんの歌もの曲をダウントゥアースに演奏した作品、ということもまた何気に物凄いこと。上述した結局出なかった細野さんのファンクアルバムも、そのイメージを想像させる楽曲のいくつかはこのアルバムにしっかり収録されている。ラフに作った風に見せて、実にとんでもないアルバムだと思う。

 

 

本編②トロピカル三部作(+α)

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成り行き任せのトロピカル→音響への関心

 上記引用にもあったように、ソロキャリア開始後早々にトロピカル路線に向かったのは、The Bandみたいな音楽性に『HOSONO HOUSE』のあと早々に行き詰まったこともあっての、かなり成り行き任せの展開だったらしいです。少なくとも三部作アルバムで最初の『トロピカル・ダンディー』はかなりそうだったらしい。細野ゼミについてもこの時期について、「でも演奏はやっぱりロックバンドの音」という趣旨のことを言っていました。

 細野ゼミで話される内容は「本当にそんなテキトーなんすか…?」と言いたくなるような内容が散見されるのでどこまで信じていっか不安があるけど、その言によると、そもそも”トロピカルさ”のイメージについても相当にテキトーで胡散臭いものらしいです。そもそも「エセ中華街風」サウンド等も含まれていることから、”トロピカル”というより”エキゾチック”と言う方が正確な気がするし。ただ、「実際の”エキゾチックな音楽”を再現するのではなく、それなりに聞き齧った上でイメージの赴くままに混ぜこぜにして”ワールドミュージックです”って顔で出す」ことでこれらの名作が出来上がっていることは単純に痛快ではあります。厳密なことを言い出すと「文化盗用」とかの話になってしまうのかもしれないけども、でもこの時期の「なんとなく」で捻り出される異国情緒っぽい何かは聴いてて楽しいです。それは、実際のものの再現よりも想像で膨らませた方が、作り手のロマンが混入する余地があるからなんでしょうか。

 あと地味に重要なのが「サウンドがエキゾチックになってもあくまで細野晴臣その人の”歌”が楽曲の中心である」こと。時期的に前後なのでまだはっぴいえんど以来の”細野節”が多分に歌メロディに残っていることもあり、そういうポップな歌を聴きたい場合は、この時期より後の作品にはほとんどそういうのが出てこないことには留意。

 あと、トロピカル三部作YMOの間に転がってる『COCHIN MOON』は正直位置付けが難しいけど、強引にこの時期に含めておきます。こっちは想像の異国情緒ではなく「実際に(インドに)行ってみて作った作品」というのがミソです。

 

この時代の楽曲

5. 北京ダック(1975年『トロピカル・ダンディー』)

 細野さんの飄々とした低音ボーカルが胡散臭い異国情緒にジャストフィットする変な名曲。どこまでも当代最強の強靭なファンクネスを引き出せたであろうドラムス林立夫+ベース細野晴臣の最強リズム隊が、珍妙なチンドン屋みたいに切り替わっていく、この脱力しきった方面へのダイナミズム自体がある意味最高と言えば最高。でも、ロックばっかり気にしてやってきた人たちがこんなにとっさに”中華街っぽい”スウィング感を出せるものなのか、と考えると、やっぱりすげえ技術のリズム隊だ、って思う。

 それにしても、この曲での細野さんの歌の譜割りの、実にユルユルなようでいて的確に優雅な感じもする辺りは絶妙で、「中華街で暮らす人」ではなくきちんと「中華街に旅行に来た人」の感じが出てる。思えばこの”旅行者”の感じが、細野晴臣という人の音楽の一番の特徴なのかもしれない。定住の感じのしない、どこかの世界に迷い込んだかのような音楽。上で書いた”余技”の感じも同じ出処だろうか。”旅行者”で”余技”であるからこそ彼の音楽はどこまでも自由であり軽やかであり、そして決して泥臭くならない。美点でもあり、弱点でもある。

 

6. 泰安洋行(1976年『泰安洋行』)

 トロピカル三部作の中では二番目のアルバム『泰安洋行』が一番実験的なのかなと思う。前作より”捏造の異国情緒”に飲まれていき、それ自体も結構胡散臭げな日本っぽさ・中国っぽさ・琉球っぽさが強引にトロピカル要素とかき混ぜられ、そこから珍妙な曲が幾つも浮かび上がってくる。それらをやはり林立夫細野晴臣の強靭極まりないリズム隊で快刀乱麻していくのは痛快だけど、ポップさは他2作が勝つか。

 そんな中で、このタイトル曲では歌の無いインストである分、いよいよ「架空のトロピカルミュージック」を成立させようという気合が見える。前作『トロピカル・ダンディー』ではまだ映画のサントラっぽかったインスト曲が、ここにおいては細野本人演奏によるマリンバスティールパン等のダビングによるひたすらフワフワしたアンサンブルで、「なんかよく分かんないけど前人未到っぽいサウンド」に挑戦している。思うのは、この曲こそ、今後彼の主軸となる「歌よりも想像の赴くままにサウンドを展開させていく」作風の、そのスタート地点ではないだろうか、ということ。

 ちなみに彼がここで習得したスティールパンについては、後年ムーンライダーズの名曲『いとこ同士』にてより胡散臭い形で遺憾なく発揮される。

 

7. 四面道歌(1978年『はらいそ』)

 イエロー・マジック・バンドなる、次の動きが見えてくる名前のバンドを従えて録音されたトロピカル三部作3枚目のアルバム『はらいそ』は、冒頭2曲がやたらポップなのが意外な感じがする。少しでも売り上げを取り返そうとしたのかもだけど、ここではHOSONO HOUSE』時代のポップさがエキゾ化された形で理想的に発露していて、「そうそうこういうの!」っていう気持ちになる。そこから後はゲストボーカルなんかも立ててより濃厚なワールド風味になっていくけども。三部作の最後らしく、全体的に完成度が高く、エスニック具合も中盤以降はかなり濃厚。

 それにしても、この曲の絶妙にエスニックさの効いた、伸びやかなポップさは見事。細野さんのボーカルは角のエスニックさの臭みを消す方向に働くけれど、この曲はその臭みけしとスティールパンと変なシンセを軸にしたサウンドの調和が絶妙で、かつ、単純にメロディが凄くいい。どこかの音楽の借用ではなく、細野節から出力されるロマンチックさ、という感じがこの曲は強くする。歌詞は怪しい西遊記みたいなやつなのに。「邪魔だよ そこどけ 悪魔め そこどけ」とダルそうに歌うラインのユーモラスさはこの時期の彼にしか出せなさそうな軽快さ。密かにThe Band的もっさり具合で進行するリズム隊も力強い。エスニック三部作の中ではこの曲が一番好き。

 

8. HEPATITIS(1978年『COCHIN MOON』)

 『COCHIN MOON』は細野晴臣横尾忠則でインド旅行した際の体験をもとに制作されたシンセ・キーボードが音の大半を占める作品。YMOが始まる直前でこの実に実験的で非大衆的な作品が入ってくるのには困惑するけど、YMOの先駆けというよりもむしろ1980年代半ば以降に乱発されるアンビエント系統の作品に繋がっていく地点なのかもしれない。インド旅行中細野さんはひどい下痢に悩まされ、なぜかそれをアルバムテーマ的に配置しているところが結構謎。冗談色の強い企画だったのか。それにしては所々相当神経質な音も含まれるけども。インド音楽からの影響をシンセで再現している、という意味では、架空の異国情緒を捻り出してたトロピカル三部作とはやっぱり趣を異にする。

 前半3曲はもう実験実験って感じだけども、後半は幾らか聴きやすくなる。この曲は尺も5分以内に収まり、シンセのメインフレーズもしっかり目立ち、そこそこにポップな作りをしてる。この曲は割とYMOの先駆けをまともにしてるとも言える。また、そのややドラッギー気味にファンタジックにサウンドが展開していく様や、シンセの鈍い音の使い方など、どことなくゲーム『MOTHER』の音みたいなのに繋がりそうなレトロフューチャー感もあって、ボーカルなしのインストだけど結構楽しめる。ただ、「ひどい下痢」という前提で聴くと何ともな音が多数含まれてる気がするのは製作者の魂の叫びかそれとも悪意か

 

 

本編③ YMO、テクノの時代

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手探りの打ち込みサウンド、作家性の変質、重厚感

 言わずと知れた、日本の代表するテクノユニットYellow Magic Orchestraの結成によって彼の人生は大きく変化します。キャリアを総覧して言えば、それは不可逆な変化だったようで。具体的には彼はこの後『HOSONO HOUSE』的なポップさを出す場面は相当限定されることとなります。彼自身が歌う、ということが、高橋幸宏というアイコニックなボーカルを有するYMOの中では相対的に少なくなるし、そもそもYMOサウンド重視のユニットだし、その中では”歌”の存在もむしろ”声”というサウンドとして扱われるしで、この時期に彼が『HOSONO HOUSE』的な歌心をなくしてしまったのは、ある面では仕方がないことかもしれません。この時期の後すぐにアンビエント期が来るので、ますます以前のポップさを出す場面がなくなっていきます*8

 しかし、過去の作風を投げ打った分、この時期の彼の作品に対する気合の入り方は格別のものを感じます。坂本龍一高橋幸宏という才能と並び立つことによる緊張感か何かのせいなのか、この時期の彼の楽曲は重厚で、神経質で、時に暗くなっていき、それはこれまでの細野作品では考えられなかったことです。グループをリードする”東洋感”をクラシックに裏打ちされた知識とで効果的に形作る坂本龍一と、ドラムと歌を兼任し存在感を発揮する高橋幸宏の横で、彼は自分の、当初”グループのプロデュース”としていた立ち位置がどんどん危うくなっているのを感じていたのではないか」。それは恐らくはっぴいえんどでは起こり得なかった類の緊張感で、グループのカラーも合間ってなのか、彼は”ダークでゴスなハードテクノ的楽曲”をこの時期量産しています。”ダークでゴス”なんて『HOSONO HOUSE』から遠すぎる地点だけど、でも思うのは、そんな状況の苦しさを音に表現していたとすれば、飄々としたイメージの彼が一番”感情”を作品に捧げていたのはこの時期だとも言えるかもしれません。彼のこの時期の楽曲は様式美的な重さではなく、しっかりと”細野的に”重たいんだということ。”裏・細野節”とでも言いたくなるようなそれは、無機質で冷たい1980年代式サウンドがよく似合います。飄々としていない、ということは、この時期が最も細野さんの隠しようのない”本気”を感じられる時期、とも言えるかもしれません。

 この時期は1984年のソロアルバム『S-F-X』まで続きます。そこで重厚なテクノサウンドを吐き出し切った、と言わんばかりに、彼は次の段階に”断絶”しながら進みます。

 

この時期の楽曲

9. シムーン(1978年『Yellow Magic Orchestra』)

 『はらいそ』等と同じ年のうちにYMOは始動し、早々に1stアルバムを出している。このアルバムでは彼は他二人を先導し補助する役回りだったんだろう。全体のプロデュースに加えて、アルバム中最多の4曲を自身単独のクレジットで作曲している。このアルバムでは坂本・高橋とも1曲ずつしか作曲していない。けどそれがそれぞれ『東風』『中国女』で、エッジの効いたエスニックさが色濃い両曲とも同作の人気トップのトラックになったのには、細野さんも静かに最初の緊張感を覚えたかもしれない。

 この曲はそんな細野曲の中でも最もトロピカルな感触が浮かんでくる、まさにトロピカル三部作から陸続きな地点の曲。時代を追って聴くと、トロピカル三部作時代のどれかのインストを持ってきてリズムを打ち込みに差し替えシンセを太くしたものに聴こえる。そもそも原曲の断片はYMO結成前にあったものらしく納得。実に優雅でゆったりしたサウンドは心地良いけれど、『東風』『中国女』に共通する、アジアンなシリアスさとはまるで無縁で、そういうシリアスさ・神経質さこそがYMOの軸になっていくことを思うと、この曲にはどこか徒花的な雰囲気を感じなくもない。でも「こういうのはYMOの主流にはならなかったんだよなあ」と思って聴くと、この安楽の調子が何だか妙に切ない。

 いやまあ細野さんだって今作でそういうシリアスさのある『マッド・ピエロ』を作ってはいるけども。

 

10. CUE(1981年『BGM』)

 YMOにおける細野晴臣の意地”とも言えそうな大名曲。正確には高橋幸宏との共作で、Ultravoxの楽曲からインスピレーションを受けて二人で2日で一気に完成させ、しかし坂本龍一は「パクリやんけ…」と嫌悪感を示し制作に一切関わらなかった、といういわくさえ付いてくる。そもそも『BGM』というアルバム自体、細野主導・坂本不在気味のアルバム*9で、グループ内の緊張感の高まりが表面化してきている。しかしその緊張感によるものか、閉塞感と開放感とダイナミックさとを絶妙に取り入れたアルバムはYMO屈指の名作とされている。

www.youtube.com「インスパイア元」の楽曲。坂本龍一が反発するのは多少わかる。

 この曲はそんなアルバムの、まさに”開放感”の部分を担当する、不思議なポジティブさに溢れた楽曲。洋の東西に関係なく捻出されたかのような”純粋な無国籍さ”がイントロ〜Aメロのどこか明るいまま宙吊りにされたコード感とシンセから醸し出され、そこからメロディがゆったりと展開していくことで、不思議な全能感みたいなものが溢れてくる。機械的に出力されてくるかのようなボーカルも、どこか景色が通り過ぎていくような質感がして、不思議な浮遊感の演出に寄与している。少しのブレイクを挟んだ後の、ちょっとしたアクセントのソロから言葉数の多いメロディに展開するところも、最小限の楽曲の動きでいいドライブ感を生み出していて、平坦なリズムの楽曲にポップソング的な小気味良さを上手く加味している。

 『BGM』がリリースされた当初はLPだけど、むしろCD以降だと、この曲がアルバムの中心にあるということの安心感・解放感は、このアルバムの風通しを抜群に良くしてると思う。あと細野さん大活躍の『BGM』と、大瀧詠一”永遠”の名盤『A LONG VACATION』のリリース日が全く同じ日というのはあまりに出来すぎている*10

 この記事で度々出てきた大瀧詠一については、弊ブログで何度か記事にしてます。まずはこちらの記事が割と読みやすいです。

ystmokzk.hatenablog.jp大瀧詠一に比べると、細野さんはずっと作品数が多いですね。

 

11. スポーツマン(1982年『Philharmony』)

 『BGM』の時の復讐とばかりに、今度は絶好調になった坂本龍一主導でYMOは『テクノデリック』というこれまた大傑作のアルバムを同じ年の1981年のうちにリリースしている。凄いことだけどこれは確実にグループの寿命を燃やし尽くすような行為だっただろうと思われる。自分が総合プロデュースの立場ゆえ「YMO在籍中はソロ作品を作らない」と言っていた細野さんが前言を翻してソロアルバム『Philharmony』を制作したのはそんな、メンバー三人が薄々”終わり”を感じていた最中だった。しかしこのアルバム、細野さんによるテクノ作品だけど、後期YMO特有の重々しさから解放されてなのか、実に自在に伸び伸びとポップなテクノサウンドを羽ばたかせている。変な世界に迷い込んでいくかのように自在にサンプリングが配置された冒頭の『ピクニック』『フニクリ、フニクラ』の流れからして、「俺は自由や!何でもありや!あんな陰気なんはおさらばや!」と言わんばかりに活き活きした細野さんの姿が浮かぶのは気のせいか。

 そして、このアルバムに収録されたこの曲こそが、サブスクで再生回数トップな細野さんの楽曲。海外で大いに人気があるらしいこの曲は、冒頭のセンチメンタルでファンシーなアコーディオンっぽい音や、背景で小気味よく反響するヘナってるシンセ、そして以前の細野節とは全然違うものの、英語詞も合間って欧米的なポップさを持ったメロディなど、様々なキャッチーさを有している。メロディラインがマジで海外のインディーロックバンド的で、可愛らしくもドリーミーなポップさがあって、もしかしてこの曲が細野さんの曲で一番の、『CUE』をも超えるエレポップなのでは…?と思う。エレクトリカルなビートとポップなメロディとアコーディオン的な音の組み合わせが良すぎる。なんでこんなアルバムのこんな位置にこんなポップな曲が埋もれているのか。再生回数でこの曲の良さを示してくれた海外のリスナーの方々に感謝。

 ちなみにそんな人気な事情もあってか、近年リリースされた2019年のUSライブにおいてもこの曲がカントリータッチで演奏されており、この曲のサビがどれだけキャッチーかがまた分かりやすい形で提示されている。このバージョンもいいですね。

www.youtube.com

 

12. LOTUS LOVE(1983年『浮気なぼくら』)

 メチャクチャドリーミーな前曲から続いてこの曲の重たいイントロが流れると「そんなにソロからYMOの活動に戻るのはしんどいんだろうか…」ってなって笑える。YMOにおける細野さんのしんどかった感を十全に表現してしまうこの曲エスニック風でかつしんどいイントロの完成度が高すぎるのが悪い。

 1982年に活動終了する予定を延長し、解散すること前提でアルバム『浮気なぼくら』の制作が始まった。『君に、胸キュン。』をはじめ坂本曲や高橋曲で様々なはっちゃけアレンジやはっちゃけメロディなどがありつつも、細野参加曲になると妙に重苦しい雰囲気になるのは、グループの責任者ゆえのものなのか。

 特に単独作詞・作曲のこの曲の、ひたすら重たげな雰囲気は一体どうしたものか。YMO時代に彼が得意としたバグパイプ風のシンセアレンジもどうにも絶望的な風に響き、そもそもリズム自体、やたら冴えない風に音を潰されたスネアの音が、それ単体でも憂鬱な雰囲気を醸し出してくれる。そんなスネアのテクノらしからぬロール具合やバグパイプ等の配置、そして息苦しさの中からなんとか飛翔しようとするメロディ展開の中には、どこか1960年代サイケ的な雰囲気があって、そしてそのサイケ的重苦しさは、そういえば『飛べない空』で感じれるものと多少似ている気もする。気楽にメロディやシンセを明るく響かせる同アルバムの坂本龍一と比べると、ここでの細野さんの疲弊し切ってぎこちなくなってる感じは独特の哀愁がある。細野さん含むYMO三人ともパンクを通過せずにニューウェーブに来た人*11だから、破滅的な感覚もパンク以降のスカスカな虚無感ではなくて60年代サイケになってしまってるんだろうか。歌詞も、もっと暗くしてもよかったんですよ…?とは思う。これも1960年代のサマーオブラブ風味?

 

 

本編④ アンビエント・観光音楽時代

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視野拡張〜逃避〜内省、って簡単に言って良いものか

 このセクションはもう何を書けばいいのか分からない…全て識者に丸投げしたいセクション。上記画像では左上の『S-F-X』は本当は1個上のセクションに入れるべき作品だけどプレイリストの楽曲の都合上こっちで扱います。

 1984年に彼は「Non Standard」と「Monado」という二つのレーベルを立ち上げ、『S-F-X』でテクノ的なものにケリをつけた後、一気に2レーベルの活動を活発化させます。前者はPizzicato Fiveをはじめとする新人発掘に一定の成果を見せ、後者については細野さん発の実験的音源4枚のリリースのみで、どちらも2年半程度で終了。しかしその間彼はアーティストのプロデュースに即興的な自作の発表に更に映画のサントラなども重なり、多忙を極めていました。YMOからの反動もあり、またそれは商業的・資本主義的要素からの離脱にもつながり、終焉的な音楽・ワールドミュージックの追求を積極的に行なっていきました。彼が「Monado」からリリースしていた音源は”観光音楽”と自称され、そしてその集大成が1989年のアルバム『omni Sight Seeing』という形でリリースされます。それらは早速、YMO前後の作品とさえ大きく趣を異にし、作曲者の性質がまた”断絶”した感じを覚えます。

 そこから先は、意識がさらに自然に向かったのか、その中でスピリチュアルな何かがあったのか、ひたすらアンビエントにのめり込んでいきます。十分とっつきにくい『omni Sight Seeing』が全然可愛く見えてくるぐらいに、ひたすら精神の内側に内側に世界を拡張していくようなこの時期の音楽は難解で、『HOSONO HOUSE』的なポップさもYMO前後の先鋭性・キャッチーさも無く、リスナーがひたすらその音像に何かを感じられるか否かでしか無い世界が広がっていきます。『恋は桃色』を書いた人がなんでこんな音楽をひたすら作り続けて…?というのが彼の90年代。普段アンビエントを聴かないから分からないけど、アンビエントを聴き慣れてる人だったら、この時期の細野さんの音源にしっかり細野晴臣の作家性を発見できたりするんだろうか…。

 ーー正直、今回5つの時期に分けた中で圧倒的に一番苦手な時期。それでも、プレイリストの楽曲は比較的ポップなものを持ってきました。アンビエントガチ勢からは失笑されるかもしれないが、ひとまずは思い切り日和らせてほしい。ライトなものからとっかかりにしておきたいところ。

 

この時期の楽曲

13. DARK SIDE OF THE STARS(1984年『S-F-X』)

 上記で何度か触れた通り、アルバム『S-F-X』は細野さんのテクノ路線の最終作で、冒頭の『Body Snatchers』からしてDJスクラッチなども交えてベースもゴリゴリ効かせたハードなテクノトラックを展開してる。テクノサウンド最終章ということで、YMO時代よりも軽やかながら、こっちはYMO散開後なのでなのか、YMO時より攻撃的だったり耽美だったりと”攻めた”トラックが並ぶ。サンプリングやカットアップが乱れ飛ぶ様は結構にスリリング。細野さんのボーカルも所々に配置され、意外と聴きやすい。「細野さんのテクノ」を聴くならはっきり言ってYMOよりも、陽の『Philharmony』と陰の『S-F-X』の2枚の方が楽しめると思う。

 で、『S-F-X』は6曲入りのアルバムだけど、その最後に配置されたこの曲にて、早速アンビエントに挑戦している。うっすらしたドローンの中を優しくピアノが響き続ける様は、Brian Enoアンビエント歴史的名盤『Music For Airports』等の影響下なのがモロで、そういう意味では後のアンビエント楽曲よりも習作感はあるけど、過激なアルバムの最後に、このように非常に穏やかなトラックを置く全体のバランスが良くて、正直とてもシンプルで聴きやすい。「地球の夜に向けての夜想曲」という副題も良くて、まるでハードコアテクノを放出しすぎて壊れた機械が宇宙を漂いながら流している音楽みたい。

 アルバムにおいてこのくらいの割合だとアンビエントの曲もいいもんだなあ、とは思う。アルバム全部こういうのってなると「なんで…?」ってなってはくるけど。

 

14. 銀河鉄道の夜 エンドテーマ(1985年『銀河鉄道の夜』)

 細野さんは時折映画等のサントラ仕事も行うが、その代表作がアニメ映画『銀河鉄道の夜』のサントラとされており、このサントラは映画音楽のアルバムの中でも名作とされている。やっぱりそっちの方は詳しくないし、件の細野ゼミでも細野さんはめっちゃとぼけ倒してるし、肝心の映画も観たことないしで、自分はその真価を測れない立場だけども、でも単にインスト集として聴いても、不穏なドローンやら宗教的な音像やらが様々に入り乱れて登場し、単純に素敵なものだと分かる。ファンタジックで、どこか怖くて、宇宙的な虚無感があって、そこにノスタルジックさと切り離せなくなってしまう類の切なさもあって。殆どシンセで作ったらしいけど今聴いてもチープさは全然ないし、ソロのテクノ2作といい、この時点で宅録楽家として本当に凄い領域にサラッと到達してる。アンビエント的作品もいくつかあるけど、映画音楽ということで幾らか展開があったりするのも聴きやすい。

 そして、エンドテーマだったらしいこの曲の、リズムも入ってきて、宇宙的な心細さも感じられつつ、どこか悲しくもなりすぎず、ちょっと小気味良い程度のクラシカルさも入りつつ、堂々と進行していく様は、割と暗いコード感が多いのにやたらと晴れやかで、エンドテーマとして丁度いい塩梅の音源になっている。展開の仕方に溌剌とした部分があって、それのおかげかもしれない。

 

15. CARAVAN(1989年『omni Sight Seeing』)

 「Monado」レーベルから細野さんが出した4作品は彼によって「旅行音楽」と呼ばれているけれど、一体どんなスピリチュアルな旅行なの…と思ってしまうような楽曲ばかりが収録されている。最初にリリースされたCMソング集『Coincidental Music』はそれでもまだ聴きやすいし分かりやすいけど、その後の音源集はいよいよ神経がバグったかのようなアンビエント作品が続いていき、ボーカルは無く、楽曲というよりも即興演奏集みたい。言葉だけだと似たようなコンセプトに感じるトロピカル三部作の時期の音楽とは全然異なる。いよいよ「歌手・細野晴臣」が遠ざかっていくような時期。ただしその4作品は全て1985年にリリースされている。

 そして間を置いた後、1989年にソロアルバム『omni Sight Seeing』がリリース。「全方位旅行」と題されたこのアルバムが、彼が提唱した「旅行音楽」の総仕上げのようなものとなる。相変わらず旅行音楽的な周縁音楽の感じが色濃いけれど、ここではいくらかバランスを取ったのか、ボーカルが色々と登場するのが幸い。ただ、やはり、トロピカル三部作の頃の「ポップセンスに任せてテキトーに捏造した異国情緒」ではなく、もっと実際の周縁音楽に当たった上での作曲・演奏なので、やはり遠き日のポップさは全然見えない。ギリギリYMO以降のメロディセンスが感じられるが、それ以上にヨーロッパ的情緒を感じさせるマイナー調が所々で聞こえる。この曲もそんな具合で、トライバルなリズム構築の上で、加藤和彦コシミハルか、みたいな、しばらく昔のヨーロッパ歌謡のような旋律が立ち上ってくる。かつての西洋の植民地で流れた音楽、みたいな憂いの情緒がある。これもこれで胡散臭いけども、そこを開き直って面白おかしく演奏するようなトロピカル三部作時代のようなことはなくて、ひたすらにシリアスに辺境ってるのだもの。そんな姿勢が『HOSONO HOUSE』からもYMOからも遠くなりすぎた世界の光景のように思えるけども。

 

16. HONEY MOON(1993年『Medicine Compilation』)

 1990年代の細野さんのアルバムについてはもう、お手上げ。分からない。どうしてこんなにひたすらスピリチュアルにアンビエントに行ってしまったのか。自分がアンビエントを普段聴きしないからかもしれないけども、ひたすら精神の奥を広げていくことで世界と意識を接続していくような音像は、確かに所々情景が見えるようで悪くない瞬間もあるけれども、でも、これならそれこそ他のアンビエント作品を聴くかもな…とか思ってしまうところも。1993年のアルバム『Medicine Compilation』は「お薬」って…とタイトルの段階で痛々しさすら覚える。

 でもこの曲だけは歌がはっきりあって聴きやすい。『トロピカル・ダンディー』収録の楽曲のリメイクで、細野ボーカルに加えゲストボーカルとして矢野顕子が参加している。トラックは確かに他のアンビエント曲と同じ楽器や雰囲気だけど、歌と展開があるだけでここまで一気に聴きやすくなる。逆説的に「歌のある楽曲」というものの分かりやすさの価値が、ありがたみが、理解される瞬間。まあ矢野顕子のボーカルはこれまでとは別の意味でスピリチュアルさが一気に高まるけども。この人の声はなんでこうもこうなんだろう。ムーンライダーズの『砂丘』とかでも思うことがあったけど、矢野顕子のボーカルが出てくるだけでセンチメンタルジャーニーな情緒が一気に出てくるのは、何気にもの凄いことかもしれない。

 

 

本編⑤ ルーツミュージック回帰・探求(+その例外)

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原初的な”うた”の愉しみとその”伝道師”へ

 まず、1990年代後半〜2000年代についての活動が今回の記事はすっぽり抜けてしまうけど、何故かこの辺の時期の音源がSpotifyにあんまり無いし、Tin Pan Alleyの復活にしても高橋幸宏との再会やSketch Showの結成にしても、今まで歩んできた道を今一度振り返るようなところがあります。ただ、そういった活動や、1990年代後半以降のはっぴいえんど再評価の流れ*12の中で、細野さんが自身の作ってきた”うた”に再度目を向けることになって、かつライブ活動が増えていったことで、状況が1990年代前半のアンビエント没頭時からまた大きく変わってきました。それまでライブ嫌いだった彼が2000年代のどこかからライブを「楽しい」と思えるようになったことは非常に大きかったらしく、特にカバー曲を演奏するのが楽しかったらしいです。

 そして遂に、”歌もの”新曲を作る細野さんの姿が。特に2011年の『HoSoNoVa』は多くの新曲を含み、またカバーも込みでルーツミュージックへの憧憬にその身を投げ込む、歌に帰ってきて以降の彼の基本的なスタンスが示されました。流石に『HOSONO HOUSE』やトロピカル時代のような飄々とした作曲や歌い方はしないけど、代わりに自身の低音ボイスをかつてなく活かした、渋いカントリー・ブルース等を演奏するようになりました

 そして現在に続く…で締めたかったけど、何を思ったか、突如『HOSONO HOUSE』の楽曲をアンビエントR&B調で全部宅録で再演する、とかいう『HOCHONO HOUSE』を発表したことで、上記の路線は大きく転換することとなりました。まあライブ活動は以前からのカントリー路線を継続中なので別にいいのかもだけど、ちょっと『HOCHONO HOUSE』の存在はイレギュラーすぎる…。

 

この時期の楽曲

17. ウォーカーズ・ブルース(2011年『HoSoNoVa』)

 アルバム『HoSoNoVa』の細野さんの音楽はものすごくレイドバックしたもので、やってる音楽的には当時の同時代の音楽と共振してた『HOSONO HOUSE』とかよりももっとずっと昔の音楽を再現しているような趣。そこに寂しさを全く感じないと言えば嘘にはなるけど、でもこのアルバムには純然たる細野さんの”新曲”が含まれていて、それらが大昔の楽曲のカバーと同じような渋い面持ちをしてるものだから、なんか往年の名曲にそれっぽく作った”偽物”を混入させてるような面白さ・可笑しさがちょっとあったり。

 この曲なんか、レトロなジャジーさをそのまま持ってきたかのような可愛らしい小品で、実に無邪気。曲構成やメロディに”細野晴臣”という作家の記名性は殆ど感じないけれど、彼の中ではこうやって自分でオールディーズっぽく作ってみるのが楽しかったんだと思う。自分では弾けないと主張するウォーキングベースも軽やかで、細野バンドのサラッと充実したスキルが窺われる。そして今思えば、こういうオールディーズ回帰を超えてオールディーズを”探求”するスタンスは、同時代のBob Dylanなんかとも実はたまたま共振してたのかもな、とか思った。

 

18. When I Paint My Materpiece(2013年『Heavenly Music』)

 アルバム『Heavenly Music』はカバー集。遂にこういうの出しちゃったかー大御所の晩年って感じだ…と思ってリアルタイムでは正直毛嫌いしてたものではあるけども、今回改めて聴いてみたら、意外といろんな音楽性をやってる。冒頭の『Close To You』のカバーはかつてJim O'Rourke主催のバカラックトリビュートでやったものとは全然別のカバーで、オブスキュアーな音作りに意外さを感じさせるし、アルバムラストはクラフトワークの楽曲を実にアコースティックにカバーしててしかもオルタナ的ギターノイズの挿入もあったりで、実はちょこちょこ諧謔が効いてる、ただ渋いだけの作品じゃない、ということに今更気づいたりした。

 ただ、それ以上に、The Bandの楽曲が実質2曲、しかも日本語訳の歌で入ってることにより面白みを感じる。今回取り上げるこの曲はBob Dylanが原曲ではあるけど、メロディもアレンジも明らかにThe Band版を前提に再構成されてる。The Bandといえば、はっぴいえんど〜『HOSONO HOUSE』においてとりわけインスパイア元となる音楽な訳だけど、ここでのカバーを聴くと「これ『HOSONO HOUSE』のアウトトラックです」って言っても通じるんじゃないかと思うくらいに「あの頃の細野晴臣」してる。つまり、細野節と思ってたものは、結構な部分”The Band的なものの翻訳”でできていた、という種明かしを、実はここでしてるのかな、と思った。でも、細野さんの声で日本語で歌われると、いくらThe Bandの曲でも「あの頃の細野さんの曲」って雰囲気になるのは面白い。この、心底ダルそうなのにメロディアスに歌う感じ、まさに細野節だなあって、この曲は実は『恋は桃色』とかと同じように楽しめるんじゃないかって気づけたのはよかったなって思う。

 The Bandについてはこちらの記事で書きましたが、今回の記事よりも遥かに長いです。コメント欄でもやたら叩かれてますが、その辺ご容赦ください。

ystmokzk.hatenablog.jp

 

19. 洲崎パラダイス(2017年『Vu Ja De』)

 「カバーをしたい。でも自分の新曲が世間から求められてるのも分かる。じゃあそれぞれ1枚分録音して2枚組で出そう」と本人が思ったかどうか知らないが、ともかくそういう2枚組作品としてリリースされた『Vu Ja De』は”うた”回帰後の細野さんの活動の総決算の感じがあった。カバー集サイドの『Eight Beat Combo』はライブ演奏で取り上げてきたカバー曲の収録ということで、ますます同時代のBob Dylanと似たような充実の仕方をしている。もう一方の『Essay』の方はまさに大盤振る舞い。『omni Sight Seeing』収録のインスト『Retort』の歌入りバージョンや、バンド演奏ではないシンセや打ち込みのトラック、インストもあったりで、いい具合に雑多。サラッと細野音楽の総決算をしていたんじゃないか、まさかこれが最後の作品なんじゃないか…などとさえ思った。まあ全然そうじゃなかったけども。

 そしてその『Essay』冒頭に置かれたこの曲の放つ物凄い胡散臭さには、聴いた瞬間包み込まれた。『HoSoNoVa』的なオールディーズさの更に奥に踏み込んだ結果、逆にここまでいい具合に胡散臭い雰囲気になるのか…!と、そういえばトロピカル三部作を作った人なんだと、その感じの熟成されたものが出てきてすごく嬉しかったことを覚えてる。トドメに超低音ボイスで「スッ、ザッ、キィー、パーラダィスッ」だもの。最初聴いた時は笑っちゃった。渋みを追求しすぎてギャグみたいになってるのはむしろキャッチーで、ひとしきり笑った後に、こんなキャッチーさの作り方もあるのか…と音楽の奥深さを思った。

 

20. 薔薇と野獣(2019年『HOCHONO HOUSE』)

 今まで3枚分のアルバムで話してきた流れを壮大に無視して制作されたまさかの全編宅録によるアンビエントR&Bアルバム『HOCHONO HOUSE』。細野さんの年代の人が「アンビエントR&B」という新しいジャンルに言及するだけでもなかなかコトなのに、自分で作るのか…というのが物凄いところ。かつてアンビエントに没頭したものとして無視できなかったのか。しかも、キャッチーさを確保すべく『HOSONO HOUSE』の再演という形でそれをするところが実に卑怯。そんなの、どうなっても面白いに決まってる…。果たして、本当にDTMで制作された、適度にアンビエントR&B要素の入ったアルバムを作り上げてしまった*13

 中には『恋は桃色』と並ぶ大名曲『終わりの季節』をインストにしてしまうという信じられない(勿体無い)トラックもありつつ*14、不思議なループの中で最高のメロディが揺蕩う『恋は桃色』のように、興味深い瞬間が何度も訪れる。『住所不定無職低収入』も相当面白い。ただ、先行で公開された『薔薇と野獣』が確かに一番今作のムードを象徴していて、かなりファンク色の強かった原曲から、ここまでムードに奥行きの出る楽曲に変貌するのか、と驚かされた。メロディが展開する際の景色の切り替わり方の鮮やかさは、これまでのどの細野曲とも異なる新鮮さがあって、70歳を超えて、この人は一体どこに行こうとしてるんだ、と驚かされたことが少し懐かしい。

 どうなんだろう。このアルバムで機材を揃え直して、もう1枚くらい宅録バリバリのアルバムを制作するんだろうか。コロナ禍によってライブ活動がただでさえしづらい今、細野さんの次の一手が全然気になってしまうのは、『HOCHONO HOUSE』の衝撃がまだ新鮮に感じられることがあるんだろう。

 この宅録作品については以下の記事でも触れておきました。そちらもどうぞ。

ystmokzk.hatenablog.jp

 

 

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結論:細野さんって案外わけ分かんねえ人だ

 以上、5期20曲で見てきましたが、その結論がこんな身も蓋もない感じですいません。

 細野晴臣という人は、Bob DylanNeil Youngのような、自身の音楽を追求していく人とはちょっと訳が違うんだな、いや相当訳が違うんだな、ということを認識しておけば、もっと分かりやすかったのかもしれません。キャリアを通底する”細野節”なんてものはきっと存在しない、ということ。バンド時代とYMO時代との間の断絶も相当ですが、やっぱりなんと言ってもアンビエント期がもう、全然違う人のキャリアみたいに挟まって、最高に訳が分からない。こんな人のオールタイムベストなんてそれこそ意味あるか…?と思ったりしますが、ポップサイドに焦点を当てた星野源選曲盤と、音響面にフォーカスした小山田圭吾選曲盤があるようです。なるほど。

 この記事ではどうしても自分の趣味から、細野晴臣大瀧詠一とを比較してものを考える場面が多々あったのですが、こと音楽に対する関わり方も、二人はどこか対照的だったのかなあと思いました。自身の内に圧倒的に体系化した”音楽史”を抱えて自作に反映させていた大瀧詠一に対し、細野さんはそんなものどうでもいいとさえ思ってるんじゃなかろうか、というくらいに、同時代の自分の興味がいくものにのみ向かっていく。どっちも音楽マニアの形態としてあることだとは思うけども、ここまでタイプが違うのか、そんな二人がはっぴいえんどでフロントを張ってたのか、と思うと不思議で面白くなります。細野さんにあっては、2000年代末以降の歌ものモード回帰以降はちょっと事情が違うかもしれませんが。

 こうやって大別しても5つの音楽性がある細野さんなので、細野さんをリスペクトする人も、そのリスペクトの対象は全然異なる、”好き”の範囲が全然重ならない、ということも一番ありえる人だなあ、と思いました。近年の本人のライブを思うと、本人はそんな様々にあるであろう自分に対する「好き」を、カントリースタイルのバンドサウンドで受け止めようとしていましたが。『Body Snatchers』のカントリースタイルでの演奏とか、最早完全に別物だろって思いましたけども。

 細野さんの音楽を楽しむのは、やっぱり自由に楽しむのが一番なようです。ここでの”自由”というのは、「なんでこういう曲をもっとたくさん作らなかったんだよ」とか「なんでこの流れからアンビエントに行くんだよ」とかそういうツッコミ的な思いをある程度きちんと振り切るということです。「堅苦しいことを考えずに自由に音楽を楽しむ」のって、実は結構難しいことじゃないですか。細野さんの音楽はある意味、そういったことを本気で求めてくるタイプの音楽なのかもしれません。本人は「えっ好きなの?なんで(笑)」くらいのユルさで話しかけてくるんでしょうけども。

 ともかく、気合を入れて気楽に楽しみましょう(笑)。

 

 

細野作品聴き始めるなら何がいいの?(4枚)

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 「御託が長すぎるんだよ、要は何聴きゃいいの?」と思い続けてここまで読んでくれた人がいるかどうか分かりませんが、折角なので書いておきます。個人的な優先度でいけば、上の画像の4枚です。アンビエント期が無いですが、それは後回しじゃダメですかね…。

 

1位『HOSONO HOUSE

 「『風をあつめて』みたいな曲をもっと聴きたいだけなんですけど」という向きにおいては、細野ソロはこれだけ聴いておけば、これ以上に満足できる作品は多分無いです。逆にこの作品から他の作品に進めれば、聴く人の音楽的関心はいい具合に広がっていけるかもしれません。

 

2位『Philharmony』

 「テクノ・エレクトロニカ方面からやってきた者ですけど細野さんどれがいいですか」という人がいるのか…?仮にいたとして、このブログを読むか…?と疑問ではありますが、この作品がいいでしょう。ポップでイマジナリーでドリーミー、聴きやすくもあって快作。エレポップ趣味の人も、YMOよりもこっちの方が水が合うかも。

 

3位『はらいそ』

 トロピカル細野・エスニック細野を味わうにはこれが一番ポップで聴きやすいと思います。他2枚はバンドサウンドで無理やりトロピカルしてるところがなきにしもあらずですが、こちらは楽器数が増えてよりトロピカル・エスニックに、そしてその分より胡散臭くもなってたりで、色々と面白い作品です。

 

4位『Vu Ja De』

 10年来共にしたバンドとのレイドバックした演奏を主軸としながらも、特にオリジナル曲サイドにおいて案外なんでもありな作品。手に取りやすい形で打ち込み細野を味わうことができる、しかもバンドサウンド細野と交互に摂取できる作品は実はこれくらいのものなので、もしかしたらこのアルバムの2枚目が一番「これが好きならこっち」みたいなのを示しやすい作品かもしれません。

 

細野オールタイムプレイリスト

 最後に冒頭で書いた通り、今回アルバム紹介の軸として集めた20曲のプレイリストを公開しておきます。プレイリスト名はこの記事を書こうと思って選曲が終わった段階での素直な感想です。ベスト盤は星野源盤・小山田圭吾盤どっちも2枚組40曲近くあるから、その半分の曲数のこっちの方が聴きやすいかもです(笑)

 最後まで読んでいただきありがとうございました。

 この次はモアベターよ!

*1:2010年代以降のアルバムは歌ものとしては渋すぎます。年齢の都合もあるのでしょうが。

*2:ただ、これについてはまさにそのものな『HOCHONO HOUSE』というアルバムを出されてしまったのでややアレですが…。過去の曲のリメイクではなくて新曲で…と望むのは流石に贅沢がすぎるのでしょう。

*3:ただ、これだって言葉通りに受け止めるべきものか疑問ではあります。

*4:大瀧曲7曲に対し、細野曲4曲。でも『風をあつめて』『暗闇坂むささび変化』『夏なんです』が後年の再評価でアルバムカラーの中心に据えられた感じがあって、その点でフォーキーさよりロックさ重視の大瀧曲はどこか損してる感じがあるかも。

*5:個人的には、スラップを“見せ技”的でなく、本当に音楽の配置として必要だから、という意識でシーケンサー的に挿入してくる感覚がクレバーで非常に格好いいと思います。

*6:思うに、やっぱり比較になってしまうけど、同時期の大瀧詠一が『Niagara Moon』で徹底的に声を荒げまくって強烈なファンクをやってたことが、何かしら影響した可能性はあったりするんだろうか。

*7:細野晴臣大瀧詠一も、松本隆に頼らずとも時々物凄くいい歌詞を書く。その”物凄くいい歌詞”は個人的に松本隆の歌詞に感じる限界を何かしら超えてるように思えて、その辺がまだうまく言葉に出来ないし、出来たとしてもどうまとめればいいか皆目検討がつかない。

*8:代わりに、他者への楽曲提供では従来のポップさが感じられる楽曲を出していたりはする。でも細野さんが歌わないから、それらは”細野ポップス”になりきれないところがある。

*9:こうなったのは坂本龍一が自身のソロでも傑作とされる『B-2 UNIT』を制作・リリースした(曲やアイディアを出し切った)後に『BGM』の制作が始まったことや、『BGM』の着想を細野・高橋両名が加藤和彦のアルバム録音で滞在していたベルリンにて坂本抜きでやっちゃったこと、あとは単純に当時の坂本龍一の心身的不調などによるものと考えられる。でも、『B-2 UNIT』からの影響で『BGM』が傑作になっている部分もあるので、この辺の問題は結構考え出すと難しい。

*10:方やリリース日に間に合わせるためギリギリまでセコセコ作られた『BGM』で、方や(松本隆のやむを得ないダウンによる)リリース延期の末の『A LONG VACATION』という対比まであって、本当に出来すぎてる。

*11:そもそもの話、日本自体が主流の層がパンクを通過しないまま1980年代に到達していて、だからこそ生まれたのがシティポップでは…?というのをこの記事を書き始める前に思いついて、どこかに入れ込もうと思ったけど上手く嵌る場所がなかったのでここに書いておく。

*12:サニーデイ・サービス中村一義くるりの存在が大きいか。ゼロ年代以降は今度はなんと言っても星野源だろうし。

*13:ただ思うのは、アンビエントR&Bというジャンルはその開祖『Blonde』がそうであるように、作り手の繊細な情念の様を表現する手法としてR&Bアンビエントを接着剤として活用する、というジャンルだと思うけども、その点でこの『HOCHONO HOUSE』は元の作品が飄々とした作風だしその再演ということもあって、アンビエントR&B自体が持つ内省性の本質は捉えていないということ。あくまでアンビエントR&Bの”スタイル”をやってみただけ、に留まる作品でもあるけど、それはむしろ徹底して音楽の”スタイル”に全身をささげてきた細野さんらしい、自身の感情と作品との切り離し方なのかもしれない。

*14:これについてもちょっと考えるに、既にレイ・ハラカミによる同曲の幻想的なアンビエントテクノカバーが存在し、故人である彼のその作品を慮って、ここではインストにしたのかもしれない。