ブンゲイブ・ケイオンガクブ

本を読まない文芸部員と楽器を練習しない軽音楽部員のような感じのブログ。適当な創作・レビュー等々。

『coup d'Etat』syrup16g(2002年6月):2002年の日本の下北系ロック関係(後編)

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 2002年頃に急に色々と現れてその後しばらくのロック界隈の潮流と人脈とを形成した下北系ギターロック界隈について、2002年にリリースされた10枚のアルバムをサンプルとして見直してみる、という趣旨の記事を前回から書いています*1

ystmokzk.hatenablog.jp

上記の記事で10枚のうち9枚を取り扱って、そして後半の記事である今回は、残り1枚のアルバムについて全曲見ていきたいと思います。それがこの『coup d'Etat』です。人によってはこの作品こそ、2002年のみならず、下北系ギターロックの最高傑作だと思う向きもあるんじゃないでしょうか*2

 

open.spotify.com

syrup16gの「coup d'Etat」をApple Musicで

 

 ここで取り上げなくてもどうせ別に、こんな強烈なレコードが歴史に埋もれるなんてこと考えられない気がしますが、何がそんなに強烈なのか、改めて確認していけたらなと思います。

 

 

前書き:概要

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このアーティスト写真はちゃんと『coup d'Etat』の頃のもの。

tower.jp

 syrup16gというバンドの大衆的な知名度が現状どれくらいあるのか。ミスチル桜井和寿bank bandで『Reborn』が取り上げられるなどの形である程度大舞台に出ることもあり、あの辺の下北系の世代の中では案外フジファブリックの次くらいにはあったりするんでしょうか。

 逆に、ある程度邦楽ロックを掘っていった人は恐らく何かしら行き着くだろうから、説明する必要は無いだろうなとも思います。下北系の世代の中でも一番狂おしく、鬱屈して悲劇的な経緯を一度辿って解散したバンドなので、幾らか伝説化されているところもあるかと思います。まあそこから再結成して、今年も新曲ライブを演るくらい健在ですけども。

 この前書き部分ではあくまで本作をめぐるテーマについてのみ極力簡潔に触れます。

 

アルバム概要

 このアルバムでメジャーデビュー*3、ということが事前に決まっていたタイミングの作品だということは、今作の作風に少なからず影響を与えています。それは何故かバンドの公式にこのアルバムだけ掲載されている以下のインタビュー記事からも伺えます。ちなみに前作となるフルアルバム『COPY』は2001年10月にリリース。

www.syrup16g.jp

 既にその『COPY』の時点で「基本的な要素が固まる」どころではない完成度を誇っていた彼らの楽曲とサウンド*4ですが、今作の楽曲やサウンドは一言で言えば、その純粋な発展系というよりむしろ、バンドの持っていた要素のうちのエッジの立った部分”のみ”を壮絶にブラッシュアップして叩きつけたような作風だと言えるかもしれません*5。その激しさが直接の原因というわけではないですが、今作の後にオリジナルメンバーだったベースの佐藤元章が脱退しています。

 

獰猛さ・シャウトのアルバム

 今作最大の特徴。本作ほどボーカルが叫び倒しているsyrup16gの作品もありませんし、むしろ本作ほど叫び倒しているロックのアルバムだってそう多くはないんじゃないでしょうか。上のインタビューにもあるような五十嵐隆のメジャーデビューに懸ける気合いは、ポップな方向ではなく何故かこういうエキセントリックな方面に行き着いてる気がして、変な人だな…と思います。そこが最高なんですが。

 14曲のアルバムのうちインストが2曲あるので、残り12曲が歌のある曲ですが、そのうち五十嵐の絶叫と言えそうな部分が一切存在しない楽曲は『幽体離脱』の1曲だけ、という事実がその壮絶さを思わせます。アップテンポな曲はともかくとして、静寂メインの楽曲であってもどこかしらにシャウトを挿入してくるのは異常というか、徹底的にそういう作品にしてやろう、というバンド側の意思を感じさせます。

 そして、五十嵐隆という人の、まるで叫ぶために生まれてきたかのようなシャウトの壮絶さ・そして美しさ。エネルギッシュな感じというよりむしろ、虚無の果てから喉と正気を生贄に消費しながら無理矢理に絞り出されたかのようなその絶妙に掠れて崩れた響きの、痛々しくも鮮烈な様。シャウトは彼の音楽における大きな魅力の一つですが、ほとんどの楽曲で叫びが聞こえてくる今作は、その部分を堪能するのに最適な1枚となっています。

 

ニューウェーブ・ミーツ・シューゲイザー(with グランジ)

 正直↑の内容はそもそもsyrup16gというバンドのサウンドの基本要素になりますが、今作ではそれが際立っているようにも思えます。

 今作に収録されている楽曲を強引にタイプ分けすると以下の4種になります。

 

①ヤケクソ気味にドライブ・疾走する曲

②静寂なオフからシューゲ的轟音のオンへの転換を繰り返す曲

③インスト

④その他

 

 ①②においては、基本的にオフの場面ではコーラスがかったギターの音が印象的に静寂を彩り、オンの場面では敷き詰められた轟音ギターサウンド音の壁的に展開されます。そこの切り替え方にはグランジ以降の極端さ・激烈さが用いられる、ということで、オフのニューウェーブ感とオンのシューゲイザー要素をグランジ的手法で結びつけたスタイルと言えます*6。これはsyrup16gの基本サウンドとも言えますが、でもART-SCHOOLも似たようなところがあったりもするので、どこか世代的な様相も帯びる感じがします。

 本来3ピースバンドはギターが1本だけのため、複数の轟音のレイヤーを重ね合わせたいところであるシューゲイザーサウンドは作りづらいように思えます*7。その点、今作では轟音のセクションでは様々にギターをダビングしていて、閉塞感ある作風のはずなのに妙に開けたような音響を見せる場面が多々あります。閉じたまま開けていく、鬱屈したまま躁的に炸裂する、といった逆説的なテンションの高まりは、今作の大いなる聴きどころです。

 そして、今作で脱退してしまう佐藤元章が遺した、高音を多用してメロディとリズム両方を構築していくベースの動きの素晴らしさ*8グランジ以降の楽曲をNew Order方式でやってみせたようなそのプレイには、今作の楽曲のアンサンブルの、分解寸前のような緊張感やアグレッシブさを音響にもたらしています。今作のアンサンブルを決定づけているのは案外このベースなのかもしれません。

 

(やや番外)五十嵐隆という作家性

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 このブログはこれまであまり正面切ってsyrup16gを扱ってこなかったので、この場を借りて整理しておきたいと思います。

 ”鬱ロック”みたいな感じで呼ばれることも多い彼の楽曲ですが、個人の苦悩や虚無感を歌った作品というのは相当昔からあります。The Beach Boys『Pet Sounds』のセンチメンタルさの結晶としての価値に始まり、日本でだって古くから見てもRCサクセションの初期などをはじめ、様々な事例があり、それらはどれも十分に深刻に暗かったりもして、別に特別syrup16gが”暗い”とは思いません。

 彼の世界観が特別なのは、個人の内面というよりもむしろ、社会の様々な様相からの”反応”として、突飛でユニークでかつネガティブなリアリティのある言葉が連なっていくからだと考えます。彼の独自性というのは、時に突飛すぎて、時にネガティブさの度が過ぎて、下手すると笑いに転化されてしまうほどの言語センスと、それを哲学者的な佇まいからではなく、都市の片隅を寄るべなく彷徨ういち男性として投げやり気味に表現するところにこそあります。投げやりに表現するからこそ、とんでもなく身も蓋もない論理に至ったりしてしまいます。

 そして、そういう彼の突飛な発想のぶっ飛び方は、今作から始まっている節があります。意外と『COPY』までの歌詞は、思念の中で最短ルートでネガティブさに繋がることが多いようです。

 

思考は無化し 言葉は頼りなく

薄ぼんやり誰かの 声を聴いている

生きているのが 怪しく思える程

僕は何故か 震えている

 

いつかは花も枯れる様に

壊れちまったね ここは怖いね

 

       『Sonic Disorder』*9

 

腐り切った様な思考の果て

歌になんない日々はそれはそれでOK

 

君は死んだ方がいい 外の世界はどんな風

後悔や四季や あと流星のキラめく世界

 

          『デイパス』*10

 

こんな感じだったのが、今作より後の作品ではこんな感じ。

 

少し何か入れないと体に障ると 彼女は言った

今度来る時電話して

美味しいお蕎麦屋さん 見つけたから

今度行こう

 

            『ex.人間』*11

 

ニュースは毎朝見る ところで思うんだが

占いのコーナーってあれ 何?

これから眠るのに 最悪とか言われて

結構感じ悪いんですけど

 

未来は無邪気に割り振られ 人は黙ってそれを待つ

 

   『タクシードライバーブラインドネス*12

 

選び出した事例が恣意的なのは自覚が多少ありますが、明らかに思念の中や関係性の意味だけで完結しない、より具体的な光景を見据えた歌詞になっています。彼は本作のアルバムタイトルの意味を「メジャーデビューするので、自分の曲を売り物にしてもいい、という自分に対しての”クーデター”を起こす」という意味で考えていたと言いますが、それがこういう形での社会との接続の意味もあったのであれば、それはなんかユーモラスというかズレてるというか、でもそこが本作以降の彼の世界観のチャームポイントだと思います。

 そしてそんな、社会に開かれ始めた彼のネガティブ寄りな批評眼が、激烈なサウンドと彼の類稀なる絶叫でもって時に痛切に、時にワケ分かんない具合に貫かれていく、それが『coup d'Etat』という作品なのです。それは結果として、聴いた人のネガティブ概念の底が抜けていくような、変な方向に盲が啓けてしまうような、そんなクーデターをも起こしたのかもしれません。「君と僕」の世界の範囲を超えたレベルで思考の地盤沈下を起こしていく彼の惨めな快進撃の、その爆裂的なスタート地点。

 

 

本編

 なお、本作はリリース当時、アナログ盤は特典的な形でインストの『Another Day Light』が収録され、それが2010年のリマスター再発の際に踏襲されたので、現在サブスク等でも聴けるものは『Another Day Light』が1曲目の曲順となっています。この記事もそちらを採用して記述していきますが、ぼくとしてはオリジナルCDの『My Love's Sold』から始まる曲順の方がずっと馴染みがあります。

 折角なので、上で示した①②③④のどのタイプに当たるかも楽曲名後ろに記しておきます。

 

1. Another Day Light(1:46) ③

 上記のとおり、元々アナログ盤限定で、しかし2010年以降は収録が基本となったインスト小品。小さめの音で構成されたピアノ作品で、たどたどしさの中に、アルペジオの優雅さや、どこか不安になるようなコード感が含まれていく。その様は、スロウコア出自のアーティストが作るピアノインストじみた荒廃の感覚があって、そういうものへの憧れを綴ったものなのか。

 おそらくは、このアルバムの最後が不穏なピアノソロで終わることと対比させるべく作られたもの。そういうコンセプトなんであれば、なんでCD初出時は収録しなかったのか不思議。でも、いきなり次曲のザラザラしたギターの音で衝撃的に始まることの良さも凄くあるので、どっちが冒頭がいいかは悩ましいところ。

 

2. My Love's Sold(5:27) ①

 上記のとおり、2010年以降冒頭曲ではなくなった、とは言え実質冒頭の曲。ザラつき倒した不穏さに満ちたイントロとは裏腹に、今作でも大変珍しいメジャー調のメロディを展開するセクションも有した、今作の突き抜け方を”宣言”するような壮大な曲

 まずはイントロのザラザラと邪悪そうなトレブルの利き方をしたギターのアルペジオが強烈に印象に残る。音色的にもコード的にも、SHERBETSの『人間の100年前』*13に通じるヒステリックな音をしているので、もしかしたらオマージュかもしれない。そこからコード感を同じにする冒頭部のメロディはいかにも不機嫌そうで、五十嵐の声のクールでエロティックな部分が出てる。演奏もダークそうなベースが躍動する。

 しかし、バンド全体で轟音を8分音符で叩きつけるセクションを過ぎると、突然メロディはメジャー調に切り替わる。コーラスとスラップディレイの掛かったブリッジミュートのギターには五十嵐が敬愛するThe Policeの影響*14がしっかり刻印されている。彼の声も妙にとぼけたような溌剌さを見せて、そのまま8分で轟音を叩きつけながらのサビで挑発的なフレーズを絶唱するのに連なっていく。

 

始まってもないぜ 言い訳好きだねぇ

もうだってさ信じていないもん

本当の自分なんてもんをねぇ

 

一応臨戦状態です

 

自身のネガティブな角度からの客観視。しかしそこから叫ぶフレーズが「一応”臨戦状態です」と投げやりさ出まくってる、この横着なのか何なのか訳の分かんないバランス感覚こそ、これから先前人未到の奇妙なネガティブさを発揮していく彼の特質だ。こんなハンパな心理を様々に多重録音したギターの轟音の壁の中で高らかに歌う、その滑稽さがどこまでもキャッチーだ。

 2回ほどメジャー調の展開をした後、ややマイナー調に炸裂する箇所で冒頭のメロディが再び登場する。その後の間奏箇所のファニーなギターソロはRadiohead『Pop is Dead』のオマージュかと思われる。そこから更に新しい展開を付けて怒涛の勢いから元のメジャー調のメロディに戻っていくのにはバンドの勢いの圧倒的な感じを思わせる。それは終盤の絶唱までずっとテンションのコントロールの仕方がぶっ壊れたかのように響き倒す。ひたすら鳴り続けるシンバル、トレモロ奏法し続けるギター、眼を剥くように絶唱したかと思うと低い声で歌う五十嵐隆。その様子はもう”狂騒”という感じで、もっと基本のテンションが低かった『COPY』からの変化を嫌というほど感じさせる。

 実質冒頭の曲ということでなのか、言葉の数々はひたすらパンチラインを連発し続ける。適当なことを必死に歌ってるような、その訳分かんねえテンションに引き込まれていく。

 

言葉はマイナースケール 心はプラス思考?

もうだってさ訳解らないもん

みんなが求めるものなんて、ねえ

 

一応臨戦態勢です 生きていたいと思ったんです

一応臨戦態勢です 生きていたいと思ったんです

 

あとは何か適当さ 安心感なんか敵だろう

 

適当とか抜かすその直後に「安心感なんか敵だろう」と狙い澄ましたことを言う、この一貫性のなさ、グダグダさ、そこにこの曲の怒涛の展開が相まって、聴く人の価値観自体を時に揺らがせに掛かってくる。メジャー1発目を奇妙に挑発的にブチ上げる、名盤の始まりを高らかに告げる名曲。

 

 

3. 神のカルマ(4:30) ④

 前曲の勢いを全く損なわぬまま冷たい質感のドラムの8ビートと、次に今作的な高音ベースラインから始まっていく、冷たいコード感と緊張感ある雰囲気、そしてその緊張感を痛烈に破る破滅的なカタルシスの具合だけで聴かせてしまう大名曲。彼らの代表曲のひとつに数えられるだろう。

 この曲は今作のバンドアンサンブルを象徴するメロディを奏でていくベースの存在感がキモだろう。高音ではあるけれど、高過ぎる位置ではない微妙なラインを、歌の裏であろうとウネウネと鳴り続けるものだから、緊張感のあるコード感やギターの冷たい轟音の中で絶妙な気味悪さを発揮している。コーラスも掛けてるのか。

 五十嵐のボーカルはAメロの断片的なフレーズから繋ぎのフレーズ、そしてBメロで一気に神々しく連なっていく流れが、特別美メロという感じではないのに、何か厳かな感じがある。まるでぼんやりした意識がメロディが展開していくに従って怜悧になっていく、その様そのものが音楽的とでもいうような。その厳かさを最初の間奏の唐突なシャウトやタイトルを含むサビでの絶叫で破っていくところに不思議なカタルシスがある。特に最初の感想の「オイ!」と叫ぶシャウトはかなり唐突で最初は意表を突かれる。

 考えて見れば見るほどこの、特別メロディが凄い訳でも、壮絶な疾走感や攻撃性があるわけでも、演奏に突出した仕掛けがある訳でもない楽曲がなんでこんなに名曲なのか、上手い説明ができない。五十嵐以外のボーカルが同じトラックの上で歌っても同じように名曲になるか疑問さえ浮かぶ。Bメロの箇所のボーカルの静かな勢いとギターの荒れ狂う様はどっちが欠けても楽曲が成立しなくなる感じがするし、最後Bメロと同じメロディで展開していく新しいメロディの歌詞共々の独特さは、これがsyru16gだという説得力に満ち満ちている。この曲の魅力を他の人が引用しようとするのは骨が折れ過ぎるだろう。

 歌詞で描かれる世界は、なんかもう「君と僕」を遥かに超えた、なにか世界の終末か何かだろうか、みたいな光景をにわかに呈している。

 

いいかあ 要は そういう タイミング

大丈夫 太陽 十分 あるし

暴力が無いうちに 退屈しすぎて 死んじまいたい

 

サイレンが聞こえてもまだ 歌うたっても いいの?

細菌ガスにむせながら 歌うたっても いいの?

 

これは何だ 神のカルマ 俺が払う必要は無い

 

「これは何だ」って言いたいのはこっちの方だよ!という思いも虚しく、”神のカルマ”なるものの支払いの拒絶について絶叫する五十嵐隆。”神”というワードは本作の歌詞でもキーワードとなる要素で、どうやらこの現実世界の理不尽を象徴させられているようで、そこに対する自棄っぱちの反逆が、本作のテーマの一角としてあるようだ。

 終盤の歌詞なんて、絶対彼からしか出てきそうもない。

 

心療内科のBGMが 空いてる鼓膜にからみついて

息が出来ない

最新ビデオの棚の前で 2時間以上も立ちつくして

何も借りれない

 

何を借りればいい 何を借りればいいんだ

 

「そんなこと知らねえよ!」という思いもありつつ、ここで心療内科レンタルビデオショップを併置させてくるこの日常世界の設定の仕方が、強烈に目線を世間に開いていく当時のsyrup16gの世界観を象徴している。そしてこのビデオの下りについては、現代資本主義の混沌に対する訴えかけとして、それこそ同時期のRadioheadの「共食いしなければ生きていけない資本主義社会」というテーマを裏側から照射したような情緒さえ放っている。

 絶大な人気を誇る曲で、ライブでは最初の演奏が激化する地点でオーディエンスが「オイ!」と叫ぶのが定番化している。

 

 

4. 生きたいよ(6:37) ②

 ここで一回クールダウン、とばかりに今作のサウンドのオフの側面が強く出た雰囲気が現れる。しかし、そんなオフの冷めた雰囲気と、サビでのオンの狂おしく絶叫する雰囲気とが交差する、そんな典型的に今作的なミドルテンポの楽曲。今作で轟音が発動しない楽曲はインスト・インタールードを覗くと1曲しかなくて、これはそれではない。

 淡々と進行するオフのパートは、直線的な演奏のニューウェーブ的な空白感が持ち味で、特にその直線的な雰囲気の中でメロディアスに小節の変わり目を動くベースが演奏面をリードしていく。五十嵐のボーカルも淡々としていてリバーブも無い乾いた質感、かと思ったら、同じ調子のままオフ側のサビ的なメロに展開すると多重コーラスが付与され、奇妙な奥行きを形作っていく。

 そんな調子で延々と淡々といくと6分超えはきついだろうけど、そこはこの時期の激烈になりたがるsyrup16g、2分前くらいからいよいよシューゲイザー的な轟音を解放してラウドかつルードなグルーヴに一気に変貌する。新たなメロディが登場し、それまでの歌詞よりもずっと攻撃的なフレーズを扇情的に歌い上げ、ギターソロが突き抜けていく。

 もう一度オフに戻った後、最後のオンに突入するといよいよ楽曲のテンションは最高潮に向かって暴走していき、更に新しいメロディが登場し、ほとんど絶叫のようにそれを歌い上げた後に、オフ側のサビも叫ぶように歌った後に、首が吹っ切れそうなくらいのシャウトを放って轟音パートが終了する。その後オフのパートに戻るのは次の曲へ入る前に一度クールダウンするかのようだ。

 歌詞も、オフとオンとで内容が大きく変わり、オフの方では恋人との離別で虚無を噛み締める話になっていて、『COPY』までの世界観を思わせる。しかしオンのパートになると、一気にそれを嘲笑うかのような歌詞に変貌していく。

 

今さら何を言ったって 四の五の何歌ったって

ただのノスタルジー 生ゴミ持ち歩いてんじゃねえ

 

そして唐突すぎる達観。韻に任せたようでもある。

 

一生って短いね 一瞬で消えちゃって

逝っちゃって 後悔するのよね

 

この二行の捉え方によっては、彼女が死んだ歌にもなるのか。今気づいた。この曲のタイトルは『生きたいよ』だったなとふと思う。死生観の曖昧な情景にシューゲイザーサウンドは実によく馴染む。

 

 

5. 手首(5:07) ①

 本作でも『天才』と並ぶ、syrup16g的なキャッチーさをギラギラに放ちながらダークに疾走する痛烈なアップテンポの楽曲。タイトルからして”手首”と、聴いたことが無い人でも「あっこれはリストカット的な…」と思わせるに十分な気配を見せ、実際そういう曲ではある。ではあるけど、歌詞の論理の流れは単純ではない。五十嵐隆の詩世界がどれだけネガティブな領域で致命的にバグってるかも、この曲で端的に判るかもしれない。マイナー調で疾走するのは『Sonic Disorder』からの彼らの王道で、これも代表曲だろうか。

 ブリッジミュートのアルペジオとルート弾きのベースだけで、この曲の迫り来るヒステリックな雰囲気が理解できるというもの。ドラムが入ってきて、ギターに濃いコーラスが掛かっていることが分かって、案外ニューウェーブ色が強いことが判る。この曲においては間奏でもギターはメインフレーズの部分が強調されており、コードカッティングのダビングは避けられ、シューゲイザー的轟音ではなく、極力3ピースバンドっぽい音像になるように整理されている*15。そんな直線的なニューウェーブサウンドだけど、そのスカスカさの上に乗る五十嵐のボーカルは初めっからグランジバンドの”オン”の時みたいな基本血の気立ったシャウト調になっている。なにせ、いきなりこんな歌詞でかましてくるんだから。

 

くだらない事 言ってないで 早く働けよ

無駄にいいもんばかり食わされて 腹出てるぜ

 

新しいもんは何もないさ

目に写るものは すべてもうそこにある

多分ある 見たことあるぜ

 

いきなり断定的にディスってくる冒頭二行と、その後の虚無的なことを言っているようで微妙に言い回しが雑な三行とをパッツパツのテンションで歌って、掴みはOK。ネガティブでウジウジしたバンド?syrup16gはそんなタマではない。

 そんなダークで直線的な進行がBメロで急に遮られる。ここばかりはかなり轟音を左右のチャンネルでかましてくる。ボーカルの絶叫も含めて、迫り来るような、追い詰めるようなそれは、サビの冷めたようなテンションの前フリに他ならない。そう、この曲のサビはテンションが落とされるんだ。ギター演奏はアルペジオ的なフレーズのみをバックにコードカッティングが入らないからスカスカな演奏で、メロディもそれまでも低いラインを紡いでいく。実に挑発的でバグった挑発をかます歌詞とともに。

 最初のサビ後の展開も、やはりAメロはテンションが高く、いきなり意味もなく絶叫したりする。他の演奏が平静に戻ってるからこの絶叫はかなりシュール。割とマジでギャグを狙ってる節がある。でも、最後のサビ後の展開は流石に段々と盛り上がっていく。元々低かったサビのメロディも次第にうわずっていき、そしてやがて今作の象徴である訳の分からない絶叫に到達して、ギターソロとともに疾走していく。

 上記のとおり、冒頭にいきなり挑発的なフレーズをかましてくるけども、それでもやはり一番挑発的なのはサビ前〜サビの流れで、掛け合いのようなそれはまるでタチの悪い漫才を見ているかのようでもある。

 

ジーザス ジーニアス キングオブフリーダム

一生懸命 生きている私に どんな罪があるんですか?

 

いっぱいあるさ 死ぬ程あるさ

っていうかお前は 何でそこにいる

 

そんなんね 言われたって 手首 切る気になれないなあ

もうだって 両手はとっくに 血まみれのままさ

 

読み方次第ではあるけど、この曲のこの部分は現代に生きる普通の市民の罪について問うていて、それは「どこかの人々が搾取されることによって別の人々が普通の平穏な生活を営んでいる」というRadioheadの問題意識とリンクし得る。そう思うと、罪を責められた側はそんなことを言われても「手首を切る」というセルフ断罪をする気にはならないと言う。だってとっくに、その両手は他の誰かの血で「血まみれのまま」だから

 割とマジで『Amnesiac』の頃のRadioheadと共振する世界観を、メンタルヘルスの拗れを隠れ蓑にして表現してみせた歌なのかもしれない。この曲はメンヘラの歌ではなく、案外に政治的な歌なのかもしれない。そう思うと、この曲での絶叫の意味も大いに変わってくるところ。今作以降の五十嵐隆は、マジに恋愛関係を超えた社会のことで絶叫していたりするから、ネガティブの意味が全然変わってきてしまう。

 

 

6. 幽体離脱(5:13) ②

www.youtube.com

 今作で唯一絶叫らしい絶叫をしない、今作でもとりわけおとなしい方の、しかしシューゲイザー展開はやはりするゆったりした楽曲。地味な方だとは思うけども、なぜか上記のとおりPVが存在する*16

 前作でも『She was beautiful』等で聴かせた、澄んだ鐘の音のようなギタートーンをメインに”オフ”の方は進行していく。ムーディーにうねるのを反復し続けるベースがために案外躍動感があって、16ビートの感じが薄らあるところが特徴的。五十嵐のボーカルもエコーやコーラスなどで奥行きを持たせるように響かされている。

 そこからのシューゲイザー展開の、激しいけども静かな情緒をどこか保ったままな雰囲気は今作でも独特のものがある。五十嵐のボーカルも叫ばず、小節の縁を儚げになぞっていく。静かな情緒だからこその浮遊感が、この曲からは感じられる。サビ終わりのベースの落下していくようなラインが美しい。

 終盤等で追加されるメロディも無く、唐突な絶叫も無く、ひたすら一貫した「何か深刻で沈痛な静寂」の感じが続くので、今作で一番シューゲイザー的な無情感・埋没感が得られるのはこの曲なんだと思う。逆に、五十嵐が叫ぶというのは、今作においてはそういう埋没感に対する”反逆”の意図があるのかなとも思ったりする。

 歌詞は、前半は『COPY』までと似た「君と僕」の臆病で神経質な関係性について語られる。だけど後半では、やはり社会的な目線が挿入されてくる。

 

最終回のドラマでボロボロに泣いた

思ってるより俺は単純なようだ

「愛情が怖いんですか」

裏切られた人間しか分からないさ そんな気持ちは

 

この辺の、自虐と世間へのシニシズムが交差する仕組みは五十嵐隆。「君と僕」の歌だったはずのこの曲で、実にさらりと”世間一般”に弓を引いてくる。

 

 

7. virgin suicide(3:21) ③

 次曲への橋渡し、ということでも別に無いような、バーブの霧の向こうでギターや声らしき何かや太鼓が鳴るインスト曲。一度展開するものだから、案外尺が長い。3分を余裕で超えていたとは。どちらかというと前曲の余韻をより不思議に膨らませていくような感触がある。ギターアルペジオにはやはり深いコーラスが掛かっていて、やっぱりコーラスエフェクトは彼らのトレードマークだな、と思わされる。

 というか、この曲の前と後にPVが作られた曲が並んでるのか、と思った。

 

 

8. 天才(4:44) ①

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 今作きってのキラーチューンであり、全編ヤケクソじみた疾走感で疾走していく攻撃的な楽曲にして代表曲。まあ、あと何曲か後に全く同じフレーズが当てはまる曲が存在してるけども。PVもバンドの野生的な躍動感を全力でプッシュしようとカメラが五十嵐を追いかけ続け、五十嵐もそれらしくやろうと一生懸命動き回る可愛い

 ひたすらコーラスでエグい音になったギターを中心に疾走していく楽曲で、この曲もシューゲイザー的な轟音は回避され、3ピース的な音響になるようしっかりと整理されている。『手首』と違い、こちらはメインのギター以外のフレーズを弾いてるギターの音も聞こえない*17ので、正真正銘3ピースバンドの演奏に収まっている。なので、スカスカさの中にコーラスがエグいギターの反響と、ひたすらドライに大きめの音量で響く五十嵐のボーカルと手数の多いドラムのロールやシンバル連打が、次々に押し寄せてくる。

 要所要所でポイントとなるブレイクが存在し、そこにギターの残響がいいようにかかる仕組みとなっている。コーラスの効いたギターの鳴りはそれ自体がどこか不健康そうに響くから面白い。Aメロ〜Bメロではタムを多用し、サビや間奏ではひたすらシンバルを乱打しまくるドラムのヤケクソっぷりも実に楽しい。

 そして、彼らにしてはかなりしっかりとそれと判るギターソロが、しかも2回も用意されている。彼らの全楽曲でも最高レベルにテクニカルなギターソロで、ライブでは上手く弾けないまま勢いで突っ走ることも多々あるとか。

 五十嵐のボーカルはAメロ・Bメロの抑えた局面においても、血管がパツパツな雰囲気を漂わせ、そしてサビではもう全部絶叫してるようなもんでもある。サビ終わりの低くなるメロディの箇所が一番瞳孔が開ききったような鬼気迫る感じがする。そして最後のサビ後のブレイクの後に「オイ!」が炸裂し、最後のギターソロに向かっていく。

 歌詞は、もういよいよ”彼女”的な存在も消えて、自問自答で七転八倒するような、深刻さと意味不明さと、意味不明だからこその深刻さがテンション全開でブチ撒けられていく。

 

ヤバい空気察する能力オンリーで生き延びた

笑ってよ

 

変な言い回しのせいで本当に笑えてしまう。言いたいことはわかるのに。

 

車道から歩道から軌道からの脱出ゲーム

パワーバランス 苦労話 バラされてもねえ

後から向こうから端っこから陸海空

遊ばない カラまない 力合わせたくない

 

チェインソウ 冴えまくる刃 30時間使用でも平気さ

謙遜してる暇ないや なんか悟ってそうな事を言え

 

ひたすら身も蓋もないような、又はそもそも何の話をしてるんだよ…?って感じの話が連なっていくけど、どことなく「”ロックバンド”をお題にしたあるあるとシニシズム」をテーマにした歌詞なのかなあと思う。「なんか悟ってそうな事を言え」はあまりに身も蓋も無さすぎて、よくそんなこと思いついたな!と感心して尊敬する。ロックバンドに限った話じゃない。おれもこの記事でなんか悟ってそうなことが書けてるだろうか。

 

 

9. ソドシラソ(4:15) ①

 相当ヤケクソだった前曲にも増してヤケクソな、今作でも随一のヤケクソっぷりを発揮しながらストップアンドゴー形式で打ちつけとマイナー調疾走を繰り返す楽曲。中弛みなど感じさせてたまるか、というバンドの激烈さが伝わってくる。

 冒頭からコーラスの濃いギターのカッティングと、ストップアンドゴーを繰り返すリズム隊、そして開始9秒でいきなり五十嵐のシャウトが響いていく。どれだけこの曲がヤケクソかを示している。その後もこのストップアンドゴーな展開に、ほとんど叫ぶ寸前みたいなボーカルで吐き捨てるように歌っていく。

 サビでは一転、流れるような透明感あるコード進行に、ひたすらべらんめえな具合にシャウトするようなボーカルでメロディを乗せていく。マジで勢い一発な感じなのに、メロディはそこそこキャッチーに仕上げてくるのがキッチリしてる。この曲も3ピースバンド本来のギターの音数で演奏してる風なアレンジになっている。サビ後のギターソロはリズム隊の音だけが鳴るスカスカの中を流れていく。

 終盤、タイトルを歌い始めるところから、演奏のテンションとは逆に叫ばなくなる。全然”ソドシラソ”じゃないこと*18を本人も認めてるメロディを延々と繰り返して、声だけフェードアウトしていき、それが消えきった頃に最後のギターソロに突入していく。

 歌詞もまたヤケクソ全開で、そして五十嵐の生活の感じそのままな、今作でもとりわけはっきりと自己言及チックに仕立てられたもの。

 

歌うたって稼ぐ 金を取る

シラフなって冷める あおざめる

辛くなってやめる あきらめる

他に何が出来る?

 

悲しくなんて別にねえ はなから何もする気ねえ

愛してるなんて言ってねえぜ 知らねえ

 

実に身も蓋もない。「他に何が出来る?」はでも、ヤケクソの中から出たギリギリのポジティビティーだと思う。バンド解散後にまんま自分自身がこういう状況に陥っただろうし。

 

 

10. バリで死す(6:25) ②

 また静かなオフとシューゲイザーな”オン”を往復していくタイプの楽曲。このアルバム、曲調の幅は全然広くない。この曲はその轟音のオンオフに、全然別のラインを歌う二つのボーカルラインが絡んでくることで差別化された楽曲。ちなみにバリ島には大学浪人中に家族と一緒に行って、現地のケチャに衝撃を受けて、それ以来引きこもるようになったらしい。なんだその変なエピソード。

 イントロのコーラスの深いアルペジオが耽美に旋回する様は、なんかラルクのどれかの曲で聴いたことがありそうな雰囲気がする。ただ、その後はオフのセクションではダブのような、少し民族音楽的でもあるようなハネたリズムで進行していく。低い声で囁くように歌うボーカルとは別に、背後の方でリバーブマシマシで高い声で何やらを喚くように歌うボーカルも聞こえてくる。なんだかシュールな奥行きが生まれてる。

 冒頭のアルペジオが入ってきてメロディが変わって、そこから”オン”に入っていく流れは周到に作られている。この曲も轟音が1本のギターで鳴らされてるような感じで、ダビングによる音の壁感は薄い。その分なのか、サビの轟音でもベースが結構高いメロディまで弾いていくのはカオスな感じになっていてユニーク。

 2度目以降のサビではメロディが追加されて、なんなら轟音の中で途中から非常に強引に8ビート気味の6/8拍子に切り替わってみせる。シンコペーション具合も含め、この辺のグダグダさこそがこの曲の本当の特徴であり、そこから強引に元の変なリズムに戻るところのわびしげな感じは、まあこうするしかないよな、って感じに包まれる。

 全体的にどこかシュールな雰囲気がありながらも、最後の轟音パートの中で絶叫を唐突に差し込んでくるのもなかなかに行き当たりばったり感があって、でもそれを強引に格好良く通してしまう五十嵐隆のボーカルに、本当に力技だなあ、と思わされる。最後は6/8の方のパートでそのまま完結する。

 歌詞は、二つのラインが交差してくるのでなんかイメージの焦点が上手く合わない。その頭こんがらがる感じを狙っているんだろうけども。不健康そうな歌詞。適当に韻に任せて書いてそうな箇所もあるけど、そこでのしょーもなさげなユーモアセンスに五十嵐の人間性が浮かんでる。

 

三遊間超えた 親友が肥えた

不完全燃焼な フランケンシュタイナー

預金通帳貯まった タランティーノじゃなかった

全人類兄弟 けんちん汁ちょうだい

 

この辺の意味を乗せる気のないテキトーすぎるワードセンス、この後もたまに出てきてはちょっとクスッとなるので結構好き。この曲自体は正直苦手。

 

 

11. ハピネス(5:56) ④

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 今作で唯一轟音が一切鳴らない、静寂の中をアコギのストローク中心に6/8のテンポでゆらゆらと寂しく歌い上げていく、今作でも随一の大名曲Radiohead『How to Disappear Completely』辺りからの影響を感じさせつつも、今作で一番やるせなさに満ちたsyrup16gのリリシズムに染め上げられている。どこまでも心細く、だからこそ美しい。

 右チャンネルのアコギをメインに、他の演奏も実にソフトに入る。僅かに煌めく左チャンネルのエレキギターのフレーズは最小限に抑えられ、またベースの動き方が実に寒々しい光景を不思議と想起させる。そして、ドライな空気をとてもドライに響く五十嵐のボーカルの切実さには、今作の他の曲で見せたヤケクソさやユーモラスさは消え失せ、ひたすら醒め続けていく。ボソボソと歌われるのはやはり、”君”の出てこない、彼の生活や視点から立ち上がってくる、どこか感情の籠らないイメージの数々。その”感情の籠らなさ”に、本当にシリアスな虚無感が漂う。

 サビで叫ぶギリギリのテンションからファルセットで歌う様は、本当にThom Yorkeみたいだ。あまりにRadioheadにばかり託けるこの文章にもそろそろうんざりするけれど、この曲は本当に、そういう地点を目指して歌われているんだと思う。

 曲が半ばを過ぎた頃に、この静寂の中を血管がはち切れんばかりに声を張り上げミドルエイトを叫びだす五十嵐隆の痛々しさ。そしてそこで歌われるフレーズの、諦めきったような、非常に雑な幸福の展望。そしてそれが最後のBメロ、そして短いブレイクを挟んだ最後のサビに繋がっていく様は、間違いなく本作のハイライトだ。

 

頭はハピネス いつもハピネス 多分ね

一生 俺はハピネス 不幸もハピネスだろう

 

だからいつも祈るんだよ 不浄な罪 犯ちの

すべてを償って またここへ帰るんだ

 

ねえ そんな普通をみんな耐えてるんだ

ねえ そんな普通をみんな耐えてるんだ

 

そうか そうか そうだったんだ

そんな そんな そんな もんだ

 

『手首』にしてもそうだけど、一体五十嵐がどういう類いの罪の意識を持ってこういうことを歌うんだろう、とは不思議に思うところで、そしてもし仮に、ここでの罪の意識が『手首』の項で書いたことと同じ「現代人の罪」に関することであるのなら、この曲はどれだけ果てのない虚しさを背負った歌なんだろうか。輪廻転生の要素も入り混じっていくこの世界観の中で、「そんな普通を耐える」と表現するその視点の、その向こうにはどんなのが見えてたんだろうか。

 

 

12. coup d'Etat(0:33) ①

 アルバムタイトル曲だけども、実質次の曲のイントロのようなもの。ライブでも大抵セットで歌われる。再びやぶれかぶれのテンションに戻った五十嵐が、ザラザラと荒く歪んだギターの邪悪そうなアルペジオだけをバックに、露悪的なテンションで吐き捨てるように歌う。

 

声が聞こえたら 神の声さ

 

 たったこれだけのフレーズだけど、前曲の虚空の中神に祈るような様相といい、そして次の曲が『空をなくす』というタイトルだということ*19といい、上手い具合に繋がっている。絶対初めから計算してやった訳じゃなく、上手いこと繋がっただけなんだろうか、そうやって偶然に上手い繋がりを作ってしまう人間のことを”天才”と呼ぶ。

 

13. 空をなくす(4:27) ①

 今作で一番テンションが振り切れまくった、ヤケクソの境地のように3ピースバンドの演奏をひたすらグチャグチャに叩きつけ倒し続ける4分半、全編ヤケクソじみた疾走感で崩壊しながら疾走していく攻撃的な楽曲にして代表曲。『ハピネス』からこの曲への流れは本当にこのアルバム最大の山場だし、syrup16g全作品でも最高潮の場面のひとつだろう。

 この曲ばかりはコーラスエフェクトを切り、前曲に引き続いてザラザラと醜く歪んだギターサウンドを切れ味の悪すぎるノコギリのようにひたすら掻きむしり続ける。ベースは今作的な高いポジションの音で反復をし続け、そして今作の象徴である常軌を逸したシャウトの裏で入るドラムカウントから、ハイハットを連打し続けるドラム。

 おそらく、この曲だけは歌以外は一切一発録りされたものと思われる。ひたすらテンションにのみ任せ切ったギターサウンドそしてドラムを、分解してしまわないよう一生懸命にベースが縫い合わせる。最高にグダグダで、ラフで、そしてsyrup16g史上最もブルータルな3ピースバンドのスタジオ演奏がここにある*20。首から上が沸騰してしまったかのような明らかにおかしいテンションで五十嵐が歌う。あまりに振り切り過ぎて底から一気に天に登ってしまうかのような”自嘲”。

 

塾から帰る子供のでかい態度に 殺意すら覚える

「力で何が変わるの?」とうそぶく君の 歪んだその顔も

 

悲しい性です

「もっと上へ」なんて 上なんて何も無いけど

 

「子供」は「ガキ」と歌われる。塾帰りの子供に本気で殺意を覚えるロックンローラーがかつていただろうか。この訳のわからないテンションのくせに、上昇志向をメタクソにディスる鋭さをしれっと持ち合わせている。それにしても「もっと上へ〜」以降の箇所の歌い方のブッ壊れ方は凄まじい。低いところから自分の身体の皮ごと地べたを剥がさんとするような、錯乱し切った、最強のシャウトだろう。

 楽曲は急にテンポを落とし、破滅そのものの音を出したかと思ったらまた疾走を再開して、この歌の歌詞にしっかりとケリをつける。そこの歌い方の、壊れてしまった後のような低い語調がまた、気が変になったようで恐ろしい。そのまままたスローペースで進行しながら、すぐに加速していくときの、ガチャガチャしまくってもうヤケクソが過ぎるほどのバンドサウンドの軋み方が本当に好きだ。最後、締めのフレーズを歌って、一気にバンドサウンド全部を強引に打ち切ってしまう。その投げやりの果ての壮絶さの、やり切った感じがクソほど格好いい。

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 元々が抗不安薬のダジャレから着想を得ただけとは思えない、本当に重力がねじ曲がってしまうかのような強烈さ。どうしてこんなことになったんだろう。彼らだからこそ可能なガレージロックの形がここにある。誰も、こんな境地に辿り着けない。場合によってはこれより後の彼らさえも。この曲、こんなにヤケクソなくせにメロディがキレッキレに良過ぎる、曲が単純に良過ぎる

 

今は飛べるよ まだ飛べるよ どこまで?

今は飛べるよ まだ飛べるよ この空をなくすまで

 

 スタジオ版がほぼほぼライブ演奏みたいなものだから、ライブでも物凄いテンションで演奏され、中にはスタジオ版を超越したテイクもあったんだろうな、と思った。そういうのを観れた人は羨ましいな。

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14. 汚れたいだけ(7:15) ②

 前曲でヤケクソの頂点を極めたアルバムを締める、静寂とシューゲイザーを往復するタイプの決定版みたいなテンションのバグらせ方をした曲。最後もそれか、という感じもしたりして。本当に今作のこっちサイドの楽曲はかなりワンパターン気味ではある。

 この曲での”オフ”のパートは、ボリューム奏法でフワーッと浮き出てくるギターサウンドがメインとなる。そして、冷えたドラムの音とダブ的に低いところをうねるベースラインが進行し、醒めたツラの五十嵐ボーカルが囁くように乗っていく。関係性の中でドロドロと情念の理屈を転がす様は『COPY』以前の世界観が渦巻いていく。シューゲイザー展開も、低いボーカルでドスの効いた調子で歌われる。最初は。

 意外と展開が早く、2分過ぎる前には2回目の轟音サビに入る。そしてここで新しいメロディが登場して突如絶叫し始める五十嵐。最後までこの今作のカルマをやり通す。その後の間奏の、ベースの高音でのうねり方が美しい。

 そして最後のAメロで、これまでの内向的だった歌詞が一気に極論に飛んでいく。

 

復讐するのが 生きる意味に成り果てても

悲しむ事はない

復讐それだけが 生きる意味に成り得るんだよ

疑う余地はないね

 

しょうがないね しょうがないね しょうがないぜ

 

静寂の中でこう歌った後に、本作でも随一の壊れ切ったシャウトを延々と伸ばしていく様は、本当に、その身をそうやって捧げて、何を得ようとしてるんだろうかと思う。最後はひたすら痛ましいシャウトの連打がドロドロしたタイトルコールに吸い込まれて、最後の短いシャウトもすぐ轟音の中に消えていく。

 

脳が思考の停止を始めたら そこから何か落とした

探してみたってもう 見つけられるのは自分の手

 

壊さないで 壊さないで 壊さないで

 

汚れたいだけ 汚れてたいだけ

汚れてたいだけ 汚れてたいだけ

 

 演奏が終わった後しばらくして、無音の中から不安になるようなピアノ演奏がフェードインして、そして通り過ぎていく。バンド演奏の死に絶えたような達成感ではなく、このドロドロ気味な音響を最後に付け足したこと*21の気味悪さは、まるで清々しさを拒絶するような響きにも思える。

 

・・・・・・・・・・・・・・・

終わりに

 以上14曲、合計時間65分37秒*22。2002年版CDだと13曲で63分51秒。

 メジャーデビューだから、という五十嵐隆の気迫がひたすら伝わって来る1時間だと思います。振り切ったテンションは、スローテンポの曲がワンパターン気味になる弊害はあったかもしれませんが、メジャー調のメロディがほぼ『My Love's Sold』のみに限定されるということも含めて、非常にやり切った感じの世界観が構築されています。破滅的なシャウトを連発する作品で、破滅的な要素でも世界観を構築することができる、というのは芸術作品ならではの美点です。

 書いていて思ったのは、この作品は割と本気で「変なテンションの時のRadiohead」を目指して作られた作品なんじゃないのか、ということ。スローテンポ曲の”オフ”の際のビート感には『National Anthem』的な感覚が感じられるし、一部微妙にオマージュがあったり、そしてとどめが『ハピネス』の存在。個人的には、もしかして本作は日本でも有数のRadioheadサウンド面でも、そして精神面でも肉薄した作品なんじゃなかろうかとさえ思えてきました。それもどちらかといえば『Kid A』以降の作品に影響を受けてる節があります。まあ歌詞もサウンドも、どこまで狙ってやっててどこから天然かが全然分からないし、天然の方が面白くもありますけど。

 ただ、Radioheadが『Kid A』以降、歌の主体がどこか超然的な存在になってしまった感があるのに対して、今作でのsyrup16gはあくまで「どっかでみみっちい暮らしを送ってるバンドマン男性」の視点からRadiohead的資本主義カニバリズムが展開されるので、それは中々に不思議なことのように思えます。でも、自身の生活のことだけでなく、急に全然違うところに視野が飛んでいく、その”生活主義”*23的な地点を不思議に超越していくスタンスは、syrup16gを数多の”鬱ロック”勢と大きく異なる存在にしていると言えます。正直、”下北系ギターロック”の範囲でここまで視線が不思議に幅広いのは特異だと思われます。テンションがひたすらタガが外れてて常軌を逸してるけども。だって「現代人の罪」を歌い上げながらも塾帰りのガキにガチギレ起こすんですよ。流石にThom Yorkeはそんなこと、思っても歌詞にしないよ…多分…いやするかも…。

 本作の思い詰めまくったような作風は、その凄まじさ故に『coup d'Etat2』を彼らが作ることを実質不可能にしました。こんなブッ飛んだ作品いくつもポンポンと作られてたまるか、という話ですが、彼らはこの後、僅か3ヶ月後に、過去曲含めたスロー〜ミドルテンポの楽曲を多数収録した『Delayed』をリリースし、そして次の年には、彼らのもうひとつのヤケクソの果てのような大名盤『HELL-SEE』を半ば偶然的に生み出します。その辺はまた機会があれば。

 あと、昔話ですが、syrup16g解散前後くらいだったかsyrup16gが所属していた事務所KEYCREWはsyrup16gを不当に支配していて、彼らを新時代のBlankey Jet Cityにしようとして無理をさせていた」という怪文書が流れていたことがありました。もし、もし万が一それが本当にそうだとしたら、本作の完成度はまさに、いきなり目標達成どころではない地点の作品だと言えるでしょう。虚無から引っ張り出したような絶望的なシャウトは、2001年のSHERBETS、2003年のART-SCHOOL、そして2002年の本作におけるsyrup16gがその代表だと思っていて、『COPY』からのそんなに長くない時間の中で急激に浅井健一ばりのヒステリックさを習得させたのであれば、それはそれで凄いことのように思います。

 いまいち話が纏まらなくて申し訳ありませんが、少なくとも、これが”下北系ギターロック”界隈における最高傑作のひとつだと断じることについては、いささかも不安を覚えていません。前回の記事で”下北系ギターロックは風化していく運命にあるかもしれない”みたいなことを書いた気がしますが、このアルバムが風化する訳ねえだろ、とはつくづく思います。この作品で追及されたヤケクソさや、絶叫の格好良さや、楽曲の苛烈さが、時代によって価値を失っていくとは考えにくいんです。

 言ってしまいましょう。『coup d'Etat』は歴史的名盤である。疑う余地はないね。言葉あっての部分が大きいからFISHMANSとかみたいに海外ウケはしないのかもだけども。

 

 以上です。他のバンド9作を扱った前編より遥かに長文となりました。

 ここまで読んでいただいた方、本当にお疲れ様でした。多分、ぼくなんかよりずっと本作に死ぬほど、それこそ本当に死ぬほど思い入れのある人が結構いると思うので、そういう人から見れば穴だらけの文章だろうとは思います。万にひとつお気に召す箇所があれば本当に光栄です。

 

2022.2.20追記:『HELL-SEE』についても全曲レビュー書きました。こちらも彼らの最高傑作候補な1枚です。

ystmokzk.hatenablog.jp

*1:まさかの好評で驚いてます。ありがとうございます。今の日本の音楽の潮流的に語りづらい、だけど好きだからどうしたものか、、という人が案外沢山いたということなんでしょうか。

*2:もしくは、次の年の『HELL-SEE』とこれが彼らの二大巨頭だと思われるので、『HELL-SEE』の方をそう思ってる人も多いのかも。

*3:この時のメジャーレーベルはユニバーサルだけど、実はミニアルバム『Free Throw』の後に東芝EMIと契約していて、スタジオでデモ等の録音をしていたけれど、メジャーデビュー合否判断のライブでプレッシャーに耐えかねた五十嵐がギターを投げたりしたのでご破産になった、という経緯があります。

*4:そういう意味でいくと『Free Throw』の頃は音の感じといいボーカルの存在感といい、”完成”に至るまでの通過点、という感じが音からはする。楽曲自体はすでに歌詞の世界観込みで完成しきってるけども。

*5:なお、それ以外の曖昧でメロウな部分をプッシュした作風なのが、同じ年の僅か3ヶ月後に出されたもう1枚のフルアルバム『Delayed』なのかなあと考えたりします。

*6:もちろんこれをsyrup16g等のバンドが発祥と言うつもりもなく、もっと前、たとえばRadiohead『Creep』とかも同じような構成要素と言えるので、原初はその辺のどこかかもしれません。

*7:しかし実際は、Pale Saintsをはじめ3ピースのシューゲイザーバンドは多数存在し、またMy Bloody Valentineも楽曲によってはギター1本で音源並みの轟音をライブで再現したりしてるので、案外いけるのかもしれない。

*8:これらを録音するのに泣き出すほど苦労させてしまい、彼を脱退まで追い詰める結果になった、とも五十嵐隆は回想しています。

*9:Free Throw』収録。『delayedead』に再録版が収録。

*10:『COPY』収録。

*11:『HELL-SEE』収録。「蕎麦屋さん」で絶叫する人なんてこの人くらいだろ。ベンジーですらそんなこと叫ばんぞ…。

*12:『My Song』収録。この時期の歌詞の飛躍の仕方は特に強烈。この曲の歌詞の論理の展開の仕方はなかなかに理不尽で最高。

*13:アルバム『Vietnam 1964』(2001年)に収録。

*14:ちなみに後の『ローラーメット』ではより露骨にThe Policeしてみせる。

*15:別のギターフレーズが小さな音でダビングしてあったりはするけども。

*16:死んだ五十嵐隆が逆再生されて死の直前を辿っていく物語だけど、所々とてもシュールで、特に最初のサビで浮くとこは卑怯だろ。全体的には笑えん話ではあるけども。

*17:同じフレーズで重ねてる可能性はあるけども。少なくともギターソロは確実に重ねてある。

*18:そもそも”ソドシラソミ”と歌われる箇所の”ミ”の音階が2パターンくらいある時点でおかしい。「So don't sing love song me」の言葉遊びだとも噂される。

*19:これだって、元々は「ソラナックス」という抗不安薬からのダジャレじみたもじりでこうなった訳で、それにしても抗不安薬を元とする歌に「声が聞こえたら神の声さ」なんて歌から繋がっていくのは、もう完全にどうかしてる。クスリをキメてたんだろう。抗不安薬とかそういうのを。

*20:『テイレベル』もまあ並ぶくらいにブルータルかもしれん…。『My Song』も何気にすげえ曲しか無い作品だなあ。

*21:ここまで散々情報源として参照し続けたwikipediaによると、本作制作中に急逝した初恋の嵐の西山達郎に捧げる意味もあったらしい。レクイエムか。

*22:1時間越えの作品を書いたのは初めてで、なんか合計時間を書いてて違和感があった。

*23:”生活主義”というワードはTwitterでフォローさせてもらってる方が最近使用しているのがいいなと思って借用させていただきました。李氏さんありがとうございます。