アルバム『Yankee Hotel Foxtrot』は11曲入りのアルバムであることから、6曲目のこの曲は丁度アルバムの折り返し地点にあたります。この曲も非常にこのアルバムの特性を代表している曲のひとつ。アルバム中の緊張感が非常に高まるポイントの一つでもあるのかなと。
6. Ashes Of American Flags
前書き
そもそもタイトルが凄い。前曲もそうだけど、それ以上にこの曲が結果的に911より後に世に出てしまったことは、あまりに作り手の元々の意思から離れたところで、この曲が響き渡ってしまう羽目になってしまった。その様はもう、音楽以外の神様が911より前の時期にこの曲を製作していた彼らに、予言的な霊感を与えたとしか思えない。そんなこの曲が11曲入りのアルバムの6曲目、つまりアルバムの中心にあるのとか、ちょっと偶然にしては出来過ぎ…。
そして、この曲のアレンジがまた、あまりに物理的な崩壊をイメージさせるのに非常に有効な、儚くも美しい形をしてしまっている。このアルバムの核のひとつなのかなと思ったり。
楽曲精読
タイトルからそもそも伺えるとおり、この曲の構成・アレンジについては、はじめから何らかの崩壊・滅亡をイメージされて作られたのだと思われる。もしくは、結果的に作った曲がこういう崩壊っぽいイメージになったからタイトルや歌詞がこうなったのか。どちらにせよ、この曲がこのタイトルで紐づけられた段階でこの曲は何らかの滅びのイメージを纏うこととなった。その滅びのイメージと、オブスキュアな音像とで、アルバム『Yankee Hotel Foxtrot』の曲調の典型を、この曲は成している。
イントロからしてオブスキュアに、揺らぐ光のようなシンセのノイズが複数立ち上る。キーボード類の多用も、やはりピアノフレーズは非常にシンプルに、響きを得るために使われていると言ったところ。そしてこの曲では特に、今作ではあまり目立つところの無かったエレキギターが、一定のフレーズを繰り返し、曲の小節替わり等において鳴らされる。この、一聴してエレキギターの音だと確実に分かるけれども、シンプルな、しかし無国籍的に抽象化されたフレーズを、程よい音響感を有して繰り返し反復されていくのが、非常にこのアルバム的な配置だと思うし、とても印象的。
楽曲のコードは長調であり、曲としては緩やかであるがポップな部類に入る。Jeff Tweedyのソロアルバム『Together At Last』にも弾き語り的な形で再録されていて、それで聴くとわかりやすいけれども、曲の構成は普通のポップソングよろしくなヴァースとコーラスの構成とは言いがたく、それぞれの境界が融解したような、それでいてきっちりとメロディの収束点は定められている(「I know I would die if I could come back new」のくだりがそれに当たる)ソングライティングには、このアルバム的な超然とした感じがして、Wilcoのこの時期の、ソングライティング的にも非常に充実していた部分が認められる。
オブスキュアなノイズめいたシンセが多く流れ、淡い音響処理された音が多く出入りする中で、アコギの音とドラム(あとボーカル)は比較的音がハッキリしており、これらがあるかないかで楽曲中の浮遊感を相当にコントロールしている。一回歌がひと回し終わった後のドラムが抜けての2回目の歌い回し中の、そこで風か霊のように連なるシンセの音などは、この曲の光景を非常に荒涼としたものにしている。3回目の歌い出し前にはコード感すら無くなりひたすらにSE的に虚しげな風のような音が抜けていく。
最後の歌いまわしにおいて、最後のキメのメロディ付近にはオールディーズな感触の管楽器等が配置される。短いセクションだけれども、このアルバム中でも最も“アメリカーナ”的な、“古き良きアメリカ”的な風景が幻視される場面であり、この後のより荒涼とした展開により、そんな“古き良きアメリカ”がとうに消え去ってしまった、といった感覚を嫌が応にもう抱かせる。
最後の展開、それはつぶやくようなボーカルが終わった後に、それまではゆったりと流れていた荒涼としたノイズが、急にその旋回速度を上げ、非常に破壊的・攻撃的な響きに転化していく。それは、タイトルが歌われた後の歌詞も含めて、非常に何らかの破綻・混沌・滅亡を感じさせる。この曲におけるノイズは、これまでの曲のような可愛らしいお化けのような質感は全くなく、空虚に空間を埋めるか、もしくは最後にこのように凶暴に牙を剝く。その激しく破壊的な音の飛び交う様は、仮に歴史上に911という出来事が起こらなかったとしても「戦争」の二文字を嫌でも感じてしまうだろう。まして、実際にあのような歴史の流れとなった中でリリースされてしまえば、これはやはり、結果的に予言めいたアレンジとなってしまった*1。
そんな最後のノイズの中で、輪郭のぼやけたキーボードで次曲『Heavy Metal Drummer』のオブリのメロディが奏でられるのは、少しだけホッとするところ。
Jay Bennettについて
ちなみに例のこのアルバムのドキュメンタリー映画では、この曲の終わりと次の曲の始まりを元々クロスフェードさせる予定だったのをJeffが取りやめる場面でJeffと、製作当時のWilcoのメンバーであるJay Bennettとの仲違いが始まっていくように構成されている。Jayはこのアルバム制作において演奏者としてだけでなく、コンポーザー*2及び当初はアルバム全体のミキシングも担当しており、その中でJeffと意見の相違が出てきて、そしてJim O'Rourkeの招集で溝が致命的になったらしい。映画の内容をネタバレしすぎるのも良くないのだろうけれど、彼の脱退時のJeffの辛辣らコメントは非常に印象に残っている。
このアルバムの完成を前にWilcoを脱退したJayのその後の活動については、少しばかりの演奏シーンが件の映画で描かれている*3。その後、5枚のアルバムをリリースし、2009年に亡くなった。それらはどうやら各種サブスクリプションサービスでも聴けるようである。いくつかを聴くと、『Yankee Hotel Foxtrot』やそれより前のWilcoのサウンドや曲を思い起こすことが多いことに気づく。それは当然で、リードギタリストに留まらずマルチ・インストゥルメンタリストである彼の資質が彼がWilcoに加入以降の『Being There』『Summerteeth』*4そして本作においてどれほど重要な役割を負っていたかということを、彼のソロを聴くことで何となく理解できる。具体的に言えば、彼の音楽はこれより後のWilcoと比べるとアメリカーナ的でグッドサウンド寄り。彼がWilcoに残っていればどうなっていたのか、もっと実験的じゃない方向でバンドが推移したのか、そもそもバンドが存続したのか、このアルバムがこんな形で世に出ただろうか、等々色々考える。
彼の名誉にかけて言えば、このアルバムにおける多くの実験的なサウンドの演奏が(Jeffの意向だったのかどうか知らないが)彼により成されたことも映画には描かれていたと思う。この『Yankee Hotel Foxtrot』というはっきり言ってロック史有数の名盤が作られたことについては、Jeffの才能やJimのミックス(あくまでもプロデュースではない)の功績は多く語られるけれども、Jayの存在というのを、決して忘れてはいけない。事実、彼がいなくなった後のWilcoは時折実験的過ぎたり*5、時折オールドロック過ぎたり*6、するきらいがあり、世間的に評価の上でもまた個人的にも、『Yankee Hotel Foxtrot』を超えるWilcoのアルバムは出ていない*7。このアルバムは、JeffとJayのバランスが最も良い時期とその破綻とを経て、Jim O'Rourkeの招集等も踏まえて、様々な偶然が奇跡的に重なって生まれたアルバムなんだと思う。
映画でも描かれるような発売時のレーベルとのトラブルや、リリース後の911以降の展開等も含めて、このアルバムは何重にも奇跡や偶然や皮肉やその他いろんな意味・重みが発生してしまっている。世間での歴史的事案による評価のされ方も含めて、私はこのアルバムこそ最も「神様に愛された」ロックアルバムなんだと思ったりする。思ったりしてるんです。
open.spotify.com Jay Benettは何故か2004年にアルバムを二枚出していて、そのうちの一枚であるこれなんかは、何曲かに『Yankee Hotel Foxtrot』の残り香のようなものを感じる。これを聴いても、やはり『YHF』はJayも「いた」アルバムなんだなあと強く思う。
歌詞
キャッシュマシーンは青色・緑色。
20ドル札を1束、それに若干の手数料。
3ドルと63セントで買えたのはダイエットコカコーラと煙草一箱。
誰も気に留めやしないのに、なんで詩人たちに耳を傾けるんだろう。
無残に熱にやられて哀れなこの機械は、自分に運が向けばと思ってる。
ぼくの数えきれない嘘は総て、いつだって望みなんだ。
そう、まっさらに戻れるならぼくは死んでもいい。
鼻が利くような人生を送りたい。
爽やかな風も明るい空も、ぼくが苦しみのたうつのを楽しんでる。
何も言えなくなったぼくは、鍵の無い鍵穴みたいだ。
明日の話をしても、そのとおりになったことなどあるか。
ぼくの数えきれない嘘は総て、いつだって望みなんだ。
そう、まっさらに戻れるならぼくは死んでもいい。
ドアのベルが鳴るたび、ぼくは跪いている。
自分が歌ってる時などは、歯痛みたいに震えている。
ぼくの数えきれない嘘は総て、単なる望みなんだ。
そう、まっさらに戻れるならぼくは死んでもいい。
敬礼しよう。
灰になったアメリカ国旗と、買い物袋一杯に溜まった落葉に。
翻訳してはじめて分かったけど、この曲はアルバム中ではじめて「you」に言及しない曲だった。これは歌い手個人の、とても皮肉の利いた信仰告白だった。最後、音が静かになってからの一節にはなんとも言えない情緒が漂う。第1センテンスの資本主義に対する皮肉っぽい部分はこのアルバム的ではあるけれども、それ以上にJeffの神経質で自虐的な言葉が目立つのが訳してて分かった。彼はこの曲でもしかしたら、資本主義大国であるアメリカという国自体を自分自身ごと“自虐”しているのかな、とか思った。
ソングライティング上のメロディの収束点になる「I know I would die〜」周辺の部分の歌詞が、本当に強いなと思う。Jeffの祈りなんだろうなと。
最後の、荒涼とした景色に取り残されたように歌う箇所の複雑なセンチメンタルさには、聴くたびに何らかの身震いを感じる。感動と言うにはあまりに寂寥感に満ちてて、郷愁とかともまるで違う、けれどもなぜか清々しく、下手すれば万能感さえ覚えてしまいそうなこの感じ、なんて言葉にしたらいいんだろうな。
楽曲単位総評
『War On War』からこの曲までにかけての3曲は、本当にリリース時の世界状況と重なりが良過ぎてしまった。それはこれらの曲の“純粋な楽曲のみの”評価を殆ど不可能にしてしまった。仮にそんなことをしたとしてそんな評価に何の意味があるんだろう、と思ってしまう私のような人間は、きっと研究者にも評論家にもなれないな。
今作でもトップクラスに美しい曲であり、かつ、同じく非常に美しい前曲『Jesus, etc.』とは美しさのベクトルが全然違っている。前曲がクラシカルでナチュラルで優美な曲であれば、こちらは徹底的にエフェクティブで、前衛的で、フランティックで破壊的で、なのに、優しくもリリカルで美しい。
個人的には、どんな状況で・どんな場所でこの曲を聴いても、この曲を聴いているときはこの曲の景色になる、そんな気がする。普通なら、現実に見ている景色に聴いてる曲の感じが寄り添うことが多いと思うけれども、この曲を聴いてるときは、この曲の音が引き起こす世界に現実の光景が強く引き寄せられ、色付けられ、意味付けられてしまう。そのようにこの曲に“作用されてしまった”風景というのはいつも、必要以上に荒涼としていて、不吉で、不安で、なのに何故か、どこか清々しい。黄昏を吸引する際の劇薬的なスパイスとして、この曲みたいな働きをする曲を他に知らないなと思う今日この頃。
この動画のバージョンだと、ダンディで美しいアウトロのセッション部が設けられている。名ギタリストNels Clineが非常に彼らしい神経質的にパッキパキで美麗なソロを披露している。ライブだとこっちで聴くのも良さそう。アルバム的には断然スタジオ音源バージョンのカオスさが大事だと思うけども。
*1:まあアメリカという国が滅んだわけではないので「合衆国旗の灰」が直接イメージする滅亡とはなってはいないのだけれども。
*2:このアルバム収録の大半の曲がJeffとJayの共作としてクレジットされている。作曲者がJeffのみクレジットされているのは『I Am Trying〜』『Heavy Metal Drummer』『Reservations』の三曲。
*3:Wilcoの楽曲である『My Darling』をライブで歌っている場面が取り上げられている
*4:アルバム『Summerteeth』においてもJeffとJayの共作曲が大多数を占めていて、こちらはJeff単独の作曲は『Via Chicago』『When You Wake Up Feeling Old』の2曲。これらの共作曲の多さだけを取っても、Jayの存在が当時のWilcoの、そもそものソングライティングという根幹のレベルから非常に重要であったことが伺える。
*5:アルバム『A Ghost is Born』とか。
*6:アルバム『Sky Blue Sky』とか。
*7:ただ、こんな化物級のアルバムをまた作れとアーティストにいうのも非常に酷な話だと思う。『Pet Sounds』を作った後にそれを超えるのを作れって言えるか(この場合は本当に『Smile』を作ろうとしたけど)とか、『Loveless』の後にそれとか、『Voodoo』の後にそれとか。歴史にしっかりと残ってしまうレベルの神業的名盤というのは、本当に様々な状況や偶然が重なって、奇跡的に生まれ出るものだと思う。ので、そういうのをあまり気軽にアーティストに求めてはいけないと、いちリスナーとして私は自分には言い聞かせてるつもり。個人的には、これらの並びに連ねてもいいかもしれない大名盤だと思う『Halcyon Digest』の後でもまだそれに並びそうな作品を出せてるDeerhunter辺りは何気にすごいことしてると思う。