ブンゲイブ・ケイオンガクブ

本を読まない文芸部員と楽器を練習しない軽音楽部員のような感じのブログ。適当な創作・レビュー等々。

中期スピッツについて(18のテーマで)

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 このブログではスピッツのアルバムを全部レビューしようと試みてる訳ですが、そのうちの”中期スピッツ”とでもいうべき時期の作品についてようやく書き終わったので、初期スピッツの時と同じように、この”中期スピッツ”なる概念について纏めておきたいと思いますので、それがこの記事です。

 初期スピッツのまとめはこちら。

ystmokzk.hatenablog.jp

 纏め方の方法として、初期の時と同じように、筆者が勝手に決めた18個のテーマに沿って3曲ずつこの時期のスピッツの曲を改めて取り上げて、テーマに沿ってもう一度考えてみよう、ということになります。初期よりも該当する時期の作品数も多く、またその魅力も多面的になって来たためか、初期よりテーマ数が格段に多くなってごちゃついてるのはご愛嬌。

 ちなみに、弊ブログではアルバムでは4th『Crispy!』〜8th『フェイクファー』までの時期、もっと正確にいえばシングル『裸のままで』(1993年7月)〜シングル『流れ星』(1999年4月)までの時期を”中期スピッツ”と定義させていただきます。この定義だと2000年から現代までが後期スピッツって、後期長すぎでしょ…問題が生じますが、それもまたご容赦いただきたいところ。あと、この定義だと1999年1月にリリースされた『99ep』の3曲もよく考えたら中期に含まないといけなくなるけども…。

 

 中期スピッツの弊ブログ各作品レビューは以下のとおりです。

ystmokzk.hatenablog.jp

ystmokzk.hatenablog.jp

ystmokzk.hatenablog.jp

ystmokzk.hatenablog.jp

ystmokzk.hatenablog.jp

ystmokzk.hatenablog.jp

 それでは始めます。各テーマの順番は適当です。歌詞のキーワードで紐づけることが多いので、歌詞解説がどうしても多いのでご了承願います。あと今回はテーマが沢山あるのもあって、同じ楽曲が何回か登場することがあります。あと各テーマのサムネ的な画像はスピッツのPVから引っ張ってきたキャプチャ画像です。

 

 

A:日常の領域

 中期スピッツが初期と異なり国民的大ヒットを飛ばすことができたのは、多くの人たちの日常と同じ地平で物語を書き出すようになったところが結構大きいのかなと思います。このセクションで取り扱う3つのテーマはそんな、土台のナチュラルさを獲得していった中期スピッツの構成要素と思わしきものを見ていきます。

 

 

1. 恋

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 ”恋”という概念をあらゆる手段でもってファンタジックでロマンチックなものに仕立て上げたことが、スピッツが日本を代表するアーティストになれた理由の大きなひとつだろう。この国は特に1990年代以降、昭和的な情念やら泥まみれ具合やらをバッサリ落とした、もっと無菌室的でマンガ的な、純粋に甘くて酸っぱい感じのする恋愛の質感こそを大いに好むようになった気がするけど、その流れにスピッツが上手く乗った、ということなのか、それとも他でもないスピッツもまた、そういう流れを形成していく”オリジネイター”のひとつとカウントすべき存在なのか。

 しかしながら、そこはスピッツ。確かに大ヒットシングル曲では恋をもってラララ宇宙の風となったり「愛してる」の響きだけで強くなれる気がしてみたりしたが、そこは初期スピッツの殺伐とした恋愛観と同じ人物が作ってるところもあり、基本的な理解が案外ネガティブだったりするところが大いにある。

 

 

恋は迷わずに 飲む不幸の薬

恋はささやかな 悪魔への祈り

 

           『恋は夕暮れ』

 

 「恋は〜」から始まる歌詞が連なる一種大喜利状態の『恋は夕暮れ』にて、それこそ草野マサムネが思うところの”恋”の定義が色々と描かれる。勿論これらは一部だろうし、またこの曲が大ヒット直前の案外キャリア中でも毒気の強い方の『空の飛び方』の時期なことは考慮の余地があるけど、しかしここのネガティブさは中々。ネガティブというより、”反道徳”で”邪悪”なものとして恋を読み込んでいる。この視点を常に持ってスピッツの歌を聴いてると時々面白いことになる。勿論全部が全部こんな邪悪なものとしての扱いじゃないだろうけども。

 

 

見慣れたはずの街並みも ド派手に映す愚か者

君のせいで大きくなった未来

夢の世界とうらはらの 苦し紛れ独り言も

忘れられたアイスのように溶けた

 

            『初恋クレイジー

 

 仮に『恋は夕暮れ』のような邪悪な理解が根底にあろうとも、草野マサムネは次々とそれまでかつて人が見聞きしたことがないようなファンタジックでロマンチックな”恋”を発明し続けていく。特に中期スピッツのある時期以降の”恋”とは、それをしてしまうことで世界が変わってしまうし、初期スピッツ的な「孤独の世界」から脱して救われることのできる方法として存在している。『初恋クレイジー』ではそんな”恋”の劇的な作用をさらに”初恋”まで進めて、よりその純度と強度を強化している。それにしても、この曲の微笑ましい光景も、こうやって持って回った考え方をしてしまうとまるで実験室みたいに思えてくる。

 

 

サンダル履きの足指に見とれた

小さな花咲かせた あれは恋だった

 

時はこぼれていくよ ちゃちな夢の世界も

すぐに広がっていくよ 君は色褪せぬまま

 

             『仲良し』

 

 ”恋”のエクソダス的作用を極限まで高めた楽曲と同じアルバムに収録されたこの『仲良し』では、もう少し一般的な恋の用い方もしている。甘酸っぱい恋模様をノスタルジーの向かう先として描くやり方は、スピッツの中では割と珍しい方なのかなと思う。ただ、「ちゃちな夢の世界も すぐに広がっていくよ」は、スピッツ特有の妄想の向こう側の幸せな光景を、この曲では幼少期の思い出にさえ求めてるのが独特の鮮やかな痛々しさがある。これはどこか、Number Girlの『TATOOあり』の歌詞に出てくる「記憶探しの旅ばかり しかしいつしかそれは妄想に変わってく」と同じことを言ってるんだな、と思った。

 

 

2. 春

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 恋といえば春、始まりといえば春、そして卒業や転勤など別れの季節も春。日本においては春はそんな甘く切ない季節で、他の夏・秋・冬よりも爽やかで鮮やかで清潔感のある季節のように扱われる。そのイメージは桜の花なんかが特に担保していて、毎年新しい”春の歌”が世に生まれ出す。そういうことを幼いなりに思ってた頃は、まさかスピッツもタイトルそのものな曲を作るとは思ってもなかったけども。

 しかし、スピッツにおける”春”もまた、「救いそのもの」みたいな扱いを受けることが多々ある。それは初期スピッツの頃に「冷たさ=死」の殺伐とした世界観でやってきた彼らだからこそ表現できる温度差なんだろう。そして、調べてみると、「春を快く享受する」スピッツの歌はそんなにない。むしろ渇望する先として”春”が存在しているような感じに思える。

 

 

さよなら ありがとう 泣かないで大丈夫さ

初めて君にも春が届いてるから

 

              『クリスピー』

 

 ”初期スピッツ”的な世界観や方法論から脱して、音楽を続けるためにヒットを求めていて尚且つ空回りしていた時代のアルバム『Crispy!』のタイトル曲ミドルエイトで歌われるこの、かなり唐突に出てくる感じのある謎の祝福は、彼らが”春”を渇望していたことの裏返しと言える。売れ線に徹したアルバムが全然売れなかった現実と照らし合わせると痛々しくもあるけれど、むしろ彼らが初めて”春”に救いを見出したことが重要なのかも。ただ、彼らのいいところはそうやって救いを得た際に、それより前の状況をあっさり切り捨てるのではなく、どこか名残惜しそうな素振りを見せるところ。これは上述の『初恋クレイジー』なんかにも言えそう。

 

 

どんなに歩いても たどり着けない

心の雪でぬれた頬

悪魔のふりして 切り裂いた歌を

春の風に舞う花びらに変えて

 

              『チェリー』

 

 別れの場面の歌で尚且つ”チェリー”ブロッサム=桜の歌とも取れることから卒業シーズン御用達ともなっているこの大ヒット曲の、この曲の中では比較的意味不明な言葉の並び方をしている箇所。意味不明でも、「悪魔のふりして切り裂いた歌を 春の風に舞う花びらに変えて」しまうなんてされたら、意味は分かんなくてもロマンチックな雰囲気で全力で誤魔化されてしまう。曲調からもいかにも春な雰囲気のこの曲だけど、やはり春の中を過ごしているとは明言されず、このような”春”の使われ方をしているのは面白いところ。

 

 

ただ春を待つのは 哀しくも楽しく

見え隠れ 夢の夢 あなたにも届いたなら

 

              『ただ春を待つ』

 

 春を待つ、つまり現状は春より前の季節であるという曲のこの一節は、やはり”春”に救いを重ねて見ている草野マサムネのスタンスがよく表れている。「哀しくも楽しく」としてただ楽しみにしているばかりでないのは、やはり”救い”より前の状況も切り捨てず慈しむスタイルゆえなのか。あと「見え隠れ 夢の夢」などと言ってるのはまるで”春”は来ないとどこか潜在的に諦めてる風でもある。

 

 

3. 川

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あまり綺麗な川の画像PVから見つからなかった…。

 さまざまな比喩やら形而上学的なイメージやらを重ねられる空や海や宇宙に比べれば、スピッツの歌詞における”川”は、どちらかというと日常的な光景として歌詞に登場する。初期でも割と現実的なドラマ感があった『夏の魔物』に印象的に登場するけど、中期スピッツでは特に、彼らが大ヒットした曲で登場することが印象深い。探してみたところ、意外と”川”がはっきり歌詞に出てくる歌は少なかったけれども…。

 

蒼白き多摩川に 思い浮かべて

すべるように 穏やかに 今日が暮れてゆく

 

風の旅人に 憧れた心よ

水面の妖精は 遠い日々の幻

僕の中に 君の中に

 

               『多摩川

 

 スピッツが大売れしようとして盛大に滑った『Crispy!』において終盤で突如硬い語調の歌詞と厳かな演奏とで現れるこの曲の不思議な存在感。まだこの時点では典型的なスピッツファンタジーの世界観を描けなかったというのもあるだろうけれど、それよりも、ここでの草野マサムネの筆致は現代詩を志す一人の詩人として、これはこれでキビキビと躍動している。ミニアルバム『オーロラになれなかった人のために』以降、彼は時々そういう、恋とロマンのスピッツ世界から離れた歌を作ったりする。

 

 

新しい季節は なぜかせつない日々で

河原の道を自転車で 走る君を追いかけた

 

               『ロビンソン』

 

 スピッツにおける”川”が日常側の光景の象徴であると明確に意識づけられるのは、この大ヒット曲の歌い出しのこの部分ゆえだろう。そして、初期スピッツの日常に狂気がへばりつく世界からしばらくして、この普通の日常から思い込みで宇宙までロマンチックに吹っ飛ぶ方式を手に入れたことで、彼のファンタジーはようやく多くの人に届くこととなる。この、どこか身近に感じられる微笑ましい光景から宇宙まで吹っ飛ぶその魔法的な位置エネルギーの在り方が、彼らが国民的な存在になることのできた大きなきっかけだろう。平凡から一気に飛び立ってしまうのは、万人の抱くことのできるロマンだろうから。ささやかで幸せな「箱にはの河川敷」がここに生まれる。

 

 

晴れて望み通り投げたボールが 向こう岸に届いた

いつも もらいあくびした後で 涙目 茜空

悲しい話は 消えないけれど もっと輝く明日!!

  

                『運命の人』

 

 『スカーレット』で一旦中期スピッツが完成してしまった後の新生スピッツを示すべくリリースされたこの曲は、歌詞においては実に日常的な光景だけで進行する楽曲になっている。「バスの揺れ方で人生の意味が〜」などの奇抜な表現はあるけど、それらも日常の中での奇抜な発想、というところで、物語自体が宇宙に吹っ飛んだりどこかから逃げ出したりといった劇的な要素は感じられない。そこがこの曲のロマン的に煮え切らないところでもあり、しかしどこか力強いところでもある。現実的に、恋する二人でちゃんと生きて暮らしていこうと思ったら、宇宙の風になったり逃げ出してばっかりではいられない。そういう、突き詰めるとそうなるよな、的なつまらなさに真摯に向き合った楽曲の象徴として「投げたボールが望み通り川の向こう岸に届いた」と歌われるのは、ちょっとした眩しい光景かもしれない。しかしこの場合届かなかったボールは川に流されてしまって少々もったいないのでは…。

 

 

B:非日常の領域

 もしかしたら上の3つの要素だけでも全然チャートで勝負できたのかもしれないけれども、でもやっぱり中期スピッツの大きな魅力といえば、そんな日常的な地点から一気に別世界へ、非日常的な光景へ飛び立っていく、その時の魔法的なドラマチックさだと思います。日常の領域と物理的に接していながら、しかし非日常的な空間であるところの3つのテーマをここでは扱います。

 

 

4. 空

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 スピッツにおける”空”のイメージは、某大ヒット曲によって大きく印象付けられる。本人たちもPV集のタイトルを「ソラトビデオ」と題するくらいに。

 しかし、気をつけておきたいのは、中期スピッツにおいても”空”は決して日常の光景の一部とは言い難い、むしろ日常を超越した先の地点として位置づけられていること。海とともに、限りなく広がっていく光景であるところの”空”は昔からさまざまな情感を預けられていた。想像力に限界のないスピッツであれば、尚のこと。

 そして、そんな”空”が決して「解放」だけを意味しないことは心得ておきたい。どんなに思いを空に放ってみても、そこはただそう見えるだけの空(から)っぽの空でしかないんだから。

 

 

いつもモザイクのきれはしだけ握らされ

笑い話のネタにもされてきたけれど

ほらもう二度と 負けたりしないから

 

黒い翼で もっと気高く

無限の空へ 落ちていけ

 

               『黒い翼』

 

 「無限の空へ 落ちていけ」という、解放と堕落とがないまぜになったまま高揚するこの曲は、まさにスピッツの両義的な部分を力強く宣言した一節。地に這う人が空を飛ぶのは解放感・自由さの現れだけど、そこを「落ちていく」と歌える想像力は、むしろ決断的でエネルギッシュで、もしかしたらエセポジティブ溢れるアルバム『Crispy!』の中で最も本当にポジティブなのはこの部分なのかなと思う。

 

 

君と出会った奇跡が この胸にあふれてる

きっと今は自由に空も飛べるはず

ゴミできらめく世界が 僕たちを拒んでも

ずっとそばで笑っていてほしい

 

              『空も飛べるはず

 

 スピッツにおける”空”のイメージはこの曲によるところも大きい。『ロビンソン』も大きな力で空に浮かべる話だし、曲中のストーリーの解決方法として”空”はやはり重要で、かつ超越的な要素が託される。「恋の力で浮遊する」スピッツのイメージはこの曲で形作られ『ロビンソン』で完成した、とも言えそう。ただ、本人的にはこの曲の「空を飛ぶ」というのは幽体離脱的なイメージらしくて、ファンシーなファンタジーからはちょっと外れたものらしいけれども。ここでも、「ゴミできらめく世界」という居心地の悪そうな地上が、自由な空に対置されている。

 

 

優しい空の色 いつも通り彼らの

青い血に染まった なんとなく薄い空

 

              『愛のことば』

 

 ファンシーさをかなぐり捨てたモードの草野マサムネが描く”空”は、しかし実はこれくらい素っ気なく、むしろ凄惨であることを鋭く示す箇所。『サンシャイン』『愛のことば』『インディゴ地平線』と続く、空気感からしてヒリヒリする感じの楽曲には、恋の甘酸っぱさ等ポップなデコレーションを排した草野マサムネの乾いた詩情が表現されていて、そこで示される世界観はどうにも息苦しく残酷で不毛だ。別に全ての楽曲の世界観が繋がっている、なんてことはないとは思うけれど、もしかしたら『空も飛べるはず』や『ロビンソン』の空もこれと同じ”空”かもしれない、と思うと不思議な面白みが滲んでくる。そして実際、”空”なんてこれくらい素っ気無いものだろう。

 

 

5. 海

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 川が流れている場所は日本全国割とどこでもあるかと思われるが、海がある場所となると、当然だけど海沿いの地域に限られる。なのでなのか、海というイメージは川よりも”非日常的”なところに位置付けられがち。空と同じく果てがなく続いていくこともまた、イマジナリーな世界として用いられる所以か。

 中期スピッツにおける”海”というのは、それこそ「魂が重なり合い、時間・空間を超越する場所」として扱われる。ある意味では宇宙よりも、ロマンだけでない、死生観すら巻き込んだ物語が展開されていく。それは、宇宙はかなり頑張らないと自由には行けないけど、海はとりあえずどうにかして海辺の断崖まで来れたら、あとは飛び降りればそれなりの確率で死ねるからだろう。身も蓋もないけれど、死ぬまでの手軽さが宇宙と海とでは全然違う。なのでなのか、”海”はこの世とあの世の境界が曖昧になった場所のように描かれていく。

 別れの小道具的な『君が思い出になる前に』の使い方はJ-POP的だけど、それ以外はかなり大概なものになっているのが、以下3つの歌から分かると思う。というか”魂”という重要なファクターが絡んでくるからか、”海”が出てくるとサイケさも混ざってきて名曲になりがち。

 

 

君の青い車で海へ行こう

おいてきた何かを見に行こう

もう何も恐れないよ

そして輪廻の果てへ飛び降りよう

終わりなき夢に落ちていこう

今 変わっていくよ

 

            『青い車

 

 スピッツの楽曲で一番鮮やかに”海”が使われるのが、歌詞の全体に満遍なく毒々しく倒錯した設定が潜んでいるこの曲だというのはなんともな話。「君の青い車で海へ行こう」だけなら、多少情けなくとも爽やかなイメージだけで収まる話なのに、その前の歌詞もその後の歌詞も何もかも、禍々しい死生観にあふれていて、この曲を「心中の歌」以外に解釈させるのを少しばかり難しいものにしている。「輪廻の果てへ飛び降り」て「終わりなき夢に落ちてい」く場所としての”海”、というのは、そんなにイメージを託されまくった”海”の方が可哀想になってくるかも。

 

 

柔らかい日々が波の音に染まる 幻よ 醒めないで

渚は二人の夢を混ぜ合わせる 揺れながら 輝いて

 

                 『渚』

 

 歌詞のながではっきりと「妄想」だと宣言されるこの曲の淡い恋模様は、しかし妄想にしてはこのサビのフレーズがあまりに幻覚めいた光景になっていて、2段目の「渚は二人の夢を混ぜ合わせる」をどう解釈すればいいのか分からなくなる。妄想によるひとり遊びにしては相手を巻き込みすぎているように思えて、場合によっては、実は『青い車』と同じことをしてるんじゃないの…?とさえ思えたりする。でもこの、解釈の仕方がいくらでもあってかえってよく分からないけど、しかしとてもロマンチックでファンタジックな感じがするこのフレーズは大好きで、スピッツの素晴らしさが最もよく歌詞に現れた箇所のひとつかもと思う。

 

 

「きっとまだ 終わらないよ」と 魚になれない魚とか

幾つもの作り話で 心の一部をうるおして

 

この海は僕らの海さ 隠された 世界と繋ぐ

 

                   『魚』

 

 まだ弊ブログで取り上げていない『99ep』からの楽曲だけど、この曲もまた典型的な”スピッツの海”をしていて、他の曲との類似性が興味深い。他の箇所と合わせて読むと分かるけれど、ここでの主人公は、「この海」で君の記憶と混ざらないと「君」に会えない状態にあるのかな、と思う。スピッツにおいて水はどこか「魂や記憶を保存することのできるもの」みたいな、FF10みたいな捉え方がされていて、それがこの歌では「もう会えない君と会って真の世界へ向かう物語」のように読める形で示される。さらりとしてるけどこの曲、歌詞重たいのか。歌詞に”海”が出てくるとすぐ草野マサムネは恋人を殺してしまいがちなのでは。

 

 

6. 星・宇宙

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 初期スピッツではアルバム『惑星のかけら』で展開させていたこのモチーフは、中期スピッツにおいても重要な概念のひとつで、日常から恋の力でフッ飛んで辿り着いた先が”宇宙”だったりする。

 ただ同時に、人が暮らす世界ではない、暗黒に包まれた宇宙は「孤独な場所」としても描かれる。むしろそんな誰も来れない・触れない「孤独な場所」に二人で恋の力でやって来て輝くからこそロマンチックにもなるんだろう。

 宇宙のモチーフは、むしろアルバム『ハヤブサ』において最も突き抜けた形で描かれて輝く。中期スピッツの頃の宇宙はそれなりにぼんやりした、この世とあの世の協会が曖昧な場所のようでもある。

 

 

君はこの場所で ボロぎれみたいな

僕を抱きよせた Oh Yeah

 

からめた小指で 誰も知らない約束

たまごの中には いつか生まれ出すヒヨコ

はじめて感じた宇宙・タマシイの秘密

たまごの中には いつか生まれ出すヒヨコ

君と僕のよくある…

 

               『たまご』

 

 「セックスを通じてこの世の真理に気付いてしまった!」みたいな話をどこまでもファンシーに描いてみせるこの曲の、ぶりっ子めいた中に隠した毒々しさは結構なもの。「たまご」というモチーフを軽快に出してみせるのも、これは「夏の魔物」と同じ生き物かな?という感じがして、そんな軽くない話をアルバム冒頭で出す…?って感じれる。ここでは”宇宙”とタマシイが併置されているのが興味深い。”海”ほどではないにしても、”宇宙”も十分に魂をロマンチックに預ける空間とされているんだと思われる。

 

 

誰も触れない 二人だけの国 君の手を離さぬように

大きな力で 空に浮かべたら ルララ 宇宙の風になる

 

               『ロビンソン』

 

 スピッツでこのテーマで、この曲を出さないわけにはいかない。上述のありふれた微笑ましい日常的な”川”の光景から、二人のちょっとした、”恋”と呼べるかさえ不明なはずみが「大きな力」になって、空に浮かべたら「ルララ 宇宙の風にな」ってしまう、この意味不明だけど、でもとても尊いような感じこそが、この曲を国民的な歌にしてしまった。それだけ多くの人に受け入れられたファンタジーなんだ、この宇宙の風になってしまう曲は。

 

 

夢のはじまり まだ少し甘い味です

割れものは手に持って 運べばいいでしょう

古い星の光 僕たちを照らします

世界中 何もなかった それ以外は

 

                『スピカ』

 

 中期スピッツ後半の『インディゴ地平線』『フェイクファー』という二つのアルバムでは、宇宙のモチーフはあまり出てこない。これは、現実の地上の世界をどうにか歩み出そうとしている歌が中心なので、宇宙などの地に足のつかないモチーフは避けられたのかもしれない。そう考えると、モチーフがもろに宇宙的でそういうフレーズも上記の通り入ったこの曲が『フェイクファー』の収録から漏れたのは、そういった側面もあったのかな、と考えてしまう。しかし、「夢のはじまり まだ少し甘い味です」というのもまた、これから甘くなくなっていくよ、という感じがして、「古い星の光」以降のどこか虚無的な感覚といい、実はポジティブだけではなく結構シビアな視線もこの曲には入っているのかもしれない。

 

 

C:音楽性

 全部歌詞の話に終始するのはなんか癪だったので、この辺で中期スピッツの音楽性についても触れておきます。シューゲイザーオルタナといった同時代性を重視した初期スピッツと異なり、中期スピッツは『Crispy!』で無茶をした後は、基本的な軸となるのはもう少しエヴァーグリーン感のあるギターサウンドになります。意外とストリングスとかブラス隊の出番は少なく、メンバーで演奏を賄いきってその上でスピッツらしい不思議さを出そうとして、そしてそれが多くの人たちに受け入れられたのはとても理想的な話だったと思います。

 

 

7. ギターポップ

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 シューゲイザーギターポップはある程度陸続きなものだと思ってる。オリジネイターの一角であるMy Bloody Valentineが元々はギターポップ的な音楽をやってたからそう思うのか。なので、初期スピッツシューゲイザーをやっていたところから中期スピッツギターポップになるのは、かなり自然な流れに感じる。

ystmokzk.hatenablog.jp

 初期スピッツには既に『アパート』という中期スピッツギターポップの雛形になるような楽曲があって、そこから次第に、同時代の渋谷系の可愛らしいギターポップさとも共振して、スピッツ的なギターポップを特に『青い車』以降どんどん量産していった。言ってみれば『ロビンソン』も『チェリー』も全然ギターポップと言って構わない範疇だと思うけれども、ここでは典型的にギターポップな曲を3つ取り上げる。

 

 

①タイムトラベラー

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 曲タイトルが後年カバーした『タイム・トラベル』と被っててそっちの方が目立つため割りを食ってる感のあるこの曲は、『アパート』に続くスピッツによる純正ギターポップ第2弾、といった具合のもの。歌詞も正統派だった『アパート』と比べるとこっちの歌詞はなかなかに不思議系で少し気味悪い感じもあるけど、楽曲自体は真っ直ぐな8ビートに乗った端正なギターポップ。メジャーコード感がどっしり乗って朗らかなのが可愛らしいけど、ハネの要素を殺し切った8ビートの直線っぷりはこの後のもっと柔らかくなっていくギターポップ群とは異なるテイスト。でも、シンセ等のプロダクションのこともあって、元ネタ的な1980年代のネオアコに近いのはこの曲かも。適度にダサく被ってくるシンセが実にそんな感じ。

 

 

②君と暮らせたら

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 スピッツギターポップをひたすら収録しまくった『ハチミツ』はおそらく日本で最も売れたギターポップアルバムに相違ないけど、あのアルバムがギターポップ!って感じがするのは冒頭に『ハチミツ』があって最後にこの曲があることが大きいと思う。適度にハネの入った爽やかな疾走感に、アコギをメインに聴かせながら適度にエレキでカッティング+ポイントを抑えた控えめなアルペジオが入るのは、ギターポップとしてこの時点で十分に完成している。そして、こんな爽やかなギターポップに、君と僕のささやかな幸せな暮らし…の妄想を乗せてしまうのはスピッツ式の捻り方

 

 

③スカーレット

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 スピッツギターポップのひとつの完成系。確かにこの方向でこれ以上にさりげなく良い楽曲、というのはツルッとは出て来そうにない。『ロビンソン』が派手に聞こえるくらい演奏も曲構成もこじんまりとして地味に仕上がっているが、その分情感の派手なアップダウンを抑えた、快い慎ましさが冒頭のアルペジオからずっと流れ続けていく。スピッツのシングル曲でもこの曲ほど特段の盛り上がりもなく同じ熱量で流れていく曲は他に無く、これが60万枚も売れたというのは、いくらスピッツバブル期でドラマ主題歌とはいえ凄い。間奏がロータリーのエフェクトを掛けたギターのアルペジオだけ、というのも潔い。

 

 

8. パワーポップ

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 パワーポップというのも今ひとつ分かりにくい概念だけど(Wikipedia記事を読むとかえって混乱する)、1990年代以降で言うところのパワーポップとはWeezerを典型とするような、パワーコードやそれに近いようなコードカッティングを平坦に鳴らして直線的に進行するロックのことと認識してる。このコードカッティングがもっと荒々しい具合で曲がヘロヘロしてたりするとオルタナティブロックのサウンドというか。この辺厳密に区別できるのか。

 スピッツもまた、元々Cheap Trick等のパワーポップから影響を受けていたものの、中期には同時代のパワーポップバンドからの影響もさりげなく取り入れている。中期スピッツの途中から「スピッツはロックバンドである」ということをどう提示するかでメンバー間に悩みが深まっていくが、それはパワーポップ系の曲の音の問題として特に現出し、その問題は概ね『ハヤブサ』で解決する。でもこの時期の、音的に徹底できない分結果として可愛らしくなっているパワーポップ具合もスピッツらしさがあって好きだけども。

 

グラスホッパー

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 ハードロックと呼ぶには可愛らしすぎるギターの鳴り方がユーモラスで面白いハイテンポな曲。レコーディングの最後の方で録音されたからなのか、様々なサウンドの遊びが入っていて、ノリノリなメンバーの様子が見える楽曲になっている。ちょくちょく入る荒いギターブラッシングやさまざまに挿入される不思議エフェクトなど、色々とカラフルにしつらえた上で、楽曲としてはきっちりとポップで可愛らしく、そして歌詞としては様々なユーモアを入れつつも明るくセックスを歌ってる感じ。「バッタ」という曲名がよく分かる軽やかなパワーポップ具合が、ギターポップアルバムの中でいいアクセントになってる。

 

②バニーガール

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 イントロからバンド全体で全力疾走なサウンドが鳴り、その鳴り方がいかにもアルバム『インディゴ地平線』的な心地よいローファイサウンドなのが何気にスピッツの歴史でも相当独特なパワーポップ。あのアルバムのギターサウンドは本当に謎。元は『チェリー』のカップリング曲だったけど、『チェリー』のポップさとはベクトルこそ異なれどこの曲も相当にポップでキュート。丁寧にAメロ→Bメロ→駆け抜けていくサビと繋がっていく様は、歌詞の思い込みで突っ走るちょい病み具合といい実に男の子してる。そして『インディゴ地平線』レビューでも書いたけど異様にthe pillowsっぽい。the pillowsにこの曲カバーしてほしい。多分歌詞の単語の並び含めて全然違和感ないと思う。

 

 

③スピカ

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 どっしりしたミドルテンポにえらくフィードバックを効かせたギターを沢山詰め込んだ上でシングル曲向きなポップなメロディとポジティブな歌詞を載せた楽曲。状況からかシングル曲争いで『運命の人』に負けたりその後アルバムにも収録されなかったりしたけど、大衆向けのスピッツの曲をしながら演奏は実にオルタナ/パワーポップ感に溢れたものになったこの曲は面白い立ち位置にいると思う。それにしてもこの曲といい、同じく轟音ギターを聴かせるシングル曲『夢追い虫』といい、スピッツのその手のシングル曲はオリジナルアルバム収録から漏れてしまう定めなのか。

 

 

9. バラード

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 別に歌謡曲を聴かずに育ったわけでも嫌ってた訳でもなかったんであろう彼ら、初期の頃はコッテコテのバラードはせず、ミニアルバム『オーロラ〜』で聴けるような管弦楽的な楽曲くらいだったけど、売れ線を狙おうとし始めた『Crispy!』以降は、数は多くないけどもバラードを出すようになりました。そんな中で『楓』はやはり突出した出来で、スピッツ30周年のインタビューで草野マサムネが「売れなくなったら『ロビンソン』と『楓』で営業やってもいい」と言った際、『ロビンソン』と併置される位置に『楓』が来る、という認識に少し驚いた覚えがあります。

 

①君が思い出になる前に

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 売れ線狙いの『Crispy!』の中で唯一シングルカットしたらちゃんと売れてくれた楽曲がこれ、というのはなんとも日本…な感じのする、当時の彼らが最大限に1990年代初頭のJ-POPに寄せて作ったと思われるバラード。平坦なビートに丁寧で淀み無さすぎるAメロ→Bメロ→サビの”泣かせる”構成、キーボードが効果的に効いた演奏、スピッツ的なクセを極力削いだ「別れの物語」を描いた説明的な歌詞と、どこを切ってもJ-POP的な方法論に埋没してみせた。この経験があったからこそ後の『楓』があるのか、とも思うけど、でももっとプロト『楓』してる『夢じゃない』もそういえば同時期にあるな…。

 

 

②楓

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 半ばセルフプロデュース体制に戻って同時代的なオルタナサウンド等にも挑戦する中でこのスピッツ最大のバラードの名曲ができたという事実はかなり不思議で、なかなかに皮肉な感じもする。でも、これのプロトタイプと言えそうな『夢じゃない』のコード感を、ここまでしっとりとした質感のサウンドとより一般化された言葉や情景とで見事に発展させまとめ上げたことは、アルバム『フェイクファー』の中ではタイトル曲と並ぶ偉業だろうか。いつ聴いても「思い出の向こうの幸福な田舎」の光景が浮かぶ。あるいはJ-POP側からすれば「楓メソッド」を確立したこの曲こそスピッツ最大の”成果”なのかもしれないけども。

 

 

③流れ星

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 「楓メソッド」でインディーズ時代の楽曲を再生したらこれまた素晴らしい情感のバラードができた、という感じの楽曲。初期スピッツ的なぼんやりと超然的で孤独そうな歌詞と「楓メソッド」が奇跡的に調和して、いい具合に感情が宙吊りにされる出所不明のノスタルジックさがどこからともなく立ち上がってくる。過去と未来を見る『楓』に対して虚空をぼんやり見てる『流れ星』という対比が、中期と初期の違いを思わせ、なのに楽曲アレンジがしっかり「楓メソッド」してるから、しっとりとした情感が湧き上がる。見事なリメイク。

 

 

D:初期スピッツと共通するモチーフ

 中期スピッツは決して初期スピッツと別のバンドではありません。大きな変化はあったけれども、引き継がれた要素は当然ある訳で、それらの要素の変遷を見ていくのもまた一興かと思います。尖ってはいたが閉塞的だったものが開かれたものになったり、変わらず扱われてるものも中にはあったり。

 

10. 花

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 花のモチーフはスピッツの歴史全般で用いられ、幾つかの印象的な用法が見られます。初期スピッツにおいては、ひたすら陰鬱な世界観が語られる『タンポポ』から知人の死を悼んで狼狽する『コスモス』に至るまでの憂鬱な情景の象徴としての立場と、所々で歌詞に出てくる、精液のメタファーとしての「白い花」とが特に特徴的か。

 中期スピッツにおいてこれらの要素は、引き継がれる時もたまにあるけども、でも基本的にはもう少し希望めいた、尊くて美しいもの・理想みたいな扱われ方をしているのかなという印象。以下3曲は曲名が花の名前なタイトルは1曲も含んでいないんですけれども。

 ちなみに、この記事及び項目とは関係なく、スピッツ全期における草や花をタイトルに関した楽曲のプレイリストを作ったのでここに貼っておきます。

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サンシャイン 白い道はどこまでも続くよ

サンシャイン めぐる風によろけても

変わらず夏の花のままでいて

 

             『サンシャイン』

 

 ポップで和やかになったはずの中期スピッツの中で独特の緊張感を放ってる一角の曲のひとつであるこの曲で象徴的に用いられる「夏の花」。どことなく冬の枯れた風情が影を落とすこの曲の中でこの花の存在は明らかに、何かしらの祈りの象徴として描かれる。この曲も『魔女旅に出る』から続く「君」の方が旅立っていく物語の曲だけど、そう考えると、この花が意味するところのベクトルを、その先に含まれるであろう1語を挙げるなら、やっぱ「イノセンス」とかそういうのになる。何らかの失われてほしくないものの象徴としての「夏の花」なんだろうから。

 

 

忘れられない小さな痛み 孤独の力で泳ぎきり

かすみの向こうに すぐに消えそうな白い花

思い疲れて最後はここで 何も知らない蜂になれる

瞳のアナーキーねじれ出す時 君がいる

 

               『ルナルナ』

 

 全体的にお前さん何言ってんだい、って感じの歌詞なこの曲だけど、冒頭の部分を抜き出して読むと、「白い花」という単語が。これを初期スピッツからの流れで「精液のメタファー」としてひねた感性で読むと「寂しくて自慰しようとしたけどそれも出来ないくらい疲れてて、そんな疲れの果てに君を幻視したら奇跡的に飛べそうになった歌」という酷い内容になってしまう。「恋をして飛べるようになる」というのはスピッツの基本スタイルではあるけど、ここではそれを露悪的に取り扱い、更に比喩を重ねてファンシーなものに仕立て上げてしまってる。オシャレな曲調で何をやってるんだ、素晴らしいな。

 

 

走るよ ありったけ 力 尽きるまで 花泥棒 花泥棒

逆に奪われて すべて奪われて 花泥棒 花泥棒

 

ああ 夢で会う時はすごくいいのにさ!

 

                 『花泥棒』

 

 甘酸っぱい恋を通り越して突如子供っぽい雑な衝動に突き動かされてあっさり果てるこの曲の”残念”なムードに最初アルバム『インディゴ地平線』を聴いた人は戸惑うんだろうけど、ここでの花の扱いは地味に彼らの歌詞世界の転換点。「ああ 夢で会う時は すごくいいのにさ!」というダメダメな言葉を後に置くことで、この曲の主人公が夢では会える「君」に現実世界で現実の花を渡そうとしている、ということが分かる。花が、比喩でも象徴でもなく、現実世界の「君」に渡したい”プレゼント”として出てくるのはここまでありそうでなかったところ。シュールな勢いで誤魔化しているけれど、現実的な世界を歩んでいこうとする『インディゴ地平線』の冒頭として、結構な決意で綴られたものだったのかもしれない。

 

 

11. 鳥

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 インディーズ時代の『鳥になって』が彼らの活動の転機になったように、又はデビューシングルがやはり鳥の名前を冠した『ヒバリのこころ』であったように、スピッツにおいて”鳥”の存在はとても重要で、初期スピッツでの位置付けとしては「自由に飛んで移動することができる、僕をいい場所に連れて行ってくれる動物」といったところか。なので初期スピッツの主人公はその”鳥”の役割を「君」に求めていくことになる。これが中期スピッツの時期にどう変わっていったか。ご覧あれ。

 

 

撃ち落とせる雲に同情しては

当たりのないクジを引き続け

しがみつく鳥を探している 終わりなき旅

 

             『迷子の兵隊』

 

 同じ「終わりなき旅」でもミスチルと違ってこっちを人生のモットーにするようなスポーツ選手はいないだろう。この曲は「当時の自分たちの状況を表す歌」として作られた側面があり、ここの一節を読むとなかなか不貞腐れ気味な上に、やっぱりまだ「僕を運んでくれる鳥」を探す、他力本願な初期スピッツの信念が継続している。むしろそんな”鳥”の役を担ってくれる「君」を探している、ということで、状況はむしろ混迷を深めてさえいる。アルバム『空の飛び方』の頃は本当に、案外歌詞が毒々しいけれど、バンド的には充実感を覚えながらも、でも結構混迷した結果だったのかもしれない。

 

 

やがて 君は鳥になる ボロボロの約束 胸に抱いて

風に揺れる麦 優しい日の思い出 かみしめながら

つぎはぎのミラージュ 大切な約束 胸に抱いて

悲しいこともある だけど旅は続く 目を伏せないで

舞い降りる 夜明けまで

 

                 『Y』

 

 こちらは”鳥”は「君」だけども、でもそれは主人公を運んでもらうのではなく、これから旅立っていく者としての象徴として「君は鳥になる」。この曲はかつての『魔女旅に出る』をミニアルバム『オーロラに〜』の頃の音楽的手法と作詞技法でもってより厳格にかつ真摯に再構成したようなもので、普段の「恋に甘え切った」姿は欠片もない。恋とギターポップに溢れた甘々なアルバム『ハチミツ』は、この曲と『愛のことば』のタイプの違う緊張感2曲が作中の重要な重しになっている構成だ。

 

 

あくまで優しい君に 謝謝!! 赤い土にも芽吹いた

大空に溶けそうになり ほら全て切り離される

鳥よりも自由にかなりありのまま 君を見ている woo…

 

                 『謝謝!』

 

 かつて「君が鳥になって僕を連れていって」と歌ってた人から遂に「鳥よりも自由に」などという表現が出てしまう辺り、中期スピッツの間でも相当なメンタルの変化があることが窺われる。現実の「君」と向き合って「箱の外」に出ていこうとする『フェイクファー』期のスピッツの姿は、不安げではあるけれど凛々しくて感動的で、でも同時に「妄想でグズグズなスピッツ」から卒業していく様はどこか寂しくも感じれるような、複雑な心境になる。

 なお、この”鳥”というテーマについても、後期スピッツはじめの『8823』にて遂に格好良くぶっちぎる。『ハヤブサ』は本当に色々と転機だったのが窺える作品だ。

 

 

12. 冷たさ

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 初期スピッツにおける「冷たさ」や「氷」についての表現は常に「死」が纏わりついた表現になっていた。彼らのプロキャリアは1st冒頭「冷たくって柔らかな 二人でカギかけた小さな世界」という歌い出しの『ニノウデの世界』から始まった。

 この「冷たさ=死」の図式は、中期スピッツでも概ね引き継がれていると言えそう。流石に「冷たい風」くらいの表現はそんなことないが、それ以外で「冷たい」「氷の」と歌詞に出てくると途端に「死」の感じが出てくるのは、逆に「クール」「冷徹」みたいな方向では「冷たさ」が使われないことは、興味深い一貫性だと思う。もっと言えば、この「冷たさ=死」の図式は、たとえば割と近年の『雪風』にだって当てはまる。魂の境界が曖昧になるのが”海”ならば、”冷たさ”は魂が向こうに行ってしまった後の状態を示すようだ。

 

 

ひとりの夜くちびる噛んで 氷の部屋を飛び出したのさ

人は誰もが寂しがりやのサルだって 今わかったよ

 

                 『裸のままで』

 

 ヒットのためとはいえそこまで無理に吹っ切れるか…という痛々しさが実に印象的なこのなんちゃってグルーヴィーシングル曲は、でもその無理にでも”初期スピッツ”から変わろう、もっとポジティブに恋を、セックスを目指していこう!という勢いを、どこか説明的にさえ感じるほどに物語っている。じゃなかったら冒頭にわざわざこうやって『ニノウデの世界』に出てくる「氷の部屋」を持ち出してくる必要がない。この、少し過剰なくらいに過去を客観視し、そこから変化していこうとする気概が、この曲ではいささか異形な形で表出している。本当にこれで売れるって思いました…?ってなっちゃうくらいに。

 

 

あなたのことを 深く愛せるかしら

子供みたいな 光で僕を染める

風に吹かれた君の 冷たい頬に

ふれてみた 小さな午後

 

あきらめかけた 楽しい架空の日々に

一度きりなら 届きそうな気がしてた

誰も知らないとこへ 流れるままに

じゃれていた 猫のように

 

             『冷たい頬』

 

 現実の「君」と向き合おうとする『フェイクファー』期においても、そんな「君」をこの世にいないものとして、妄想の中だけで繋がろうとする虚しさを描き出したこの曲をリリースしているのは何故なんだろう。曲調のどことなくな共通性といい「誰も知らない・触れないところ」への移動といい、この曲はどこか『ロビンソン』の物語を「死んだ君」に置き換えて、虚しさ全開で歌い直したような風情がある。「君の冷たい頬に ふれてみた 小さな午後」という光景のささやかで、そして実に悍ましい光景。それに妙に魅力を感じてしまう筆者含む人々は背徳なのか。

 

 

飾らずに 君のすべてと 混ざり合えそうさ 今さらね

恋人と 呼べる時間を 星砂ひとつに閉じ込めた

 

言葉じゃなく リズムは続く

二人がまだ 出会う前からの

 

くり返す波の声 冷たい陽とさまよう

ふるえる肩を抱いて どこへも戻らない

 

                  『魚』

 

 色々考えていくと、『99ep』にさりげなく収録されたこの結構地味目な曲は『渚』の発展系でもあるようだし、幻だった『渚』から本当に「君」に出会えた歌のようにも思える。そして問題は、その「君」は本当に現実に生きている存在なのか、ということ。「ふるえる肩を抱いて」というのが「君」の肩だと読むのが普通だろうから生きてる、とするのが多数派だろうけど、どうにもここは自身の肩を押さえてるだけで、永遠に失われた「君」の記憶と海の中で交わっている光景に思えてならない。そうすると「冷たい陽とさまよう」というフレーズも、実に悲しくて美しい光景に思えてくる。これがぼくが最もこの曲にロマンを感じられる解釈だ。ひんやりしたスピッツはいつも最低で最高だ。

 

 

E:阻害要因

 中期スピッツにおいては、初期においてはずっと幻想の中の存在じみていた「君」にようやく現実の地平で会いにいこうとする物語がメインとなるけれど、そこには様々な、そんな願望を阻害する要因が登場してきます。ここではそんな阻害要因を3つ選び出して触れていきます。なお、この3つの他に”風”も結構な阻害ワードですが、でもこれは良い方向にも働いたりしますので面白いところ。

 

13. 雨

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 雨はどうしてもネガティブなものとして使われがちだけど、中期スピッツにおいては小程度の阻害要因として出てくる。直接絶望を表すような使われ方ではないけど、軽く憂鬱な雰囲気を表すのに使用される。雨はどうしたって降るものだからそれだけで死ぬほど陰鬱にはなれない、けど嫌らしいものではあるから、その程度の憂鬱さを示す。むしろ「雨上がり」となると急に晴れやかでポジティブな方面に使用されるのでそっちの方が印象的かもしれない。

 

雨 降り続くよ あじさい通りを

カサささずに上向いて 走ってく

全部 ごちゃ混ぜにする水しぶき

 

いつも 笑われてるさえない毎日

でも あの娘だけは 光の粒を

ちょっとわけてくれた 明日の窓で

 

            『あじさい通り』

 

 スピッツでは何気に珍しい「雨が降ってることが物語の主題となる」タイプの楽曲。雨が降り続いて少々うんざりする気持ちを日々の笑われて過ごす立場と重ねて、でもそんな俺に光をくれるのはあの娘、だから雨よ上がれ、と歌う。筋書きだけならスピッツでなくてもありそうな物語で、スピッツらしさは「明日の窓」とかそういう不思議に時間概念を混入させた歌詞の部分で幾らか担保される。適度に埃臭いコード感共々、晴れた印象の強い『ハチミツ』の中で雨的なムードのアクセントをつけている。

 

 

晴れそうで曇り 毎日 小雨

もう二度と壊せない気がしてた

 

でも会いたい気持ちだけが膨らんで割れそうさ

間違ってもいいよ oh…

 

               『ハヤテ』

 

 アルバムの中で明るくもなく暗くもない、不思議な宙吊り感で淡々と進行するいぶし銀な曲だけど、天気の具合もまた中途半端で、「晴れそうで曇り 毎日 小雨」は結局ずっと小雨が降ってる、という理解でOKなんだろうか。この、問題ごととは言えないけど小さな憂鬱、くらいのなんとも不思議なもどかしさを栓にして、内なる恋の膨張具合を大袈裟に見せるのはスピッツらしい可愛い大それ方。

 

 

雨の日も同じスタイルで カサもなく息は白いのに

電話も車も知らない 眠れないならいっそ朝まで

大きな夜と踊り明かそう

 

                『ウィリー』

 

 Aメロの1/4位叫び声(?)で占められるこの曲の中で、孤独な放浪者について、その放浪は雨の日だろうと同じスタイルで、傘(やっぱりカタカナ)もささずにやっていくらしい。息は白いということで寒いようで、しかも眠れないなら夜通し放浪していくようで、風邪とか引かないよう気をつけて頑張ってほしい、と思う一節。今思うとここは、ラフな言語感覚でタフに頑張っていくことを歌ってた箇所なのか。サウンドといい、心地よい乱暴具合。

 

 

14. 妄想・夢・幻

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 妄想やら夢やら幻やらというのは、初期スピッツではまさに基本スタイルというか、むしろ現実とその辺との境が分からない位錯乱しているようなところこそ独特の幻想性の源になっていた間であるけれど、中期スピッツに移行して現実の「君」に向き合おうというスタンスになると、逆に妄想や夢や幻でしか「君」と会えない触れられないというのは、むしろ失敗というか、悲しい状況であるということになってしまう。それでもこの辺の表現ならではの美しさが光るところではあるので、この辺の現実とのせめぎ合いは、中期スピッツを楽しむ上での大きなポイントのひとつかも。

 

 

暖かい場所を探し泳いでた 最後の離島で

君を見つめていた 君を見つめていた Oh

 

夢じゃない 孤りじゃない 君がそばにいる限り

汚れない獣には 戻れない世界でも

夢じゃない 孤りじゃない 君がそばにいる限り

いびつな力で 守りたい どこまでも Oh

 

              『夢じゃない』

 

 『Crispy!』の中で一番これより後のスピッツ的な要素を先取りしてたこの曲の、フワフワして幻想の中っぽいAメロに対して「夢じゃない」と断定されるサビの対比は、まさしく幻想と現実の境界を不安に思いつつも、今君がそばにいるこの状況は現実だろうと信じようとする健気さが光る。この時期特有の初期との連続性については「汚れない獣には 戻れない世界でも」とあって、初期スピッツを指して「汚れない獣」とは上手く言ったものかもな、と思う。

 

 

広すぎる霊園のそばの このアパートは薄ぐもり

暖かい幻を見てた

 

猫になりたい 君の腕の中

寂しい夜が終わるまでここにいたいよ

猫になりたい 言葉ははかない

消えないようにキズつけてあげるよ

 

             『猫になりたい』

 

 曲タイトルから想像されるとおりのふわふわしてファンシーなアレンジ・作曲であるのに、この曲の歌詞は結構危うい。さすが『空の飛び方』期さすが『青い車』のカップリング曲。この曲は「君」と本当に一緒にいるのかいないのか相当微妙な書き方をしてあって、その辺は解釈に委ねられると思う。最初のBメロの「暖かい幻を見てた」の部分を重視するならやっぱり妄想と考えられるが。妄想にしては、妄想先でかつ依存先の相手に「消えないようにキズつけてあげるよ」は相当タチが悪くて、でも現実だとしてもタチの悪いヒモみたいになって、色々と興味深い理不尽な身勝手さ。

 

 

ねじ曲げた思い出も 捨てられず生きてきた

ギリギリ妄想だけで 君と

 

水になって ずっと流れるよ

行き着いたその場所が 最期だとしても

 

柔らかい日々が波の音に染まる 幻よ 醒めないで

渚は二人の夢を混ぜ合わせる 揺れながら 輝いて

 

                  『渚』

 

 ”妄想”と”幻”と同じ要素の言葉が重ねられて、アレンジも実に見事な夏の幻想めいたこの曲は、音でも言葉でも、中期スピッツが残した最良の幻想だと思う。断定しうる言葉があまりに少ない曖昧な歌詞世界なため、この曲はいかようにも解釈できて、聴く人の考え方やその時の気分でその輝き方を変える。たとえばこの曲を『冷たい頬』と同じ状況の歌と考えれば、”妄想”や”幻”の意味も変わって来るわけで。…上でこの曲について書いた文章と、同じことを繰り返してるだけかもしれないけども。

 

 

15. 街

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 中期スピッツにおける”街”に対する憎しみは結構凄い。ファンシーな妄想をしつつも美しく「君」と生きていきたいのであろう主人公からすれば、”街”というのは人格を否定し、醜い欲望が蠢き、純真な「君」や「僕」を阻害し、破壊し、変貌させてしまいかねない場所なんだろう。

 この”街”の残酷さをテーマに加えた歌は、最早ファンシーな恋をしてる余裕がなくなってしまうのかもしれない。中期スピッツのシリアス三部作と言えそうな『サンシャイン』『愛のことば』『インディゴ地平線』の全てに、”街”に対する描写が含まれることは、何か示唆的だ。

 

 

サンシャイン 白い道はどこまでも続くよ

サンシャイン 寒い都会に降りても

変わらず夏の花のままでいて

 

こげた臭いに包まれた 大きなバスで君は行く

許された季節が終わる前に

散らばる思い出を はじめから残らず組み立てたい

 

               『サンシャイン』

 

 花の項で取り上げた、主人公が喪失しないでほしいと願う「夏の花」が何に脅かされるかというとこれがまさに「寒い都会」なのである。2番Aメロの歌詞にて、どうやら「君」はそこに行ってしまう、という別れの場面だと分かる。そしてその「寒い都会」行きのバスは「こげた臭いに包まれ」ている。「寒い都会」とやらの不穏さ、それに対する嫌悪がここでさらりと描かれ、そこで主人公は願う以外に、すりガラスの窓の埃を見たり、散らばる思い出を組み立てたりすることしかできない。この無力さが、サビの歌唱の切実な具合を盛り立てる。

 

 

限りある未来を 搾り取る日々から

抜け出そうと誘った 君の目に映る海

 

(中略)

 

焦げくさい街の光が ペットボトルで砕け散る

違う命が揺れている

今 煙の中で 溶け合いながら 探し続ける愛のことば

もうこれ以上進めなくても 探し続ける愛のことば

 

                『愛のことば』

 

 PVによって歌詞の痛ましい光景が補強されるこの曲においては主人公たちは「限りある未来を搾り取る日々」という、ディストピア感あふれる世界にいる。閉塞感で詰まっているこの世界こそこの曲の”街”であろう。「焦げくさい街の光」は「焦げくさい」のが街なのか光なのかよく分からないが、『サンシャイン』の「こげた臭いに包まれた大きなバス」と共通するので、やはり同じ”都会”なんだろうな、と思う。この曲では「抜け出そう」と誘われはしたけれど、サビで「もうこれ以上進めなくても」と歌われたり、上述の空の描写等から、結局逃げ出せなかった世界なのかな、と思った。

 

 

歪みを消された 病んだ地獄の街を

 

             『インディゴ地平線

 

 後ほどもう一度この曲に触れるので引用は最小限にするが、中期スピッツシリアス三部作の最終章であるこの曲ではいよいよ”街”に対する憎悪が端的に、本当に端的に記述される。歪みを消された 病んだ地獄の街」と、断定して、殆ど吐き捨てているディストピアとしての”街”の閉塞感の描写に多くを割いた『愛のことば』から変わって、ここでは”街”についての描写はこの切り捨て切った一行のみ。この曲の主題はそこからどうするか、ということにある。

 

 

F:マイナスとプラス

 6つに分けたこの大枠の最後のひとつは、表題がこれでいいのか分からないですが、ある意味では初期スピッツから本質は変わらない、ネガティブがポジティブに変わる瞬間というか、マイナスもプラスもなくなる瞬間というか、そのようなスピッツならではの善悪の転倒や、価値観の転回、そういったテーマ3つを扱います。

 かつて初期スピッツの『トンビ飛べなかった』に出てきた「正義のしるし踏んづける もういらないや」というフレーズから続くような、社会の冷酷なルールを超越するような、そんなアクロバティックにファンタジックでロマンティックなスピッツの側面をこそ、ぼくは好いてきた訳で、この3つのテーマこそが一番大切かもしれない。

 

 

16. 倒錯

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 初期スピッツはむしろ常に”倒錯”していて、歌詞の描写のいづれもが「信用できない書き手」による描写のようなところがあった。それは現実の「君」と向き合うのが主軸の中期スピッツでも部分的に継続していて、時にそれはユーモラスに顔を出してきて、どこまで本気か分からないスピッツのダークサイドをさらりと見せる結果となった。物によってはユーモラスさすらなく、初期と変わらない倒錯具合も見られるけれど。

 倒錯についても、倫理的なもの、性的なもの、正気的なもの等色々な側面があり、本当はこのテーマだけでひとつ記事を書けたんだろうな、と思うけども、ひとまず3曲。

 

 

地下道に響く神の声を 麻酔銃片手に追いかけた

無くしたすべてを取り戻すのさ 地の底に迷い込んでも

 

やがて光は 妖しく照らし出す

二人歩いてる 道はなくとも

どんなに深く 霧に包まれても 君を見つめてる

ほら 早く! 早く! 気づいておくれよ

 

                 『裸のままで』

 

 地下道に響く神の声を 麻酔銃片手に追いかけた」という啓蒙に満ちた一節。これが本当に「売れてやる!」と思って出てくる歌詞か…?大ヒットを狙ったというこの曲がヒットしなかった理由は思うに、渋谷系をTV的なダサさにしたトラックに、無理をしているというより、どう考えても悍ましい思考をした主人公が「君」に語りかける、というむしろ恐ろしい光景が描かれているせいではないか。なので、この曲の様々な箇所から湧き出るこのような狂気に満ちたフレーズは、むしろフリークスとしてのこの曲の魅力を高めることになっている。集合体恐怖症的なシングルのジャケットといい、本当にいい意味でどうにかしてる。むしろ『ラズベリー』の隣に置くくらいが丁度いい楽曲なのかもしれない。

 

 

泥まみれの 汗まみれの 短いスカートが

未開の地平まで僕を戻す?

あきらめてた歓びがもう目の前 急いでよ

駆けだしたピンクは魔女の印?

水のように回り続けて 光に導かれていくよ

 

チュチュ 君の愛を 僕は追いかけるんだ

どんなに傷ついてもいいから

もっと切り刻んで もっと弄んで この世の果ての花火

 

                『ラズベリー

 

 というわけで、中期スピッツで最も気色悪い、もはや性犯罪に片足突っ込んでるのではとさえ思える『ラズベリー』の登場。こんな一言一句全てに至るまで気味悪い具合に倒錯しきったストーカーな歌詞は最早ギャグ。上記は1番の歌詞で、2番についても、自身がおかしい自覚があったり、「君の前で 僕はこぼれそうさ」とサビの初めで歌ったり、本当にアウト気味な描写が続く。ある意味、草野マサムネの本気の一角かもしれない。この曲を誰かと聴こうとするときは、真剣に配慮が必要だと思う。というかもしかして、現在のポリコレ的にこれややアウト寄りのアウトじゃないか…?と不安になったりもする。

 

 

夢の粒も すぐに 弾くような

逆上がりの 世界を見ていた

壊れながら 君を 追いかけてく

近づいても 遠くでも 知っていた

それが全てで 何もないこと 時のシャワーの中で

 

さよなら僕の かわいいシロツメグサと

手帳の隅で 眠り続けるストーリー

風に吹かれた君の 冷たい頬に

ふれてみた 小さな午後

 

              『冷たい頬』

 

 これはユーモラスさの欠片もない、悲しみで感情が壊れてしまったという風な錯乱の歌だ。「夢の粒も すぐに 弾くような 逆上がりの 世界を見ていた」はまさに草野マサムネの想像力が爆発していていまひとつ意味は取りづらいが、ともかく、この世の理を無視した魂の触れ合いを求めていたのだろうと思う。「壊れながら 君を 追いかけてく」の箇所の痛ましさはメロディの展開もあって、本当に胸が切り刻まれるようだ。そして最後のAメロで、冷静になって別れを告げる。この悲しいストーリーの最後のフレーズが「小さな午後」で終わるのは、作家としての冷徹なまでの筆致の迸りを感じさせる。

 

 

17. 逃げる

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 ”逃げる”のは中期スピッツの大いなる魅力の一部だ。初期スピッツの頃は残酷な世界に対して無気力な振る舞いが目立つし、逃げる場合も魂的な話なのかなと思うけども、中期は色々と逃げようと試みる。時にロマンチックに、時に犯罪者チックに、そして時に本当に必死に、真摯に逃げようとするその光景には、どんな理由であれ基本的にいつも隣に「君」がいる。「君」を救いたいのか、それとも加害したいのか、むしろ「君」と一緒に逃げることで「僕」が救われたいのか、そんな目的が混濁しながら、時に鮮やかに、時に凄惨に、逃げていく。

 これもこのテーマだけでひとつ記事が書けたと思う。ひとまず3曲。

 

 

可愛い君が好きなもの ちょっと老ぼれてるピアノ

さびしい僕は地下室の すみっこでうずくまるスパイダー

洗い立てのブラウスが今 筋書き通りに汚されていく

 

だからもっと遠くまで君を奪って逃げる

ラララ 千の夜を飛び越えて走り続ける

 

                『スパイダー』

 

 幼女誘拐を思わせる、『ラズベリー』と並んで現代のポリコレ的に大丈夫これ?ってなる楽曲。しかも丁寧に「洗い立てのブラウスが〜」という気持ち悪さを丁寧に表現した一節まで入っていて、やはりなんとも性犯罪的。すでに冒頭で「君」を殺害している感じのある『青い車』はそれでもまだ倒錯しきった爽やかさを感じれるけど、この曲はやっぱちょっと気持ち悪い感じがあるかも。「ロマンチックな恋人同士のちょっとエッチな逃避行」として読めば、別に問題はないんだろうけれど。初期スピッツと違って行動力がある分よりタチが悪いのがこの曲や『ラズベリー』の気味悪さだろうか。

 

 

モノクロすすけた工場で こっそり強く抱き合って

最後の雨がやむ頃に 本気で君を連れ出した

 

虹の向こうへ 風に砕けて 色になっていく 虹を越えて

 

(中略)

 

すぐ届きそうな熱よりも

わずかな自由で飛ぶよ 虹を越えて

 

                『虹を越えて』

 

 切羽詰まった旅情がアルバム『インディゴ地平線』にはどこかあって、突き詰めて考えるとそれはタイトル曲に『渚』『バニーガール』そしてこの曲があるせいなんだろうと思う。この曲では「本気で君を連れ出」す理由はよく分からないけれど、「モノクロすすけた工場」は”街”のテーマで扱ったディストピア感を思わせるし、それにこの歌の主人公は”熱”よりも”自由”を求めてる。”自由”を求めて「君」と一緒に逃げ出して世界を彷徨う、それは男の子のずっと抱え続けるロマンの一形態ではなかろうか。

 

 

歪みを消された 病んだ地獄の街を

切れそうなロープで やっと逃げ出す夜明け

 

寂しく長い道をそれて

時を止めよう 骨だけの翼 眠らせて

 

凍りつきそうでも 泡にされようとも

君に見せたいのさ あのブルー yeah

 

君と地平線まで 遠い記憶の場所へ

溜め息の後の インディゴ・ブルーの果て

 

             『インディゴ地平線

 

 中期スピッツの”逃げ”のロマンの最果てがこの曲にある。”街”のテーマで記述したうんざりするような”街”から、「切れそうなロープで」どうにかこうにか、彼らはようやく脱出した。そして地平線の向こうのブルーを「君」に見せたくて、「君」を連れて主人公は歩いていく。もう、マンガのような美しい”男の子”っぷりで、おそらくこの曲では”街”の外は過酷な環境に設定されていて、この二人は野垂れ死ぬのかもしれないが、彼はそれも恐れずに、「君」を救うヒロイックな気持ちからか、それとも「君」を救う「僕」という身勝手さからかは知らないが、ともかく覚悟して歩いていく。今これを書いてるぼくだって、本当はこうありたいもんだなっていつも思う。鮮やかな逃げ方ではない、だけどだからこそ、見える景色の空っぽさがどこまでも快い。

 

 

18. ニセモノ

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 中期スピッツに限らず、スピッツというバンドの一番重要な軸、それが”ニセモノ”というテーマだろう。「正義のしるし」を踏んづけてしまった時からずっと、彼らは自身たちを阻害してくるルールや正義と対峙し、自身がフェイクであることを恐れず、むしろフェイクだからこそ世界の秩序に関係なく輝けるんだ、ということを繰り返し歌い続けている。フェイク賛歌はスピッツの歌で感極まれる最大のポイントのひとつで、そしてそのひとつの感動的なピリオドがそのまま中期スピッツの実質最終章となっている。

 ここまで読んでくれた優しくて賢明な方ならば、どうしてこのテーマを最後に持ってきたかなんとなく理解いただけると思う。

 

 

君の青い車で海へ行こう おいてきた何かを見に行こう

もう何もおそれないよ

つまらない 宝物を眺めよう 偽物のかけらにキスしよう

今 変わっていくよ

 

                  『青い車

 

 ”倒錯”のテーマの箇所に真っ先に入れるべきだったかもしれないこの曲だけど、仮にこの曲を「冒頭で「君」を首を絞めて殺して、「君」の青い車で海に飛び込んで”心中”する歌」という一番ひどいラインで解釈しても、ここの「つまらない宝物を眺めよう 偽物のかけらにキスしよう」の部分の尊さは決して失われないと思う。退廃を孕んだまますぎていく光景の中で、”二人”しか価値を見いだせない「偽物のかけら」へのロマンはいたずらに甘く、尊いものに感じられる。それがどれだけ社会に反する物であっても、今から死にゆく”二人”には関係ないことなのかもしれない。

 

 

おかしな恋人 ハチミツ溶かしていく

蝶々結びを ほどくように

珍しい宝石が 拾えないなら

二人のかけらで 間に合わせてしまえ

 

                『ハチミツ』

 

 甘々なギターポップアルバムの冒頭で一際甘く輝くこのタイトル曲の最も甘美な部分を、きっと多くの人がこの箇所だと示すだろう。「ハチミツ」というちょっとエッチなモチーフを展開させつつ、ここではさらに「蝶々結びをほどく」と、より踏み込んだ風な言葉を差し込む。そして、「珍しい宝石」の価値を認めつつも、そこに「二人のかけら」で「間に合わせてし」まうことを併置してくる。この、如何様にでも解釈できてかつ、二人からしか生まれようのないであろうワンアンドオンリーなかけらの、それが偽物だろうと関係ない大切さを慮る様は、不思議な優しさも感じさせる。

 

 

憧れだけ引きずって デタラメな道歩いた

君の名前 探し求めていた たどり着いて

 

分かち合う物は何もないけど

恋のよろこびにあふれてる

 

偽りの海に身体委ねて

恋のよろこびにあふれてる

 

今から箱の外へ 二人は箱の外へ

未来と別の世界 見つけた そんな気がした

 

            『フェイクファー』

 

 これはスピッツが描く「君」と「僕」の物語の、ひとつの最終章でもある

 初期スピッツにおいてはむしろ、箱の中でこそ「君」に会える、という表現が何度かなされている。

 

湿った木箱の中で めぐり逢えたみたいだね

今日の日 愉快に過ぎていく

もうさよならだよ 君のことは忘れない

 

             『月に帰る』

 

ハニーハニー 本当のことを教えてよ

神の気まぐれ 箱庭の中

ハニーハニー 隠れた力で飛ぼうよ

高く 定めの星より高く

 

              『ハニーハニー』

 

 中期スピッツになって、妄想や幻想に苛まれたりしながらも、ようやく現実の世界を歩いてる「君」に主人公は会えた。大きな力で空に浮かべたり、「愛してる」の言葉だけで強くなれる気がしたり、ヤバい地獄の街から一緒に逃げ出したり、様々に過ごしてきたけれど、それでもまだどこか「物語の中」めいていた。そんな箱庭の中から、「偽りの海に身体委ねて 恋のよろこびにあふれ」ることによって得た浮力で、飛び出していく、という物語。

 恋の浮力で箱の外の現実へと飛び出していく、というそれは、中期スピッツの最終章として相応しい感動的な壮絶さを持って響く。無論こんなのも所詮物語、”フェイク”だろという含みも持たせて、でも”フェイク”でも構わないんだろ、じゃあこれで解決だよ、と、無敵の円環構造をたたえながら。


 

・・・・・・・・・・・・・・・

終わりに

 以上です。なんかとっ散らかってますが、今までのレビューで書き残してたことも大方書けてよかったと思います。

 弊ブログで定義した中期スピッツはオリジナルアルバム5枚、シングル15枚、コンピアルバム1枚、あと『99ep』といった作品を残しています。決して全部が全部名曲だとは思いませんが、どれもやっぱり独特のロマンやファンタジーが沢山詰まっていて、どれもかけがえのない作品だと思います。

 初期スピッツのまとめ記事ではその時期のことを「世界に絶望して疲弊して、性と死に溢れた白昼夢に二人で落ちることを妄想する歌の数々」と表していました。であれば中期スピッツ「様々な妄想や幻想、狂気に苛まれたりしながらも、ようやく現実の世界を歩いてる「君」に出会って、恋の浮力でやがて箱の外に飛び出していく物語」と表せるでしょうか。もちろん、この一言だけでは到底表すことのできない多様な魅力が存在していることは言うまでもありませんが。

 

 というところで、2019年の7月から始まっていた弊ブログの中期スピッツ作品のレビューも一通り終了、となります。かなり更新が断絶してた期間があって、つい最近『ハチミツ』のレビューをようやく書いてからここまで、一気に来たな、こんなに一気に書いて良かったのかな、書き漏らしてることはないかな…と少し不安になりながらも、ひとまず描き終わったことにホッと安堵してます。結構計画倒れな記事群が弊ブログには色々あったりもするので…。

 弊ブログの一連の記事をスピッツを聞いたことがない人が読んで聴き始める、なんてことは、文量も多すぎるしとっつきにくいだろうし、無いだろうなあ、と思います。なのでこの一連の文章を読んでくれているのは、すでに十分すぎるくらいスピッツが大好きな人なんだろうな、と思います。そんな方々のお眼鏡にかなう文章だったかは大いに疑問がありますが(もっと読みやすくできただろ、とか)、それでも読んでいただいているらしいのは、本当に信じられなくて、ありがたいことです。読んでいただけていることで自分も、現実の「人」に会えてる気がして、なんだか良かった、という気持ちになります。本当にありがとうございました。

 『ハヤブサ』から始まる予定の後期スピッツの作品群のレビューも、そのうち始めようと思います。今後とも頑張りますので、興味ある方は気長にお待ちいただければと思います。

 

今回参照した楽曲一覧

 最後に、今回の記事で紹介した各楽曲がどのアルバムに含まれてるかを以下記載しておきます。同じ曲で2回登場してたりもあるので、全部で44曲取り上げていました。

 

アルバム『Crispy!』

『クリスピー』:2. 春

『裸のままで』:12. 冷たさ、16. 倒錯

『君が思い出になる前に』:9. バラード

『夢じゃない』:14. 妄想・夢・幻

『タイムトラベラー』:7. ギターポップ

多摩川』:3. 多摩川

『黒い翼』:4. 空

 

アルバム『空の飛び方』
空の飛び方

空の飛び方

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『たまご』:6. 星・宇宙

『スパイダー』:17. 逃げる

空も飛べるはず』:4. 空

『迷子の兵隊』:11. 鳥

『恋は夕暮れ』:1. 恋

ラズベリー』:16. 倒錯

青い車』:5. 海、18. ニセモノ

『サンシャイン』:10. 花、15. 街

 

アルバム『ハチミツ』

『ハチミツ』:18. ニセモノ

『ルナルナ』:10. 花

『愛のことば』:4. 空、15. 街

あじさい通り』:13. 雨

『ロビンソン』:3. 川、6. 星・宇宙

『Y』:11. 鳥

グラスホッパー』:8. パワーポップ

『君と暮らせたら』:7. ギターポップ

 

アルバム『インディゴ地平線
インディゴ地平線

インディゴ地平線

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『花泥棒』:10. 花

『初恋クレイジー』:1. 恋

インディゴ地平線』:15. 街、17. 逃げる

『渚』:5. 海、14. 妄想・夢・幻

『ハヤテ』:13. 雨

『虹を越えて』:17. 逃げる

『バニーガール』:8. パワーポップ

『チェリー』:2. 春

 

アルバム『フェイクファー』
フェイクファー

フェイクファー

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『冷たい頬』:12. 冷たさ、16. 倒錯

『運命の人』:3. 川

『仲良し』:1. 恋

『楓』:9. バラード

『ただ春を待つ』:2. 春

『謝謝!』:11. 鳥

『ウィリー』:13. 雨

『スカーレット』:7. ギターポップ

『フェイクファー』:18. ニセモノ

 

アルバム『花鳥風月』

『流れ星』:9. バラード

『スピカ』:6. 星・宇宙、8. パワーポップ

『猫になりたい』:14. 妄想・夢・幻

 

ミニアルバム(?)『99ep
色色衣

色色衣

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『魚』:5. 海、12. 冷たさ

 

 最後まで読んでいただき、ありがとうございました。