日本のオルタナティブロックバンド、ART-SCHOOLの通算4枚目のフルアルバム。アルバムタイトルは、ローマ神話に登場する花と春と豊穣の神・フローラから取られている。また、前作シングル『テュペロ・ハニー』から続けて、プロデューサーとしてROVOの益子樹氏を迎えて制作された。ジャケットはそこはかとなくイギリスのロックバンドThe House Of Love*1の1stアルバムを想起させるもの。昔は単に「またお得意のパ…オマージュだよw」とか思ってたけど、今このアルバムのサウンドを聴くと、この寄せ方は意思表明だったのかな…なんて考えてしまう。
- アーティスト: House Of Love
- 出版社/メーカー: Polygram UK
- 発売日: 1990/03/06
- メディア: CD
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ART-SCHOOLの全曲レビューについては、一番最後が2017年12月の『テュペロ・ハニー』となっており、 相当間が空いてしまいましたが、このアルバムは本当に素晴らしい、大好きな作品なので、もっとサッと書けたはずで、こんなに間を空けてしまった自分が恥ずかしくなりますが、ひとまず書いていきます。木下理樹さんも体調不良から復帰したっぽかったし。。
ポップで、音がキラキラしていて、これまで以上に晴れと暗がりをしっとりとした中で行き来するアルバムです。ややボリューミーすぎるけど、彼らの最高傑作候補のひとつと思っています。
- 1. Beautiful Monster(3:55)
- 2. テュペロ・ハニー (album mix)(4:01)
- 3. Nowhere land(3:01)
- 4. 影待ち(4:18)
- 5. アダージョ(3:51)
- 6. Close your eyes(3:32)
- 7. LUNA(3:09)
- 8. Mary Barker(2:58)
- 9. SWAN DIVE(4:25)
- 10. SAD SONG(3:12)
- 11. Piano(2:55)
- 12. IN THE BLUE(4:09)
- 13. THIS IS YOUR MUSIC(2:53)
- 14. 光と身体 (album mix)(5:02)
- 15. Low heaven(2:38)
- 総評
1. Beautiful Monster(3:55)
力強すぎる1曲目。今作で薄らと感じさせる、前作までの憂鬱と感傷とに苛まれ続けるような世界観から、少し顔を空と「君」の方に向けたかのような、憂鬱さを保った上での晴れやかなサウンドや歌詞世界がひたすらスマッシングな、今作の決意表明のような真っ直ぐなギターロックを見せる1曲。
無骨なベースラインでの開幕ながら、そのルート弾きの辿るコードが既に長調ギターロック王道ど真ん中のコードで明るい。そしてやや拍ズラし気味に悪戯っぽく入ってくる他のバンド演奏の、いちいち晴れやかな表情が素晴らしい。キャッチーなメロディと、その裏のエフェクティブな奥行きとで重ねられたギターオーケストレーションには、第2期以降のコーラスやディレイの活用が一定の完成を見た感じがあり、この曲のギターのスケールの大きさはU2的にさえ感じる。ドラムもハイハットのキメ等を的確に挿入し、マシン的な重厚さとフィジカル的な鈍重さを心地よく両立してる。
木下理樹の歌うAメロのメロディは『SWAN SONG』の使い回しっぽくも聞こえるけど、よりキーが下がったその潰れたような感じは、後に来るサビでのメロディの飛翔の伏線のように機能する。何よりもその流用自体に意味があることがサビの歌詞で見て取れる。このAメロでのギターの働きも楽しいけど、そこから飛翔するサビの気持ち良さは格別で、ドラムのスネア2回叩くリズムがひたすらにピースフルで良い。引き攣り過ぎずに歌う木下の余裕ある感じもしみじみとしたポップさがある。
この曲の更なる魅力が、『フリージア』で木下が開眼したミドルエイトの展開に込められている。ここの部分の、半ば開き直ったような歌詞と、大サビに行く前提ミエミエの上で低く始まって、どんどん堪らないとばかりに、ドラムのバタバタしたフィルインを契機に演奏が膨らんでいく感じ、とてもこのバンドのひたすら真っ直ぐな「男の子っぽさ」を感じられて、どこまでも晴れやかな気持ちになってしまう。
最後のサビ後のアウトロに至っては、そこそこガッツリと尺を取って、Aメロを高々とキーを上げて歌い、そして今作のキモであろうエフェクティブなギターの交錯を延々と繰り返す、この時期のアートらしい非常にピースフルな時間で、最後上昇するコードで終わってしまうのが惜しいような、その上昇感が心地よいような、他のアートスクールのアルバム冒頭では味わえないような、何とも晴れがましい感覚になる。
くだんねぇ俺だって くだんねぇ君だって
白鳥になれそうな ただそんな気がするんだ
微妙にべらんめえ口調なのが面白いけど、サビのこの歌詞のフレーズは、上昇間に溢れたメロディと合わさって、ささやかだけどとても濃ゆい多幸感がある。
錠剤 噛み砕いて 君は記憶喪失者
錠剤 噛み砕いて 君はミルク飲み干した
錠剤 噛み砕いて 君と手を繋いで
錠剤 噛み砕いて
そしてこのミドルエイトの歌詞は、アートスクール史上でも1,2を争う、彼らにしか出せない類のポジティブさが溢れてる。そもそも錠剤って噛み砕かずに飲むためのものでは…という考えが吹き飛ぶくらいに、この辺のリズミカルな外連味は最高潮。
アルバムはまずここで早々に、楽曲・歌詞的にテンションの絶頂を迎える。そしてこの後、その絶頂なテンションの裏に潜む憂鬱なダークさに順番に取り掛かっていく構成になっている。
2. テュペロ・ハニー (album mix)(4:01)
シングル曲。レビュー自体はかなり前にこちらで書きました。
曲順的に、この位置のシングルは普通アルバム盛り上げ、という感じだけど、今作だと「前曲で高まったポジティビティーを適切に削いで、この後のダーク目な曲群に繋げる」みたいな機能を果たしててちょっと可笑しい。特にこの曲のひたすらニューウェーブ的で、やたらシンコペーションの多い機械的な作りはそういう効果が高いように感じる。その割に情熱の迸りを感じさせるギターソロも珍しく配置されてるので、不思議な曲だ。
そもそも、前の曲で「白鳥になれそうな〜」と歌った次の曲がのっけから「Falling Down」な段階で、ある意味ギャグのようにさえ取れてしまう。でも、この落差がART-SCHOOLだし、そしてこの時期のART-SCHOOLのリアルさだよなあ、とか改めて思った。
3. Nowhere land(3:01)
今作におけるファンク挑戦枠がこの曲であることは間違いない。けども、これまでのファンク枠の曲━先行シングルのカップリングだった『その指で』含むそれらとは異なる方向性をこの曲からは強く感じる。それはつまり、セクシャルさからファンタジックさへの転換だと思う。
冒頭から曲中の多くで展開されるカッティングは確かにファンク的。だけどもその音色にはアコギのアタック感も含まれていて、どこかマイルドで爽やかな感じがする。またそれに呼応するシンセの音も柔らかい。細かく刻まれるハイハットは機械的だけど、スネアの音は人力的な湿り気がある。
この曲のサビはもっと、ファンクネスがファンタジックさによってほどけていく。木下の歌う「I wanna take you nowhere land」のフレーズは、発音のリズム感のグズりも気にせず、懸命に伸びていく。そこに被さる柔らかいアコギのアルペジオ、ちょっとハネた裏打ちのリズム、リズム楽器的に反復するシンセ、メロディを追随するファルセットコーラス、これらが合わさった質感はセクシャルとは異なる、Prince的にエッチなそれではなく、もっと野暮ったくも朴訥とした、インディーロック的な趣のそれだ。ちょっとフワフワした感じというか。
そうさ今夜一つだけ 見せたかった場所があった
そうさ君に一つだけ 見せたかった場所があった
やや性的にくたびれたようなフレーズもありながら、歌は結局このフレーズに収束していく。そこは案外に、今作1曲目で見せた飛翔と同じような、むしろより進んだ「男の子」っぽい気持ちの先走りがある。「朝の君が素敵だった そんな事で歩けるさ」なんて歌ってしまう木下理樹は、何だかんだでとても可愛い人だ。
4. 影待ち(4:18)
しっとりとしたミドルテンポで、しっかりとメロディを歌い上げる楽曲。このアルバムが「歌」が強いな、と思わせる理由の一つとなる曲。どことなくGRAPEVINEっぽさを感じる。
短く挿入された雑踏のSEを経て、イントロから主に使われるリバーブの利いたミュートギターの緊張感。これは初期アートの『メルトダウン』とかとも似ているような気がするけれど、初期の頃の荒涼とした感じとは異なる、居心地悪く潤ったような雰囲気を発している。コーラスの効き方があるいはそう思わせるのかも。ボーカルも低めのメロディを這うように歌う。
淡々とした曲展開は、Bメロというアートにおいて珍しいセクションを経て、丁寧にサビへ向かう。サビのセクションもそれまでのミュートギターに象徴される緊張感から解放されこそすれ、メロディを破綻させず綺麗に周回し、また轟音よりも歌を立てたアレンジが風通し良い。歌のテンションもBメロの方がサビよりテンション高いくらいで、キャッチーなサビメロでの歌い方の冷静さは、この曲の平熱にドラマティックな感覚に止めを刺す。最後のサビだけ少し紅潮する辺りの微かなエモさが好き。その後のリードギターの変化に富んだ頑張りをよそにフェードアウトしていく様も、過熱しすぎないクールさと程よい寂しさをこの曲に付与している。
この曲はセックスな要素が露骨にあるけれども、それは吹けば飛びそうな二人の関係性の象徴としてさらりと挿入され、「PARADISE LOST期」のサル性からはやはり違って見える。
指にあの匂いだけが こびりついたまま
消さないでくれよ これ以上はもう
夜が二人だけを 狂おしく包んでいた
中指が曖昧に 君の中で溶けた
『その指で』といい、この時期の木下理樹は「指」に危うくも感傷的なセクシャルさを見出していたんだなと改めて思った。
5. アダージョ(3:51)
楽曲全体がはっきりと長調で構成された、今作らしいスケール感のある曲。このアルバムらしい眩しさが印象的な曲だ。
子供達のガヤガヤ声からバーン!と明るい演奏が始まる様はインパクトがある。スライドを利用したギターカッティングがリードするこの晴れやかな轟音のセクション、その高揚感・多幸感がこの曲の主軸。エモっぽくカッティングとフレーズを行き来するプレイが眩しい。そういう意味では、朗らかに明るくなった『欲望の翼』みたいな感じがする*2。ドラムも通常の8ビートパターンを避け、浮遊感の出る符割りのプレイに徹している。
このアルバムの木下理樹はこれまで以上にAメロの音程を低めに取っている。この曲も囁くようなメロディから、サビでシャウト気味に訴えかけるテーマへの移行が極端だ。Aメロのバックで鈴の音のように響くギターのコーラスかかりっぷりも清々しい。
この曲の透明感にアートの他の曲と異なる質感を確実に与えているのがバンジョーのアルペジオだ。アートがバンジョー!特に2回目のサビの轟音が引いた後に浮かび上がってくるそれは、アルバムタイトルが示すような「豊穣さ」を、むしろ歌のテーマさえ飛び超えて響かせているようなところがある。この辺のドラムのタム回しも非常に効果的。
絶え間ないこの痛みは やがて海に溶けて 新しい生命へと
それはおとぎ話 都合のいい話さ でも今日はそう祈るんだ
冒頭のこのフレーズは、改めて文字で読むと、確かに自分のセックスとかなんとかの痛みを「都合のいい話」に繋げてる感じがして、自己分析として案外的確(笑)。しかしそんな妄想こそ何かの祈りであってほしい、というのは、スピッツにしろアートにしろ変わらない、切なる祈りの類だろう。冒頭の子供達の声がそう思うと切ない。そしてサビで叫ぶ。
You can shine it どんな痛みも むしろそのままでいい
ここには『フリージア』の「綺麗なままじゃきっと 見えないものがあるのさ」に繋がるような、ある種開き直りのような、しかしとても切実な祈りがある。
6. Close your eyes(3:32)
前曲の高揚感を丁寧に打ち消すような淡々とした足取りで進む、秋冬感に溢れたフォーキーな楽曲。アルバム中ではやや地味な存在感かもしれない。
ややマイナー調寄りのフォーキーさに寄り添うギターが、ひたすらにThe Cureな感じにコーラスで潤んでいることがこの曲最大の特徴。この時期のアートのギターは本当に「コーラス命」って感じ。アルペジオの陰にこっそりフレーズが潜んでいる辺りも実にキュアー的。
うだつの上がらない気味のAメロから晴れやかなサビ、が曲構成の特徴な今作において、この曲のサビはあまり晴れやかではなく、むしろAメロとの連続性が強調される。「イェー!」という歌も力強さはあまり感じられず、どこか淡々とした表情を見せる。2回目のサビの後にそのままギターオーケストレーションを聞かせて楽曲があっさり終わってしまうのもまた、この曲を地味に感じさせる。ただ、このアウトロのギターの頑張りは優雅で、どこか「ただの散歩の様子のスケッチ」のような趣のあるこの曲の最後に、ちょっとばかりのドラマチックさを挿入する成果を見せている。木の葉が風で舞うようなコード感とフレーズの具合は『カノン』等を思わせる。
というか、歌詞の方でこの曲は早々に「冬」であると言ってるんだった。
この美しい冬が終わってしまう
君は瞳を閉じて何を見るだろう
大人になると全て上手くいくはず
そう思っていたけど何故こんなにも
エロや妄想、カットアップといった飛躍の全く無い、正直地味な歌いだしだけど、後段の「大人になること」のもどかしげな感触は、このアルバムの裏テーマのひとつでもあり、意外と生々しい遣る瀬無さが漂う。そう思うと、地味で頼りなくてアルバムから削っても良かったんじゃ…と思ってしまうこの曲に、アルバムで一番素直でフラットな木下理樹を感じてしまう。そこは「光=救い」が単純に成立することなんてあり得ない、でも常になんらかの光が差す、ただただ平坦で意味のないこの世界の感じだ。その過剰な絶望も希望も剥がされた感じが薄らとヒリヒリして心地いい。
哀しい歌が 哀しい音が 生まれる時も
光はそばで照らしていたんだ
7. LUNA(3:09)
アルバムでも一番幻想的に引きこもってる楽曲(笑)。今作のプロデューサーを務めた益子樹さんが話していた「アートの音は閉じてるから、それを外向きにしたい」という製作時の思いを見事に踏みにじる感じで、ある意味これ以上清々しい曲も無い。木下理樹のこういう側面をこそ本当に大好きなファンも多いはずだ。
楽曲はかなり遅めのBPMで、ゆったりとした短調なコード感の中を進行していく。打ち込みトラックのように機械的なドラムの細かい刻みがとても印象的で、そこに音数の少ないアルペジオや、ややダブっぽさのあるベース、そしてもやのような、アラームのような、チェロのようなシンセの響が、夜想曲めいた空間を作り上げていく。
木下のメロディもかなり音数を減らし、長く低く間延びさせたメロディにはどうしようもなくくたびれた風情があって、後述の歌詞共々見事に引きこもっている。サビでは過去の自分たちの曲から『イノセンス』のサビメロディを流用している*3けれども、コード感が全然違うこの曲の中では、少しクラシック的な優雅さを得てしまっているのが可笑しくも可憐である。というかこの曲の方が「アダージョ」という感じじゃないか?
この曲の歌い出しはこう。
引きこもりも飽きてきたな どうでもいいね ごめんね
ダメダメすぎる…。「どうでもよくないよ!」とか言ってあげても反応してくれる気がしない。他者を意識しているのかいないのか全然中途半端で分からないこの感じが、妙にリアルだ。
外は晴れです 僕は雨です 何を食おうか 分かんねえ
この「何言ってんだこいつ」みたいなダメさ、ここに「過去の映画や文学から鮮やかにカットアップした世界を作り上げる木下理樹」とは全く異なる彼のもう一つの如何しようもない魅力が凝縮してある。こんなフレーズをとても優美で幻想的な雰囲気をバックに歌える、アートスクールというバンドの素晴らしさを思わずにはいられない。
8. Mary Barker(2:58)
前々曲でやや中だるみし、前曲で体調が悪いとちょっと眠くなるような流れが続いたところを爽やかに切り替える、フォーキーでカントリーチックな戸高賢史氏作詞・作曲・ボーカルの曲。このタイミングでこれが出てくる曲順がまず素晴らしい。曲数的にもアルバムのちょうど真ん中だし。この曲が終わると「アルバム後半」って感じがする。
アコギとエレキ両方のギターコード弾きがなんの衒いもなく、しかも明るいコードで始まるイントロの時点で、この曲の牧歌的な雰囲気が一気に放出される。キュートに跳ねたビートも、相変わらずキュアー的なコーラスかかってるのに妙にコミカルにマッチするギターフレーズも、ここぞとばかりにちょっと動き回るベースも、どれも愛らしい。
こんな中でリズム落としたBメロからサビまでさらりと、しかも3分以内で組まれた楽曲もポップソングとしての完成度が高い。戸高さんのハスキーで乾いた声質もこの曲に非常にマッチしていて、意外と憂鬱な潤いで満ちていたこのアルバムにおける清涼剤の役割を見事に果たしている。ギターソロのがむしゃらなトレモロ奏法まで愛らしい。
Give me the cure 君は祈ってた
雪解けの後のアスファルトに 羽を広げたメアリー
穏やかに微笑んで
曲タイトルは児童文学作家のシシリー・メアリー・パーカーからか。『花の妖精』シリーズで知られる作家らしいけど、この曲のイメージなんかも、そんなファンタジックな感じがする。戸高氏の引用のセンスが木下理樹と違っていて、それがこの曲ともう1曲でアルバムのアクセントとして鮮やかに機能していることも、このアルバムが素敵な理由の大きなひとつ。
9. SWAN DIVE(4:25)
鐘の音から這い出すパッドシンセ、そして今作の象徴であるコーラスに満ちたギターのアルペジオが紡がれた瞬間、このアルバムの後半、本当に「豊穣」な楽曲群が始まる。木下理樹ソロアルバム『TEENAGE LOST』の収録楽曲のリメイクであり、PVが作成されたように、今作のリード曲でもある。
フワフワとしたアレンジが可愛らしいロードムービー感を出していたソロのバージョンと比べると、このアートスクール版の、美しいまどろみにどこまでも落ちていくようなアレンジは、まるで別の曲のような質感がある。『ハムレット』におけるオフィーリアの最期を出すのは大げさかもしれないけど、まるでそんな感じの悲しくも美しい埋没感に溢れたこの楽曲。その、あどけないソロバージョンからの変貌ぶりは、「大人になることの悲しみや不安」といったこのアルバムの裏テーマを象徴している気さえする。ぜひ聴き比べてほしい。
ともかく、アートスクールのアルペジオ芸の極みのようなアレンジ。2種類のアルペジオを重ね合わせたその潤いと奥行きは、木下理樹の、ソロの時からずっとトーンが低くなった、ノンリバーブでドライなボーカルと対比される。The Cure等→スピッツ等→彼ら、みたいな具合で受け継いだアルペジオの使い方を、ここで遂に彼ら的な退廃感に落とし切った質感がある。エレクトロニカ的にコロコロと昇降するシンセの味付けも、この楽曲の光の乱反射のような甘美さをより危険なものにする。最初はろくにリズムもなく進行していくので尚更水中を漂うような頼りなさがあって、1分50秒頃から平坦な8ビートのドラムと柔らかいアコギが入った瞬間、息継ぎが出来たかのように少しホッとしてしまったりする。
基本のメロディをちょっとした工夫で展開させる、元来からの楽曲構成の巧みさは、このリメイクにおいて「その展開部のみを取り出して間奏後にリスタートさせる」という編集と上記のアレンジによって、「終わりのない哀しみの平坦な循環」みたいな感覚がより増したように感じる。冷たいような、暖かいような、そんな体温感覚が麻痺してしまいそうな楽曲の平坦さが、終盤「ラララ」コーラスとさりげなく挿入されたマラカスの響きを伴って流れていく時、アートの楽曲でもこの曲だけの、とても不思議な浮遊感・多幸感に包まれる。
歌詞も、別にソロから変更された箇所は無いけれども、アレンジが全く異なると聞こえ方も違ってくるから不思議だ。
ぼやけた水平線へ 子供の頃の愚かさへと
かわいい朝が来るまで 君の唾液に溺れていたい
きっとこの箇所が一番、違う質感で聞こえる。ぼやけ方は、ソロの頃の妄想じみた感じではなくて、実際に瑞々しく乱反射する脳内のせいだろうし、「子供の頃の愚かさ」へ向ける目線も年老いている。そして「君の唾液に溺れ」ることの意味合いに、どうにも行き詰まったようなエロスが滲む*4ことに、この逃避行の歌の意味が全く変質してしまったことを強く感じる。
上でも書いたとおり「外に開けた音になったアートスクール」を志向して制作されたはずの今作でこんな美しく閉じきった楽曲ができてしまった事に皮肉を感じつつも、でもこの楽曲の窒息しそうな美しさには、このアルバムをここまで再生してきたことを受けての沈潜と酩酊と陶酔の感じが、とても華やかに花開いている。この曲単体で聴いても全然綺麗だけども。
あと、『Flora』期の楽曲は今作のツアーより後は『その指で』を除いて滅多にライブ演奏されなかったけど、それでもこの曲は幾らか登場することがあった。
10. SAD SONG(3:12)
前曲の水中の陶酔感を打ち破る、純マイナー調の疾走曲。そういえば本作で疾走する曲はこれともう1曲しか無い。
疾走曲だけど、初期の疾走曲や、下手したら「PARADISE LOST期」のそれともかなり趣が違っていて、まずそもそもガッツリマイナー調のパンクというのが印象的。これは80年代UKのニューウェーブ的な感覚、言うなればThe Smithsのパンクな曲とかに連なる感じ*5で、初期アートのグランジ的なものと系統の違いを感じる。そしてやはりギターの音はイントロのアルペジオからしてコーラスに埋もれている。この曲に関しては、そんなギターの音の潤んだ感じが刺々しく、毒々しく感じられる。
バンドサウンドとしては、やはりドラムの、Aメロでのハイハット連打と、サビ前後でのフィルの重々しさが特にこの疾走感をリードしている。櫻井氏のキャラクターって感じの音をしている。そこに乗ってくるギター、特にサビでの怪しくうねるフレーズは、マイナー調疾走曲が増えるこの先の作品群の先駆け的なフレーズ。戸高氏のダーク目なギターのフレージングはこの曲から先、より強度を強めていく。
楽曲的にはAメロとサビのシンプルな構成で、なかなか大味な曲。特にサビは歌い方共々大味で、繊細さのかけらも無い。だけどその無骨さが、この曲順では妙にはまっているのが面白い。そして曲の疾走感の割に、歌詞には「大人になることの疲れ」が滲む、いや滲むっていうか、噴出しまくっている。
僕等はそう 大人になりそして 疲れ切って 正気を失った
もう少しで28になる 何か そう 雨が止まなくて
「苦しんだ分だけ強くなる」そうじゃねえ 弱くなったんだ
かつてカート・コバーンに憧れ、グランジバンドとして名を馳せた木下理樹という人物において、「27歳」というある種のロックスターの「終焉」の年齢を超えてしまう事について思うところがあったのか、それプラス日常生活の疲弊等々を、実に素直にリズミカルに歌詞にしている。
ところでこの曲、タイトルも実に大味な感じ。むしろ『Close your eyes』で上記のとおり「哀しい歌」どうこう歌っているので、むしろあっちの曲の方が「SAD SONG」という題が相応しいのでは…?とも思ったり。
11. Piano(2:55)
アルバム11曲目にして、今作の音楽的充実を象徴する楽曲が登場する。ヨーロピアンなワルツ調の哀歌。今作より前にも後にもこういう楽曲は無いので、とても貴重で、かつ完成度も非常に高い。まあエリオット・スミスの『Waltz #2』が元ネタっぽくはあるんだけども。
ギターのフレーズは、従来どおりのアルペジオもあるけれども、それ以上にイントロや間奏等で聞かせるややジャズめいたフレーズがとても印象的。アートスクールにこういう引き出しがあるということが意外で、しかもそれがとても合っている。
3拍子でスウィングするリズムも少しジャズ調なプレイで、他の楽曲での機械的なプレイとのギャップが凄い。サビでのドミノ倒しのようなフィルインがとても美しい。タイトルどおりに添えられたピアノのシンプルなリフ及びアルペジオも、本当に実にシンプルなプレイで、相当に優美で物哀しい質感を生み出している。この辺の感覚は昆虫キッズの冷牟田敬氏のピアノのプレイに違い。
木下の楽曲も、これまでかつてなかったであろうリズムの上ながら、実に彼らしいメロディを素朴に引き寄せている。特にサビ的に展開される「I've been waithing for」のフレーズの繰り返しは、回転するようなピアノアルペジオと重なって、とても洒落ているし印象深い。ファルセットの伸ばし方も幻想的で美しい。
この曲は歌詞が少ないので、それほどの物語や心情を歌っているわけではない。けれども、この曲の可憐な憂鬱さにさりげなく自分の色を盛り込むのを忘れない。たとえばこの『水の中のナイフ』を思わせるようなフレーズだったり。
彼女は夢の中にいたんだ 僕は影の中にいた
12. IN THE BLUE(4:09)
このアルバムの肝の部分が続く。『シャーロット』や『プールサイド』のような幻想的な壮大さを持った楽曲の系統を、シューゲイザーやポストロックの手法を用いてより踏み込んだ楽曲。このアルバムのツアーにおいて、今作の曲で最も多くの歓声を得た楽曲にして、ベスト盤において他の今作の他のシングル曲や『SWAN DIVE』を差し置いてなぜか収録されたりもした*6。
遠くから響くシンセ、ディレイの効いたギターフレーズ、タムを多用した祝祭的でプリミティブな感覚のドラム等、イントロから全然これまでのアートスクールになかった音世界を見せる。特にシンセはこの曲において、メロディにバックにと幅広い活躍を見せる。木下ボーカルも、この曲ばかりはエコーをかけられ、超然的に響いてくる。
「I miss the girl」のリフレインは、初め上記の演奏からギタートーンを残してブレイクし、その張り詰めた場面から、一気に展開される轟音に楽曲が埋もれていく。轟音。この圧倒的な音圧の感じ。何なのかは分からないしろくに説明もできないけれど、根源的なところから叫んでいるような、何もかも渾然一体になったこの轟音には、ひたすらにエモさを、情動を突き動かされる。この轟音から復帰するときのスネアフィルインの重たさも含めて、本当に、アルバムでも随一の、至福の瞬間だ。特に2回目のサビの終わり方は、その後の残響の具合も含めて、非常に圧倒的なものを感じる。
歌詞にも、そんな言葉に、論理にしようが無い感じの情念をなぞるように、今作でも珍しくかなりイマジナティブな、初期アート的なカットアップの手法で書かれている。
古い灯台の灯り ハツカネズミの死骸
君が好きだった海へ 誰かが捨てたスヌーピーの人形
この言葉の並び具合とロマンチックさは、かつて「ねえ今から 美しいものを見ないか?」とリスナーに誘いかけた頃の木下理樹と同質のものがある。そんなロマンチックさが、この遠くまで響くような轟音を伴って帰ってきた。論理にならない憂鬱や虚無をどうにか描くために木下理樹が尽くしてきた作品群の中で、この曲が最も激しく、虚しく、そしてどうしようもなく美しい。アートの数多の楽曲の中でも、この曲は最高峰だ。
なお、歌詞カードにある「実際には歌われていない歌詞」についてはよく分からない…。なんなんだこれ…。
この曲だけはこのライブバージョンを、見たことない人は是非見てほしい。彼らに対する見方が変わるかもしれない。いつの間にこんなMOGWAIのような屈強さを手に入れてたんだろう。この曲からの新規ファンとかもいそうなので、是非ライブで演奏してほしいけども…。
13. THIS IS YOUR MUSIC(2:53)
壮大に果てた前曲からの軽快な巻き返しにして、アルバム終盤を爽やかに盛り立てる疾走ギターロック。それも、弾むように爽やかでシューゲイズで軽快にサーフするような。木下理樹は時々、本当に頭のネジが外れたように最高にポップなギターロックを作る。
豪快なフィードバックノイズから始まって、ギターサウンドの爽やかシューゲイザーな広がり方、そしてそれにバウンドするような感を与えるドラムの外し方がとてもピースフル。歌が始まるとビートは直線的になり、木下理樹のボーカルが最高にいい意味でバカっぽく突き抜けていく。
愛の歌 今 灰になって降った 愛の歌 今 そんなもんはいらねえ
なんて投げやりで、そして謎にべらんめえ口調!そんなフレーズを伴って爽やかにメジャースケールで突き抜けていく。ドラムのタム回しやフィルも忙しくも的確に楽曲のセクションを切り替えていき、リズミカルにBメロ、そしてサビに突き抜けていく。
サビメロの後の「パッパッパラパパー」のコーラスの、ファルセットも含めての爽快感。この世に不幸せなことなんて何もねえーッって感じに、最高にバカで、そしてとてもポップさが極まってる。特に2回目のサビ後については、その後の演奏の高揚とあっさりした終わり方も含めて、このアルバムでも特に爽やかさと寂しさが交錯する瞬間。
でも
穴が開いた身体抱いて 何処までも行けるような
腐りきったオレのままで 何処までも飛べるような
クソみたいな君と僕のまま、そんな二人だからこそ行ける世界へ!というテーマを、今作はシングル『フリージア』からずっと続けてきた。この、アートスクールらしいブレイクスルーの極まった先に例の「パッパー」のコーラスがある。3分にも届かないこの瑞々しくも晴れやかな高揚を経て、アルバムは最終局面に向かう。
14. 光と身体 (album mix)(5:02)
シングル『フリージア』のカップリングが、この「実質アルバム最終曲」の位置を占める。表題曲の『フリージア』ではなくてこっち、というのがまた何ともアートスクール的不可解さがあって、しかしながらここにこの曲があることで得られる感動的な感じもまた捨てがたく素晴らしい。
それこそGRAPEVINEのような荒涼さと壮大さをなぜか持つこの曲にて、今作で綴られた数々の憂鬱やら「君との飛翔」やらが纏められる。制作時期がアルバム曲よりも前のはずなのに、とも思うけど、むしろ逆にこの曲をベースにアルバム曲の歌詞等を広げていったのかもしれない。そうであれば、まさに本作のベースとなる世界観を持つ楽曲だ。そう思うとAメロの地を這うメロディも実に今作的。そしてサビでひたすらに遠くへ突き抜けていく感じも。アートでも珍しいであろうスライドギターが鮮やかに、ひしゃげた空を切り取っていく。
空には青 君には孤独と痛みを
あの光は 今遠ざかって ねえ行くから
手を繋いで 手を繋いでいよう
手を繋いで 手を繋いで ねえ いようぜ
アルバムミックス、とあるけど、この曲は聴き比べたらシングルからの変更が確かにある。スライドギターがより映えるようになり、ミックスの瑞々しさが増した。このアルバムに相応しいギリギリの希望を滲ませて、そしてこの曲はフェードアウトしていく。
15. Low heaven(2:38)
前の曲のフェードアウトを受け、まるで勝手にラジオが点いたかのように始まるこの戸高氏の楽曲で、このアルバムは実に朗らかに終わる。どこか遠くのリゾート地の音楽?いや、42秒で一気にローファイ加工が解けて前面に出てくる音の、まどろむようなアレンジにぞくりとする。最後の最後に渾身の、小ぶりで決定的なドリームポップを、それも戸高氏のボーカルで紡いでいく。アルバムのエンドロールとして完璧。
実は戸高氏がアート加入前に福岡でやっていたバンドの楽曲をリメイクしたもの。曲構成がまた小ぶりで、ヴァースとコーラスの構成でさらりと作られたメロディにはやはり牧歌的な響きが感じられて、機械的なドラムの上を、ギターやキーボードのまどろむようなアレンジ、そして「パーパーパー」といったユーモラスな平穏のコーラスに包まれて、本当にピースフルな世界が、僅かな時間だけ広がっていく。これまでの、いやこれより後も含めても、こんなに平穏で、ちょっとノスタルジックな気持ちになる終わり方はアートスクールには他に無い。
そして最後に、この夢の中で心地よく揺れるような楽曲は、ぽつりと一言つぶやいであっけなく終わる。出来過ぎで狙いすぎでしょ、ってちょっと思うけど、とても心地よくて、そしてちょっとさみしくなる終わり方。
bury me 朝を待つ 毛布の下 細い腕
bury me 深い眠り 真紅のドア 開ける夢
明ける前に
・・・・・・・・・・
総評
以上15曲54分。15曲って…この頃までめっちゃ曲数多い。
アートスクールがメジャーに戻ってから、『あと10秒で』『PARADISE LOST』を経て『フリージア』以降一気にポップになった流れの、これがその終着点。その「ポップになっていく」ことについては、本人たち的にはセールスの問題もあったらしく、よりポップに開けていくことで更なるファン獲得の狙いもあったらしいことは、木下本人が「これで売れなかったら、どうしていいのか本当にわからない」とコメントしていたことにも現れている。このネット記事はもう消えてしまったみたい。なにせもう10数年も前だもの。代わりに、まだ残っていたインタビュー記事を貼ります。
木下本人的には「ブリットポップのようなキラキラした感じを出したかった」ということをよくコメントしていた。全面的に本作のサウンドプロデュースをした益子樹氏も「内向きに聞こえるアートスクールの音楽が外に届くような音にしたい」ということだった。確かにポップに開けた楽曲も多数収録されてはいる。しかしながら、それだけではどうにも説明しようの無い楽曲がより多く収録されている気もする。
このアルバムは、初期アートのような孤独感や『PARADISE LOST』の頃の性的な荒廃とはまた違った、妙に湿り気があって、いまひとつ格好良くならないタイプの格好悪さや苦しさが、かなり詰め込まれている。『LUNA』とか『SAD SONG』辺りのダウナーさは、当時27歳の木下理樹の生活臭、そこから立ち上るタイプの憂鬱が見え隠れする。なので歌詞からイメージ喚起的なカットアップ的な言葉の羅列は相当に減り、代りに割と素直な感情や感想の言葉が増えた。
その上で、サウンドはむしろThe Cureがどんだけ好きなのってくらいにギターサウンドがコーラス漬けになっている。そこに益子氏によるシンセも入ってくるから、ますますThe Cureじゃん!ってなる。言うほどブリットポップですかこれ?とか、聴いてて思ったりした。
その代わり、そのThe Cureに代表されるようなニューウェーブ、またはジャケットから想起されるThe House Of Loveとかみたいなネオサイケ的な成分は非常に効果的にアルバムに反映されている。そして、特に終盤に出てくるようなシューゲイザー要素もまた、今作で非常に飛躍を遂げた感じがある。
なので、サウンド的にはむしろアートスクールのギターサウンドが一気に充実したのが今作だ、とさえ感じる。シンセ類の活用も『PARADISE LOST』よりも自然な活用が増えたかもしれないが、それ以上に思いの外、ギターの面白い響きがたくさんあったアルバムだった。そこと、『フリージア』以降より重厚感と機動力の両立が極まったドラムプレイと、木下理樹のポップ方面にもダウナー方面にも広がったソングライティングとの交点が、このようなアルバムになった。
よって本作を纏めると「新たなキャッチーさとダークさを得た、よりリアリスティックな感覚とニューウェーブなギターサウンドが渦巻く、オルタナティブポップなアルバム」とは言えそう。分かる人には分かりそうにより簡単に書けば「和製The Cure的な大傑作アルバム」というか。でもこのアルバムの楽曲は、それこそThe Cure的なスタジアムロックになれる可能性もめちゃくちゃあるような気がする。
ちなみに、上記のように「売れること」も目指して作られた今作は、しかし後の本人の弁によると「でもそんなに売れなかった」らしい。音楽性の充実とライブの充実とで上手く進んでいたバンドも、このセールス的なブレーキは効いたらしく、このアルバムを引っさげてのツアーの後に制作されたミニアルバム『左ききのキキ』で、本作のポップさの反動と言わんばかりに、ダークでグランジなサウンドに回帰してしまった。勿論、そんな事実があるからといって、今作に散りばめられた素晴らしさの数々が毀損されるようなものでも無いけれども。
久々のアートスクール全曲レビュー、書き方を忘れてしまいました。ダラダラ長くなった気がするけど、次の『左ききのキキ』まではなるべくダラダラ時間空けずに書きたいなと思います。。
あと、最後に参考にさせてもらったブログ記事を紹介します。
色々と内容をパクって書いてる気もします。ちょうど1年前に書かれた記事。というかこの人も「遅ればせながら」とか言ってるけどそれ言ったらこのブログはもっと遅れ切ってしまってるよ…。
*1:代表曲のリンクを貼っておきます。アートがかつて『アパシーズ・ラスト・ナイト』で引用したリフの曲。
*2:そういえば『欲望の翼』に出てくる勢いのあファルセットのフレーズが、同じようにこの曲の終盤でも出てくる。本人たちもこの2曲の関連はマジに考えてた可能性がある。
*3:そういえばこの曲の歌詞には「男らしく生きろなんて 云われ続けて 狂った」という『Love / Hate』っぽいフレーズも存在している。ちょっとあのアルバムへの郷愁が湧く1曲でもある。
*4:こういう印象を抱くのはPVの影響も大きいのかなと思ったりもするけども。
*5:アコギのカッティングが密かに含めてある感じもちょっとスミスっぽさある。