ブンゲイブ・ケイオンガクブ

本を読まない文芸部員と楽器を練習しない軽音楽部員のような感じのブログ。適当な創作・レビュー等々。

『TEENAGE LAST』木下理樹(1999年10月)【リマスター記事】

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 このブログは2016年の9月ぐらいから始まっていますが、それより前にやっていたブログと連続してやっていて、その前のブログから記事をインポートしてきているため、実際は2013年くらいからの記事が載っています。

 しかしながら、インポートで持ってきた記事については、FC2ブログはてなに持ってきた都合からなのか何なのか、レイアウトが色々と壊れてしまっていて、今見ると見辛いな…というのも少なくありません。

 なので、幾つかの記事についてはこうやって”リマスター記事”として、比較的見やすい形式にしてアップし直そうと考えている所存です。*1ついでに多少内容を今のスタイルで整理しなおしたりもしますが。

 

 2019年くらいからずっと実質活動休止中の、日本のオルタナティブロックバンドART-SCHOOL。活動しているかいないかはやっぱり存在感として大きく、このまま活動休止が続いて人たちから忘れられる、もしくはすっかり”過去の音楽”として埋もれてしまうのはファンとして寂しいような、でもそれも時と場合によっては仕方がないのかな、とも思います。

 やっぱり活動再開を願っています。それで今回から何回か、ART-SCHOOL関係の過去のレビュー記事をリマスターしていこうと思います。今回はその活動の原点にあたる、中心人物・木下理樹のソロミニアルバムから始めます*2

 なお、このミニアルバム、おそらく買えないので、ネット上にアップロードされてるのを聴くのがメインの聴き方になります。サブスクもまあ無いようです。

www.nicovideo.jp

 

 

 

概要

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 後にART-SCHOOLの中心人物となる彼は、初めは地元の大阪から東京に移住後、まずは宅録シンガーソングライターとしてその活動をスタートさせます。1999年当時なのでDTMの普及はまだまだ先で、MTR的な機材を駆使してアナログに作ったんだろうと思われます。

 そんな手作り感溢れた、演奏も特別上手でもないむしろ不器用な方かと思える作品の最大の特徴は、SSW作品とは思えないほど初めからバンド志向な楽曲・アレンジになっているところでしょう。アコギやピアノで作曲してそのまま録音もする、というのが伝統的なSSWのスタイルかと思いますが、彼の場合いきなりエレキギターがどう考えてもサウンドのメインにあって、なのでこの作品も初めから、バンドサウンド仕立ての宅録SSW作品として仕上がっている訳です。かなりメタクソに歪み倒したギターの音が特徴的で、それと打ち込みのリズムが相まって、2000年代以降に出てくるThe Jesus and Mary Chain宅録オマージュ勢に先駆けたようなシューゲイザー気味なドリームポップ集になっています

 そして、特に初期ART-SCHOOLまで非常に顕著な、様々な洋楽や小説・映画等からのフレーズの借用という大きな特徴も、この初めの作品から遺憾無く・呵責なく発揮されています。収録楽曲のタイトルは全て他の作品からの引用という、渋谷系みたいな手法を用いていて、高く可愛らしい当時の声質*3も込みで、宅録シューゲイザーをやるFlippers Guitarみたいな感じ*4も。

 言語センスも楽曲スタイルも、ART-SCHOOLに繋がる要素がこの時点で既に出揃っていて*5宅録ならではの拙さが魅力にすり替わる美点もあって、そんな作品を何気に当時21歳でリリースしているので、かなり早熟だったんだということが感じられます。実際、ここに収録された6曲全てが、再演されたり、フレーズをリサイクルされたりといった形で後のART-SCHOOLの作品に何かしら再利用されているので、作者本人的に後から見ても出色の要素を多く含んだ作品だったんだろうと思われます。

 そういえば、それこそおそらくThe Jesus and Mary Chainの同名の楽曲から取られたのであろう今作タイトルは、後にART-SCHOOLの楽曲として登場します。ソロの頃から存在してた楽曲の再録なんだろうと思われますが、ソロバージョンは聴いたことがありません。

 それでも、木下本人により書かれたジャケットのイラストはちょっとすさまじい…。

 

本編

1. GLORIA(2:30)

 曲タイトルの由来は1980年の同名のアメリカ映画からか。作品冒頭からいきなり歌とベースのみの始まり方をするので全然SSW作品という感じがしない。メジャー調のコード進行でポップに軽快に駆け抜けていく爽やかな楽曲。

 高めのBPMで駆動するいかにもな打ち込みのドラムの、チープな単調さがここでは意外と可愛らしい感じに仕上がっている。Bメロのスネア2度打ちのやけっぱち具合が可愛らしい。ギターはドライブ感よりもジャンクなノイジーさの方に振られていて、Phycho Candy的な効果を狙ったチープさが面白い。そして全体的にエコーの掛かったような雰囲気が尚更Phycho Candy的。エコー処理は今作の他の曲でも見られ、今作の大きな特徴となっている。

 ここでの木下理樹のボーカルはえらく幼い質感で、ポップなメロディをプリティに突っ走る。声が重ねられ、又はリバーブが掛けられ、そしてもしかしたらピッチも上げられているかもしれない。この後のことを思うと意外になるくらいこの時期はAメロ→Bメロ→サビの曲構成を用いていて、この曲のサビのメロディは後の『ジェニファー'88』でリサイクルされる。突き抜けていくメロディは爽やかで、ギターポップの風味もスピッツ的な要素も仄かに感じられる。

 歌詞も、ここではちょっと傷ついた風ながらも爽やかな恋の歌めいていて、本作でもとりわけストレートにラブリー。

 

She is my girl 寂しがり屋なんだ 生まれて初めて恋に落ちた

She is my girl 誰よりも可愛い 左腕の傷跡 見惚れた

それは恋だと 誰かが嗤った ぼくはゴミ箱に落ちた

笑って グロリア

 

この時点で既にネガティブなものへのフェティシズムや、スピッツ『バニーガール』めいた「ゴミ箱に落ちた」といったフレーズが散りばめられているのは、後の彼の作風を思うと興味深い。既に原型がしっかりあるということ。

 

2. RASPBERRY(4:13)

 このミニアルバムを聴く理由その1。ジザメリ由来のドリームポップとして純粋に素晴らしい、ノイジーサウンドの中をリリカルさとポップさが美しく交錯する名曲。The Revonettesとかそういうゼロ年代以降のシューゲドリームポップ勢に全く引けをとっていない。

 木下理樹はロックミュージシャンの中でも際立って過去の作品(音楽文学映画その他)からの引用が多い作り手と言われる。彼の引用の特徴として、1960〜1970年代等の洋楽などの、いわゆる「渋谷系」が掘り返しまくった時代よりももうちょっと後の時期(1980〜1990年代辺り)の楽曲からの引用がメインとなっていること、そして時折女性シンガーの楽曲から甘いメロディを引っ張ってくることが挙げられる。ここではBelinda Carlisleの『Heaven is a Place on Earth*6のサビメロを取り入れている。あとBメロも似ている。

 しかし、ただのメロディのパクリで終わらないセンスが既に彼にはあった。それは宅録ならではな大胆なリバーブの掛け方や、甘く潰れきったデッドな轟音や、打ち込みリズムの単調さの不思議な浮遊感、サビ後で現れる今後第一期ART-SCHOOL*7を通じての大きな武器のひとつとなる特徴的な儚げなファルセット、最後のサビ前の「あーあー」と虚脱したような甘い下降メロディのコーラスなどであろうか。

 特に、リバーブが深くかかり、また声質自体が高音になっている*8木下ボーカルはこの音源くらいでしか聴けないところであり、この曲は『Swan Dive』と並んでこの絶妙に少年めいて儚げなボーカルが大変素晴らしい形で活かされたものである。適所でハモリ等も重ねてあり、自身の声の響かせ方にも意識的だったことが分かる。このあどけなさの効いた声と言葉とが、何かが夢見心地の中滅びていくかのようなサウンドと交差して、この曲の不思議な奥行きは形作られる。

 この曲のBメロと「あーあー」のコーラスは後にART-SCHOOL『LOVERS』*9で使い回される。『RASPBERRY』の不安と憧れが混濁するような響きもとても良いが、一転虚無感ばかりが甘く広がっていく『LOVERS』もまた大変素晴らしい。

 それにしても、色々とスピッツに縁がある曲で、タイトルは一般的な名詞なので元ネタは判然としないけど、スピッツにも『ラズベリー』という変態めいた楽曲が存在している。そして、この曲の歌詞の以下の部分もまた、スピッツのある曲を思わせるようなところがある。あどけない恋の感じが滲む中で、世界観の残酷な影を覗かせるフレーズ。

 

焦げた匂いに包まれた世界で

きみがたったひとつ 信じたものは

この街の空に広がっていくみたい

それが本当なら かなしすぎるよ

 

こげた匂いに包まれた 大きなバスで君は行く

許された季節が終わる前に

散らばる思い出を初めから 残さず組み立てたい

 

          『サンシャイン』スピッツ

 

自身の特徴的なマッシュルームヘアも込みで、彼がどれだけスピッツのことを思いながらこの曲などを作ってたか気になるところ。スピッツよりも幼なげな表現をすることでまた違った味わいが生まれていることは特筆したい。マイナーコード始まりの多いコード進行でメロディにマイナー調の感じがしない具合もスピッツ*10。また、『ラズベリー』も『サンシャイン』もアルバム『空の飛び方』収録で、その時期は草野マサムネが「自分の曲は極論セックスか死しか無いんですよ」と公言していた時期。それはそのまま、木下理樹の歌詞の世界観の象徴でもある。影響の途方もない大きさの一端が、こんなところに潜んで密やかに輝いてる。

 

3. RIVER'S EDGE(2:49)

 岡崎京子の名作漫画『リバーズ・エッジ』からなのかなと思われる曲タイトル*11。1曲目と同じくテンポの性急な楽曲で、1曲目よりもやけっぱち気味なパンクさが出てる感じ。

 特にイントロ等で聴かせるパワーコードのギターの、不条理さを狙ったような組み方がどことなくやけっぱち感を醸し出す。この辺は流石にこの宅録サウンドで単調な打ち込みドラムとドシャメシャな歪み方のギターでやるには迫力不足・躍動感不足かなと思う。その少ししょっぱい具合こそがウリなのかもしれない。木下楽曲でお馴染みの間奏のブレイクもかなり唐突に現れて、これは、むしろこの曲の面白いところかもしれない。このパワーコードの組み方はグランジ的には割とある感じだと思うけど、ART-SCHOOLではそういえばこういう不条理気味なのってそんなにないな、と気づいた。

 声については、特にAメロの箇所の怪しく囁くように歌う感じは後のART-SCHOOLの同じような歌い方の原型であり、声質も本来こういう声だなって感じ*12。低く淀んだAメロ→少し浮かんでくるBメロ→突き抜けていくサビメロというメロディの流れは、その組み方自体は理屈に適ってるけど、メロディ自体はこの後どんどん熟成されていく方向性のもの。晴れやかに突き抜けていくサビのメロディは後にART-SCHOOLの『欲望』*13にてリサイクルされるが、元々がウソみたいに陰鬱なバックサウンドとテンポと調に変更されている。

 歌詞は、このあとしばらく引き摺り続ける、「将来の破滅がなんとなく分かってるけど今のこの恋で駆け抜けていく」系のもの。

 

僕らに未来はなくても それでも君に逢えて良かった

さようなら いつまでも 笑ってばかりだった

もう何も欲しくない 眩しいRIVER'S EDGEへ

 

こういう歌詞はおそらく、彼の映画狂いから来る要素なんだろうなと思う。様々な過去の音楽の引用に散りばめられた映画要素に曲タイトルの他からの借用にといった要素で見てると、ART-SCHOOLPizzicato Fiveも変わらんのではないか、という気持ちがどこかで芽生えてくる。

 

4. SWAN DIVE(3:49)

 このミニアルバムを聴く理由その2。この後の「Aメロ→サビ繰り返し」が頻出する傾向からすれば意外なくらい「Aメロ→Bメロ→サビ」の構成をちゃんと取るこのミニアルバムにおいて、例外的にサビらしいサビの登場しない、メインのメロディと短いブリッジとで構成された、ソフトに幻想的な名曲

 正直、この曲構造みたいなシンプルな構成で聴かせる曲はこの後の木下楽曲でも非常に珍しい*14から、「こういうタイプの曲も書けるのか」という彼の隠れ気味な楽曲の幅を示すことにもつながっている。メジャー調のコード進行に乗った甘く牧歌的なメロディの優しは彼のキャリア中でもとりわけドリーミーで、そこから展開するブリッジ部のやや不安定な響きからメインメロディに戻っていくところへ穏やかな回帰など、密かに大変鮮やかな筆致だと思う。

 この小さくて優しい感じの楽曲の雰囲気を壊さないよう、全体的に適度にレトロな感じのリバーブ感にメロディを滲ませるようなアレンジが施されている。冒頭のチープなドラムの素朴さ、そこから穏やかにメロディが広がっていくのは独特のドリームポップ的な眩しさがある。同じフレーズを延々と繰り返しているのはキーボードか。この曲の曖昧な世界観を決定づけている。途切れるタイミングも実に穏やかで的確。同じ曲調で最後まで流れていくので、最後のラララ…のコーラスに至るまで、歌詞と相まって甘くはかない世界をぼんやりとドライブするような、ロードムービー的な感覚を抱かせる。
 歌詞の方は、第一期ARTまでの木下の世界感の中で最も甘美な「二人の逃走」を描いている。この時点でかなり独自の世界感を持った言葉のつながりが実に魅力的。

 

四月の朝に僕らは 車を盗み この街を出た

バックシートに哀しみ積んで 口笛吹いて キスをした

 

神様 もしも僕らが ぶっ壊れたアイロンならば

柔らかな指先で 愛の印をなぞった

スワンダイブのメロディが僕の胸に甦る

 

ロードムービー映画からの着想だろうけど、それをここまで端的に書き出して、不思議な比喩も織り交ぜつつ、あどけなさと、少しの性的な要素も垂らしながら美しい光景を描けるのは、この時点で既に普通じゃないし、むしろ彼のキャリアでも最高峰の映像的描写かもしれない。この後の部分も素晴らしい。

 

ぼやけた水平線へ 子供の頃の愚かさへと

可愛い朝が来るまで 君の唾液に溺れていたい

神様 いつも僕らは やさしさとピストルを求めた

 

柔らかな逃避行の光景の中に、不安も安らぎも懐かしさも曖昧になった情緒が煌めいている。ドリームポップというフォーマットだからこそできる、幻想的なロードムービーの傑作と言っていいであろう楽曲。ハミングしながらフェードアウトしていくのが実に心細くて良い。

 楽曲タイトルは同名のアメリカのポップユニットから。この曲はART-SCHOOLでもアルバム『FLORA』で再演されPVも作られた。そちらは同じ幻想的なアレンジでももっと深い水の底のような、ダークさと光が交差するようなアレンジで、あれもあれで素晴らしい。逆にあれを知った上でこっちを聴くと、このまるで一切闇が無いかのような、暖かな光に包まれたままみたいなアレンジも面白く聞こえる。それらのアレンジの差異はまるで、木下理樹という人間の人生の歩みの刻まれ方の違いのようでもある。

 

5. LIKE A DAYDREAM(4:34)

 今作では最も陰鬱な曲調と破滅的なアレンジの施された、作中で”重さ”を担うタイプの曲。スローなテンポで同じコード進行を延々と反復し、その中に複数のメロディパターンと、荒れ狂ったギターノイズと、それ以上に荒れ狂うサンプリングとが詰め込まれていく。宅録的だなあ、という混沌具合で、ゴチャゴチャした感じがアマチュア的だけど、割と明るげな要素の多い作品の中でいいアクセントになっている。

  延々と続く単調なベースラインに沿って、静のパートでは淡々とボーカルのメロディが響く。そして動のパートでは今作でも特に酷い歪み方をしてコード感も何も無いギターが噴出し、そしてバックでDinosaur Jr.の『Don't』のLow Barlowのシャウトのサンプリングが流れ続ける*15。インディーズだからこその芸当で、何気にこれのせいでサブスク解禁が難しかったりするのかもしれない。特に楽曲の終わり際、演奏が途絶えてノイズの中にサンプリングが響いてくるのは印象的。

 その単調なベースラインの上には、しかし意外なほどにメロディアスな歌が乗る。流石にまだ発展途上の感はあるけども、この時期から同じコードの循環で異なるキャッチーなメロディを引っ張ってくる才能が発揮されている。サビのメロディは少し後に出る『斜陽』*16のサビに、より明確にポップな形で再利用されている。

 歌詞的には、既に「彼女が失う」という木下理樹世界の基本メソッドが登場し、また同時に「光を求める」系の表現が現れ、今作でもいちばんART-SCHOOL歌詞世界の根っこに近い部分が出ているように思われる。

 

彼女は失くしていった 「壊れてもいい」と云った

夢なら捨てたんだ 光 それを求め続けた

 

つまり 術は無いということ

つまり 壊れゆくもの全て

つまり 真心を君だけに注いだ

 

 曲タイトルはシューゲイザーバンド・Rideの同名楽曲からか。爽やかなギターロックとしての性質が強い元ネタと比べた時のこの曲の陰鬱さは、おそらく狙ってやってるところもあるだろうと思った。

 

6. NORTH MARINE DRIVE(4:41)

 今作を聴く理由その3。ドリーミーなリバーブ感の強かった今作の出口として相応しい、それまでと違いまるで現実に還ったかのようなドライな音響で鳴らされる、今作でもとりわけ丁寧に華やかで儚いメロディを重ねた、威風堂々とした名曲。この曲が一番SSW然としてるかも。

 これまでの曖昧な音世界を全曲のノイズでグチャグチャにした後の、ミドルテンポでドライな、生々しい感じのアルペジオとドラムのリムの音が響いて、ソフトに生々しい音でこの曲のドラマチックなメロディが進行していく。それは今作のエンディングとして不思議に感動的な響き方をしてる。どこかの洋画のセリフのSE的引用や演奏の曲弱の付け方など、後のART-SCHOOLに引き継がれる要素も、早速非常に魅力的なレベルで纏まりよく形を成している。

 また、後の楽曲でも何度か使われる「一回目のサビは押さえて二回目以降でエモーショナルに演奏が展開していく」パターン*17が使用され、鈍いチェーンソーの起動音みたいな響きで入ってくるディストーションギターの決して豊かでない音が、やたら素朴で頼もしく聞こえてくる。

 一番感動的な感じになるのは間奏以降。ブレイクからの、これまでのドリーミーな世界観を回想するような静かなサウンドレイヤーの中から、謎の歪み方/響き方でうねる、ギターソロとも名状しがたいギターサウンド的な何かがフェードインしてくる。ワウか何かだと思われるが、この、テクニックを捨てて何らかのエモーショナルな機巧として割り切った演奏は実にドラマチックで、こんな演奏出来たのか…と作者に失礼ながら驚く。そしてそのノイズを維持したまま最後のサビに突入していくところは、この作品の、オルタナティブロックの洗礼を受けた”男の子”の表現手段として本当に最高な瞬間だ。その最大の盛り上がりを経て、最初のアルペジオに戻って、静かに、穏やかに終わっていくところまで、完璧にロマンチックで素晴らしい。

 歌詞も、これまでのどこか夢見心地な「君と僕」の光景から覚めたらこんな感じなのか、というような残酷さがさらりと入った描写で始まる。

 

希望と不安に満たされて

彼女は捨てられた ビニールにくるまれて

小さな灯りが優しい夜

僕等は傷ついた ノースマリンドライブに

 

最初の二行の捉え方によっては、この曲は「彼女の”死体”とドライブしていくロードムービー」ということになる。その設定でもってこの優しくもポップな曲を聴くと、また違った妙味が感じられて、興味深い。

 

ただ 君を見つめていたい 痛みが夜に溶けるまで

神様なんていなくても 僕等は何かを信じてた

君を抱きしめていたい ブルーがグレーに変わるまで

誰かに笑われたっていい それだけを信じていたい

 

もし本当に死体とドライブしてたら、「誰かに笑われる」では済まないだろうけど、その辺の、やっぱり現実なのか何なのかはっきりしない感じは、憧れが幸福であれ残酷であれひたすら展開していく、初期ART-SCHOOLくらいまでの世界観の典型かもしれない。

 曲タイトルは、ネオアコの名盤として、もしかしたら最近はEverything But the Girlよりも伝説化されてしまってる感がある、その片割れBen Wattの1983年の1stソロアルバムのタイトルからの引用。元ネタのネオアコの雰囲気を自分なりに掬い上げた感じがこの曲には確かに宿っている。『North Marine Drive』というテーマに彼はかなり思い入れがあったらしく、ART-SCHOOLのメジャー1stフル『Requiem For Innocence』は元々は『North Marine Drive』と題されていたらしい*18

 また、この曲ものちにART-SCHOOLのアルバム『Hello darkness, my dear friend』で再演されていて、そちらではバンドサウンドによってよりかっちりとした作りになっている。ヴァイオリンまで入ったARTバージョンのゴージャスさも悪くないが、ここで聴ける宅録バージョンの、宅録だからこその心細くなる感じと、そこから飛び出してくる不思議なギターソロの魅力には特別なものがある。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・

終わりに・思うに

 以上6曲、22分37秒の作品でした。リマスターと言いつつ、何度目の描き直しだろうな…。

 ドリーミーに始まり、最後はやけっぱちのノイズを経て穏やかで現実的な質感の歌に辿り着く、という構成は6曲という短い尺の中でもある程度計算されて配置してあるのは間違いなくて、木下理樹がアルバムというフォーマットについて最初からトータル面も含めて様々な拘りを抱いて臨んでいたことがわかる作品になっています。

 確かに日本の宅録作品としては、同じ年の8月に七尾旅人『雨に撃たえば...! disc 2』という様々に壮絶で決定的な作品が(しかもメジャーから)出てしまっている*19ため、そういうのの影に隠れてしまっているところだと思います。インディーからのリリースでずっと入手困難なことや、むしろこの作品よりも後のART-SCHOOLの諸作の方がより鮮烈な印象を残しているため、この作品が歴史に埋もれてしまっている感じがあるのは仕方ないところ。おそらく本人だってこの作品を「永遠に音楽史に残る1枚」みたいな気負いを持って制作してはいないだろうし。

 

 しかし、ART-SCHOOL的な要素とはかなり異なった魅力が様々に詰まった、これはこれで相当良い作品だと思います。特に、なぜか曲順が偶数の曲に良いものが集まっていて、3曲とも三様の魅力を持ち合わせています。ART-SCHOOLのファンでソロを聴いたことがない人は、せめてこの3曲は、聴いておくといいと思います。

 そして、1999年よりもあと何年か後に本格的に始まっていく、Phycho Candyオマージュなジャンクなインディーシューゲイザーの流行に本作が完全に先駆けている点は、かなり不思議なものがあります。確かにジザメリも、一時期は打ち込みのリズムにギターを重ねる形で作品を作っていて、それは宅録でも再現しやすい形式なので、色んな意味で目の付け所がとても良かったのではないかと思います。そして、ジャンクなオマージュに終始せず、様々な憧れからの引用のステッチを重ねて、魅力的な”うた”とあどけなくて美しくも儚げな光景とを幾つも生み出している、当時21歳の才能の素晴らしさには尊敬しかありません。

 ここまでドリームポップに接近した木下理樹の作品は他にあまりなく、敷いてあげるならART-SCHOOL『Hello darkness, my dear friend』になるんだろうと思います。そう思うと、あのアルバムで『NORTH MARINE DRIVE』を再演したことの意味も何となく透けて見えてくる気がします。

 

 以上です。

 『Anesthesia』で止まっているこのブログのART-SCHOOL作品レビューの続きを期待されている方には申し訳ない記事だったかもですが、これから彼らの作品を聴く未来のリスナーの方々が読むのに弱い文章が残ってしまっている感じがあったので、これから時間を見て、ここ数年のこの形式でリマスターしていければと考えています。どこまでこのリマスター記事を書くかは決めてませんが、少なくとも『LOVE / HATE』まではどうにかしたいな…と思っているところです。

 

追記:ART-SCHOOL関連作品リマスター記事の、次の記事です。

ystmokzk.hatenablog.jp

*1:この作品については、あろうことか記事のアルバム名を間違えていたけど…

*2:何度目かのリスポーン。

*3:いくつかの曲ではピッチを弄っているのかも。

*4:実際木下理樹フリッパーズギター等に影響を受けているらしく、インタビューではCornelius小山田圭吾フライングVを使ってるのに憧れてフライングVを使い始めたという経歴がある。

*5:実際にこの後ART-SCHOOLで使いまわされたメロディが多数出てくる。

*6:木下はこの曲を特に気に入っているのか、後のART-SCHOOLの名曲『シャーロット』ではAメロを、また『影』ではサビフレーズをイントロに借用している。この曲のメロディを余すところなく借用した形になっている。

*7:活動開始から日向・大山の2名が脱退するまでの、2000年〜2003年までの時期をファンの間ではよくこう呼ぶ。

*8:やっぱピッチを加工してる?

*9:ミニアルバム『SWAN SONG』収録。名曲。

*10:スピッツのそういう曲で代表的なのは『チェリー』のサビとか。

*11:漫画『リバーズ・エッジ』もそもそも同名の1986年のアメリカ映画からの引用っぽい。木下が漫画からか映画からかそれとも両方意識してこのタイトルを付けたのかはよく分からない。

*12:ピッチを弄っていないのかも。

*13:アルバム『PARADISE LOST』収録。

*14:サビらしいサビのない曲なら幾らかあるけど、この曲のような古典的な楽曲構成となると、ART0-SCHOOL内でも彼以外の作曲者の曲くらいしか見当たらない。

*15:こういう曲で自分ではなく他人に叫ばせるセンスが、方法論的にクズくて結構好感が持てる。

*16:ART-SCHOOL1stミニアルバム『SONIC DEAD KIDS』収録

*17:これが来ると大体名曲な感じある。一番の例は『シャーロット』とか。

*18:同アルバムのライナーノーツに記載あり。この段階でこの曲を再録して収録するつもりだったんだろうか。

*19:そんな作品も廃盤になってしまっているらしいのは世知辛いところ。配信販売はしてるみたいだけど、サブスクに来てほしいけどな…。