ブンゲイブ・ケイオンガクブ

本を読まない文芸部員と楽器を練習しない軽音楽部員のような感じのブログ。適当な創作・レビュー等々。

『On The Beach』Neil Young

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↑ネットで拾った画像だけど、画質の荒さがなんか気に入ってる。

 

 いくつか続けてきたNeil Youngのアルバムベスト20の記事の、これが最後の記事になります。ベスト20のうちの1位がこのアルバムです。1974年リリース。

ystmokzk.hatenablog.jp

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 いわゆるロック史の名盤に名前を連ねるようなアルバムでは無いし*1、リリース当時絶賛されたわけでもましてや売れたわけでもない、後進の作品やシーンに強い影響を与えたわけでもない、作った本人さえあまり好いてないかもしれない具合のこのアルバムは、しかしその、アルバムを流れる雰囲気の感じや、作品としての妙な歪さや、もしくは印象的なジャケット等によって、一部のファンにカルト的な人気があるタイプの作品。なぜなのか。その辺を色々見て考えをこねくり回していく記事です。

 ちなみに個人的には、オールタイムベストの10枚くらいのうちの1枚になってる作品です。

 

 

 記事の構成は前回のを踏襲するので、今回も本編の全曲レビューに入る前に色々と長ったらしい前段があります。

 

はじめに:作品をめぐるヒストリー関係

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 今回の記事で一番読み飛ばして欲しいセクションです*2。読み飛ばしても影響ないようにこれより後の項目を書いていますので、適宜お願いします。

 

 『Heart Of Gold』で一気にスターダムにのし上がった後の期間をNeil Young本人は「“Ditch”(ドブの中)な期間」と捉えていて、そこから彼のファンの多くがこの期間の作品を「The Ditch Trilogy(どぶ板3部作)」として捉えている。どぶ板、つまり人生のどん底の時期と本人が自分史の中で認識している時期の1枚に今作は数え上げられ、ついでに言うならその3枚のうちの最後の1枚が本作となる。

  彼の「どぶ板時代」への兆候はすでにアルバム『After The Gold Rush』製作時に現れていた。それはもう実に端的に、ドラッグの問題、と言える。彼の場合、それは自身にもいくらかダメージを与えていただろう*3が、その影響はむしろ彼の周囲にて顕現した。彼が自身のバックバンドとして見出したメンバーによるバンド・Crazy HorseのギタリストDanny Whittenは、この問題によってアルバムのレコーディングを途中で降板し、その後次のアルバム『Harvest』リリース後のツアーに合流しようとするも、既に演奏できる状態じゃなかった彼をNeil Youngはクビにせざるを得ず、そしてそのクビにしたその日のうちに、オーバードーズによりこの世を去った。Neilはそんな状況を受け止めながらも決まっていたツアーを回るべく、本来カントリーでアコースティックな演奏を本領とする『Harvest』でのバックバンドThe Stray Gatorsを無理やり電化させ、強引にライブ巡りを実施していった。その中で沢山の新曲が演奏され、それらは1973年に全曲新曲によるライブアルバム『Time Fades Away』としてリリースされた。これが所謂「どぶ板三部作」の第1作目にあたる。

 彼の周囲における悲劇は続いた。Neilも参加したCrosby, Stills, Nash, & Youngにおいてローディーを務めていたBruce Berryもまた、いつしかヘロインとコカインに取り憑かれた生活に陥っており、1973年の6月にオーバードーズにて命を落とした。この立て続けの隣人の死を受け、どうしようもない悲嘆の末にNeilは、Crazy Horseの残党たちを率いて、てキータをぶっ倒れるまで飲んでからレコーディングを行う等の破滅的な発想にてアルバム『Tonight's The Night』をレコーディングした。「どぶ板三部作」の2枚目にあたる。

 

 1970年代前半に活躍したロックミュージシャンの多くが、こういったドラッグの問題によって苦しみ、又は破滅した。とりわけヘロインについては、多くの才能ある人物を地獄に突き落とし続けた。このブログで公開したThe Bandの記事においても、あの素晴らしいバンドのよりによってボーカル3人全員が、この深刻な問題に陥っていたことを触れた。あの記事の中で言及した高橋健太郎氏のThe Bandに関する記事の終盤で、氏は非常に興味深い、「豊かな1970年代前半のロック」の終焉に関する意見を、実体験を交えながら述べている。以下、結局該当部分のどこの文章も中略できないまま引用する。

rollingstonejapan.com

 

そこで僕は長年、疑問に思っていたことをサイモンにぶつけてみた。1975年あたりを境にして、アメリカのロック・レコードは音が変わってしまった.1970年代前半に持っていたクォリティーを失ってしまったように思われる。あの原因は何だったのでしょう?と。

プロデューサーであるジョン・サイモンなら、どんな変化があったのか、テクニカルなことを含め、具体的に教えてくれるのではないかと思った。だが、サイモンが言ったのは「ドラッグの問題があった」ということだけだった。「ドラッグのせいで、みんながバラバラになっていった」と。その答えに僕は不満だった。ドラッグの問題ならば、60年代からあったはずだから。

だが、映画『ザ・バンド かつて僕らは兄弟だった』はまさしく、ドラッグのせいで、みんながバラバラになっていく映画だった。サイモンにはそれ以外の答えはなかったのだ、と僕は納得した。ウッドストック村のミュージシャン・コミュニティーが崩壊し、豊かなクォリティーが失われていく中に彼は身を置いていた。1972年から20年間、ソロ・アルバムを作れなかったのも、それと無関係ではないだろう。どれほど酷いことが連続したか、僕の質問のせいで、サイモンは思い出してしまったに違いない。

 

ロック史なるものを実に大雑把で傲慢に俯瞰した際に、確かに1975年か1976年あたりを境に、「豊かで滋養のある感じのする、録音的にも実に洗練の極みにあったロック」は“古いもの“となったと同時に「衰退」し、よりジャンクでシンプルで無骨で空疎なパンクロックやその後のポストパンクに取って変わってしまうように感じられる。上で引用した高橋健太郎氏の意見はあくまで氏の様々な経験や実感を元に出力されたいち意見ではあるけど、この1970年代半ばに起こった音質も音楽性も何もかも取って変わられるような「史実」のこともあって、そこにはどこか納得してしまうような空気がある。

 

 話をNeil Youngに戻す。紆余曲折により彼らにとって非常にどうしようもないほど「エモい」アルバムとなった『Tonight's the Night』は、しかし事もあろうに、その暗さからレーベル側にリリースを拒否されてしまう。この時の彼の悲痛さはそれこそ計り知れない。

 しかし、彼は本当にタフすぎる人間で、その拒否を受けて、そこから完全な新作の製作に向かう。古い曲*4なども引っ張ってきたりしつつ、どうにか完成に漕ぎ着け、そしてその『Tonight's〜』とは別ベクトルに暗い作品にも関わらず、何故かレーベルもそのままリリースを許可し、きちんとリリースされたアルバム、それこそが今回紹介しているこの『On The Beach』。「どぶ板三部作」における3枚目。完結編、と呼ぶにはあまりに頼りない雰囲気に溢れたアルバムだけども。ようやく話が繋がった。

 Crazy Horseチームによる弔い合戦的な熱のある『Tonight's the Night』と異なり、『On The Beach』においては確かにCrazy Horse残党を主軸に置きつつも、様々なゲストミュージシャンが招かれて録音されている。『Harvest』以来行動を共にするBen Keithをはじめ、楽曲によってはThe Bandのドラマー・Levon Helmやベース・Rick Dankoなども招かれている。もっと言えば一部の曲ではCSN&Yで共演したDavid CrosbyやGraham Nashも演奏に参加している。

 

 この時期のややこしいのは、何故かこういうダークで憂鬱な状況と並行して、CSN&Yの再結成という当時としてはまだビッグで有効性のある事件が進んでいたこと。グループの絶頂の1970年には空中分解してしまった*5この集まりは、しかし何故かヨリを戻して1973年にアルバムレコーディングを試み、これは頓挫するもののしかしツアーをする程度には「復活」し、1974年に実際にツアーを完遂している。このツアーの計画と実施、『On The Beach』製作とどう考えても時期が被ってるけど、本当にNeil Youngという人間はタフすぎると思う。

 

 ちなみに『On The Beach』リリース後の流れにも触れておくと、その後彼は今度は自身の婚姻者でもあったCarrie Snodgressとの関係性をテーマにした楽曲集『Homegrown』をレコーディング、ほぼ完成するも、ここでまさかの一度ボツにした『Tonight's the Night』のリリースが決定し*6、その代わりとして『Homegrown』はアルバム1枚分丸ごとボツを喰らう。収録曲はその後様々なアルバムに転用されるけど、『Homegrown』という作品集としては実にこの2020年になるまでリリースされないままとなってしまった*7

 1975年に、NeilはCrazy Horseの欠けてしまったギタリストの位置にFrank Sampedroを招集し、新生Crazy Horseとしてアルバム『Zuma』を製作・リリースする。場合によってはこの復活作を加えての「どぶ板四部作」と言うこともあるらしい。ここに生まれた新生Crazy Horseのメンバーはその後長い間ずっと続き、具体的な録音物としては2012年の『Phychedelic Pill』まで続くこととなる。

 その後もまたStephen Stillsと復縁して共作をリリースしたり、全編弾き語りのアルバム『Hitchhiker』や様々な有力曲を含んだ『Chrome Dream』といったアルバムを立て続けにボツを食らったりしながらも、最終的にグランジゴッドファーザーとしての存在感を名曲『Hey Hey, My My』にて獲得する名作『Rust Never Sleeps』をリリースして、彼の「黄金の1970年代」は終わる。彼が曲の方の『After The Gold Rush』の歌詞にて不吉に予言していた「1970年代の黄昏」は、彼の周りはある程度そういうことがあったにしても、彼自身は屈強なままに乗り越えてしまった、という歴史になっている。その後1980年代の混沌の時代が来るけれども。

 

今作のアルバムとしての特徴

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 『Harvest』大ヒット後の混乱した生活、相次いだメンバーの死、それを受けて制作されたアルバム『Tonight's the Night』がレコード会社にリリースを拒否されたこと、CSN&Y再結成の不発、等々…本作はNeil Youngが本当にウンザリし尽くして無気力になってしまいそうな状況の中で制作され、リリースされた作品です。そんな陰鬱な状況は確実に今作に反映されています。それゆえなのか、1990年代にNeil Young作品がCD化する際に今作はCD化されず、他数枚と共に2003年までCD化されませんでした。Neil本人が今作を嫌ってるのか、とも思ったりするけど、かと思えば彼が後年何か新しいことをする際に時折「Back to the beach!」と言ったりするらしく、また、別の場所では普通に「いいアルバムだ」とも発言しているらしく、その辺の事情はよくわかりません。

 強引に一言で言表現すると「虚無的でラフで投げやりで、そしてとびきり苦々しくてメロウ」な作品、ということになるのかなあと思います。どういう具合でそんな印象になるのか、要素要素を拾ってみます。

 

①思い切りの良すぎる曲順

 普通アルバムとして作品を世に出す時って、聴きやすいようにとか、もしくは楽曲の良さを引き出すためにとか、そういう様々な理由で、ある程度バランスを取ることを図った曲順になってるものだと思う。同じタイプ・同じテンポの楽曲はアルバム内でバラけた配置にするとか、そういうことが世の中の多くの作品でなされてる。

 このアルバムにそういうのは無い。このアルバムの曲順はぶっきらぼうさが過ぎる先頭2曲に「比較的スタンダードなNeil Young」な曲を並べた後、4曲連続でブルーズ進行で作られた楽曲を並べ、そして最後2曲をアコギ弾き語りメインの楽曲で締める、という曲順。3つの楽曲のタイプがあまりに混ざり合わずそのまま3つのパートとして収録されていて、曲のタイプを散らして作中のバランスを取る、みたいな視点を今作は完全に放棄している。ここまでぶっきらぼうな曲順の作品はNeil Youngでも唯一だしそもそも他の様々なアーティストの作品を見渡しても、ここまで雑な並べ方は珍しいと思う。こんな曲順をレーベル側もよく許したな…とも思う。

 しかし、この実にざっくりし過ぎた曲順が、今作の乱暴さ・無気力さの雰囲気を高めてる部分は確実にある。何よりも、3つそれぞれのパートの最後の曲がどれも実に情感に満ちた素晴らしい楽曲であることが、この壊滅的な曲順を甘美な寂寥感に満ちた印象に昇華させてしまう。別に誰もこんな効果計算して作ってないだろうけど、実際に存在してるこの作品を聴くとそう思う*8

 

②ブルーズ形式の楽曲の量産

 本作の投げやりさを象徴するのがこの点で、3曲目『Revolution Blues』から6曲目『On The Beach』に至るまでの4曲連続で、ブルーズ形式を用いた楽曲が現れる

 ブルーズ形式というのは、「Ⅰ→Ⅰ→Ⅳ→Ⅰ→Ⅴ→Ⅳ→Ⅰ」というコード進行で12小節を一回りとして演奏される楽曲スタイルのこと。こうやって言葉で書くより、実際に聴いた方が遥かに解りやすいと思うけども。

www.youtube.comデルタ・ブルーズの例。弾き語りスタイルとなる最初期のブルーズ演奏形態。

 

www.youtube.comシカゴ・ブルーズの例。バンド演奏になっていく。

 

www.youtube.comロックンロール化していくブルーズ形式の例。

 

 ブルーズアーティストでもなくブルーズ作品でもないのにこのような形式の曲が4連続で出てくるというのが、このアルバムの構成のまともじゃなさの最たるもの。このような楽曲では最早ソングライティングがどうこうという話ではなくなる。しかも4曲とも今作特有の重たさ・暗さを背負ったブルーズ演奏なため、単調な重さが続いていく。コード感もマイナー調気味な響きで、暗く滅入るような雰囲気が積もっていく。特にBluesを題に冠する2曲『Revolution Blues』と『Vampire Blues』に至っては、演奏と歌詞が違うだけでほぼ同じでは…?とはじめて聴いた人は思うだろう。

 この、ブルーズ進行の繰り返しという、それ以外に展開しないという状況が続くこと自体が、非常に停滞した雰囲気を作り出していることは特筆したい。あえて似たような曲調をアルバム中にバラけさせず一箇所に集めたことでこの停滞のゾーンが形作られ、そしてそれはブルーズ曲パート最後の曲『On The Beach』におけるちょっとした展開の変化のさせ方によって、眩しく昇華され、最後の柔らかで穏やかなアコースティック2曲に続いていく。

 なお、最後の曲『Ambulance Blues』もタイトルに「Blues」と付くけどこれはブルーズ進行は関係ない曲。

 

③ダウナーな暗さと虚無的な爽やかさ・メロウさ

 制作背景のこともあり、今作は全体的に暗いムードがある。しかし、悲しみを負のエネルギーにしてある意味エネルギッシュに情熱的にサウンドを泥臭く鳴らす『Tonight's the Night』と今作の大きな違いは、今作の楽曲やサウンドが無気力気味で、孤独で、熱が感じられず、なのでどこか爽やかそうな感じさえ感じれるところだと思う。

www.youtube.com『Tonight's the Night』の『Mellow My Mind』みたいな類の熱さが今作には無い。

 

 今作の楽曲自体が、『After The Gold Rush』の時みたいな凝った構成の曲が存在せず、単調な繰り返しの曲構成の楽曲が多く、ソングライティングレベルで無気力さがどことなく感じられる。その上で、①で書いた投げやり気味な曲順も、②で書いた単調なブルーズ曲の連発も、どちらも無気力でやる気の無い感じに作品を演出する。今作はNeil Youngのバンド編成作品によくある「マイナーコードで無骨に情熱的に歌い上げ激しく演奏する曲」も存在せず、単調で冴えないマイナー調ブルーズに場所を奪われている。ブルーズ4連発の後のアコースティック2曲も、ぼんやりしたようなメロディ展開と繰り返しの多さで、メロディはメジャー調でもやはりどこかダウナーに響く。場合によっては暖かく響きがちなコーラスワークという技法も、今作では相当にその登場機会を制限されている。冒頭の『Walk On』を除いて、本作は基本的にネガティブでかつやるせない。『Walk On』もまた、ダウナーな雰囲気をひっくり返し切ってしまうほどには明る過ぎも情熱的すぎもしない。

 しかし、そんな雰囲気の中に生じる、汗を流さないような質感のメロウさやら淡い質感やらには、Neil Youngの他の作品でも、または他のアーティストの作品でも中々味わえない、今作だけのムード・今作だけの世界観がある。そしてそれは、今作の実に印象的な、薄暗い海辺に佇む姿を写したジャケットのイメージに直結する。今作のジャケットは実に、実に作品の中身をうまく表現しきってると思う。良く見たら色々カオスだけども。

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 おそらくは、この要素ゆえに、今作こそをNeil Youngで1番好きな作品に位置付けてしまうファンが一定数いるんだと思う。

 

④演奏のシンプルさ、そして音の良さ

 楽曲のシンプルさに加えて演奏も、華美なダビング等の全然無い、実にしみじみとした編成で録音されている。『After The Gold Rush』や『Harvest』に慣れた人には、本作のサウンドは実にそっけない音に聞こえるかもしれない。

 しかし、それぞれの演奏は実にいい音響を生み出している。楽器数のシンプルさはシンプルさそのものを目的にしている訳ではなく、本作的な汗が流れないタイプの情緒と風景とを的確に作り出している。今作的なフォーキーさ・しみじみとする具合は、アメリカの伝統的な音楽文化とも当時のメジャーなポップスやロックのシーンとも遠く離れたようなその佇まいは、とても爽やかな感じがする。知らない海沿いの田舎の町に来たような晴れやかさ、みたいな。

 そしてそんな要素を形作る各楽器の音がやたらいい。1960年代末頃より急速に発達してきたバンド演奏のエンジニアリング技術がひとつの高みに達したのが1970年代半ば頃だと思われる。1980年代的サウンドの反動で1990年代に多くのアーティストが追い求めてきた「いなたいサウンド」の理想形はまさに、1970年代中頃までのロックサウンドだと思うけども、今作もまたそういう製作時期のせいなのか、各楽器が非常に魅力的な響き方をしてる気がする。

 特に素晴らしいのがドラムサウンド。2曲目・3曲目においてはThe BandのLevon Helmがドラムを叩いていて、今作の翌年の『Northern Lights-Southern Cross』で聴かれる素晴らしく乾き切ったドラムサウンドが、既にここに現れている。不思議なのが、他の曲のドラムはLevonではなくCrazy Horse残党のRalph Molinaによるものだけど、彼の演奏も実にタメが効いてかつ乾いた質感で、まるでLevonが取り憑いたようなプレイを見せている。単純に「粗雑な風に乾いたドラム音」を録音する技術がこの時代のアメリカで最盛期だったということなのかもだけど。

 他の演奏も幾つも印象的なものがあり、特にエレピは重要な2曲で実に印象的な、トレモロの効いたメロウな響きをもたらしている。ガレージロック的なギターサウンドは今作ではそこまで印象的では無いけど、でも要所要所でその無骨な質感を効果的に響かせている。そして今作の不思議な特徴のひとつとして、『Harvest』以降素晴らしいペダルスティールの音を彼の作品で聴かせているBen Keithが、今作ではなぜか全曲に参加している。ギター以外の楽器を演奏していることが多く、というか別に彼じゃなくても良さそうな楽器を演奏してることも多い。これはNeilが今作の制作時にBen Keithをとても頼りにしてたということなのか。

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Stray Gatorsでの演奏の写真。中央のペダルスティール奏者がおそらくBen Keith。

 

本編:全曲レビュー

 ここまで前段で、ここからがこの記事の本編です。全部で8曲、とはいえとても濃い「8曲」です。

 

1. Walk On(2:43)

 今作で唯一の、ポジティブで陽気な雰囲気のあるバンドサウンドでこの暗い今作が始まる。このあっけらかんとした、しかも唐突な出音で今作が始まる辺りに今作ならではの無骨さが感じられるし、それでも他の暗い曲で始まるよりかはずっとアルバムに入って行きやすい。3分足らずの尺という軽快さも良い。

 いかにもアメリカンロック、って感じのゆったりしたテンポとメロディとコーラスワークを有する曲。この曲は今作でも少しだけ汗ばむ感じがあるかも。だけど、ギターの音は実に鈍くかつガチャガチャしていて、キーボード類も入っていないので、実に「上手いのか下手なのか判らないNeil Youngバンド」感が出ている*9。何故かドラムのスネアがステレオ上もの凄く左側から聴こえてきて、他のドラムは真ん中に定位なので地味に訳が分からない。

 イントロのラフにカッティングしてフレーズ弾いてるって感じのギターからして彼らしいユニークな粗さが出まくってる。歌の裏では彼特有のミュートで引っ掻くように音を出す技法も自在に顔を出し、リラックスしたバンドサウンドのようでいて、少しだけハネた具合のリズムのこともあるし、これは実は彼なりにファンクギターっぽくしてるつもりなんだろうか…とかも思ったり。特に歌が終わった後のブレイクの箇所のカッティングは地味に面白い。そのままスライドギター込みでいい感じに演奏が展開していきそうなところで、でも実にあっさりとフェードアウトしてしまうけども。

 イントロからのゆったりしたヴァースからコーラス部でキリッとしたコードとメロディに切り替わるのはさらりと彼のソングライティング力の強さが見える。タメとフィルインで魅せるドラムもバキューンって感じのギターもコーラスワークも良い具合に合わさり、テクニック的な上手さは感じられなくてもこのラフだけど実に心地よいアンサンブルが、実に彼的なバンドサウンドの豊かさ・強靭さを感じさせる。

 「Walk On」、つまり「歩き続けろ」というタイトルには、Neil Youngがずっと持ち続ける強靭すぎるタフさが端的に示されている。この言葉はまさにそういうタフさをどうにか持ち続けるために用いられてる。『Harvest』以降の、大ヒットしたがゆえに多数の悪意に晒され続ける状況を皮肉りつつもこう結ぶ歌詞は、実は当時かなり切実なものだったんだろうなと思う。

 

ぼくをけなしてる連中がいるって聞いてる

ぼくの名前を出して 言いふらし回ってる

あいつらは良かった時に触れやしない

あいつらが好き勝手するなら ぼくもそうしよう

 

そうベイビー そんなのを変えるのって難しい

連中にどんな気持ちか伝えられるもんでもない

ラリってく奴もいて 奇妙なことになる奴もいる

でも遅かれ早かれ 全部現実になる

歩いていけ 歩き続けろ

 

英語は「walk on」とか「carry on」とか「keep on」とかそういう「し続ける」っていう意味合いの言い回しが多いなと思う。日本語で「〜し続けろ」って書くのはどうも野暮ったい感じがして、何か他に良い言い回しないかな。

 ライブでこの曲を演奏する際は大体4分程度の尺になる。原曲で消化不良気味なアウトロもしっかり演奏されて、更にもう1度タイトルコールを入れて、とても良い具合。

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2. See The Sky About To Rain(5:02)

 Neil Youngのメロウサイドで1番の名曲。大名曲。こんな素晴らしいトラックが唐突に2曲目に飛んでくるというところも、カルトなファンが付く重要な1要素だと思う。元々は『After The Gold Rush』と『Harvest』の間くらいに完成していた曲で、ピアノ弾き語りでライブ演奏していたのを1973年にオリジナルメンバーで再結成したThe Byrdsのアルバムに曲提供、このThe Byrdsバージョンの方が先に音源化され、ここで聴けるバージョンは結果的にセルフカバー的なものになった。

 冒頭のトレモロを深く掛けたウーリッツァーのエレピのコード演奏からしてすでに、この曲の「風景」が展開される。そのエレピだけの中にNeilの頼りなく浮かぶボーカルが入ることで、このもの寂しい風景が展開を始めていく。Ⅳ→Ⅴ→Ⅰのコードの繰り返しだけでこんな幻想的でもの寂しい感じが出るのか…といつまでも不思議に思う。そしてそこにバンドサウンドが入ってくることで、特にLevon Helmによる過度に素朴な音のドラムとBen Keithによる淡いペダルスティールが入ってくることで、このもの寂しい光景が一気に広がるような錯覚を受ける。

 Levonのドラムは程よいバタバタ感がありつつもストイックなプレイで、でもスネア重視のフィルインがとても雄弁で、素晴らしい。他の楽器が音量大きいものが無い分彼のドラムの音が入るとそれが一気に楽曲の中心になり、そのとても空気のいい田舎で鳴らしてるかのような乾き切ったドラムサウンドのいちいちが情緒を刺激する。エレピやペダルスティールの揺らぎの中で鳴るそれは、タイトであるのに同時に風で飛ばされてしまいそうな儚さも何故かあって、シンプルなのにまるで歌っているかのよう。The Bandの曲を差し置いて、もしかしたら彼のベストドラムかもとさえ思ってしまう。コーラス部の歌が終わった後の少しの間の安心感のあるセクションの存在が、この曲の寂寥感をより高めてるけど、2回目のコーラスの後にはハイハットで裏拍を強調する遊びも入れてたりする。

 この曲のひたすらに空虚な美しさは、2回目のコーラス後のブレイクの箇所で決定的な儚さを帯びる。またエレピだけになりながら、実にノスタルジックなフレーズを奏でるその様は、いつかの感傷が永遠に時間停止するようなぼんやりした質感がある。そんな静寂からハイハットが入って時間が動き始めて、ボーカルが入って、そしてコーラス部で演奏が全部入った上でコーラス部が短くあっさりと切り上げらる。そこからの1分半ほどの穏やかで夢見心地で、この世では無いかのように儚げな空気感の続く演奏は、本当にこの曲の感傷的な風景が延々と続いていくような、そんな幻想をこの曲がフェードアウトし尽くすまで抱いてしまう。たまに聞こえるハーモニカの音も、Neilのハミングも、タイトルどおりの「雨が降りそうな空」に消えていってしまう。

 この曲において延々とコーラスも無くシングルトラックで歌い続ける彼のボーカルは、彼からイメージされる「孤独さ」が最も美しく感じられるひとときだと思う。それは曲と同じようにぼんやりとした言葉の風景で描かれた歌詞からも立ち上がってくる

 

幸せ行きの人もいる 栄光行きの人もいる

慎ましさ・寂しさに行く人だっている

誰が貴方を物語ることができようか

雨の予感に満ちた空を見て ちぎれた雲や雨

客車を引っ張ってく機関車 警笛がぼくの頭を通り過ぎる

 

信号の灯が空っぽな大地をうねっていく

また線路の上を走っていく

雨が降りそう 空を見てごらん

 

ぼんやりとした情景描写の中に、どこかうんざりしたフィーリングが滲んでいるところが実に趣深い。この曲自体は先述のとおり今作制作時より前の楽曲だけど、今作の無気力なアルバムコンセプトに上手く合致してる。

 この曲のこのバージョン以外の登場としては、現在であればアーカイブシリーズとしてリリースされた幾つかのライブ盤にて彼自身のピアノ弾き語りでの音源が収録されている。ピアノ弾き語りだとこの曲の黄昏感や神々しさが増す。また、The Byrdsの再結成アルバムにはNeilのスタジオ音源に先駆けて、バンド編成によってこの曲が演奏されてリリースされた。こちらはやや唐突な始まり方ながら、The Byrdsらしい分厚いコーラスワークが聴ける。

www.youtube.com

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しかし、これらと比べても、今作に収録されたスタジオ音源の描き出す光景の鮮烈さは格別のものがある。自分の知る限りではこの曲をNeil自身がバンド編成でライブで演奏した記録も無いような気がするし、この素晴らしい決定版のようなテイクは、ここでしか聴けないものと思ってる。

 完全に余談だけど、サニーデイ・サービスの『雨が降りそう』はタイトルはこの曲のオマージュじゃないかなあと思ってる*10。タイトルが公表された瞬間に、Neil Youngのこの曲を想起させられてゾクッとした憶え。

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3. Revolution Blues(4:04)

 前曲の淡く儚いフェードアウト後の余韻を無情に打ち崩すシャリシャリしたギターのカッティングで始まる、今作のブルーズ形式セクションの始まりを告げる1曲。

 やたら凄い演奏陣で実にパッとしないブルース形式の曲を演奏している、という感じの構図になってる曲。まずベースもドラムもThe Bandのメンバーという豪華さ。ベースのRick Dankoは今作の参加はこの曲のみ。Levon Helmのドラムはこの曲と前曲のみ。またリズムギターにCSN&Yでも共演してたDavid Crosbyが招かれている。よく考えるとこのゲスト3人もまたこの時点で重度の薬物中毒の問題を抱えていて、この楽曲の鬼気迫るグルーヴはヤク中たちによるものとなってしまう。意識して聴くと確かに鳴ってるエレピはBen Keithが担当。

 特にリズム隊のアグレッシブさが凄くグイグイと来るアンサンブルは、特にドラムのミックスの大きさが強烈で躍動感に満ちて、ベースもかなり自由にリード的にフレーズを混ぜ込んでくる。それに対して両ギターの音のやたら細い感じが不思議ではある。David Crosbyのリズムギターは実にひっそりと右チャンネルでチャキチャキと鳴ってて、正直そこまで目立たない。鬼気迫るテンションはリズム隊とあとNeilのギターソロで稼がれていて、ここではボーカルさえ、ブルーズ形式に合わせて歌ってるだけ、みたいな、彼的な特殊な感情の高まり・突き抜けは感じられない。むしろ歌詞のテーマに合わせて、相応の冷徹さを歌唱で見せてるようにさえ思える。「革命のブルーズ」という題だけど、しかし「革命」の雰囲気が様々な失敗によってすっかり白けてしまった1970年代中頃のムードを、ブルーズの定型をだらしなく破ってダラダラと垂れ流され続ける曖昧な言い回しのの中に感じさせる。

 

ご理解いただきたいな

拒絶されるなんてできないことだから

きみを騙すなんてことしないけど

きみを信じることもしないだけさ

 

このナイーヴな人間不信の感覚が、この時代の感覚でもあったのかもだし、また当時の彼の心境ともダブる領域だったんだろうと思う。歌詞の他の箇所ではやたらと銃の描写が多く、「革命」という概念を「結局暴力じゃないか」という諦観で見てるような節が散見される。

 

4. For The Turnstiles(3:15)

 今作でも最も打ち拉がれてる感が強く感じられる、デルタ・ブルーズの形式に最も近い演奏方法によって歌われるブルーズ曲Neil Youngの弾くバンジョーと、Ben Keithによるドブロギター、そして二人の声だけで演奏されるやはりブルーズ形式に沿った曲。

 マイナー調のブルーズ形式をこの少ない音で演奏するという、この今作でも一際静かな素朴さの中で、今作でもとりわけ声を張り上げるNeilの歌唱が痛々しさを強調する。いくつかの箇所ではBenもコーラスで一緒に声を張り上げていて、いい人だなこの人…と思わせる。元のデルタ・ブルーズに感じられる類のスカスカ吹き曝しな感じの痛々しさを、バンジョーとドブロと痛々しい歌唱で、実にNeil Youngらしい質感に塗り替えている。メロディも演奏も実に伝統的なブルーズなのにこうなることに、彼の声の特殊さと、その細く頼りない声質がこうも痛々しくも効果的に作用するものなのかと、地味に驚かされる。

 歌詞では散文的に状況や光景が描かれ、比喩的で判りにくいところもあるけど、でもやはり打ち拉がれた感覚が滲んでることがなんとなく察せられる。

 

こうやって多くのことを本当に学べるんだ

でも真昼のうちに変わってしまったりするんだ

確信があってもズタボロになってしまうかもね

どうでもいいことさ

 

今作の打ち拉がれた感覚は、多分に「徒労感」のようなものも含んでいるのかな、と思う。まあ心血注いで作った『Tonight's the Night』をボツにされた後の状況ならこんなものか、とも思ったりする。もうどうでもいいよ…みたいな投げやりさが、この素朴で粗雑そうな演奏と歌からしっかりと感じられる。それは実にNeil Young的な感情だ。

 こんな心情を綴った、こんな打ち拉がれた曲だけど、彼の初のベスト盤『Decade』には今作からは『Walk On』と何故かこの曲が選曲されている。

 

5. Vampire Blues(4:15)

 「またこの形式かよ…」と聞く側がうんざりしてくるような曲順で出てくる、今作でも一番うんざりするような、良くも悪くも中途半端で抜けの悪いブルーズ曲。この位置でこの曲のイントロが聞こえてくるときのうんざり感は大したものなので、これを計算ずくでやってるんだったら嫌がらせも大概だと思う。これでLPのA面が終わるというのも実に締まらなくてグダグダで、それは結構今作らしいかもしれない*11

 実にダルダルとしたテンポで、伴奏もオルガンがメインに響き、ギターは怪しげに躍動する程度に配置されプレイされている。垂れ流し感がこの曲に合ってるオルガンの演奏はBen Keithで、この曲でもコーラスも担当し、本当に彼は今作でよく活躍している。ギターはNeil以外にもう1人演奏しており、こちらが渋いリズムギターを響かせている(んだと思う)。Neilはギターソロを担当するけど、ブルーズ的なダルさを目指すあまりにダルダルでグダグダになりすぎなフレーズを弾いている。リハーサルかな…?みたいなグダグダさが、この曲の抜けの悪さにトドメをさしてて笑える。特にアウトロのソロは、単音でダルダルさせる箇所は意図は分かるけど、その後のフレーズがヒドい。ある意味、とてもローファイなギターソロとも言える。

 「吸血鬼のブルーズ」ということで、この曲では自分も含めた業界批判、特にガソリン業界へのそれを展開している。展開している、といってもこのグダグダな曲で、繰り返しの多い歌詞で、実に「アルバム中盤のグダグダ感」みたいなのが的確に表現されていて、次のブルーズ路線の大名曲を前にしてこの情報量の薄さ・気の抜け加減はかえって丁度良いのかもしれない、とも思ったりする。

 

6. On The Beach(6:59)

 今作タイトル曲にして、今作的な無気力や憂鬱さをブルーズ形式とその応用によって最大限にダークでかつキラリと表現しきった、今作でも随一の大名曲。「どぶ板三部作」においてずっと綴られてきた徒労感・やるせなさの果てで鳴る音楽、という具合の情緒に溢れていて、この、もの凄い緊張感によって極度に虚無的なムードを表現してくれた彼の才能とタフさに、本当に敬意を表する。

 とてもスロウなテンポでギターが掻き鳴らされ、ウーリッツァーのエレピが漂う、その基本アンサンブルの重苦しさが実に、実に暗い光景を思わせる。暗いといっても別によるという感じではなく、むしろ日が射す日中を如何しようもないままうろつき回るかのような、そんな少しサイケデリックを拗らせたような憂鬱が、マイナー調が色濃いこの曲にはべったりと張り付いている。エレピはCSN&Yでも共演したGraham Nashが担当していて、少しトレモロが掛かる具合がやっぱり、陽の光の中で視界が歪むような感覚に繋がっていると思う。ベースもドラムも実に渋く淡いプレイを見せていて、その無限にだらしないようでいてかつ緊張感にも溢れているような両義的な空間を絶妙に演出している。Ben Keithはこの曲では横でポコポコと鳴ってるハンドドラム(ボンゴか何か?)を担当している。

 この曲が構成としてとても素晴らしいのが、ブルーズ形式の進行のうちの最後の「Ⅴ→Ⅳ→Ⅰ」の部分を弄って、メジャーセブンスのコードのⅠ→Ⅳ反復に転調して、まるで陽の光で視界が覆われたかのような眩しさを表現してみせるところ。ここの眩しさがあるがために、この曲はそのブルーズ形式の単調さ・憂鬱さをNeil Young的な美しさ・メロウさに完全に昇華しきっている。こんなシンプルな仕掛けでこうも楽曲の印象が変化するのか…というこの曲の構成は、まさにNeil Youngの作曲センスの極北のような感じ。その眩しさからまたすぐに元の憂鬱なマイナー調ブルーズに戻る、というこの繰り返しこそが、この曲の「どこまでも抜けが良く、清々しいまでに永遠に空っぽな感覚」を作り出している。ギターソロにしても、いつになく艶やかなリバーブに彩られたそのフレーズは端正で、無為な光景を彷徨うかのような情緒を絶妙に切り取ってみせ、特にラスト1分間のギターソロは、彼のどのギターソロよりも静かに、憂鬱の感じを表現してる。

 コーラスも無しに呟くように歌うNeil Youngの姿もまた、彼的な孤独さの中でもとりわけ業の深い場面を見ているような気持ちにさせられる。歌詞も、今作的なとりとめのない個人的な情景描写の数々が無気力さを感じさせつつ、タイトルの元ネタとなっているNevil Shuteのディストピア小説にも通じる孤独な世界観を引き出している。

 

ぼくの抱える問題なんてまるで無意味なこと

でもだからといってそれらが消えてくれる訳じゃない

ぼくには群衆が必要だ

でも日々彼らと向き合うなんてできやしない

 

今 ぼくはこの渚にて暮らしてる

だけどあのカモメたちに触れられずにいる

ラジオインタビューに行ってきた

ぼくはマイクの前で延々一人きりだった

 

 ひたすら憂鬱が引き伸ばされていくような感覚のこの曲、Neil本人はそんなにライブで取り上げることもないようで、少し調べると2019年のベルギーでの公演で実に16年ぶり、フルバンドでの演奏は1970年代ぶりにこの曲を演奏したという記事が出てくる。

nme-jp.comやはり憂鬱と無気力の底のようなこの曲を、作った本人もそんな頻繁には演奏したくないのかもしれない。でもその、本人もうんざりするようなこの曲に収められた不純な空気は、逆にその事実が曲空間のダークさが本当に奥深いことを証明してるようにも思える。言い換えれば、この曲がNeil Youngでも一番深い虚無の果てのひとつなんじゃないかと思う。

 余談として、正直Neil Youngの王道的なスタイルからは大きく外れたこの曲だけど、この格別の空虚感の表現は多くの人にカバーされており、英語版Wikipediaによると、Radioheadもこの曲をカバーしたことがあるらしい。また、この曲の演奏形式を明らかに意識したような『白から黒』という楽曲を日本の奥田民生が2017年にリリースしている。ギターのカッティング具合といいエレピの使い方といいテンポといい、近年の彼の楽曲でも珍しくかなり大胆なオマージュになってる。

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7. Motion Pictures(4:24)

 前曲で今作でも「どぶ板三部作」でも最も深いダウナーな世界を抜けた後のこの曲と次の曲は、まるで疲れ切った精神と身体にを癒すような、若しくは弛緩剤を打ち込むかのような、アコースティックギター弾き語りメインの穏やかな曲になっている。この曲は特に、ぼんやりした歌い方・同じメロディの繰り返し、ということもあって、前曲で緊張しきった空気が一気に弛緩していくのを感じる

 スロウなテンポでアコギを弾いて歌うNeil Youngの姿は、リラックスしてるようにも、心ここに在らずな風にも思える。スライドギターは今作のインナースリーヴ掲載のライナーノーツも書いたRusty Kershawによるもの。Ben Keithはこの曲と次曲ではベースを担当している。ポコポコと鳴らされるハンドドラム(Ralph Molinaが担当)もあり、間奏ではハーモニカも演奏され、弾き語りといっても結構様々な演奏が入っているのが特徴。

 それでも賑やかという感じでもなく、Neilの歌唱もキーが低く落ち着いていて、同じコード進行とメロディを延々と繰り返していくので、ソフトにメロウなメロディがどこにも行き着かないまま終わってしまうような、結果的に寂しい印象を感じさせる。

 そんなぼんやりの中で綴られた歌は、『Harvest』の成功以降のミュージックビジネス業界での苦痛について触れながら、当時付き合っていた映画女優Carrie Snodgressとの関係にも触れている。

 

こんなヘッドラインみんなに退屈してるとこだよ

ぼくは自分の奥深くに沈潜してたけど

どうにかして出てくるよ

そしてきみの前に立って 笑顔をきみに見せてあげよう

 

このアルバム制作時にはおそらく二人の関係はまだ良かったのかもしれない。だけどその後それは悪化して、二人の破局をテーマに取ったアルバム『Homegrown』が、今作制作の後にレコーディングされていき、そして完成したのに、『Tonight's the Night』の逆転リリースの代償としてボツになる、というその後の歴史の流れはとても皮肉だ。2020年というすごく遅いタイミングとはいえ、『Homegrown』が当初の形のままにリリースされて良かったなと思う。

 

8. Ambulance Blues(8:56)

 憂鬱と無気力とが跋扈する今作はこの、アコギ弾き語りをメインにしつつも9分弱という長尺で展開される楽曲にて、穏やかにかつフォーキーに締められる。尺の長さといい、トラッド感といい、やたら取り留めなく言葉を紡いでいく感じといい、Bob Dylanの作風に近いものがあるかもしれない。歌詞にしてる内容がバラバラなこともあり、Neil Youngかく語りき、という趣のフォークソング、と言えるかもしれない。

 タイトルに「Blues」と付いているけど、普通にメロディアスなフォークソングで、フィドルなども入って、今作でも一番「伝統的なアメリカ音楽」の感じがする。フィドルは前曲のスライドに引き続きRusty Kershawの演奏で、ハンドメイド感の強いリズム感がよれたNeilのアコギ演奏やハーモニカと程よく合わさり、穏やかでノスタルジックなこの曲の雰囲気を高めている。ベースとハンドドラムは前曲と同じメンバーによる演奏。やはり、賑やかにはならない程度の味付けが効いてる。

 前曲と異なり、この曲にはきちんとヴァースとブリッジの構成が備わっている。綴られる言葉とは裏腹に、このヴァースとブリッジによるメロディ展開は今作の楽曲でも最もリラックスした空気が感じられる。前曲のような弛緩しきった風でもなく、キビキビとフォークソングを演奏し続けて、何度も展開を繰り返して、結果9分に届きそうな演奏時間になっている。こういうところはBob Dylanの長尺曲に似てるかもしれない。アコギ弾き語りメインでここまで長尺なNeil Youngの曲も珍しいけれども。ヴァースでは低い声で落ち着いて歌いつつも、ブリッジの箇所では比較的高いメロディを、歌詞どおりの感情を込めて歌い飛ばしてるような勢いが備わる。ヴァースの歌のメロディやギターコード・プレイはNeilが無意識的にBert Janschの楽曲『Needle Of Death』を参照していて、それを指摘されたNeil自身が後に認めている。

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 歌詞は、今作で1番私小説的な内容なのかなと思う。というか、内容がいろんな方面に飛んで行って、センテンスごとに別の内容を言ってるのかな、と思うところ。このザッピング感は「歌詞」という文章形式ならではの手法だと思う。

 

「病気は去った」ってぼくは言おうと思う

この曲の意図するところは言いづらい

救急車はそれくらいでしか速く走れない

いいものを長持ちさせようとして

過去に囚われ埋没するのは容易いことだ

 

今作の内容を俯瞰するような一節。「病気は去った」と彼自身が言ってることは、この曲が「どぶ板三部作」の一番最後に来ることに相応しいフレーズではある。

 

だから 批評家はみんな引っ込めよ

お前らの見せものはぼくほど良くないじゃないか

お前らの胃洗浄や梯子付き消防車やらの夢に付いてなら

もしかしたら一緒に界隈作りができるかもね

 

どうにも唐突に出てくるように感じれる批評家批判の一節。後半のこういうアメリカ的なユーモアセンスは正直よく分からないところ。

 

お前らみんな所詮 風に向かってションベンしてるだけ

それを自分で分かっちゃいないんだ

お前らが風に向かってションベンしてるって

教えてくれるような友達がいりゃいいのにな

 

この一節は英語版wikipediaによると、再結成CSN&Yがグダグダになっているのを見かねて言ったNeilのマネージャーの発言を直接引用したものらしい。再結成CSN&Yは確かに新作アルバムを作り上げることは出来なかったけど、でもどうにか再結成ツアーは遂行し、そこから実に40年後にそれらを収めたライブ盤ボックスセットがリリースされた。ライブ自体は大盛況で、演奏の出来もなかなかのものだったらしい。

 

こんなに嘘を積み上げていく奴など見たことがない

奴はそれぞれの相手全員に全然違う話をしていた

あの調子で 誰に話していたか覚えていられるものか?

それはぼくじゃないだろうし きみでないことを祈るよ

 

最後の最後で唐突にブリッジだけ挿入される部分での一節。とりわけこれまでの内容と大きく乖離したこのセンテンスは、当時の大統領Richard Nixonを非難する意図らしい。強権的な政治体制を敷き、ベトナム戦争終結中華人民共和国との国交樹立などの「成果」と、金本位制の終了で世界経済を混沌の中転換させたドル・ショックなどの「事件」を経て、やがてウォーターゲート事件にて引き摺り下ろされる彼の評価はどう時代的なものから後世のものまで様々だけど、おそらくこの歌が作られた時期はまさにウォーターゲート事件連邦議会が揺れていた時期で、その際に苦しい嘘を連発していたNixonについて言及しているところもあるだろう。彼にとってNixon大統領はCSN&Yの『Ohio』で非難して以降の関係性ではあるので、それ以上の感情がこのセンテンスにはあるんだろうけど。

 「どぶ板三部作」の暗い時代の最後を飾るこの曲は、このように唐突に出てくる大統領批判によってその幕を閉じる。そんな「はぁ……?」みたいな感じの結末が、基本的に行動原理も思想も訳が分からないところがあるNeil Youngとして相応しいのかもしれない。また、本作限りのことで言えば、これだけ最後にクソみたいなことを積み上げて見せた上で、そこから1曲目に戻って、「Walk On」と、それでも「歩き続けていけ」と言っているところに、Neil Youngという人間の心底タフな部分を見出すことも可能だろうと思う。

 

・・・・・・・・・・・・・・・

終わりに

 以上8曲。合計で40分弱のアルバムでした。8曲だけで40分に届きそうな尺というのが1970年代のロックのアルバムって感じがするし、うち10分近くは最後の曲だけで稼いでるんだよなというものだけど。

 最後に、個人的なことを書きます。

 今作は、最初の方でも書いたとおり、個人的にもこのどうでもいい人生においてオールタイムベスト10に絶対に入るくらい好きなアルバムで、正直こうやって書いてきた内容がそれに相応しいか不安で不安で仕方がないです。

 個人的なこととして言えることは、今作の暗くて、なおかつ投げやりで空虚でその分吹き曝しで風通しの良い雰囲気、特に『See The Sky About To Rain』の流れていくようなメロウさと、『On The Beach』の不安で虚無なまま陽の光の下を彷徨ってるような感覚とが、他に替えが効かないような情緒と光景とが感じられて、昔からすごく好きだったし今も本当にかけがえがないと思っています。

 今作の良さを音楽的・器楽的な要素に限って行うことって可能なのか、可能だとして、それにどんな意味があるだろう、と思ったりします。このアルバムを好きになるかどうかは人によってはっきりしてて、好きになってしまうようなだらしない人からすれば、これほどに素晴らしく美しく居心地のいい作品も無いのではないか、と思ったりもします。今作で様々に表現される、居心地の悪いままに何もできずに無為な状態である姿は、それを「駄目な自分」と重ね合わせたくなる欲求を的確に引き出してくるようなところがあります。明らかに乱暴に制作された、下手すれば『Tonight's the Night』よりも乱暴に制作されたはずのこの作品に、そんな性質が宿っているのは不思議なことだけども。

 思うに、フォークロック・カントリーロックというアメリカの大地の感じが強い音楽ジャンルに属するNeil Youngという人物が今作で「渚」という位置、それ以上に陸地が続かない地点にいる、というジャケットのシチュエーションそのものが、通常の状態とは違う、追い詰められた地点にいる、みたいな印象を抱かせる部分もあるような気がします。今作のジャケットは色んなものを象徴してるように勝手に感じれて、とても素晴らしいものだと思います。

 なお、このジャケットのアートディレクターを務めたGary Burden氏は他にもNeil Youngの多くの作品のジャケットに関わっており、というか往年のウエストコースト系アメリカンロックの有名なジャケットの多くに彼が関わっていたようです。こちらで彼の関わった作品が一覧できます。近年ではKurt Vileの作品なんかもあったり。

garyburdenforrtwerk.com

 Gray Burden氏は2018年にこの世を去っています。長生きをして活動も続けているNeil Youngは、多くの関わった人たちの死を経験しているんだなと、当たり前のようなことを思います。

 

 美しさとは、悲しさとか虚しさとかからしか出てこないものでは決して無い、ということは自明なのですが、今回のこのアルバムみたいなのを聴いてると、なんだか分からなくなってしまうことがあります。もはや悲しさや虚しさと美しさの境界線が分からなくなってしまうような音楽、というのが世の中には少なくない数あって、自分はどうも、そういう作品ばかりが好きなんだなあと、結構前から思っていたけど、それは学生の頃にこのアルバムをやたら聴いてたりしてたせいだったりもするのかな、とか思うこともあります。仮にそれが本当だとしても、後悔は無いし、別にどうだっていい。このアルバムみたいに悲しさや虚しさと美しさの境界線が曖昧な音楽を、かつなんかいい具合に音響的に恍惚となってしまうような音楽を、もっともっと知りたいな、と思うばかりです。

 

 以上、『On The Beach』の記事でした。

 Neil Youngについてはもうひとつ、記事を書きたいと思っています。というか本当は最初にそれを書くつもりでいろいろ調べてたのに、色々あって一番最後になってしまった。なるべく今年中に、早いうちに投稿できるようにしたいです。

*1:そもそもひとつのアーティストにそういうアルバムが何枚もある方がおかしいだろうし。彼の場合は候補が『After The Gold Rush』『Harvest』とCSN&Yの『Déjà-Vu』の3枚もあるという、多すぎる方だろうと思ったりする。

*2:ちょっと調べればすぐ分かることしか書いてないので…。

*3:The Bandのラストワルツに鼻にめい一杯のコカイン詰めて出演するところは、ここで紹介するような悲劇を背負った人間のはずなのに、訳が分からない…。その状態でよりによって『Helpless』を演奏して

*4:『See The Sky About To Rain』のこと。

*5:主な原因はBuffalo Springfieldから続くStephen StillsとNeil Youngの対立。この二人、喧嘩してはグループを消し去り、でもその後ヨリを戻したりするのを繰り返すので訳がわからない…。

*6:このリリース復活の流れにはThe BandのメンバーRick Dankoがその素晴らしさをレコード会社に熱烈にアピールした、という背景があるらしい。それでボツったアルバムが復活し代わりに他のアルバムがボツになるあたりが、悲しいを通り越してもはや喜劇のように思える。

*7:興味深いのは、『Homegrown』においても数曲でThe Bandのメンバーが演奏に参加していること。こちらでもいい演奏・サウンドを聴かせている。Levon Helmのドラムサウンドって本当すごい。

*8:ただ、これはCD以降の1曲目から8曲目まで連続して聴ける状況だからこそで、レコードだとブルーズパートの4曲目『On The Beach』からがB面となってしまう。レコードでこれを聴いてた、もしくは聴いてる人は、ここで書いてるのと全然違う感想を抱いてるんだろうな。また、元々Neil Youngは今作制作時はA面とB面を逆にするつもりだったらしくて、そうなってもやっぱり全然印象が違うものになってしまう。個人的には、この現実にこうなった曲順のままで良かったと思う。

*9:編成はNeil Young:Vo, Gu、Billy Talbot:Ba、Ralph Molina:Drums, Co、Ben Keith:Silde Gu, Co。今作で一番Crazy Horseっぽいサウンドなのも納得のメンバー。そしてその「らしさ」がここではとてもありがたい。

*10:アルバム『いいね!』の背後にあるであろう大量のNeil Youngっぽさが出たんであろうボツトラックを本当に聴きたい…。

*11:上述のとおり元々A面とB面を逆にする予定だったとかで、もし本当にそうしてたらこの曲がアルバム最終曲になってしまって、結局そんなグダグダなことが回避されたのは本当に良かったと思う。こんなのが最終曲とかNeil Youngホントに何考えてるんだてめえ。