ブンゲイブ・ケイオンガクブ

本を読まない文芸部員と楽器を練習しない軽音楽部員のような感じのブログ。適当な創作・レビュー等々。

雨に唄えばソング集(全50曲・前半)

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 今年の年末年始は結局全然雨降りませんでしたね。

 古くは『雨に唄えば』から始まっていく、「雨」がタイトルや歌詞に出てくる楽曲を50曲集めて列挙していく記事です。集めてて思ったのが、「雨」をテーマにした楽曲が必ずしも「雨の日に聴きたい曲」かどうかはよく分からないということです。

 あと、「雨」という同じテーマを扱うにしても、扱い方によって雨は「生活の障害」にもなるし「苦痛の表現」にも、もしくは「ちょっと可愛いもの」にも、場合によっては「救いの雨」みたいな表現にもなったりするわけで、色々あるなあと思いました。ので、これらの雨の扱い方を強引に「キュート」「クール」「パッション」のどれかに当て嵌める試みもしてみます。デレマスは二次創作でしか知りません。

 50曲あるので今回の記事は量が多いです。多すぎて書いててしんどくなったんで前半と後半に分けることにしました。あと登場順は時代が古いものから降順です。それぞれ西暦何年のリリースかを付記しておきます。また、今回は最後に掲載するSpotifyのプレイリストを前提に選曲したので、サブスク解禁されてないため泣く泣くリストから外した曲とかあります。大瀧詠一の『雨のウェンズデイ』とか。それでも、超王道から「こんなんもあったんやね」まで50曲なんとか集めました。

 あと、選曲をしてて思いましたけど、雨って生活で常に出てくるわけじゃないから、雨が歌に出てこない人は本当に全然出てこないな…と思いました。そもそも生活模様じゃなくて比喩とか象徴とかのように出てくる「雨」も色々あるんですけども。

 

1. Singin' In The Rain(雨に唄えば) (1929年?1952年?)

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 まずは何を置いても雨ソング界のゴッドファーザーたる(?)この曲。楽曲自体は1929年から存在しているけれど、1952年の同名のミュージカル映画にて、上記動画にあるジーン・ケリーの名演によって、この曲は永遠の命を得ることになりました。この、昔のアメリカのエンターテイメントさ全開の名シーン。後に『時計仕掛けのオレンジ』の悪意満点のパロディをはじめとして多くのオマージュがこの曲に捧げられて、日本の楽曲でもこの曲名をもじったものが、素直なものから『雨に撃たえば…!disk2』みたいな訳分からんのまで込みで大量にあるし。

 思うに、「雨」という日常にありふれた、かつ陰鬱として嫌らしい感じがするものを、童心全開で明るく楽しく表現することの、価値観が逆転した感じがとても痛快で楽しいのかもしれません。雨をキュートに表現しきった、雨業界の永遠のオールディーズにして金字塔。

 

2. Rain / The Beatles(1966年)

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 この曲も正直「ビートルズの隠れた名曲」として有名になりすぎてる気がしてしまう…。カバーもめっちゃ多いし。アルバムでいうと『Revolver』の頃の、下手すると『Revolver』のどの曲よりも威風堂々とした格好よさがある曲。ひたすらいなたいギターとナチュラルにサイケデリック感のある楽曲、反復するベースライン、そして何よりひたすらフィルがバタバタ入りまくるドラムが本当にいつ聴いても最高にいいです。さすが叩いた本人曰く「ベストプレイ」。

 「皆雨降ったら嫌がるけど別に平気やん?」みたいなジョン・レノンの歌詞は、発想自体はよく考えると『雨に唄えば』と似たところだけど、その立ち位置の高さ、少し冷笑混じりの佇まいはこの時期のちょっと前から複雑に捻くれ始めた当時の彼ららしいクールさ。中期ビートルズでも最もソリッドでロックでかつポップな名曲です。

 

3. Rainy Day In June / The Kinks(1966年)

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 偶然にも上のビートルズと同じ年にリリースされたこっちはキンクスの中でも割とマイナー気味な楽曲かと思うけど、その楽曲全体のナーバスさが『Rain』と好対照を成す曲で実にキンクス、というかレイ・デイヴィス臭い感じ。彼らもこの曲の収録アルバム『Face To Face』からいよいよ典型的捻くれ英国人バンドとしてポテンシャルが発揮されてきます。

 歌詞がもう、身も蓋もなくうんざりしてて最高。歌い出しからひどい。

じめじめした影がその翼を広げ 大地をみんな覆い尽くしてしまう

そして太陽が見えなくなってから 雨が滴り落ちてくる

全ての光は消え去って 暗闇の向こうに追いやられる

何の希望も無いし不条理すぎる この6月の雨の日ってのは

この後の度重なる比喩表現がいちいち大袈裟で笑えるので、お時間があるときにどこかのサイトが掲載してる翻訳を読んでみてほしいです。なぜ「雨が嫌で憂鬱」ということにそんなにおもしろワードを費やすのか、そのパッション込みでよく聴くとしみじみと面白い曲です。

 

4. Here Comes The Rain / Jan & Dean(1967年)

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 雨を「可愛い、楽しいもの」として描くということは『雨に唄えば』以降のアメリカの伝統の一側面なのかもしれません。ここから何曲か、雨をテーマにした可愛らしい楽曲が出てきます。60年代後半〜70年代初め頃に多く出てきた「ソフトロック」というジャンル(に後世の人たちから名付けられた?)の方々は、晴れも雨も多く歌にしています。同時代のロックがサイケとかドラッグとかのせいでドロドロした感じのことを歌ってるのが嫌だったんでしょうか。もしくは、当たり障りのない天気の話でもしとくか、みたいな。

 ジャン&ディーンは元々サーフロックユニットでしたが、同じくサーフロックの代表者ビーチ・ボーイズが『Pet Sounds』以降ソフトロックに接近してからは、彼らもそっちに傾倒し、何故なのか雨をコンセプトにしたアルバム『Save For A Rainy Day』というアルバムを作り上げます、が、方向転換しすぎたからか、発売が見送られ、ごく少数のみが流通したという話。「男はワイルドでサーフィンだぜ!」みたいなことしてた流れから突然こんなキュートな作品作っても「えっ…?」って感じだったんですかね。今ではちゃんと再販され、ソフトロックファンのおもちゃのひとつ。

 

5. Think Of Rain / Margo Guryan(1968年)

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 この人とかまさに「後から形成された」ソフトロック概念のど真ん中のような人。とりわけキュートさに満ち溢れてるこの曲とか聴くと「渋谷系」という単語が浮かんでしまいます。ソフトロック系の雨の歌は全部キュート扱いでいいような。

 この人自体は音楽学校で学んでたときに聴いた『Pet Sounds』に衝撃を受けてポップ・ミュージックに入り、アルバムを1枚だけ残してその後は音楽業界から距離を置いたようです。でも90年代以降再評価されて、それで2000年前後からまた音楽活動を再開したり、といった様子。その辺りにリリースされたデモ集がまた素晴らしくて、どうしてアルバム1枚だけで…って言いたくなるほど。何ならSpotifyの人気1位がそのデモ集の中の最もニール・ヤング的に荒んだ曲だったりします。この人が当時音楽続けてたら女性SSWの歴史が変わっていたかどうか…。ともかく今デモ集が聴けて幸せです。

 

6. Raindrops Keep Falling On My Head / B.J. Thomas(1969年)

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 これまた、下手すると『雨に唄えば』と同じかそれ以上クラスに「聴いたことない人はいないのでは…」クラスの楽曲。日本でもCMとかで色んなバージョンが流れ続けてます。ソフトロックの枠を超えてアメリカンポップの歴史の最重要人物、バート・バカラックの作った曲の中でも、これがもしかしたら一番有名なんでしょうか。自分は女性ボーカルのバージョンばっか聴いてたので、大元が男性ボーカルだったのは今更知りました。

 これもまた1969年の西部劇『明日に向かって撃て!』の挿入歌として世に出て有名になった曲*1。カントリーチックな渋みのあるボーカルで歌われるにも関わらず、それでもメロディの可愛さが余裕で勝ってしまうことに、バカラックキュートさのセンスの極みのようなものを感じます。

 

7. どしゃぶりの雨の中で / 和田アキ子(1969年)

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 ソフトロックからの流れをぶった斬る、日本が誇るソウルシンガー、アッコ姐さんの出世作がこの曲。っていうか今回改めて1969年というリリース日を見て驚いた。やっぱすげえ芸能生活長いんすね。。

 和田アキ子の歌は本当に凄い、凄いよなあ…と思わせるに余裕すぎる楽曲。楽曲自体はマイナー調の歌謡曲だけど、そんな古臭さとかをブッちぎる声のソウルフルさ。むしろこの歌謡曲的なジメッとした雰囲気でより声が凄みを増してるというか。日本的なソウルフルさの表現としてこの人の声は凄すぎるなと、パッションの値が振り切れてるなと、この1曲だけでもそう思います。演奏もめっちゃ渋くて聴きどころある(ハイハットがめっちゃかっこいい…)。のちにやっぱり渋谷系(というか小西康陽)に「発見」されるのも当然の素晴らしさ。その小西さん編集の『フリー・ソウル 和田アキ子』はそんな和田アキ子の凄味を手っ取り早く摂取できる名盤だと思います。

 っていうかこの曲、以前弊ブログでやった「昭和の名曲ベスト10」という記事で選曲するの普通に忘れてたな…。

 

8. Have You Ever Seen The Rain / Creedence Clearwater Revival(1970年)

www.youtube.com何やこの2018年に投稿されたオフィシャルの動画…?めっちゃ音いい。

 これもめっちゃ雨界隈での定番っぽい楽曲。ただ、調べるとこの曲の歌詞の「雨」はナパーム弾の暗喩で、当時泥沼の最中だったベトナム戦争の地獄のような倦怠感を歌ってる曲、ということになってるらしく、こんなに軽々しく取り上げたら怒る人もいるのかもしれません。

 でもまあそういう考え方は尊重されるべきとして、それはそれとして今回の企画に沿ったライトな目線でこの曲を見てると、The Bandの『The Weight』の次くらいに典型的な“落ち着いたアメリカンロック”な感じを見せながらも、人生における辛さの象徴みたいな感じの「雨」について問いかけてくるような曲に聞こえます。淡々とした演奏から浮きだしたソウルフルなボーカルの強さが、タイトルのリフレインをタフに響かせてる感じ、このタフさはパッションというよりもクールさなのかも。こんなサザンロック王道ないでたちをしながらメンバー全員カリフォルニア出身らしく、5人中4人がカナダ人なThe Bandといい、サザンロック概念とは…?って不思議になるところが変な歴史してて面白いです。

 

9. Come Wind Come Rain / Vashti Bunyan(1970年)

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 イギリス人のヴァシュティ・バニヤンも上のアメリカ人のマーゴ・ガーヤンと似たような流れで再評価された人物で、そもそも唯一の作品だった1970年のアルバム『Just Another Diamond Day』はたった数100枚しかプレスされなかったとか。それがまた2000年ごろに急にカルトな人気が出て、それでこちらはカムバックからさらに新作リリースまでしてるから、人生いろいろだなあと思います。

 やはり渋谷系とかの中でソフトロックとかの文脈で再評価された部分もある人ですが、この人の場合「古き良きポップソング」的な良さというよりもっと素朴な、田舎の村々に代々伝わる地域の、本当の“フォークソング”を集めて歌にしたような感触がします。すごくナチュラルに郷愁を直撃する感じ。この曲も、いつの時代か分からない御伽噺の世界で、風が吹いたり雨が降ったり雪が降ったりな中を旅する、ただそれだけの光景がとても切なく感じられる、そんな、本人からすれば本当にささやかな程度なのかもなパッションが、不思議と胸の内でしっとり広がっていく感じのそれです。

 

10. The Rain Song / Led Zeppelin(1973年)

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 これはタイトルが直球。ハードロックバンドと世間的に思われてるレッド・ツェペリンがたまに出すしっとりした曲の中でもとりわけ名曲とされるもののひとつ。というか最早フォーク大好きなジミー・ペイジの趣味全開で、ペイジのソロじゃねえの?みたいな感じが特にドラム出てこない前半は印象強いです。

 変則チューニングのギターによるコードの不思議な響きやストリングス風のメロトロンの奏でる優雅な雰囲気がとても澄み渡っていて幻想的・幻惑的で、歌が入ってない箇所の方がより優雅に聴こえる気さえします。原作アルバムの曲順的にも、インスト部が超かっこよくて歌が入ると展開がグダる1曲目といいその次のこれといい、歌よりも音の響き優先!って感じのこの辺の展開はいびつで、それはそれで好きです。ジミー・ペイジの響きの構築に対するパッションがドバドバ出てる感じが静かに強烈な楽曲。

 

11. 恋は桃色 / 細野晴臣(1973年)

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 ついに曲名から「雨」の要素が消えた…。歌詞に出てくる「雨」にしても用法がトリッキーなこの曲を取り上げたのは、そのトリッキーさでこの企画を「雨の要素があればなんでもありなんだ…」と思わせるためです。

 おそらく誰もこの曲を「雨の歌」と思っていないことを気にしなければ、当然の大名曲。当時の日本の実力派演奏陣による和製The Bandないなたいロックに、はっぴいえんどの残り香がするしっとりとポップな楽曲、そして細野さん自身によるノスタルジックさとファンタジックさを自在に行き来する歌詞とそして自身によるさっぱりした歌唱。名曲に名演、という感じですが、雨要素の使われ方も実に雰囲気がある。

おまえの中で 雨が降れば 僕は傘を閉じて 濡れて行けるかな

雨の香り この黴のくさみ 空はねずみ色 恋は桃色

見方によってはエロくも見えるけど、エロ表現にしてもちょっと特殊な奥行きが出過ぎてて変というか面白いというか、不思議な表現だと思います。このとぼけたような直球でもあるような、そもそも歌の中の空間が少しねじれてしまってるような感じは、細野さんならではのクールさなんだと思います。でも、「恋は桃色」って言い切ってしまうあたりは本人的にもちょっと恥ずかしそうで、そういう意味ではキュートっぽさもある曲です。

 

12. See The Sky About To Rain / Neil Young(1974年)

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 この曲は本当の本当の本当に大好きです。今回のこの記事を書く理由の7割は別の理由ですが、残りのうち2割はこの曲です。ニール・ヤングのメロウ系楽曲でも極北、あまりにも早すぎたスロウコアだと思います。

 そう、これはライブだと大体ニールのピアノ弾き語りで、彼自身がバンドで演奏することってあるのかな。この曲はまたThe Byrdsもニールのスタジオ盤より前にカバーでリリースしてたり、色々不思議な曲ですが、本当に素晴らしいのはこのスタジオ盤。トレモロが美しく掛かったエレピや、タメとフィルの崩しが絶妙に美しいドラム(The Bandのリヴォン・ヘルムによるプレイ!音色も最高)、特に終盤はドラムの切なくもバタついたプレイの上に、スライドギターとニールのハミングがまさに流れていく雲のように漂って、とてもぼんやりした淡く美しい光景が広がってて、世界はなんの意味もなく美しいななんて、この曲を聴き終わると思ってしまったりとか。歌詞も無常観が薄らと充満していて、そのボロボロのパッション具合が、いつになっても自分の中に静かに渦巻き続けているんです。絶対にライブでこの音源どおりに再現されて聴けることが無さそうなことも含めて、とても儚くって美しくて、溜息吐息です。

 

13. 12月の雨 / 荒井由実(1974年)

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 日本の音楽界における荒井由実の、当時の音楽界から隔絶したこの洗練され具合はなんなのか。ずっと分からないです。ウエストコースト系とも言えるしソフトロックとも言えるしそのどちらでも内容でもあるし、なその佇まいは、ひたすらに「天才」だなあと打ちひしがれます。そして「雨」というテーマでも、こんな小洒落たポップスに落とし込んでしまう。徹底的に計算されたキュートさはかえってクールだと思います。

 少し怠惰気味な情景描写の、その怠惰も含めた鮮やかさからそっと終わった恋の話に持って行くところのこの「小市民の恋はこんな感じ」という、その本人がどこまでその光景を信じ切れているのか、という部分からは全く切り離された物語の構築されっぷりに、その計算能力の非凡な高さが伺われます。「雨音に気づいて遅く起きた朝」という計算され尽くした気だるさの表現の静かな凄み。そしてティン・パン・アレーの演奏陣は本当に鉄壁ないなたさ。山下達郎のアレンジしたコーラスも込みで、曲自体は可愛らしいのに本当に鉄壁なポップスって感じで凄い(語彙力…)。

 

14. Right As Rain / The Band(1977年)

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 今までこの記事でも度々出てきたThe Bandも遂に終わりの時が来て(主にロビー・ロバートソンのせいで)、ラスト・ワルツなんていう「解散ライブ」をブチ上げられて、有終の美を強引に飾られそうになったのに、なのに契約の都合でもう1枚作る羽目になってるのが、なんとも不思議な状況。そんな最終アルバム『Idlands』にその前の『Northern Cross-Southern Lights』の研ぎ澄まされきった楽曲やサウンドは流石に無くて、でもあの超絶名盤をものにした時の残り香だけがひたすらある、という、不思議だけどでも嫌いになれないアルバムです。

 その冒頭を飾るこの曲の、高性能ポップスとして研ぎ澄まされきったジェントルな佇まいがひたすらThe Band的な泥臭さから遠ざかってるのが象徴するものは多くて、聴いてて少しセンチになりすぎるきらいがあるけれど、でも同時にThe Bandが奇跡的に今でいうシティポップみたいなことをやってたという訳でもあり、シンセに彩られたその中でレヴォン・ヘルムのドラムは本当にささやかで良い音とリズムがあって、「貴方と一緒なら痛みなんて無くなる。青色のように本当だし、雨のように完全だよ」というロビー・ロバートソンの最後までクールで完璧なソングライティングがあって、この良いとか悪いとかとは違う次元で意識がフワフワしてしまう感じ、これが人生だよなって思います。

 

15. 雨上がりの夜空に / RCサクセション(1980年)

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 日本の雨ソングの代表作はいくつかあると思いますけど、その中でもとりわけ典型的にロックなこの曲は、正直典型的すぎてギットギトなRCサクセションのロック感が最も分かりやすくかつロマンチックでポップに表出した、美しい瞬間だと思います。今となっては旧時代的になってしまった「車体=女性」みたいな描写もご愛嬌というか遺物的な立ち位置というか。

 この曲がただの平板なロックンロールにならずにロマンチックっぽく成立してるのは間違いなくBメロの存在によるもので、ここに凝縮されたちょっとした切ない煌びやかさが、「雨に降られてトラブってるタフなオレ」みたいな典型的なロックと雨の関係性みたいなものをいい具合に浄化してる気がします。そんなBメロに支えられて伸び伸びと表出する清志郎パッションは、今の時代では余計な言葉ばっかりなはずなのに、そういうのを横に置いて盛り上がりたくなる何かがある気がします。

 

16. Purple Rain / Prince(1984年)

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 今回のリストの中でも上の曲と並んでロックの臭み全開なこの曲。アルバム『Purple Rain』自体がプリンスによるハードロックのパロディの面があると思いますが、その中でもこの曲はそれを一切恥ずかしがらずに真正面からやり切ったものかと。この全開にロック化されたR&Bのパッツンパッツンでゴテゴテな感じのなかで、ひたすらパフォーマーとしてのプリンスの無敵具合が伝わってきます。

 歌詞に出てくる「紫の雨」にどういう意味が込められてるのかは正直映画も見てないで歌詞翻訳だけ読んでもよく分からないのですが、「救いの雨」みたいな感覚なのかなと、「紫の雨の中で君と僕、子どもみたいなひたむきな愛を取り戻そう」的なものなのかなあと思うと、元の企画が映画であったことも含め、これもまた『雨に唄えば』の影響下の作品なのかもなあ、と思うと、この得体の知れない「紫の雨」という概念が急にキュートに思えてくるので不思議なものです。何故「紫」なのかは依然としてよく分かりませんけど。

 

17. Rain Dog / Tom Waits(1985年)

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 上のプリンスのような輝かしい「雨」があって、そしてまたこのひたすら埃臭い、トム・ウェイツのような「雨」もある訳です。しみったれきったシアトリカルさがサウンドからも歌詞からもトムの嗄れまくったボーカルからも感じられて、でもそのしみったれ具合に自己憐憫の感じは希薄で、むしろ力強い確信をもってひたすらにしみったれてるからこそ、この曲やそれが収録されたこのアルバムがずっと名盤として扱われ続けているんだと思います。

 何もかもが微妙にチューニングがズレてるような感覚というか、そもそも世界というものは実験室の中の無菌のフラスコではなく、街角にはゴミは散らばってるし雨は汚い泥や淀みを時に作るし、排水溝は詰まって溢れたりする。人生は時にその辺の濡れた犬と同じようにクソみたいだけど、だから価値が無いとかむしろ価値があるとか、そんな話はどうでもいいくらいに、人生は続けていかないといけない、そんなしみったれが人生の根底にあるとすれば、その一端をサラリと晒すこの曲のくすみきったクールさはむしろ鮮やかなように映る訳です。

 

18. Red Rain / Peter Gabriel(1986年)

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 「紫の雨」に「赤い雨」と、80年代は雨に着色するのが目立ちます。でも、ピーター・ガブリエルがそのソロキャリアをカルトではなくもっと壮大なスケールで取り組み始めたアルバム『So』の冒頭を飾るこの曲の壮大さは、その気負いに相応しい、80年代的なメカニカルなロックサウンドと泥臭く人間的なボーカルとが相対する、ピリピリした気合を感じまくる楽曲です。

 「赤い雨」と聞くと血の雨、みたいな凄惨なイメージがパッと浮かぶものの、それはこの曲の歌詞の中で否定されていて(「人々はこの雨は身体を刺すと言った。でも地面には血の跡は無いし、痛みの跡も見られない。赤いものは何も無いし、雨も降ってない」)、じゃあ一体「赤い雨」って何なのさ、というところが思いっきりリスナーの想像力にブン投げられてるところが大味で、かえって壮大さと並び立つ自由さを感じさせます。そのよく分からないけどなんか頼もしいパッションに抱かれて、なんか視線が高い方に向いちゃう感じが心地よいです。

 

19. Why Does The Rain / The Weather Prophets(1987年)

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 The Weater Prophetsというインディギターポップバンドはかつてのクリエイション・レコーズのギターポップとしての本丸だったはずだし、それがセールスとして不発に終わってバンドも早々に解体してしまったことは「音楽性どおりに平和で理想郷的でジャングリーなギターポップシーンなんて存在しなかったのかなあ」と後世から思わせる要因のひとつになってる気がします。ちょっと気の利いたギターポップが多数収録されたこのバンドのファーストアルバム『Mayflower』はそんな儚いギターポップシーンのことを思うことをよそに置いても、爽やかで牧歌的なムードが満ちた好盤です。

 その先頭に収められたこの曲は、バンドがその前身のThe Loftというバンドの時代からずっと演奏し続けてきたナンバー。飛び抜けて神憑った名曲!という感じには思えないけど、この普段着でその辺を歩いてるのと変わらないノリでさらっと演奏する佇まいにギターポップの理想形を見る人が多いことは、何となく頷けるところがある気がします。雨について歌ってるように思えないほどブライトで落ち着いた雰囲気が、素朴さについて考えさせられます。上に書いたヴァシュティ・バニヤンの素朴さとはまた違った性質の素朴さ、そのささやかな意固地さがまた、パッションめいているかもしれません。

 

20. Happy When It Rains / The Jesus And Marry Chain(1987年)

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 歴史的存在となったアルバム『Phychocandy』からギターノイズを剥がし、彼らの音楽性から光と陰の部分「だけ」を奇跡的に的確に抽出して示すことのできた『Darklands』というアルバムは彼らの最高傑作だと思います。ここにはその後の開き直りパワーポップ(それもまた良いんだけども)には見られないナイーヴさと、それと裏表の関係にある不思議な無敵さ、天使のような何かが残っていてます。

 「雨が降ってると幸せなんだ」というこの曲もまた、『Phychocandy』の楽曲をそのまま使いまわした中々のクソイントロからは嘘のような流麗でかつ不思議とアップリフティングなポップソングに仕上がっていて、彼ら流の高揚感の湧き出し方の最もいい手法がとても効果的に用いられていて、終盤のタイトル連呼の晴れ晴れとした感じはインディーロックが遂に手にした『雨に唄えば』という風情に満ちてます。この圧倒的に高らかでキュートで切なくもタフなキャッチーさ。どうして彼らはすごく簡単な楽曲と演奏でこんな名曲をものにしてしまえるのか不思議で、そういうせこい意味でもずっと憧れてます。

 

21. Pictures Of You / The Cure(1989年)

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 「雨の中で天使みたいな君、そしてそれを永遠に失う僕」という構図はある種の少年性にとっての典型的な泣き所のひとつだと思いますけど、それを抑圧の隙間から流麗なロマンチックさが弾け飛んでくる楽曲と「写真」というガジェットを用いてややクレイジー気味に綴ったキュアーのこの曲は、やっぱりいつ聴いてもそのナイーヴすぎるパッションの響きが強くって、その陶酔的なテクスチャーの危うさの中にずっといたいような気持ちになります。その意味では7分や8分のロングバージョンこそがこの曲は至高。というか前にもこの曲取り上げたことがある気がするので音についてはあまり語ることがないです。。

 

22. Rainmaker / Sparklehorse(1995年)

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 「雨男が来るぜ!」とグズグズのギターロックの中で繰り返し歌う、この今はもうこの世にいない男性SSWの既に十分にどこか痛ましい感じの姿は、でもその痛ましさこそが清々しさなんだっていう逆説的な開放感も同時に溢れています。同じローファイでもPavementのように強かでタフではない、その神経ボロボロさが逆にファニーでキュートなんだ、それこそが本当にピュアってことなんだ、っていうのを体現していたように思われる彼の素質が端的にポップに表出した一例なのかなと。

 繊細さと粗雑さの綱渡りをキリキリ続けてきた彼のキャリアは、ある種のダラけた「安寧」に繋がる類のタフさを拒絶し続けてきたということだと思う。その誠実な自棄っぱちさがとりわけポップに出たこの曲の快活な雨男っぷりは、ローファイという文化が残すことのできた価値観の端的な部分を担ってるのかもしれません。

 

23. Paranoid Android / Radiohead(1997年)

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 上記のスパークルホースを自身のライブの前座に抜擢したのがレディオヘッドでした。そしてこの曲。これもまた「雨の日の歌」みたいなのとはかけ離れた「雨ソング」ではあります。

 鬱屈とした、自分が人間なのかアンドロイドなのかも危うくなった精神の揺れがそのままダイレクトにプログレッシブで攻撃的なサウンドに直結していく楽曲ですが、その起承転結の「転」の部分の神々しいセクションにて繰り返し歌われる「雨が降る」というのは、聖書のノアの箱舟的な設定と思われ、それは破滅と救いを峻別する存在でもあり、じゃあ翻ってこの歌の主人公は…となると最後の展開で察せられてしまう。そんな徹底した構築っぷりが、この曲を異形の「雨ソング」に仕立て上げています。でもそんな終末装置であるところの雨はただひたすら感情もなく、絶え間なくクールに流れ続けるだけなんだろうな…と思うと、ひたすら毒々しさを詰め込み倒したこの曲において、雨の存在は救いなんだろうかどうなんだろうか…とか切りの無さそうなことを考え始めそうになります。

 

24. Miss Misery / Elliott Smith(1998年)

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 エリオット・スミスの曲ってその多くが「雨の中か雨の降りそうな場面で憂鬱を感じてる」みたいな雰囲気があるように思います。少なくとも雨の中で踊るようなタイプじゃない。それでこの曲では歌い出し「ジョニーウォーカーの赤を飲んで1日をやり過ごそう。毒で汚染された雨を排水溝に流そう、さもないと良くないことを考えそうだ」と散々。やっぱりこの曲も純粋な「雨の日ソング」ではありません。というかウイスキー飲んで排水溝に流す「毒で汚染された雨」ってただの自分のゲロじゃ…。そう考えるとこの曲を他の可愛らしい雨の曲とかと並べたのは失敗だったかもしれません。その辺のことはそれこそクールに流して読んでいただきたい。

 

25. Raining In Darling / Bonnie "Prince" Billy(1998年)

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 カントリー音楽の側から人生の闇を覗き込んだ、ジャケットどおりみたいなアルバムの『I See A Darkness』はアメリカインディーの仙人のようなところのある彼の代表作ですが、この曲はその最後に収録された短く、ささやかな楽曲。「愛する貴方の中の雨降り」という意味深なタイトルだけど、今歌詞を読んだら「もう雨は降らないよ、楽しくなる所に行くよ、そして貴方が僕を愛してくれてることを知ってるよ」と、アルバムの最後に愛を高々と歌い上げる曲だった。というか、これも「雨の日の曲」とかと違うなあという感じ。でも「雨」が持つネガティブさが強調されて、この上記のラインを最後に歌い上げてアルバムは終わるので、最後に闇を抜け出すことを誓って終わるという、美しい流れになっています、なっていたんですね。今歌詞を読んで初めて知りました。この以外にも力強いパッションの発露で締められるアルバムだったという事実に、今になってやや動揺している始末です。

 

 

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 50曲はやっぱ長すぎるし、動画ばっかり貼って記事自体が重くなりそうなのでここで一回切ります。続きは近日中に投稿できるよう頑張ります。年初めからこんなんですいません。

 

*1:思うに七尾旅人は『雨に唄えば』とこの曲の映画のタイトルとを意図的に混同して『雨に撃たえば』なんて題を思いついたのかも。