ブンゲイブ・ケイオンガクブ

本を読まない文芸部員と楽器を練習しない軽音楽部員のような感じのブログ。適当な創作・レビュー等々。

コード進行の話:サブドミナントマイナーの入った曲(30曲)

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 このサムネ画像を見てすぐにピンときた人は物分かりが良すぎると思いますが、単語の”サブドミナントマイナー”よりも「Radioheadの『Creep』の4つ目のコード」と言ったほうが分かりやすいのかも、と、この概念については時々思います。

 

 ということで、今回はこの、『Creep』において4つの循環するコードの最後に置かれてとても不穏な空気を出している、正式には”サブドミナントマイナー”と呼ばれるコードについて少々調べてまとめた記事になります。とは言っても、楽理的な話は苦手なので、たとえば五線譜で音がこう配置されるから、とか、スケールの中でどうのこうの、とか、サブドミナントマイナーのコードの代理コードはこれで、とかそういう話はほとんど触れられませんので、そういうのを知りたい方は他のサイトを見た方がいいと思います。

 今回集めた30曲は例によって最後にプレイリストを掲載します。

 なお、今回の記事は弊ブログで以前扱った「コード進行の話」シリーズの記事の3個目のものになります。以前の二つは以下のとおり*1。多少関係はするけど、別にこれらを読まなくても今回のこの記事は読めるように書いてます。

ystmokzk.hatenablog.jp

ystmokzk.hatenablog.jp

 

 目次だけでも、この記事が長くなりそうな感じは伝わるかもしれません。

 

はじめに:サブドミナントマイナーって?

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 ↑要はこれなんですが、各曲紹介に入る前にもう少し解説しておきます。

 

・多少楽理的な話

 楽曲には大抵キーとなるコードがあって、そのキーのコードを"Ⅰ"とした上でドレミファソラシド式にⅠ〜Ⅶまでのコードが発生するわけです*2が、メジャーキーの場合のⅠ〜Ⅶのうちのルートから四番目の"Ⅳ"のコードが普通はメジャー調なところをマイナー調に変えてしまったもの、それがサブドミナントマイナーです

 前の弊ブログ記事でも少し話したとおり、各種コードはざっくり分けて3つの働きがあるとされています。トニック、ドミナントサブドミナントの3種類です。

 

・トニック:曲のキーと同じコード。

      これが鳴ってると安定・安心した感じがする。

ドミナント:3つの中で最も不安定なコード。

       不安定なので、トニックに帰ろうとする。

         このドミナントからトニックへの動きを”ドミナントモーション”と呼ぶ。

サブドミナント:トニックとドミナントの間の存在。

         トニックほど安定しないがドミナントほど不安定じゃない。

 

そして、この3つのコードはそれぞれ、主にこのコードが対応します。

 

・トニック:Ⅰ(キーがCならC、EならE)

ドミナント:Ⅴ(キーがCならG、EならB)

サブドミナント:Ⅳ(キーがCならF、EならA)

 

この3つのコードだけで曲を回していくのがブルーズの、そして1950年代ロックンロールの定番となります。それだけ基本的な構成要素なわけですが、このうちのⅣをマイナー調にすることで、何だか不安で不穏な音になる、というのがサブドミナントマイナーのコードの大雑把な説明になります

 

・弾ける人は実際に弾いて感じてみよう

 以上のことを頭で考えたって、実際の音のイメージは湧かないと思います。もしギターを弾くのであれば、ちょっと「E→A」を繰り返し弾いた後に「E→Am」を繰り返し弾いてもらうと、もうこの楽な押さえ方だけで何となくどういう響きか分かると思います。

 レギュラーチューニングのギターであれば、トニックのルートを弦をひとつ上に動かせば「Ⅰ→Ⅳ」の動きになりますが、これであれば爽やかな響きとして抜けていくと思いますが、”A”を"Am"に、つまり”Ⅳ”を”Ⅳm”に変えただけで、急に音が暗く、思い詰めたような、病んだような感じになります。この"Am"がキーEの時の”サブドミナントマイナー”のコードになります。"A"から"Am"って、ただ弦一本の音を半音下げただけなのに、音の印象が大きく変わります。コードというものの不思議さ*3

 特に不思議なのは、この時のサブドミナントマイナーの暗い響きは、はじめからキーがマイナー調の時のマイナーコードの暗さとはかなり違う質感の響き方をすることです。Amだけを単体で弾いた時と「E→Am」の流れで弾いた時とで、Amについては同じ音が鳴ってるはずなのに、聞こえ方が違う気がしませんか。マイナー調のキーとなるコードが順当に暗い感じとすれば、サブドミナントマイナーのコードは急に深刻な、病んだような暗さが訪れる感じがします。しませんか?*4

 

・”はじめに”のまとめ

 この、それまでのメジャー調の曲にあった明るさや爽やかさなんかを急に殺しにやってくる、そんな効果こそサブドミナントマイナーを用いて作曲する際の醍醐味だと思われます。これをどうドラマチックに、あるいは気が滅入る風に楽曲に活かしていくか、というのが、シンプルに感情に作用することを求められるポップミュージックの世界において大いに取り組まれてきました。今回は、その取り組まれ方の例を様々に見ていきたい、というものです*5

 

本編:3タイプの分類で

 ではようやく、実際にサブドミナントマイナーのコードが使われている楽曲をそれぞれ見ていきますが、典型的で代表的な用い方が2つあるため、それらとそれ以外の3章構成で30曲を見ていきます。

 なお、それぞれの楽曲のサブドミナントマイナーが登場する箇所をギターのコード譜を付けております*6ので、もちろん押さえ方の一例ではありますが、ギターを弾く人は実際に弾いてみて、なんなら併せてその曲のメロディも声に出してなぞってみて、そのコードの妙を実感することまでできると幾らか楽しいかもしれません。

 

A:Ⅳ→Ⅳmの進行

 サブドミナントマイナーが登場する際最も多く使用されるパターンが、この同じⅣのコードをメジャーからマイナーに推移させる展開ですサブドミナントマイナーのコードが使われるとき、時折やたらノスタルジックな甘美さが漂うことがありますが、これはおそらく、古いポップスの時代からずっと、このコード進行の手法が楽曲のメロディの”泣き所”として用いられてきたことの現れだと思われます。

 サブドミナントマイナーのコードは、基本的なダイアトニックコードの外にあるコードで、本来的に不自然で違和感をもたらす存在ですが、その違和感が実に甘美に感じられるのがサブドミナントマイナーの最たる特徴で、このコード進行ではその美しい違和感を僅か1音、コード構成音の三度の音をメジャーからマイナーに半音だけ動かす”だけ”で発生するその簡単さと効果の的面具合から、今日に至るまでずっとずっと用いられている手法です。

 

1. Twilight Time / The Platters(1958年)

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 冒頭のヴァースのメロディより抜粋。キーはG。

 テンションコード部分のコード譜は適宜省略してます。あしからず。以下でも同じ。

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 今回のこの記事の企画は相当前、上記の弊ブログの「Ⅰ→Ⅳ」の楽曲の記事の際に既に計画を始めていて、その際にはやっぱりRadioheadの『Creep』が念頭にあった。それで、どこで読んだのかは忘れたけど、『Creep』式のコード進行を評して「麗しきオールディーズ的なコード進行」としていた文章があって、筆者も結構長い間そう思ってた。しかしながら実際、『Creep』みたいなオールディーズ曲は見つからなくて、英語のwkipediaの記事にも載っていなくて、それで、Twitterで相互フォローの人から「もしかしたらドゥーワップでⅣ→Ⅳm進行が多く見られたのを強引に『Creep』と結びつけて書かれているのかも」という意見を貰った。

 サブスクにはドゥーワップのプレイリストも色々とある。試しにこれを聴いてみた。

open.spotify.com半端なく曲数があるので全部を聴くのは大変だけど、そこにドゥーワップならではの「大体曲構成が似てる」という問題も重なって、全部を集中して聴き通すのは困難だろうと思う。ドゥーワップはその多くが、「Ⅰ→Ⅵm→Ⅳ→Ⅴで進行するポップなヴァース」と「ⅣやⅡから始まるブリッジ」の繰り返しで構成されていて、そのブリッジの「Ⅳ」始まりの時に、「Ⅳ→Ⅰ」であっさり展開するのではなく「Ⅳ→Ⅳm」でメロウに進行する例が多々みられることに気づけた。これが相互フォローの人が言ってたことなのかと。

 そしてようやくこの項の楽曲に入るけど、The Plattersはそもそも別にドゥーワップのアーティストではないような気もするけど、上記のプレイリストにこの曲も彼らの代表曲『The Great Pretender』とともに入っていたので、そして「Ⅳ→Ⅳm」の展開を含んでいたので、ここに紹介することにした*7

 期せずしてだけど、この曲のヴァースこそ「『Creep』のコード進行に近いオールディーズ的な曲」だった。「Ⅰ→Ⅲ」という強力なコードの動きにつれてメロディは扇情的にラインを描き、そしてメロディの起承転結の「結」に向かう「転」として、さりげなく挿入された「Ⅰ→Ⅳ」でのメロディのジェントルな展開具合が、シックな甘さを感じさせる。「古き良き」なムードに溢れたこの、演劇じみてさえいるようなラグジュアリーな雰囲気でもって、甘くささやかれるタイトルコールに向かう箇所の、優しさと寂しさが交錯した雰囲気は、「古き良き」感じがありつつもタイムレスな良さがある。

 

2. How Does It Feel / The Ronettes(1964年)

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 冒頭ヴァース〜ブリッジを抜粋。キーはF。

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 「古き良き」1950年代から大きく転換していく「ロックとサイケの」1960年代において、その前半で「古き良き」1950年代の拡張と延長を望んでいた音楽であるかのようにPhil Spectorの音楽を位置付けることができる。古き良きポップスをより簡単単純なコード進行に落とし込み、そこに大人数での同時演奏、同じ楽器の同じラインを複数人で同時に演奏するという、強引でローテクな空間的・音圧的処置によって、彼特有のサウンドとされる「ウォール・オブ・サウンド」は構築される。

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 そんなSpector印のポップソング群の中でも、やたら忙しなく疾走していき、なおかつ洗練されたほろ甘い喪失感が感じられるこの曲はちょっと特殊な存在感がある。どちらかと言えば永遠の緩慢なる優美さに焦点が当たるのがSpectorポップスの王道*8だけども、この曲はそれらと比べると、楽曲の響き的にも歌詞の雰囲気的にも”過ぎ去っていくこと”がテーマに据えられている感じがあって、異色のムードが漂う。どちらかと言えば1965年頃のThe Beach Boysとも共通するようなセンチメンタルな感じがする。

 そして、そんなこの曲のセンチメンタルさの決め手となるのは、メロディが転換するブリッジ部の始まりの箇所の「B♭→B♭m」の箇所のメロディだろう。ⅣもⅣmも長めの尺を取られているため、この進行による「雰囲気が翳っていく感覚」が調性からも、それに沿ったメロディ展開からも分かりやすく感じられる。そしてこの、ブリッジ頭での「Ⅳ→Ⅳm」の展開はかつてドゥーワップ勢が多く取っていた手法で、Spectorはここに、ドゥーワップ的・1950年代的な手法と1960年代中頃的なセンチメントとを、半ば無自覚的にか結びつけることに成功していた。間奏の実に感傷的に鳴るホーンといい、ブレイク時に訪れるなんとも言えない甘い虚無感といい、Spector的には異色ながら、実に素晴らしいポップソングとして鮮烈に駆け抜けていく。

 

3. In My Life / The Beatles(1965年)

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 冒頭からメロディひと回し分を抜粋。キーはA。

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 「古き良き」1950年代を過去の「古き良き」ものにしてしまう「ロックとサイケ」の1960年代を代表するのはまあ、The Beatlesがその先頭だろうというところは誰もがある程度認めざるを得ないところだろう。とりわけ、完全にサイケサウンドに移行した『Revolver』以降は決定的だけども、それ以前のもう少し現実的なバンド演奏を軸にした時代においても、彼らは「古き良き」ポップスやロックンロールを継承しつつも、新たな時代の産物としてアップデートしようと努めていた。シンプルそうなバンド演奏の中に、こっそりと特殊なコードが紛れたりしているのが初期の彼らの楽曲の特徴で、後の作風から複雑なコード進行はPaul McCartneyの側の特徴と思いがちだけど、John Lennon側の楽曲でも実は結構複雑なコードを用いていることが多々ある。初期は本当に共作なのでPaulの入れ知恵もあったかもしれないが、でもライブでギターコードを弾くのは主にJohnの役割なんだから、その辺の敏感さをJohnも相当持っていた、と考えるべきだろう。

 彼らのコード感覚の特色のひとつとしてサブドミナントマイナーが大好き」というのはファンの間でそこそこ認知されているらしい。そう言われてみると、あれもこれもそういえばそんな感じかーと思わされる。彼らの場合、サブドミナントマイナーの代理コード(後述します)も用いてくるのでややこしいけど、正当にサブドミナントマイナーが出てくる有名どころでは『She Loves You』のコーラス部とか、そしてこの曲とかだろうか。

 落ち着いた雰囲気の曲調で彼らの地元リヴァプールのことや、様々な過ぎ去っていってしまうことへの感傷を直接的に描いた楽曲は、この時点のJohnの曲でも最もメロウな部類になる。しっとりとした演奏にコーラス、間奏のクラシカルなチェンバロの演奏などが印象的だけど、全体的に寂しさがあるのは、その理由のひとつとして所々にサブドミナントマイナーのコードが効いてるから、といえそう。特に印象的なのはメロディ展開の終盤に位置する、上記のコード譜だと「In my life, I love them all」の箇所の「Ⅳ→Ⅳm」だろう。どちらも長めの尺があるのでその憂鬱げな変化がしっとり染み出してくる。しかし、実は前段のメロディがポップに駆け上がる部分でも短い尺で「Ⅳ→Ⅳm→Ⅰ」と変化して、ちょっとばかり末尾の哀愁さの伏線を差し込んでいるような構成になっていたりする。

 今思うと、この曲で見せた丁寧な哀愁の具合をよりサイケデリックに発展させたものが大名曲『Strawberry Fields Forever』だったのか、という気がする。あちらはあちらで「ドミナントマイナー(Ⅴm)」というコードが強烈に作用した楽曲で、John Lennonはこれらのコードの不自然な切れ目に強烈な感情や哀愁の感覚を載せるのが得意なソングライターだったのかもしれない。

 

4. Space Oddity / David Bowie(1969年)

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 宇宙的エフェクトの後に曲本編に至ってからの最初のヴァースの前半を抜粋。

 キーはC。

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 David BowieがオーソドックスなSSWから「演劇的・憑依的」なパフォーマーへと変化していくそのきっかけとなるのが、この曲を冒頭に配した同名のアルバムである。同じ年にはアメリカがアポロ11号による月面着陸に成功し世間が湧いていた頃、宇宙の漂流を通じて虚無的な物語を紡いだ彼の作風は、既に後々まで続く批評的精神を大いに含んでいる。

 ところで、この曲のメインと言えそうなヴァースの箇所のコード進行は上記のとおりだけども、ここの前半「Ⅰ→Ⅲ→Ⅳ→Ⅳm」という展開は、まさにRadiohead『Creep』と同じコード進行だ。ひとつひとつのコードの尺の長さも完全に『Creep』と一致していて、この曲こそ「『Creep』はこの曲のパクリ」と言えそうなものなのに、実際はそうはなっておらずむしろひとつ下の曲でそう言われる。それはキーが『Creep』と違うことや、「Ⅰ→Ⅲ→Ⅳ→Ⅳm」を繰り返すわけではないことが、この曲と『Creep』があまり関連づけられない理由なのかもしれない。

 それにしても、この曲でもその強烈なメロディの悲劇的展開から、「Ⅰ→Ⅲ」の進行の強さや、それを受け止める際の「Ⅳ→Ⅳm」の落とし所としての秀逸さ・絶妙な不安定さが光っている*9。この後も何度も「Ⅰ→Ⅲ→Ⅳ→Ⅳm」を紹介するけれど、それくらいこの進行は、それそのものが饒舌なドラマチックさを持っているといえる、いわば「必殺」のコード進行のひとつと言えるだろう。まあ、今これを用いて曲を作ろうとするとおそらく『Creep』から離れるのに苦労するだろうけど。

 

5. The Air That I Breathe / The Hollies(1974年)

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 冒頭ヴァース部分を抜粋。キーはG。

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 いかにも1960年代のビートバンドの一角、という存在だったThe Holliesは、1968年にGraham Nashが脱退してCSNに行ってしまって以降もバンドを継続し、いつの間にかしっかりと1970年代式のロックにも適応して、邦題では『安らぎの世界へ』として知られているこの曲をヒットさせている。1960年代の彼らの典型とはまるで異なるゆったりしてアーシーなサウンドに壮大なコーラスで、これはこれでいい、と十分に思わせる楽曲で、ヒットしたのも納得。

 しかしながら、この曲についてはむしろRadiohead『Creep』のコード進行の元ネタとしての存在感が現代では結構大きい。正確には「Ⅳ→Ⅳm→Ⅰ」としてサブドミナントマイナーの憂鬱な変化を短く響かせてトニックに着地する構成だけど、でもキーが『Creep』と同じGで、また「Ⅰ→Ⅲ→Ⅳ→Ⅳm」を繰り返していく展開が『Creep』と一致する。最早この曲の解説ではないが、この辺の経緯として、『Creep』製作時にRadioheadメンバーの誰かがThe Holliesのこの曲との類似を指摘し、作曲者であるThom Yorkeはその指摘を受けて「あえて」この曲と同じメロディのミドルエイトを『Creep』に挿入した、というエピソードがある。さらに言えば、この曲の作曲者たちが後にRadioheadの『Creep』を”盗作”だと訴えて、結果として『Creep』の共作者としてクレジットされるに至っている。

 なお、この曲の中においては、「Ⅰ→Ⅲ→Ⅳ→Ⅳm」進行によるくたびれた雰囲気のヴァースは、その後の壮大で晴れやかなコーラスに繋がっていくための序奏的なものとして配置されているかと思う。ただ、筆者のような『Creep』を通じてこの曲を見てしまうような輩からすると、コーラスワークも含めて時代的なものが感じられるコーラス部よりも、ヴァースの荒涼とした雰囲気の方により魅力が感じられてしまう気がする。

 

6. Creep / Radiohead(1993年)

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 最初のヴァース〜コーラスを抜粋。キーはG。

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 ということでようやく『Creep』の登場となる。Radioheadの初期の活動を強烈に縛りつけ続けた呪いの楽曲にもなり、またブリットポップに湧く晴れやかな英国の中で出てきた”ひどく陰気な連中”としてのテーマソングとしてあまりに収まりが良すぎるメロディと演奏と歌詞とを持つこの曲は、下手をすれば”表通りの晴れやかな連中に与したくない者としてのオルタナティブ・ロック”という属性を代表する曲にまで祭り上げられてしまっている感じがある。だって曲名が「うじ虫」であの歌・サウンドだもの。後の彼らの冷静さとはまるで合わないけど、でもこれはこれであまりに素晴らしすぎる。

 そして、サブドミナントマイナーの効力を最も世界的に知らしめた、サブドミナントマイナーを用いた楽曲群を代表する曲、としても、この曲は厳然として世界に存在し続けるはずだろう。「Ⅰ→Ⅲ→Ⅳ→Ⅳm」の進行を延々と繰り返し、これのみで楽曲の展開を完結させ、にも関わらずしっかりとヴァースの憂鬱と抑圧→コーラスの圧倒的な炸裂感とを十全に発揮している。それは酷たらしいメロディ運びの絶妙さと、3本のギターによる強烈な変化の表現によるものだろう。コーラスに入る前のJohnny Greenwoodによる激しいギターブラッシングによる感覚の表現方法には多くのギタリストが憧れる。

 前述したとおり、彼らはわざわざメンバー内の指摘からThe Hollies『The Air That I Breathe』のメロディをミドルエイトに取り入れ、迸る感情の最高地点として置いた。その壮絶さとそれが途切れた後も楽曲が継続する曲構成の惨めさの素晴らしさは言うまでもないことだし、それによって”元ネタ”の人たちに訴えられ、共同制作者に入り込まれたことは、徹頭徹尾この曲の因果さを物語る。そして時代が降って2017年に、さらにもうひと悶着あってしまうのは最早笑える。良くも悪くも呪われすぎていて、それだけメンバー達の意思を超越した存在になってしまった楽曲だということかもしれない。

 なお、そんな楽曲にどうしたことか他でもないThom Yorke本人が再度取り組んだ、今年2021年の7月に突如公開されたアコースティックセルフカバーにはまた驚かされた。えらくコードチェンジを引っ張り続けてそこにセクションを引き裂いた歌詞を空白たっぷりに強引に載っけていくその大胆さには、作曲者本人によるこの曲に対する”呪い”の念さえ感じられて、実に業の深いトラックになっていると思った。牧歌的とは程遠い、彼の中のどこかに未だに渦巻いているのであろう”悪意”がのたうち回る、興味深いグロテスクさ、散々に爛れ切った9分間。意外と歌い方が元々のに近いのも面白い。メロディを切りようのないミドルエイトの部分の力業っぷりは特に笑える。素晴らしい。。

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7. 世界の終わり / thee michelle gun elephant(1996年)

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 最初のヴァース〜コーラスを抜粋。キーはD。

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 日本のガレージロックを代表する存在であるthee michelle gun elephantのメジャーデビュー曲にして、もしかしてこれが彼らの最も素晴らしい”楽曲”じゃないか…と思ってしまうような名曲。彼らの場合、歌や演奏から発せられる”凄み”の方が重要性が高い(特に後期)側面もあるけども、楽曲自体の出来ということであればこの曲は余裕で彼らの楽曲でも最上位だろうし、その素晴らしさは「弾き語りでも余裕で名曲になれる」と言い表せるだろうか。確かに原曲のすでに完成しきったバンドサウンド、特にコードカッティングの壁具合とブラッシングを効果的に使い分けるギターは大変素晴らしいけれど、この曲にはもっと他の、ポップス然としたアレンジの可能性が相当詰まっている気がしてる*10

 この曲の完成度のどこが高いって、やっぱりコーラス部のメロディアスさだろう。その背景として、『Creep』と同じ「Ⅰ→Ⅲ→Ⅳ→Ⅳm進行」していることはとても大きい。作曲者がどこまで『Creep』を意識したかは不明だけど、結果全然違うメロディで、オールディーズ的な何かを仄かに感じさせるノスタルジックなメロディが書けていて、そしてそれをソリッドなバンドサウンドとシャウト気味なボーカルで歌う、というところが彼らの特殊性。「Ⅳ→Ⅳm」の箇所は同じメロディを歌っているだけなのに、背景のコードが少し変わるだけで不思議にセンチメンタルさが淡く湧き出すのが面白い。それは楽器数の少ない、ギターだけしかコードを担当しない場合でも醸し出されるものなんだということ。逆に言えば、どれだけライブでドシャメシャで野生的な演奏をしようと、この歌のメロディでは、叫び倒しながらもしっかりとこのメロウなメロディをなぞっていたというチバユウスケというボーカリストの凄さも際立つ。

 

8. A Shot in the Arm / Wilco(1999年)

A Shot in the Arm - YouTube

 冒頭ヴァースから抜粋。キーはD。

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 Wilcoオルタナカントリーの領域を脱してよりイマジナリーなサウンドに突き進んでいく、そのひとつの起点となった、実にファンタジックな様々なサウンドの仕掛けに彩られた楽曲。中心人物Jeff Tweedyと当時の強力な共作者Jay Benettとの、アルバム『Yankee Hotel Foxtrot』製作中に臨界に達して崩壊してしまう蜜月関係の、その最初のピークのひとつだろう。

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 この曲のサウンドの充実具合は、この曲が実はとてもシンプルすぎるコード進行と曲構成で出来ているということを知ると、よりその重大さが分かってくるようになる。キーとなるDのコードと、あとはそれに対するサブドミナントのG、そしてそれをマイナー化したGmの3つのコードしか使われていない。そして、GとGmは同じルート音なので、この曲は2コードの曲とも言えるし3コードの曲とも言えるし、個人的には2.5コードの曲なのかなとも思ったりする。それでも曲展開が無いようには感じないし、平坦さの中にも確実に曲展開があると感じられて、それはメロディの置き方と、やはりサウンドの移り変わりの巧みさによるところが大きそうだ。

 そして、そのキー以外のコードGを僅かにGmに変化させるだけの曲展開を、実に淡くしかしリリカルにここでは取り扱っている。伴奏的にはピアノのリフがメインで、ここだけだとそこまでコードに変化があったようには感じにくいが、短く挿入されるメロディの、「Ⅳ→Ⅳm」の間でほんの少し物憂げにくぐもったところでこのコード進行の響きが表現される。ここの、本当に僅かな調性の変わり方に気づくと、平板さの中に幾つもの奥行きを持たされたこの曲の、その魅力的な奥行きのひとつが視界に開けてくる。そしてこの曲の、サウンド的にはおるなタティブロック的なのにどこかから漂ってくるオールディーズ的な雰囲気の正体も、微かに覗いてくることになる。

 

9. Time for Heroes / The Libertines(2002年)

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 最初のブリッジ〜ヴァース前半を抜粋。キーはD。

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 ストリートに生きるダーティーな文学青年、としてのかつてのThe Libertines、というよりもPeter Dohertyの存在感はリアルタイムにおいては相当に鮮烈で、多くの憧れの的となったであろう。当時のロンドンのストリートの荒廃した青春っぷりとヴィクトリア朝時代などまで引っ張り出してくる言語センス、そしてパンクを軸にしながらもボードヴィル〜ニューウェーブまで様々な音楽の、それらのジャンルの奥にある”作曲技法”とを荒々しくも鮮明なポップソングとして紡ぎ出す彼の筆致は、ラフすぎて簡単そうでいてしかし誰にも真似できない境地にはじめから到達していた。

 この曲など、サビ的な箇所のない、ヴァースとブリッジだけを往復する楽曲で、アレンジする人によっては地味に鹿ならなそうな楽曲も、その独特すぎる詰まったような歌い方と、バンドサウンドの勢い、そしてヴァースからブリッジに移るときの僅かな憂いの感じとで、実にコンパクトでリリカルな爽快さを持った楽曲に彼らは変貌させる。そしてその「僅かな憂いの感じ」こそ、ドゥーワップ時代から連綿と続くブリッジ頭での「Ⅳ→Ⅳm」進行がブレイクの中でとぼけて響くところだった、ということ。この、物憂げになりすぎない程度にボーカルでとぼけた風にして見せるのがPeter流のバランス感覚で、まるで感情のコントロールがうまく出来ないみたいな曖昧さが、むしろ彼らの楽曲を謎にドライブさせる原因だというところに、彼の真似できなさの最たるものがある気がしてる。

 2021年現在の、普通に太ったブリテンおじさんになった彼の姿は、当時を知る人たちからすれば時の流れとその残酷さを思わせるものかもしれない。でも、歌ってるところを聴くと相変わらずの誰も真似できようもない独壇場の歌世界があって、別にこの感じで今後も英国の小粋なフォークミュージックを作ってくれていくのであれば筆者は何の文句もない。

 

10. ノンフィクション / the pillows(2006年)

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 コーラスを抜粋。キーはC。

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 日本のオルタナティブ・ロックの最前線を何気ない顔で飄々と渡り歩いていたキングレコード時代後半のthe pillowsの作品は大体どれもいいけど、『HAPPY BIVOUAC』『Thank you, my twilight』そして『MY FOOT』の3枚が特に良い。どれも三者三様に自身の少しスカし気味のポップセンスを軽快にオルタナティブ・ロックのサウンドに載せていて、様々なさりげない手管の利き方に清々しさを感じる。

 このシングル曲は『MY FOOT』に収録されていて、そのラフでグダグダ気味なヴァースにおける演奏のジャンクさと、そこから一気にコーラス部で細かくコードチェンジしながらポップに展開していくことのギャップが魅力的だけど、そのポップなコーラス部の展開の締めがサブドミナントマイナーだということは、このコードにはこういうメロディ末尾で展開を締めるのにも使えるんだよ、ということを教えてくれる。この、キメのフレーズ的に鳴らされるFmは、そこの歌詞が「Please Please, me」であることもあって、おそらくはサブドミナントマイナーのコード含めてのThe Beatlesリスペクトだったのかもなって、今回改めて聴き直して気付いた次第。それにしてもここのFmの響きはダサくなる寸前の感じでメロウさみたいなのは感じられず、サブドミナントマイナーをこんなにメロウさをカットして使うこともできるんだな、というひとつのサンプルにもなってると思った。

 

11. 投げKISSをあげるよ / andymori(2011年)

3rd LIVE DVD「FUN!FUN!FUN!」より『投げKISSをあげるよ』 - YouTube

 冒頭のヴァース〜コーラスを抜粋。キーはA。

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 2000年代と2010年代の変わり目ごろに出てきたandymoriは、簡単なコードとシンプルでエネルギッシュな3ピースのバンドサウンドと端正な歌とで、何らかの複雑性を背後に秘しながらも正面突破で駆け抜けていったバンドだった。どこか破滅的な小山田壮平の振る舞いもあって、The Libertinesと比較されたりなんかした。

 シンプルなコードしか使わないというのは、メジャーセブンスとかセブンスとかそれ以上のテンションとかそういった一切を封印して、真正面のコード感だけで楽曲をやりくりしていくという縛りに他ならない。ただでさえ3ピースバンドでサウンドの制約が大きい彼らが更にこのコードの制限もありつついい曲を連発していたのは、単純に曲が書けるなあ、って感じを強く思う。その中でも、サブドミナントマイナーはその制約の例外だったらしい。4弦ルートのDの押さえ方ならDmと行き来するのも比較的簡単なので、この手法を所々で用いている*11

 この曲も、シンプルな3コードのサブドミナントをサイクル末尾でマイナーにしてループさせる形式で楽曲が成立し、伴奏がスカスカであることから、このコード変化の不安な具合・気に病んだ具合が直に響き、不自然なくらい楽天的な歌詞にいい具合の影を差し込むことに成功している。歌詞とコード進行を対比・連動させる明確な意思が感じられて、そういう作詞・作曲の連動の仕方もあるよなあって思う。後この曲では同じコード進行のサイクルでヴァース・コーラスだけでなくミドルエイトまで作ってるのが、何気にやっぱり作曲能力高いなって思わされる。andymoriはそういう、同じコード循環で楽曲を作るのが上手なバンドだった。

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12. Get Free / Lana Del Rey(2017年)

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 最初のヴァースからコーラス手前までを抜粋。キーはA。

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 『Creep』の進行をキーを変えただけでそのまま持ってきて、その上に『Creep』っぽい退廃感のあるメロディをそのまま載せてしまったために、「本家Radioheadから訴えられた」とLana Del Rey側がアナウンスしたことで有名になった楽曲。楽曲を聴いた時の感想も「これ確信犯やろ…」という感じならば、訴えられたとアナウンスした後のRadiohead側の声明との内容の食い違い*12等もどこか炎上自体を目的とした感じがあり、そもそもポップミュージックの歴史を批評的に捉えてパロディする彼女の作風的にも、この曲での『Creep』の”引用”は自覚的にやったんじゃないのかな、という気がする*13。メロディがかなりそのままなところあるし*14

 この曲はこの『Creep』展開のメロディを通過した後に、別のコード進行をしたコーラス部のメロディに到達する。そこで『Creep』的な印象は薄まり(当然か)この曲らしさが出てくる。ダークに揺らいだポップスとして、彼女の歌の怪しく溶けるような存在感は楽曲に実によく合っている。まるで『Creep』引用のダーティーさが浄化されるようなそのメロディの優雅な展開っぷりに、ちょっと可笑しくなってしまう。そしてそんな楽曲に『Get Free』なるタイトルをつけてしまうのもまた、やっぱり彼女のギャグセンスじみた批評性なのでは…と疑ってしまう。

 

B:Ⅰ→Ⅳを反復する進行

 サブドミナントマイナーのコードのもうひとつ典型的で、シンプルにして強烈な使用方法がこの「トニックとサブドミナントマイナーを交互に鳴らして、Ⅰ→Ⅳ繰り返しの平坦さに拭い難い陰の感じを挟む」という手法です。ギターを持っている人なら、EとAmを繰り返すだけで、どこか空気が少し不穏に歪むような雰囲気を感じられるのでは無いかと思います。

 「Ⅰ→Ⅳm」の後に Ⅰ 以外の別のコードに行くのではなく、ある程度この二つのコードを行き来することがこの進行の味を出すのには必要で、ここに魅力的なメロディや演奏を載せれたらもうこれだけで最後まで行ける!って思えるのは「Ⅰ→Ⅳ」反復と同じです。この単純な機巧の、微妙な様で決定的な陰り方をどう個性あるアレンジにするか、どう効果的に配置するかは各アーティストの腕の見せ所でしょう。

 

1. The Killing Moon / Echo & the Bunnymen(1984年)

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 コーラス部を抜粋。キーはC。

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 別にこの曲以前に「Ⅰ→Ⅳm」反復進行の曲がなかった訳では無いです*15が、成り行きでこの記事ではこの1984年の楽曲からとなります。

 この曲やこの曲が入ったアルバム『Ocean Rain』のサウンドは本来のEcho & the Bunnymenの冷えたニューウェーブサウンドとは異なるものだけど、でもこの曲が彼らの一番の代表曲となってしまっているように、キャリアというのは時に思いもよらないところでピークを描いてしまう。そんな皮肉さを思いながら、この曲のこのダークでありつつ美しい「Ⅰ→Ⅳm」の反復を聴いてると、全てを受け入れてしまいそうな深い奥行きを感じる。まるで「Ⅰ→Ⅳm」反復のコード進行はこの曲のためにあったかのように、この曲のコーラス部は怪しくも優雅に広がっていく。イントロからヴァースまでの演奏やコード感はまるで日本の歌謡曲みたいな臭みがあるのに、コーラス部に入ると一気に暗黒に向けて羽根を広げて見せるこの優雅さは、確かにキャリアハイになりうる様々な要素が詰まっている。ニューウェーブ的なくぐもったボーカルの声質はメロディの怪しい躍動感のツヤを出すのに最高の相性を見せ、程よいリヴァーブの具合が「Ⅰ→Ⅳm」だけの平坦な空間にファンタジックな宵闇の感じを与え、弦楽隊はこの曲の夜の帷の感じを品良く下支えするピチカートを添える。歌が終わってからも2分も同じこのコード反復で延々と進行して、ポロポロと爪弾くギターやスキャット気味に入るボーカルライン等で延々と彩りたくなるのも納得の、たった2コードで形作られた”深淵”そのもののような、豊かな空間がこの曲を聴くといつも広がっていく。

 

2. 夏のリビエラ / 大瀧詠一(1985年)

大瀧詠一 / 夏のリビエラ - YouTube

 ブリッジの箇所のみ抜粋。1カポでキーはC。

 ギターならFm6はFmで弾いた方がすっきりするかも*16

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 大瀧詠一の森進一への提供曲『冬のリヴィエラ』のセルフカバーがこの『夏のリビエラ』。なぜか”ヴィ”が”ビ”になり、そして歌詞が日本語から英語詞に変更されている。この曲は大瀧詠一の冬の曲を集めたアルバム『SNOW TIME』に収録されたけど、このアルバムがプロモーションオンリーでのリリースだったため、1996年にCDとして正式にリリースされるまでずっとレア音源と化していたというキワモノ。それでも、他の同時期のアルバム『Debut Again』に収録されたセルフカバーに比べると、きちんと正式に生前リリースされていたものではある。最近サブスクでほぼ全解禁されたので感じにくいけれど、10年前とかの頃と状況が大きく変わってしまっていて、気軽に享受できるのはとても幸い。本人が亡くなってしまったからなのかもしれないが。

 ナイアガラー的な上記の蘊蓄は終わりにして、この曲を見ると、歌謡曲にしてもここまで展開する…?というくらい展開の多い曲*17だけど、大瀧式の甘々なポップセンスと歌謡曲の融合するメロディ等の中で、ブリッジ部の上記の「Ⅰ→Ⅳm」反復の展開はかなり意外なものがあって、ここだけやたらメロディが冷ややかでしとやかに響く。これは日本語詞よりも言葉数の多く語感の柔らかい英語詞の方がよりその様に感じられ、誤解を恐れずに言えばかなり「洋楽っぽい」繊細可憐な感じがする。むしろこの展開だけで延々と演奏し続けてほしいとか思うのは筆者の身勝手だけど、そう思うくらいにはここでの「Ⅰ→Ⅳm」反復の優雅さは魅力的なものがあり、上の『The Killing Moon』とは異なるベクトルでこのコード進行の魅力の引き出し方が高度になされていると思った。自分でDTMで編集してこの「Ⅰ→Ⅳm」反復の箇所だけのループを作って聴いてみたらやっぱりとても良かった。

 どこかで読んだ話によると、大瀧詠一自身は元々森進一に提供するつもりのジャジーな曲が完成せずに、渋々作りかけのこの曲を引っ張り出してきた、とからしいけれど、でもそんな曲に、この魅力的なコード進行のセクションがあったことは筆者にとってとてもとても幸いなことだった。何がどういいことに繋がるかわかったもんじゃないな、っていうのは大瀧詠一的な結論か。

 

3. すばらしい日々 / ユニコーン(1993年)

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 最初のヴァース〜ブリッジを抜粋。キーはE。

 これもAm6はギターで弾くならAmの方が良さそう*18

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 『The Killing Moon』からこの辺まで最近の弊ブログで既に取り上げてた曲をまた取り上げる感じになってて、そのワンパターンさに自分でもなんか残念に思わないでもない。でも、いい曲には様々な良いところが含まれているから、それらを様々な角度から見ることはきっとそんな悪いことでは無いはず。

 この曲の楽曲構成からの特徴は「調性・メロディ共々平坦なヴァース・ブリッジ」と「細かくコードチェンジするメロディアスでキャッチーなサビ」との対比だろう。そしてその「平坦さ」の中に妙な不穏さを滲ませる要素こそ、ヴァースの箇所の「Ⅰ→Ⅳm」反復である。歌が始まって、まるで魂が抜けたように響く奥田民生のボーカルは、このコード進行による不安な響きにずっと引っ張られ続ける。そしてこの2コードの反復は、ブリッジが来てくれない限り延々とこのダルダルとして不安な感じが続いていくんじゃなかろうかという、不吉な果てしなさを感じさせる。歌詞にも歌われるような、全然晴れやかでもなんでもない居心地の悪い日常にひたすら無限に吸い込まれ続けていく感覚というか、そういう果てしなさ、ドラマチックなことなどないよっていう果てしなさを、この2コードの進行は感じさせる。

 興味深いのは、そんな永遠の閉塞した平穏から抜け出すべく展開していくブリッジ部のコードが、今度はドミナントマイナーから始まっていくこと。サブドミナントマイナーと同じく不穏なコードとして扱われるドミナントマイナーが、ここでは閉塞感からちょっと離れるための機能として用いられていて、それはとても不思議な感じがする。毒をもって毒を制す、的な可笑しさというか。奥田民生サブドミナントマイナー以上に、ドミナントマイナーの名手としての側面がある。彼のドミナントマイナーの使い方の巧みさを書き始めると、それだけでひとつの記事になってしまうだろう*19

 

4. Like a Fool / Superchunk(1994年)

Superchunk - Like a Fool - YouTube

 イントロ〜最初のタイトルコールまでを抜粋。キーはB。

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 SuperchunkがインディロックレーベルMergeの設立者だということを最近知って、知るのが遅すぎたなって落ち込んだ。Neutral Milk HotelやSpoon、そしてArcade FireといったUSインディの重要バンドの作品をリリースしたレーベルの創設者が、そもそもUSインディーロックの重要な存在である彼らだというのは、なんだか美しい話だなって思った。彼らに憧れるアーティストは多々いるけど、その憧れ方っていうのはレーベル経営も込みだったのか…と本当に今更気付いた。

 彼らの1994年のアルバム『Foolish』が彼らの代表作であるとの位置付けがどこかでなされているのか、このアルバムはデラックスエディションが出たり、全編アコースティックのセルフカバーが出されたりと、不思議な位置付けにある。『Driveway to Driveway』やこの曲のような彼らの代表曲を含んでいることも大きいのか。ミドルテンポで大いに重力感と哀愁を感じさせる楽曲であるこの名曲が冒頭にあることは、名盤として存在するのに大きいのかなと思う。

 心細くなるようなスカスカのイントロからの、バンドサウンドが全部鳴り始めて以降の威風堂々とした「Ⅰ→Ⅳm」反復の重力感と、それを突き抜けて飛翔する青臭いボーカルの取り合わせが、この曲を特別なものにしている。「Ⅰ→Ⅳm」のコードにしても、レギュラーチューニングのままハイポジでBを押さえ、そこから開放弦でEmのマイナー要素となる構成音を出しているため、ギターの響き方自体に独特のものがあって、この曲のサウンドの成立に貢献している。また、このⅠ→Ⅳm反復の重量感からバンド全体が開放されるタイトルコールの箇所の可憐さもまた、この楽曲特有の爽やかな儚さを生み出している。歌詞の感じ共々、USインディの”いつまでも甘酸っぱい感じ”を体現したような、美しくもタフな曲だと思う。

 

5. ずっと前 / FISHMANS(1996年)

Fishmans - ずっと前 (Demo 1995) - YouTube

 イントロ〜メロディひと回し分を抜粋。キーはA。

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 シングル『ナイトクルージング』を境に決定的・不可逆的にそのサウンドをダブ方面に深化させていってしまうFISHMANSだけども、その後の最初のアルバムである『空中キャンプ』の冒頭を飾るこの曲がまた、一部分の展開箇所を除いてずっと「Ⅰ→Ⅳm」反復のミニマルな構成になっていることは、やはり彼らに起きた不可逆的な”変化”を如実に表す要素だと思える。彼らでも一番カジュアルにポップなメロディの詰まったアルバム『ORANGE』からの変化は、リアルタイムの人からしたら強烈だっただろうなと想像する。

 それにしても、そのミニマルさの表明のひとつとして用いられたこの曲の「Ⅰ→Ⅳm」の気味の悪い冷たさはとても印象的で、トニックがメジャーセブンスになっていることも効いているだろうが、それ以上にその「Ⅰ→Ⅳm」の響き方をギターコードのフォーキーな響きではなく、ダビーなベースプレイやミニマルなギターカッティングの積み重ねの中に表現しているせいだろうか。途中で露骨にこのコード感のあるシンセの不吉げなフレーズが入ると、むしろどこか安心した感じにさえなる。「Ⅰ→Ⅳm」反復で生まれる、まともでない世界へ接続してしまった感覚が、この曲ではとても静かに、しかしおぞましい具合に引き出されているのだろう。何かがもうすっかり変わり果ててしまって、『ORANGE』の人懐っこさにはもう戻れない、ということが、この曲でなんとなく直感されて次の『BABY BLUE』で確信に変わる。またはこの曲は、首謀者・佐藤伸治の際限無い覚醒とその果てのような死の、その入り口とも見なすことができる。そんな客観的・曲順的事実がまた、この曲の質感をこの世のものでないようにしてしまうのだろうか。

 

6. Rising Sun / George Harrison(2002年)

Rising Sun - YouTube

 イントロ〜メロディひと回し分を抜粋。キーはG?

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 注釈に書いたとおり、George Harrisonは1976年のうちに「Ⅰ→Ⅳm」反復の展開を有する『Beautiful Girl』という曲を有していた。彼も他のThe Beatlesメンバーと同様、コードが変に響くことに敏感な人物で、また彼は彼で、実に彼らしい奇妙なコード進行のクセを習得し、特にソロ以降でその作風をまざまざと展開していく。ひとりの偏屈なSSWの登場である。

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 その偏屈ながらも独特のメロディセンスを有したSSWの最終作『Brainwashed』は幾つかの不幸により彼の生前には届かなかったけれど、有志の尽力により、彼の平穏にねじれ切ったポップソングが沢山入った、彼らしさのよく出たキャリア屈指の名盤として登場した。とりわけ大きなスケール感を持つこの曲は、変調を挟んで二つの「Ⅰ→Ⅳm」反復の構造を持つという、不思議な構造を有した楽曲だ

 上のコード譜を見てもらえば分かるとおり、この曲はサブドミナントマイナーまみれの曲だ。そもそもイントロやサビ等で出てくる「G→A→Cm」からして、これルートはGでいいのかな…というところではあるけれど、そこから突如「D→Gm6」の反復でヴァースに突入する。ここが「Ⅰ→Ⅳm」反復の箇所で、その響きはどこか旅の果てのどん詰まりのような貧乏くさい質感がある。この箇所のGeorgeの歌いっぷりがまた偏屈さを拗らせたような皮肉的な具合で、この攻撃的な側面が曲が進行していく中で壮大に解けていくところがこの曲の聴きどころとなる。その後、よく見ると「Ⅳ→Ⅳm」の方の進行も交えながら、結局は視界の広がりを感じさせる「G→A→Cm」の展開に収束していく。循環の最後がサブドミナントマイナー的なコードなのに不思議に清々しい開放感があるのは面白いところで、ストリングスアレンジによるものなのか分からないが、コードの響きというものの奥深さをここでは感じられる。

 

7. 恋のはじまり / スピッツ(2005年)

 イントロ〜メロディひと回し〜完奏まで抜粋。キーはG。

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 スピッツもまた、この決断的に不穏な雰囲気を生み出すコード進行を用いている。アルバム『スーベニア』の頃は彼らとプロデューサー・亀田誠治の協力体制の2作目で、いよいよ安定期に入ったスピッツの、幕の内弁当的な冒険の旅が始まったような作品でもある。幾つかの観光めいたアレンジが試されたりしていて、それらの多くが今作限りの「音楽的コスプレ」みたいなものだった感じがあるけど、そんなアルバムの最初に制作された曲がこの曲だということは少々興味深い。

 自分の分かる限りでは、スピッツがこの「Ⅰ→Ⅳm」反復を用いるのはこの曲が初めてで、そして多分これが(2021年現在)ラストだと思う。この曲もやはり、既存のスピッツにないものを追い求めた”冒険”だったんだろう。イントロ及び間奏で用いられたこのⅠ→Ⅳm反復は、ギターやSE等と相まってサイケデリックな重力感を発生させている。メジャーコード始まりなのにどこか冴えない風なヴァースのメロディや、そこからじっくりとした頭打ちのリズムで急激に這い上がるにメロディを飛翔させるコーラスなど、王道スピッツの展開と異なる何かを追い求めた形跡がこの曲にはある。アルバム冒頭のスピッツ王道な『春の歌』『正夢』の存在の派手さが目立ちがちなアルバムの中で、彼らがそれらと異なるベクトルのポップさを追い求めていたこと、そしてそのどこか”不健康”そうなものを「恋のはじまり」なるピュアそうな言葉に結びつけていたことは、そういえばスピッツにおける”恋”って割と不健全なものだったな、ということを思い出させてくれる。

 

8.ピカロ / GRAPEVINE(2010年)

 イントロ〜メロディひと回しを抜粋、キーはD。

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 前曲から引き続いて、アルバム中の地味な曲をピックアップしてきた風な感じになってしまっているけど、弊ブログで何度か言及しているとおり、この曲はWilco式のアーシーさへの取り組み方を習得したGRAPEVINEが成し遂げた、彼ら流のアーシーさのひとつの到達点だと思っている。そしてそんな曲のコーラス部がⅠ→Ⅳmの反復で構成されていることは、彼らもまたWilcoと同様、シンプルなコード進行の隙間に様々な情感を滲ませることに熟達したことを示している*20

 この曲は、イントロ〜ヴァースでゆったりとブルージーに荒野をさすらう感じ→コーラス部で放浪の果てに天に召されるような意識を持っていかれるような感じ、という曲構成だと思ってる。ヴァースの方も基本的には「Ⅰ→Ⅳ」の反復に何か変な響きを混入させたような作りになっていて、シンプルさの中に彼ら流のブルーズ要素をどう忍び込ませるかについて、サウンドのジャリジャリ具合共々実に巧みな情緒の演出になっている。そもそも”G6”自体が少しマイナー気味な響きを持っているけれど、そこがコーラスに入ると明らかにGmになる、というのは、同じ「Ⅰ→Ⅳ」の反復の属性を変えてヴァースとコーラスそれぞれを成立させている、という、見方によってはかなり面白い構造をしている。そしてそれによって、フラフラな旅路の果てみたいな情緒にストーリー性が大いに生じるあたり、流石のストーリーテラーっぷりだった。ほんとこの曲好き。

ystmokzk.hatenablog.jp

 

C:その他

 ここまでサブドミナントマイナーのコードの「Ⅳ→Ⅳm」と「Ⅰ→Ⅳm反復」という二つの使い方を見てきました。ここからは、それ以外の使い方を見ていきます。多いのは今まで見てきた二つの例ですが、その他にも様々なサブドミナントマイナーの使い方があります。中には「これ働き的にサブドミナントマイナーじゃねえだろ…」というものも幾つか含んでいますが、その辺も含めて確認しておきましょう。

 

1. Everybody Knows(I Still Love You) / The Dave Clark Five(1964年)

www.youtube.com

 最初のヴァース1回分を抜粋。キーはC。

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 The Dave Clark FiveはThe Beatlesと同じ時代に活躍した英国のロックンロールグループで、全盛期には「The Beatlesの最大のライバル」などと呼ばれることもあった。バンド名に入っているDave Clarkはドラム担当。メインのソングライター兼リードボーカルはMike Smith。ホーンやキーボードも含んだメンバー構成で、1970年の解散まで活動した。

 この曲とほぼ同名の『Everybody Knows』というヒット曲がある*21せいで分かりにくくなっているけれど、この曲はロマンチックなキーボードとコーラスのパートと、ロックンロール的な荒々しさのパートとを行き来するという意欲的な構成が見られる佳曲。面白いのが、その歌い出しすぐのヴァースの箇所で「Ⅰ→Ⅳm」反復っぽい響きが感じられるが、これはコード掲載サイトを見る限りそうではなく、「Ⅰ→Ⅴ♯」の反復となっている。詳しい解説は他のサイトに投げることとして、Ⅴ♯というコードはサブドミナントマイナー(Ⅳm)の代替コードに当たるらしく、なのでこの曲における「Ⅰ→Ⅴ♯」反復は「Ⅰ→Ⅳm」反復に近い響き方をする。なるほど。

 その後荒々しいロックンロールパートに移行しても、最後に今度は本当にサブドミナントマイナーのFmに着地するところがまた小粋。タイトルの一節を歌うべく急にメロウになる展開はいい具合にキザで面白い。このバンドの器用で洒落た部分がよく出たいい曲だと思う。

 

2. Autumn Almanac / The Kinks(1967年)

The Kinks - Autumn Almanac (Official Audio) - YouTube

 イントロ〜コーラス?の半分まで抜粋。キー???

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 スィンギン・ロンドン時代きっての捻くれ者小市民バンドThe Kinksが到達した、実に地味なようで実に複雑怪奇な楽曲がこれ。一応コード譜を載せたものの、この曲については偉大な先行研究の記事がありますので、そちらを読んでもらった方が、歌詞も込みでこの曲に込められた様々な「まさにRay Davis」が理解できると思います。

songsf4s.exblog.jp

 この記事的な視点で見ていけば、イントロは典型的なトライアドの3コードで進行し、明るく牧歌的な感じがするけれども、そこから歌い出しのコードがいきなりBmで、これはキーがF♯だとするとそれに対するサブドミナントマイナーのコードになる。しかし、この後の「Bm→E→A」の進行で、Aにコードが帰着した感じが曲から発される。AをキーとするとBmは”Ⅱm”にあたり、「Bm→E→A」は「Ⅱm→Ⅴ→Ⅰ」という、いわゆるツーファイブと言われる展開そのままとなる。つまりこれは、イントロのセクションはキーF♯だけど、歌い出しの瞬間にキーAに転調していて、なのでBmはサブドミナントマイナーでも何でもない、と解釈するのがおそらく正しい。歌い出しのメロディのしみったれ具合がいかにもなマイナー感があって勘違いしそうになるけど、キワモノサブドミナントマイナーと思ってたコードが実はお洒落Ⅱmでしかない、という引っ掛けは実に作曲者の性格が悪い。

 そして、この後も歌詞の「Friday people〜」のあたりでまたキーF♯に戻ったり、その後D♯m以降不可解な展開をしたりと、ともかくこの曲のコード進行は混沌としている。ひとつ確たることは、「Bm→E→A」の進行とメロディが曲のメロディの落ち着く先となっている、ということ。その落ち着き先に向かうためなら「B→A♯→Bm」なんていう訳わからない展開でもやってしまうその雑さと、その雑なコード並びの上にちゃんとメロディを成立させてしまう手腕とが、この曲がRay Davisにとってのひとつの到達点として、実に地味でパッとしない雰囲気したポップスに偽装した形で示されている。何がしたいんだ…とも思ったりするけど、この曲の後に控えているのが名盤『Villege Green Preservation Society』だと思うと、何か納得してしまう不思議さがある。

 

3. Spanish Bombs / The Clash(1979年)

The Clash - Spanish Bombs (Official Audio) - YouTube

 最初のヴァース〜コーラス半分まで抜粋。キーはG。

 使ってるワードソフトの仕様でスペイン語単語に全部赤線引かれてますが気にしないで…。

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 The Clashって不思議なバンドで、オリジナルパンクバンドの一角として存在しつつも、それは1stと2ndまでで、3rd『London Calling』以降は音楽的にも思想的にも様々な方向に波及して、ロックンロールバンドとも、ニューウェーブバンドとも、ダブバンドとも呼べない、とりあえずJoeとMickの2人のロックが様々なジャンルに触れていく感じのバンド、としか言えなくなる。彼らの楽曲をちゃんと見ていこうと思うと、たとえばこの曲だけでも、スペイン内戦と社会主義サンディカリズムの勉強をした上で、スペイン語で歌われた箇所の意味を読み取る必要がある。敷居が高い…!勿論、この曲みたいなのを爽快なポップソングとして消費してしまうことも、彼らは別に見逃してくれるだろうけれど。

 ということでただ聴いてると爽やかな雰囲気で同じメロディを繰り返してるように聞こえるこの曲だけど、よく調べると上記のとおり、スペイン語が出てくる箇所とそうでない箇所で微妙にコード進行が違っている。イントロ〜ヴァースの箇所では、コード進行のサイクルの最後に現れるサブドミナントマイナーであるCmが、爽やかな進行の中に突如妙な不穏さを差し込んでくる。このCmのギターの音がリヴァーブもよく効いていて印象に残り、この曲がただのポップソングでなさそうな雰囲気を醸し出す。

 それに対して、スペイン語の歌詞が入ってくるコーラス部のコード進行は、なんとF、キーとなるコードの1音下のコードで終始する。数字だと「Ⅰ→Ⅵm→Ⅲm→Ⅵm→Ⅲm→Ⅵ♯」これでこんな違和感なく同じメロディが乗っかっているのが不思議になるけど、彼らも大概捻くれ者だなあと思う側面でもある。別にCmでも良かっただろー、って思わなくもないけど、でも弾いて歌ってみると確かにFだとまた響き方が違う。Fによる過度なメロウさが削がれたそっけない響き方に、何か込めたい感情があったんだろうか。色々想像の余地があると思った。

 

4. SWEET MEMORIES / 松田聖子(1983年)

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 コーラス部だけ抜粋。3カポでキーはC。

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 サウンド的には1980年代の感じびっしりなこの曲にどこかオールディーズに通じるような情緒を感じていたけど、それはコード進行を見ると、なかなかにサブドミナントマイナーのせいもあったのかなあ、というのが今回分かった。上のコード譜では取り上げなかったけど、ヴァースの方でも「Ⅳ→Ⅳm」が挟まれていたりして、この曲の歌詞が表現したいであろうノスタルジックさに向けて、実に効果的な働き方をしている。

 そして情熱的で虚しげで印象的なコーラス。オーギュメントのコードが出てくるとたじろいでしまうけれど、ローコードのCの押さえ方を軸に見ると、なるほどCの構成音からの微妙な変化を狙っていることが分かりやすくなる*22。そうやってジワジワとコードとメロディを展開させていって、そして最も感傷的に高揚するノートの箇所でサブドミナントマイナーが刺さって、演奏までブレイクしてしまって、ここがこの曲の感傷の到達点だということが分かる。そう認識すると、その後の燻らせるようなコード進行の、アダルティックなジャジーさの感じも解像度が上がった気がしてくる。どうだろう?

 なお、前にもこのブログのどこかで書いたけど、この曲は小島真由美によるカバーバージョンが存在して、ギター演奏を軸としたコンボ演奏でドライに録音されたあっちのバージョンの方が原曲よりも好きです。サブスクに無いんだなあ。カバーの中でも、やはりサブドミナントマイナーのブレイクは徹底されていて、やっぱりこの箇所こそこの曲の最大の泣きどころなんだなあと思った。

 

5. 恋とマシンガン / Flipper's Guitar(1990年)

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 最初のヴァース前半だけ抜粋。キーはAだけど…。

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 Fillper's Guitarという存在よりもむしろこの曲の方が有名かもしれない。ネオアコな1stアルバムも洒落てるけども、渋谷系=オシャレを決定づけたのはこの曲あたりなんじゃないかと、久々にPVを見ても思ったりした。フレンチ・ジャズなる正直よく知らない概念についてここで色々書いたりはしないけど、そういった要素を大胆に引っ張ってきて、そしてほぼこの曲1曲だけでその要素を使い捨ててる感じが、実に彼ららしいいい具合の横柄さだと思った。ちなみにこの曲は後の小沢健二のコラムによると作曲者は小沢健二がメインらしい。見分け方は、コード進行に凝りまくるのが小沢曲、循環コードで膨らませていくのが小山田曲らしい。例外も色々ありそうだけど。

 この曲、キーAであることは間違いなくて、そんな曲に出てくるDmは普通であればサブドミナントマイナーのコードになるけれど、これもむしろ、Dm7以降のコード進行「Dm7→G→Cmaj7→F」をCをキーとした「Ⅱm7→Ⅴ→Ⅰmaj7→Ⅳ」として捉えた方が自然な形になっていて、これはAのサブドミナントマイナーっぽいDm7を起点にキーCに転調した、と捉えるべきものになっている。このような店長の手法については実はそこそこ定番らしく、その解説はこの記事を書くにあたって探し回ったサブドミナントマイナーについての記事のうちのひとつ、元ゲントウキの人が書いた以下のnote記事が詳しい。というかここまで書いてきた内容全部この記事の受け売り…。

note.com

 ところで、このnote記事ではこの曲のDm7を「サブドミナントマイナーを経由した転調」と言ってて、そうか、こういう転調後ⅡmになるタイプのⅣmもサブドミナントマイナーって呼んで問題ないんだ、という気づきがある。そういえば上のThe Kinksのやつも最初のBmに限っては同じ転調の仕方だったんだなあ。

 

6. マジック・カーペット・ライド / Pizzicato Five(1993年)

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 歌い出し〜タイトルコールまで抜粋。キーはG。

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 たまたま渋谷系のグループが続いてしまったけど、こっちは装飾こそ当時の渋谷系的な雰囲気がある程度あるけど、楽曲自体は実に正面切った、テンションコードだとか何だとかのお洒落イディオム一切抜きの、それこそThe Beatlesのメジャーな名曲などと勝負をしようとするような、真っ直ぐな曖昧さとメロディとを持つ名曲。この曲についても過去にこのブログで触れている。

ystmokzk.hatenablog.jpこうやってやたら過去の記事を貼ってると、ほんと同じ話ばっかりしてるんだなって気持ちになる。

 この曲、ヴァース・ブリッジにおけるコードのシンプルさと、その響きの曖昧さに、不思議な、子供っぽいサイケ感が宿っている。キーGにおいてGとAで繰り返すのはひたすらボーッとしてるような感覚になる。だからこの曲のヴァースもそんな感じになってて、だからこそ歌詞の感覚も絶妙に泡口に足のつかない感じになっている。ブリッジ部など、ただの3コードで構成されているらしいけど、妙に歌いにくくて、参考にしたコードのサイトが間違ってるんじゃないか…?などと思ったりもする。

 全体的に掴みどころのなかったメロディの焦点が合うのが、歌詞の存在しないコーラス的な箇所だというのがこの曲の不思議さを高めている。よく考えるとキーGでE7が出てくるのは本来妙なところで、このコーラスのセクションもキーがどこか曖昧になっている感じがする。なのに曲調的には一番はっきりとしたコード感が感じ取れるのは皮肉なことだ。そして、タイトルコールが出てくる箇所の、Amから(やや経過音的にBmを挟みながら)サブドミナントマイナーであるところのCmに行き着く動きはとても美しい。そしてここでのCmの響きが、暗さよりも不思議に輝かしい感じがするのが面白い。このセクションの終わりを示す「チャチャチャ」の掛け声もこのCmで行われることから、この曲も情感のピークがサブドミナントに来るよう設計されている。また、終盤のフェードアウトではひたすらCmを含む展開がループされて、そこではどこか祝福感に満ちたような雰囲気さえ漂う。今回のサブドミナントマイナーの働きで、ここまで幸福感に溢れた作用をする曲は他にない。そもそもサブドミナントマイナーが祝福感に繋がることってそんなに無い気がするけど、この曲ではなぜかそれが起きている。音楽って不思議なんだなあと、そんな不思議をふと掴むことができた時っていうのはその人は幸福だろうなあってことを、ここのサブドミナントマイナーの響きで考えたりしてる。

 

7. baby blue / サニーデイ・サービス(1997年)

サニーデイ・サービス - ベイビー・ブルー - YouTube

 最初のヴァースのみ抜粋。キーはG。

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 この曲も渋谷系の延長的なシックでムーディーな雰囲気があるけど、でもコードを見るとこちらはいよいよセブンスすらたまにしか出てこない、本当にシンプルなコードだけで構成されていて、それであの雰囲気が出せるのか…と逆に驚かされる。サニーデイ・サービスのいいところはそういうところだと思う。いい具合に艶の乗ったボーカルをはじめ、全体的にいなたい録音、特にピアノのもの寂しげな鳴り方、そしてバタバタしていなたさそのものなドラムなどが集まって、この空気感が奇跡的に生まれているのか。

 それでも、この曲にも流石に幾つかのお洒落コードは含まれていて、それが冒頭等で聞かれるCmaj7と、そしてヴァースのコード進行で最も洒落た響きを放つCmだ。どちらもこの曲におけるⅣのコードだけど、この曲のムードを決定づける働きをしている。Cmについてはサブドミナントマイナーだけども暗さや病んだ雰囲気は感じさせず、まるで部屋の窓枠が震えてるのを見た時のような、変てこな緊張感を呼び起こす。それはこの曲の他の凡庸なコードから牧歌的な平板さを奪うように作用してるようにさえ感じられる。このCmの効き方は本当に、必殺、って感じがする。つよい。

 

8. 男の子と女の子 / くるり(2002年)

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 ヴァース〜(繰り返しを省略して)コーラスまで抜粋。3カポでキーはC。

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 同じフォーキーでメロウな曲でもひとつ上のサニーデイのとはまたかなり趣の違うこの曲。くるりはここでどちらかというとフォークソングの野暮ったさの方をより強調したような具合か。でなければそんな言葉の置き方はしないだろ、という無理矢理気味な音の伸ばし方などが特にコーラスなどで見られるので、その辺は確信犯的にやってるものと思われる。今ではこの曲みたいなフォーク/カントリーが彼らの音楽のメインとなった感じがある。

 野暮ったさげなコードを概ね用いながらも、ここでの岸田繁はしかしその野暮ったさを邪悪に食い破る隙間を目ざとく探し出し、すなわちそれは4小節の切れ目で、そこにサブドミナントマイナーを配置していく。ヴァースでは、前半と後半の境目に「Ⅳ→Ⅳm」の進行を差し込んで、牧歌的だったはずのこの曲に気味の悪い不穏さを呼び込んでいる。そしてより重度なのはコーラスで、そもそもドミナントのコード(G)から歌い始める不安定さと、メロディライン自体の不安定でやぼったい具合の中、やはり4小節の切れ目に、今度はトニック(C)から直接サブドミナントマイナーであるFmに行き着き、メロディはここぞとばかりに陰気によじれてみせて、牧歌的な光景を食い破った穴の向こうから覗く不穏さと腐敗の予感を僅かに混入させる。ここの毒々しい地点こそが、基本牧歌的なコード進行なんだからもっと溌剌とした歌になりそうなのにそうならず、この曲を程よい具合に冴えない調子にしてしまう、その源なのかなと思ったりする。ある意味ではこの曲もまた、サブドミナントマイナーに楽曲の頂点を持ってきたタイプの曲と言えるかもしれない。

 

9. Some Sweet Day / Sparklehorse(2006年)

Sparklehorse Some Sweet Day - YouTube

 ヴァース〜(繰り返しを省略して)コーラスまで抜粋。キーはG。

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 Mark Linkous存命時にリリースされた最後のアルバムに収録されたこの曲は、かつての彼の痛々しい姿が遠ざかるようなホッとする具合の優しいポップさと、その陰で何か深刻なものが形を変えて別の取り返しのつかなさに変容しつつあるような嫌な予感とを感じさせる。勿論この印象は彼の自殺で締め括られるグループの歴史に引っ張られすぎているんだろうけども。

 夢見心地なサウンドと同じく、歌詞も夢見心地に「きみとぼく」の幸せについて歌っている風なのに、なのにどうしてか「でもきみは幽霊を抱きしめることなんかできないよね」という一節が入り込んでしまう。どうしてそうなってしまうんだろうな、と彼の不器用に捩れまくっていただろう人生を思う。楽曲も、夢見心地すぎる雰囲気が逆にこの曲のどこかに不穏さが宿ってるんじゃなかろうか、という気持ちにさせるのか、ヴァースの箇所の「Ⅰ→Ⅳ」繰り返しの展開はどこかⅣがⅣmのように聞こえてしまう。しかしこれは別にmが付くことのないⅣで、そして本当のⅣmは、ささやかなコーラス部の中でひっそりと、実にソフトに、陰気さなく、この曲の夢見心地なサイケさをちょっと広げることだけに作用する。ここでのサブドミナントマイナーの働きも、相当にダークな響き方を制限され、コード進行の甘美さにだけ作用するように誂えてある。今回のリストで『マジック・カーペット・ライド』と並んで優しい響きを持ったサブドミナントマイナーで、そしてそれが優しいほど、この曲の夢見心地具合が健やかであればあるほど、影のように虚しさが這い出してくる。これは何でなんだろうか。

 

10. Love Kills Slowly / Iceage(2021年)

www.youtube.com

 このライブ動画の演奏はスタジオ版に比べて半音低い。

 イントロ〜コーラスの箇所(?)までを抜粋。キーはE。

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 最後は今年の曲で締めようと思って探したら、まさかのIceageの楽曲が引っ掛かった。本当に近年の彼らのハードコアから転換してポップなロックンロールへと変貌していく様子は激烈で、この曲もざっくりしたアレンジや”歌の個性として”粗暴さの残った歌唱などはありつつも、ゴスペル的なムードが大地から競り上がってくるような雰囲気が、彼らの変貌を如実に物語る。筆者はそれをひたすら歓迎するばかりの者だ。

 イントロではちゃんとトニックが鳴るものの、実際に歌が始まるとひたすらマイナーコード連発なのには驚く。何気にこの曲でのBmはドミナントマイナーでもあり、この曲はドミナントサブドミナント両方ともマイナー化してしまってる楽曲となっている。それがゴツゴツしたバンド演奏と重なって不思議な重力感を醸し出しているのかな、と思えるけれど、特にサブドミナントマイナーであるAmの響きの邪悪な感じは強調されていて、コーラスに移る前のブレイク時にわざわざアルペジオで強調するほどに存在感を発揮している。これは思うに、ここでAmによる邪悪さが醸し出されれば出されるほど、その後のコーラス部のホーリーな作用がより輝いてくる、という構図なんだろう。Iceageの楽曲で聖的な要素を気にすることになるなんて、と不思議に思ったりもするけれど、この曲みたいに感覚でやってるのか理詰めでやってるのかよく分からない具合は、そのまま彼らのバンドサウンドの肉感的なところと直結している感じがして良い。DTM等でその気になれば1人でもバンドサウンドが作れる時代において、他人とガチャガチャと楽器の音をぶつけ合わせることの意味を、この無骨なゴスペル・クワイア、そしてそれに対置された”邪悪な”Amのギラギラと掠れた音色は、少しばかり考えさせてくれる。

 

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終わりに

 以上30曲でした。今回、ソウルとかヒップホップとかの曲がないのは単に筆者がそういうのでサブドミナントマイナーのコードを使う曲を恥ずかしながら知らないからです。無いはずは無いと思うので、ここは本当に恥ずかしいばかりです。

 それにしても、コード譜ばかりで少々見づらい記事になったかもしれません。そもそもコード譜自体、押さえ方が載っていても小さすぎて見えるんだろうか…ということを思いながら30曲分作ってました。もうこんな作業は当分やりたくないくらいしんどかったです。

 結構長い記事でしたが、ここまで見てきて何となくサブドミナントマイナーがどんな具合に使われるか分かったかと思います。簡単に雑にまとめればこうです。

 

①大人的なノスタルジックさを付加するため。

②感覚が腐り落ちるような邪悪さを召喚するため。

③ロマンチックなダークさを楽曲に挟み込むため。

④曲中の感情の頂点を調性の裂け目に生む、そのエモさのため。

⑤なんかシュッとしたお洒落な音の響きを得るため。

⑥このちょっとした調性の狂いでしか出せないサイケさを得るため。

⑦転調の道具。

 

 本当に、元の何の異常もないコードのうちのたった1音をわずか半音ずらすだけで、どうしてこんなに調性に裂け目が生じるのか、音楽の面白いところであり、またチューニングの重要性がわかる局面でもあります。ギターのどれかの弦が半音ズレてるだけで、相当大変なことになることが、サブドミナントマイナーの効き目の強さからも窺い知ることができるでしょう。ちゃんとチューニングしましょう。

 今回のこの長くて読みづらそうな記事が誰かの何かの参考になってくれたのであればとても幸いです。最後に今まで取り上げた30曲を並べたSpotifyプレイリストを貼ってこの記事を終えます。読んでいただき、ありがとうございました。

*1:当時記事に貼った動画が結構消えてて、時の流れと、あと動画って全然永久的な文化じゃないんだなあということを思いました。

*2:ダイアトニックスケールでの話。

*3:実際はちょっとのことに思えるこの半音の変化というのはとても大きいもので、調和していた複数の音のどれかひとつを半音下げるだけで、音の響きは大きく変わったり、組み合わせがひどいと最も聞き苦しい不協和音になったりします。そんな中で、不自然さがグロテスクさよりもむしろ劇的である意味調和した作用を見せるのがサブドミナントマイナーの効果、といったところ。

*4:なぜこういう効果が発生するのかについては、安定したダイアトニックスケールから外れた音で、かつ不協和音というよりかは、楽曲がメジャー調からマイナー調に一瞬変調したことによる効果だとか何とか言われています。楽理的な話はやぱり他所で調べたりされた方がいいと思います。

*5:似たようなことしてるサイトは色々あるんですが、歌謡曲やJ-POP中心の、学理に基づいた”高度な”使用法とその解説が多くて、今回書いたような内容があまり見つけやすいところに見当たらなかったので、今回自分で書いている、というところがあります。以下の文章が比較的平易なものになっていればいいんですけども。

*6:この記事で一番苦労した作業は間違いなくこれ。ノウハウがないのでいちいちWord的なものとスクショしたコード譜の画像の組み合わせで作っています。絶対もっと楽な方法があったはず。。分数コードなどのコード譜が見つかりにくかったものは適当に代わりのコード譜を置いてますご了承ください。

*7:『The Great Pretender』は「Ⅰ→Ⅳ」の展開を含んでなかった。

*8:『Be My Baby』とかまさに。

*9:この曲について言えば、勿論David Bowieによる神経症的に捻れたボーカルの素晴らしさによってそのメロディが特殊なものに昇華されていることは重要だけども。

*10:多分、Ⅳ始まりのくせに全然そんな感じのしないのっぺりしたメロディが続くヴァースの部分が、この曲のフォーク的アレンジを困難にしてる。メロディがしっかり展開するコーラス部に比べてずっと歌いにくいもの。

*11:『ダンス』ではこの曲と同じように「Ⅳ→Ⅳm」での進行を交えている。『CITH LIGHTS』ではこの後紹介する「Ⅰ→Ⅳm」繰り返しの形式でヴァースを作ったりしている。『Weapons of mass destruction』も仄かにサブドミナントの音にマイナーを感じる気がする。

*12:Lana Del Rey側は「印税の取り分がRadiohead側100%しかあり得ないと主張されている」と言い、それに対してRadiohead側は「100%を主張した事実は無い」としている。結局のところ事実がどう推移したのかは未だよく分からない。

*13:Lana Del Rey側はあくまで「『Creep』にインスパイアされて書かれたものではない」と主張。

*14:元々が短く区切られたメロディなので、歌の出てくる・切れるタイミングまで被ってるのはやっぱり確信犯では…という気がしてくる。

*15:少なくともこの曲に先立って1976年にGeorge Harrisonの『Beautiful Girl』でこの進行は聴ける。この記事の問題は、それより前にこの進行を用いた曲を見つけきれなかったこと。絶対あるはずなんだけども…。

*16:m6って別のコードの7と同じフォームが入るので音が7的に濁るため。ストリングスとかキーボードとかで綺麗にアレンジすれば濁りを感じさせないのか。

*17:こういう展開の多さは後に同じく歌謡曲的な提供曲『熱き心に』にも共通する。

*18:理由は1個上の曲の注釈と同じ。

*19:『車も電話もないけれど』『息子』『野ばら』『これが私の生きる道』『The STANDARD』等々、時期を問わずかなり様々にドミナントマイナーを使用していて、自身でも作曲のトレードマークにしている節がある。

*20:なお、参考にしたこの曲の耳コピを載せているサイトによると、DとGmの他にもうひとつコードが挟まるらしい。けど聴いてもそんなのあるかよく分からないし、演奏内容の解釈次第だと思うし、何よりもそのコードの存在が挟まるとこの記事のこの分類から外れてしまって困るので、ここではそのコードは黙殺する見えないこととした。

*21:こちらはムーディーなバラード。

*22:でもそういう変化なら、Am7をAmに、CをC7にした方がCから3弦の音が半音ずつ上がっていってそれっぽくなる気がした。参考にしたサイトの記載が違ってるのか…?