世の中に存在するポピュラーな音楽の大半は4の倍数のリズムで出来た楽曲です。いわゆる8ビートとか16ビートとかそういうやつです。拍の数を数えてみてください。大体1小節*1のうちに8回か16回、均等にシンバルが叩き込めるようになってると思います。
ただ、世の中には、決して多数派とは言えませんが、8や16ではどうもタイミングの合わない音楽があって、それらのうちの多くは3の倍数でリズムが構成されていることが多いわけです。所謂「4分の3拍子」だったり「8分の6拍子」だったり、もしくは人や場合によっては「三連符」などと呼ばれたり。
今回はそういうのについての記事です。3の倍数のリズムのみで構成された40曲をそれぞれ見ていく感じです。例によって最後にプレイリストもあります。
初めに(様々な整理のための項目)
”4分の3拍子”と”8分の6拍子”って違うものなの?
きちんと勉強した訳ではない、ネットで調べて書いているので、”違うもの”として捉えると分かりやすくなる時がある、くらいにここでは書いておきましょう。6/8っていうのは約分したら3/4になるので不思議に思うこともありますが、でも拍の捉え方としては結構この2つはそれなりに違うものと思います。
”4分の3拍子”の方はワルツのリズムです。「ワン、ツー、スリー」の3音で1つのサイクルを構成する形になります。
”8分の6拍子”の方は、あくまで1小節は4音(8音?)で構成しつつ、その1音が3分割されている形となります。言葉にすると「ワンツースリー、ワンツースリー、ワンツースリー、ワンツースリー」で1小節、みたいな感じでしょうか。
擬音で言うなら、「タンタンタン、タンタンタン」で1小節となるのが3/4で、「タタタタタタ、タタタタタタ」で1小節になるのが6/8という感じ?
なんとなくですが「大きな3音のリズムで進行するのが3/4」、「3連続の細かい音がどんどん連なっていくのが6/8」くらいの理解でいいんじゃないでしょうか。でも、曲のテンポや雰囲気によっては、どっちなのか判別がつき辛くなることもある気がします。そういう時は「ともかく4の倍数のリズムじゃなくて3の倍数のやつっぽい!」くらいに思っておけば、聴く分には概ねOKなんじゃないでしょうか。楽譜読んで演奏しないといけない人とかはきちんと判別しないとなのかもですが。
8分の6拍子?三連符?シャッフル?
この辺がまたややこしいところ。
”三連譜”というのはあくまで、1音を3分割した譜割りのことを言うそうで、なので別に普通に8ビートの曲でも三連のリズムがあればそれは三連符ではあるんだと思います。しかし実際は”三連譜”は概ね8分の6拍子のリズムのことを指して使われているように思われます。ただ、確かに「本当にただ8ビートの曲の1音を三連符で演奏しているだけ」みたいな曲も世の中にはあったりするから、そういう曲が8分の6拍子と読んだ方がいいのかどうかはよく分かりません。以下は例です。
そして、8分の6拍子はシャッフルのリズムとも深い関わりがあります。大雑把に言えば、8分の6拍子の3音の連なりのうちの真ん中の音を抜けばシャッフルのリズムっぽくなります*2。アメリカンなお馬さんの「パッカ、パッカ」と歩くあんな感じのリズムですね。あくまでも拍子の取り方は4の倍数でありつつも、2音の間に程よいもたつきが生まれるあの感じ。
クラシカルで学究的な感じのする”8分の6拍子”という概念と、田舎のいなたさの中から出てきたような”シャッフル”が繋がるっていうのは不思議ですけども、カントリーで3連の音がうまくハマるのも、そんな構造だからなんでしょう。なので、上の「8分の6拍子っぽく感じれない三連符の曲」も変則的なシャッフル、と捉えた方がいいのかもしれません。
なお、そんな構造をしているため、時に8分の6拍子とシャッフルは区別がかなり曖昧になることがあります。後で例も示します。むしろ、そうやって曖昧にできるからこそ、この二つを同じ曲でセクションによって使い分けるリズムアレンジなんかも色々あるかと思います。
どうして3の倍数のリズムなんか使うの?
「別に8ビートとかそういうのだけでいいじゃん。要る?」
こう問われると、もうあとは「そのアーティストの作風次第じゃないですか…」という感じになります。
実際ポピュラー音楽の世界では、4の倍数のリズムをメインで作曲する人が殆どで、作品が3の倍数ばっかりという人は珍しいとは思います*3。中には、3の倍数の曲が滅多に出てこない音楽ジャンルも結構あります。パンク・ニューウェーブとか、ヒップホップとかでは、8ビート(や16ビート)を基調として作られているものが支配的で、3の倍数のリズムはかなりの変化球な感じがします。
3の倍数のリズムはポピュラー音楽において”変化球”というイメージがあります。でも、根本的にリズムが8ビートなどと違うことから、8ビート等では出せない類のニュアンスが出力できることは間違いありません。なので、作り手が3の倍数の曲を作るのは、意識してか無意識にか、そういう独特のニュアンスを求めていたからなんだろうと思います*4。
ただ、3の倍数の拍子はその性質上、「使えるBPMの幅が限られる*5」「ドラムのフィルのパターンが制約される*6」「無機質な感触を出しにくい*7」といった欠点があるようには感じます。どちらかと言うと、4の倍数のリズムが開拓され過ぎたため出てきたデメリットなのかもしれませんが…。
3の倍数のリズム特有の性質
3の倍数のリズムの楽曲から感じられる特性を、以下いくつか挙げてみます。8ビートの直線的な性質とは異なる”膨らんだビート感”をどういう方向で活かすか、という話なのかもしれません。
①クラシカルな優雅さの演出
元々ワルツもクラシック音楽の枠組みの中で出てきた音楽概念ですし、そもそも4分の3とか8分の6とかいう考え方自体クラシックにおける楽譜の書き方から出てきたものですが、そういったクラシックの雰囲気に先祖返りする効果は、すっかりポピュラー音楽化した4の倍数のリズムよりも3の倍数のリズムの方がある気がします。クラシカルさはまた、どこか演劇的な効果も生むようです。
むしろ作り手側も、珍しく4分の3拍子の曲を作ったらタイトルに"waltz"という単語を入れ込もうとしたりする例が多々あります。でも、こうすることでクラシカルな雰囲気が結構出てくることも確実にあることから、「可愛いか〜」と笑ってばかりではいけません。
②民謡・民族音楽っぽさの演出
今でこそポピュラー音楽に毒されて4のリズムが基本になってしまった世界の感じではありますが、昔の市井の音楽では3の倍数が基調だった文化が多々あり、なので実際に3の倍数のリズムで形作られた民謡は様々あります。
こういった要素を引き出すために3の倍数のリズムが用いられる場合があります。それは時にどこかの、都会ではない光景を放浪するような情緒が生まれます。なんとなくですけど、3の倍数のリズムだと、自動車に乗ってる、というよりむしろ足で歩いてるような感じがします。しませんか?この心細くなるような、でも緊張から解かれたリラックスした風でもあるようなこの感じ。
③ジャズっぽさ・洒落た感じの演出
まあ、ジャズっぽく演奏・演出すれば3でも4でも5でも洒落た風になるとは思いますが…。こっちの性質を重視すると、曲の感じはむしろ都会的な情緒を帯びてきます。都市の哀愁、っていう感じ。こっち方面からソフトロックやポストロックに接近する例もいろいろあるように思います。
④優しさ・慈愛の表現として
古くからポップス等で用いられてきた”三連バラード”の系譜。正面切った感じになって時にクサくなりすぎる4の倍数バラードでは出せない、3の倍数だからこそのジェントルさがあるように思います。まあ3の倍数だってやり方を間違えればクサくなるとは思いますが。
⑤荒涼感・退廃感の表現として
上記④と真逆なこちらの性質は、ブルーズ由来のシャッフルのリズムから輸入された感覚なのかもしれません。もしくは上記②の辺境感と隣り合わせの世界観なのでしょうか。どこか粗暴で、ゆったりと空虚な感じが、場合によってはサイケデリックな音などとも合わさったりします。
⑥情熱・エモーショナルさの発露として
2種類あります。
- A:ひとつは3の倍数リズムの大きく取られたリズムの隙間に、歌い手のソウルフルな激情が染み渡るようなトラック構成。上記④からの派生、という感じ。R&B的な
- B:もうひとつは、特に8分の6拍子で、三連の音全部をびっちりドラムやギター等の音で埋めることで強く生じます。ざわざわと熱情が沸き立つような音は、上記④の性質をもっと激しくオーバードライブさせたような感じなのか。ただ、見ようによっては”ダサい”具合にもなるため、こちらは特に上記③と共存することは困難な感じがします。
⑦8ビートの尺削りの結果の8分の6拍子
これは上記までとかなり事情が異なっていて「8ビートの6音目でサイクルが強制終了して次にサイクルに移る」という構造で、結果として8分の6拍子になる、という感覚です。つまり「4+2=6」のリズム。このパターンの場合、リズムの直進性は往々にして8ビートと同じ風になります。
このパターンで重要なのは、結果としてとはいえ8分の6拍子になったので、その直線的なビートのセクションをそのまま3の倍数的なリズムのセクションに無理なく接続することが出来る、という点です。「1つの楽曲におけるリズムの切り替え」は曲構成で引きつけたい時に重要になりますが、この接続のテクニックは重要な手段のひとつだと思われます。
⑧その他
何でも分類できるものではありませんから…。中には「変拍子だ!…と思ったけど数えてみたら8分の6拍子に収まる数だった」とかもあります。ハードコア気味な奇怪なリズムで8分の6拍子だったりする場合は大体こんな事情。
本編
前フリが長かったですが、それでは40曲行きます。今回は10年ごとで見出しを分けています。一応せっかく分類したので、どの曲が上記のどの分類に該当するかも書いてみましたが、あくまで思いつきで書いているので細かい検証は無しです。。
1950年代
1. The Great Pretender / The Platters(1955年)④
ドゥーワップの名曲中の名曲。QueenのFreddie Mercuryによるカバーも有名で、あと2020年に日本でこの曲を題にしたアニメも作られたりした。
典型的な三連バラッドで、その分歌唱力と歌詞の良さがどこまでも光る。この前のサブドミナントマイナーの記事で紹介した曲といい、The Plattersの楽曲の歌詞はやたらとタイムレスな孤独について歌ってて、リリース当時から65年以上経った今でも全然リアルなものとして聴ける。1970年代以降のR&Bのようなセクシャルさが薄いから、歌の中のエモーショナルさがストレートに響いてきて、ある意味ではこの後出てくる三連エモな感じの元祖という感じもしなくもない。ピアノの延々鳴らされ続ける三連をギターに置き換えたらそのまま1990年代以降のロッカバラッドになりそうな感じというか。
2. I Want You, I Need You, I Love You / Elvis Presley(1956年)④
ロックンロールを爆発的に普及させたこの人も、本人の意図だったか否かはともかく三連バラッドを歌うこととなった。おそらくこれによって「ロックンローラーは三連バラッドを歌っても全然普通な存在」という認識が根付いていくこととなった。演奏も歌もモロにドゥーワップとかと変わらん感じだと思うけど、「こういうのもロック」になったのは偉大な彼のおかげか。
楽曲として特に言うことは無いけど、彼がRCA移籍後一気にスターダムに上り詰めたシングル『Heartbreak Hotel』の次のシングルがこれだった、というのは、彼をどのように売りたいのか、というレーベル側の意図が透けて見える気がしてくる。でも実際、彼の声質自体はゆったりしたメロディでこそその特徴的な甘みが醸し出されるもので、後年の彼のモノマネもどちらかと言うとこういう甘い声や、もしくは歌った本人が大ヒット自体を訝しんだ『Teddy Bear』みたいな声の方が盛んにされていることは、本人の意思を思うと少し気の毒。
1960年代
3. Little Red Rooster / The Rolling Stones(1964年)⑤
この曲はHowlin' Wolfの楽曲のカバーだけど、その原曲と聴き比べると、8分の6拍子とシャッフルの間に実は微妙な違いしかないことが分かるし、何ならこのカバーも3連で振られるパーカッションが無ければリズムはシャッフルになっていたであろうこと。この曲そもそも本当に今回の記事にそぐうのか…?
聴き比べると、原曲の方がブルーズ的な倦怠感・空虚さは強いなって感じる。しかしその分、ブルーズ臭の濃厚さがこの曲がポップソングになることを拒否してる側面があるようにも思える。一方、ストーンズのカバーは3連のパーカッションの鳴りのせいでブルーズ的なリズムのルーズな隙間は消失してしまったけれど、でもその分リズム的には安定して、ブルーズの気だるさの程よいところ”のみ”を抽出して、Brian Jonesのスライドギター共々キャッチーなものとして聴かせることに成功している、とも言えそう。
初期はブルーズ・R&Bへの拘りが強い彼らだけど、その中でブルーズ・R&Bをどう当時のポップソングの流れに接続するか、ということもいろいろ考えていたのかな、と、この曲のリズムの捉え方の変更具合に思ったりした。もっと悪戯っぽく言えば「ほら、こうした方がお前らアホには分かりやすいだろ?」とバンドが言ってるかのような、そんな挑発的な魅力。実際分かりやすいもんな。
4. Just Like a Woman / Bob Dylan(1966年)②
Bob Dylan - Just Like a Woman (Official Audio) - YouTube
1965年のアルバム『Bringing it All Back Home』以来のフォークロックを早々にほぼ完成させてしまった2枚組アルバム『Blonde on Blonde』において、格別に彼のリリカルでメロディアスな側面が出力された名曲。この曲と『I Want You』の2曲は、もういきなり「これでカントリーロックの完成です、これ以上何か要る?」って感じの、エヴァーグリーンな良さがある。
リズム的には、ブラシを使用したカントリースタイルの3連の感じが実にソフトでかつ完成されていて、そこに歌自体はぶっきらぼうなくせにしっかりとポップでメロウな曲構成と繊細なアコギ等の響きが加わって、滋養に満ちている。そうか、The Bandはこの地点からさらにカントリーロックを前進させないといけなかったのか、など思うと、それは大変そうだなって気がしてくる。
5. Snow Queen / The City(1968年)②③
The City - Snow Queen - YouTube
元々は夫婦でのソングライターチームの一員としての存在だったCarol Kingが1970年代以降にSSWとして頭角を現す、その転換点となった短命バンドThe Cityの唯一のアルバムに収録された楽曲。ソングライターチームで作ってた純ポップス仕様の他所行き感ある楽曲ではなく、もう少し普段着感覚という感じの楽曲が並ぶアルバムの中で、その冒頭でいきなり可憐なジャズワルツを奏でてみせる。
リズムの軽やかな高機動具合はまさにジャズ以外の何者でも無いけど、でもそれが曲のサビの部分で一気にしっとりとしたパターンに変化して、そこからまたジャジーに転がり始める様はもう、それ自体がスリリングでエキサイティング。そこにメジャーセブンスの効いた澄んだキャッチーさに満ちたサビが合わさって、当時としては結構チャレンジな感じのポップソングに仕上がってる。売れなかったのは可哀想。
なお、この曲のこのバンドのリリースより前にソフトロックユニットRoger Nichols & The Small Circle of Friendsのカバーバージョンが先に世に出てたりする。もしかしたらそっちの方が有名なのかもしれない。なのでなのか、この曲自体にもソフトロックの要素ばかり感じてしまう。
6. Someone I Know / Margo Guryan(1968年) ①②
1960年代後半にひっそり咲き乱れた、後にソフトロックだのサンシャインポップだのと呼ばれるようになった人たちのうちの一人である女性SSW。つい最近お亡くなりになったというニュースがあって、享年84歳。アルバム1枚と、後年リリースされた高品質な沢山のデモ音源くらいしか残していないけど、その吹けば飛びそうなウィスパーボイスのボーカルや、可愛らしくもジャズやクラシックやサイケから少しずつ拝借して作り上げていくミニチュア細工のような音世界がとても好きだった。冥福を祈ります。
今回の記事に照らして言えば、彼女の小洒落た音作りの割にどこかいい具合に可愛らしい野暮ったさの残った感じも、その根源には3の倍数のリズムが、ワルツ調だったりシャッフルだったりといった形で様々に潜んでいることも大きいのかな、と思えた。たとえばこの曲。ワルツ調で訥々と進行しながらも、途中から入ってくるトランペットか何かによるバッハ『主よ、人の望みの喜びよ』の旋律を延々とループさせる展開はさりげなく大胆で、見方によってはサンプリング的な感覚とも思える。そう思うと、彼女が渋谷系ブームの中で顧みられたことの意味がちょっと変わってくる。彼女のウィスパーなボーカルと合わさり、可愛らしくも格調も感じられる1曲となっている。
7. Time To Get Alone / The Beach Boys(1969年)①④
その初期においては定番のように三連バラッドを連発していたこのバンドだけど、不可逆的な変化を起こした1966年の『Pet Sounds』とその後の色々でリーダーのBrian Wilsonがダウンした後、なぜかそんな状況でもソフトロック的快作を連発し続ける。この曲もそんな側面が前面に出たワルツ調の可愛らしい曲。何も知らなければクリスマスソングだと思うかもしれない。
ワルツ調のリズムを最もリラックスした具合に駆動させるこの曲は、Brianが作りつつも状況が状況のため完成に至らず、弟のCarl Wilsonがアレンジ等を引き継いでこのようにこじんまりとしつつも仄かにハッピーなサウンドに仕上がった。弟も天才か。シャッフルのリズムも多い彼らだからか、3の倍数系の曲でのフィルインのパターンが豊かで、尚且つどこかバタバタして可愛らしい仕上がりになっているのは流石。割と本当に、3の倍数系のドラムのフィルインを考える際はThe Beach Boysはオススメです。
1970年代
8. Sleeping / The Band(1970年)③④
”アメリカの田舎のロックのノリ・感じ”をカナダ人なのに完成させてしまった彼らだけども、その辺は大半の楽曲を作っていたRobbie Robertsonのセンスに負うところが少なくなくて、そしてもう一方のバンドの柱になれるはずだった天才Richard Manuelは、既に酒や薬によってボロボロになっていた…という状況の中で作られた、彼が作曲者として名前が載る最後の2曲のうちの片方。Robbie Robertsonとの共作。
ジャズやR&Bの感じがRichard Manuelからは立ち上ってくる。彼の作曲センスはこのバンドの”意図的に野暮ったい”属性とは違う方を向いていたと思うけど、そんな部分をキーボード主体のスウィートなバラッドとして形作りつつ、しかし同じメロディの繰り返しであるこの曲の緩急の付け方として、途中ではいかにもこのバンド的な”田舎のジャズ”的なはしゃぎ方をしてみせる。この辺はRobbieの采配か。
ジャジーなタッチで、もしくは野暮ったいバンドの機動で分かりにくくなるけど、この曲のリズムの基本はオールディーズな三連バラッドにあるのかもしれない。この曲のしばらく後に上記の『The Great Pretender』をカバーすることになる人物などによる古典的な三連バラッドの、気の利いた、しかしどこか疲れ切った様子にも感じられるジャズ的飜案だったのかもしれない。
The Bandについてはそれこそ去年の今頃に以下の記事を書いていて、クソ長いので、もし時間があるようであれば、気が向いたら読んでみてください。書いているうちにどんどんRichardに感情移入してしまった。
9. This is Love / Sly & The Family Stone(1974年)④⑤
1970年代前半は本当に様々なアーティストが薬でダメになっていった時代で、そんな中でやっぱり薬でボロボロになりつつも『There is a Riot Goin' on』と『Fresh』という2枚の歴史的名盤を作ったSly Stoneは神掛かってた。その後、その神憑きが落ちた後のような作品『Small Talk』において、最後に納められているのがこの、ドゥーワップの三連バラッドをなぞったような楽曲。
ピアノの連打や華麗なストリングス、コーラスなどがありつつ、でも、ずっと同じコード進行を繰り返し続けて、楽曲自体が何も進展しないまま終わっていく、そのミニマルな構成には、何もかも華やかで平和そうな時代への憧憬と、その反面でボロボロになり尽くした地震との対比のようなものが浮かんでくる。ドラムもこの楽曲を盛り上げようと3連のリズムに合わせてスネアを打ちつけたりするけど、それら演奏陣が頑張れば頑張るほど、肝心のSly Stoneの歌が延々と聞こえてこない、というこの曲の”中身の無さ”が嫌でも判ってきてしまう。何なら、その”中身の無さ”こそがこの曲の聴きどころなような気がして、何とも言えない後味が襲ってくる。華やかな廃墟を見せつけられてるかのよう。
10. スローバラード / RCサクセション(1976年)⑥-A
日本を代表する三連バラッド。音数の関係から最小限の言葉で綴られる、リリース当時の清志郎の貧窮具合をロマンチックに歌い上げた歌詞は、ある意味現代でも笑えない内容だけども、でも、極限だからこそのどうしようもなく美しいロマンチックさがある。
そのファンタジックな甘さを支える、隙間の多い8分の6拍子のリズムに、やたらとムーディーすぎるキーボードのフレーズ。そしてそれらの、トラックだけなら甘ったるい空気だけになりそうな空間で、一気にそれらをどうしようもなく貧乏臭く、やつれ果てて、しかしひたすら狂おしく突き抜けていくボーカルの力。そこには、あらゆるマイナスを集めた結果それらが全てプラスに裏返る瞬間のような、そんな性質の美しさが爆発している。三連の中を自由にリズムを外して歌い、そしてその外し方がどれもエモーショナルさに満ちている。文句なく、日本有数のソウルナンバーで、三連バラッドの大名曲。
11. 真夏の昼の夢 / 大瀧詠一(1977年)②④
今年の3月のサブスク解禁以降、どれくらい彼の音楽はより聴かれるようになったのか。出来ることなら、ロンバケより前の作品でとりわけ本人が様々なユーモアも音楽的ノウハウも緊張感も全て詰め込んだ逸品『ナイアガラ・カレンダー』に、少しでも多くの人が気づいて欲しい。
1年の1月ずつを1曲に充てられたその作中に収められた、7月と8月という夏真っ盛りの楽曲が両方とも「ビーチで恋人とハッピー」な感じになっていないことは、彼のひねくれゆえか、むしろ真面目さか。特に8月にあたるこの曲の、ここだけ『Pet Sounds』のような寂しい幽玄さが波打つような感覚は何なんだろう。この曲のような極上の心細さ・気の遠くなる具合は、ロンバケ以降の彼の作品にはみられない。彼が自分で歌詞も書き、様々なメンバーを動員しつつもなんだかんだでプライベートなものとして作品を作り上げた結果、この曲みたいなのも混じったんだろうか。
上記の動画はロンバケ後の本人リミックスによる1981年版だけど、上記のアルバムレビューでも書いているように、現代だとこの曲に関してはより各トラックが生々しく響きついでに波のSEも付く1977年版の方がグッとくる。最後に出す今回のプレイリストでもそっちを入れてます。
1980年代
12. 'Til Tomorrow / Marvin Gaye(1982年)④⑥-A
ネットを見てると、彼の最も成功したアルバムは『What's Going On』ではなく最晩年の『Midnight Love』だとされている記述をしばしば見つける。時代を切り開いたけどもその後様々な有力アーティストが別ベクトルの傑作を連発した『What's〜』よりも、1980年代のブラック・コンテンポラリーという音楽ジャンルそのもの雛形を提示した『Midnight〜』の方が、時代に与えた影響が大きかった、ということなのか。
ということで、ソウル界きってのボーカル力と身体性を有する彼が、当時画期的で今でも勝ちを放ち続けるリズムマシン・TR808をはじめとする1980年代的機械サウンドという、全然逆ベクトルのはずの要素に向かっていって、それで大成功を納めるアルバムの中の三連バラッドがこの曲。なのでやはり、この曲もTR-808による打ち込みのリズムの上で、セクシャルさを自在に垂れ流すボーカルが夜空を淫らに彩るスウィートナンバーに仕上がっている。多重コーラスのモヤモヤの中を突き抜けてくるボーカルはやっぱり超絶で、それは機械仕掛けの冷んやりして無機質なワルツのビートの上だからこそ、余計にその人間性が研ぎ澄まされるのかもしれない。ブラコンの始祖だか何だか知らないけど、最初からこんな徹底的なもの作られて、後続の人たちは迷惑じゃなかったんだろうか。こんなの、いきなり完成し切ってんじゃん…。この人がもしこの後死ななかったら、ソウルミュージックはどうなってたんだろうな。ベッドルームミュージックにするには少々セクシャルさが規格外すぎる気はするけども。
13. Persephone / Cocteau Twins(1984年)②⑤
今回調べてて分かったのが、『Treasure』『Victrialand』の頃のCocteau Twinsは世界でも珍しい、3の倍数のリズムを基調とする音楽ユニットだった、ということ。アルバムをよく確認してみて驚いた。彼女たちの音楽の、一般的なポピュラー音楽とは全然別の世界から鳴ってるような感触はもしかしたらこういうところも関係してくるのかもしれない。
そしてこの曲の、幻想的なイメージに反したえらく攻撃的な方向にヒステリックな様が何だか面白い。いつもはファンタジーの方面に費やす神経質さを、一転攻撃性として放つとこうなるんだなあ、という面白さ。機械によると思われる反復する三連のビートの冷ややかさは、その上でキリキリと同じコードで鳴り続けるギターとともに、冷厳な殺戮機械のように刺々しさを刻み続ける。特に、終盤少しの間他の楽器がブレイクする間もドスドスと機動し続ける、その残酷な様は実に格好いい。特徴的なボーカルもまるで悪い魔女のように喚き続けて、何だかこの曲だけまるでポストパンクみたいだな、って思った。冒頭の方で聴けるヤケクソ気味なスネア6連フィルが笑えて、Cocteau Twinsでこんなことになることあるんだって思える。
14. Six Different Ways / The Cure(1985年)①⑦
Six Different Ways--The Cure (with lyrics) - YouTube
またこのブログでアルバム『Head on the Door』への偏愛を語ることになってしまう。The Cureのアルバムはやっぱこれと『Disintegration』が最高すぎて、他の作品になかなか食指が伸びないことが多々。今回もこうして、欲しいタイプの曲が『Head on the Door』から見つかってしまって驚き。一気に様々なアイディアを解放して、なおかつポップかつファニーに突き抜け切った作品なのが最高だなあ。
この曲も、イントロの不穏そうなノイズに反してやたらと可愛らしい。リズム的には「4+2=6」形式で、ここではその”8ビートになれない尺の足りなさ”が少しマヌケ気味なチャームポイントのように感じれる。ぎこちなさは全然感じさせず、ファニーなシンセやフルートのフレーズがいちいち可愛らしく、メロディ展開も派手なサビではなく、2つのメロディが終わったらファンシーな間奏に着地する流れは小綺麗な感じ。ついでに6つの拍に合わせてかタイトルも『"Six" Different Ways』と、色々と気の利きまくった素晴らしい「アルバム中のいい小品」という感じ。
15. I Know It's Over / The Smiths(1986年)①⑥-A
名作アルバム『Queen is Dead』の中で最初の山場という具合にしっとりと始まり、次第に惨めに盛り上がっていく大作。ほぼバンドサウンドだけ*8できっちりと重厚さと荘厳さを表現するその様は、The Smithsの基本的なサウンド要素をどんどん煮詰めていった末に出来た名曲・名演という感じがする。
ここでのスローな8分の6拍子は、地味な動きに徹するベースと共に、冒頭のスカスカなサウンドにおいては、やがて来るであろう破滅的な展開の前振りとしてのやるせない重厚感を既に発揮している。サビでメランコリックに舞うコーラスの掛かったギターのアルペジオはまさにThe Smithsのトレードマークで、それがMorriseyのうんざりを音にしたような声とどう絡むかがThe Smithsのサウンドの軸だとすれば、この曲の3分半以降の最後まで延々と続いていくこの掛け合いは、彼らのサウンドの最果てのひとつなのかもしれない。這うような8分の6拍子の中で、次第に声を高くして喘ぐボーカルのナルシスティックな傷ましさは、やはりThe Smithsというものの”完成”を思わせる、見事に華美で演劇的な自己憐憫具合だ。
16. Slow Love / Prince(1987年)③④
何でもかんでもあった大量の楽曲を一部取り出して2枚のレコードにどうにか収めた『Sign O' the Times』は、流石に2枚組のボリュームなので、ファンクが得意だけどそれ以外の曲も様々に上手に書ける彼の、1980年代で持てる手法を様々に反映させることに成功したレコードで、中には彼がそのキャリアでそんなに作っていないタイプの、割とオーセンティックな1970年代フィリーソウルのオマージュのようなこの曲みたいなのもある。ファンク全開な時は3の倍数リズムになりようのない彼の、珍しい一面。
この曲はイギリスの女性歌手・俳優のCarole Davisとの共作らしく、過激なトラックも多いこのアルバムで不思議にオーセンティックな作りなのはその辺の事情もあるのかも。どちらかと言えばぶっ飛んだファンクトラックで奇声を上げてるイメージの方が強い彼だけど、やろうと思えばこの曲くらいムーディーなこともできるんだっていう。ストリングスもホーンも気持ちのいい具合に入ってきてくれる。ゆったりした三連のリズムもゆったりとしてて、ブレイクの時のキレも気持ちがいい。
まあそれでも、この曲の次に入ってる『Hot Thing』みたいな奇妙な音の強調と削減のされたヘンテコファンクの方が、どうしたってPrinceらしさは出てしまうものだけども。なんでベースを抜くんだ…。
1990年代
17. Everybody Hurts / R.E.M(1992年)①④
今回取り上げる曲で最もスケールの大きい、彼らの代表曲のひとつ。威風堂々とした6分の8のリズムで広範な人々の傷つく様を高らかに歌いあげたこの曲は時代の歌にもなった。
楽曲の軸となるのは6分の8拍子の拍を全て均等に埋めるアルペジオのループ。アコギとエレピで奏でられるⅠ→Ⅳの2コード反復のオーソドックスさの中をMichael Stipeの声が音の隙間多めに高らかに歌い、コードに変化がある箇所でより高い声で遠くまで響くよう歌うことで、この曲の雰囲気が形作られる。あとは、ストリングスがしっとり入ったり、2度目のサイクルの後の新しいメロディの箇所でドラムが入ってより劇的でスリリングに展開してみたり、といった工夫を加えながらも、最後はそれまで登場した全楽器でもって最初の2コード反復を壮大に展開させていく。それは、シンプルだからこそどこまでも続いていくことができ、どこまでも続くからこそその気になればどこまでも届きそうなほどにゆっくりと壮大に広がっていく。
この延々と続く高揚感をフェードアウトで終わらせるのは英断だろう。ずっと続いて欲しいような、輝かしいような、慈しみに満ちたような高揚感、それは彼らがずっと支持され続ける理由のひとつであろう、彼らならではの抱擁の感じが強く現れる。アルバム『Automatic for the People』というアルバム自体が、基本的なバンドサウンド以外の音を多用し、音の隙間の多いソングライティングやアレンジを駆使したことで、行き場のない時代の魂を抱擁するような作りになってた感じはある。それを代表するのはやっぱりこの曲なのかなと思ったりする。
18. 優しい木曜日 / Pizzicato Five(1993年)③
ポップ蒐集家としての蓄積がそのままポップミュージックの出力に直結する、というのは音楽ファン冥利に尽きる話で、Pizzicato Five時代の小西康陽はその最たる存在のひとりだろうなとずっと思う。売れ初めの頃ながらまだ作品に彼のそういう方面のセンスを素直に出力できていた頃のアルバム『BOSSA NOVA 2001』には、幾つかの彼の素直な特性がスルッと出た楽曲が入っていて、この曲のどちらかといえばそう。
フレンチポップ形式のアコーディオンが縦横無尽に走ってサウンドを決定づけているけれど、楽曲自体はワルツのリズムに乗って、映画マニアの悲観的な人間が書いた甘く悲しい恋の筋書きが優雅に舞っている。そこには"Pizzicato Fiveの野宮真貴"の演技をしなくていい際の彼女の、実に冷ややかに正確無比に響くボーカルが適切すぎるほどにさらさらと流れていく。この曲のピークが間奏的な箇所のスキャットになっているのは音楽主義的なカタルシスがあって、さりげなくもとても美しい。
このユニットの野宮時代での待望のサブスク初解禁音源となったコンピレーションに多くの含まれて欲しい楽曲を差し置いてこの曲が入った時は不思議に思ったけど、この曲の冷徹なペンの冴えは、結構お気に入りだったのかな、と思った。以下のアコースティックセットでのライブ演奏を聴くと、この曲自体の出来の強さが窺える。
19. My Name is Jonas / Weezer(1994年)②⑥-B
パワーポップのひとつの形式を確立したアルバムとして彼らのこの青いジャケの1stアルバムは歴史に残り続ける。パワーコードを曲のリズムに合わせて敷き詰めてそこにエモーショナルなメロディを乗せさえすればいい、というコペルニクス的転回なサウンドは、まずアルバム冒頭においてそれは8分の6拍子であっても当て嵌まるんだよ、という証明であるこの曲から始まっていく。
柔らかでカントリーチックなアコギのアルペジオがすぐにパワーコードを軸としたバンドサウンドの圧に取って代わられる時のカタルシス。WEEZERはずっと「アメリカの中途半端に冴えない田舎の野暮ったさ」を大事にしてるバンドだと思うけど、それは音的にはオールディーズポップスもカントリーミュージックも全部をディストーションの効いたパワーコードギターで”雑に”押しつぶすことで形作られる。その鈍臭いギターサウンドの中に浮き出す間奏のハーモニカ等々、実はひっそりと様々な巧みな仕掛けを盛り付けつつも、いかにも「これが当代一の平均的なアメリカ人のサウンドだ!」と言わんばかりの不思議な勢いに、なんだか不思議な気分になる。言うほど簡単にこれが真似できる訳でもないことは、後世の彼ら自身を含む多くのバンドが証明している。
20. JAM / THE YELLOW MONKEY(1996年)⑥-B
もしかしてこの曲が日本で最も売れた三連バラッドなのか。そもそも三連やワルツ調の楽曲を日本のチャートで見かけること自体珍しいことな気がする中で、このバンドの代表曲のひとつであろうこの曲がそうなのなら、それはそんなに悪いことでもない気がしてくる。
1990年代は「社会に引き裂かれて混乱する歌」が大衆的なヒットを飛ばすようになった時代だという側面もあると思う。この曲もまた、David Bowieと歌謡曲の組み合わせでスターダムを目指したバンドが、装うだけでなくてイノセントな心境そのものを響かせたい、と願った中で出てきた最初の大いなる成果だ。そこにはWeezer形式とスローバラッドの合いの子のような8分の6拍子のスタイルに、AメロBメロCメロからのサビという特盛な楽曲構成で、ひたすらエモーショナルさを素直に強力に出力しようとする吉井和哉の姿がある。グラマラスさを抜き捨てて、自身の中の少年性をひたすら探し出して、それでもって社会に向かって何かを叫ぼうとする彼の姿は、歌詞のちょっとした拙い点を遥かに超えて、アンセム的なムードを纏って輝いている。
長らくアルバムに収録されなかったにも関わらず、演者ではないモードの吉井和哉の作風を示す最たる事例として存在感を放ち続けてきたこの曲が、日本で一番売れた三連バラッドだというのなら、ぼくは何の文句も無い。素晴らしいことじゃん。
21.DAYDREAM / FISHMANS(1997年)②⑤
こういう形式の記事でFISHMANSを扱うと、プレイリストのその箇所だけ急に虚無すぎる雰囲気が漂ってしまう。後期2枚のアルバムと『Long Season』と『ゆらめき IN THE AIR』はそれだけ独特で、誰も辿り着けない、辿り着きたくないような地点に存在してしまっている。
虚無に満ちた大傑作アルバム『宇宙 日本 世田谷』の最後に収められたこの曲は、もはや元々のバンドのアイデンティティであったレゲエの要素さえ消えて、ワルツ調の反復するリズムの中を、幽玄な音だけで楽曲を形作ってるかのような、もはやこの世に実態を持っていないようなサウンドをしている。佐藤伸治のボーカルも肉体を失って霊体か思念になってしまったかのような頼りなさで楽曲を漂い続けて、まるで宇宙の果ての塵に成り果てるかのような情緒が深く静かに広がっていく。反復を続けるオルガンか何かの音の虚しげな様がゾッとするように印象的で、重く響くギターサウンドはノクターン的な情緒を暗黒的に増幅する。
5分40秒過ぎのエモーショナルで情けないフレーズがとても切実で、その後の2分以上続く反復の引き込まれそうな様は、魂を吸われるかのような恐怖を覚える。この世のものでは無いようなヴァイオリンの様は、よく佐藤伸治の世界観にここまでついて行ったな…という圧倒的な雰囲気を持つ。
22. Waltz #2(XO) / Elliott Smith(1998年)①②
今回のプレイリストを代表する曲かもしれない。タイトルからして”ワルツ”って入ってるもの。このタイトルで8ビートだったらウソだもんな。”3/4拍子”で検索すると出てくるFenderによる4分の3拍子解説サイトには、この拍子の曲の代表例としてこの曲もリストアップされている。彼の代表曲でもあり、アルバムタイトルをしれっと冠してもいるので、彼的にも重要な曲だったんだろう。
冒頭のドラムのリズムだけで、この曲がどういう拍子で進行するか理解できる仕掛けになっている。おまけにこの手法としてローファイな無骨なドラムだけの導入によって、他の演奏が入ってきてからの楽曲の優雅さ・繊細さが逆に強調される仕組みとなっている。アコギはドラムと同じく無骨に響きつつ、それと対照的にピアノが実に優雅にかつメランコリックに転がっていき、この曲の印象を決定づける。
この曲のどこかクラシカルな様は曲構成からも窺える。AメロBメロサビ的な各セクションの繰り返し、というよりももっと大きなひとつの流れでメロディを構築し、何度かのフックのポイントを設けながらも、結局はブレイク時のメロディの後に続くピアノの印象的な旋律が一番の楽曲の山場になる構成は、はじめから歌も含めてのそういうアンサンブル、としてのアレンジメントなんだなと思わされる。そして、最後にそのピアノの旋律と歌が重なって、最後の最後にストリングスが被って終了する様は、グランジ以降世代が生み出したインディーロックとクラシックの最良の交差点として、ヒステリックにもメランコリックにも美しく響いて印象にずっと残る。
23. How It Feels To Be Something on / Sunny Day Real Estate(1998年)②
エモの代表選手としての姿が消え、代わりに殉教者じみたヒステリックさをロックに掛け合わせたサウンドで圧倒的な世界観を作り上げる後期SDREもまた、実は3の倍数のリズムの楽曲の比率がかなり高いバンド。8ビートの現実的な進行感を減少させ、彷徨の感覚を強めるのにこの手のリズムが必要だと、半ば本能的に実行していたんだろうか。
3rdアルバムの方のタイトルトラックとなっているこの曲はまさに、巡礼の旅を思わせるような、ひたすら寂しい光景を頼りなく歩き続けているような情緒と、神からの試練に打ちのめされるようなハードなバンドサウンドの展開とが繰り返される。彼らやらRadioheadやらが時折放つ「世界にメジャー調なんて存在しなかった」かのような、この殺風景な感覚がデフォルトといった風な佇まいは、普段ぼんやり生活している中で聴くと馴染まずに流れていくけど、時折他に何もせずに耳を傾けてると、確実に世界観に持っていかれる感覚がある。幸福とか不幸とか楽しいとか悲しいとかでなく、何かリリシズムそのものを叩きつけられる感じというか。
ちなみにこの曲の入った3rdアルバムは終盤3曲も連続して3の倍数のリズムになっている。やはりどれも都市の圧迫感とかではなく、もっと広大で心細いフィールドで放浪するような感覚になる。この手のリズムには確実にそういう機能があるんだな、と確信できる曲の並びだと思う。
2000年代
24. Untitled(How Does it Feel) / D'Angelo(2000年)③⑤⑥-A
R&B史上最強の三連バラッドなんじゃないか。PVのショートバージョンではなく、アルバム準拠の7分バージョンだと、冒頭のドラムだけの箇所からして、確かに三連バラッドのリズムなんだけど、何か奇妙に、かつ人間的にズレているところが何となく判り、そのズレから生じる勢い、特にサイクルの境に現れる「グリッ」とした休符の音の鳴り方が静かに凄まじくキャッチー。
形式だけを見れば、1970年代ごろから連綿と続く、当時すでに古典的な存在となっていたであろう三連バラッドの形式を採りつつ、ここでは様々な超常的なアプローチによって、オーセンティックな要素が徹底的に異化されていく。上記のリズムの意図的なズレに始まり、ボーカルとコーラスの怪しい重ね方による無音の強調や、多重ボーカルの組み方の気色悪さ寸前での非常に官能的な響かせ方などなど、あらゆる要素によって三連バラッドという枠組みを解体していくスリリングさがここではどこまでも味わえるようになっている。それは特に、一度静けさに帰った後、またボーカルも楽器も静かに激しい熱を放ってバーストしていく終盤において顕著に現れる。本当に爆発的に高まっていくサウンドは、次第に奇妙に歪んでいき、そしてやがて、唐突すぎるカットアウトで果てる。
カットアウトの記事に引き続きの登場で、同じ曲を何度も出す、このブログ的な芸の無さが出てるけども、でも、今回のテーマでこの凄まじい三連バラッドを外すわけにもいかない。ご理解いただきたい。
25. この世の果てまで / the pillows(2001年)⑥-B
正面切ったWeezer形式の三連パワーポップを、もっと真正面からやり切ったような楽曲。タイトルからして1962年の『The End of the World』をモチーフにしたことが判り、そしてそれゆえの気迫の具合が、この極力シンプルに抑えたギターサウンドで曲そのものを聴かせようとするスタイルを生んだんだとも思える。
冒頭の5連、6連で鳴るスネアのフィルインは、要所要所で繰り返されて、この強力な三連ロッカバラッドのトレードマークとなっている。そして、カノン進行のコードで正面切ったヒロイックなメロディを紡いでいく様は、リードギターのオブリが最小限に抑えられていることも含め、本当に小細工無しの正面勝負という感じがする。この三連リズムに乗った青筋張ったメロディが効くか否か、ただそれのみに勝負を預ける潔さがこの曲にはある。サビにおいてギターのオブリがシンプルながら印象的なオクターブ奏法になるところもヒロイックで、間奏のトレモロ奏法といい、彼らの”男の子”な部分をただただ直球で、代わりにすごい強度で放つ。
この曲からは、何かしら純度を上げるためにはアレンジを簡素化しないといけない場合もあるんだな、ということがよく分かる。8分の6拍子が時に放つ”必死さ”の、とても良いサンプルだと思ってる。
26. 月の光 / 小島麻由美(2003年)②⑤⑥-A
Mayumi Kojima(小島麻由美) - 月の光 (tsuki no hikari) - YouTube
”昭和のダークさ””歌謡曲”という、イメージできるようで意外と曖昧な気もする要素を巧みに、時に剽軽に、時に生々しく怪しく躍動させたサウンドで現れた彼女の、その方向性での最果てはアルバム『愛のポルターガイスト』だと思ってる。夜も深まった、煙草の煙に塗れたフロアで鳴るような、ブルーズともジャズともつかないその怪しい楽曲の連なるアルバム前半は濃厚で、そこから後半に入っていく位置において、それまでと根本的にリズムが違う、しっとりした暗黒のバラッドなこの曲の存在もまた怪しい輝き方をしている。
基本トレモロエフェクトで揺れ続けてるギターサウンドと、ジャジーさでダークなコードを泳ぐリズム隊、そして、あどけなさと妖艶さを当たり前のように往復する彼女の天才的ボーカルによって楽曲は進行する。ワルツ調のリズムは崩れ落ちそうな雰囲気を醸し出しつつも確実に転げ回り、サビの僅かにメジャー調が覗く場面で、曲タイトル通りの、僅かだからこそ印象の深さが増す眩しさが、この曲の退廃的な幻想性を決定づける。終盤の延々とダークなコードでのたうち回る様は、息を呑むようなシックなしんどさが響き渡ってフェードアウトしていく。次の曲がどメジャー調で暢気でポップな曲調の『恋はサイケデリック』なので、その対比もまた、この曲の陰影をいい感じにするんだと思う。
27. Messenger / Blonde Redhead(2004年)⑦
NYノーウェイブの代表的バンドDNAの楽曲タイトルからバンド名を採った、まさにそこから派生したような神経質なサウンドをこそ1990年代まで得意としていた彼女たちが、レーベルを4ADに移して以降の作品で、それまで演奏してきたダークなコード感をより明確にゴシックな形で作品に込めるようになったのが『Misery is a Butterfly』以降のアルバム。それにしても相当にマイナーコードまみれなアルバムだ。
『Misery is a〜』の2曲目でキャッチーな不穏さを放つこの曲は、8ビートの1でスネアを撃ちつつも、曲構成はワルツ調なので、8ビートなら次のスネアに行き着くところをその前にタムで強制終了して次のサイクルに入る、そんな「4+2=6」のリズム構成になっている。そのぎこちなくなりそうな響きの中を実に優雅に陰鬱に舞っていくカズ・マキノのボーカルはいい具合に淀んでいて、冷めたギタートーンの反響の中をダークに舞うエレピ共々、アルバムタイトルの『Misery is a Butterfly(惨めさは蝶々のよう)』とは言い得て妙だな、って思う。こういう作品してたのが次のアルバム『23』ではシューゲイザー/ドリームポップ的なの移行するのはリアルタイムで聴いてた人はスリリングだったろうな。
28. Different Names for the Same Things / Death Cab For Cutie(2005年)①②
叙情系エモの代表格とされるバンドのメジャーデビューアルバム『Plans』は、それまで以上にメロディの描き方や響かせ方に注力した作品だったと思うけど、クラシカルなワルツ調で進行していくこの曲もその例に漏れない。前半はほぼピアノと歌で静謐に進行していく。Ben Gibbardの清潔感に満ちた声とメロディは、クラシカルなワルツ調のピアノの上でファンタジックな透明感を描き続けている。
2分過ぎくらいからパートが切り替わって次第にバンドサウンドが入っていって、そのバンドサウンドが入ってからもワルツ調をキープしながら、このバンド特有の妙に複雑なリズムの組み方は、グロッケンの透明な響きとともに少しばかりポストロック気味に反響する。繰り返される楽曲タイトル連呼はこの曲の平熱さを担当し、その裏でゆっくりと演奏が高まっていく辺り、特に何度か気合の入ったギターの躍動が聞こえてくる様には、なるほど叙情系エモとはこういうものか、という感じが分かりやすく詰まっている。終盤の演奏のボトムが軽くなることといい、細部まで作り込まれた音響の感じがこのバンドらしい生真面目さを思わせる。
29. Twilight at Carbon Lake / Deerhunter(2008年)①⑤
ニューゲイザーとUSインディー両方に重要な存在となった出世作『Microcastle』はその風景ごと爛れ落ちるかのようなサウンドの感触こそが魅力の最たるところだけど、インスト等に露骨に出るその感覚は、特にアルバム最後の2曲が両方ともワルツ調のリズムであることでより強調される。8ビートより不安定感が増す3の倍数のリズムの特性こそを最大限に利用して、Lockett Pundt作の『Neither of Us, Uncertainly』が優雅で宇宙的な情緒を描き、そしてBradford Cox作のこの曲が爛れて消えてしまいそうな様相と爆発的なサウンドでアルバムを締める。
この曲はワルツのテンポに合わせたアルペジオが前半は延々と響き続ける。妙に現実感の薄いサウンドは声もその例外ではなく、音数の少ないメロディを歌うその存在感が揺らぐようにミックスされている。中盤で一度少し盛り上がり、また退廃感の滲む静寂に帰っていくが、真の爆発は2分50秒頃以降の展開。歪んだギターがジャンクに打ち鳴らされ、バックに奇妙な軋みを見せるギターノイズも溢れ出し、グチャグチャな音像の中をドラムも懸命にロールする。Bradford Coxの歌だけが、超然的に同じテンションで言葉もないメロディを繰り返し続けていく。あらゆるものを曖昧さの泥濘みの中に引き摺り込もうとせんばかりの融け方だ。
30. Moorestown / Sun Kil Moon(2008年)②
メロディアスなバンドサウンドと歌を聴かせていた頃のSun Kil Moonの作品群がいつの間にかサブスクで全部聴けるようになっていて、特に2008年の傑作『April』が聴けるようになっていたことは嬉しかった。思わず弊ブログのサブスク記事を更新したくらい嬉しかった。最初の2曲でお腹いっぱいになって、その後のアコースティック楽曲の続く流れで再生を止めてしまいがちな自分ではあるけども。
それでも、アルバムの真ん中辺りにある、このワルツ調の楽曲のことは強く印象に残っていた。Red House Painters後期からメジャー調で荒涼感を出すスペシャリストとなっていたMark Kozelekだけど、思い返せば元々はほの暗いコード感で憂鬱そうに歌うことを特徴としていた人だった。この曲は彼のそっちの側面が魅力的に表現された1曲で、ワルツのリズムに沿って延々と光の揺らめきのように鳴り続けるアルペジオの様がまるで夜の誰もいない道路を走る車を照らす月の光みたいで、そんな田舎道を走る際の孤独な情緒みたいなのを、ストリングス等も用いて丁寧に、その独特な歌の調子で巧妙にぶっきらぼうさも差し込みながら、美しく流していく。本当にずっと続いていくアルペジオの様が、冷たい質感なのにとても優しげに感じられる。
2010年代
31. 主人公 / 昆虫キッズ(2012年)⑧
東京インディー界隈きってのロックンロールバンドだった昆虫キッズの、その無敵に暴れ倒す勢いを大傑作『こおったゆめをとかすように』の中で『ASTRA』と共に炸裂させる高機動かつ無軌道なハードコアナンバー。冷たく機械的に響く冒頭の打ち込みマリンバの音に合わせる気もなく、それを上書きしてしまうような変則的なリズムは、しかししっかりとマリンバのワルツ調のリズムからはみ出さないようになっている。ひたすらアタック感の塊となったバンド演奏は、ドラムやギターはもとより、ピアノすらひたすらハードにリズムを叩きつけ続けるのが熱狂的。
そんなハードコアさがスッと解けるサビ的なパートは、それでも8分の6拍子なリズム展開で、ダジャレのようなというか筋肉少女帯から引っ張ってきたようなフレーズを、奇妙なメロディと冴えないまま覚醒したようなサウンドで不思議に展開させる。リードギターのフレーズが実にいいナンセンスさを放っている。基本的にはこの2パートの繰り返しで、そこにさらに大サビ的な終盤の展開も盛られて、全編をキリキリとモードチェンジしながらひたすら獰猛に躍動するバンドの姿は、その謎のエネルギーに突き動かされる様は、ひたすらに魅力的だった。
…早くこの曲の入ってるアルバムのレビューを書き上げて、しばらく前に書いたシリーズもの記事を閉じないといけない。ずっとしないといけないと思ってるけどもなかなか…。
32. 海と花束 / きのこ帝国(2013年)②⑥-B
5曲入りの作品集『ロンググッドバイ』はこのバンドでも特異な存在で、シューゲイザーバンドとして登場したバンドの、その方面での頂点として決定的な作品だった。この美しく壮絶に張り詰め切った作品の次からかなりモードチェンジしていくのは、今だとそれは大いに仕方のないことだなって思う。それくらいキレッキレな作品集だった。
リードトラックであるこの曲は、Weezer形式の叩きつけるような8分の6拍子で、それでその衝動性をそのままにシューゲイザーをやってしまうという力技すぎる1曲。使用しているコードはわずか2つで、メロディもほぼ1つだけ、という中でこれだけの爆発的な勢いのある楽曲を生み出したのは、当時のバンドのテンションが痛ましい理由により何かしらバグってたのかな、とも思える。
冷たく空間的に響くギターのシンプルなアルペジオ、同じく冷んやりとした空間的ミックスを施されたボーカル、ディストーションの効いた衝動的な展開の後の、一気に弛緩していくブレイク等々、映画の強烈なシーンと淡いシーンだけを繋ぎ合わせたかのような楽曲の様は、象徴的なワードの並ぶ歌詞共々、端的さの極みのような感じがする。衝動性に溢れていて、なおかつ完全に醒め切っているような、不思議な覚醒状態にバンド全体があったのかな、と推察したりする。当時ライブ観れて良かった。
33. Pink + White / Frank Ocean(2016年)③④
彼がR&Bの偉大な歴史を背後に抱えつつ、同時にRadioheadやElliott Smithなどからも強烈にインスパイアされていた、ということが最近ようやくなんとなく判ってきた気がして、自分でも遅すぎるって思ってる。ひたすら行き場のない情念がまっすぐに進行していく『Ivy』からジャジーなワルツ調のこの曲に繋がる箇所の、なんだか急に現実に断ち切られるような感覚がなんとも言えず良い。
ツヤ消しなピアノの音色が冷え冷えしていて、ヒップホップのフロウ的な歌の後ろで歌いまくるベースとか、途中からアコギが現れた時の急にリゾートっぽくなる感じとか、様々なものが出たり入ったりしながらも、楽曲の感覚としては熱を帯びることなく、ずっとスルッと通り過ぎていくような感覚がする。この「虚しく通り過ぎていく感覚」こそがこのアルバムの聴きどころなのか、と気づくとようやく「このアルバムは『Pet Sounds』と同じ」と言ってた人のことが理解できてくるような気持ちになる。それでも案外、この曲の歌詞自体はギリギリのところでポジティブな結論を有しているけども。
34. Daydreaming / Radiohead(2016年)①②
既にここまでの文章で何回か出てきたように、Radioheadにはこの記事に入れたい曲が他にいくつかあったけども、でもこの曲があることを思い出した時点で、まあこの曲だなって思った。彼らがワルツ調のリズムに託してきた「所在の無さを抱えたまま覚醒し続けること」という感じの情緒の、その総決算のような曲だもの。
頼りなくなるようなSEの後に、遠くから段々、柔らかくも冷たいピアノの三連のアルペジオが聞こえてくる頃には、もうこの曲の、情緒の最果てみたいな世界観が始まってしまっている。終始ドラムレスで進行するそのサウンドは、ボーカルがなければスロウコア派生のピアノインスト曲みたいな、廃墟の美を描いていただろう。だけど、ひとたびThom Yorkeという人の声が、そんなにメロディアスという訳でもないこの曲のメロディの中に現れると、一気に楽曲が”言葉と意味と意思をはっきり伴ったもの”として機能し始める。
間奏の、アルペジオのリズムが速くなって、様々なノイズが溢れて不思議の世界に迷い込むような感覚は、ひたすら頼りない放浪の果ての幻覚のようでもある。そう思うと、それ以降声がノイズ的に取り扱われ、EQによってアルペジオがかなり歪められていく終盤の展開は、放浪のはての雪山を遭難したまま幻覚のうちに死に絶えるかのような感触がするな…とバンド側も思ったのか、そのとおりのPVの構成になっていたりもするのが少し可笑しい。
それにしても、Radioheadの音楽的冒険の終着点が今の所この曲というのもまた、彼ららしい救いのなさがあって、寂しくも美しい話だなって思う。
35. Dark Side of the Gym / The National(2017年)①④
アルバム『Sleep Well Beast』でこのバンドが得た、現代的な透明感と覚醒感を真正面から受け容れる静かで誠実なダンディズムの様は、特に静かでゆったりしたテンポの楽曲でこそしみじみと感じられる。Radioheadだったら覚醒したまま最果てを歩いていくところを、彼らはその覚醒をどうにかして生活に落とし込もうとする。その辺は割と真剣に、ボーカルの声の高低の差が大きいのかもしれない。あと、ピアノというのは本当に使い用次第なんだなって、この2者の対比で思う。
このアルバムも終盤に3の倍数のリズムの曲が2曲連続で続く流れがある。より宗教的巡礼感がある『Carin at the Liquor Store』の後に、もっと落ち着いたサウンドで、ひたすらフラットに透き通った感覚が続いていくこの曲が流れる。アルバムで特徴的に使われたピアノはこの曲では他のキーボール・シンセ類に席を譲り、サビ的な箇所や間奏ではドリームポップ的な音色が、そのアットホームに落ち着いた情緒を壊さない程度にファンタジックに鳴り響く。Matt Berningerのバリトンボイスは、こういう落ち着いた曲を静かに歌うのに本当に適している。終盤で楽曲自体がグリッチに掛けられる不穏さはあれど、それでこの曲の彼の歌の、吹き飛びそうなワルツ調のムードとは真逆の安定感が描き消えることは無い。こういう曲ばかりでは飽きるかもだけど、アルバム終盤の作品の落とし所としては、とても頼もしくも美しい。
36. ANGELS / THE NOVEMBERS(2019年)⑤⑥-B⑦
このバンドがそれまでの”バンド”という制約をとっぱらって作品作りに励みだし、結果として出世作となったアルバム『ANGELS』の最後に現れるこのタイトルトラックは、彼らのリリカルな方面のセンスをしっかりと煎じて、The Jesus & Mary Chainという”原点”に還ったかのような非常にザラザラと荒い歪み方をしたギターを持ち出して奏でてみせる、異形のシューゲイザー楽曲となっている。
そして、頭打ちのリズムもしくは8ビート的な調子で進行しながらも、拍子はワルツ、ということで、この曲ならではの気品をメロディの時点から確保することに見事に成功している。冒頭や間奏等で見せる激しくもノコギリのようなギターサウンドも、あくまで歌の箇所の絶妙な情緒の漂流感覚があってこそ浮かび立つものだろう。”天使たち”という直球も直球なタイトルは作り手も気合を入れないといけないところであるが、彼らはその重圧に見合う、ザラザラで冷然として、しかしながら広大なスケール感を思わせる鋼鉄の羽根をここで美しく開花させている。それはある意味、中二病的な思想が本当に美に昇華された姿そのもののようにも思える。
37. Love is Everywhere / Wilco(2019年)②
Wilco – Love Is Everywhere (Beware) - YouTube
自身のレーベルを設立して以降の彼らの2010年代は、自身のサウンドの解体と再発見の歴史だった。Jeff Tweedyのソロも含んだその家庭の果てとして、アコースティックでフォーキーでカントリーな演奏の隙間にどれだけ”空気”を含ませられるか、という実験に彼らは勝って、名作『Ode to Joy』を完成させた。それはもしかしたら、Big Thiefをはじめとする、もう散々アメリカという国がやり尽くしたはずのフォークロック/カントリーロックというものを前進させうるバンドが幾つも現れてきたことに対する、かつて本当に前進させてみせた者からの祝福のようでもリスペクトの形のようでもある。
でも、リードトラックとなったこの曲を最初に聴いた時は、その地味さにちょっと驚いたのも事実。森の中で暮らしてる音楽みたいな調子の、しみじみとしたアコギのカッティングと素朴なバンド演奏で形作られたサウンドは、アルバムが出てサウンドの真意が判るまでは、なかなか地味に感じられた。仕掛けと意図が分かってからは、なるほどこの地味にテクニカルさに満ちたギターの三連アルペジオこそこの楽曲をフックしていく仕掛けで、でもその薄い塩味程度の味付けでもって、素材の味となる”空気感”そのものを聴かせようとしていたんだろうなと、曖昧にされたボーカルの加工や奥の方で聞こえるファンタジックなキーボード類の様などから理解できた。この感じは、近年のフォークロック勢が更に躍進した後に再度顧みられるのかもしれない。
2020年代
38. Ladies / Fiona Apple(2000年)③⑤⑥-A
Fiona Appleという人の強烈さの部分ばかりを打ちつけてくるかのような強烈なアルバム『Fetch the Bolt Cutters』の中で、彼女の特異さがシックなSSW形式で例外的に響くこのワルツ調の楽曲は、思わずホッとしてしまう瞬間でもある。
彼女の自由な歌唱はこの穏やかな曲においても縦横無尽に、時にラップ的に、時にソウル的に駆け巡るのだけども、それでもメロディアスさは損なわれないところに、三連バラッド形式の強力さを見た気になる。今作特有のスカスカな音の中で、リズム隊の存在感とささやかなキーボードの他はほぼほぼ彼女の声に圧倒され、でもその彼女が、この曲ではルーズながらも、だからこそのキャッチーさで楽曲を優しく牽引していく。途中から出てくる、ほぼ伴奏化したハミングのコーラスがちょっとファニーな存在感がある。終盤、ドラムと声だけになって、低い声で延々と呪文のように言葉を繰り返す箇所は流石にちょっと怖いけども。
39. Robert Lowell and Sylvia Plath / Aimee Mann(2021年)①
あと2曲は今年の作品から。まずは最近リリースされたAimee Mannの新作から。この新作アルバム『Queens of the Summer Hotel』は、ジャケットのセンスからも想像されるように、ロック的なサウンドから離れて、19世紀〜20世紀前半のアメリカ音楽にまで立ち返ってサウンドと曲を作り上げて行ったかのような、彼女の渾身のアメリカーナ作品となっている。初期の女性版Oasisみたいな楽曲の感じからは随分と遠くまで来たように感じられて、でも彼女の渋みはこういったスタイルでこそ自由に羽ばたけるのかもしれないとも思った。
アルバム2曲目に入っているこの曲もまた、ワルツ調のリズムに演劇的・クラシック音楽的要素をふんだんに取り入れながら、それらを2021年という現代の手法で配置し、彼女の乾いたボーカルと、古い作曲家のような大きなメロディの流れを重視した楽曲構成とで、シックでノスタルジックで、かつどこか冷然とした響きを持った楽曲となっている。やはり、対旋律的なコーラスの配置の仕方に現代性が特に表れている感じがする。現代的なサウンドを構築しようとするときのポイントはコーラスなのかもしれない。
40. Sparrow / Big Thief(2021年)②⑤
最後は、上でも少し触れたこのバンドの、来年出る予定の2枚組アルバムの一部となる予定の楽曲群のうちの、ワルツ調のフォークミュージックとして静かに強力なこの曲を。本当に来年のアルバムが楽しみ。
この曲の物凄いところは、Neil Youngが1970年代にやってたのと何も変わらないような軸の部分を持ち出しながらも、ほんのりと挿入されたエフェクトやらフィードバックギターやらで強引にインディーロックに仕立て上げてしまうところ。延々と同じメロディを繰り返し続けて、しかしながらとある箇所でオクターブを上げて高らかに歌い上げてみせる様は、むしろNeil Youngリスペクトな感じを受けつつも、そこに追随するコーラスワークの部分でやはり、現代的な美的感覚が感じられる。
それにしても、この曲もやはりどこか寒々しい森の中のような感じがして、もしかしてワルツ調の楽曲ってこういう冷たい感じになりがちなのかな、そういう特性のあるリズムなのかなってつくづく思った。
・・・・・・・・・・・・・・・
終わりに
以上40曲取り上げました。全部で約3時間弱。
ワルツにしても8分の6拍子にしても、なかなか作品中の主役になりにくいポジションだなあ、ということは、今回曲を集めてる段階で早々に判りました。やっぱり世の中、4の倍数のリズムの方が何かと使いやすいようで、そこはテンポもアレンジも大胆なことがし辛い3の倍数のリズムは難しいのかな、と思いました。
でも、それでもこの記事では、アーティストの代表曲となるような偉大なこのタイプの曲も扱ってきたと思います。このリズムは、古くからの伝統を強く感じさせるが故に、その効果を上手く自身の特性に結びつけられた時、もしくはその伝統を見事に解体し切った時に、素晴らしい効果を発揮するのかもしれません。
あと、今回取り上げた一部の楽曲における”放浪”の感じも、実に印象的でした。感覚的に、8ビートよりもワルツ調の方が不安定な情緒になり、それが放浪の頼りない感じとマッチする、などとここで言い切ってしまっていいものか不安がありますが、でもそんな感じがするような楽曲も結構集まったように思います。なんか冷え冷えとする感触もあったり。なのでそういうのと真逆のアットホームさがあるThe Nationalの楽曲は異色で、あんな穏やかなのが異色になるというその倒錯した具合が楽しかったです。
4の倍数のリズムに対するオルタナティブな存在として、3の倍数のリズムはやっぱり有力な存在なのは間違い無いので、あとはどう使えば有効か、ということだと思いました。逆に、3の倍数のリズムがメインとなる作品というのは、かなり思い切った作品のように感じれてしまって、そう思ってしまうのは何故なんだろうか、どういう歴史的経緯でそう思ってしまうんだろうか、という疑問も浮かびましたが、この問いは正直自分の手に余ります。
兎にも角にも、ワルツや8分の6拍子の楽曲をこれからも様々に楽しんでいきたいし驚かされていたいと思います。
最後に、今回の40曲のプレイリストです。3時間弱です。暇な時に垂れ流してるともしかしたら何かいいことがあるかもしれません。ここら辺で3万字を超えてしまった長い長い記事でしたが、最後までありがとうございました。
リズム関係の記事は他にもアイディアがあって、準備も進んでいるので早いとこ公開できればいいなと思ってます。
*1:”1小節”という単位もいまだに感覚的にきっちりと把握できてないけど、大体普通の8ビート的なリズムでスネアが2回叩き終わる周回までのこと、と把握してる。
*2:でも、このやり方を機械的にやるだけだと。きっちり”し過ぎた”シャッフルのリズムになって、本格的なカントリー感やブルーズ感はなかなか出なかったりします。特にグリッドでリズムを打ち込むDTMにおいてこの問題は難しく、各ソフトも微妙な揺らぎが出せるような機能を多く備えています。が、そういう揺らぎを出したいならやっぱちゃんと生ドラム録音した方がいいんでしょうね。
*3:まだ「シャッフルのリズムばっかりの人」の方が多いかもしれません。
*4:この書き方はあまりに4の倍数のリズムが意識の中で自明なものになり過ぎた人間の思考だと思います。世の中には3の倍数こそが基本で8ビートこそ異端、という認識の人だっているでしょうし、もしかしたら5拍子が基本でそれ以外は3も4もイレギュラー、という人だっているかもしれません。多様性。。
*5:あまり速くすると意味不明な感じになります。
*6:これは別に凄いドラムの人は全然そう感じてない気もします。
*7:この辺がニューウェーブやらヒップホップやらで敬遠される理由でしょうか。しかしなんで3の倍数だと無機質な感じになりにくいんだ…。
*8:所々でピンポイント的にストリングスが入ってくるけど、本当にちょろっとだけで、サビでは鳴ってるのかもしれないがギターの影に隠れる具合が絶妙。