スピッツ全アルバムレビュー、今回は彼らの初のシングルB面曲集『花鳥風月』です。当時邦楽業界で溢れつつあったベスト盤ブームに対するアンチテーゼとして、かつ幾つかの名曲を含む彼らの充実したアルバム未収録のシングルカップリング曲を纏めてもう一度世に示す方法として、このコンピレーションアルバムがリリースされました。前作『フェイクファー』を製作した後の疲弊した状況においてレコード会社との契約をこなすひとつの方策でもあったでしょう*1。
弊ブログの『フェイクファー』の記事は以下のとおりです。
しかしながら、彼らは『花鳥風月』リリース時に「ベスト盤を出すのはバンドを解散する時」などとインタビューで言っていたのに、『君が思い出になる前に』から『楓』までのシングル曲を収めたベスト盤『RECYCLE Greatest Hits of SPITZ』の同じ年の年末のリリースが決定されてしまいます。アメリカで新しいレコーディング環境を模索していたメンバーは寝耳に水で相当荒れたりしたらしいですが、どうにか持ち直して、2000年にリリースされる会心作『ハヤブサ』に至る、という流れになります。
なお、『花鳥風月』については、2021年9月15日に、元の『花鳥風月』にインディーズ時代のミニアルバム『ヒバリのこころ』を完全収録した形の『花鳥風月+』として再リリースされる予定となっています。
ということで『花鳥風月』、これは中期スピッツの幾つかの忘れ形見と初期スピッツの同じようなもの、そしてインディーズ時代の幾つかの楽曲で構成されています。「クオリティは高いけど、「このアルバムが一番好き!」とか言われるとちょっと複雑になる」とは草野マサムネの弁。それでは、今回は前書きもそこそこに、すぐにそれぞれの楽曲を見ていきます。
- 1. 流れ星(5:12)
- 2. 愛のしるし(3:02)
- 3. スピカ(4:20)
- 4. 旅人(3:32)
- 5. 俺のすべて(4:04)
- 6. 猫になりたい(4:59)
- 7. 心の底から(4:29)
- 8. マーメイド(3:42)
- 9. コスモス(4:22)
- 10. 野生のチューリップ(3:24)
- 11. 鳥になって(5:13)
- 12. おっぱい(3:49)
- 13. トゲトゲの木(4:24)
- 総評
以下は、まだ『花鳥風月+』がリリースされていない段階なので、元の『花鳥風月』の曲目及び曲順になります。
1. 流れ星(5:12)
『花鳥風月』のリリースが決まった段階で新録曲として選ばれた、彼らがインディーズ時代から演奏していて『名前をつけてやる』の頃までは収録曲候補に上がっていたがされていなかった曲。ネット上にはインディーズ時代のライブ演奏、さらに1996年に辺見えみりに提供したバージョンと、3種類全てのバージョンが聴ける。便利な時代になりました。
www.youtube.comまさかのレゲエ調。でも歌詞やメロディはこの頃から1999年版まで変わってない。というか何で初期のうちに録音しなかったの…?
www.youtube.com少しシティポップ風味なアレンジか。間奏のホーンが新鮮。
1999年版の録音はプロデューサーにMOONRIDERSの白井良明氏を迎え、次の『愛のしるし』とともに録音された。ただ、マスタリング直前にミックスをメンバーが気に入らず、白井氏が指定した人と別のエンジニアに依頼してミックスし直す、といったことも起こった。あと、『花鳥風月』リリース後に、『エトランゼ』のリミックス8分バージョンと『愛のしるし』ライブテイクを含めた3曲入りシングル*2の表題曲として再リリースされた。この曲色々と曲の内容以外で書くことが多すぎる。
肝心の楽曲は、インディーズ時代はレゲエ調だったのが嘘のような、幻想的なバラードに仕上げられている。これは辺見えみりバージョンの影響を受けつつも、”楓メソッド”によって絶妙にスピッツ的な湿度と幽玄具合とを付加されて、「初期スピッツ的な超越的で不条理な歌詞」+「中期スピッツ終期の円熟し切った歌心」という取り合わせが実現した唯一のスタジオ録音曲となった。
冒頭からギターのE-Bowか何かによる美しいロングトーンがフェードインしてくる。伴奏はアコギの響きがよく目立ち、『楓』よりもよりバンドメンバー+サポートのクジヒロコ氏のサウンドのみで完結して、アルペジオやエフェクト等で楽曲のスペイシーな雰囲気を幻想的に引き出している。間奏等では和っぽい雰囲気でギターのロングトーンが旋回するけれど、シューゲイザーめいた雰囲気がサビのバッキング共々薄ら感じられるのは、初期スピッツ的なサウンドに少しだけ立ち返ったようにも感じられる。
楽曲自体も、パンクバンド的だったインディーズ時代から存在しているとは思えないくらいに、実に”楓2”的な情緒に満ちている。勿論、”楓2”になるよう丁寧に編曲しなおされていることは理解できるけども。確かにAメロの展開の中期よりやや野暮ったい具合は初期スピッツ的な不気味さを感じさせなくもないが、でもサビのクッキリして少ないメロディでロマンチックに感傷的に流れていく様は、インディーズの頃に既に『楓』と並び立てるようなメロディを書いていたのか…と驚かされる。やっぱりこの時期用にしっかりトリートメントされてるからそう感じるだけかもだけども。終盤にキーが半音上がってタイトルを連呼するだけになる様は実にしみじみする。
何よりも、『楓』並の雰囲気でもって歌われる歌詞が、中期ほど”恋”に縛られず、自由に言葉が飛躍して連なっていく初期のそれなのが、とても例外的で、そして面白い。初期と中期が混ざった、この曲だけの情緒の輝きがある。
僕にしか見えない地図を 拡げて独りで見てた
目を挙げたときにはもう 太陽は沈んでいた
造りかけの大きな街は 七色のケムリの中
解らない君の言葉 包み紙から取り出している
この歌は、サビで「本当の神様が 同じ顔で僕の窓辺に現れても」と歌われるとおり、主人公がニセモノの神様になってしまう歌だ。初期スピッツ特有の、ひとり孤独に引きこもりながら、君を含む世界や宇宙に接続してしまう性質が、この曲の歌詞には実に典型的に刻まれている。それでもサビのフレーズが奇跡的に中期スピッツでもありそうな儚い調子なので、中期の曲と混ぜても意外と違和感は少ない。
君の心の中に棲むムカデに噛みつかれた日
ひからびかけていた僕の 明日が見えた気がした
誰かを憎んでたことも 何かに怯えたことも
全部かすんじゃうくらいの 静かな夜に浮かんでいたい
やはり圧巻なのは、少し上擦ったメロディになって歌われる2回目のAメロの歌詞。誰が「君の心の中に棲むムカデに噛みつかれ」るなんて歌詞を書けるか。そしてそれが、虚無に瀕していたであろう主人公の救いになるなんて。構図自体は中期スピッツで散々繰り返されたそれであるからやはり意外と違和感は少ないけど、でもそこで出てくる単語の不思議な殺伐さとそれらが自然に収まる具合は、やはり初期スピッツの歌詞なんだなと、その凄みに圧倒される。
2. 愛のしるし(3:02)
www.youtube.comメンバーが女の子とともに次々とコスプレしていくPVは可愛くて面白い。
全体的にあざといけど、終盤の学生服→小人の流れは特に”必殺”の感じ。
ここから、間違いなく純然たる中期スピッツの置き土産たちとなる。この曲は一度『フェイクファー』の収録曲候補になりつつもストックされ、PUFFYに提供され結構なヒットとなった。ここに収録されたのは上記のとおり、白井良明プロデュースで録音されたセルフカバーバージョン。『流れ星』のカップリングはこの曲のライブバージョンなので、スタジオ録音版はここのみの収録*3。
www.youtube.com「壊れたボートで一人」と歌う箇所で「二人おるやん!」って誰もが突っ込むだろうPV。
楽曲は、ポップ職人としての草野マサムネの魅力を1960年代式のキッチュなスタイルで実にコンパクトにまとめ上げた、鮮やかで可愛らしくて楽しいもの。演奏も頭打ちのビートをはじめとしてひたすら快活で歯切れ良い甘さがビシビシと連打される。冒頭のベースイントロは意表をつくけど、ドラムが入り、さらに悪戯っぽいオーケストラが入ってひたすら賑やかになる。
そして、何故かそのオーケストラやギター等でもって、ひたすらT-REXのフレーズのパロディが連発される。イントロにかぶるストリングスは『Telegram Sam』の終盤コーラスのもじりで、ギターのブギーな刻み方は『Get It On』、サビ終わり等に入ってくるダークでファニーなリフは『20th Century Boy』だ。本当に何で急にこんなパロディ大会なんだろう…*4。結果としてファニーでユーモラスなフックとなっているのはとても手際がいい。
歌詞はPUFFYへの提供が決まってから書かれたものらしく、「そうじゃなきゃこうはならない」的なことを作詞者本人が話している。結果として、こちらもスピッツの可愛らしい部分を凝縮したような内容になっている。
ヤワなハートがシビれる ここちよい針のシゲキ
理由もないのに輝く それだけが愛のしるし
言葉の崩し方はPUFFY由来でも、「ここちよい針のシゲキ」のエロい方向にも危うい方向にどうとでも取れる歌詞の加減はまさに中期スピッツ以降の草野マサムネの犯行。「理由もないのに輝く」は『フェイクファー』等にも通じる、本物じゃないとか関係ないよそれが恋ならば、という感覚が実にポップに表出しているようにも思える。
少し強くなるために
壊れたボートで一人 漕いで行く
よく考えたら「なんで…?」ってなるこの辺の解決手段の謎さなど、実にマサムネ節の効いた程よい塩梅。
3. スピカ(4:20)
この辺までの曲順はシングルB面集とは思えない華やかさ。3曲ともPVあるし、ここまでは実質ただのシングル集という感じも。
この曲は『フェイクファー』の記事にも度々出てきた、活動再開時の”新生スピッツ”を表明するシングル曲の座を『運命の人』と争って敗れた曲*5。そのままアルバムに収録されず、『楓』をシングルカットする際に両A面としてくっつけられてようやくリリースされた。オルタナティブロックバンドとしての自身の演奏能力と、パブリックイメージとなった”誠実な青年”像との折り合いを図った、ギターサウンドの効いた演奏で真っ直ぐで明るい歌を歌う楽曲。
冒頭のギターのフィードバックノイズは破壊的な印象を受けるけど、その後始まる楽曲は、ギターがやたら歪んでること以外は極めて陽性で牧歌的なポップさで進行していく。この、サイケじみたディストーションギターと極めてポップでポジティブな歌の対比こそがこの曲の聴きどころ*6で、タイトなバンドサウンドで演奏し直した『チェリー』みたいな面白さがある。非常に明るいメロディの裏でやたらとあちこちからフィードバックノイズが立ち上がってくるのは、他ならぬメンバーがそのミスマッチさを楽しんでたのかな、とも思ったり。
この時期的なJ-POPに寄せた風の長いメロディのサビはボーカルもダブルトラックになり、ギターサウンドのサイケさと相まって、この曲独特の、不思議に生々しさのカットされたサウンドの広がりとなって響く。この辺、シーケンサーやサンプラーを多用しつつも歌も楽曲のセクションも非常にハッキリしている『運命の人』とは対照的なのもちょっと面白い。ミドルエイトに入るところの不思議な、”地に足の付いた浮遊感”とでも言いたくなる雰囲気も、でも質感としては妙に爽やか。
歌ってる内容は「です・ます」調になっていて、これは『謝謝』でも同じスタイルがとられる。そして「です・ます」調であるためか、誰かに対して自分の無事やこれからの展望を、朧げながらも誠実に綴って伝えるような内容になっている。
この坂道もそろそろピークで
バカらしい嘘も消え去りそうです
歌い出しのこのフレーズの端正な誠実さ。この曲の歌詞は少しも意地悪なことやズルいことをせずに、この調子で綴られていく。ただ、「バカらしい嘘も消え去りそうです」という一節は、よく考えると『フェイクファー』の「たとえ全てがウソであってもそれでいいと」というテーマとちょっと整合しづらい感じがして、もしかしてアルバム収録さえ外れたのはその辺が理由なのかなと勘ぐったり。
はぐれ猿でも調子がいいなら
変わらず明日も笑えそうです
振り向けば 優しさに飢えた 優しげな時代で
スピッツにおいて”猿”という単語は”本能的にセックスかマスかきを求める獣”としてのメタファーだけども、ここではそんな猿も前向きになれるような展望を歌っている。振り向いた過去についての話といい、書かれた時期の割に妙に中期スピッツまでを傍観するような歌詞になってるのはまた不思議。
夢のはじまり まだ少し甘い味です
割れものは手に持って 運べばいいでしょう
古い星の光 僕たちを照らします
世界中 何も無かった それ以外は
結構有名な「割れものは手に持って〜」の歌詞の部分の言い回し、よく考えたら「そりゃそうだろ」となるけども何故か上手いこと言った風に響くのが可笑しい。ただ、このサビの後半は急にスケールが宇宙的になって、初期スピッツ以来引きずってきた実存についての不安がさらりと出てくるところは、相変わらずな世界認識の素敵さがある。
4. 旅人(3:32)
この辺からようやくB面集らしい雰囲気になってくる。シングル『渚』のカップリング曲で、やや早いけどまったりとしたリズムでポップなメロディを歌うロックチューン。アルバム『インディゴ地平線』収録曲のような音のくぐもり方はしておらずハッキリしていて、逆にあのアルバム収録曲のエコー感を取り払ったらこんな感じになるのかな、と思わせる。A面が『渚』という圧倒的名曲であることもあるけど、それとの対比で物凄くショボく感じれてしまう曲。むしろそのショボさにこそ可愛い魅力を感じたい。
いきなりサビ的なメロディで始まる。というか、ヴァースとブリッジの繰り返しで進行する『スカーレット』みたいな構造の曲、と言った方が正しいのか。そういう意味で見ると、流石に『スカーレット』ほど洗練されてはいない。アルペジオ等の使用が少なく、ギターのリフで押し通すところが特徴的。その割に楽曲は全然ハードロックさのかけらも無いまったり具合なのがヘンテコ。
歌詞は、『旅人』というタイトルながら、「旅人になるなら今なんだ」と、まだ旅立ってもいない状況での決意でもない何かが歌われていて、よく考えるとかなりシュール。でも、この踏み出しきれないもどかしさもスピッツの魅力の一端か。
旅人になるなら今なんだ
いかつい勇気が粉々になる前に
ありがちな覚悟は嘘だった
冷たい夕日に照らされて のびる影
この時点では「いかつい勇気が粉々になる前に」旅人になろう、と歌うけれど、実際に旅人になってアルバム『インディゴ地平線』の世界を旅する主人公は、むしろ壊れることを恐れずに歩いていこうとする。この辺の流れがどこまで意図されたものか分からないけど、ちょっと面白い。『インディゴ地平線』の主人公はやっぱ格好いい。
あと、似たような時期にMr.Childrenもシングルのカップリングで『旅人』という曲をリリースしていて、これは当時邦楽でトップセールスの2バンドが同時期に同じタイトルの曲を作って出そう、という話になったかららしい。
5. 俺のすべて(4:04)
あの大ヒットシングル『ロビンソン』のカップリング曲にして、メンバーは当初こっちをA面に推していた、という、下手したら歴史が大きく変わっていたかもしれない楽曲。ハードエッジなギターを効かせた、男らしさ(かなりの情けない描写含む)を強調したロックチューン。『ロビンソン』とは似ても似つかない。『ロビンソン』のヒットの可能性を見出してメンバーを説得したスタッフは何気に偉業をこなしてた。
冒頭から、アッパーな頭打ちのリズムで(スピッツにしたら)ハード目なメロディを歌う。声がどうしたって男らしくならないのはむしろもう開き直ってこの曲のフックにしてる節さえある。ギターがカッティングを張り切っていて、特にAメロではハードロック的なチャキチャキを鳴らして進行していく。ベースも相当にキメッキメのフレージングをしていて、ドラムや歌のリズムとは別にリズムの角を要所要所で勝手に作っていて面白い。特に最後のサビ後のフェードアウトまでの間は演奏陣の自由時間という感じで、ギターもベースも自由にやりまくっている。
2回目のサビからサッと繋がるミドルエイトでは、実にキラキラしたギターやメロディが出てきて、あっ地金が出たね…って感じになってて笑える。ここの爽やかな展開があるからこそ、他のパートのハードさが映える訳でもある。
歌詞は、もう殆どギャグ的に、自身の男らしさを誇示するものになっている。何せ題からして『俺のすべて』だから。
歩き疲れて へたり込んだら 崖っぷち
微笑むように 白い野菊が咲いていた
冒頭のサビの後のAメロから、タフさを表現したかと思ったらもう、二行目の野菊の登場ですぐに台無しになる。このテンポ感の良さこそこの曲の歌詞の味。
俺の前世は たぶんサギ師かまじない師
たぐりよせれば どいつも似たような顔ばかり
でかいパズルのあちらこちらに 描きこまれたルール
消えかけたキズ かきむしるほど おろかな恋に溺れたら
この自虐のセンスは、でも珍しく周りも巻き込むような雑さがあって興味深い。中期以降のスピッツが外に向けて皮肉を歌うのは結構珍しい。そして、「おろかな恋に溺れたら」というフレーズの向かうベクトルがわかりにくいけど、「恋に溺れ切ることで浮力を得ること」は『フェイクファー』で到達した中期スピッツのゴールであるため、この地点での”恋”に対する露悪的なスタンスから読み取れそうな内容は興味深い。
山のようなジャンクフーズ 石の部屋で眠る
残りもの探る これが俺のすべて
サビの最後のフレーズが一番格好悪い。もう確信犯すぎる。「石の部屋」は初期の「氷の部屋」じみたものにも聞こえなくないけど、単純に寝にくそう。
6. 猫になりたい(4:59)
今回のシングルB面曲で最も人気があるであろう、『空の飛び方』の時期に突如可愛らしさの表現を習得したスピッツが放つ、フワフワした楽曲の雰囲気の中で気だるくも可愛らしい”猫”になって”君”に甘えかかる歌。『Crispy!』の頃は可愛らしさを出すのもぎこちなかったのに*7、急にこれだ。そして、あの『青い車』のカップリング曲。これも、どちらをA面にするかギリギリまで迷ったらしく、まあ流石に後世から見える『青い車』の圧倒的な完成度を思うと史実が正解、と思うけど、でも当時ここで『猫になりたい』をA面にするのを考えることも十分理解できる*8。ジャケットにも両曲併記され、対等な感じになってる。
楽曲としては、ミドルテンポでゆったりと、ファンタジーの乗り物に乗って浮かんでるかのようにゆったりモコモコと進行していく。このテイストがしっかりとバンドサウンドから出ているのは面白くて、キーボードの類は全然前に出てこない。イントロ等で聴ける印象的なフレーズも、しっかりとトレブルを殺し切ったファジーなギターで鳴らされている。アルペジオも、それ自体が主人公にならないように、爽やかでスッキリしたものになりすぎないように、キラキラさを抑えた丸い音になっているのが興味深い。Bメロではトレモロで蕩けるような音も用いている。
Aメロ・Bメロ・サビと展開して、サビの長さも結構な作りの楽曲は、ともかくサビの甘く高揚するボーカルラインに向けて柔らかく進行していく。メロディのどれも”猫”のイメージを邪魔するような尖った箇所が無いことは徹底されていて、甘えかかっているようで誘い込んでるようでもあるサビメロの朗らかな怪しさがとても活きている。
歌詞は、可愛らしいばっかりの世界観のようでいながら、どこか閉じた場所にいたまま世界のことや宇宙のことを思う不健全さが、しかも妙に洒落たいでたちで描かれている。
灯りを消したまま話を続けたら
ガラスの向こう側で 星がひとつ消えた
からまわりしながら通りを駆け抜けて
砕けるその時は君の名前だけ呼ぶよ
広すぎる霊園のそばの このアパートは薄曇り
暖かい幻を見てた
歌い出しからして、状況がどうにも怪しい。”君”と話をしているんだろうが、急に自分が砕け散るときの遺言を伝えたりして、やっぱりこの時期のスピッツは可愛らしくてもどこか死の世界にまだ片足突っ込んでるなって感じる。Bメロの「霊園」の下りもまさにだし、しまいに「暖かい幻を見てた」と歌うのは、冒頭やっぱり”君”と話してたわけじゃ無いのか…やっぱり妄想なのか…?という不安に駆られる。
猫になりたい 君の腕の中
寂しい夜が終わるまでここにいたいよ
猫になりたい 言葉ははかない
消えないようにキズつけてあげるよ
そしてこの、甘え切ってるようで、甘える相手を好んで傷つけようとする、ナチュラルに何か倒錯してしまってるサビの歌詞。支配欲とも性欲ともつかない何かが、相手に甘え切った上で展開されて、この身勝手さは初期スピッツとはまた違った気味の悪さを有している。
一行目からサビの結論まで倒錯し切ってる『青い車』といい、シングル『青い車』の2曲は底知れない何かおかしいものが蠢いている。もしかしなくてもスピッツ最狂シングルはこれなんだろうな。何かもう倫理観が完全におかしい。そのくせどっちもだからこそのロマンチックさを内包してるからタチが悪い。
7. 心の底から(4:29)
うげっ…って思ってしまう『裸のままで』ジャケット。
本当に売れる気あったの…?アッパーな方にラリってるでしょ。
笹路プロデュース体制になって「よっしゃこれだけ盛ったんだから売れに売れてやるぜ〜」と意気揚々とリリースして惨敗したシングル『裸のままで』のカップリング曲。ゆったりスウィングするリズムに乗った、軽く呑気なマーチ調のノリを持ったポップソング。『裸のままで』ほど振り切れ切った感じでないにせよ、こちらも艶々のメロディと小気味良すぎてダサくなってるホーン隊を抱えたアレンジは成程あのシングルのカップリングだ、って具合のちょっとした恥ずかしさも。
だけど、楽曲のメロディ構成的には、割とスタンダードな軽快な良さがあって、この感じは『空の飛び方』の『ベイビーフェイス』辺りで使いまわされてる感じがある。アレンジ的には、スウィング感に応じてバウンドしまくるベースの元気の良さが、後の大活躍を思わせる。草野マサムネの歌はA面に比べてずっと気怠げな感じが残ってて、歌詞の威勢の良さは歌からは感じられない。ミスマッチ狙い?
歌詞は、当時全然こなれてないポジティブ調をこなそうとして、色々無理してる感じが伺えるのがむしろ面白いところ。
心の底から愛してる 今でも奇跡を信じてる
天使のパワーで 悪魔のパワーで
取り戻せ ありふれたストーリー
天使と悪魔両方のパワーで成功しようとするのは、他力本願な上さもしい。そして、それらを使ってすることが「ありふれたストーリーを取り戻すこと」というのが、やっぱりこの時期の登場人物はポジティブだけど、でも現状は全然マイナスの地平にいるんだな、ということ。『裸のままで』共々、この”歌ってる地点の低さ”が、弾けるポップさとは裏腹の虚しさ・居た堪れなさを感じさせる。
8. マーメイド(3:42)
気怠げな小気味良さが味のミドルテンポのサーフポップ。サーフポップという点で完全にアルバム『惑星のかけら』の『波のり』と方向性が被っていて、曲のテンポも冒頭の歌詞もよりインパクトのある『波のり』がアルバムに選ばれ、こっちはシングル『惑星のかけら』のカップリングとして収録された。シングルとアルバムのタイトルが同じだからややこしい…。
逆に、変な勢いのある『波のり』と違って、全然元気が感じられないまま妙にポップなメロディを歌ってることがこの曲の面白いところ。The Police的な、ブリッジミュートで空間的に刻むギターと突如パンキッシュに響くドラムの手法が援用されていて、そこに本当に生気が薄い草野マサムネのボーカルがダルそうに乗る。歌詞で歌われる少し賑やかな光景の割に、楽曲には妙にひんやりした雰囲気が流れていて、この歌の登場人物ホントに生きてる…?って感じの雰囲気が醸成されている。最後のコーラスの投げやりさも効果的。
歌詞も、よく読むと生命の扱いが色々と危うさに満ちていて、やっぱ初期スピッツの曲なんだな…という薄寒い感覚が読んでて走る。
どうもありがとう ミス・マーメイド 甘い日々を
カラカラだった魂に水かけて
不死身のパワーを僕に注ぎ込んだ
はぐれたボートの上
初期スピッツのバイアスがあるからかもだけど、この歌詞はまあセックスなんだろうなあ、ってなってしまう。
優しくなった世界の真ん中で
君の胸に耳あてて聴いた音
生まれた意味をみつけたよひとつだけ
潮風に吹かれて
セックスの際に心臓の音を聞いたんだな、ってなる描写。だけどそこで「生まれた意味」を見つけて幾らか嬉しそうにしてるのは、意外と中期スピッツとそんなに変わらない。露骨にセックスセックスしてるか、あと冷めてるかの違いだけだ。
すくすく育てばいつかは食べられる
ぼやけたフルーツの夢
この辺は実に初期スピッツ的な残酷な世界認識が露骨に出たシーン。なんでフルーツの気持ちになってるんだ…とは思うけども。発想が本当に自由。
9. コスモス(4:22)
初期スピッツで最も切迫した「君」への思い込みの恋が宇宙レベルに爆発したシングル曲『日なたの窓に憧れて』のカップリング曲。初期スピッツでも珍しい、曲の輪郭が曖昧になる程演奏にエフェクトがかけられたドリーミーな音の中をボーカルが力なく漂う、隠しもはぐらかしもしない形で”虚無感”がそのまま表出された楽曲。草野マサムネ的には「言葉がイメージまで辿りつかなくなっていた」とややもどかしい出来のようだけど、確かにスピッツらしい捻りは弱いけども、それが故に直接的な憂鬱具合や空虚さが渦巻いていて、このアルバム後半の聞きどころのひとつだと思う。
楽曲自体はミニアルバム『オーロラになれなかった人のために』の延長線上にできたらしく、それも理解できる、とぼけることもなく冷静極まりないメロディ運びや、レギュラーなバンドサウンドから遊離して頼りなさげに揺らぐサウンドの具合などに、この不安定な時期だからこその、極端にまで振り切ったようなサウンドの澱み方・揺らぎ方があって、コーラスを深くかけ過ぎて溶けてしまいそうなギターの音には、どこかCocteau Twinsを思わせるような危うい幽玄さがある。
歌詞については以下の初期スピッツの記事でも触れてたとおり、身もふたもないくらいに「死」について触れている。当時見ていた映画にインスパイアされた内容が、なんらかの個人的事情でスピッツ的な捻りがそんなに入らないまま出力されたのかもしれない。
鮮やかなさよなら 永遠のさよなら 追い求めてたモチーフはどこ
幻にも会えず それでも探していた今日までの砂漠
君の冷たい手を暖めたあの日から手に入れた浮力
あの日のままの秋の空 君が生きてたなら
かすかな真昼の月と西風に 揺れて咲くコスモス 二度と帰れない
どれも、様々な比喩や屈折を経ず、真っ直ぐに”虚しさ””取り返しのつかなさ”に向かっている。こんなに素直に余裕なく死を想っている楽曲はスピッツでは他にない。この曲が美しければ美しいほど、この曲の有する”死”の香りも毒々しく咲く。その情感をコスモスに託すところは、ギリギリの地点でのスピッツらしさだろうか。
シングル『日なたの窓に憧れて』も、死ぬほど「君」を想って悶える表題曲と、冷静にひたすら死別を眺める『コスモス』とで、とても強烈な2曲の詰まったシングル。
10. 野生のチューリップ(3:24)
この曲はこの『花鳥風月』によって初めて世に出た、『名前をつけてやる』レコーディング時のアウトトラック。高速の3連のリズムで強引に押し通し、この時期的なキラキラさでもってあてもなく疾走し続ける楽曲で、その虚しいのに明るい調子や、現実感はないのに妙にエネルギッシュな感じなど、どうしてこれでボツなのか理解できないクオリティで*9、せめて何かのカップリングにできなかったのか、と思った。
コーラスの効きまくったキラキラのギターサウンドが高速3連のリズムに乗って煌めき続ける光景はそれだけで圧巻。ベースもひたすら重戦車的に暴れ倒していて、草野マサムネのボーカルもこの時期的な儚さを持ちながらも、高らかに伸びるメロディを絶妙なナイーヴさでこなし、力強いヴァース→いい具合にメロディがこじれるブリッジを渡っていく。ミドルエイトにおいてはこの時期的な一旦静寂→サイケでスペイシーな広がりの展開を見せ、その力強さは当時の楽曲の中でもとりわけ頭一つも二つも抜けている。ギターもベースもドラムもボーカルも、ともかく謎にエネルギッシュで、そのエネルギッシュな様が全然健康的に響かないのが、さすが初期スピッツ。
歌詞については、この曲はいよいよ”恋”の体裁も取っていない気がする。”君”が出てくるのはわずか1箇所で、一体この「野生のチューリップ探し」は何のためにしてるのか、それがまるで分からない。初期スピッツ的な不条理さが吹き荒れて、通り過ぎていくのを味わえる。
スズメのざわめき かためた木々も
野良猫 サカリの頃の歌声も
粉々に砕かれて ここには何も無い
真夜中の風に乗って 野生のチューリップ探しに
「スズメのざわめきを固めた木々」っていうのは意味不明だし、人間か否かを問わずセックスは世界に吹き荒れる。そしてそういうのがどうやら一切砕かれて、「ここには何も無い」らしい。実に呆気なく現在地点が虚無になってしまう。実に初期スピッツ的な破滅的な無情感。
夜空にいつもの星が見えない
ポケットに破れた地図をつめ込んで
さよなら さよなら…
探しに行くはずなのに、何かに別れを告げる。この、最早主人公に何が見えてるのかさえ分からないようなテクストは、初期スピッツでも難解な方か。この辺の不条理すぎる具合が『名前をつけてやる』からオミットされた理由だろうか。
なお楽曲自体は遊佐未森への提供曲として1995年にリリースされている。3連の感じは保持されつつも、1980年代テイストの効いたデジタルな仕上がり。上記の「サカリ〜」の部分は別の歌詞に差し替えられている。
11. 鳥になって(5:13)
上記『野生のチューリップ』を押しのけてなのか、アルバム『名前をつけてやる』の先行シングルとなった『魔女旅に出る』のカップリングには、彼らのインディーズ時代の活動の転機になった『鳥になって』が、当時のメンバーによって再レコーディングされて収録された。”鳥”という空を飛ぶ生き物がモチーフになった曲は、やはり初期の彼らの重要な曲である『ヒバリのこころ』や、真にスピッツが心機一転を図ることとなった『ハヤブサ』*10など重要なものが目立つ。この曲もまた、そういう位置にあって、漠然と”鳥”なのが最初期の感じが出ている。
U2ライクな部分もある空中を滑空するようなギターワークや躍動感のあるリズム隊の上で、ヘロヘロな内容の歌を歌う草野マサムネ。その声は、極力インディー期のヘロヘロ具合を再現しようと努めている風にも感じられる。リズムが止まってからサビが展開を始める曲展開は大味だが、このいちいちハッキリと展開する部分がインディー期らしさだと、このあと出て来る『僕はジェット』等でも感じられる。間奏で急にシリアスで雄大なコード感になってみせるのが、歌の情けないないようミスマッチしてて可笑しくも面白い。
歌詞は、そもそも”鳥”になるのが”僕”ではなく”君”という、実に他力本願すぎる情けなさこそがウリ。このアルバムを順番に聴いて来た人なら、『猫になりたい』はまだ自分が猫になる気があるからまだ解消があるのか…などと段々ラインが分からなくなってくる。
ああ いつまで 君の身体にしがみついたまま
きっと明日は僕らは空になる
他力本願な上に何を言ってるんだ、となる箇所。よく考えると、これも結局セックスの比喩なのかと思える。セックスを移動手段にすんな。
ああ 覚悟ができないままで僕は生きている
黒いヘドロの団子の上に棲む
そしてこの身勝手な主人公は、自身の汚らしさも過剰に理解してしまっている。なんかもう本当に面倒臭いやつだな…っていう風になっているけど、そんなこの曲が彼らのインディーズ時代の人気の着火点になるんだから不思議なもの。
12. おっぱい(3:49)
このコンピレーションの最後2曲は、まさにインディーズ時代の唯一のミニアルバム『ヒバリのこころ』の収録曲6曲のうち2曲が収められている。今度出る『花鳥風月+』は残りの4曲もようやく収録され、ここの曲順は大きく変わることとなる。
こちらは、タイトルがまあそのものな、インディーズ時代らしい大胆さのある楽曲。よくぞここからメジャーデビュー後の残酷でエロな初期スピッツに進化したもんだ。楽曲的には、当時日本語パンクで影響力が支配的だったであろうTHE BLUE HEARTSからの影響がまだほんのり残っている。というか、どちらかといえばハイロウズ以降の甲本ヒロトがやりそうなもっさり感のようにも思えなくもない。
イントロのThe Smiths的で繊細そうなギターのフレーズで誤魔化されるけど、歌が始まるとみょうにのっそりしたメロディが展開されて、あのギターフレーズは何だったんだ…って思わされる。そしておおらかな勢いで「君のおっぱいは世界一」と高らかに歌い上げる。えー。サビメロの後半はでも、後の中期スピッツ以降のメロディメイカーの才能の片鱗を感じさせるセンチさが幾らか感じられなくもない。
二度目のサビからしばらくブレイクして演奏を再開するところは、マヌケな具合のこの曲にしてはちょっと格好いい。結局またあのサビになるんだけども。
歌詞について。サビのフレーズは単語さえ気にしなければ案外素直なことしか言ってないけれども、問題は他の箇所にある。
痛みのない時間が来て 涙をなめあった
僕は君の身体じゅうに 泥をぬりたくった
インディーズの頃から、スピッツのセックス観はどうにもグチョグチョで気色悪かったみたい。むしろそんな気味悪さが直接的に嫌悪感のある描写に上がってくるのがインディーズで、隠喩の奥にゾッとするものが置かれる形で表現されるようになったのがメジャー以降か。『ラズベリー』みたいなベチャベチャしたのもそういやあるな…。
甘い匂いでフワフワで かすかに光っていた
誰の言葉も聞こえなくて ひとり悩んでいた
インディーズの頃から主人公の立場は絶望的で、ただ、インディーズ時代はその状況を素直に言葉にしていたんだなってことが分かる。これがメジャーデビューすると、強がりの地点さえ通り越して、達観したような邪悪な悪戯っぽさを得る。
13. トゲトゲの木(4:24)
このコンピ最後に置かれて、おそらく最も中期スピッツ以降のファンから嫌悪感を抱かれるであろう、下手したらメジャーデビュー以降のファンからでも同じ反応を受けるかもであろう、ヘンテコな民謡調のリズムやメロディに、ふざけたような歌唱、奇妙な擬音がさまざまに駆け巡る、インディーズ期スピッツの奇妙さを象徴するかのような楽曲。ミニアルバム『ヒバリのこころ』には他にも真っ当にかっこいい曲も全然あるのに、あえてこの一番エグい曲を選んでくるところにスピッツ独特のセンスがある?何でここに『死に物狂いのカゲロウを見ていた』を選ばなかった…。
この曲のリズムをシャッフル調、と言いたくはない。もっと民族音楽的な、部族音楽的な何かだろう。盆踊り的というか。そんなリズムに乗って出てくる歌の調子も強烈で、いかにも様子が変になってしまった人の、真面目さのストッパーが壊れてしまったかのような、どこか不気味なファニーさに溢れている。サビの展開も、後半にバンド演奏が途切れて変なフレーズを歌が放つ様は異形じみてる。1980年代の東京のアンダーグラウンドシーンの奇妙さ、もしくはイカ天時代に見られた珍妙なバンド群の一角、特に毒々しい類のそれ、といった感じか。
歌詞についてはもう、考えるのを放棄したくなってくる。絶対この「トゲトゲの木」は何かしらの拍子に気持ち悪い樹液とか出て来そうだし、そんな感じの歌詞。
トゲトゲの木の上で
ほらプーリラピーリラ朝寝してる
ちょっとだけ目を開けて つじつまあわせて
気持ち悪い世界で寝起きして、自堕落に暮らして、ちょっと目を開けて起きたことにして帳尻を合わせる、なんていう、よく考えると身につまされるようにも思えるけど、描写の気味悪さでそれを思わせない優しさがむしろあるのかもしれない具合。
ハナムグリ僕はまだ 白い花びらにくるまってる
歩き出した心 くねくねでいいな
スピッツの、特に初期の歌詞で「白い花」は概ね”精液”と解釈されることが多い。ということを考えてこの歌詞を読むと、やっぱ気分悪くなってくる。「白い花びら」としてくれてありがとう。
すぐに分けてあげたいな とどめのプレゼント
箱あけてみなよ 怖くなんかないよ
上記の描写があった後にこれだもの。気味悪いよ怖いよ。逆に、上述の描写は「気持ち悪いもの」とはっきり認識した上で書かれている、ということを証明している。
だけど僕がまばたきをしたその瞬間に
もう目の前から 君は消えていた
元気でね いつまでも 元気でね いつまでも
最後のここなんか、怪物の巣から命からがら逃げ切ったら、遠くでその怪物が出を振っているような光景が見えてくる。この気味の悪い怪物はこうやって、誰からも相手されないまま一人で何かをピーリラパーリラ歌いながら過ごしていくのか、と思うと、これまでとは別の居た堪れなさが芽生えてくる。
スピッツのスタート地点は、これほどまでに八方塞がりで絶望的な”怪物”の姿からだったんだな…と誤解させることに結構成功してそうな怪曲。
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総評
以上、13曲54分32秒でした。
コンピレーションなので、当然作品としての統一感など狙って製作のしようがない類のものだけども、でも『旅人』以降の楽曲は、確かにどこかB面の楽曲めいた、日の当たりにくい感じというか、輝ける場所がなかなか見つからない感じが何となく全体的に感じられるかもしれません。それらを思ったスピッツ本人たちは当初『裏街道』という名前をこのコンピにつけようとしていました。それもなんか理解できる話だなあと思います。
当時の最新の1999年から歴史を遡っていく曲順になっているため、スピッツの歴史をB面という日陰側から辿っていくことのできる作品でもあります。ちゃんと曲順に沿って聴いていくと、『旅人』が始まった時に「おっ地味だな」と思い、『猫になりたい』が終わって『心の底から』が始まって以降は「Oh…」って具合の気持ちになるかもしれません。特に、初期スピッツを全然聴かずに中期スピッツだけ聴いてこれを買った当時の人とか、後半でどんくらい面食らったんでしょう。
今となっては、スピッツのB面集コンピはもう今作含む3枚も出ていて、『色色衣』にも同じくインディーズ時代の楽曲が収録されて、ファンの側もインターネットによりインディーズ時代まで事前に十分に予備知識を身につけてから楽曲に当たることができるようになったので、本作リリース当時とはだいぶ状況が違うかと思います。そんな中で、『花鳥風月+』という形で『ヒバリのこころ』が完全復刻されるのはめでたい。きっと多くのファンから祝福されることでしょう。*11
以上です。いつもの参考にしてるブログを貼っておきます。B面曲という”A面のオルタナティブである”楽曲群に対する眼差しがすごい。
それではまた。
スピッツ関係の記事は、次は中期スピッツのまとめ記事が書ければと考えています。
*1:正確には、『花鳥風月』リリース前の1999年1月に3曲入り『99ep』をリリースしています。この3曲は『花鳥風月』の次のB面集である『色色衣』(2004年リリース)に収録されたのでそっちを書く際に取り上げます。
*2:他2曲は未だにこのシングルでしか聴けないレアトラックとなっている。『花鳥風月++』の発売が待たれる。。
*3:正確にはPUFFYのトリビュートアルバムにも収録されている。
*4:どこかのブログで読んだ興味深い意見が、「PUFFYへの曲提供を通じて、このようなサンプリング的なパロディーを特にThe Beatles関係で多くやってた奥田民生との交流が生まれ、民生へのパロディ手法のアンサーだった」というもの。なるほど。。
*5:『フェイクファー』の記事で書いたとおり、”新生スピッツ”をアピールするなら、新技術を色々駆使した、歌も明瞭な『運命の人』が選ばれたのは納得できる。一方で、『スピカ』にはスピッツらしい中庸さ・はっきりさせない具合が、パブリックなポップさと共に収められていて、個人的には『スピカ』の方が好きだなって思いはする。
*6:PVもそこがよく分かっていて、ギターを強調され、またサイケな色彩の映像になっている。
*7:というかこの頃はまだ自分が”可愛らしいもの”になるって発想自体がなかったのかもしれない。
*8:ただ、曲調的に直前のシングルである『空も飛べるはず』と被るから、結局は『青い車』になったんじゃないの?という気もする。
*9:アルバム『名前をつけてやる』に収録するには元気が良すぎた、ということだろうか。
*10:正確には楽曲の方は『8823』。
*11:弊ブログでも『ヒバリのこころ』の全曲レビューを書いてたんですが、結構昔に書いたもので、しかも前のブログで書いたのをエクスポートして持って来てるのでレイアウトが崩れていて、あまり見れるものでもなかったので、今回はリンクを貼るのはやめました。『花鳥風月+』が出たらちゃんと綺麗に書き直そうかな。。