ブンゲイブ・ケイオンガクブ

本を読まない文芸部員と楽器を練習しない軽音楽部員のような感じのブログ。適当な創作・レビュー等々。

スピッツの“夏”にまつわる曲【15曲】

 前の記事で「やらないけど」と書いていたはずのものを早速書いてしまうという。あれはきっとフェイントだったんだと思います。

 ということで、前回の記事で『夏の魔物』だけ取り上げたものの、スピッツの夏の名曲・佳曲はそれだけに尽きないどころかもっと沢山あるので、この機会にそれらのうち目ぼしいかなと思った15曲を、今回ばかりは前置きとかも短めににしてササっと見ていこうという記事です。

 

 前回の記事はこちら。

ystmokzk.hatenablog.jp

 

 

 弊ブログのこういう企画では毎度のことですが、出てくる曲目のネタバレをしたくない人は目次を飛ばして読んでください。ネタバレになるような目次を置くな…?それはそうかも…。

 

 

前書き

 サクッと短めに書き上げるつもりなのに前書きは書くという。

 

 

スピッツの夏の曲の特徴

 少なくとも言えることとして、スピッツに「楽しいサマーパーティー」みたいな曲はないな、というのがあります。そもそもスピッツにパーティーめいた、「きみとぼく」以外の範囲の人間が複数出てくるような歌詞の歌が相当に限られるように思います。三角関係とかすら滅多にないのでは。

 なので、スピッツの歌における“夏”というものも基本、「きみとぼく」の関係性の物語の中に、季節・舞台設定だったり、あるいは何かの象徴としてだったりで出てくることになります。

 あと、夏といえば海、ということになりますが、スピッツにおいては「海で楽しいサマー」的な曲もなかなかレアです。というかスピッツは全時期通して海の曲も季節を問わず多数ありますが、「砂浜できみと過ごす時間」みたいな曲はやっぱレアな気がします。というか草野マサムネという人、特に中期くらいから気がつくと歌の主人公がなんか魚になる展開が妙に多いです。ただ、魚が出てくる=海が出てくる、は基本成立しますけど、魚=海=夏とはなかなかならないのがスピッツのややこしくも奥深いように思えるところ。

 

くり返す波の声 冷たい陽とさまよう

ふるえる肩を抱いて どこにも戻らない

 

       『魚』(from『99ep』)より一部引用

 

ただ、別に海は夏にしか存在しないもんじゃないし、他の季節の海もそれぞれ風情があっていいもんだし、そもそも魚になったらどの季節も海で過ごすわけだし。

 とはいえ今回のリストの最後の曲は、割と夏と断定できない歌詞な気もするけどもでも魚要素で夏としてしまってるきらいはあります。

 

ある種の危うさ・超常性・サイケデリアとしての“夏”

 特に何処かの時点までのこのバンドが大いに得意としていたのがこの部分。シューゲイザーにインスパイアされたサウンドも相まって、不思議な幻想性を曲に呼び込んでくると共に、しかしその幻想的な音の中で繰り広げられる物語が妙にエグいことが多いのもこの辺の曲の特徴。彼らの夏が舞台の曲で起こるのはサマーパーティーではなく、中絶だとか心中だとか。まあ、とある2曲の存在のせいな気もします。

 

無垢さ・甘美さ・眩しさの象徴としての“夏”

 ある程度の時期以降増えてくるのがこっちサイドの夏の取り扱いでしょうか。まあ、十分にキャリアを築きセールスも上げ人口に膾炙したバンドがいつまでも「中絶と心中の夏」みたいなのを歌うわけにもいかないので…。

 しかし、日本人の多くが漠然と抱く「濁りなく美しい夏の光景」のイメージを的確にくすぐることもこのバンドの得意とするところで、別に歌の物語の舞台が夏じゃなくても、「何か尊くて切なくて美しいもの」としてサッと差し出される“夏”の威力にこのバンドは定評があります。

 

魚の泳ぐ季節としての“夏”

 上記『魚』はまあ秋冬の寒い海の曲かな、と思いますが、しかし他のスピッツの魚ソングには夏っぽいフレッシュさの漂う海に魚を泳がせる場面も多々あります。もしかして多くのスピッツの魚ソングは大雑把に夏判定してもいいのか…?とも考えましたが、ここまで夏判定を結構シビアにやってきた手前、なるべく夏っぽい単語を歌詞から探し出しているつもりではあります*1

 …いや、でも『美しい鰭』は本当に夏ソングかあ〜?まあいいか。

 

今回“夏”として採用していない単語・その他

 「かげろう」とか「夕立」とか「入道雲」とかも夏の季語かもしれない単語なので、この辺の単語の曲を加えればもっとリストの曲目を増やせるような気がします。

 あと、明確に歌詞に「夏」という語が出てくるのに今回リストに入れなかった曲としては『マーメイド』『春夏ロケット』『ババロア』などがあります。他にも見落としがあるかも。

 

 

本編

 年代順です。せっかくこの記事書くために作ったので最後プレイリストも置いときましょう。

 

 

1. 夏の魔物(1991年 1st『スピッツ』)

 前の記事でも取り上げたけども、はっきりと「夏」に関して歌った曲は、スピッツのちゃんと流通してる音源になっている中ではこれが初。『花鳥風月+』に収められたインディーズの頃のミニアルバム『ヒバリのこころ』にも明確に夏だと言い切ってる曲はない。「かげろう」は夏の季語みたいなものでは…?と言われればこの限りじゃないけど…。

 前の記事でも書いたので重複することを書いても仕方がないけど、どことなくヌメっとした卑下が歌詞を占めるところの多いファーストアルバムの中でもとりわけ乾いた情景描写をしているこの曲は、むしろ情緒としては涼しげなくらい。そもそも歌詞も、曲タイトルの語以外については、確かに夏っぽいとも取れる内容もあることにはあるけども、でもはっきりと夏が舞台だと言い切れる要素はそんなにないように思う。

 そこに、それまでの少しハネ気味な疾走感をリズムチェンジで殺してまでうねるメロディの中で出てくる「夏の魔物」なる、よく考えると意味不明なこの言葉のみによって、むしろこの曲の歌詞中の様々な光景が一気に“夏”に染められていく感じがある。そしてこの「夏の魔物」を巡る剣呑な言葉を読んでいくと、やっぱり何か、この歌の中の「きみとぼく」は何かとんでもないことをしてしまったようにしか思えなくなる。

 

殺してしまえばいいとも思ったけれど 君に似た

夏の魔物に 会いたかった

 

この2回目のサビのフレーズに「中絶」を見出してしまうと、途端にその前提となる、おそらく年端もゆかぬ二人の「セックス」が浮かび上がり、そして歌詞の様々な情景描写に「夏」に加えて「セックス」のイメージも遡って附されていく。この不可逆的なイメージの塗り替えによって、何か平凡なようで凄惨な青春の一幕の歌は完成する。この凄惨さを思うと、この曲が他の歌よりもだらしなくなく、端正に歌われていることにも何か合点がいくような気もする。

 そのような鮮烈で凄惨な物語をカバーするに、小島真由美はもう完璧。原曲とカバーと明暗つけ難いその完成度は、カバーを聴いた人にこの原曲の良さに振り向かせる機会を与えてくれる。カバーを聴くと、原曲は終わらせ方があっさりし過ぎていてそこだけ勿体無いかもなあ、なんて気もしてくる。

 

 

2. プール(1991年 2nd『名前をつけてやる』)

 1曲目が『夏の魔物』で2曲目が『プール』なんてえげつねえ、とは思うも、年代順にすると自然とそうなってしまう。仕方がない。初期スピッツは基本壮絶なんだ。

 とはいえ、この曲は別に中絶も心中も無い。シューゲイザーに影響されたエコーの効いて輪郭のぼやけたギターサウンドがたゆたう中を、少し気怠げな歌が穏やかだけどポップなメロディを紡いでいく。大ヒット以降の目線からすれば、少し地味だけど可愛らしい曲に映るかもしれない。最後のAメロ前の、リズムが抜けてぼんやりしたセクションだけ不安を覚えるかもだけど。

 でも、この曲は『夏の魔物』みたいな後半にではなく、冒頭からまるでとんちのような、そして気がついてしまうとやはり不可逆的なイメージの染め上げを要求するようなフレーズが耳に飛び込んでくる。

 

君に会えた 夏蜘蛛になった

ねっころがって くるくるにからまってふざけた

風のように 少しだけ揺れながら

 

2段目を添えてあるのは1段目だけで分からなかったかもなときの「補足」「保険」「ヒント」めいたものかもしれない。「蜘蛛=手足が8つ」というところから「二人が身体を重ねた時の手足の本数」の連想をすることが誰しも可能というわけでもないだろうとぬかりない。つまるところ、この曲は冒頭から「君に会えた 身体を重ねる関係になった」と歌っているので、やっぱりセックスの風味が静かに強烈な曲だと言える。

 冒頭でこのように分かる人には分かるように状況を設定しているので、それより後の歌詞は一気に「夏」と「セックス」のフィルターを通して見ていくことになる。そうなってしまえば、何もかもが性的な意味合いやメタファーを含んでいるように見えて、どうしようもなくなるだろう。

 

街の隅のドブ川にあった 壊れそうな笹舟に乗って流れた

霧のように かすかに消えながら

 

孤りを忘れた世界に 白い花 降りやまず

でこぼこ野原を 静かに日は照らす

 

初期スピッツに限っては夏が「純真さ」の象徴なんて違うやろ、という感じ。もうエッロエロやん。「白い花 降りやまず」ってどういうことなん、っていう。しかし、露骨にエロ単語を使うのとは全く違ったこの感覚は、人によってはムッツリスケベ的に感じられもするだろうし、人によってはまさにこういうことを「文学的」と呼ぶんじゃなかろうか。そして、こういったことを踏まえて、言葉もなく声を伸ばしてギターのサイケな反響とともに漂うセクションは、一体どういうことなのか。これは流石に、聴き手にかなり委ねられている。野暮なことはここで書かない。

 この曲をミツメがカバーしてるといつか聴いて、ああ、ミツメもエロいもんなあ、と単純に思ったりした。それにしても選曲完璧だと思う。次のスピッツトリビュート盤が出ることがあるならば、絶対にミツメの『プール』は収録してほしい。

 

 

3. 波のり(1992年 3rd『惑星のかけら』)

 上二つのセックスの美しい昇華としての“夏”と比べると、この曲の“夏”の取扱はもっとずっとチープでしょうもない。

 「夏=サーフィン」みたいなベタな夏のことを歌ってるスピッツの曲は実は相当少ない、というかこれだけでは。多分「サーフポップ」的なテーマをもとに曲やアレンジ・歌詞を作ったんだと思うけども、その安易さが逆にキャリア通じて大変レアなものになってしまうのはスピッツ的な逆転現象かもしれない。「ビキニ」なんて語が出てくるスピッツの曲もこの曲くらいじゃないか。この作詞者はもっと不健全な衣服への執着を見せるので*2

 なお、この曲は歌詞にはっきりと「夏」という語は出てこない。でも流石に夏の曲だろこれは。サーフィンにビキニなんだから。それにしても、楽しいな愉快だな、みたいな珍しい内容を、実に気怠げに、つまらなさそうに歌うミスマッチがユーモラス。

 ちなみに同時期のシングルカップリング曲で『マーメイド』があり、こっちはサビの歌詞ではっきりと「サマービーチ・お魚・白い雲」という歌詞があり、はっきりと夏してるといえばしてる。それにしても、このサビの「お魚」というのはまさか、この歌の中でお世話になったっぽい「ミス・マーメイド」のことを言ってるのか…?魚扱いはなかなかに失礼な。

 

 

4. 夏が終わる(1993年 4th『Crispy!』)

 シティポップ華やかなりし昨今においては相対的に評価もグッと上がるであろう、なかなか巧みにBreezeな感覚を取り入れた、なおかつ、スピッツ的なぼんやりした感覚はしっかりと備わったままであるという、何気に名曲。もしかして『裸のままで』じゃなくてこっちをシングルにしてたらもっとすぐに大ヒットしてたりして。そんななってたら歴史大きく変わってただろうなあ想像もつかないが。

 涼しげなギターのカッティングとボンゴ、そしてそこからホーンとストリングスがスッと入っていく手際は収録アルバム的なポップアレンジを適度に上品に纏っている。こういうのが野暮ったく感じられる時代もあったろうに、すっかり時代は1周したもので、その辺のインディバンドがギターをチョコチョコとカッティングさせてこの曲のカバーをしててもおかしくない雰囲気はあるとは思う。ホーンとかストリングスはコーラスで頑張ってフォローすればいい。

 タイトルの黄昏た情緒。「もう変態じみた妄想歌詞は書きません」みたいな意思表示っぽくも感じられなくもなくて、実際最初のラインは、スピッツ的な比喩の感覚をより大人っぽく用いていて上々だと思う。

 

遠くまで うろこ雲 続く

彼はもう 涼しげな えり元を すりぬける

 

まあでも、続くラインで「あっやっぱこいつらスピッツじゃん」となるのは、実に可愛らしくも清々しいフェティッシュっぷり。

 

日に焼けた 鎖骨から こぼれた そのパワーで

変わらずにいられると 信じてた

 

言ってることは分かるけども、文字にするとすげえアホっぽくて実に良い。当時の書き手自身も「アホっぽい」と思って書いてたのかなあやっぱ。

 正直、シティポップの時代にもっと再評価とか注目とかされるかと思ってたけどそこまで誰かが強力に推してる感じもしなかった。なんなら一番推してるのはまるでこの曲を昇華させたみたいな『美しい鰭』を作った本人たちかもしれないまである。

 

 

5. 青い車(1994年 5th『空の飛び方』)

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 皆大好き『青い車』。“性と死”とか言って演ってた頃のスピッツが好きな人でこの曲好きじゃない人とか滅多にいないだろう、というかこの曲が好きだからこそ“性と死”サイドのこのバンドの魅力に“飛び降り”てしまうもんだろう。

 そういえばこの曲は弊ブログでやってた*3スピッツの全アルバムレビューの中でもこの曲単体で記事書いたりしてたなあ。

 

ystmokzk.hatenablog.jp

 

 言わずと知れた「心中疾走曲」で、ギターポップレベルに希釈したシューゲイザーな感覚の中で、歌詞冒頭から非常に穏やかじゃないことが発生してしまっている。

 

冷えた僕の手が君の首すじに 噛みついてはじけた朝

永遠に続くような 掟に飽きたら

シャツを着替えて出かけよう

 

絞殺!そう思うと、シャツを着替える理由も、なんか吐瀉物とかかかって汚れたんやろなあ、としか思えなくなるのが笑えるし笑えない。この最初のAメロ、問題発言しかないのでは。

 というかこの曲の歌詞、メタファーに満ちた文面の少し奥を覗くと、大体問題発言しかしてないなって思わされる。よく読むと、何か強烈な事柄によってイメージが染められるような情景描写もこの曲には少ない。

 

君の青い車で海へ行こう おいてきた何かを見に行こう

もう何も恐れないよ

そして輪廻の果てへ飛び降りよう

終わりなき夢に落ちて行こう 今変わっていくよ

 

なんだこの踏ん切りの良さ。ちょっとくらい恐れろ。変わるっていうか終わるんだよ。この曲が鮮やかな疾走感があることが余計にこの辺の怖さに繋がってるのが笑える。

 この曲の数少ない情景描写があるミドルエイトにて、サラッとこの曲が夏の出来事だと明かされる。

 

潮のにおいがしみこんだ 真夏の風を吸い込めば

心の落書きも踊り出すかもね

 

ここだけブレイクして、冒頭からの疾走感がフッと消えるのもまた、急に我に返ったかのような感覚がするような気もするし、でも心の落書きがどうのこうのと言い出して、やっぱりダメか…という具合に演奏はまた爽やかな疾走感を取り戻す。曲や演奏が素晴らしければ素晴らしいほど、歌詞の“決意”が揺るぎないものになるような感じがして、なんともシニカルな感覚に陥る。

 この曲を「スピッツの夏のドライブの定番曲」と呼んでしまうことへの、えっ本当にいいのかそんなこと言って…?感は格別なもの。でも実際海辺を車で快走してる時とかにこの曲が流れてくると爽やかで実に良い。歌詞のことは考えてはいけない。もしくは心中じゃないルートの解釈こそが、この曲の健全な運用に必要なのかもしれない。あともしかしたら、リリース当時からしばらくとかは、「輪廻の果てへ飛び降りよう」という言い回しがナンパとかで使えてたりしたんだろうか。いや流石に…。

 それにしてもスピッツの2大狂った夏曲『夏の魔物』と『青い車』がどちらも駆けていくようなテンポの曲だというのは、偶然にしてもちょっと面白い。

 

 

6. サンシャイン(1994年 5th『空の飛び方』)

 『夏が終わる』をよりシリアスに、かつ冬の装いに改良したような楽曲とも考えられる。うん、流石にこの曲は冬の曲でしょう。「白い道」とか「寒い都会」とか言ってるし、サウンドもコード感も夏の感じよりももう少し冷たい質感でしょうこれは。この曲を「サマーソング」だとは流石の筆者も認識してはいない。

 でも今回の記事はあくまで「“夏”にまつわる曲」なので、たとえ冬の曲であろうとその中で“夏”が印象的に登場していればそれでOKなんだ。この点でいくと、この曲はまさに「冬の光景の中に可憐な“夏”が鮮烈に現れる楽曲」なので完璧だ。他の箇所の歌詞も恐ろしいほど精緻で緊張感に満ちた名作だけど、サビの歌詞を読む。

 

サンシャイン 白い道はどこまでも 続くよ

サンシャイン 寒い都会に降りても

変わらず夏の花のままでいて

 

 夏に咲く花の名前を列挙。ヒマワリ、ユリ、アサガオクレマチス、キキョウ、スイレン、ポピー、ブーゲンビリア、ハイビスカス、サルビアetc。ともかく色々あるけど別になんでもいい。

 「変わらず夏の花のままでいて」という、遠回しであるが故に切実な思い。そしてそれは同時に相手に対し「いつまでもあの時の美しいままでいなさいね」と指示する、身勝手で理不尽で、まるで呪いのようなものにもなる。正直、収録アルバム『空の飛び方』の全体的な雰囲気はもっとファニー寄りなものだった気がするけども、ラスト前の『青い車』とラストのこの曲で一気にシリアスさが息苦しいレベルまで上昇するのは大きな特徴と言える。

 それにしても、”夏の花”という象徴的な言葉に何が託されているんだろう。このフレーズは後年の他のアーティストの曲でも印象的に出てくることがある。

 

真夏に咲いた花は枯れて あの日繋いだ手は解けて

誰かが言った 僕の所為だって 全てを変えた

 

        『望みの彼方』GRAPEVINEより一部引用

 

夏に咲く あの花は腐った

変わらないって 僕も笑った けれど

こんな気持ちは何て云えるの? 何て哀しい眼をしてるの

硝子の向こう 手を伸ばした だけど届きもしなかった

 

        『リグレット』ART-SCHOOLより一部引用

 

夏の花、枯れたり腐ったりしてばっかじゃん…。両方ともこうやって並べるとまるでスピッツへの返歌みたいな感じがするけど、逆に、「変わらず夏の花のままで」いるということの困難さ、おそらく不可能な具合、その程度が分かるというもの。そうか、無理なお願いをしているからこそ、この歌のボーカルはキャリア中でもとりわけ切実に透き通っているのか。

 

 

7. 涙がキラリ☆(1995年 6th『ハチミツ』)

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 夏ソングの枠に限らず、スピッツのシングルを順番に聴いていくと、この曲で一気に何かのシリアスさが消え失せることにどうしても気づいてしまう。『ロビンソン』の作者本人さえ予想していなかった大ヒットの後で「こうすればまた売れるかな」を狙って書いた、それで中ヒットくらいになった、という曲で、その「消え失せ方」に関してはかつて大ヒットを目論んで壮大にスベった『裸のままで』よりもある意味大きい。作者からすれば『ロビンソン』の「宇宙の風になる」というのもひょっとしたら『青い車』の「輪廻の果てへ飛び降りよう」と同じことなのかもしれないが、多くの人たちはそうは考えず、もっとずっとスピリチュアルでロマンチックなもののように捉えただろう。そのような反応を経て、そのように反応してくれた人たちへのお礼として、ユーモラスな優しさとロマンチックさだけを自身から取り出そうとしたこの曲のことを、筆者はまあ憎めないのだけれども。

 …などという筆者のお気持ちはともかく、これまでの夏ソングの壮絶さとかを横に置いて考えてみると、この曲で描かれる“夏”は割と現実的にチャーミングでいじらしいやつになっている。

 

浴衣の袖のあたりから 漂う夏の景色

浮かんで消えるガイコツが 鳴らすよ恋のリズム

映し出された思い出は みな幻に変わってくのに

何も知らないこの惑星は 世界をのせて まわっているよ

 

Bメロで相変わらずの色即是空な感覚っぷりをどうにか挿入して世界の切なさをさりげなく歌いながらも、だからこそ恋人の浴衣姿の可憐さが、まるでそれ自体がその夏の美しさの全てになっていくかのように眩く輝く。うん?色即是空、だからこそ、お祭りとかで浴衣とか着て一緒に歩く、そういった瞬間の積み重ねが尊い、というのは、実は案外当たり前のことじゃないか。

 この曲はサウンド的にもザ・中庸!って感じで、良くも悪くも安定感に満ちている。しかし今回改めて聴き返して、その安定感にまるで逆らうかのように、最後のサビで急に暴れ回るベースの存在に気づいた。一筋縄じゃいかないぞ、という気概を感じる、と言うべきか、「一筋縄じゃいかない」と言えるくらいには普通になった、と言うべきか。

 

 

8. 渚(1996年 7th『インディゴ地平線』)

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 実はこの曲、歌詞をよく読むと、どこにも「夏」という語は入っていないし、この歌の季節が夏だと断言できる要素も見つからない。別にその気になれば春でも秋でも冬でも行けそうな気がする。しかし、じゃあ世間が、多くのファンが、この曲を夏の曲じゃないと扱っているか。いや、むしろこの曲こそスピッツの夏の曲の頂点だろ、と。正直それに筆者も全く同意なので、この曲は歌詞で夏と確定できないけども、夏である。筆者がダブルスタンダードじゃないかという謗りは甘んじて受けることにする。この曲が夏じゃないなんて言えるはずもないんだから

 弾けるようなギターのクランチトーンの響き、陽光の反射めいたアルペジオ、大海原を思わせるような変則的なリズムパターンとその中を時にリード楽器のように自在に泳ぐベース。この曲全体が普通の8ビートから大きく逸脱していることもあり、どこか非日常的な、しかも何か柔らかな世界にいる感じが大きい。アルバムバージョンだとこれに冒頭からのシーケンサーのパターンも加わってまたこれも海岸の感じがして、これらが寄り集まって「夏以外の季節の曲です」とは言わせないくらいの雰囲気となっている。こういう音だからこそ、明確に夏と言わない歌詞からも、不思議で曖昧な単語の並びの間から夏が香ってくる。

 

風のような歌 届けたいよ

野生の残り火抱いて 素足で走れば

柔らかい日々が波の音に染まる 幻よ 醒めないで

 

素足で海岸沿いを走るのも、柔らかい日々が波の音に染まるのも、まあ夏の光景だよなあって音とともに思わせてくる。それにしても「柔らかい日々が波の音に染まる」っていうフレーズの穏やかな眩しさ・美しさ。かつて眩しさと残酷さの入り混じった夏を描いてたバンドが、本気に夏の綺麗な部分だけを抽出してきたかのような静かな凄みがある。と同時に、キャリア中でも最も多忙を極めていたであろう時期に出てきた単語だと思うと、また別の趣が湧き出してくる。この曲に感じられる幻想的なリゾートの感覚は、なんかそういうことなのかなと。

 なお、1stからここまでスピッツ、アルバムごとに1曲は夏の曲を入れてきてる。これはなかなかに興味深いところ。しかもここまで見てきて分かるとおり、アルバムでもハイライトになるような曲が結構多い。まあ、次の『フェイクファー』で明確に夏してる曲は消えてしまうけども…。あのワンピースなジャケットとか夏っぽい雰囲気に思えなくもないのだけども。

 

 

9. 今(2000年 9th『ハヤブサ』)

 この辺から弊ブログでまだアルバムレビューを書けていない時期に入り、特にこの曲はまさにそんなアルバムの冒頭に置かれた曲なので、ここで色々書くのもなーどうしたもんかなー、とふと思う。

 それにしても短い。2分足らずでAメロ1回とサビ2回、間奏もあった上で2回目のサビは繰り返してるので、内容的にはそこそこやり切ってる感じはあるけども、それ以上に、テンポも割と速いこともあって、爽やかさがあっという間にサラッと駆け抜けていくような感覚になる。そこにスピッツにしては割と普通に鮮やかな夏の光景の歌詞を載せて『今』というタイトルを載せ、「このささやかに眩しい今という瞬間を捕まえるんだ」と暗に示してくる。エレファントカシマシなら直球で『今をつかまえろ』と歌うところをまあスピッツはそうはしない。

 

ありがとう なぜか 夏の花 渚の気まぐれな風を受け

噛み跡 どこに残したい?

 

君と歩く浅瀬 笑って 軽くなでるように

待ちこがれた「今」

 

夏の花!夏の花じゃないか!枯れも腐りもせずにちゃんと生きてるっぽい。この辺のあっけらかんとした雰囲気は収録アルバム『ハヤブサ』の特性を示してるようでもあり、またはアルバム本編の普段よりもグッとハードボイルドな内容に入る前に「いつもの爽やかなスピッツ」を足早にやってる感じもあり。

 

 

10. 遥か(2002年 10th『三日月ロック』)

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 あまりこの曲に夏のイメージを持っていなかったけど、今回のこれを書くにあたり歌詞を色々読み返してたら、そういえばこの曲、冒頭からいきなり“夏”という語が出てくるんだったなあと今更気づいたという。

 

夏の色に憧れてた フツウの毎日

流されたり 逆らったり 続く細い道

君と巡り合って もう一度サナギになった

嘘と本当の狭間で 消えかけた僕が

 

そう冒頭で歌ってることを思うと、なんだかにわかにこの曲が夏の夜めいた雰囲気に感じられないこともない気がしてくる。そもそものところ、『夢じゃない』にしろ『楓』にしろ『流れ星』にしろ『ホタル』にしろ、スピッツのこういうコード感の曲はどれもどことなく「日本の夏の夜」っぽい雰囲気を感じさせる。細く儚い声質がそう思わせるのか。

 この曲の場合、「もう一度サナギになった」とのワードから、主体は成虫の蝶か何かになれずにいた芋虫みたいなもののようだ。それが「君」と出会うことで蛹になって、そしてサビで「すぐに飛べそうな気がした背中」ということで、成虫になれそうな感じになる。スピッツの歌は初期も後期も「君」に出会って変わりすぎ救われすぎだろって思うことは時々あるけどもそれはそれとして、蝶の成虫というのは、日本的なイメージではそんなに短くない残りの寿命を夏の間に使い果たすようなところ*4なので、やはりこの曲は、その時点で夏かどうかはともかくとして、夏を目指してる曲ではあるんだろうなと思う。

 そんな羽が生えて飛び上がるイメージなのに、サビのメロディ自体はむしろ高いところから段々と下降していく形式になっていることの対比が面白い。ゆっくりと墜落していくような、ここの儚さがスマッシュヒットに繋がったりもしたんだろう。

 

 

11. 会いに行くよ(2005年 11th『スーベニア』)

 この曲の夏要素はかなり見落としそうになった。収録アルバムの先頭が『春の歌』だからなのか、どことなくアルバム中に春めいたムードを感じて、この曲もその落ち着いて気品豊かにストリングスが広がっていくサビの感じに、サビのメロディのリズムをどこか和風な感じに崩す様に、なぜか春を感じてた気もする。でもよく読むと、2回目のサビで歌ってるのは「夏への願望」みたいなことだったんだな。

 

会いに行くよ 赤い花咲く真夏の道を 振り向かず

そしていつか 同じ丘で遠い世界を知る

感じてみたい君のとなりで

 

また夏の花!正直近年の夏の死ねるくらいの暑さを思うとあまりそんな道を歩いて会いに行きたくはない気もしてくるけども、でもここにはどこか「穏やかで鮮やかで美しいもの」としての夏のイメージが詰まっている。そしてこの夏フレーズに気づくと、このサビの後に出てくる間奏のエフェクトのよく効いた気流のようなギターフレーズに夏っぽさを見出せるようになるかもしれない。こんなところに夏は咲いていたんだなと。

 

 

12. 漣(2007年 12th『さざなみCD』)

 アルバム『さざなみCD』はそのジャケットからして太陽と海辺で、いかにも「夏のアルバム」みたいな装いをして、収録楽曲もどことなく夏っぽい感じがするものがいくつか含まれている(特に『不思議』とか)けども、しかし歌詞を読むと、明確に“夏”の語が入った歌は実はないっぽい。見落としがあれば失敬だけども。そして、これは確実に夏の季語!みたいな単語も見当たらない*5

 とはいえ、明確に夏なフレーズが見当たらないからといってこのいかにも夏なジャケットと音の雰囲気のある作品に「夏の曲はない」としてしまうのも忍びない。なので歌詞を読んだ感じ、一番夏っぽい雰囲気のあるこのタイトル曲にした。盛り上がること前提の穏やかなアルペジオで始まり、そして非常に晴れやかに疾走するサビに結びついていくこの曲の、言葉としてどの辺が割と夏っぽいか。「さざなみ」というタイトルの時点で海っぽいことは間違いないけども。

 

毎度くり返しては すぐに忘れて

砂利蹴飛ばして走る 古いスニーカーで

なぜ鳥に生まれずに 俺はここにいる?

 

歌い出しの箇所。砂利というのは砂ではなくてもう少し大きな、庭園とかに敷き詰めてある石とかあのくらいのサイズ感を言うらしいので、少なくとも舞台が砂浜じゃないっぽいのはむしろ夏っぽさを減じさせるか…まあ砂浜じゃなく砂利っぽい海岸も結構あるけども。それにしても鳥のくだりはスピッツの歌詞らしい「知らねえよそんなの…」なテイストに満ちている。

 

湿った南風が 語り始める ミクロから夜空へ 心も開く

ため息長く吐いて 答えはひとつ

 

湿った南風」!うんどことなく夏っぽい。やはりこの曲は夏の曲という想定でいいんだろう。安心して海山超えて君に会いに行きましょう。

 

 

13. ヒビスクス(2016年 15th『醒めない』)

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 アルバム2枚分くらい明確に夏な感じの楽曲がなくて、ようやく2016年のアルバムで出てくるけども、この曲もまたはっきりと夏というワードが出てくる訳じゃない。でも夏の季語たるあるものが出てくるから、まあ夏でしょう。

 アルバム『醒めない』の中でも『コメット』とこの曲は両方とも、別にシングルじゃないのにシングル並の存在感があり、『コメット』はタイアップがつくし、こっちは上記のとおりPVが作られている。『コメット』は魚になる系統の歌だし、こちらもこちらで人ならざるものになる歌のようで、どちらも一般受けも大いにするであろうアレンジ・メロディの歌ながら、人なのかどうか怪しいところはスピッツ節。そもそも『ヒビスクス』というのはハイビスカスのラテン語読みらしい。この花もまたハワイの州花なのをはじめとして南国のイメージの濃い花だ。南国の花=夏の花=夏の曲…?

 ピアノをメインにシリアストーンで進行する歌が一気にサビで4つ打ちバンドサウンドに切り替わる、そんなこの曲も歌詞に“夏”という単語そのものが入っているわけではないけども、割と決定的に夏の季語めいた語が入ってくる。

 

咲いた揺れながら 黒蜜の味を知った

あの岬まで セミに背中を押され

戻らない 僕はもう戻らない

時巡って違うモンスターに なれるなら

 

夏の季語、それはもちろんセミのことである。セミに背中を押される、というのはスピッツ的なシュールさも感じられるけど、「セミ=夏」と考えると、ここは不思議な焦燥感に襲われてるようにも感じられる。温暖化が進んで秋まで聞こえてくることもあるけども、基本的には日本の夏などにけたたましく鳴きその生を全うしてしまうのがセミの生態であることから、そのような儚いものに背中を押されるというのもよく考えると何か切実なものを感じさせる。そして岬という、3方を海に囲まれた場所。この曲は曲展開もそうだけど歌詞もやたらとドラマチックだ。『醒めない』という優れたアルバムの終盤をこの曲が夏の面で、そして1曲挟んですぐ『雪風』が冬の面で彩る。季節の変わり方が極端だけどもそんなの『青い車』『サンシャイン』の並びでとっくの昔に通り過ぎてきた道だ。

 

 

14. 初夏の日(2019年 16th『見っけ』)

 曲のタイトルからあからさまに夏の歌で、もう何の比喩も季語もなしに直球で夏について思いを巡らせる、というか妄想を巡らせる曲になっている。落ち着いて極端な飛躍もなしに綺麗なメロディと、その中で時の流れの辛さを割と月並に感じさせる歌詞とで綴られた、割と市井の感じに寄り添いまくった感じのある曲だ。

 

いつか 冴え渡る初夏の日

君と二人京都へ 鼻うたをからませて

遠くで はしゃぐ子供の声

朱色の合言葉が 首をくすぐる

 

そんな夢を見てるだけさ 昨日も今日も明日も

時が流れるのは しょうがないな

でも君がくれた力 心にふりかけて

ぬるま湯の外まで 泳ぎつづける

 

本当に「スピッツ的な不思議世界」の感じが少ない普通の妄想の様子のAメロ。若干の不思議ワードも絡めてあるあたり、サニーデイ・サービスの歌詞でも通用しそうだ。そしてサビのどこか力ない感じには、後期になっても妄想の力で動物の姿を借りるなどして高く飛び上がったり深く潜ったりするスピッツ的な溌剌さではなく、もっと月並なしんどさのようなものを感じさせる。草野マサムネも時折こういう普通に人間なんだなあと思わせる言葉を漏らすことがある。

 

 

15. 美しい鰭(2023年 17th『ひみつスタジオ』)

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 ということで今年リリースの最新作『ひみつスタジオ』まで辿り着いた。アルバムレビューを書きたいとも思ったけど生活がしんどいとか色々で実現してない現状、少なくともこのアルバムについて思ったのは『醒めない』以来の名作だなあということ。特に中盤から終わりまでの流れはかなり良くて、最終曲のタイトル回収とひとひねりが「終わりよければまじで全てサイコーに見える」って感じを醸し出してる。前半も結構いいけども、その前半の要がこの先行シングル曲だ。

 タイトルの「鰭」をなかなか「ヒレ」と読めずに「美しい“たら”(鱈)」とか読んではえっ全然そんな風に歌ってるように聴こえない…と不安になったりしたこともあったけども、シティポップ感あるサビで飛び出してくるファルセットの美しさが非常に鮮烈でかつキャッチーな1曲。草野マサムネのファルセットが印象的な曲って『サンシャイン』とか『ロビンソン』とかが思い浮かぶけど、それら以上にファルセットが主役な感じのこの曲は、新しいスピッツクラシックとして存分に存在し続けるだろうなと思える力作。

 珍しくがっつり物語仕立てで作られたPVでも、おそらく海から遠いどこかの小さな町で海を感じさせようとする計らいに小さな感動が滲む作りだけど、そういうのも加味して、歌詞の所々の雰囲気も含めて、まあギリギリ夏の曲って言えないこともないかなというところ。最新作の曲をリストに入れたくて無理してるかもしれないが、でも、露骨に「スピッツの魚系の曲」だって分かるタイトルと歌い出しの歌詞から、少なくとも海の曲であることは間違いない。

 

波音で消されちゃった はっきりと聞かせろって

わざとらしい海原

 

海原に「わざとらしい」とわざわざ付けて“海原”という単語が元から持つ壮大さ・ロマンチックさをあえて削いでくるのが何気に面白い。スピッツ的な複雑な恥じらいの手法だ。拍足らずで強引にメロディを展開させることもどこかコメディめいた間抜けさをこのAメロに与えていて、だからこそサビのファルセットとの対比で活きるんだろう。

 

びっくらこいた展開に よろめく足を踏んばって

冷たい水を一口

 

冷たい水を一口」っていうのは夏判定でいいんじゃないか…?それにしても「びっくらこいた」という間抜けな表現といい、この曲のAメロはほんと鈍臭さを狙った作りになってるなと感じる。全てはサビの流麗さを際立たせるためなんだろう。

 

流れるまんま 流されたら 抗おうか 美しい鰭で

壊れる夜もあったけれど 自分でいられるように

 

絶対的に印象的なファルセットが入るその瞬間に曲タイトルを持ってくる、この曲の作詞作曲者の、珍しく非常に狙い澄ました感じがめっちゃ伝わってくる一幕。その狙い澄まし方に嫌らしさがなく、ファルセットの一点突破の潔い美しさがひたすら印象に残る。

 あと、物語仕立てのPVの、最初の方に出てくるえらい枯れたプールの画がえらく鮮烈でこれも静かにゾッとするような魅力を感じた。こういうところを歩くような夏もあっていいなと思ったけど、それ目的で行っちゃうとただの廃墟巡りか…。

 

 

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あとがき

 以上15曲を取り扱いました。トータルタイムはおよそ1時間。

 今回のこれは、夏の曲特集の記事がやたらと選曲にも書くのにも苦労し、その割にあまり閲覧数とかの反応が芳しくないので、2000年代の選曲等に行き詰まった中で気晴らしに書き始めたものです。その割に妙に時間かかって結局あまりサクッとした内容になっていない気もします。

 今回のリストを作る中で、スピッツの多くの楽曲の中には様々な共通するテーマのようなのが潜んでいて、それで気付いたのが、海というテーマと、そして魚というテーマでもっと話を広げられそうだなあということです。楽曲の『魚』が出て以降、特に『さざなみCD』くらいからなのか、やたら曲の主人公が魚になって泳いだりする場面を見かける気がします。この辺近年のスピッツの歌詞の内容について少しばかり考えを深めようとする際のヒントでありそうだなあと思いました。まあ全アルバムレビューがこっちの方は止まってしまっていますが…どこかで再開したい…。

 前に書いた、このブログで“中期スピッツ”などと勝手に呼んでる時期(『Crispy!』〜『フェイクファー』くらい)のテーマ別のまとめなのか何なのかよく分からない記事はこちら。表現の仕方が特徴的なので、テーマごとに見ていくのにスピッツの曲は向いてるなと思います。今回もよく思いました。

 

ystmokzk.hatenablog.jp

 

 ともかく、夏にまつわるスピッツの楽曲集でした。プレイリストを下に置いておくので、ドライブなり何なりに適宜ご利用いただけるととてもとても嬉しいです。

 それではまた。

 

 

プレイリスト

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*1:思うに、世の中一般は、筆者みたいに神経質に「サマーソング」の定義を定めていないんだと思う。どうして筆者は歌詞に「夏」かそれに類するものが入ることの厳密さをこんなに気にしているのか。もっと「夏のフィーリング」みたいなものを信じないとダメなんじゃないか?と思う今日この頃。

*2:同じアルバム中の『惑星のかけら』や、後の『ラズベリー』など。

*3:現在休止中。こういうの書くと、再開しなければ…という焦燥が身体のどこかでくすぶる。

*4:少し調べてみると、蝶にも越冬する種はあるらしい。アゲハチョウとかモンシロチョウとかそういう日本で馴染みのある種は寿命が短く、本当に短い成虫の期間を夏の間で使い尽くすことはままあるらしい。

*5:まあ、歌詞で明確に夏って定義しない方がその楽曲をオールシーズンで聴きやすくなる気もするから、そのメリットを蹴ってまで楽曲に明確に“夏”を刻むにはそれなりの理由がいるものなのかもしれない。その点ある程度の時期までのスピッツには、それが夏でなければいけない必然性が色々と詰まってた感じもある。