前期について書いたので、今度は後期について書きます。本当に便利な時期にバンド名が小文字表記から多文字表記に変わったもんだ。具体的には1998年の『G.W.D』*1から2023年の最終作『エレクトリック・サーカス』までの作品を後期とします。
前期であるところの小文字のthee michelle gun elephant(1996年〜1997年くらい)についての記事はこちら。
それにしても、後期になるとサムネ等に充てる画像が実に探しやすいこと。世間的にはやっぱり『ギヤ・ブルーズ』から後がこのバンドなんだなあ。チバがサングラスしたりオールバックになったりしてからがこのバンドなんだな。まあその後の彼の作風とかルックスとかと地続きなのは確かに後期だけども。
- 大文字時代のバンドの特徴
- アルバム短評
- 本編:大文字時代のプレイリスト【25曲】
- 1. G.W.D(『ギヤ・ブルーズ』収録)
- 2. プラズマ・ダイブ(『カサノバ・スネイク』収録)
- 3. ゴッド・ジャズ・タイム(『ロデオ・タンデム・ビート・スペクター』収録)
- 4. マリオン(『SABRINA HEAVEN』収録)
- 5. キラー・ビーチ(『ギヤ・ブルーズ』収録)
- 6. アウト・ブルーズ(シングル『アウト・ブルーズ』収録)
- 7. ラプソディー(『カサノバ・スネイク』収録)
- 8. リタ(『ロデオ・タンデム・ビート・スペクター』収録)
- 9. 水色の水(ミニアルバム『SABRINA NO HEAVEN』収録)
- 10. ジェニー(シングル『スモーキン・ビリー』収録)
- 11. ベイビー・スターダスト(『ロデオ・タンデム・ビート・スペクター』収録)
- 12. 武蔵野エレジー(シングル『ベイビー・スターダスト』収録)
- 13. ドロップ(『カサノバ・スネイク』収録)
- 14. メタリック(『SABRINA HEAVEN』収録)
- 15. ピストル・ディスコ(『カサノバ・スネイク』収録)
- 16. サンダーバード・ヒルズ(『SABRINA HEAVEN』収録)
- 17. 赤毛のケリー(『ロデオ・タンデム・ビート・スペクター』収録)
- 18. GT400(『カサノバ・スネイク』収録)
- 19. ジプシー・サンディー(『SABRINA HEAVEN』収録)
- 20. アリゲーター・ナイト(『ロデオ・タンデム・ビート・スペクター』収録)
- 21. ブライアン・ダウン(『ギヤ・ブルーズ』収録)
- 22. リボルバー・ジャンキース(『カサノバ・スネイク』収録)
- 23. PINK(ミニアルバム『SABRINA NO HEAVEN』収録)
- 24. エレクトリック・サーカス(シングル『エレクトリック・サーカス』収録)
- 25. ダニー・ゴー(『ギヤ・ブルーズ』収録)
- あとがき
前の記事と同じフォーマットで書きます。
大文字時代のバンドの特徴
この記事を書くために改めて聴き返して、ホント前期と後期で別バンドみたいだなと思った次第で、そういうことはある程度長くやっているバンドだとままあることのようにも思えるけども、彼らの場合、別にデビュー以降メンバーが誰一人変わった訳でもないのに、かなりはっきりと前期と後期の違いがあるのが興味深いところ。なんでそんなことになったのかは本人たちしか知り得ないところですが、どう違うのか、後期はどんな感じなのか、概観を試みましょう。
メジャー調の楽曲が僅かになる
後期でもメジャー調の楽曲『キラー・ビーチ』とか『GT400』とかだとまだ前期でもありそうかなあという感じがするけども、マイナー調の楽曲やらが一気に増えてくるとやっぱり作品としての雰囲気は大きく変わってきます。勿論前期と違うのはこの要素だけではないんですが、そもそもメジャー調のパッと明るい曲を滅多に作らない=明るい感じを抑制し、もっと別の側面を見せようとしていることに他ならないところ。
ハードコアかグランジかみたいな、リフゴリ押しの曲構成
前期と全然違ってきてるなと思うのはこの部分。4つのゴツゴツしたコードを繰り返すだけ、みたいな構成の楽曲が後期には多々あり、場合によってはそれをボーカルの強弱とリズムの変化だけでサビとそれ以外に分ける、みたいな力技さえ用います。
時には本当にミニマルな構成だけで楽曲が出来てることがあって、その制約の中でバンドのエネルギーをキリキリと吐き出していくのが後期の基本スタイルのようなところがあります。自由に思うがままにやり散らかしてた感のある前期と比べると、ずっとストイックというか、同じ繰り返し不自由さの中で演奏と歌で無理矢理拡げようとしてくる感じが執念とか狂気とかを感じさせるというか。というか、サビでタイトルを叫び倒す展開の楽曲がもしかしたら大半なのか後期は…。
面白いのが、グランジをするならばエフェクターでサビとそれ以外の強弱をつけるのが常道だと思われますが、アンプ直のギターを心情とするアベフトシの在籍するこのバンドはそんなことはせず、アンプ直のクランチくらいのギターサウンドの範囲で、演奏方法やらリズムの切り替えやらなんやらで無理矢理にグランジ的な展開方法を表現していきます。このまるである種の縛りプレイのような様相はこのバンドならではのグランジの実現方法という感じ。まあボーカルがそれ以上にオンオフの激しさを表現出来る、という事情もありますが。
というか、アベフトシのギターは前期ではカッティングを軸に自在なフレージングをしていましたが、後期になると音色一発、というプレイが多くあります。(おそらくは)アンプ直ながら、曲に合わせて強弱のみならずEQや歪みなどを調整し、楽曲に合った音色をテレキャスターとマーシャルアンプで表現する彼のプレイはどこか職人めいた佇まいがあり、主にチバが目指したであろうキリキリとした緊張感に満ちた世界に合致したコードバッキングの轟音もしくはヒステリックな単音を叩き込み続けます。
また、上述のとおりリフゴリ押しの楽曲が増えた結果、リズム隊、特にドラムの重要性は相当増した感じがあり、曲によっては本当にドラムとボーカルだけで曲構成を作ってるんじゃないかこれ…くらいの時があります。
アルバム最終曲の完成度の高さ
前期のアルバムにおいてはどこかサラッとした終わり方を志向してる節があったけども、後期の各アルバムはどれも最終曲に実に力が入っています。順番に上げていけば、『ダニー・ゴー』『ドロップ』『赤毛のケリー』『NIGHT IS OVER』と、どれもアルバムラストで作品の印象を大きく塗り替える力を持つ楽曲です。
この後の25曲レビューでインストの『NIGHT IS OVER』以外の3曲はどれも取り上げるのでここで細かくは話しませんが、これら最終曲の力の入れようには「アルバムはきっちりと作らないといけない」というバンド側の創作スタンスの変化が透けて見える気がします。いや別に前期がテキトーだったと言いたい訳ではないけど、コレらの名曲をしっかり最後に配置する様には、彼らの作品作りにおける気負い、責任感のようなものがより感じられる気はします。
それにしても『ダニー・ゴー』は「えーっ今までの重たい感じ何だったの!?」ってくらい軽やかで楽しくていいなあ。
“荒くれの才能”を深く自覚したチバユウスケのボーカルと歌詞
選ばれてあることの 恍惚と不安と 二つ我にあり
前期と後期でとりわけ大きく異なるのはチバユウスケの歌い方や歌詞でしょう。見た目も大きく変わり、どんどんやさぐれた、荒くれロックンロッカーを地で行くスタイルになっていきますが、どことなく後期ミッシェル以降の彼は、荒くれたロックンロールを制作し、そして破滅的に歌える自身の才能をある種の“責任”として背負い込んでいたのではないか、と考えてしまうことがあります。バンドのことを“日本のロックを背負う存在”などと形容することがまま見られ、賞賛の意味でそのように言ってることは分かるけども、彼はそれを実現していくために、前期のラフな感じの楽曲を作り歌うことをやめてしまったんじゃないか、などと思ってしまいます。
後期の第1作目であるアルバム『ギヤ・ブルーズ』は、彼自身やバンドがチバユウスケという“日本でも稀に見る果てしなく叫ぶことができるボーカル”を発見した作品だと呼ぶことも可能だと思っていて、なんなら後期ミッシェル自体が「チバユウスケという最高に叫べるボーカルの荒くれ様をどのように極めていくか」を目的に楽曲や作品を作ってるように見えてしまう部分さえある気がしてます。だって、同じリフの繰り返しの中で曲タイトルをがなり倒すだけでサビが作れてしまう、しかもそのスタイルで曲を量産できてしまう、それが許されてしまうボーカリストなんて世界にどれだけ存在するかよと。
歌詞もまた、前期の天然でメルヘンで情けない感じのものを消え失せ、もっとイカつくてハードボイルドで、アメリカンな不良文化からの影響の受け方などにどことなくBlankey Jet Cityからの影響の大きさが伺えたりしつつ、夢想的でないが故の重みみたいなものが出てます。特にアルバム『ロデオ・タンデム・ビート・スペクター』における歌詞のドン詰まり具合は暗く重く、新しい何かを得るために過去を振り切らんとする姿勢そのものを聴かせてくるかのよう。そういう意味で、最後の作品群『SABRINA HEAVEN』『SABRINA NO HEAVEN』で前期とはまた違った形でチバの元来持ってた天然で男の子でメルヘンな要素が所々に挿入されるのが大変面白く、そういう意味でもこの先どうなるんだろう…と思わせる要素だっただろうに。
アルバム短評
後期の6年間にリリースされた、アルバム4枚とミニアルバム1枚を見ていきます。
4th『ギヤ・ブルーズ』(1998年11月リリース)
黒いスーツとサングラスに身を包み背景の黒と一体化したメンバー写真が、前作までと雰囲気が全然違うことを如実に物語る4枚目は、全体的には一気に歌も演奏も重く緊張感に満ちたものになりつつも、前作までの雰囲気を残すメジャー調のポップな曲なんかも混じっていて、全体で見れば過渡期を思わせる、逆に言えば後期のハードさも前期のポップさやテキトーさも合わさったアルバム。あと、一気に曲名が英単語カタカナ+中黒(・)のものが並び*2、雰囲気がガラッと変わったような、でもよく見ると『サタニック・ブン・ブン・ヘッド』とか意味分からんのも混じっててその辺はチバの天然っぽさがまだ垣間見えるというか。
特に前半のヘヴィさはこの変化を見せつけるに十二分に印象的で、冒頭から演奏もチバのシャウトもグランジじみた重々しさの『ウェスト・キャバレー・ドライブ』のガチな重さに、前作までと何かが全然違う、と思わせる。続くシングル曲『スモーキン・ビリー』のドスの効いたブレイク芸でトドメを刺す。わざわざ前作の延長感があって風通し良く自由度の高いシングル曲『アウト・ブルーズ』をアルバムから外してまで雰囲気を形作る。その割に『ドッグ・ウェイ』とか『キラー・ビーチ』みたいに前作にあってもおかしくない曲があったり、アルバム後半はこの後のアルバムでは採用されなかった類のヘヴィロック的な重さを採用した楽曲が散見されたりと、実際は過渡期だったことも他の後期のアルバムと比べると如実に分かる。でもそんな時期だからこそ、後期的な荒くれ様の上で実現可能になった類の爽やかさを纏った最終曲『ダニー・ゴー』が生まれたとも言える。あと、意外とミドルエイトのある曲が比較的多かったりで作曲が凝ってる節があるのは、シンプルな構成に徹した前作からの反動だろうか。
歌詞も一気に重くヘヴィでハードボイルドなものに変化してたり、いややっぱ前作の感じじゃないかなと思うものもあったり。『ドッグ・ウェイ』は前作でも全然ありうる歌詞だなっていうか前作のアウトテイクとかだったりしないかこれ。
ズタボロ・スーツをひきずって
コマ切れフィルムがショートする
半分ムラサキ沈んだ 夜明けの色だけ覚えてる 覚えてる
転げ廻り廻る 踊る ウェスト・キャバレー・ドライブ
ウェスト・キャバレー・ドライブ / THEE MICHELLE GUN ELEPHANTより一部引用
犬も知らないイヌミチ 星も見えないイヌミチ
まばたきさえわからず はいずり歩いていく
ドッグ・ウェイ ドッグ・ウェイ ドッグ・ウェイ
ドッグ・ウェイ / THEE MICHELLE GUN ELEPHANTより一部引用
それにしても、タイトルを繰り返し叫ぶサビの構成の楽曲が一気に増えたことは間違いない。その点はまごうことなく後期ミッシェルの作品と言える。あと間違えやすいけども“ギア”ではなく“ギヤ”で、そして“ブルース”ではなく“ブルーズ”。
5th『カサノバ・スネイク』(2000年3月リリース)
えっなんかこのアルバムだけジャケットラフすぎない?やさぐれたスーツのおっさん4人突っ立って写ってるだけじゃん、いいの!?って感じのジャケットだけども、音楽もそんな感じ。全作品でもとりわけ勢い全振りな楽曲が多くあり、楽曲のシンプルさもまた極まった感のある、最早それグランジでは…?って楽曲も散見される、しかしどこかカラッとして気楽な雰囲気もまだ感じられる、後期の中でもとりわけラフな雰囲気を付与された作品。ジャケットのチバの変貌したルックスが色んなものを雄弁に物語っているのかもしれない。基本チバが絶叫してる感じの作品に“気楽”なんてラベル付けるのもアレだけども、荒野の感覚がいい具合に心地よく乾いた雰囲気に繋がってるのか、思うままに「ヒャッハー!」ってテンションをしてる感じがある。というか『GT400』と『リボルバー・ジャンキーズ』の存在が大きいだけなのかもだけど。
前作で一気にワイルドになり、それまでよりもずっとタフなライブを繰り返し続けてきたその勢いそのままに、というかその勢いだけでアルバムを作り上げてしまったかのような作品。チバは基本の歌い方ががなり声シャウトになり、ドスを効かせるときに荒くれた囁き声になるか、もしくはサビでもっとシャウトするかくらいの変化の付け方になり、また曲構成もワンリフで疾走して押し通す楽曲がかなり増加した。その単純さの上でなぜか全スタジオアルバムで最も多い15曲1時間弱という尺をやってくるので、通して聴いてると、もうちょっと凝ってよ…という気持ちになることも。しかし、一気に作ったからなのか、全体的にザリザリに乾いたバンド感が貫かれていることは本作の作風を見事に形作っている。音割れさえ気にしない自棄っぱち具合は本作の大きな特徴。そして、全体的にアメリカ南部の荒野の町めいた、砂とラテン混じりのアトモスフィアが溢れている*3。そしてそういった楽曲の雰囲気はともかく勢いを全然代表していない例外的にユルユルなグルーヴ感の『GT400』がリードシングルなのはどうなんだ、というおそらくリアルタイマーの多くが思ったであろうツッコミどころ。
歌詞についても、“モーテル”だとか“サボテン”だとかアメ車の名前だとか、露骨にアメリカの、特に乾いた南部の感じ、突き詰めればテキサスの感じなんだろうけど、そんなのが溢れてる。そしてここで“宇宙”というワードが飛び出してくるところに、チバの世界観の移り変わりつつあることが窺える。良くも悪くも、雰囲気と勢いでぶっ飛ばしてやるってノリだけども、絶叫の割には次作以降のような思い詰めた調子がそこまでない感じがするのは不思議。
俺の星には何もないけど あの娘がいれば
宇宙の果てまでぶっ飛んでゆける
どす黒い空 切り裂いた後 俺がいるだけ お前がいるだけ
デッド・スター・エンド / THEE MICHELLE GUN ELEPHANTより一部引用
裸の太陽を 追いかけてきたけど
裸の太陽は とっくに消えたけど
真っ暗闇の荒地の果て 探してる物はないけれど
あの娘にずれたキスをして また西へ行くのさ
裸の太陽 / THEE MICHELLE GUN ELEPHANTより一部引用
全体的にロマンだけで突っ走ってるバカさがあって*4、『Chicken Zombies』の頃とはまた違ったバカさというか、『Chicken〜』とこれがこのバンドのバカ作品2巨頭だと思う。
6th『ロデオ・タンデム・ビート・スペクター』(2001年5月リリース)
また世界観がかなり変わったことがジャケットから窺い知れよう。メジャー調の楽曲が消滅し、リード曲の歌詞「パーティーは終わりにしたんだ」に表されるように、延々と神経質な疾走感や重苦しい切迫感、冷たい緊張感にバンドが突き動かされ続ける、美学と気迫にやられてしまう作品。雰囲気と勢いオンリーで行った感じの前作からの反動にしては思い詰めたような、ドン詰まりのような雰囲気が立ち込め、それによるエッジの鋭さはあるけどもそれはそれとしてバンド解散するんじゃないか…と当時はファンの間で不安がられたとも。
冒頭の『シトロエンの孤独』からして、もはや歌ではなくステートメントであり、混沌としたチバ語の文脈ながら、何か以外を振り切ろうとせん勢い。先行シングルの『暴かれた世界』もまた情緒も音も切り詰めたようなガレージロックなグランジで、楽しさよりも痛切さがやってくる。その辺の情緒のことは特に『ゴッド・ジャズ・タイム』と『赤毛のケリー』の2曲に集約されるような気がしてるのでその辺は後述。アルバム前半の次々と迫り来る緊張感はこれはこれで見事。アルバム後半の疾走曲の連発は少し前作の面影を感じさせつつ、ブレイクの箇所のドスの効き方は「バカだなあ」と笑っていいのか戸惑うくらいには緊迫したものがある*5。
上述のとおり、思い詰めたような、過去を振り切ったような歌詞が、本作の凄みを高めエッジを鋭くするとともに、不可逆的なその雰囲気による寂しさを抱かせる。いくつかの楽曲にある決断的に「捨てる」ことを述べた歌詞は、他の曲の相変わらずアメリカな雰囲気を撒き散らした歌詞と違って、まるで笑えない。
白いタイル貼りの トンネルを抜けてゆく
北極よりも寒い12月の有刺鉄線のような口笛*6を鳴らす
72.5メガヘルツ流れっ放しのグラウンド・テイラード・バス
その車の中で 綺麗な緑に染めたカーリーヘアーの
穴のあいた男が一人でしゃべってる
穴のあいた男が一人でしゃべってる
(中略)
バイバイブルース バイバイベイビー
バイバイブルース バイバイベイビー
シトロエンの孤独は続く
シトロエンの孤独 / THEE MICHELLE GUN ELEPHANTより一部引用
チバがわざわざブルースに別れを告げるというのが尋常じゃないことは、これまでのブルーズ進行の楽曲の多さからも理解できるところ。本当にどうしたん…。
スピード・目隠し*7・死人列車 ヘルメットの数59で
ピース・マークだけで全て片付ける奴にあきあきしてる
泥だらけ花売り女 つばめ服の占い師
暴かれた世界 / THEE MICHELLE GUN ELEPHANTより一部引用
「パーティーは終わりにしたんだ」という必殺のフレーズは、しかし同時にこれまでの狂おしくも楽しいバンド・ミッシェルガンエレファントそのものを否定しかねないほどの強い意味さえ持ちうるワードで、この言葉によってバンド後期も終盤に入った印象が大変に高まる。
7th『SABRINA HEAVEN』(2003年3月リリース)
レコード会社を移籍し、ジャケットのデザインの趣も変わった感じがする。前作の緊張感をさらに押し進め、長尺曲での奥行きを模索し、またジャズやレゲエなどのテイストも取り入れ、果てには冷たいピアノインストまで現れる、サウンド的には特にリズム隊の比重が強烈に響く感じのある、最後のフルアルバムにしてやけに実験的な奮闘も感じさせる作品。何かと実験的なのは、前作で急に行くところまで行ってしまって、同じメンバーのままさらにその先の何かが出来ないか、何かないだろうかともがき続けた結果なんだろうか。元々バカみたいにガチャガチャとロックンロールしてたバンドの行き着いた先として痛々しく、しかしある種の諦観のもとに疾走してた感のある前作と比べると、行き詰まりの先に何かないかともがく様に、前期とはまた違った開放感も見えてきているのが面白く、なので結局この後解散となったのは残念ではある。まあROSSOと陸続きな世界観なところもある*8とは思うけども。
絶叫こそしてるものの、冒頭からの冗談めいたドスの効かせ方とどこかバカっぽい内容を全力でシャウトしてるのが可笑しい『ブラック・ラブ・ホール』の時点で、前作の冷え切った雰囲気とはまた違うな、と思わされる。とはいえ既に6分弱の長尺で、続く先行シングル『太陽をつかんでしまった』の8分半に渡る、どこにも行けない重さそのものを鳴らす様に、似たような尺でも自由にブラブラしてる感じの『ブギー』の頃とはすっかり変わり果てたんだな…という思いが去来する。かと思えばドラム缶の連打が挿入される『ヴェルヴェット』やら、エレピも交えてガッツリとジャズな演奏を展開してみせる『マリアと犬の夜』やら、何か違うことをやろうとする気概、または何か違うことをやらなければバンドをする意味がないという切迫感がどことなく香る。本作は特に後半が強力で、ジャズな『マリアと〜』から情熱的な『ジプシー・サンディー』『マリオン』と続き、長尺をジャズと狂乱のロックンロールとポエトリーとで行き来する『サンダーバード・ヒルズ』で何かの頂点を迎えてからまさかのピアノインスト『NIGHT IS OVER』で終わる流れの完成度は後期ミッシェルでも、というかこのバンド全体でも屈指の流れだと思う。音楽的な完成度の高さは、同時に「このバンドはそもそもそんな完成度とかを求めてやってるバンドだったか?」という自己矛盾めいたテーマも抱え、最終作に相応しい業の深さみたいなものも覗かせる。
歌詞についても、荒くれが先鋭化して行き詰まった世界観の前作の、その更に先に見えた光景を描こうとする筆致の中には、元来からのチバの天然で不思議ちゃんな世界観も入り混じり、なんなら一人称に久々に“僕”が複数の曲で用いられたりしていて、なんだか最後に一旦フラットになって、その上でここまで得た経験からのヒロイックさを獲得しようとしてたような感覚がある。アメリカンな光景描写も薄れ、代わりに目立つのは『赤毛のケリー』の続きのような、世界の片隅を淡々と描くような、しみじみとして気が遠くなるような不思議な光景や感覚のことばかり。その中で何かを決断的に掴もうと振る舞う歌の主人公は、声のドスの効き方の割に実に男の子らしい、ヒロイックさに憧れてを伸ばそうとする感じがある。だからこそ、このバンドでのこのヒロイックさの行先を見たかった、という気持ちも捨て切れずにいる。
エルパソに咲く花も ヤシの木を見てないと
泣いたりするんだろうね 僕はそう思う
太陽をつかんでしまった / THEE MICHELLE GUN ELEPHANTより一部引用
重苦しい8分越えの楽曲の結構終盤になって聞こえてくる「お前は何を必死に叫んでるんだ…」となる不思議フレーズ。こういう可愛らしさは前作には存在し得なかった類のもので、本作のフラットさが偲ばれる。
あれはそんな遠くない日の 赤いほうき星 流れた夜
空に傷跡が残って 月がそれを照らし出してる
ブラッディー・パンキー・ビキニ
するりと抜ける あの娘の肩
レモネード・シャワー 鳴いてよハニー
ブラッディー・パンキー・ビキニ / THEE MICHELLE GUN ELEPHANTより一部引用
タイトルは意味不明だけど、こういうロマンチックさには案外初期と変わらないところがある。
重い作品だからか、Spotify上での全曲の再生回数の合計があろうことか次作の『ミッドナイト・クラクション・ベイビー』1曲*9と同じくらいに留まってしまってる。流石にもっと聴かれてもいいだろ…と思って笑った。不憫だ…。
mini『SABRINA NO HEAVEN』(2003年6月リリース)
ミニアルバムだけども一応。前作と同時期に製作された、こちらはより明確にテンポの速いロックンロールしてる感じの楽曲が目立つ作品。6曲中3曲がそうなんだからそう思っても仕方がないところ。元々は前作と合わせて2枚組のアルバムが構想されていたらしい*10。
冒頭の『チェルシー』こそ重く長いけれども、それが終わると立て続けにバンド末期の疾走曲2曲が立て続けに現れる。t.A.T.u事件で代役で演奏されたことで名高い『ミッドナイト・クラクション・ベイビー』はギター1本とベースを左右に振ったミックスが冒険的でかつイヤホン等で聴きづらい。『デッドマンズ・ギャラクシー・デイズ』のヤケクソじみたテンションはバカっぽいミッシェルに、少なくとも『カサノバ・スネイク』の頃に立ち返ったかのような潔さがある。個人的にはその後の2曲が特に味わい深いと思い後述するけども、そして前作と同じ楽曲をより少なく寂しい音数で演奏した『夜が終わる』で寂しく終わってしまう。
歌詞もまあ前作と同時期なので、似たようなフラットさがある。
加速するギャラクシー・デイズ ロケットには“I LOVE YOU”
銀河を突き抜けて 宇宙を手に入れろ
デッドマンズ・ギャラクシー・デイズ / THEE MICHELLE GUN ELEPHANTより一部引用
この歌詞とかホントバカ。ギターウルフスレスレの内容をシリアスにシャウトするのはやっぱ笑わかせに来てるんじゃないか。茶目っ気が戻りつつあったんじゃないのか。
本編:大文字時代のプレイリスト【25曲】
ようやく本編。1998年から2003年までの5年間の楽曲を、1996年から1997年までの2年間の時と同じ数しか選ばないのは妙かもしれませんが、当初選んでた30曲は流石に多すぎる*11感じがしたので減らしました。
1. G.W.D(『ギヤ・ブルーズ』収録)
正確にはまだ小文字表記の時代のシングルで、PVのメンバーの装いもまだ前期の面影を大いに残しているけども、これが後期ミッシェルガンエレファントの始まりの1曲だと言って間違いない。ゴツゴツとしたコード感とボトムの低い演奏に、攻撃的なギターリフとこれまでになくささくれ立ったシャウトをかますボーカルが炸裂する、チバ曰く「オルタナ・ロカビリー・ガレージ・ブルーズ」な1曲。チバの形容の仕方はそのままアルバム『ギヤ・ブルーズ』にも当てはまりそうだけど、そんなアルバムの代表曲としてもこの曲の存在感はある。ベスト盤『TMGE 106』の冒頭に置かれたのも納得の名曲。ちなみに以下のレビューはシングル版の内容。アルバム版よりも好き。
冒頭のゴツリとしたベースの少し鳴らして止めるだけの時点*12で、この曲のヘヴィさの一端が十分に垣間見える。本格的にベースが鳴り始めて以降の蛇のような低いうねり、それに追随するドラムと、シリアスに重みを積んでからのギター、そしてボーカルのシャウトを合図にギターがより獰猛なフレーズに変化、という順序には、ガレージロックらしからぬ適切な丁寧さがある。こういう路線1曲目ということで、実際荒々しいようでいながら、決して勢い一発って感じではない造り込みを感じさせる。ガレージロックでミドルエイトなんて普通出てこないだろうし。
演奏もさることながら、ボーカルの歌い方のテンションがもうそれまでと全然違うと十分に思わせる。オンの部分のシャウトは勿論、オフの箇所でも常に何処か常軌を逸したような、危うい雰囲気を感じさせる声の感じは、それまでにあった気楽さを捨てたがゆえのスリリングさに溢れている。そして、サビ以上にミドルエイトをシャウトで歌い抜けるところの勢いがとても強い。ここの箇所はバンドも一丸となって雪崩れ込んでくる感じがあってとても格好良く、それが終わる短いブレイクを挟んで最後のサビが立ち上がるのは実に格好いい。
歌詞だけは、厳しい雰囲気を出しつつもその不思議ワードっぷりに前期の頃のチバユウスケな感覚が少しばかり残ってる感じがある。大体なんなんだ「がなる われる だれる」*13って一体なんなんだよ、っていう。よく考えたら、大変格好いいミドルエイトの歌詞も中々におかしい。
刻んだ瞬間を踏みちらすために
指から舐め出してくるぶしで終われ
1行目だけなら格好いいのに、2行目の「なんでそうなるんだ」って感じで意味不明な感覚に陥る。同じ意味不明さでも後期特有の強引さみたいなのと少し印象を異にする、前期的なシュールさ。
2. プラズマ・ダイブ(『カサノバ・スネイク』収録)
典型的な『カサノバ・スネイク』収録曲という感じの、一個のリフをことあるごとに繰り返し、短いサイクルで歌と演奏を回しながら勢いで全て持っていってしまう楽曲。そもそも何だよ“プラズマ・ダイブ”って。この時期はマジで瞬発力と語感だけでタイトルを捻り出してるんじゃないかって感じがある。
冒頭から早速聞こえてくるのがそのリフで、4つのコードを繰り返すだけのシンプルなものだけども、勢い鋭く演奏されるそれはまるでナイフ捌きのような、串刺しのようなそんな感じがする。歌のパートではそれを引っ込めるけども、代わりにがむしゃらにコードを引っ掻き倒すもんだから、どっちも自棄っぱちのような感じ。その上でボーカルは全編シャウトしっぱなし。
こんなのもはやハードコアじゃないか…?とも思うけども、何気にドラムがカントリー的なハネ方したスネアのロールパターンを多用していることで、どことなく場末のバーでのショウっぽさみたいなのが出てきている。また、間奏での間を開いた演奏からの極端なブレイクの叩きつけもシンプルに雰囲気があり、こういうワンポイントを入れることで単調に繰り返し続けてるのを避けるところは、実は勢いだけじゃない感じが窺える。
まあ、後期の歌詞の多くは、単語や光景を散らばらせてムードを盛り上げるのが大切な役割だから、ここで特に言うことはない。「解放されたプラズマみたいに落ちてくだけなんだ」って言うけど、雷的なイメージなのかな。
3. ゴッド・ジャズ・タイム(『ロデオ・タンデム・ビート・スペクター』収録)
神経質な攻撃性を持つようになった後期ミッシェルの完成形のように思う曲。重苦しい疾走感と不穏なリフ、不機嫌さに満ちた歌が、やがてサビで墜落していくかのように激しく下降いく中ヒステリックにタイトルを叫ぶのを繰り返し続ける、このバンドの狂気の追求も極まった感のある楽曲。後期で増加したタイトルを叫ぶサビというワンパターンも、ここまで来ると実に狂気的。
冒頭から聴こえるスピーディーに重くうねるベースラインの時点で「この曲は重い曲です」とバンド側から示されているかのようなもの。興味深いのは、その後入るドラムに続くギターが、コードでもフレーズでもなく、ミュートカッティングの金属的な音を撒き散らし始めるところ。無愛想なノイジーさを撒き散らした上で、ようやくメインの妖艶なギターフレーズが現れる様はやはり丁寧だ。歌が始まると、歌のリズムが細かくシンコペーションし、不機嫌そうな割にぐいぐいと前に出ていく構成を取る。そこからBメロで一旦怪しく雰囲気を解放してからの、またいかがわしげな間奏に戻るか、さもなければ墜落していくように音程が下がり続ける伴奏の中狂ったようにタイトルコールをするサビに繋がっていく。
それにしてもこの曲のサビのチバのボーカルは相当に常軌を逸してる。何かに取り憑かれてしまってるかのようで、彼にしかできない類のシャウトの中でもとりわけどうかしてる。歌詞の様々なイメージが混沌としている中で叫ばれるタイトルは、語感だけの適当な感じを超えて妙に意味を感じさせられる。
4. マリオン(『SABRINA HEAVEN』収録)
ヒロイックさと虚無感がないまぜになった疾走感を有し、そしてその出口としてチバユウスケじゃなければ成立しないであろうサビの絞り出すようなシャウトが鮮やかな楽曲。『赤毛のケリー』以降の疾走曲のパターンという感じがするけども、虚無感が疾走する感じの『赤毛のケリー』と比べるともっと感情が揺れ動いてる感じがするのがこの時期の楽曲的。というか一周回って完成度の高いギターロックかこれは。
イントロの、まずギターの疾走感あるフレーズから始まってその後バンドが入ってくる流れが実に王道ギターロック然として、凛々しいコード感共々格好いい。ギターソロにおいてはそんなギターロック王道から外れ、カッティングも交えたブルーズなフレージングになるところは実にアベフトシらしい。それに対して歌メロも王道ギターロック然としたハキハキしたものではなく、やさぐれキャラのチバユウスケという人物から出力されうるであろう、どこかボソボソとした歌い回しで、基本的には伴奏のコードが展開によって移り変わってもタイトルコールのサビまでずっとこのボソボソでいく。
そんなボソボソして、スピーディーではあっても突破感のないスタイルのボーカルが許されるのはつまり、サビでのタイトルコールの強引な突破感がずば抜けてるからだ。どこか別の次元から絞り出してきたかのような叫びの壮絶な様は、割と普通のギターロック然としたこの曲を致命的にチバユウスケ色に染め上げ、そして他のボーカルでは得られないであろうタイプの壮絶な哀愁を帯びさせる。というかこんなメロディで格好良いサビとして成立させられるのは彼しかいないだろ…と思わせる。
歌詞の世界観は何だかよく分からないファンタジー設定な感じだけども、それもまたサビのシャウトによって「想像を絶する喪失感」みたいな意味づけが全体に付与される構成となる。“シャウト1発で持っていく”というのは歌詞にも及ぶものなのかも。
地平線の向こうは とうとう最後の国
ブルー・バード・ランドは 確かにそこにあった
だけど飛んで散った後だったから
俺はそこで最後にマリオンを見失った
ガラスのない街 石だけでできた
ブルー・バード・ランドは 確かにあったはず
WHERE IS MARION? WHERE IS MARION?
5. キラー・ビーチ(『ギヤ・ブルーズ』収録)
前期の作品に収録されていてもおかしくなさそうな溌剌として気楽なメジャー調で進行しつつ、歌詞や歌い方の露悪的な感じに後期っぽさも入り混じる、過渡期の感覚がよく出たポップなミドルテンポの楽曲。コード進行がはっきり分かる演奏も、セブンスコードのベチャッとした間抜けさが可愛い響きも、前期と変わらないものがあり、僅かに歌詞の血みどろ具合に後期なりの洒落にならなさが入ったかな…という塩梅。
イントロから歪みの効いたギターフレーズには、彼らもオルタナを通過した世代だもんなあということを思わせる。この曲のギターに限ってはDinosaur Jr.的と言ってもいいのかもしれない。そんなバリバリと鳴るギターでⅠ→Ⅲとコードを歌メロとともに駆け上がっていくのは、いつどこで聴いてもいいもんだ。ギター所々で手癖のように細かいカッティングを挿入してしまう。実に無邪気だ。間奏のギターフレーズにはどことなくNeil Youngを感じさせるものさえある。チバの声も後期的なひしゃげ方ではなく、イタズラっぽい酔っ払いっぽい、前期的なライトさで終始ケラケラと歌う。そうだチバのボーカルって元々可愛らしかったんだっていうのを思い出す。サビの後のしょうもないコーラスワークも含めて、とても気楽そう。
歌とアウトロが一旦終わった後に始まる、1分ほどのあてのない感じの演奏もまた、前期的な自由さを感じさせて風通しがいい。セブンス全開のコード感の中をダラダラと演奏し続ける、このヌルい感じ、なかなかにずっと続いて欲しかったように思わせときながら実に呆気なくしょうもなく終わってみせるのは、逆にちょっと切ない。
歌詞の、なんだか猟奇的に破綻した夏のビーチの光景。これはやはり多少なりとも、The Roosters『C.M.C.』の影響があるもんなんだろうな。実に楽しそうに、さらっとヤバそうなことを歌っていく様は楽しそうだ。
べとつく砂の上を はだしで歩いている
ねそべった空気 ペタペタと鳴らす
垂れ落ちるアイスクリーム
「腹わた切り開いて わたしのお肉をたべてよダーリン」
アタマの後で 耳なりが消える
垂れ落ちるアイスクリーム
しらけた心臓とひき肉飛び散るキラー・ビーチ
こういうのばかり歌ってたら解散してなかったのかなあ、なんて考えてしまうけど、こんなのしか歌えなかったらもっと早く解散していたのかもしれないし、バンドって難しい。こんなのしか歌えないミッシェルガンエレファントも見てみたかったなんて。
6. アウト・ブルーズ(シングル『アウト・ブルーズ』収録)
前期の作風の延長的な開放的な空気感と放浪感、演奏の自由さを持ちつつ、ポイントとなる箇所のシャウトは後期的な炸裂の仕方をする、アルバム未収録のシングル曲。スタジオ版でもある程度自由度が表現されているが、特にライブだと間奏が引き伸ばされ、即興感に満ちたセッションが繰り広げられる。これもまた、過渡期の彼らならではの、ポップにでもハードにでもどうとでもなる、自由な全能感を感じさせる。その上で彼らが拘り続けた“ブルーズ”のスタイルなんだから。なんでアルバムに入れなかったんだろう。自由すぎたのか。
イントロ。まあこれはこれで格好いいのだけど、初期ミッシェルか?と思わせるくらい軽い。前後のシングルが両方ともドスの効いた『G.D.W』『スモーキン・ビリー』であることを思うと、嘘のように軽い。演奏自体も気持ちの良いタイミングだけギターが鳴るような、スッカスカな演奏だ。その分、アベのカッティングも水を得た魚の如く隙あらば高速でチャカチャカと入れ込んでくる。やっぱこの曲前期では?アルバムに入らなかったのもやっぱなんとなく分からんでもない。
イントロの後に聴こえてくるボーカルもまあ実に軽い。便宜的に後期に属しているとはいえ、ここでのチバのボーカルは、スカスカの演奏とともにあどけなささえ感じさせる。でも、すぐにタイトルコールに移り、そこで一気に後期的なシャウトの鬼に変貌する。演奏も一気に鋭く畳み掛ける、このスイッチのタイミングがブルーズ進行のⅠ→Ⅳのタイミングに当たるところは興味深い。この最初のコード変化のポイントに一気に畳み掛けてくる感じ、ブルーズのオルタナ的解釈というか。もっと言うなら、ブルーズ進行でいうⅤ→Ⅳの箇所でシャウトが強く響き、リズムも自棄っぱちのような縦ノリになるのはブルーズのパンク的解釈とさえ言えるかもしれない。そう、この曲は題からして「ブルーズをアウトしていく」ということなんだから、まさに!なのかもしれない。
間奏に入るとさらに自由度は増していく。チバがこの曲「サイケデリック・ハイ・ブルーズ」と呼称した意味も、間奏以降の展開を思うと分からんでもない。歌をふた回しほどした後から始まる間奏は、はじめはバンド一丸となった爆発的な演奏ながら、シャウトを挟んで以降は、ギターが間を置き、リズムが継続して反復し続ける、いわゆる「ライブでどうとでも調理できるゾーン」に突入する。スタジオ音源ではギターが様々なアイディアを発揮して、なかなかフリーキーな演奏だったり、奥行きを響かせるようなロングトーンなどを繰り出しつつ、やがてボーカルとともに縦ノリに発散し、そして(ギターのみ)ブレイク的な展開に展開し、それでもソロを弾き続けたまま、ソロが終わってもいないのに歌に再度戻る。この人たちスタジオ録音でもやりたい放題じゃないか…。ライブではこの間奏部分が拡張され、時にはカバーじみたことさえ行われていたようだ。
歌詞も自由気ままな感じがして、前期との連続性をむしろ感じさせる。
聞こえない谷まで ぶらりとゆくだろう
アウト・ブルーズ!アウト・ブルーズ!
なんでもない街まで だらりとゆくだろう
アウト・ブルーズ!アウト・ブルーズ!
まきちらして だらしなく アウト・ブルーズ!
語感とインスピレーションだけでいく前期の感じが少しばかり頼もしくなったような、前期の正当進化な感じ。後期の楽曲でそう思えるものはそんなに多くない。逆に、彼らが意図して前期から変貌しようとしていたことが窺える。この曲はそんな局面においてなお残る前期の作風への愛着を少しでも発散させる記念碑だったのかも。感傷的な解釈だと書いてて自分でも少し呆れる。
7. ラプソディー(『カサノバ・スネイク』収録)
ラテン系なマイナー調のコード感の繰り返しで疾走し、『カサノバ・スネイク』期的なタイトルコールだけのシンプルな作りかと思ったらさらに同じコード進行からもうひとつメロディを捻り出してくる展開が熱い曲。同じ繰り返しから様々なメロディや展開を引っ張り出すのは初期から得意だったけど、展開のメリハリをそれ単体で付けることが可能なボーカルの力量含め、より極まってる感じがある。そしてこうラテンのテイストが混じってくると急にどこからか湧き出すBlankey Jet Cityっぽさ。
イントロのコードの段階からどことなくラテン味があるのは、最後にテケテケと音程が落ちていくからだろうか。ガレージロック的なパワーコード4つな雰囲気の中にもどことなくそのようなテイストが混じるのは少し面白いし、ギターソロともなればその感覚はより露骨に現れる。もうほんとテックスメックスな雰囲気。チリとか食べる感じ。チバのべらんめえで基本巻き舌みたいな調子良さそうにノンシャウトで歌い抜ける様はスムーズで、アクセント的に入るヒャッハー然としたシャウトとの対比が光る。
タイトルコールだけで終わるかなと思わせて新しいメロディが出てくるところは、収録アルバムの勢い作曲群と比べると少し凝っていて、特にそれをそれまでと変わらないコード進行から引っ張ってこれるメロディセンスと、そのメロディを全く崩さない形で大いに気持ちよく張り裂けながら歌える技量は、やはり特別なものがある。
タイトルのラプソディー自体アメリカの有名曲『Rhapsody in Blue』からの着想かなと思われ、当然その歌詞もアメリカの光景じみてくるけども、着想曲からの展開の都合なのか少し憂いを帯びた調子なのもアルバムの中ではアクセント的に響きうる。
永遠の貨物列車が過ぎた後は
落ち葉の鳴き声すらないマリブの森
埋もれ消えた種 思い出す 明日にはここから赤い花が
ラプソディー ラプソディー ラプソディー ラプソディー
地上5センチのぬるま湯がヘヴィ
冷めた月に似た ラプソディー OH ラプソディー
全体的にチバの歌詞は、草や花に人格を認めてる節がある。後期になっても案外それは変わってないみたい。コワモテなボーカルでそんなことを歌うのがまた面白いのかも。
8. リタ(『ロデオ・タンデム・ビート・スペクター』収録)
相対的にスローなテンポで、同じリフを繰り返しつつ、ブルーズ進行の上でジリジリとグランジ的な重力感を引き出してくる、アルバム中で地味ながらタフなグルーヴを有している楽曲。案外『ロデオ〜』と言うアルバムはバッキバキに疾走するか冷たく疾走するかみたいな楽曲が多くを占めるので、このようにどっしりとした楽曲があることはバランス的にも良いと思う。
イントロのちょっと邪悪なブギーみたいなノリを見て、案外ちょっと邪悪なブギーはグランジに似たる、と思えてくる。どこかグランジを通過した感じのある邪悪な音色のリフを並べながら案外にブルーズ進行で貫き通す様は、「手垢のつき過ぎたと思われてるブルーズ進行もこうすりゃいいのよ」というこのバンドの経験と修練の蓄積から放たれる堂々とした風格のようなものがあり、正直不安定な情緒の渦巻くこのアルバムの中ではどこか安心できるような情緒さえたたえているかもしれない。こんなに邪悪そうなリフしてるのにね。
そしてこの曲、このバンド後期にあって、チバがそんなに叫ばない楽曲のひとつでもある。前期ほど快活そうでもなく不健全に気怠げに歌うけども、その決定的に炸裂せずに進む様には蠱惑的な不穏さが漂う。シャウトに象徴されるある種の爆発というのは不穏を通り過ぎてしまっている状態であるから、逆説的に爆発をしないまま不穏が続いていく安定感というのは、それはそれで魅力的な居心地の悪さを有する。間奏の気味の悪いギターソロもその点、炸裂し過ぎてなくて素敵だ。一度だけ「赤いキャデラック」と絶叫する、その抜けの悪さも含めて、この抑制のバランスは彼において案外独特のものかもしれない。
9. 水色の水(ミニアルバム『SABRINA NO HEAVEN』収録)
6/8拍子のうねるようなリズムの中、剣呑な破裂感と無常感を発揮し続ける演奏と、同じ方向に叫び倒すボーカルの割にファンタジーめいた歌詞が不思議なロマンチックさを引き起こす、バンド最終盤の意外なロマンチックさを体現した楽曲のひとつ。収録作品は『ミッドナイト〜』『デッドマンズ〜』が目立つけども、この曲や『PINK』は隠れた名曲然としたところがあると思う。
勿体つけてドラムのみからの入りでどんな展開が来るかと思わせての、アンサンブルが始まってもベースとサブギターが警報のような鳴りをする様子は、元々3の倍数の拍子そのものが普段8ビートしてるバンドが繰り出すと急に不安定な雰囲気が漂ってくる中でさらにその傾向を強める。そして、その気になればもっと歌詞に見合った流麗さ・ファンタジックさにもなろうものを、あえてがなり散らすチバユウスケの絶唱っぷり。この曲の概ねは、6/8拍子の流麗さよりも厳しさを強調した、後期的な強迫観念具合を強調したアレンジと言える。
ただそれだけなら、この曲はそれなりだったかもしれない。3分近くのブレイクの連発も、いつもの展開くらいになっていたかもだけど、ここから楽曲は急激に様子を変える。急に視界が広がるような感覚をもたらすギターの雄大なフレージング、その遠くまで伸びていくような様子と、どこか捩れを抱えた具合は、この曲の歌詞に託された物語性を歌以上に物語り始める。一旦元のハードな歌に戻るけども、5分を目前にした頃、ブレイクからのベースのみが切迫感を残して、そこからの演奏の広がり方でもうひと広げしてくる。特にここでは、それまで叫び倒していたボーカルが、どこか儚げで虚しげなロングトーンで、まるでヴァイオリンのような歌唱を見せる。むしろこれを印象的に聞かせるためにここまで叫び倒してきたのではと思えるほど、このボーカルはこの曲への印象を決定づける。
歌詞の物語具合は、ルチーノとリリカなる二人の人物の逃避行めいたロードムービー調で、そこはかとなく浅井健一感もあるけども、その方向性にこのバンドで最も長けた歌詞のひとつだろうか。
青い車はバックギアには入らない
メーターもひとつしかないけれど 窓は開くよ
風を受け 雨を飲んで 太陽が沈むのを見てた
どしてだろう この星がこんなに星に見える
最果ては音のない世界 世界 世界 世界
「この星がこんなに星に見える」もまた中々に意味不明なフレーズさでこのバンド前期の頃のチバの匂いがする。全然分からないようなちょっと分かる気がするようなやっぱり分かんねえようなその加減。
10. ジェニー(シングル『スモーキン・ビリー』収録)
メジャー調全開のカラッとした曲調に、カントリー風な軽快なスネアの連打の上でボーカルもコーラスもヒャッハー!なテンションを伸び伸びと発揮しまくる、ひたすら陽気な楽曲。ドスの効いた『スモーキン・ビリー』のカップリングがこの楽しさ全開の楽曲というのもギャップが物凄いけども、むしろこっちの方が名曲なんじゃねかなと。
イントロから早速威勢のいいカントリーなスネアロールがソロで入ってきてテンションが高く、そしてそれに連れられるように他の楽器も威勢よく入ってくる。ボーカルが歌い出す前から誰かの楽しそうなヒャッハーシャウトが聴こえてきて、まるで乱痴気パーティーそのものを音にしたかのような展開が繰り広げられる。ボーカルはしっかりしゃがれた後期仕草だけど、ここにはだからこそ可能なタイプのメジャー調楽曲が成立している。こういう曲の豪快さに見合うボーカルはこれくらい豪快であるべきだろうと思わせられる。
これだけの豪快さで楽しげに突っ走るものだから、まさに乱痴気の極みのような間奏と歌を経て突如演奏がブレイクしてみせる際の印象もまた大きく、しかもその際もドラムは延々とタムを高速で回し続ける。この曲、ドラムにとってはなかなかの重労働そうな感じだけど、ここまでウエスタンに叩けたら実に楽しいだろう。一旦演奏が終わってからもまた再開し、一度フェードアウトしたかと思ったらまたフェードインしてくる茶目っ気とライブへの期待で、最後まで実にハイテンションだ。なぜここまでの完成度の楽曲をアルバムに入れずに…?とか思わんでもないけど、彼らも「カップリングにこそ名曲があるべき」思考の人間であることは前期で散々分かってたはずだ。
どことなくウエスタンな荒野が見えてくる曲調な気がするけど、歌詞は案外海の世界の話だったりする。海賊的なイメージなのか。
全てが渦巻くつむじ風 ドクロ旗なびかせ
南々西に舵を取れ あの娘が泣いてるぜ
ジェニー ジェニー どこにいる 嵐で見えやしねえ
世界の終わりが砕け散る 悲しみ見当たらねえ
七つの荒海制覇しろ あの娘に会えるまで
ジェニー ジェニー どこにいる 嵐で見えやしねえ
ジェニー ジェニー どこにいる 嵐で見えやしねえ
嵐を裂いてゆけ 嵐を裂いてゆけ 嵐を裂いてゆけ
あっさりと自分達のデビュー曲が砕け散ってしまうのはギャグかもしれない。
11. ベイビー・スターダスト(『ロデオ・タンデム・ビート・スペクター』収録)
『カサノバ・スネイク』と同じ年のうちにリリースされたシングルの表題曲。鋭いギターリフひとつを延々と繰り返しつつリズムと歌の切り替えで強烈な緩急を叩きつける力技が本当に鋭い、キメッキメな楽曲。ともかくセクションの切り替え方が実にキビキビとしていて格好良く、彼らに多くある同じリフとフレーズゴリ押し楽曲でも最上位にあるのではと思うくらいキマっている。リフと同じように映像が旋回する上記PVの出来も曲と同じくらいキレッキレだ。
はじめに聞こえるタムロールの段階からどこかいかがわしげなのが、ギター等が入ってきて雰囲気が決定づけられる。やがてこの曲の主題と言えるジャックナイフめいた3音のリフの繰り返しが始まり、同じリフのままに荒れたリズム、ブレイク、ストレートな8ビートと、この曲で展開されるパターンを全て開陳しつつ、その切り替わりのキレの良さが、ワンリフゴリ押しを楽曲として優れて成立させる。ある意味この切り替わり具合も乱痴気騒ぎの感じがあるけども、『ジェニー』の突き抜けた雰囲気と比べるとこちらはずっと邪悪なきなくさい感じが漂う。
チバのボーカルラインもシンプルで、直線的に言葉を吐き出していくパターンとサビでタイトルをやや狂気めいて繰り返すパータンのほぼ二つを繰り返していく。曲展開の切り替えの鋭さによって、ワンリフ+メロディパターンの少なさがむしろ尖った調子に見えるのは、どこまでが作曲でどこからが編曲なのかその境界がまるで融解してしまった、バンドという生態の妙だろうか。そして、だからこそ最後の最後のブレイクで追加される別パターンの囁くようなメロディと、そこから演奏が再開してすぐにブレイクして終わる様のバッサリ感がとても格好良くなる。
歌詞はダークに染まったロマンチックさに溢れ、これをもっとポップにしたら『シャロン』になるんだろうなって思わせるものがある。
白い肌をしてるあの娘が17歳で
手首を切ったことを 自慢げに話す
黄色い髪の男のアタマには
狂った恋のメロディーが流れてたんだ
メンヘラなロマンチックさ。syrup16gとかART-SCHOOLとかと変わらん。
天使はずいぶん悪魔に憧れていて
自分の羽をまっ黒に塗り潰した
どうしても角だけが生えてこないと
嘆く姿はどう見ても天使だった
ドスの効いた声で歌うにはあまりにファンタジックで可愛らしい、この曲でも屈指の必殺のフレーズだろう。
12. 武蔵野エレジー(シングル『ベイビー・スターダスト』収録)
彼らの中にある昭和歌謡の要素を、すげえドスの効いたボーカルを使って実にしみったれた調子で歌ってみせる、なんなら謎に楽しいコーラスまで始まってしまう、マイナー調なのに妙な楽しさがある人気曲。曲調もコーラスも歌詞もこの時期にしては実にヘンテコで、そりゃ生真面目に神経質な『ロデオ〜』には収録できんわな…という雰囲気が実にチャーミングな一曲。シングル表題曲共々、絶好調かつまだ切迫感に囚われきっていないバンドの状況の最後の輝きを思わせる。
マイナー調のギターのシャッフルリズムのコード弾きに、さらにウッドベースが乗っかって、ドラムが入り、そしてこの曲ならではの「バンバンバーン」というドリフみたいなコーラスが入ってくる。ウッドベース特有のバチバチしたピッキング音が強調されたロカビリーなんだろうけども、歌謡曲的なメロディ回しといい、“エレジー”という単語チョイスといい、間違いなくこの曲のテーマは“昭和”だろう。昭和的なダサみや渋みのあることをバカバカしくもスタイリッシュに全力でやってるというか。
こういうどことなくパロディーめいた曲調の中で、パロディーめいたメロディをいつになく絶叫して歌うチバの姿はどう見てもアホ。間奏で生えてくるヒャッハーなシャウトもおバカだし、終盤になってコーラスの人数が増えるのもアホだし、なんとなくキーが1音上がるに至って、もう楽しげな悪ふざけの極地のような展開で、実にはっちゃけてる。そりゃ『ロデオ〜』には収録できない。だからこそそのアホさが寂しくも輝いて見えるところもあるだろう。
この曲調の上で、歌い出しの「パリに降るのはマティーニの雨」などの妙に気取った歌詞なのが笑えるような、「犬のクソごと流れてく」という異様にしみったれた歌詞が笑えるような、しかし最後のセンテンスでポエットな虚しさが効いてかえって奥深くもなるような。
あいつ今頃ケムリになって
気ままに空をとんでいるのだろう
武蔵野に降る雨にうたえば さよなら告げる鐘が鳴る
あと、「石畳にはマティスの顔」の部分、どう考えても“ナチス”って言ってるようにしか聴こえない…流石に文字として印刷するにはマズかったのか。
13. ドロップ(『カサノバ・スネイク』収録)
「お前ら絶対勢いだけでこのアルバム作ったやろ」と思っていたリスナーをアルバムの最後で反省される力作。重たくも幻想的な6/8拍子のリズムとギター等による、サブドミナントマイナーのコードの響きが強烈な轟音の中を、破滅的な酔っ払いみたく叫び続けるチバの声が引き裂いていく、最終的には熱情と寂寥感が去来する名曲。シンプルなコード進行と展開だけで激情と奥行きをしっかり表現する様はこのバンドならでは。
ひたすら高速だったり獰猛だったりな8ビートやら何やらが14曲流れてきた果てにこの曲の強烈に重力を感じさせる三連のリズムが来るのは印象的だろう。メジャーキーの楽曲だけどもそう思わせないのは、この楽曲の多くの時間でサブドミナントマイナーのコードが鳴ってるからだろう。『世界の終わり』サビのあれと同じ、朗らかで明るいメジャースケールに病んだ影を浸透させる劇薬である。
この曲はそんなコードが軸となり、延々とキーコードと繰り返され続ける。そのコードの感触とギターの音色に全てを懸けたようなシンプルすぎる演奏は、しかしそのコードの感触とギターの音色+リズム隊のみで、この楽曲の「まるで視界が不穏に歪む」ような感覚を見事に表現してみせる。ベースもドラムも、その音色を軸に響かせることに集中に、余計なことをしない。そんなに演奏を重ねて録音もしていないだろうに、なぜだか“轟音”を感じさせるところがこの曲にはある。所々間奏でコードの反復が速くなるだけで、引き伸ばされたエモーショナルさが一気に凝縮していく。シンプルにしてあまりに効果的。
その中で現れるチバユウスケの全編ほぼ張り裂け倒した歌唱は、その歌い出しの「ぶらぶらと夜になる」というフレーズのせいもあるのか、まるで「酔っ払ったおっさんが叫んでいる」かのような様相を呈している。ただ、その酔っ払ったおっさんの叫び声があまりに壮絶で素晴らしいとそれは芸術にもなるんだろう。最終盤でコードの反復が速くなり、タイトルを叫び出す頃には、この酔っ払いはどこに到達してしまったんだろうかと驚かされてしまう。
言葉にならない叫びも多く歌のリズムもゆったりした曲なので、歌詞はかなり少ないけども、その分収録アルバムに多く見られる装飾的なアメリカンな単語が削ぎ落とされて、シンプルな光景と描写だけに集約された何らかの情緒の彷徨と爆発が見れる。
ぶらぶらと 夜になる ぶらぶらと 夜をゆく
なめつくした ドロップの気持ち
普通の文章の成立に必要な言葉を徹底的に省くことによって生まれる不思議さを得意とするチバユウスケの、面目躍如といった感じのフレーズだと思う。
14. メタリック(『SABRINA HEAVEN』収録)
後期特有の重々しさを併せ持った疾走感の楽曲かと思わせつつ、情熱的なリズムチェンジからのミドルエイトがあったり、天然由来のチバ語が歌詞に入ってきたりなど、色々と特殊なものが入り混じる様子に最終作の奥深さを思える楽曲。
いきなりアンサンブルから始まるけども、割とこのバンドにスタンダードな疾走曲と思わせて、この曲のようにハネを徹底的に抑制した平坦で硬派な8ビートを地で行く疾走感は意外とそんなに見当たらない。これによって生物的なエネルギッシュさを削いだ、“メタリック”というタイトルもなんとなく理解できるような硬いドライブ感が出ている。要するにヒャッハーな感じがゼロな、実に抑制されたロックンロールだ。その上で、ミュートの効いたギターの伴奏とチバの荒くれてはいるが叫ばないボーカルによって、まるで淡々と夜道を走っていくバイクとライダースーツ、みたいな雰囲気になる。まあ歌詞はかなり不思議してるけども。
ずっと平坦にしてた分の“溜め”の吐き出しは2分を過ぎた頃に現れる。ギターソロが終わって突如リズムが遅くなり、重さを叩きつけるような感覚の中で現れるミドルエイトの、チバユウスケの熱情の入ったシャウトはこの曲の印象をグッとパッショネイトな感じに引っ張り上げる。よくある展開といえばそうだけど、徹底して他の箇所の演奏を平坦にしてたことによって引き起こされるブレーキ感とそれゆえの熱は大いにこの曲での工夫だと言えるだろう。
そして、そんな硬派な疾走感で、どことなく破滅的な歌詞も散見される割に、同時に実に不思議に満ちている。浅井健一的なようでちょっと違う、チバユウスケだなあという天然感というか。
流線型にも感情があって それが僕にはわかるから
そんな時はいつだって気分が悪い
一人称が“俺”ではなく”僕”なのはこの曲の歌詞の面白いところのひとつ。
人を愛した時にはさ 人種とか国籍とか
性別とかそんなことは ポテトチップスぐらいなもの
なんかいいこと言ってキメてる風だけど、どういうことなの…?バンド最終局面にて俄かに強まるチバの天然感は中々に味わい深い。
15. ピストル・ディスコ(『カサノバ・スネイク』収録)
『カサノバ・スネイク』収録曲らしさ全開の勢い任せヒャッハーな疾走曲ではあるものの、よく考えるとそのメインリフがThe Roosters『We Wanna Get Everything』からの借用であるところにむしろ彼らの敬愛の念が窺える楽曲。今回の一連の記事の前にちょうどThe Roostersの記事を書いてたことで気付けたのは幸運。元々好きなこの曲がますます好きになった。
イントロの4つのパワーコードの順番と鳴らすタイミング、そしてドラムの1発目が入るタイミングまで完全に『We Wanna get Everything』と一致していて、見事なリスペクトっぷり。ちなみにアルバム中この曲に続く曲順となる『GT400』もThe Roostersリスペクト感ある楽曲なので、アルバムが一気にThe Roostersに傾く局面だったりする。
そして、そんなリスペクトたっぷりのイントロから、勢い任せに全然違う楽曲になっていくことによって、真にリスペクトは達成される。それを成し遂げるのは、まずはこのアルバムならではのヤケクソ気味に全編シャウトするチバのボーカルだ。徹底的にラフに語感だけでアメリカンなフレーバーを撒き散らすチバのシャウトは、ドスは効いているけどもはっきり言ってバカで、しかしそのバカさと獰猛な演奏の勢いだけで全て強引にねじ伏せるだけの勢いをこの時期の彼らは持っている。ついでにブリッジ部に入るとさらに楽しげな雰囲気が足され、特に急にベースが活き活きと動き回るのがどこか可愛らしい。バカみたいなブレイクもここまで畳みかけると面白いし、ギターソロでも伴奏でもここぞとばかりにアベがカッティングを叩き込む、そんな感じにバンドが活き活きと持ち味を全開にしている様は、曲調自体は前期と様変わりしつつも、案外本質はそんなに変わってないなと思わされる。
16. サンダーバード・ヒルズ(『SABRINA HEAVEN』収録)
ジャズテイストに始まり、何度もブレイクを挟んだのちにやがて獰猛なロックスタイルに変貌するもののまたジャズに戻って終わる、そしてその間チバがもはや歌ではないアジテーションとも発狂ともつかないテンションで呟いたり叫んだりし続ける、ある意味このバンドが一番行き着くところまで行った感じのある長尺の楽曲。『ロデオ〜』のツアー前から演奏されていて、鍛えられた上でトランペットまで重ねられた、バンド晩年の彼らの執念をとりわけ感じさせる、入魂の1曲。
始まり方から、すっかりジャズテイストなドラム、やはりそういう雰囲気にランニングするベースと、ムーディーなフレーズを長く爪弾くギターで、そこには勢いとも強迫観念とも異なる、何か不思議な情念がフワフワと漂う。段々とドラムが硬質な音を放つようになり、そして最初のブレイクでチバが歌ではなく語りを入れてくるところで、この曲の異質さがその姿を表す。同じ語り中心の『シトロエンの孤独』ではもっとざわついた演奏だったのに、ここでの静けさは、このバンドが不思議な果てに迷い込んだような感覚に陥る。それはある種の“溜め”ではあるけども、でも全てがそうではなく、別にここの箇所だけで楽曲が終わっても十分面白い。
演奏にミスマッチなシャウトも次第に混じり始め、2回目のブレイクと語りの後に、この曲は変貌する。それまでのジャズ調を捨て去り、一気に硬質なギターの音とリズムが響き渡る、ロックとしか言いようのない演奏に変わっていく。演奏にはトランペットの不穏なフレーズも混ざり*14、そして語りは一気に凶暴なシャウトに変わっていく。ギターのキリキリとしたフレーズも印象的で、しかしこれはまたなかなかに浅井健一っぽい雰囲気。混沌とした空間をボーカルとギターソロが長い時間を掛けて切り裂き続けていく。特にギターソロは非常に長く、しかし様々なフレーズを織り混ぜ、ダビングさえ用いて、他のサウンドも交えつつ全然飽きさせずスリリングに連なっていく様は、何気にアベフトシがスタジオ録音で残した最も壮絶で挑戦的なセッションかもしれない。
長いソロが終わり一気にブレイクし、例の語りが入った後に、またジャズテイストに戻る頃にはこの長い曲の残り時間はもう1分を切っており、そしてそのまま実に呆気なくこの長い曲は終わりを迎える。1分前まであった狂騒がまるで嘘のように。このフッと置いていかれるような余韻のためにこそ、あの長い熱狂があったかのような思いも去来する。
ともかくブレイク部のフレーズが印象的なこの曲の歌詞だけど、中には911を図らずも“予言”してしまった*15ようなフレーズもあり、作詞した本人がそのことを嫌がっていたこともあった。
この世の中が 赤と青だけで できてるなら
ビルディングは すべてまったいら 立体はみんな
ニセモノだってことさ ニセモノだってことさ
17. 赤毛のケリー(『ロデオ・タンデム・ビート・スペクター』収録)
アルバム『ロデオ〜』で目指した荒涼の世界の、その最果てのような光景を冷たく平坦なビートとボーカルが僅かに熱情を上げるその様と不思議な光景を描写する歌詞とで表現し切った、これもまたアルバムの印象が集約される名曲。バグめいた暴発のような『シトロエンの孤独』で始まり、虚無感とそれに相反するしみじみとしたエモーショナルさだけで構成されたような純度のこの曲で締めることが『ロデオ〜』という作品の雰囲気を形作るための絶対必要な条件だった。というか、この曲が最後に置かれているからこそ成立する雰囲気の作品なのだとさえ思える、絶対的な存在だと思う。
その雰囲気は始まりのギターの冷たいフレーズ、そして無骨にかつ平坦に開始されるアンサンブルにすでに強く現れている。ギターの冷たくもザラザラしたトーンやシンプルに尖ったフレーズ、曲自体のコード感の冷え切って無情な感覚は、平坦な8ビートを淡々と刻むリズム隊によってむしろ強調される。アベが弾いたギター全ての中でも、この曲ほど冷厳さそのものなものもないだろう。そしてその雰囲気をチバのボーカルも決して壊さない。つまり、この曲で彼は一部のセクションを除いて叫ばない。淡々と、最果ての光景の様子を描いた歌詞をカメラになりきったように歌う。メロディの落とし所のタイトルコール*16で、静かに虚しく伴奏に溶けていく。同じコード進行の中で叫びに変わる箇所も、単に楽曲のメロディを展開させるためだけに叫んでいるようなものであり、ハイハットのオープンのけたたましさ共々確かに感情は幾らか昂るが、この曲の情感のピークはそこではない。
この虚しく平坦に続いていく楽曲の、それでも感情と体温がしみじみと高まっていくのは、それまでと異なり倍のスピードでコードが移り変わっていくセクションである。二つほど追加されたコードによって、僅かにヒロイックな推進力を得て、その“僅か”が、冷たい風しか吹いていなかったようなこの曲にとっては大変にドラマチックな展開になるのは、荒くれ倒してきたこのバンドがその果てに見つけ出した侘び寂びの極地だと言えるだろう。このセクションで歌うチバユウスケの歌唱のアルバムで最も穏やかな調子が、むしろ冷徹さの向こうに秘め込んだ熱情の微妙な高まりを感じさせるのは、音楽の不思議としか言いようがない。そして珍しくファルセットを響かせる様は、最果ての景色に溶けて消えていくかのよう。終盤のこのコード進行で繰り返していく様はキリキリとした細い熱情が立ち上り、そして最後の1音が妙に外した音のせいで、まるでその熱情が事故で途絶えたかのようなどこまでも不穏な後味を残す。
歌詞はもはや情景描写のみで成立していて、個人としての感情はカメラとしての視点の先に封じ込められている。ただ、カメラというもの自体が写そうと思ったものしか写せないことから、それでもなお個人の思考というのは滲み出てくるものだとも思う。アメリカンな描写は消滅し、代わりにどこかの世界の果てのような、冷たくも侘しげな光景が広がっていく。
針の錆びている 欠けたブローチには
月から来た石とだけ書かれてた
太陽と道が溶け合う場所の
先に広がるのは 凍りついた海
あの娘描くのは そこに住む魚
タツノオトシゴ アザラシの悲鳴
その圧倒的な「最果ての虚無」の表現力によって、『世界の終わり』という題でメジャーキャリアが始まったバンドが本当に「世界の終わり」に到達してしまったような、燃え尽きてしまった後のような寂しさがあり、アルバムリリース時のファンはバンド解散の覚悟をしていたとも聞くけども、それほどの説得力がこの静かな楽曲にあるということだろうと思う。バンドがもうちょっと頑張ってくれてこの曲の“先”の光景がこのバンドで見れたことは僥倖だったのかもしれない。
18. GT400(『カサノバ・スネイク』収録)
アルバムのハイテンションな疾走感と比べるとびっくりするくらいまったりと淡々と進行していくドライブ感が不思議な、しかもメジャー調のポップなメロディではあるけども、アメリカンニューシネマな光景を描く歌詞の様や楽曲の単調さは確かにアルバムの雰囲気をリードしてはいるという、実に捩じくれたリードシングル曲。そして先述のとおり、これもまたそのシンプルにポップな繰り返しの様子などにThe Roostersからの影響が指摘されている。
本当に何の衒いも勿体ぶりもなしにいきなりアタック感がブワッと来る感じに演奏が始まる。ギターはコードを弾く片手間にちょっとフレーズめいたものを入れ込むだけ。その上でⅠ→Ⅵmのコード進行をただ繰り返すだけという、もはや開き直りめいたシンプルさとお気楽さでイントロも楽曲の大半も進行していく。当然カラッとした陽性のコード感になるとともに、歌のブリッジ的な部分もⅡm→Ⅴの繰り返しのみといった徹底的なシンプルさで、そこに劇的な激情の発生する余地などなく、ぼんやりとしたポップな響きの中を実に淡々と易々と、歌と演奏が進行していく。チバの歌が始まっても、こいつ全然叫びやしない。ヘラヘラと平坦に平坦なメロディを歌って、「あれっサビは…?」と思わせるくらいの僅かな起伏のみであっさりとメロディを完結させる。本当にこれがあのヤケクソ気味に激しい曲満載のアルバムのリードシングルって、詐欺か冗談かのどっちかだろ…とか当時の人は思ったりしたんだろうか。
しかし、この曲が本当に平坦でシンプルすぎてつまらないだけの曲かというとそうではない。この曲は、実に適切にセットされた煌びやかとケバケバしさのバランスの音色で垂れ流されていくギターと、平坦ながら結構剽軽にロールしていくリズム隊、そして後期でも珍しいくらい気楽に乾いた調子で歌っていくチバの、それらが塊となって、程よく退屈なドライブ感で進行していく様そのものにキャッチーさを感じさせようとする、ある意味とてもチャレンジングなことをやっている。分かるだろうか、アメリカの広大すぎる大地を延々と車かバイクで走っていく、そのかったるそうな光景になぜか少し憧れるあの感覚。それそのものをまさに音像化しようとして、そのために演奏の妙も楽曲の展開も極限まで切り詰め、そして結構成功してるのがこの曲の醍醐味と言えるだろう。ギターソロも、得意の高速カッティングを入れ込む隙などこのユルユルなけだるさの中に存在しないのだけど、代わりに実にいい感じに枯れたリックを見せる様はこれはこれでノってる感じがある。
タイトルを見るに、バイクでダラダラと走っていく感じの光景を思い浮かべてほしがっている歌なのは間違いない。歌詞もまあそんな感じで、何となくのノリで銀行を襲ったりもしてるので、アメリカンニューシネマ的なイメージを実に気軽に摂取してる感じ。そして、アメリカンニューシネマによくある破滅的な結末を、本当に最小限のフレーズで暗示させることも忘れない。
トンネルは続くのさ どっかいっちまえばいい
19. ジプシー・サンディー(『SABRINA HEAVEN』収録)
『SABRINA HEAVEN』のヒロイックな側面を代表する、どっしりとしたミドルテンポのマイナー調にしっかりとしたエモーショナルなメロディを乗せ、さらには途中でレゲエ的なリズムも取り入れながら、歌詞ではチバが辿り着いた荒くれ者なりの優しさが垣間見える、感動的な名曲。もしかしたらこの曲がこのバンドで一番エモいまであるかもしれない。ライブで演奏される期間が短かったのが勿体無い。
この曲もいきなり一斉に演奏が始まる。それもサビのタイトルコールの際の伴奏と同じものが。溜めの効いたリズムの上でギターがコードを弾くだけとシンプル極まりない様だけども、それはリズムがオーソドックスな8の形に解けて以降の情熱的なギターフレーズとややレゲエ風味のコードカッティングの登場とともにまた様子も変わる。コード進行自体は変わらないけども、このようにリズムや伴奏の切り替えで様々に変化を付けていくため、アレンジはむしろかなり練られてる感じがある。
そして、歌が始まって以降の、荒涼としたギターの荒いカッティングをバックに、半ばシャウトながら、このバンドのマイナー調でもトップクラスにメロディアスに崩壊したメロディが聴こえてきて、この荒くれたボーカルでしかなし得ない類のキャッチーさが立ち現れてくる。すぐに大味なタイトルコールに回収されてしまうけども、そんなところがまた妙に切なげだから面白い。
この曲は本当に細かくアレンジが変わっていく。2回目のAメロではリズムが一旦抑えられ歌詞が強調されてくる。2回目のサビ後には新たなコード進行が現れて展開を中継し、そしてチバのどうにもならないシャウトを契機に、よりテンポを落としてレゲエ的なバックビートの極端な強調をした形で楽曲が再解釈される。ベースの動きもどことなくダブを見据えたような低いうねり方をし、そしてチバのボーカルはより情緒を纏って潤み割れる。最後のサビが終わった後にもさらに展開は移り変わり、タムの連打の中でメインフレーズが繰り返されながら、新しいメロディが現れ、そしてその演奏のままサビのフレーズが繰り返されていくところに至って、このバンドのタイトルコール展開でもとりわけ哀愁に満ちた情緒が渦巻く。その上で最後にイントロと同じ展開に戻って、実に呆気なく冷たいスネアの余韻だけで演奏を打ち切ってしまうのがまた、虚しい。
歌詞も、これは後期ミッシェルでも最大のロマンチックな代物だと思う。全編切なさとどうしようもなさに満ちた美しい内容で、ロケーションも国籍もよく分からないような舞台で、チバユウスケのすっかり儚くなった美的感覚がひたすら全体に散りばめられていく。
寒がりのパンクス 吐く息はダイヤモンド
チャイナドレスのあの子に一目惚れ
ずっと彼女と一緒にいれたら
それだけでいいと言って笑った
流れ星みたいにゴージャスに踊って
誰にも気付かれず消えてった ジプシー・サンディー
特に、レゲエ展開に入った3回目のセンテンスの後半は全てキラーワードだろう。
アイスバーンをすべる 星たちとララララ
フィルムメイカーにもう用はないだろう
無言の宇宙で声が聞こえる 最初からさ 何もないのは
どこかに本当に果てというものがあるなら
一度くらいは行ってみたいと思う
『赤毛のケリー』ですっかりたどり着いた感じのあった“果て”に、実はまだ辿り着いていなかった、そもそも本当にそんなものあるのかね、と改めて歌うその姿に、本当にあの『赤毛のケリー』のその先の地点を放浪してるんだという感覚が見出せる。だからこそ、このバンドでこの曲よりもさらに先の光景を見てみたかった気持ちもまた湧き出すんだけども。
20. アリゲーター・ナイト(『ロデオ・タンデム・ビート・スペクター』収録)
TMGE流サイコビリーといった趣の、鋭いトーンのギターとべらんめえな口調のボーカルを軸に高速で鋭くスリリングに転げ回り続ける楽曲。『カサノバ〜』期のそれとはまた違った細く冷たく研ぎ澄ました狂騒感を明確に示し、収録アルバムのカラーを割と的確に支えているし、意外と同じ系統の楽曲が他に存在しない*17感じがする。
イントロからしてこの曲特有の、ワイヤーアクションじみたギタープレイが堪能できる。様々なパターンを叩き分けるドラムとともに変幻自在に刺々しいギターを振るう様は、アベというギタリストの何気に当時の新境地だったような感じがする。1stアルバムにも通じるオシャレさでありつつも、そこからずっと粗く冷たく尖った質感があるのがとても良い。ボーカルもまた、Aメロでは気怠げにしかし言葉多めに躍動し、サビで一気にひしゃげてみせる様は芸達者な感じ。ボーカルのテンションだけでサビに爆発感をもたらせるのは本当に強い。
そして間奏に入ってくるヒャッハーなテンションのコーラスと、ギターソロ終わりのキメから一気にブレイクしてジャズ的な洒落た展開に移行しつつ、ギターフレーズとボーカルのスキャットでユニゾンする展開が、これが意外とありそうでなかったアレンジで、この曲のサーカスじみた印象をより高めている。曲の終わらせ方もまたどこかショウじみていて、ここまで演劇っぽく振る舞うこのバンドの曲も珍しい。
21. ブライアン・ダウン(『ギヤ・ブルーズ』収録)
同じリフをシャッフルのリズムで繰り返し続けるだけの演奏のはずなのに、そこにギターのカッティングやミドルエイトを含む巧みな歌メロなども相まってどこか壮大で無常感のある光景を生み出している楽曲。これも前期のテイストを少し感じさせ、過渡期の楽曲だからこそ生まれた情緒を有している。
イントロから聞こえてくる3つのコードでダウンしてくるギターとベースのサウンドが、この曲では延々と続く。そこにカッティングが乗ったりボーカルのメロディが変遷していくことはあれど、このリフレインの繰り返しはミドルエイト周辺という例外を除いて不変で、その同じリフの繰り返しの中で豊かな展開と景色を作り上げられるところは、このバンドが『バードメン』や『赤毛のケリー』『ジプシー・サンディー』などと同じく、ずっと得意とし続けたことだ。
この曲はシャッフルのリズムということがポイントになっていて、その中でギターのカッティングはその三連の感覚を適時ハッキングしたような挙動を見せる。いわばギターアクションのバグめいた挙動としてこのバンドにおけるカッティングはアクセント的に用いられるけども、この曲においてはその要素が非常に効果的に用いられ、特にミドルエイトの後の間奏部分での微妙にタイミングを遅らせた休符の入れ方は、同じリフの平坦さの中にまるで世界観の歪みが混じり込んだかのように機能する。
この楽曲をとりわけ抒情的なものにしているミドルエイトも、実は元の3コードにもう1コード付け加えただけの展開だけども、そのもう1コードが加わるだけで、地味ながら確実に雰囲気が変わり、その僅かな変調に的確に印象的なメロディを挿入できるバンドのソングライティングセンスが素晴らしい。ここの儚さがあるからこそ、楽曲終盤の演奏のラッシュや呼びかけるような絶叫もまた生きてくるし、事故って崩壊したようなノイジーな終わり方が印象的なものになる。
“ブライアン・ダウン”という曲名の時点で、この曲はその破滅的な背景を匂わせる。ロックの先人に著名なブライアンは何人かいるが、おそらくここで想定されるブライアンは、The Rolling Stonesの創始者・元リーダーでありながらバンドの変化の中で主導権を失い、やがて早死にしてしまったBrian Jonesのことと思われる。そんな破滅的な人物像を聴き手が思い浮かべることで、隙間の多い歌詞のイメージが如何様にも補完される形式を取る。
泥になった後に 何が見えたんだろう
ひん曲がる鉄の花 地平に果てはあるのか ブライアン
ないんだろ ブライアン ないんだろ ブライアン
ないんだよ ブライアン
オルタナ・ブルーズとしてのアルバムの音楽性や精神性を、音の面でも歌詞の面でも一番体現しているのはもしかしたらこの曲だったかもしれない。
22. リボルバー・ジャンキース(『カサノバ・スネイク』収録)
『ジェニー』共々後期のバンドにおける陽気なヒャッハー感を代表する、キビキビとしたリフと曲展開、そして合唱したくなるようなコーラスポイントを沢山有する実に優れたパーティーソング。合唱したくなるサビということではこのバンドでこの曲が『ジェニー』を超えて一番じゃないかな。
この曲は収録アルバムならではのべらんめえでヤケクソなテンションの割に演奏がとても安定していることが特徴的で、イントロの段階から実に安定した8ビートの上で伸び伸びとドライブするギターサウンドが実に快活。その上で早々に現れるボーカルの、ヤケクソ極まったようなシャウトのくせに妙にポップなメロディ回しが、細かい合唱ポイントも込みで実に的確で、パンクだからこそのポップ、みたいなものを強く感じさせる。曲展開的にも、ベタっとしたドライブ感からシンコペーション連発でベースも動き回るリズム感に切り替わるところの変わり具合とノリ自体の継続具合の塩梅が絶妙で、ともかくイントロから続くノリが変にブレーキかかることも、退屈にダレてしまうこともなく進行し続けていく。サビのメロディも特別メロディアスでなくても、このように合唱と勢いで如何様にもパンク的なポップを実現できることを示してみせる。
実に楽しげでハッピーなヴァイブ溢れるギターソロの後に置かれた溜めのようなセクションも、楽曲のブレーキとしてよりもむしろ最後のメロディ回しのための推進力を貯めるが如き機能を果たす。ライブではこのセクションにRamones『Blitzkrieg Bop』の掛け声まで挿入し、オーディエンスを煽りに煽った上で最終メロディに入っていくんだから、まあ絶対に楽しいだろうなあという光景しか浮かばない。
歌詞も、収録アルバム的な手法をとりわけキャッチーにバカっぽく利用した、ロック的な荒くれを見せつつその上で徹底的に楽しい勢いに収め切った仕上がり。
世界の果てにボサノバが鳴り響いて
機嫌の悪いパレード どこにも終わる気配がない
はじけるキャンディー さよならベイビー
“はじけるキャンディー”と“さよならベイビー”で韻を踏むのも愉快だし、そしてどっちもまるでそのフレーズに意味が無いのが最高。この徹底的な軽さ、収録アルバムの中でも最高の仕上がりと言っていい。
23. PINK(ミニアルバム『SABRINA NO HEAVEN』収録)
『マリオン』パート2みたいなヒロイックな疾走感を持ちつつ、甘酸っぱい青春の感じも歌詞で表現しつつ、終盤にその青春の破滅感を思わせる展開さえ封じ込めた楽曲。どこまでも飛んでいけそうな具合に疾走するギターサウンドに晩年ミッシェルなりの青春の甘酸っぱさと切なさが込められていてなんとも切ない。
イントロから一斉にバンド一丸となってこの曲の青い疾走感が突き進む。リズムの感じがどうしても『マリオン』と似てしまってるけども、こちらの方がより晴れやかなコード感であることには留意。というかこれもしかしてメジャーキーなのか。晩年ミッシェルで唯一“爽やか”という印象になるギターアクションだろう。歌詞も爽やかだし、インストや解散決定後リリースのシングルを除くとこの曲がこのバンド最後の楽曲となることもあってか、なんだか切なくなってしまう。
ボーカルはやっぱり晩年ミッシェル的な、前期のような弾け方をせず、感情を抑えつつもイメージや言葉が迸る、といったような調子で流れていく。それはもしかしたら、この時期の音楽性のコンセプトを壊さない範囲で出力できる最もポップなメロディかもしれない。タイトルをアルファベットひとつずつ読み上げて力技で変化をつけてくるブリッジ部の展開は実にチバユウスケ的で、そこからサビに行くのではなく、締めのシャウトの後にまたイントロのギターフレーズに帰っていくのは、この曲の主役は歌ではなくこの疾走感そのものだとでも言いたげな態度だ。
疾走感はギターソロのセクションでより突き抜けるような爽やかさとドラマチックさを得て、その勢いは終わらないくらいの感じで最後の歌セクションに入っていく。けれども、この永遠に続いてほしい性質の疾走感を、彼らはその最後の歌セクションの終わりに決断的にブレーキを踏む。一気にテンポダウンして、思いリズムの中を幻想的なアルペジオが取り囲み、よく聴くとアコギさえ鳴っている。その、まるで事故から一気に天国に飛ばされた幻想を見てるような展開の中で、チバのいつになく弱々しく憂いだボーカルが最後のリフレインを入れ込み、この「疾走感が潰えた」状況の哀れさを表現する。これはもしかして、何かの象徴だったりしていたんだろうか。
歌詞も、滅多に青春的な光景を歌ってこなかった*18このバンドが珍しく、随分と鮮やかで甘酸っぱい恋人との逢瀬を描写してみせる。バンドの最後の最後になるかもだった場面で、まるで何かを惜しむような光景に思えてならない。ちょっとしたヤンキーで野蛮な描写はご愛嬌か又はテレ隠しかも。だって“ティーンエイジ・ランデブー”なんてフレーズをこのバンドが歌うんだ。最後かもなって時にそれは。
坂の途中 幹線道路 ガードレールの上腰掛けて
足をぶらつかせて 流れるライト描いた絵を眺めてた
PINKのティーンエイジ・ランデブー
PINKの青い夜 ねぇ 月にうたえば
個人的には、バンドの終わりを悟らざるを得ない中でチバが頑なに隠してきた自分の最も甘い部分を、折角だし…という感じで最後にポロッと出したのかな、と思った。
24. エレクトリック・サーカス(シングル『エレクトリック・サーカス』収録)
解散と同日にリリースされたシングルの表題曲にして、これでもかと解散の哀しみをヘヴィに表現した、バンドとしてのケジメを強く感じさせるミドルテンポの歌ものタイプの楽曲。ここまで「解散という事実が俺たちも悲しくて堪らねえよ」という情感に満ち溢れすぎていて、じゃあ解散なんかするなよ…といつ聴いても思ってしまう。あと、チバユウスケという人はマイナー調で丁寧にどっしりと厳しく歌うと吉井和哉っぽくなる。
イントロのギターのコード弾きからして哀愁たっぷりで、さらにそこにこのバンドでは禁じ手的な存在のアルペジオまで乗っかってくる。このバンドの楽曲が数多くある中でも、アルペジオがリードギターの主軸になってる曲なんて、本当に最後の最後のこれくらいじゃなかろうか。テンポももはや疾走感を失った重く苦しいミドルな具合で、そこまでして哀れさを表現しないといけなかったのか…と思うと、このバンドの解散が本人たちにどれほど辛いことだったのかということを想起させられる。そういうことをいちいち最後に曲に残さずには済まなかった彼らの誠実さがもはや痛々しい。
チバのボーカルもまた、その悲しさを力の限り声を振り絞って表現していく。真っ当に歌うとここまで表現力のあるボーカルなんだということを証明して見せるが、そんなことよりもその悲しさをなんとしてでも表現しないと、という本人の切迫感が強く押し迫ってくる。ギターソロもまた、悲しみをひたすらなぞることに注力するかのようで、突き抜けずにいるところが悲しい。
最後、演奏が事故的に一旦終わった後に、名残惜しそうにもう一度Aメロのフレーズを歌って綺麗に終わり直すところが、最後の最後まで後悔たっぷり、しみったれまくりの終わり方で、このバンドの解散についての思いを強くさせる。
明らかに“終わり”について言及した歌詞は彼らにおいても例外的に乱れ切った情緒でグチャグチャな感じで、泥臭くて哀れな調子。
俺達に明日がないってこと
はじめからそんなのわかってたよ
この鳥達がどこから来て どこへ行くのかと同じさ
わざわざこんなバンド一丸となって最終哀愁装置となったような楽曲を作って、そのリリース前にわざわざテレビ出演してラストライブに来れない人たちに向けても歌った、その事実に、彼らの律儀な誠実さが窺われる。だからこそ解散された側の苦しさもまた強く彩られたことだろう。
25. ダニー・ゴー(『ギヤ・ブルーズ』収録)
初めてゴツさを見せたアルバムの最後に置かれた、それまでのゴツさが嘘みたいに爽やかな疾走感とギターのドライブ感と張り裂けながらも潔い鮮烈さを見せつけるボーカルが流れていく、エキサイティングで格好よくやり抜けていくポップソング。このバンドで最も全能感が漲っているのはこの曲ではないか。折角なので、今回の後期プレイリストの末尾もこの曲で爽やかに駆ける感じで終わらせることにしたい。
爽やかなシンバル一閃ののちに始まるリズム隊の元気のいい躍動。特にベースのそれ単体で余裕でメロディを形作るフレージングに、勢いが抑えられないようなテンションの高まりを感じさせ、果たしてギターが入って以降の勢いは「このバンド無敵なのでは…?」と思わせるに十分すぎる、キラキラとギラギラが絶妙に混ざり合った勢いを見せつけられる。もう、全能感そのものが輝きながら疾走しているような感じ。それは歌に入ってからも変わらず、隙間を多くすることでどこか感傷的な空気が流れるメロディを、調子を抑えたり破裂させたりしながら歌うチバユウスケに、そんな奴に敵う奴なんて誰もいねえ…と思わせるほどの鮮烈さを覚える。Bメロの歌詞を歌い終わった後の下がっていく雄叫びでさえ、破壊力と爽やかさと切なさを兼ね備えていて、このボーカルストが本気で爽やかさに向かった時のポテンシャルの凄まじさを思わされる。サビのポップな突き抜け方に至ってはもう、今更何も言うことはない。聴けば分かるだろもう。
珍しいことに、最初のサビが終わった段階からもう間奏のギターソロが始まる。トレモロ的な効果も活用したイメージの漲り具合が止められないかのようなプレイの後、リズム隊だけ残った際にもすぐに辛抱できないとばかりにガチャガチャと入ってくるコードストロークが、“自由なミッシェル”のピークじみて響く。そして、このタイミングに間奏が入るというのは、2番からは一気に最後まで突っ走っていくということの宣言に他ならない。2回目のサビの強烈なブレイクで叩きつけられるポップさ、短い間奏もそこそこに執拗に繰り返されるタイトルコールの後に現れる最後のサビを超えて、ひたすら鮮烈さをがむしゃらに吐き出し続ける、どこまでも終わってほしく無い演奏が終わりに向けて疾走し、やがてある地点で終わり、それでも名残惜しそうにギターの残響が自然に減衰して消えるまで引き伸ばし続ける。それはまるでこの「無敵の時間」がどこまでも続かないことがまるで信じられないかのような、そんな身勝手な聴き手の心理の代弁のようだ。
歌詞は、爽やかさそのものをチバ的な語彙と文章のセンスによって鮮やかに綴り切ったもの。その中においてはもはや恋人すら出てこないところに、彼のある種のストイックさすら感じさせる。
狂い咲く坂道 笑い出す口笛
どこからか聞こえては消えていく
色ひからびた空を焼きつける
なだらかな坂道 吐き捨てた口笛
どこからか聞こえては埋め尽くす
色ひからびた空に焼きつける
よく考えると意味は分からないけども、分からなくてもその感覚は分かるだろ、と言わんばかりの堂々たるチバ語が、ひたすらに眩しい。
それにしても、『G.D.W』で始まり『ダニー・ゴー』で終わるというのは、彼らのベスト盤『TMGE 106』と同じ構成で、個人的なことを言えば筆者が初めて彼らの作品を聴いたのがそのベスト盤だったけど、今回それとまるで変わらない最初と最後になったというのが、なんだか成長ねえなって感じがしてほろ苦い感じがする。
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あとがき
以上25曲、総演奏時間1時間56分のプレイリストをもとに後期ミッシェルを見てきました。前期の記事も見ていただいたのであれば、合わせて50曲、2時間半以上の量の楽曲に関する取り留めのないああでもないこうでもないを読んでいただき、大変ありがとうございました。
前回の記事では前期の方が好き、とは書いたものの、やはり後期は後期でとても好きな場面が沢山あり、前期と後期でまるで別バンドみたいなところもあって、今回は自分なりにこのバンドについての好きなことを吐き出せたのではないかと感じています。
後期はやっぱ全編的にテンションがおかしくて、でも、そんな普通にやったら破綻するしかなさそうな表現を実現できるだけの規格外のボーカルと演奏能力があったんだなあ、ということが改めて見ていくとよく分かりました。そして、そんなものを持ち合わせたが故に、次第に表現力が先鋭化して、「どこにも存在しない、自分たちだけのロック」の追求の果てにどこにも進む先が見えなくなってしまった、その哀れさも。ただ、その哀れさも込みで美しいバンドだったということは、間違いなく言えるでしょう。
今回、チバユウスケが一貫して書いてきた歌詞にもフォーカスして全編・後編と書きましたが、両方ともこうして書いてみると、バンドの強烈な変遷にも関わらず、案外いくつかのキーワードが前期にも後期にも共通するなということに気づきました。さまざまな咲き方をする“花”だったり、デビュー曲から印象的に登場する“月”だったり、爽やかさの表現の時によく登場する“坂道”だったり。チバユウスケという人は超人的な声質と技量を持ったボーカルですが、人格としては相当人間臭いところがあって、それは一度『ロデオ〜』で振り切ってしまおうとした後でも、やっぱり『SABRINA〜』以降の作品に出てきてしまったりしていて、そこがとても愛らしいことに、今回改めて気付かされました。本当に、独特の歌詞の書き手だったと思います。今回の彼の死は、そういう書き手がいなくなったという意味でも、寂しい思いがします。
こんなものが何の慰めになるかも知らないしそんなもの目指したつもりもありませんが、ここまで読んでいただいて何か面白い部分が少しでもあれば幸いです。前後合わせて相当取り留めのない長文となりましたが、読んでいただきありがとうございました。
それではまた。
*1:正確にはこのシングルと次の『アウト・ブルーズ』まで小文字表記。だけどみんな普通ここからを後期にするでしょ。
*2:まあこれは前作からなんだけども。
*3:これについては前作リリース後のツアーでアメリカも廻ったことが影響した可能性が結構あると思う。結構正直な人たちなんだろう。
*4:『ダスト・バニー・ライド・オン』とか、お前ら本気で瞬発力と勢いだけで曲書いてるだろって感じ。
*5:とはいえ、その辺は“熱いロック”的な世界観の範疇のもののように思えて、アルバムが先頭と末尾によって定義する冷徹さとは相いれない存在のようにも感じないでもない。まあ別にアルバムに絶対一貫性を持たせないといけないわけでもないんだけれども。
*6:なんだそれは…というチバ語ながら、本作で表現したい雰囲気を一言で言い表してる感じがある。
*7:この歌詞からか、シングルのジャケットやPVにはクハラが目隠しでバイクを運転している写真や映像が使われている。実際は車に引っ張ってもらって撮影したらしいけど、本当に怖くて絶叫してるところがジャケットに使われたらしい。かわいそうに…。
*8:チバ以外メンバーが全員違うそれらが似てるとすれば、双方のバンドの音楽性におけるチバの存在感の大きさが窺えるところ。ずっと作曲者はバンド名義で来てるけども、ぶっちゃけ後期からはチバがメインソングライターなのでは…とは思ってる。
*9:まあミュージック・ステーションのt.A.T.u事件の際に演奏された曲ということで人目を惹き人気が高いのは分からんでもないが。
*10:『SABRINA HEAVEN』のジャケットの車のナンバープレートの数字がそのままNOのありなし2枚の合計時間になっている、という小ネタがある。
*11:プレイリストが2時間超えてしまった。。
*12:アルバム版はこれがないのが勿体ない。この勿体ぶる感じが最高に格好いいのに。
*13:“が”を“あ”に変えてちょっとばかり笑い転げるのは結構な人がしたことあるかもしれないしょうもない遊び。
*14:これを演奏しているのはなんとドラムのクハラ。多芸。
*15:この曲は『ロデオ〜』リリース日(2001年5月23日)に開催されたフリーライブの時点で既に演奏されていた。
*16:歌詞は日本語で記載されながら、実際は「long red hair kelly」と歌われる。
*17:強いて言うなら『ベイビー・スターダスト』に同じ雰囲気を感じる。怪しいサーカスのような雰囲気というか。
*18:例外は『サニー・サイド・リバー』『ダニー・ゴー』などだろうか。