ブンゲイブ・ケイオンガクブ

本を読まない文芸部員と楽器を練習しない軽音楽部員のような感じのブログ。適当な創作・レビュー等々。

The Bandに関する様々なこと

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The Bandの有名な写真のひとつ。ベンチからはみ出てるの、両サイドの人しんどそう。

 

 最近上映されてる例の映画を観たので、Neil Youngの記事をちょっとお休みして、The Bandの記事を書きます。

www.youtube.com

 The Bandを全く知らない人がこれを観て聴き始めたりするのかはよく分からない(そんなことあるのかな…?)ですけど、でも名前は知っててちょっと聴いてるけどのめり込んではいない、くらいの人がこれをきっかけによく聴くようになるというのは、映画自体もそうだけどこの映画が公開されたことによって出ていきた幾つかの素晴らしい文章群によって引き起こされるかもなあ、と思うところ。

 

 自分も、どちらかといえばそういう文章群に触発されて、今のところでこのバンドについて思うところを、とりとめなく書いておこうというのが今回の記事です。結果的に9つくらいのトピックになりました。記事の最後には、手前味噌ですがぼくが作った20曲のプレイリストに沿って、彼らの名曲等の1曲ずつのレビューをしていきます。なのでやはり短くない記事です。

 

 

The Bandというバンドの特徴及び分かりづらさ

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大雑把な概要(及びボスの言葉)

 この記事を投稿してる現在公開中の映画「ザ・バンド かつて僕らは兄弟だった」においてかのBruce Springsteenが以下のようなことを言ってた。

彼らの音楽は明らかに新しかったのに

でも昔からずっと知っているような感じがするんだ

 

これが、彼らの音楽を表すのに最も端的な表現かもしれない。ここではあえて、Ronnie Hawkinsがどうとか、Bob Dylanとツアーをした日々とか、Big Pinkがどうだとか、そういう歴史的なところは触れずに話がしたい。そんなのはそれこそ例の映画を観ればいいし、Wikipediaを日本語版でもいいから見ればいい。彼らの音楽がどうやって作られたのかとかそういうことは極力すっ飛ばして、どう聴こえるのか、ということに、極力触れられるようにしたい。

 The Bandは5人組のバンド。うち1人がアメリカ南部出身なのを除いて、残り4人はいずれもカナダ出身。大半の楽曲を作詞作曲しまたBob Dylanから「その後衛的なサウンドによってぼくのナーヴァスな腸に触らない唯一のギタリスト」というややこしい賞賛をされている、上昇志向の強いRobbie Robertsonと、The Bandのパブリックイメージとは裏腹に相当に高度でアクロバティックなキーボード・シンセ類の使い方等に造詣が深いGarth Hudsonの2人が存命メンバーで、すでに故人の残り3名が全員他の楽器と兼職のボーカリストという5人組。ドラムを叩きながらパワフルに歌う快活なイメージのLevon Helm、ベースを弾きながら激しく歌ったりコーラスしたりするイケメンなRick Danko、キーボードを弾きながら3人で最も繊細で感傷的な声質と音楽センスを有するRichard Manuel。

 バンド側はRichardをメインボーカルと思ってる節があるらしいが、しかし彼らの有名な曲でボーカルを取ることが多いのがLevon Helmだったりする*1こともあり、その辺はあまり気にする必要がないと思う。

 ちなみに、そのボーカル3人がまさに、The Band活動中に酒やドラッグに溺れた3人でもあり、今回の映画はとりわけその部分に焦点を当てていると言える。このある意味ベタなロックンロールライフで、しかしどうにもやるせなく感じられる部分が、実際に映画を観たぼくとしても印象深かったし、そしてここに大きく焦点を当てたことによって、Robbieの自伝を基に作られた映画だけどもRobbieの自画自賛に終始しない印象を与えている。この辺りのことについては特に、音楽評論家の高橋健太郎氏の以下の記事が非常に興味深い。

rollingstonejapan.com

 

ここがすごいよThe Band

 時代を超えて、ロック史の歴史的名盤とかそういうのじゃない部分で彼らが長らく愛されているその特徴については、色々な角度からのものが考えられる。ここではそれらをいくつか拾い上げておこうと思う。最も端的なのは上記のBruce Springsteenの言葉なんだけど。それに、いちいち留保的な内容を書いてたらすっかり読みづらくなってしまった。

 

1. 「アメリカの伝統的なロック音楽」というものを“捏造“した

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 多分この功績によって、The Bandという存在はアメリカという国が続き、その建国以来の開拓の歴史が葬り去られることが無い限りにおいては、永遠に無くならないものと思う。5人中4人がカナダ出身の彼らは、アメリカの風や大地や人々や歴史の、その煤けた色や匂いや質感や、苦難や不和や苦渋や不毛や諦観や、そういったものを十全に表現し切るサウンドトラックを勝手に作ってしまった。それらは彼らが作るまではそこになかったのに、彼らが一度それを作ってしまった後は、それらの歌はまるで南北戦争の頃から歌い継がれてきた歌かのような顔をして響いてしまう。
 たとえば、最近、アメリカ史を大統領という観点で建国から現代*2までの変遷を見ていく以下の一連の記事をとても面白く読んだ。

toyokeizai.net

これは独立戦争直後の「エリート大統領」が続いたこの国が次第に「庶民の大統領」の時代になっていき、やがて民主党共和党という二つの巨大組織が、その歴史の中で当初の立場からどんどん変化し、時代の様々な作用もしくは反作用によって変遷し現代まで向かう様を記述してあるとても興味深い記事だけど、そこで途中から無視できない存在として出てくるのが、都市と郊外の別に関わらず、アメリカという約束の地にて日々を苦しんで生きる庶民の存在。それは時代によって属性が移り変わりながらも、しかし民主主義という多数決の中においては結局その一番のボリュームゾーンが勝敗を決するという、良くも悪くも庶民に光が当たり続けざるを得ない構造を作り出す。

 The Bandの楽曲もまた、華やかな世界を決して描かない。彼らが描く歌の光景はどうしたって、「流れ着いてきて疲弊しきった人間」だったり「北軍に攻め落とされたリッチモンドの光景が屈辱的にフラッシュバックする姿」だったり、又は「迫害されて元いた地を離れ極寒の世界に身を置く情景」だったりと、割と悲惨な状況で生きている人たちの姿を描く。そこには歌詞を書く“個人“の存在は前景化せず、まるで「庶民を描いた叙事詩」のように響き渡る。それはニューヨークの一角だけの光景などではなく、広大すぎるアメリカの大地のどこかでどこかの時代において発生したのかも、と思うような、謎に広大なイメージがある。

 庶民のファンタジー、とは何なんだろう。いちいちそんな具合の歌詞をどこからか捻り出すRobbie Robertsonはアメリカンロック史きってのストーリーテラーであるしもしくはしたり顔で歴史を騙る者なのかもしれない。そしてそんな楽曲を絶妙にいなたいメロディで、絶妙にゆったりしたテンポで、絶妙に田舎臭い楽器編成や演奏方法で表現するバンドの演奏、これらが折り重なって、上の小見出しのようなイメージが生まれる。それは確かに、彼らが作るまではここまではっきりとは存在しない音楽だったのに、一度彼らが作ってしまうと、まるでずっと昔から多くの民衆に慣れ親しまれ続けてきた、時代の土や泥や錆や埃や反吐がくっついたような音楽に感じられてしまうのが、全くもって不思議。たとえばBob DlyanやNeil Youngの音楽にこれほどの「どこかの時代に無数にいた名も残らない民衆から発された音楽」みたいな錯覚を覚えることは決してない。これはThe Bandに特有の幻覚、それも、幻覚だと頭で否定したところでどうにもならない類の幻覚だもの。そんな幻覚的な「アメリカ庶民の伝統的な生活や精神の雰囲気を歌って奏でた楽曲」を、いつの間にか“アメリカーナ”と呼称するようになった。

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 ただ、The Bandがロック界で初めてこのような「アメリカ史」を表現する音楽を作った訳でもないことは注意を要する。

 1960年代半ばのサイケデリック・ムーブメントの頃から既に、アメリカの大地や歴史を見直そうという潮流が存在した。ヒッピーは都会的な生活を脱する方向に発達していくし、ペヨーテ等を用いたネイティブ・アメリカンの霊的な儀式はまさにサイケデリック経験そのものであるし、そういう現代では不健全的な面からも、アメリカという風土への音楽的再考が進められた。

 1960年代のアメリカが結果的に失うことになった「偉大なるアメリカーナ」の最たるものは、1967年中にリリースされるはずだったThe Beach Boysのアルバム『Smile』だろう。既に全米を代表するロックバンドとなり、更に実に個人的な繊細さと迷路のような精神の途方もなさに溢れた名盤『Pet Sounds』をリリースした後、彼ら(というよりもBrian Wilson)はVan Dyke Parksと組み、特にVan Dyke Parksの意思が色濃く反映されたのか、彼らもまた、アメリカ開拓時代の風景をサイケデリックで不穏な音像の向こうに描き出そうとしていた。現代ではBrianソロでもThe Beach Boysバージョンでもリリースされた『Smile』収録曲を聴くと、これらもやはり、アメリカの地に生きていたであろう大衆の目線、場合によっては、大陸横断鉄道の建設において酷使された中国人移民(クーリー(苦力)、と言われる)のものさえ含む目線から描かれる、壮大な光景が描かれている。もしこれがBrianがドラッグ等でダウンしてしまう前に完成・リリースまで漕ぎ着けていたら、アメリカーナの歴史は一体どう変わっていただろう、と思う。

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 現実として1967年に『Smile』はリリースされず、その次の年にサイケデリックをいち早く抜けたThe Byrdsがアルバム『Sweetheart Of The Rodeo』でカントリーロックの道筋を付けた、という流れは、弊ブログの以下のアメリカーナ記事でも書いたところ。

ystmokzk.hatenablog.jp

こういった変遷を踏まえて考えるに、同じ1968年の7月に満を辞してリリースされたThe Bandの1stアルバム『Music From Big Pink』はそういった流れのいわゆる「決定版」みたいな存在だった、とも言える。

 

2. 「大地に生きる庶民からの歌」としての質感の徹底

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 1.と被る内容だけど、もう少し深く考えてみたい。

 3人のボーカリストの声は、ある程度の違いはありつつも誰か1人が飛び抜けて異質、という感じではなく、誰の歌を聴いても「これはThe Bandの曲だ」と思う範囲に収まっている。太く、力強く伸びたり唸ったりするバリトンボイスは総じて男性的で、それも「都会的なインテリ」を想起させる高さ・繊細さ等の要素と相反する、いい具合の“野暮ったさ”を備えている。彼らの歌が「庶民からの歌」に聴こえるとすれば、まず大前提として声自体がそんな「アメリカの開拓地や田舎に暮らす白人男性」からの歌に聴こえる、という要素が強くあると思う。たとえばNeil Youngの高くヘナヘナな声が一般的なアメリカ人男性みたいには決して聞こえない、といったことと、非常に好対照を成す。

 そして彼らが時に暑苦しく、時に情緒的に歌い掛ける、その内容はしかし、大半の歌においてはその歌ってる彼らが自身の胸の内からこみ上げてくる言葉を自分で紡いだものではない。彼らが歌っている言葉の大半は、Robbie Robertsonがアメリカの風土や歴史を研究して紡ぎ出した“物語”を描き出す内容だ。いくらボーカルが情熱的に歌いあげようが、それは“物語”を演出するためのいわば“演技”となってしまう*3

 The Bandの歌からは、大地に魂を引かれた庶民の悲喜交々は様々に聴こえてくるけれども、表現者としての喜びや苦しみ、いち個人としての私小説的な感覚の表現があまり聴こえてこない。自作自演のロックバンドという文化は、むしろ後者によってエモーショナルであれクールであれ世界観を作っていくものが多いと思うけど、彼らの場合は後者的な表現をまるで封印しているようにさえ思える*4。なのでぼくは、彼らの歌がどんなに泥臭かったりユーモラスだったり暑苦しかったりしても、彼らの歌は基本クールなものに感じる。

 基本クールな視点によって「泥臭く」「暑苦しく」演出された歌、そこに寄り添う「ワイルドな大人たち」の感じがするコーラスワーク、そしてその感じを最大限にブーストする、異次元的なサイケデリックさや非日常的な狂騒感もしくはダークネス等を廃した、実にしみじみと感じられる演奏によって、彼らの歌はまさに「アメリカのどこかの農村から自然に出てきた歌」みたいに自身を装う。それはある意味では“騙り”ではあるけれど、彼らはとてつもない強度と精度で“騙る”。フォークもカントリーもゴスペルもラグタイムブルーグラスR&Bもファンクも謎のフィルターを通して強力な「伝統的なアメリカ民謡」みたいにして出力してしまう。それによって、アメリカーナの根底のようなサウンドや楽曲や世界観が生み出されてきた。

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3. 「いなたい」の極みのようなサウンド(特にドラム)

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アメリ音楽史上でも有数のグルーヴィーなドラムを叩きながら歌う姿は地味に実に変態的。

 彼らはとりわけ、自分も演奏をするミュージシャン達からの支持が非常に多い。所謂ミュージシャンズミュージシャンというものの典型例のひとつと言っていい。そしてそれは、各楽器の鳴らし方、重ね方、フックの付け方等々、現代に至るまで参考にできる点・理想的な点が山積しているからだ。仮にどれだけRobbie Robertsonがいい曲を書こうが、それが凡庸なバンドの演奏に収まっていればここまでになっていなかった。やはり、Robbie含む5人のメンバーがミュージシャンとして皆卓越していたということだし、そして彼らが集まって生み出されるアンサンブル・グルーヴが、彼らにしかなし得ないほど個性的で素晴らしかった、ということだ。

 「いなたい」というのは、生演奏でかつ都会的に洗練されすぎておらずある程度野暮ったくて、質感が素朴でアナログで生々しくどこかざらついてかつ温もりのあるような感じの音のことを指す形容詞。デジタルでプリップリな質感の80年代サウンドの反動から90年代になってアナログなサウンド回帰が起こり、その中で日本において使用されるようになった音楽用語だと思うけど、その時にその「いなたい」音のモデルケースとなることがあるのが、60年代後半〜70年代中盤くらいまでのロックサウンドだと思われる。「アーシー」という語も似たような意味があるように思う。

 「いなたい」「アーシー」どちらにしても、The Bandの各楽器のサウンドはまさにそういうののお手本のひとつのような音をしている。アコースティックまたはエレキのギター、ベース、ピアノやオルガン、ドラムセット、そして歌というロックバンドの基本的な楽器編成は今日に至るまで続いているけども、それらの無数に存在するアンサンブルの中でも、彼らのそれは今でも理想像のひとつとされる。楽器選択やセッティング等による音質や、過去の音楽への敬意と研究とから生み出される数々のフレーズから生じる質感の、実にアメリカの風土な感じ。それが絡み合う際の、絶妙に粗雑さ・ワイルドさが含まれる感じ。まるで田舎の家を貸し切って、ハンドメイドで作った野暮ったいスタジオで録音しているかのような空気感*5

 特にリズムセクションについては、歴史上無数に存在するあらゆるバンドの中でも、アーシーさにおいては最も理想的なバンドのひとつとして永遠に君臨し続けるのかもしれない。とりわけ、Levon Helmのドラムは素晴らしい。ひたすらにデッドなチューニングのドラム音からして非常に奥深い。特にアルバム『Northern Lights-Southern Cross』のドラムの音は恐ろしく生々しく、ロックドラムの理想の音のひとつだと本当に思う。クラッシュやタム類を多用せず、ハイハットもほぼクローズのみで使用するそのスタイル*6は、キックとスネアの絶妙なリズムの取り方だけで、とても重心が低く濃厚なグルーヴを成立させてしまう*7。タムを使わないことが多いのでフィルインもスネアのみの短いものが多いのに、スネアだけでここまで様々な気の利いたフィルを挿入できるもんなのか…と*8、地味に何度も驚かされる。キックの譜割りも細かく、その音はLed ZeppelinJohn Bonhamなどと同じく実にバタバタとワイルドな響きがする。絶妙な野暮ったいバタバタ感を様々なスタイルで繰り出す様は、ドラムセットが本当は1930年代頃にようやく生まれた存在ということを忘れさせ、まるで西部開拓時代や南北戦争の頃からそういう楽器があったかのような響きさえ感じさせる。「アメリカの大地と歴史から自然に発生した音楽」という幻覚作用するThe Bandの音楽の、最も幻覚成分の強いパートだと思う。

 恐ろしいのは、そんなロック史上最高の音とグルーヴを兼ね備えたドラムをプレイしながら、同時に平然とロック史上有数の溌剌としてパワフルなボーカルを聞かせること。歌のソウルフルでかつ正確な具合も含めると、あのドラム叩きながらこれは、もはや器用とかそういうレベルじゃない。総合的に、歴史上最もすごいドラマーのひとりとして余裕で出てくる人物だと思う。

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 ちなみに、基本いなたいThe Bandの演奏だけど、楽理に精通し機材マニアでもあるGarth Hudsonの存在は、このバンドを「ひたすら土臭い演奏するバンド」から違う次元に引き上げることがままある。とりわけ彼のシンセサイザー方面の活躍の割合が高まると、時折「なんでThe Bandがこんな曲を…?」みたいな変わったサウンドの楽曲が生まれたりして、彼らがその気になればシンセポップ的なこともできたのかもしれないな…という潜在能力を思わせる。またRobbie Robertsonのギターも時折ギターというよりも効果音的に用いられてる節があり、ただひたすらアーシー貫徹!という感じでもなかったりするのが、より広い層でThe Bandが聴かれる理由になってると思う。むしろこの二人は、それが楽曲にあってると思ったら平気でアーシーさをかなぐり捨てるところにまた、オルタナティブロック以降的な面白さがあるのかもしれない。今回のこの記事ではその辺まであまり踏み込めなかったけど…。

 

ここが分かりにくいよThe Band

 今まで散々にThe Bandを賞賛して見せたけど、ぼくがThe Bandをよく聴くようになったのはここ数年の話で、それまではなんか様々な点で、とっかかりを感じなかったのかそんなに聴いてこなかった。別に過去のあまり熱心に聴いてなかった自分を「なんで分からなかったんだ」などと責める気は無く、The Bandに対するわだかまりの解消と熱中とは、割と本当にぼく自身の加齢によってもたらされた部分も大きいような気がしてる。

 何がわだかまってたのか。どうして解消したのか。そのことをなんとなくやや詳細に考えてみて、以下の3点に思い当たったので書いときます。

 

1. 曲やサウンドが地味、テンポ遅い、権威的、ダッドロック的

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みんな髭野郎になってる写真を探しました。

 「ジジくさい」

 最初にThe Bandを聴いた人が思うかもしれないことの上位に、これがもしかしたら入るかもしれない。まるで「盆栽が趣味」というのが理解できないような。まあ盆栽については自分も全然まだ何もわかってないけども。

 結論から言えば、彼らはむしろ初めっから「ジジくささ」を求めてさえいた。「アメリカの風土と歴史の音楽を西部開拓や南北戦争の頃くらいから遡って捏造する」という目的のためにはそれは確実に必要なプロセスだから。いや、むしろ当時からしても100年くらい前までの射程を取ることを考えたら、「ジジくさい」とか「老成」とかを飛び越えた遡行が必要になるわけで、そんな手法によって描かれた楽曲の光景が、古臭くないわけが無いんだなと、今だと思う。

 ジジくささに付随して、地味さやテンポの遅さが、彼らのことをあまり好きでは無い時期においては気になった。それは激しい情念や鮮烈さや主張こそが、みたいな価値観が自分の中に強くあったのかもしれない。似たようなジジくささでもNeil Youngとかは情念の生き物だから早くから好きだったし。そして上記に書いた通り、The Bandの楽曲においては「歌い手の個人の胸の内の情念」は殆どオミットされているので、この辺の情熱の事情はNeil Youngと真逆というか、ある意味では情念=音楽みたいな部分がかなりゼロに近いのかもしれない。そういうのは今度はクールすぎて、感情にひたすら左右されていたい若い時期には受け入れづらかったのかもしれない。

 自分におけるこの辺の突破口は、バンド晩年の傑作『Northern Lights-Southern Cross』だった。Robbie Robertsonが支配力を全開にして制作したと思われるあのアルバムは、しかしやっぱり尖ってる部分があって、すごく入りやすかった。まず冒頭からすぐに分かる、あまりに素っ気なさすぎるのに艶やかなドラムの質感、楽曲も、The Bandの強みを完全に理解した上で、1975年というバンド録音がクオリティ的にひとつの頂点を迎えた時期ならではの音響の豊かさを意識した上でアレンジごと緻密に構成されたような雰囲気があって、その構図はThe Bandならではの「かつて僕らは兄弟だった」的な物語からかけ離れた構図だけど、でもそのいちいちが的確なので、“演技・演出”としてこれ以上なく研ぎ澄まされている感じがした。

 万にひとつこれを読んでいただいてる人の中で、さらに希と思われる「The Bandを勉強的な観点からも聴こうと思うけど、でもとっかかりが分からない」という人がいたら、『Northern Lights-Southern Cross』を本当にオススメする。この、「古き良き悲喜交々なアメリカ」的なイメージから逸脱した異常な部分・オルタナティブな部分も勢い余ってか垣間見える今作は、オルタナ以降・DTM以降の世代が入るアルバムとしては本当に最善と思う。まずそもそも、音が全体的にモダンなのが良い。「モダンな音」というのは言葉の割に時代に左右されないのかもしれない、などとこのアルバムの音を聞いてると思ってしまう。

 一度とっかかりを見つけてから広げていけば、歴史的名盤な初期2枚の楽曲が「アメリカ版みんなのうた」に聞こえるよりも向こう側に、「なぜこれらが『みんなのうた』になり得るのか」という構図でより感覚的な理解が、肉体への風景の侵食とともに進んでいくかもしれない。そうでもないかもしれない。自分の経験を一般化して語れるほど自分は自信に満ち溢れていない。

 なお、The Bandの音楽が権威的に感じれてしまうことについては、それが抵抗として働いてるうちは仕方がない。時間を置いてから聴くとかしかないと思う。そもそもとして、The Bandの音は「権威」だと言い切ってしまった方が早い。彼らの音楽と比べれば、Neil Youngとかはまるでパンクロックみたいなもんに感じられるかもしれない。あとはその「権威」をどう自分に都合よく取り込むか、とかを考えてみればいい。少なくとも、グーグルのストリートビューアメリカを旅するよりかははるかに手っ取り早く、しかもサブスクがある現代では安くもつくかもしれない。

 

2. The Bandはスワンプ?サザンロック?

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この画像はカケハシレコードさんの以下のスワンプロック記事から借用しています。

kakereco.com上の画像はまだ入り口にいいけど、本文の方はかなりマニアックだ…。

 音楽を「ジャンル」で聴くことがある。「このジャンルを聴き始めるにあたって、この人たちのこのアルバムが代表作に上がってるから聴いてみよう」という方向からの引っ掛かりというのがある。ポストパンクというジャンルの聴き始めにJoy Divisionを手に取るとか、シューゲイザーの聴き始めにMy Bloody Valentineを手に取るとか、そういう聴き方。

 1970年代アメリカンロックは物凄く雑に言って2つの潮流がある。ひとつはシンガーソングライター(SSW)のブームで、James TaylerだのJoni MitchellだのJackson BrownだのそれこそNeil Youngだのといった有力な人たちの名作が軒を連ねる。いまひとつがスワンプロックで、ここでよりアメリカンロックのアーシーさが深められたと言っていいんだと思う。

 ところで、「スワンプ」とは「アメリカ南部の湿地帯」を意味する語で、こうラベリングされる音楽は概ねアメリカ南部的なサウンド志向、ということになる。スワンプ、と言うとその元の意味からして、粘りっけがあって湿っているような感じがするけれど、でも確かにグルーヴにはそんな感じがありつつも、ギターの音や声なんかはカラッと乾いた感じの印象がある。もちろん声やギターまで泥クチャにファンクやってるのもあるけども。また、「サザンロック」という語もある。ここで言う「サザン」もアメリカ南部のことで、こっちはよりカラッと乾いてアーシーなロック、というイメージがある。思うのは、「スワンプ」も「サザンロック」も、それぞれが含むアーティストが大概被っていて、この二つの語に違いはあるんだろうか…ということ。それにしても、音楽において「アメリカ南部」という個性の強さは実に不思議なものがある。アメリカ南部という癖の強い文化の中でも最も誇らしい類のものなんじゃないか。

 The Bandのサウンドは「スワンプ」「サザンロック」と言われる類のものに1番近い。アメリカ南部の音楽の感じに「アメリカの風土と歴史と人々の営み」の幻想の種を鋭敏に感じて体裁よく編み出したのが彼らの作品、だとも言える。じゃあ、The Bandはスワンプ・サザンロックのバンドなのか?となると、しかし何故か急に、そうでもない気がしてくる

 これは、彼らの一番印象の強い本拠地がニューヨーク州ウッドストックだからだろう。これは誰がどう見てもアメリカ北部である。ディクシーのディの字も無いくらいに北部。メンバー5人もうち1人を除いて南部どころかカナダ出身だし。ついでに言えば、スワンプロックを代表するアーティストのDelaney & Bonnie*9のメジャーデビュー作が1969年で、1968年リリースのThe Bandの1stはそれに先んじている。この辺も、The Bandがスワンプ・サザンロックの「先駆け」であっても「本流そのもの」という感じにやや乏しいことに繋がってるかもしれない。

 要は、スワンプ・サザンロックという入り口からだとThe Bandを素通りしてしまう可能性がある、ということ。サザンロックの模倣作品の方がサザンロックそのものより先に世に出てしまった、というか。又はThe Bandの音楽は南部だけでなくアメリカ各地を舞台にしてるとこもあるのでサザンロックという範囲からはみ出てしまう、とも考えられる。何にせよ、この辺のジャンル的な微妙さも彼らの引っ掛かりの弱さに繋がってるかもしれない。まあスワンプ・サザンロックに手を出す人は既にThe Bandは聴いてるもんじゃないか、という気もするけど。

 

3. 3人のボーカルの声質(あと髭もじゃ具合)が似てる

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解散に近づくにつれてより髭もじゃ顔になっていく3人。そして3人ともヤク中。

 The Bandの大きな魅力のひとつはアメリカンフィーリングを十全に体現した強力なボーカル陣の存在だと思う。でも、聴き始めはこの3人の声の区別なんてつかないんじゃなかろうか。自分はいまだにRick DankoとRichard Manuelの声の聴き比べに自信がない。

 たとえばThe Beatlesだと、John LennonPaul McCartneyの声の聞き分けは割としやすい方で、そして聞き分けができるようになってからは、その差異や重なり具合を楽しむのもThe Beatlesを聴くときの楽しさになる。メインボーカルが複数人いるというのはそういう面白さがある。The Beach Boys然り、Buffalo Springfield然り、The Libertines然り。日本だとはっぴいえんどムーンライダーズ等々。

 ただ、ことThe Bandにおいては、それぞれのボーカリストの個性はそこまで差を感じない。特徴はある。一番パワフルでキレのいいおっさん声のLevon Helm、一番か弱くて繊細なところのあるおっさん声のRichard Manuel、それらの中間くらいに思えるおっさん声のRick Danko。3人とも違いはありつつも、しかし結局同じ方向のおっさん声だ。この声室が割と揃ってることは、誰が歌っても「The Bandの歌」になるという特性もあるし、特にコーラスワークが絡むときは「田舎のおっさん達の野暮ったい合唱」の感じが強く出て「アメリカの民衆からの音楽」っぽさが特に感じられる。だけど、「この曲の雰囲気はもうLevonの独壇場だなあ」みたいな雰囲気にはなり辛い。

 これは思うに、上にあげたメインボーカル複数のバンドはそのそれぞれのボーカルが自身で曲を書き自分で歌う、という特徴があって、歌う曲のことを一番知り尽くしてるから、歌もサウンドも自分色に染め上げて個性を際立たせる、ということが可能になる。対してThe Bandは基本的にボーカルが曲を書かない。曲を書くのは大半はRobbie Robertsonの仕事で、彼もそれぞれのボーカリストの特性をしっかり把握して「この曲は彼の声が合う、みたいなのがすぐに分かるんだ」的なことを例の映画でも言っていたけど、でもそれはやはり「The Bandの音楽の中で歌うという演技をしてもらう」的な役割分担であって、ボーカリスト個人の個性から発出されたもので楽曲を埋め尽くす、という行為からは程遠い。歌詞だって基本Robbieが書いているんだから、ボーカルは基本その中で自分の技能やパッションを振り回すしかできない。

 別にThe Bandでボーカルの違いによる楽しみ方が全くできない、と言いたい訳じゃない。ただそれは、ギターの音がフェンダーギブソンかの違いを楽しむのと近い次元のものではないかと思うことがある。それはそれで趣深いことなんだけども。

 あと、3人とも髭が凄くなっていくのは何故なんだろう。3人ともアルコールとドラッグに嵌まり込んで退廃していくから、それによって髭も伸ばしっぱなしになってしまったってことなのか。同じ髭でもGarth Hudsonの髭は活動初期から安定してるものな。

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ここが解せないよThe Band

 良い点についても分かりづらく感じてたことのある点についても、上記のとおりある程度は書いてて整理が付いたところ。だけどそれでもなお、「何で…?どうして…?」と思う点が彼らにはある。その根本的な疑問こそがある意味で彼らを他と違う特別に個性的な存在にもしているし、又は彼らという存在の限界、不自然な部分、あるいは何を言っても始まらない悲しい感じも、これらの点に関連して引き起こされるものだと思う。

 つまり、以下の3点こそが、The Bandの狂おしいほど特別な点だと思う。

 

1. Robbie Robertsonは稀代の「演出家」?「裏切り者」?

 

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The Band初期までの丸眼鏡の彼から漂うインテリ感。ソロ以降とは別人のよう。

 Robbie Robertsonという稀代のソングライターがいたことでThe Bandが特別なバンドになったことは否定しようがない。それは彼抜きで再結成されたThe Bandが傑作をものにできなかったことからも悲しいかな証明されてしまっている。

 ただ、じゃあそんな大天才のRobbieのソロが歴史的な大成功を収めているかというと、これもまたそうではない。ロック界の大御所と華々しく共演したり自分のネイティブアメリカン系の血筋を前面に押し出したりするソロ作を定期的に出しているけれど、The Bandの頃のような熱狂的な受け入れられ方をしてるとは言い難い。この辺りの関係は少し、Pink FloydとRoger Watersの関係にも似てるかもしれない。

 本人が例の映画でも強く認めているとおり、The Bandというコミュニティの中でRobbieが楽曲製作者という「演出家」として機能し、みんなで演奏することによってのみ、あの「特別さ」が生まれ得た

 そもそも思うのが、彼ほどSSW的でないバンドのソングライターも珍しいのではないか、ということ。彼は彼自身の体験や思想を直接音楽にしようとしない。上記にもあるとおり「アメリカの歴史のどこかで田舎の誰かに起こった物語」という形でばかり楽曲を出力しがちなのが彼の特徴で、劇作家的とも言えるかもしれない。もしくはかのBob Dylanの彼に対する「後衛的」という評が実に本質的なんだとも思える。彼のソロ作がどうも壮大になりすぎるのも、テーマありきで作品を作ってしまう傾向によって、日記や私小説的な軽快さ・親密さを欠いてしまうからなのかなと思う。「表現」よりも「演出」が先立ってしまうのかもしれない。

 「演出家」であることによって、彼のかつての誰も得たことのない「The Bandという栄光」について彼が触れて語る時も常にどこか演出的というか、自画自賛にしても何かが過剰というか、宣伝力・広告力の強さが鼻につくことが多々あるんだと思う。「『Big Pink』に始まり『The Last Waltz』で終わるThe Bandという美しい物語を永遠で確かなものにすること」が彼の重要な生業になってしまってる部分があるというか。別に全然、それだけの価値がThe Bandにはあるけれども。

 特に彼が『The Last Waltz』によって“The Bandという価値を売り抜いた”ことについては、彼以外のメンバーから物凄い反発をずっと抱かれ、再結成時の彼の未参加といったことを経て、結局反発していたメンバーが皆死ぬまで、その不和は晴れなかった。彼が強力に発信し続ける「The Last Waltz神話」によって様々な価値が生まれロックの歴史的な説明も簡潔になるのだけど、彼に抜け駆け的にThe Bandを終了させられた他のメンバー達のことを思うと、彼の「裏切り者」としての側面の象徴であるThe Last Waltzはとても悩ましい存在だと思う

 

2. 「The Last Waltz」とは何だったのか

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 ロックバンドでも有数の華やかで、しかも様々な意味づけも為された、徹底的に「演出された」生前葬、というのが「The Last Waltz」についてのぼくの印象。様々なゲストが登場し有名曲を歌い上げていく様は「ここまでのアメリカーナ音楽の総決算」の感じもあるし、また同時期にすでに始まっていたパンクロックのムーブメントを横目にした「古いロックの終焉」の象徴としても実に収まりのいいイベントだ。

 このライブの1番の問題は、1976年のライブ当時にRobbie以外のメンバーがこれが後に「有終の美」として演出されるライブになると知らされていなかったこと。これが最後のライブになるなんて知らされず、このライブ前後でも契約の都合によりもう1枚アルバムを作る(『Islands』)といったことがあったのに、Robbie側から一方的に「解散」を突きつけられるというのは、世界に数多あるバンドの解散の事例でもとりわけひどい。まるで、The Bandがまだ美しく生きているうちに自分で殺してしまった、といった具合。ここだけ考えるとロビークソ野郎じゃね?としか思えない。

 また、このライブは「The Last Waltz」とい題で映画化もされサウンドトラックとしてもリリースされたが、それらには実際のライブ録音に後から相当なオーバーダビングがなされていて、特にRobbieのギターは徹底的に修正されている。こういった部分も彼の「演出家」としての側面が露骨に出てきているところで、賛否が激しく分かれる。面白いところでは、Neil Youngが『Helpless』を歌いに現れた時、鼻にいっぱいのコカインを詰め込んで出てきて、そのまま映像化する訳にもいかないのでどうにか修正されてリリースされている、といったエピソードもある*10。あとThe Bandの大ファンのEric Claptonが参加してギターを弾いてる際にギターストラップが外れてしまいギターソロをRobbieが引き継ぐ箇所は、むしろ名シーンのひとつとしてそのまま収録された。

 ゲストの人選は素晴らしく、確かにこれまでのアメリカンロックの総決算と言わんばかりの趣向が凝らされているけれど、でもNeil Diamondの招集についてはRobbie以外のメンバーは全然面識も無く音楽的にも趣向が異なるなど、やはりRobbieの独裁体制の様が見え隠れする。それでも、上記のEric Claptonのエピソードは楽しいし、何よりもThe Bandの生みの親とも言えるBob Dylanとの共演は感動的だ。このライブ全てを全く否定してしまうこともし辛いものがある。

www.youtube.com終盤でメロディを崩しまくって歌うBob Dylanの圧倒的な格好よさ。

そしてその横でニヤニヤして楽しそうなNeil Youngはコカインきめてる。

 

 このRobbie最大の「演出」であり「裏切り行為」でもある事象について、上に挙げてた今回の例の映画についての高橋健太郎氏の記事が指摘していたことは大変興味深い。氏の指摘するところを乱暴に要約すれば「The Bandを売り抜く側のRobbieも、ドラッグまみれのバンド活動に本当に恐怖し、必死に逃げ切ろうとしてこうなった」というもの。先に氏の文章を読んだ後に映画を観たものだからアレだけど、そういう視点で見るとRobbieの「The Last Waltzで終わるThe Band史観」の必死さもどこか哀れなものに思えてくる。ドラッグの恐怖というのの本当のところを知らない自分のようなのでもおぞましく感じるところ、ましてや常に顔を合わせ一緒に仕事をする同僚がそうなっていた際の恐怖のことを思うと。

 どんな思惑があろうと、どんなに加工され脚色された虚飾であろうと、裏にどんな酷いエピソードが潜んでいようと、どんなにロビーがクソ野郎だとしても、「The Last Waltz」という作品そのものが素晴らしいものであることに変わりはない。Robbieが必死こいて準備して演出して加工してその後躍起になって神格化し続けるこの映像作品を、別に我々は呑気に、面白い映画を観るのと同じくらいの気持ちで楽しんでいればいいのかもしれない。

 

3. Richard Manuelという未完の才能

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若い頃の彼は髭が薄く、段々濃くなるにつれ“病”が進行してるように見える。

 今まで書いてきた様々なことについての1番の例外が、このRichard Manuelという人物だということを、この記事の前半の最後に書いておきたい。彼はThe Bandのメンバーの中で最も早い1986年に亡くなった。死因は自殺。The Bandのメンバーで死因が自殺なのは彼のみである。

 彼の何が例外的かと言えば、彼はこのバンドで唯一、自分で作詞作曲してその自分らしさの出た曲を自分で歌うタイプの能力を有していた、つまりSSW的な才能があったミュージシャンだった、ということ。Robbie Robertsonという非SSWによって大概運用されていたこのバンドにおいて、彼は著しい例外だった。

 彼は独自の繊細さとピアニスト由来から派生した独自の作曲技法を有していて、Robbie的なものに対する大きなカウンターパートになり得る存在だった。ソウルやらサイケやらにも精通し、内なる情熱や寂しさや哀れさを直接自分の言葉と旋律で表現しようという文法と意思とが、確かに彼にはあった。今回の映画公開を受けて、一部の層で再評価が挙げられていた。

www.youtube.com

 悲しいのは、そういう側面の彼の性質が現れた楽曲が、実に数が少ないこと。1stアルバム『Music From Big Pink』には彼単独クレジットの楽曲が2曲含まれ、さらには冒頭の『Tears Of Rage』をBob Dylanと共作してさえいる。けれどその後は彼がコンポーサーとしてクレジットされる曲には常にRobbie Robertsonの名前も連なっている。つまり、2nd以降は彼は単独で曲を書き上げることができなくなってしまった。それはおそらく後述の、アルコールやドラッグの問題の影響もあったと思う。2nd『The Band』で3曲、3rd『Stage Fright』で2曲をRobbieと共作し、それ以降の楽曲ではもう作詞作曲のクレジットに彼の名前が載ることは無い。

 しかしながら、彼の作った楽曲の性質-憂いを帯びたメロウなピアノバラッドタイプの楽曲が多い-を、彼が楽曲を書かなくなった以降もRobbieが尊重していた節は、幾つかのRobbieが彼に歌わせるために書いたと思わせるタイプの楽曲によく現れている。Robbieの自伝の中でもRichard Manuelとの出会いは衝撃的な出来事のひとつとして記述されていて、彼の音楽的才能を手放しで賞賛している。主にギタリストであるRobbieと主にピアニストであるRichardでは作曲に対する根本的な手グセ等も異なってくるわけだけど、RobbieはRichardのそういう手法を活動中期頃、つまりRichardが曲を書けなくなってからは、かなり正確にエミュレートできるようになっていく。それはRichardを助けるためであったかもしれないし、もしくはRichardの側からしたら、自分よりも自分らしい曲をRobbieが書いてしまうことで自信を喪失してしまったところもあったのかもしれない。それでも、純然たるRobbie曲であるバンド晩年の名バラッドのひとつ『Hobo Jungle』での高度な“Richardらしさ”の表現は、RobbieのRichardの作風への敬意が最も高い純度で現れた場面だと思う。
 先述の彼の人生の末路にも現れているとおり、彼が、The Bandの物語の中でも最もボロボロになり、最も暗く悲しいポジションを背負うこととなった。アルコールやドラッグ漬けになり、ウッドストックにいる頃から酷い交通事故を起こしてしまっている様子が今回の映画でも大きく取り上げられている。その悲しい様子は、上記のThe Last Waltzのライブにおいては演奏や歌唱することがなかなかままならず、彼の歌うパートを他のメンバーが一生懸命バックアップしてあげている様などでも垣間見ることができる。また、彼はThe Band解散後はまとまったソロ作品を出すこともなく、再結成The Bandに参加するも自身のペンによる作品を書き残すこともなく、1986年に自分で命を絶ってしまう。

 彼はマルチプレイヤーでもあり、いくつかの曲ではドラムを叩いていたりもする。時代や環境によっては、全て自分で演奏するソロ作品などを作っていたかもしれない。もしくは一度解散した後彼がメインで楽曲を書いて、それを軸に復活するThe Band、みたいな世界線もあるのかもしれない。でも、少なくとも自分が今この文章を書いてる世界線においては、彼は1986年で死ぬまでに、十指で数えられる程度の楽曲しか残せていない。そのわずかな楽曲たちの個性的で繊細で美しい輝きこそが、このバンドに対する最大の「なぜ…?」を想起させる*11。彼の魅力に気づいてしまうと、残された少ない楽曲と言葉と、多くの歌唱と演奏とを縋るように聴くだけしかできない。それであっても、彼が素晴らしいシンガーでありミュージシャンであったことは変わりない。

www.youtube.com彼はボーカル3人の中でソウルフィーリングな歌い方が一番格好いい歌い手でもあった。

 

プレイリストに基づく20曲レビュー

 最後に(といっても文字数的にはここからやっと後半、って感じですけど)、ぼくの作ったStpotifyのプレイリスト(選曲には多少の自信あり)に基づいて、1曲ずつレビューを書いていこうと思います。彼らの1968年〜1977年のオリジナルアルバムそれぞれから選曲してるので、簡単な各アルバムレビューも兼ねてる部分があります。ただ、各アルバムレビューならこの後にダラダラ続く駄文なんかよりも、以下の記事の各アルバムの記載の方を読んだ方が遥かに滋養があると思います。

turntokyo.com

 

 プレイリスト自体はこちらです。なお、それぞれの収録されているスタジオアルバムを記していますが、枚数の数え方(1stとか2ndとか)は英語版Wikipedia準拠です。つまり、カバーアルバムの『Moondog Matinee』をカウントしてます。ライブ盤は別カウントになります。

 それなりに分かる人がリストを見ればすぐに、ある特定のメンバーを贔屓してるな…というのが分かってしまうかもしれません。ここまで文章を読んでいただいていれば言うまでもないことかもしれません。

 

1. When I Paint My Masterpiece

(1971年 4th『Cahoots』)

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 まず、この20曲のリストのうち、Bob Dylanによる楽曲はこの曲だけです。『I Shall Be Released』は入ってません。すいません。

 60年台中頃にフォークロック移行期のBob DylanがのちにThe Bandとなるメンバーをバックバンドにツアーを行ったことは、音楽的にも人脈的にも彼らの強いバッグボーンとなった。1stアルバムにはBob Dylanの楽曲も複数収録されているが、その後はしばらくオリジナル曲のみでアルバムが制作され、4枚目『Cahoots』において久々にDylan曲が採用される。オリジナルも同じ年にリリースされていて*12、仲の良さを感じさせる。

 Bob Dylanの曲がカバーされるときは大体、比較的ポップな楽曲をDylanのぶっきらぼうな歌唱がアレしてる楽曲が選ばれることが多い。この曲においても、Levonのボーカルによってワイルドさはキープされつつも、丁寧に再構築された感がある。

 アコーディオンマンドリンを用いた実にトラッドっぽいアレンジが特徴。せり上がってくるイントロから歌が始まると、まさにどこかの町の小さな楽隊の演奏のような世界観が広がっていく。この曲ではLevonのドラムには珍しくタムが多用されてて、ポコポコした演奏が素朴さを加速させる。同じコード進行・メロディの繰り返しを間奏のコード進行の変化で補うソングライティングにより元々呑気な楽曲であるところを、この小さな町の楽団スタイルがひたすら楽しそうにフォークロアチックに演奏することで、とても呑気で朗らかな空気が生まれている。1回だけ入ってくる泣きのメロディも演奏の雰囲気はそのままなのが、かえってグッとくる。

 アルバム『Cahoots』は1968年から毎年1枚オリジナルアルバムを作っていた彼らの、その1年に1度の歩みが途切れる直前のアルバム。メンバーのドラッグ等での疲弊に加えて、流石のRobbie Robertsonもネタ切れだったのかガス欠気味でソングライティングに精彩を欠いてる場面が見られる中、Bob Dylanという彼らのルーツに立ち返る*13ことにどれほどの意味があったことか。

 

2. The Night They Drove Old Dixie Down

(1969年 2nd『The Band』)

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 彼らを代表する名曲のひとつ。不穏さと壮大さを変遷させていくドラマチックな楽曲の構成は演劇的で、演出家Robbie Robertsonによる脚本によって再構築された南北戦争の頃の物語が、ここではユーモラスでありながら少し寂しげに歌われる。
 ボーカルはLevon Helm。この曲のドラム叩きながらこのボーカルを取ってるのか…というくらいの名唱で、彼のブライトな声質がヴァースの少し大げさに緊張感を煽るメロディ展開に実によく馴染んでいる。ドラムはキックとスネアのみ、たまにシンバル、みたいな音のミックスになってて、特にハットが目立たないあたりがロックバンドらしからぬ“楽団“的な風情を醸し出してる。ドラムのフィルの入れ方もどこかマーチングバンド風なスネアさばきで、この曲の歌詞が南北戦争に題材を取ったことを考えると実に趣深い。コーラス部でのラララ…の合唱は、歌詞の意味が分かると実になんとも言えない虚しさを感じさせて、この楽しげなコーラスがそんな意味に変わるのか…という、作詞者Robbie Robertsonの素敵な底意地の悪さを感じさせる。

 

その夜 奴らは古い南軍ディクシーどもを打ち破った

ベルがみんな鳴り響いてた

その夜 奴らは古い南軍ディクシーどもを打ち破った

そして人々は皆歌ってた「La La La La La La...」

 

この歌は南北戦争時に南軍側の地域で生活を営んでいたのが、北軍の進行によってその生活が破壊された人たちのことを歌っている。つまり視点はアメリカ連合国側の人間からであり、その辺はThe Bandがやはりアメリカ南部音楽を強く志向していたことの表れのようにも思えるし、単に歌の物語として南軍側の民衆の悲哀を歌にしてみようと思っただけかもしれない。「La La La...」のコーラスの後にユーモラスにリズムがおどける部分が実に昔のアメリカっぽさというか、ラグタイム的なとぼけた感じを思わせる。ピアノの存在感が非常に大きく、特に低音の響かせ方に歴史の重厚さをダブらせてる。

 

3. Sleeping

(1970年 3rd『Stage Fright』)

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 上記のとおり、3rd『Stage Fright』がRichard Manuelが作曲者として最後にクレジットされたThe Bandのアルバムで、この曲はその2曲のうちの1曲。ぼくは彼の曲ではこれが2番目に好き。このアルバムでも1、2を争うくらい好き。大好き。センチメンタルさと照れ隠しのように賑やかに入ってくるバンドサウンドが交錯する。なんでこんな素晴らしいロッカバラッドがアルバムの2曲目なのか、曲順考えた人はアホなのか、いやでもこのいきなりクライマックスな感じもまた良い…。

 ピアノ奏者らしいRichard曲ならではの歌い出しは、彼特有のスウィートネスが優しくも不安げに漂う。端正な3/4拍子で弾き語り的に始まるそれは、スウィングしたバンドサウンドが入らなければとてもシティな感じの質感があって、やはり彼のセンスがThe Bandの王道から外れたところにあることを思わせる。バンドが入っても楽曲のメロディはずっと同じものを繰り返していて、でもそのバンドサウンドの明滅によってしっかりと楽曲展開とダイナミズムを獲得しているから、やっぱりバンドという仕組みはいいものだって本当に思う。イントロや間奏等でシンセみたいに鳴らされるギターサウンドもまた普通のロックとは趣の異なるもので、Robbieのギターの器用さ・後衛的サウンドとしての秀逸さが光る。

 はしゃいだジャズみたく盛り上がった間奏の後に、またピアノ弾き語りモードにて歌われる以下のフレーズが実に、彼らしいダウナーな悲しみを感じさせる。彼が曲を書いて歌うといつもこうだ。

 

嵐が過ぎて とうとう平穏が訪れる

ぼくは人生総て 眠ることに費やすだろう

今は音もなく静か どこまでも人影はない

 

 上で触れた後年の『Hobo Jungle』という曲はこの曲のRobbieによるオマージュな感じがある。歌い出しのコード感やメロディ、2曲目でいきなりセンチメンタルなバラッドという構成、そしてボーカル:Richard Manuelというところが共通する。あれがRichard作曲じゃないのが不思議なくらいRichardっぽさがあるので、Robbieも彼の美点をよく研究していたんだということを思う。

 

4. The Weight

(1968年 1st『Music From Big Pink』)

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 代表曲の中の代表曲。もうアメリカ国家か何かにしてしまえばいいのに、と思うくらいアメリカ人のDNAに組み込まれてしまってるであろう曲。アメリカ人が3人集まるとこの曲を歌い出して自然にコーラスのパートをそれぞれで割り振って歌うと言われる(言われない)。

 ポップで飄々とした、でも雄大さも感じさせるヴァースの感じはまさにLevon Helmのタメの効いたドラムと朗らかなボーカルによって形成される。ボーカルは終盤で1回しだけRick Dankoに変わるが、そこでの彼の歌い方は妙にヘニャっとしてる。その後のコーラスでLevonの歌がずれたりと結構ルーズだけの様になってるのがずるい。

 シンプルなコードを繰り返しながらも確実にゆったり進行していく感じが、実にアメリカンな雄大さを遠くに抱えてる感じがする。そこからコーラスでのゴスペル的なテンションの持って行き方のダイナミックさ、それこそがアメリカンロックの本質なのでは、などとこの曲を聴くたびに思ったりしてる。シンプルなこの二つの展開を何度も繰り返す感じはBob Dylanっぽいが、例の映画によるとRobbieがDylanにこの曲のデモを聴かせたらDylanはとても驚いたそうだ。

 使ってたギターの産地だったペンシルヴェニア州ナザレスとキリストの生家のあるナザレを掛けた歌詞は、実は宗教戦争等を経験してないために最もキリスト教に敬虔な土地柄だというアメリカの精神を実に象徴してるようにも思えるし、でも歌い出しの歌詞のヒネた感じはアメリカンジョーク的なのも効いてていい塩梅。

 

ナザレスに着いた頃 ぼくは半分死にかけで

横たわって寝れる場所がちょっと欲しかった

「なああんた、教えてよ ベッドで寝れる場所だよ」

奴はニヤつき手を握って「んなもんねェが?」とだけ言った

 

荷を降ろせよ ファニー タダで持ってけよ

荷を降ろして ファニー そんなの持ってやるからさ

 

聖書にまつわる単語も散らされたこの曲の歌詞の意味を作詞者Robbieはずっとはぐらかし続けてる。本当に彼のギターに書いてあった原産地:ナザレスから連想しただけのジョーク的な間に合わせだとしたら、逆にそれでこういうストーリーが生まれる彼の瞬発力がすごいという話でもある。そしてサビのところは、ちょっと時代錯誤的かもしれないけど、ちょっとした男らしさ、みたいなのかなあと思ったりする。

 

5. Acadian Driftwood

(1975年 6th『Northern Lights-Southern Cross』)

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 『Cahoots』から次のオリジナル新曲大半のアルバム『Northern Lights〜』までの間には4年もの月日がある。この間にはライブ盤やカバーアルバム、及びBob Dylanとの共作などがあるため別に働いてなかったわけではないけど、でもそれでもThe Bandの新曲を用意するのに時間が掛かったことは間違いなく、それがバンドの不調によるものか、Robbieの不調によるものか、もしくはその両方なのかはよく分からない。

 ともかく、その短くない期間を経て、Robbieは独裁制によってどうにかバンドを回して、この「1970年代的なモダンさを十全に備えたThe Band」な大傑作アルバムを作り上げた。8曲中8曲総て彼の曲で、セッション1発録りではなくパートごとに分けて録音という手順を取るなど、Robbie式の緻密さが随所に表された8曲の作品は、The Last Waltzよりもずっと価値のある作品だと個人的に思う。

 この曲はそんな中で、彼自身の特殊な出自のことさえも活かし切った、彼らが作り出した中でも最もマージナルな感じを帯びた「幻想の」フォルクローレだ。冒頭のアコギから民謡調の楽器が溢れ出してくるところまで、一体これはどこの民族の音楽だろう、という情緒が漲る。どんどんボーカルを交代して展開していき、コーラス部で重なり合う、という曲構成はどこかの民族の男たちが合唱してる感が強く出て、The Bandというグループの武器を最大限に活用した仕掛けになっている。ドラムのスネアさばきの実にフォルクローレな具合も絶妙で、途中から入ってくるアコーディオンも実に虚しい放浪感に満ちている。

 アケイディアというのはアメリカ北東部とカナダの国境あたりの地域で、ここはもともとフランス人の入植地域だったのが、イギリスとの戦争の結果、アケイディアンとなったフランス人のうち恭順を示さなかった者たちが追放された、という実際に起こった悲劇を参照している。故郷を失い放浪する人々の悲哀を通じて、Robbieは一体何を言いたいんだろう、と考える。単に昔の非道行為を訴えてるだけなのか、自分たち(もしくは自分だけ)にイメージをかぶらせているのか。

 この、明るいコード進行なのにひどく頼りない、冷たい風にでも飛ばされてしまいそうなフォルクローレは、意味するところはともかくとして、後期The Bandの間を冷たく通り過ぎていく。

 

6. Let The Night Fall

(1977年 7th『Islands』)

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 終わった後の忘れ物のようなアルバムが『Islands』で、後に「The Last Waltz」と名付けられるショウが終わった後に、そのサントラを次なるレコード会社でリリースしたいがために、現行のレコード会社の契約を終わらせるためにもうひとつアルバムリリースが必要になって、自身のアウトトラック等も引っ掻き回してなんとかひねり出された作品、ということになる。この辺の事情は総てRobbie一人の思惑であって、まさに裏切り者モード全開な中での制作物となってしまってる。やっぱロビーはクソだな…。

 でも、それにしても幾つかいい曲が入っていて、なおかつアルバムとしてのカラーも不思議と存在していて、上記エピソードがなければ全然1枚のアルバムとして納得できるだけの作品に仕上がってるのは、The Bandの底力なんだろうか。『Cahoots』よりも全然好き。全体的にソフトなソウルフィーリングがあって、サウンドが都会的。田舎然としてきたこれまでのThe Bandからすればそれはやっぱり異端ではあるけども。

 この曲なんか実にThe Band式ソウルミュージックとしてタイトに纏まってる。冒頭のコーラスの深いギターは幻惑的だけど、リズムやピアノは実にシックな鳴り方で、そしてミニマルに纏まったメロディを、Richard Manuelのボーカルが実にジェントルでソウルマナーな歌い方で丁寧に歌っている。オルガンの音の動き方がユーモラスだけど、これが無かったら本当に純粋なソウルミュージックになってたかも、という具合。楽曲自体はRobbie Robertsonによるもので、彼も作風広いなあと思わされる。そもそもまず「夜が“落ちる“」という表現自体がなんか詩的な感じがして気持ちいい。

 

7. Whispering Pines

(1969年 2nd『The Band』)

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 This is Richard Manuel!な繊細さが終始一貫してる楽曲で、彼らの歴史的大名作2ndの中でもひときわ静かなセクションを構成している。森の中を彷徨うような漂うようなサウンドの作りと歌は彼らの全楽曲で見ても有数の繊細さで、しかしバラッドとも言えなそうなこの形式の曲は、まさに彼だけの世界というものがあったんだなあ、と、その才能が無為なまま潰えてしまったことが、こういう曲を聴いててもやはり、悲しくなってしまう。

 ドラムは本当に必要最小限を見極めたプレイだけをしていて、しかしそれでも必要性は十分な存在感がある。ピアノとアコギと不思議なシンセ、そしてベースによって形作られる音の、閉じ込められたままに浮遊感に満ちたような雰囲気は、どこか霊的な風情も感じられて、また音の組み方やコーラスワークは同時代のThe Beach Boysのソフトロック的な部分とも重なる、ぼんやりとして豊かなものがある。こういった性質がThe Bandの中でずっと活かされていれば、もしくはソロ作品を作れていれば、ということは考えても仕方がないことだけども。

 「ささやきかけるパインの木々」という題もなかなかにRichardみがあるけど、この曲はRobbieとの共作で、楽曲自体はRichardが書き上げたけど歌詞が書き上がらず、Robbieが歌詞を書いている。それでも、Richardらしさが呼気のように充満するこの曲は彼の代表曲とも見なされることがあり、彼の死後にリリースされたライブ盤にはこの曲のタイトルが付された。

 

井戸のそばに立って 雨乞いをしてみて

雲に向かって手を伸ばす その他は何も残ってない

夕暮れがくると ぼんやりの中に漂う

もやの中を探してみよう

空っぽの家で 冷たい冷たい太陽で

総てが巡り始めるまで待ってよう

きみが見えたら 失ったものが見つかったり

 

Robbieが書いた歌詞のはずなのに、Richardが歌う歌詞はやっぱり、Richardっぽい視点なんだなあと思わされる。RobbieがRichardの歌詞の趣向をよく研究してたことが伺える高解像度のエミュレート。それにしても、ぼんやりと虚しい。

 

8. The Moon Struck One

(1971年 4th『Cahoots』)

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 ジャジーだけど怪しく揺らぐピアノのサウンドを主軸にした、少しサイケデリックで危ういロマンチックさに満ちた楽曲。タイトルからして「moon-struck」で「気がおかしくなった」という意味にもなり「月が1時を打った」という時計盤に見立てた洒落たタイトルの意味と絶妙な調和をしている。

 『Cahoots』の中でも異色の感が強いファンタジックさに満ちたサウンドがとても魅力的で、そしてボーカルはRichard Manuel。楽曲はRobbie Robertsonだけど、この辺から彼のRichardエミュが格段に上手になっていき、この曲などはRichardが書きそうなタイプの奥行きを持った楽曲に見事に仕上がっている。生活の荒廃で曲が書けなくなってたにせよ、こういう曲を他人から提示されて歌ってって言われて、Richard本人はどんな気持ちがしたものかな。というか明らかに「気がおかしくなってる」の意味を含んだ歌を当時の割と本当に気がおかしくなってるRichardに歌わせるとか、やっぱロビーはクソだな…

 月というモチーフに由来するこの曲の妖艶なサウンドは、しかしサイケデリック全開な感じとは異なり、妖艶な中にも上品さや純粋さ、ジェントルさが漂っている。ダブルトラックで録られたRichard Manuelのボーカルがまた実にこの幻想的な彷徨の感じを演出している。この曲の幻想的な感じは民謡っぽくもあるようで、大人向けの絵本みたいにも感じられる。The Bandの楽曲の中でも珍しいタイプの浮遊感かもしれない。タイトルを歌い上げる箇所のメロディの途切れていく具合はまさに、月夜に吸い込まれていくような感じがする。

 余談として、この曲は忌野清志郎のお気に入りの1曲でもあるらしく、「この曲を名曲だと思ってるのは俺と仲井戸麗市とあと1人か2人だろう」とか言ってたらしい。

 

9. Up On Cripple Creek

(1969年 2nd『The Band』)

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 泣く子も黙るThe Band流グルーヴの真髄たる代表曲。ライブでは大体毎回演奏されてたのでは。っていうかこれスワンプロックですよね?このねっとりグルーヴでスワンプロックじゃないとか嘘でしょもうこの曲がスワンプロックの始まりでいいじゃんもう前言撤回します彼らが最初のスワンプロックバンドでーす、って言いたくなるくらいに典型的かつ徹底的にスワンプロックしてる。これがスワンプロックじゃなけりゃ何がスワンプロックだよ、歌詞でもミシシッピとか歌ってるしこれがスワンプだろ?みたいな曲。マジでなんでこの曲スワンプロック扱いされないの…?おれのスワンプロック理解が根本的に間違ってる…?

 本当に強靭なリズム。隙間の多く給付じゃないところの圧が強いベースも特徴的だけど、やはりドラムの凄さが物凄い。キック・スネア・ハットの3点のみでほぼこのグルーヴを完全に生み出していて、特にキックのタイミングとスネアの引き摺り方の巧妙さで実にドロッとしたファンクネスを呼び起こしている。これを叩きながら、どうしてこのLevon Helmとかいう人は飄々と歌えるんだろう…。

 うわもの演奏陣も実に粘つくような演奏をしていて、楽曲の節々からセブンスコード的な気だるさが立ち上ってくる。しまいにⅠ→Ⅳの繰り返しでヨーデル調のボーカルを見せるところはもう、なんでもありかよこいつら…というすっとぼけ具合。特にワウを通したクラビネットというのはこの曲でのGarth Hudsonの使用例が先駆的なものらしい。カエルの鳴き声のような実にキモい音を発していて可笑しい。例の映画のこの曲の演奏シーンでニヤニヤしながらこの音を出してるGarthは癒し。

 

ぬめったクリークを超えていけ

あの娘がおれを夢中にさせる

もしおれが溢れだしたら あの娘が塞いでくれる

おれが話す必要ない あの娘がおれを守ってくれる

飲んだくれの夢か また会えたりしねえのかな

 

ぬめったクリーク…なんの比喩でしょうね???まあファンク的なのにエッチなのは不可欠か。っていうかこの歌詞もRobbieが書いてるの?ふーん。Robbieって意外とエッチなんだね…。

 

10. The Shape I'm In

(1970年 3rd『Stage Fright』)

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 この辺りはThe Bandでも特にグルーヴィーな曲を前曲とこの曲で2つ並べてみた。これもライブで頻出の楽曲。それにしても、1st・2ndの成功による疲弊から逃避するために作られたアルバムが『Stage Fright』という話を聞いても、幾つも力作な楽曲が収録されてて「これって逃避になってるの?息抜きになってるの?」と不思議でならない。

 この曲のグルーヴは『Up on Cripple Creek』のねっとりさとはまた違った、フォービートによるつるっとしてそうで妙にハネたテンポとより弾みの付いた伴奏による、強力なバウンド感が全体を貫いていく。イントロのアダルティックで怪しい感じはすぐに解けて、楽曲構成はロックンロール的なクリシェ感も交えながら、ユーモラスで豪快なブリッジのリズムチェンジとそこから元のバウンドビートに戻るときのドライブ感が強烈。

 こういう曲はLevon Helmのボーカルやろ、と思うけど意外にもRichard Manuelが担当してる。彼のソウルシンガー的な素質がここでは縦横無尽に発揮されていて、この人も繊細ばかりの人じゃないんだなあホントに、という気になる。バウンドするリズムに合わせたような言葉の乗せ方がまた強烈で格好いい。唾や汗が飛んできそうな勢いがあるっていうか。

 

11. The Great Pretender

(1973年 5th『Moondog Matinee』)

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 アルバム『Moondog Matinee』はThe Bandで唯一の全編カバー曲によるアルバム。彼らが「幻想としてのアメリカンロック」を作り上げていく際にはそれまでの様々な音楽を参照し研究してきた訳だけど、そう言った作業の元ネタになってたんであろう古い楽曲たちをここではThe Band流の演奏によって大体自分たちのものにしてしまってる。中には日本でもビールの宣伝で有名な『The Third Man Theme』なども収録されている*14。またElvis Presleyで有名な『Mistery Train』のカバーは当時の彼らの“本気”のファンクネスが漲る名演だと思う。

 けど、ここで選曲したのは、コーラスグループThe Plattersの1955年のNo.1ヒット曲として知られる3連符のポップスのカバー。

www.youtube.comQueenのFreddie Mercuryがカバーしたことでも知られる。こっちは時代が時代だからか、見事な80年代ポップスになってますね。。*15

www.youtube.com

 The Bandはここでこの曲を、原曲の雰囲気を程よくいなたくした程度の、割と穏当な演奏にてカバーしている。ピアノがコードを連打する感じはまさにオールディーズ的な伴奏のスタイルで、その周りをいろいろ手を凝らせているけども、やはり中心はピアノと歌、という感じ。ピアノとソウルテイストな歌、ということで、Richard Manuelがボーカルを取っている。半分を超えたことだし改めて言うけど、このリストは明らかにRichard Manuelを贔屓している。彼のボーカルは本当に、やや静かな伴奏の中では実に映えるものになるなと、この曲を聴いても思う。

 あと、歌詞は別に原曲のままだけど、どうにも彼のその後を知ってる身からすると、皮肉な感じもしてしまう気がした。というか彼自身の書く楽曲の歌詞と雰囲気似てるな。選曲はRichard本人だろうな。

 

ああ そうだ ぼくは偉大な名役者さ

お一人様限りの世界を漂ってる

ゲームをしてたのが 本当に恥ずいことになった

きみが去って ひとりで夢を見るばかり

 

12. Ophelia

(1975年 6th『Northern Lights-Southern Cross』)

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 The Bandでも最もユーモラスで軽快で快活な調子の曲はこの曲かと思う。Robbie独裁体制でピリピリした雰囲気も感じられるアルバム『Northern Lights-Southern Cross』の中でもこの曲含む数曲が割と軽いのが功を奏して、決して重苦しいアルバムにはなっていないのがいいところ。まあそのバランス感覚を決めてるのもRobbieなんだけども。やロク…(やっぱロビーはクソだな、の略)。

 演奏が、The Bandの他のどの曲よりも喜劇的な雰囲気に溢れている。喜劇的に少しハネたリズム、ファニーな掛け合いをしていくギターとトランペット。特にトランペットの無神経な振る舞いは「酔っ払ってんのか」って感じで最高。曲の終わり方の計算され尽くしたグダグダ感とか。全体的に19世紀の劇か何かみたいな、もしくはサーカスの音楽みたいな、呑気でユーモラスな感じが徹底されいる。ヴァースからブリッジの繋ぎは最早ギャグのような突っかかり方。しかし間奏では、トランペットを差し置いてギターソロをかなり長い尺で弾きまくるRobbie Robertsonの姿が。いつからか彼のトレードマークになったピッキングハーモニクスを多用しまくったピキピキしたソロはユーモラスながらも、この長さをずっとこれで弾くのは地味にかなり壮絶。さりげなくバカテクを披露してる。「The Last Waltz」は絶対にここ録り直ししてるでしょ…。

 そして、こういうひらすらに可笑しく明るい調子には、溌剌としたLevon Helmのボーカルが実によく合う。そんな喜劇的な曲だけど、勢いよく歌い放つLevonの歌ってる言葉は、よくよく聴くと男女の別れの歌。これもどこか喜劇調な可笑しさを備えてはいるけど、でも所々にキリスト教的な単語も潜んでいたりして、Robbieの手管のいい意味での癖の悪さが伺える。そもそもタイトルがシェークスピアハムレットのアレだもの。

 

誰かがなんか言うたんかな

いや 言うて俺らがルール破りしたんも判るよ

でも 誰かが法を侵したわけやなかろ?

ハニー!解ろうもん おめえのためなら死ねるったい

 

連中 あの娘の電話番号アレして怖がらせて逃げて

でもオレはキミの「再臨」ば待っとるばい!

オフィーリア マジで帰ってきてください

 

13. In A Station

(1968年 1st『Music From Big Pink』)

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 Richard Manuelが書いた楽曲の中で最高傑作。ぼくも彼の曲で1番好き。

 というかなんか、この曲では1人だけ、The Band的なサウンドの感じを超越して、本当にBrian Wilsonとかと近いような音世界になってしまってる。ここにはThe Band的なアーシーさとかなくて、ひたすらノスタルジックとサイケデリックが入り混じって不可分になってしまった、綺麗なままにひしがれた世界が美しく広がってる。これを聴き込めば聴き込むほどに「どうしてこの人The Bandにいたの…?」と訳が分からなくなるような、そんなセンチメンタルさと途方もなさとが交錯するイマジナリーでファンタジックなポップソング。

  

 この摩訶不思議な音世界を作り上げてるのが、十中八九Garth Hudsonによるものと思われるシンセサイザーの非現実的にポワポワしたサウンドというかGarthさん、当時すでにこんな音出してたんすか…他の曲でこんな音出さんやないですか…!1968年というのが何年のことだったかが分からなくなってくる。このシンセの存在が圧倒的すぎて、他のアコギとかの音が全然聞こえない。ここまでRobbie Robertsonの存在感が薄いThe Bandの曲も珍しいかも。

 そしてその中心にあるのは当然、Richard Manuelによる曲とメロディと歌。フワフワしてつかみどころのないようなメロディ展開はやがてひとつの収束を迎えて、その後にはとてもノスタルジックなファルセットが響く。コーラスワークまでThe Beach Boys的なファンタジックな具合で、そしてそれらが無造作ではなく、極めて的確に配置してある。不思議な音世界の中を漂うような彼の声は、他のどの彼が歌う曲よりもぼんやり気味で、頼りなく、でもイノセントな具合に響いてくる。そのイノセントはでも、ずっと抱えていたらボロボロになってしまうような類のやつだっていうのが、音からも歌からも歌詞からも解ってしまう。

 

かつて 駅のホールを歩いてたら

誰かがきみの名前を呼んでいた

通りでは子供達の笑い声が聞こえた

それらが 総て同じに聞こえてしまう

 

どうかしら

きみはぼくのこと知ってるだろうか

ぼくの生きれる理由を知ってるだろうか

ぼくに教えられるものなんて何も無いか

人生は 殆ど何もくれやしない

 

かつて 山肌を登ってたら

そこに実ってた野生の果物を食べた

月明かりで目が醒めるまで眠ってた

そしたら きみの髪を味わえた

 

みんな夢を見てるんじゃないの

そしてぼくが聞く声は現実なんだ

狡猾な考えを総てくぐり抜けた先で

僕たちは何か感じられないのかな

 

むかしむかし ぼくは空っぽの時にいた

明日なんて来ないんだ

ぼくはきみの笑い声のサウンドを歌えた

それでも きみの名前は知らない

 

きみに償う何かがないといけない

きみがくれた良いものすべてを棄ててもだ

ある噂がきみのことを遅らせてくれるならな

愛なんて 殆ど何も言えやしない

 

この曲の歌詞にはまさに、彼の世界に対するスタンス、“孤独”という世界観が端的に詰まっている。歌詞を全部読んで思うのは「誰かこの人を救ってあげられないのか」ということ。ここにいるのは『Pet Sounds』の中にいた不安げな青年と同じ、いや、なぜかもっと病みきった純真だ。この純真は、どこにも辿り着くことがない。ひどく孤独な類の純真だ。どうしてきみは音楽を好きになって、音楽が上手になって、こんな時代を作るバンドの中にいて、こんなにひとりぼっちの曲を作っているんだろう。この曲は非業の死を遂げたカルト的女性シンガーKaren Daltonがカバーしていることでも知られるが、そちらももの悲しげだったけれど、彼女はこの青年の悲しみを知ってたんだなって、今回ちゃんと歌詞を読んで深く思った。

 ああ、もっと彼がこういう感じの曲が作れるようにThe Bandが機能していたら。アルコールやドラッグにはまってダメになることを回避できたら。解散後でも誰かがサポートした結果こういう曲がいくつか入ったソロ作品を作れていたら。そんな作品が作れるまで、彼の自死を遅らせられたら。

 すべてはとっくの昔に終わっていて、なんなら彼の自死とか、バンドの解散とかよりもずっと昔に、彼の中では何かが終わってしまってたんだろうか、と思った。だとしたら、そんな終わってしまった地点から始まった彼にとってのThe Bandのキャリアって何の意味があったんだろうか。人生はやっぱり、殆ど何も彼に与えてくれなかったんだろうか。

 せめて、そんなことはなかったはずだって思いたい。それはそれとして、歌詞の中身やその感覚については、とても共感を覚えてしまう。

 ちなみに、こんなほとんどシンセポップみたいな曲ライブで演奏できるのか…と思うけれども、実際にはもう少しその辺のアレンジをシンプルにして全然ライブで演奏されてる。ライブだとよりアーシーな質感が強調されるけど、これはこれでサイケデリックかもしれない。

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14. Across The Great Divide

(1969年 2nd『The Band』)

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 この曲もRichard Manuelボーカルだけど、でもこれは完全にRobbie Robertsonによる作詞作曲なので、Richardの病んでる面など見なくて済む。いいぞロビ公。名盤中の名盤の2ndの先頭を華々しく飾る、彼らの代表曲のひとつ。

 タイトルにある「The Great Divide」とはアメリ北米大陸を縦に貫く「偉大なる分水嶺」、つまりロッキー山脈のこと。呑気なシャッフル調の楽曲はいかにも軽快なアメリカンだけども、そんな歌で「ロッキー山脈を越えて」と歌われるのはとても不思議な感じ。Robbieはいつも明るい曲でこういうことする。

 楽曲だけを聴いていくならば、冒頭の壮大そうな始まり方からすぐに実に呑気なスウィングのリズムに切り替わるところはとても喜劇的。あとはひたすらその喜劇調な軽快さ・明るさ・おとぼけを続けていく。ひたすら小気味好く挿入されていく楽器群。特にトランペットの鈍臭い感じは実に楽しげでワイルドなアメリカン。間奏のプレイとか実に飲んだくれのろくでなしみたいな雰囲気が最高に雰囲気ある。所々でブレイクしてはバタバタフィルを打つドラムも可愛らしいし、演奏から湧き出る穏やかな幸福感は彼らの楽曲でも最も幸せそうな類かも。むしろこういう曲ならLevonボーカルっぽいかもとかも思うけど、でもRichardボーカルだ。彼もここでは伸び伸び歌ってて、実に楽しげなムードを作り出している。

 しかし歌詞の方では、結構に不穏なことが起こっている。Robbieの人生観は一体どうなっとるんだ…。歌い出しからして剣呑で笑う。

 

痛苦を患って窓際に立ち その手にはピストル

愛しのモリー 跪いて請い願うよ

できる限り きみの男のことを分かってやっておくれ

 

こういう感じの歌を実に楽しげに歌うという底意地の悪さがThe Bandの根底に横たわっていて、正統派バンドと、バンドの中のバンドと思われてる素敵な人たちが実はこんな性格の悪い感じだったなんてみんな知ったらどんな気持ちになるかな。やロク…。

 

15. The W.S. Walcott Medicine Show

(1970年 3rd『Stage Fright』)

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 アルバム『Stage Fright』が結構好きで、この雑でよく分からないジャケットもこれはこれでなんか鮮やかで悪くない気がしてる。確かに目新しいルーツ風味は薄まっているけれど、その分楽曲のポップさや演奏の趣向がストレートに伝わりやすい作りの曲が多い。楽曲自体の出来も平均点で別に1st・2ndを下回ってる気がしないし、こういう気楽な感じの佳曲も良い具合の曲順で収録されてる。「アルバムは無観客のライブ形式で録音された」というエピソードについては、各楽器の音が良すぎない…?と思いはするけど。

 この曲の、別に特別溌剌としてるわけでもなく、特別技巧的に優れてるわけでもないけども、少しヒネた調子にポップになったりスットコドッコイな展開をしたりするユーモラスな感じの佇まいが好き。アルバムの中盤にこういうのが1曲あると作品のユニークさの広がり方が変わってくるよなあ、と思わせる。Robbie Robertsonっぽくないギターリフが前面に出たイントロがあったりするところも実にユニーク。彼はあんまり自分の演奏が前に出すぎるのを好まない。間奏でもダラダラグダグダしたサクソフォンのプレイがなんとも抜けが悪くて、この曲らしい変な残念さがあって楽しい。

 メインボーカルはLevon Helm、及びRick Danko。なかなかこのリストだとメインがなかった、コーラスワークに回ってばっかりだったRickがだけど、ここではブリッジ部のセクションのヤケクソ気味な高音部を楽しげに渋みを効かせて快活に歌ってる。

 

16. Georgia In My Mind

(1977年 7th『Islands』)

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 このリスト最後のRichard Manuelメインボーカル曲。ジャズのスタンダードナンバーであり、ジョージア州の州歌にもなってる。こんなすげえ良い曲が州歌なのかジョージア州Ray Charlesにより1960年のカバーが広く世に知られていて、Ray Charlesの大ファンだったRichardの持ち歌として、古くはThe Bandの元になるRonnie HawkinsのバックバンドにRichardが加入する際にはこの曲をショーの前座で披露したことにより声が掛かったという。彼の非常に大事な楽曲のカバーを活動の最後の最後にこうしてアルバムに収録できただけでも、“出涸らし”アルバム『Islands』には大いに価値がある。やるじゃんロビー…。

 ここでの録音は1976年。当時の大統領選でのジョージア州出身の候補Jimmy Carter(のちに大統領)の選挙応援として録音されたというやや扱いづらい事情で存在してるトラックだけど、ここでのRichardの歌唱は彼のThe Bandにおける最後の名唱で、実際に、当時完全にボロボロだったであろう彼が、まるで最後の気力を振り絞るように激しい強弱のコントラストをつけて歌う姿は、否応無しに聴く者の胸を打つ。

 そもそもの楽曲の始まりの、MOTHER2サウンドみたいに歪んだシンセから、非常に静寂の効いたスロウな演奏が始まる段階で、このThe Band史上でも最もシックな演奏の雰囲気が香る。薄らとムードを作るパッドシンセ、ジャジーさ・アーシーさの中に所々でノイジーな癖も効かせるギター、実にリラックスしたR&Bマナーを透徹するリズム隊、という、普段の「基本どこかおちゃらけた楽団風」みたいなThe Bandから遠く離れた、実に厳粛でジェントルな演奏によって、このRichard最後の花道が美しく用意され、そしてそれに応えるが如く、ボロボロの身体を通り越して、どこか別の世界・精神の彼方から激しく太い声を引きずり出して絶唱するRichardの姿が、その壮絶さが、ひどく感動的で仕方がない。

 『Islands』収録のRichard Manuelが歌う3曲はどれもThe Band流のR&Bといった趣の楽曲で、確かに普段のアーシーな楽曲ばかりのアルバムには収録がしづらそうなところがある反面、それらのトラックの素晴らしさは他のThe Bandの名曲・佳曲とも全然劣らない、むしろ現代の耳からすれば「バンド演奏のアーシーさを保有したままR&Bをやるためには」というテーマのヒントに満ちたトラックに仕上がってると思う。ヘンテコでオリエンタル風味なインストのタイトル曲等も含めて、最高な“エンディング後”アルバムだと思ってて、やロク…な事情で生まれた作品とはいえ、これがあってくれて本当に良かったと思う。

 

17. Stage Fright

(1970年 3rd『Stage Fright』)

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 このリストも終盤戦、という具合。「1st・2ndが大盛況なのはいいけどライブコンサート怖いよ疲れたよ嫌だよ逃げたいよ〜」がテーマという自虐的な3rdアルバムのタイトルトラック。そもそも楽曲名をそのままタイトルトラックにするというのがThe Bandでは珍しい*16。というかこのアルバムから4曲目の選曲で、ぼくこのアルバムほんと好きだなあと思う次第*17

 「ステージ恐怖症」というタイトルのとおり、ライブの繰り返しで疲弊し神経が不安定になってきてる自分達のパロディをコミカルに演奏する、という実に自虐的な楽曲。イントロからしてどこかサーカスめいた躍動感の演奏が特にピアノとオルガン中心に展開されるけど、歌に入ってくると、少し怯えて落ち着かないまま躍動感で駆け抜けるヴァースと一時的に落ち着いて自身を客観視するようなコーラス部とか繰り返され、その情感の変化を躍動感のコントロールを極端につけたピアノやドラムと、そしてRick Dankoのボーカルの歌い分けによって的確かつオーバーに表現してる。Rickメインボーカルで有名曲は他の2人に比べてやや少ないけど、これは強力な1曲。ヴァースのドラムはタムを多用した、Levonのプレイでも珍しい感じのするもの。彼がボーカルを取らないセクションだからこそ可能なプレイでもあるのか。

 歌詞も、第3者からの視点にしつつも、かなり徹底的に「ステージで緊張等により具合が悪くなる自分」を戯画化した内容になってて、ここにはややオーバー気味におどけながらも、少々作詞者Robbieの心の底の疲労の感じが感じられる。お疲れロビー

 

今 そのロンリーボーイの心の深淵

一体誰が彼のしたことでそんなに傷ついたやら

彼らがあの田舎の坊やに富と名声を与えて

その日から彼はもう彼じゃなくなってた

 

ステージ恐怖症に冒された男だよ ご覧

気力全部振り絞ってそこにただただ立ってる

そして彼はスポットライトをその身に受けた

でも 終わり頃には全部やり直したくなってるんだ

 

 何もかも上手くいっていた1st・2ndの時代が終わり、疲弊と退廃によりバンドの崩壊が始まっていたことを、この曲をはじめアルバム『Stage Fright』では所々にて示していた。それは戯画化するには少々無理のあるテーマだったのかもしれないけど、そんなこと御構い無しにこれ以降この曲も頻出のレパートリーにして演奏し続けたこのバンドはなんだかんだで屈強だなあと思う。

 

18. Jupiter Hollow

(1975年 6th『Northern Lights-Southern Cross』)

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 『Stage Fright』で始まっていったバンドの崩壊のことを思うと、長年の雌伏を経てRobbie Robertsonがアルバム『Northern Lights-Southern Cross』でバンド内独裁をしてでも「また良い作品を!」と奮起したことは、ただ責めることもできないし、かといって手放しに賞賛できるわけでもない。その辺の、順風満帆でない、苦々しいままなのに圧倒的に素晴らしいこのアルバムの、その不思議な歪さの調和がとても好きだ。お疲れロビー

 そんなRobbieのテンションがバグったのか、まるで幼児退行したかのようなホワホワ不思議ポップとなったのがこの曲。アルバムには何曲か明るい曲調の曲も入っているけど、この曲は明るいを通り越して、魂が別の世界へ遊離してしまったかのような、非常に唐突に何もかもユルい天国の夜空を泳ぐような、そんな楽曲。はっきり言って滅茶苦茶好きな曲。これが1番好きな曲かもしれない。

 何も知らない人がこの曲のイントロだけを聴いてThe Bandの曲と思うだろうか。ひたすらファニーに反復するクラビネットにオルガンに各種シンセ類、というサウンドはファンシーでスペイシーで享楽的。この辺はおそらくGarth Hudsonが各機材をフル動員して作り出した音像なのかなあと思う。これはこれでシンセポップと呼べるのでは、というサウンドが、ひたすら惚け続けるような朗らかなコード進行とメロディに乗っかって楽しげ。間奏でも雄大な星空がのんびりグライドしていくかのような風景が広がってく。

 でもコーラス部でちょっと寂しく感じれるのは、短いサイクルのメロディのリフレインとその余韻の残し方の妙。フィルを転がしてパシ!パシ!とハイハットでキメを入れるドラムもとても可愛らしい。ボーカルはLevon Helm。彼のブライトな声がこんなに和やかに響く曲も他に無く、歌詞の内容も踏まえて、その和やかさにどうしても黄昏の感じを覚えてしまう。ファンタジックでありながら、お互いにぶつかり合わずに通り過ぎていく星々のごとくすれ違っていくそれぞれの「世界」みたいなイメージで、Robbieの弱い部分がキラキラと流れ出す。

 

新たな未踏の地を歩いてくみたいに

何から始めればいいのやら真っ白

気がヘンになっても誰も救ってくれないし

胸の奥の亡霊だって解放されやしない

 

違う世界に住んで 違う時を行く

こっちに飛んできた彗星みたいに

違う世界に住んでる

 

もし「違う世界に住む」の意味が「俺様とお前らとでは住んでる世界が違うんだよ弁えろクズども」みたいな意味だったら…見損なったよロビー、やロク…

 

19. It Makes No Difference

(1975年 6th『Northern Lights-Southern Cross』)

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 The Bandの黄昏の果て・諦観の最終地点のような楽曲。もしくは彼らにとっての『Hotel California』みたいな楽曲か。まあこの曲の方がリリース先だけど。マイナー調全開の『Hotel California』に対してこっちはコード自体はメジャー調だけども。

 The Bandの黄昏、となると即ち楽曲も歌詞も書いてるRobbie Robertsonの心情ともなるけれども、この曲ではまさに彼が冒頭からギターを虚しい熱情のままに巻き上げ、ゆったりした曲のテンポに先鞭をつけていく。そこから始まるかなりゆったりしたテンポで綴られるのは、まさに黄昏に照らされて何もかもふやけきってしまった世界の中である男が嘆きを叫び、唸り、力なく呟く様。特に、咆哮し嗚咽するヴァースに対する非常に穏やかに声を重ねたコーラス、という流れがよりこの曲の力無い感じを思わせる。この大役たるボーカルはRick Dankoが務めていて、彼のThe Bandで歌った曲でも最も有名でかつ楽曲の情感を壮絶に引き出した名唱となっている。

 ゆったり茹だったテンポ、アダルティックな黄昏の感じの色濃く出たウェットな演奏、かなり厚めのパッドシンセ、感情に濡れまくって暑苦しいボーカル、そしてそれっぽいサクソフォン、といった要素が集まって、The Band版AORという趣。The Bandのダッドロック的な部分が最も出てしまってる楽曲でもあるとは思うけども、そうだとしても、いつに無く歌が終わってからも延々と演奏を繰り返してしまうアウトロの、泣きのギターになり過ぎないように気を遣いながら延々とギターを弾くRobbieの姿は、この曲に滲ませすぎた鑑賞と諦観を気恥ずかしくて希釈しようとしてるようにさえ感じれる。

 

どれだけぼくが遠くまで行こうと 何も変わりはしない

傷跡みたいに 痛みが常に浮かんでしまう

そして ぼくが誰に会おうが何も変わりはしない

皆 行き止まりの路地の人だかりの表面でしかない

 

そして 太陽はもう輝くことをしない

そして ぼくの戸口に雨が降り注ぐ

 

この、厭世の感じ。もはやここには、自身の嘆きを戯画化しようとする余裕は無い。ここで余裕たっぷりのようなラストリゾートな演奏に包まれながら紡がれる言葉はどうにも、Robbieという人間からいくらでも滲み出てくる悲観にまみれている。この曲を録音してる時に彼以外のメンバーはこの悲嘆の大げさな具合とその深刻さに何を思いながら取り組んでたんだろうか。お疲れ様、ロビー

 

20. Don't Do It

(1972年 Live Album『Rock Of Ages』)

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 プレイリストの最後は彼らのライブで定番となっていたこの、Marvin Gayeの楽曲のカバーをライブ盤より選曲して終わることとした。

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それにしても、Marvin Gayeの60年代の楽曲の幾つかは本当にロックバンドの“触媒”としてよく出てくるなあ、と思う。70年代に入ってソウルミュージックがロックとは別の深い世界を形成していく前の、1960年代という、まだR&RとR&Bとポップソングが混ざり合ってるような感じがしてた時代の楽曲だからかな。

 冒頭のベースとドラムだけで、この曲のポテンシャルをThe Bandがどう引き出そうとしてるか、その後に続く濃厚なグルーヴの感じが想像される。ダラダラと膨張し続けていくようなグルーヴの”予感”の提示として実に魅力的。演奏が重なり出してからは、The Band流のソウルミュージックの組み立てがとぐろを巻くように構築されていく。それはスワンプロック的な粘性と乾きの具合にも感じられるし、ファンク的な方面のブラックミュージックの純度も十分に感じれるし、その辺はもはやどっちだとか区別するものでも無いんだと思う。やはり熱烈に歌唱しながらもこの重心をグッと下げたグルーヴの中心をドラムで構築していくLevon Helmという人の技能と表現力は物凄い。彼こそThe Bandのサウンドを最も体現する男だったんだなあと、歌とドラムでこの重力的なグルーヴの中心に居続ける人物の様を見て感じて感じ入る。

 The Bandのオリジナルメンバー最後のライブ演奏「The Last Waltz」でラスト前の曲として演奏されたのはこの曲。だけども演奏としては”最後のパーティー”仕様なラストワルツ版よりも1972年のライブアルバム『Rock Of Ages』に収録のものの方が演奏もタイトでグルーヴのうねりも強烈だと思う。彼らの純粋な演奏力・表現力の暴力とでも言うべきこの楽曲の、ただひたすら同じ展開を繰り返してるだけなのに引き摺り込まれていくような力の中に、ずっと居れたらいいのにな、と時々思う。

 

・・・・・・・・・・・・・・・

終わりに

 以上、いまひとつまとまりの無い記事だったかもしれませんが、映画の公開を受けて、彼らについて書きたいと思ったことを全て出しきりつもりで最後まで書きました。ここまで読んでいただいた奇特な方々においては大変ありがとうございました。

 The Bandが今でも様々な場面で語られるのは、彼らがフォクロックとも、カントリーロックとも、スワンプロックともカテゴライズされない、様々な風にしようがあって、またそのように様々に演出してみせよう、という、ある意味では邪な趣向とそれを表現できる能力とが備わっていたためだと思います。5人集まれば強靭なグルーヴを生み出すし、偏執狂的な総合演出家たるRobbie Robertsonの傑作主義的な部分も良し悪しありながらも、結果として多くの名曲・名作を残すことに結実した。

 本当に一番悔しくて悲しいのは、Robbieと肩を並べられる、むしろRobbieとは全然違う世界を生きていたであろうRichard Manuelという才能が、ボロボロになって何もできなくなっていったことだと思います。彼の場合本当に、The Band開始地点から精神的にボロボロだったということが今回調べて非常によく分かり、しかしだからこそ拓ける音楽的な世界観も確かに存在していた、ということが何とももどかしく、しかしながらそういった才能を失いながらも、それでもなおシンガーとして素晴らしすぎる録音を残し続けた彼のことを、本当に想います。

 Twitterでフォローしてるアカウントの人が、Richard Manuelの歌う楽曲のプレイリストを作っていました。彼に興味が湧いた方はぜひこちらも聴いてみてください。

 

 今回は流石に量がすごいことになったなと思いますが、ぼくがThe Bandについて言いたいことの大概が言えたので良かったです。20曲リストに加えられるものなら加えたかった曲を5曲選ぶとすれば『I Shall Be Released』『King Harvest(Has Surely Come)』『Hobo Jungle』『Rags And Bones』『Right As Rain』です。

 以上でこの記事を終わります。ここまでこんな長い文章を読んでいただいてありがとうございました。最後に…やっぱロビーはクソだな。お疲れ様ロビー。

*1:『The Weight』『The Night They Drove Old Dixie Down』『Up on Cripple Creek』のいずれもメインボーカルを務めているのが大きい。

*2:この記事を書いてる頃の少しまで繰り広げられた2020年の大統領選の始まる直前

*3:後述するけど、この構造の例外となるのが、根っこがまずSSW的な、Richard Manuelのペンによる楽曲、ということになる。

*4:Richard曲以外にももちろん例外はある。『Stage Fright』とか。この辺も後述。

*5:しかしこれは事実に反している。『Music From Big Pink』はそのアルバムタイトルの示すウッドストックの田舎ではなく、普通にニューヨークやロサンゼルスの1流スタジオで録音されている。後述するように音が良いのは、別に田舎な環境でそういう空気感まで録音できたのではなく、都会のスタジオでそれっぽく技巧を凝らした成果だった。もちろんその「それっぽく技巧を凝らした」の強度がハンパないために歴史的名盤になったのだけど。

*6:ライブでは結構ハイハットやライドが目立つ演奏をしてたりもして、スタジオ音源では意図的にシンバル類の音を抑えてたのかもしれない。

*7:キックとスネア、ハットの3点だけで済ませるのが多いのは、歌いながら演奏することによる制約もあったのかもしれない。タムまで手を伸ばすと口とマイクのポジションがずれてしまいそうだし。

*8:テンポが基本ゆっくりというのもあるけど、そのゆっくりの中で生まれた細かい拍子に絶妙なリズムと音の強弱のコントラストをはめ込むそのスネアワークは、打ち込みで再現できる気がまるでしない類のもの。人力の極み。

*9:この人達も本拠地はロサンゼルスで、別に南部じゃないんだけども。

*10:少し前にドラッグによる悲しい死を相次いで体験してどん底にあった癖に何してんだこいつ、という感じが強くて、笑っていいのか反応に困るエピソード。

*11:The Bandの他のメンバーは解散後にソロ作品をそれぞれリリースしていて、The Band当初から曲を書いていた彼だけ何故…という思いが余計に強くなる。

*12:ベスト盤に収録が初出、というよく分からなさ。

*13:楽曲は当時の最新だけども

*14:実にとぼけた演奏だ…。

*15:検索して知ったけど、どうもこのフレディバージョンを主題歌にしたオリジナルアニメが今年の7月にあってたらしい。

*16:このほかは『Islands』のみで、しかもその『Islands』は腑抜け切ったインストだし。

*17:初期2作よりも全体的に作り込みがラフで軽快な分、演奏にも楽曲にも風通しの良さがある感じがします。