ブンゲイブ・ケイオンガクブ

本を読まない文芸部員と楽器を練習しない軽音楽部員のような感じのブログ。適当な創作・レビュー等々。

『スカーレット』ART-SCHOOL

 活動休止前ライブの感想という最大の憑き物も落ちたことだし、アート全曲感想を再開します。

 バンド結成以来の4人が深刻なディスコミュニケーションに陥り遂に解散状態になるのが所謂第一期アートの結末だった。大傑作アルバム『LOVE/HATE』とそのツアーから生み出されたライブアルバム『BOYS DON'T CRY』を辛うじてリリースしバンドは壊滅(ついでに東芝からも契約を切られている)したものの、木下理樹はアートスクールの続行を決断。そして当時福岡在住でアートのファンとして親交があった戸高賢文をギターに、また一般公募のオーディションで宇野剛史をベースとして、2004年4月のフリーライブを皮切りに活動を再開させる。これがこの後5年程続く(今のところ最長)所謂“第二期”アートスクールである。

 余談だが、第一期と第二期の境界は明確だが、その後のメンバーチェンジの度の名称は幾らか呼び方に揺れがあるようだ。つまり、この後2008年にドラム櫻井雄一が脱退して鈴木浩之加入後の体勢を“第三期”と呼称するか、それとも2011年に宇野と鈴木が脱退して、サポートで中尾憲太郎藤田勇が就いた(2015年現在まで続く)体勢から“第三期”とカウントするか。個人的には、鈴木加入前後のアートの音楽性は連続している感があり、その他の節目ほど急激な変化をしている気がしないが、それでも当ブログはメンバー交代によるサウンドの変化の観点などもあり、鈴木時代を“第三期”、中尾藤田時代を“第四期”と呼称することとしたい。今回の活動休止が開けた後のメンバーが第五期になるのか、それとも第四期が続くのかはまだ分からない。

 前置きが大変長くなったが、そのように第二期として活動を再会させた後、最初に発表した作品が今作である。なお、今作からは『クロエ』が、この後に出る3枚目のフルアルバム『PARADISE LOST』に収録される。その点や歌詞の傾向などもあって、今作〜『PARADISE LOST』までの時期を当方では「PARADISE LOST期」と呼称したい。

スカーレットスカーレット
(2004/08/04)
Art-School

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画像欲しさにアマゾンリンクを貼ったが、今作と次作『LOST IN THE AIR』は、当時メジャーレーベルに所属していなかったバンドが自主レーベル(「VeryApeRecords」という。Nirvanaからの引用だろうけど、この時期からの木下の歌詞も踏まえると笑えるネーミング)からリリースしたもので、タワレコ限定・数量限定発売となり、現在廃盤である。
 しかしながら、この二枚の楽曲については後に『Missing』というコンピレーションアルバムに、当時の新曲二曲と一緒に再録されている。現在なら、こちらの方が購入しやすいかもしれない(これが出た為に元の盤が値崩れを起こしてはいるが)。そちらの再録分はリマスターされていて、それはいいのだけれど、音量レベルがアートの歴史で最も高い「FLORA・キキ期」の水準まで引き上げられていて、収録曲的に同じ期間の括りとなるはずの三枚目のアルバム『PARADISE LOST』(や、同時期の『あと10秒で』)の楽曲と一緒のプレイリストに並べると音量的にやや違和感があるのが珠に傷。
MissingMissing
(2006/09/06)
ART-SCHOOL

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 本当に前書きが長くなってしまった。以下レビューです。


1. スカーレット
 第二期アートの到来を告げる、このミニアルバムのタイトルトラック。作曲者に木下に加えて戸高の名前も記されており、アートの楽曲で作曲に木下以外の名前が入り込むのは(カバーを除けば)これが最初(のはず)。
 曲調は、イントロのギターカッティングの勢いがそのまま最後の音まで続いていく、所謂直線的な疾走チューン。しかし、第一期の多くのそれらとは雰囲気が異なる。ギターのバッキングが、これまでのアルペジオパワーコード重視から転換し、コードカッティングを主軸に置いたサウンドになっている。
 このカッティングのをの主軸として、他の要素は極力省かれている。リズムも直線的なアレンジで、アルペジオ等もさほど前に出る感じでもなく、ともかく終止ギターカッティングのジャキジャキしたアタック感が曲の中心を担っている。こういうアプローチはアート以外の同時代の疾走ギターロックバンド、特に3ピースバンドではそこそこ定番であり王道のサウンドな感じがするが、それをアートがやってしまうところにこの曲の魅力がある。
 また、そのカッティング自体を当時新メンバーだった戸高が考案して、それに木下が歌をつける、という形での共作となっている。カッティングのコード感自体は従来からのアートっぽさも感じられるような響きがあり、違和感はあまりない。モードチェンジしたサウンド上で木下のメロディもまた、木下理樹としかいいようのないリズム感と伸び方のメロディを書き、歌う。「おーおーおー」と歌を伸ばす箇所やサビの「しまーったあーあ、まーったあーあー」という不思議なリフレインに彼特有のストレンジなフックがある。
どうして 今 貴方に触れたくて 見えないから 身体を欲しがった
歌詞の方も、この曲はそこまであからさまではないが、より性的退廃とやたらめったらやさぐれながら未練がましい詩情に堕ちていく、PARADISE LOST期アート特有のカラーが打ち出されている。
いつか見たあの海へ 二人はそうたどり着いて
 本当は知っていた もうきっと戻れないと

 スーツ姿で壇上で歌う木下の顔芸と、ロボット演奏をするメンバーが印象的なPVも面白い。

2. RAIN SONG
 当時、新メンバーになってはじめて合わせた新曲だったらしい。LOVE/HATE期の名残も感じさせる、静動がくっきりしたグランジ気味ナンバー。
 しかしそれでも、バンドサウンドを変化させようとする意志は働いていて、この曲の場合特にドラム、スネアのカントリー的な軽快な連打が印象に残る。そこに3音アルペジオとコーラスの効いたギターストロークが絡むAメロの水中っぽさ。そこから一気にハードな演奏になるサビのシンプルさは、ワンフレーズ繰り返しの歌と相まって、より単純なハードさを前面に出した形となっている。シャウトと「トゥルットゥットゥルー」のコーラスがいいアクセントになっている。
ああ 今日は 海が見たいんだ なんとなく
 愛なんて それより何か 肉食いたいなぁ

笑っていいのかよくわからない、この曲最大のフック。個人的には性的なものよりも、曲調に沿うような空しい静けさの中にいるときに、ふっと意味もなく思い立ったフレーズ、といった、やさぐれた印象を受ける。憔悴してぼんやりしているような。

3. クロエ
 当時のアートでは明らかに新機軸だった、ファンク要素を中心に据えた楽曲。初っぱなだが完成度は相当高い。元々プリンスの大ファンだという木下のその方面の音楽趣向がはじめて前景に押し出された。これまでにもファンク要素は『JUNKEY'S LAST KISS』とかライブ盤の『モザイク』とかで少し現れていたが、この曲はド頭からギターのファンクフィーリングなカッティングが現れ、サビ以外で終止曲の雰囲気を支配している。
 そう、ここでそのファンクさを引っ張るのはベースというよりもギター、クリーンなトーンによる単音カッティングだ。それはまさにプリンスの数々の楽曲で行われているものと原理は似ている。しかし、プリンスがギターだけでなくシンセやSEも被せてトータルでゴージャスな感覚を表現しているのに比べて、ここではあくまでギター二本の神経質なプレイがメインで、それはむしろ殺伐さがあり、ポストパンク的ともとれるかもしれない(っていうかインディーバンドがファンクを取り入れる場合しばしば取り入れられるのがギターの単音カッティングで、プリンスばりのド派手シンセはさほど取り入れられないのは興味深いかもしれない)
 ギターが目立つが、他のパートもやはりファンクなプレイに徹している。ベースは、むしろ宇野自身直線的なギターロックよりもグルーヴィーな音楽を好んでいるらしく、タメを利かせた弾むようなプレイを見せている。一番ストイックなのはドラムで、殆どスネアを叩かずキックと裏拍強調ハットの刻みだけで4つ打ちのスタイルをプレイしている。木下の歌も怪しく這い回るような、疲れてだれているようなラインをリフレインする。最終的にはファルセットも披露し、木下流のガリガリなソウルフィーリングが垣間見える。
 ファンキーな刺々しさがサビで一転、カッティングがアルペジオになりメロウになるところは上手な切り替え。歌メロも性急なリズム感に切り替わり、しかしながらドラムは変わらず裏拍を強調し続け、ベースは弾んでいる。ファンクさの中にアート的なメランコリックでノスタルジックな匂いを奇麗に溶かしている。
身体だけを 欲しがる猿みたい 家にいんの 一歩も出ないで
歌詞では、いよいよPARADISE LOST期的なやさぐれ感や性的表現が渦巻いている。「猿」というこの時期の木下歌詞のキーワードが登場。アートのエロ歌詞は基本的に爛れた感じがして、その身も蓋もないところに自嘲的な姿勢が見える。
“いつかの海へ”なんて やせた肩抱いて
 僕等 きっと馬鹿で 変われない様で

ノスタルジーと停滞感。今作は「海」というワードも歌詞によく出てくる。

4. TARANTULA
 深いコーラスのかかった怪しげなギターリフを纏ったグランジナンバー。彼らの楽曲ではモロにグランジしてる部類だろうか。このギターリフの毒々しい感じが曲名のタランチュラをイメージしているのかもしれない(歌詞にも出てくるけど)。
 この曲についてよく言われるのはサビのメロディ。これがJoan Osborne『One of Us』からのガッツリ引用であることはファンの間でしばしば言及される。そこを置けば、コード進行やドラムプレイ、展開などの面でのSmells Like Teen Spiritマナーにかなり忠実な、典型的なグランジ感が味わえる。(余談だが戸高はこの後によりSmellsマナーに忠実な『Candles』を書き自身ボーカルで発表する)
許された季節は終わり 昼間から獣になって
 放っとくと 怒るんだっけ 誰でも そう

歌詞は今作でもとりわけ閉塞的な性が語られる。あと、歌詞に出てくる「タランチュラの刺青」の女性は実話だという。怖え。

5. 1995
 今作で最も明るくポップにアプローチした楽曲。言ってしまえばスピッツ青い車』なんかが浮かんでくるような、爽やかギターポップ。これも第二期以降に登場した新機軸(第一期の頃から萌芽はあったが、ここまでギターポップとして纏められているのはなかったはずだ)。しかし初っぱなにしては完成度が素晴らしく、後の「アートのミドルテンポのノスタルジック陽性ギターポップにハズレなし」という個人的な持論の、その始まりの曲でもある。
 ともかく、そのサウンドの軽快さ・淡さが素晴らしい。一音目から景色がパァーっと開けていくような感じ。ギターの揺らめきの様なサウンドの眩しさ・儚さはシューゲイザー的な要素が垣間見えるし、戸高のギタリストとしてのロマンチックな資質がスッと表出されている。ライドシンバルの高音を裏拍で強調したドラムも軽快な浮遊感を醸し出している。バックでループするSEも光がグライドしていくようで美しい。
 サビでパワーコードのギターが鳴るときも、ポップなドライブ感が加味されてとても心地よい。切迫感のある木下のボーカルも単語の連呼などがとても効果的に配置され、そしてその後木下お得意の「サビ後」のメロディ展開では、自然に沸き上がっていくようなギターの流線型とともに、爽やかにメランコリックに駆け抜けていく。
 歌詞も素晴らしい。木下的なノスタルジーが込められた単語の数々を隙間の多いリズム感で配置するAメロの良さ、本当なら歌詞を全部掲載したいくらいだ。
君の眼が好きで ただのそれだけで あの日 僕達は 裸足で飛び出した
 いつか見た海へ やせた肩抱いて すり減った二人は 何故かそう似ていて

一部『クロエ』とほぼ同じ歌詞があるのも気にならない。こんな淡いイメージとサビの無常観との対比が、曲調の流れと相まってとても切ない。
「変わらないでいられるさ」なんて 云って 身体だけが 繋いでた 様で
第二期アート以降の木下の歌詞からは、第一期の少年性は後退していく。しかし、その代わりのやさぐれやエロの中に、時折こういった「大人になりきれない大人」のノスタルジーみたいなのが入り込んでいく。この辺りの単語チョイスの中にこそ、木下歌詞の最良の部分があるように個人的に感じる。

6. APART
 前曲の爽やかで開けた感じからぐっと変わって、閉塞感と焦燥に駆られまくった攻撃的・自虐的なファストチューン。シンバル類の畳み掛けやらAメロのワンコードカッティングやら(少し『スカーレット』と響きが似ている感じもするが)が疾走感を醸し出すが、Bメロのキリキリとした旋律からぐちゃっとしたパワーコードをバックにAメロをオクターブ上で張り上げるサビに至るところは、第一期以上にどこかボロボロなフィーリング。爽やかさが無いというか、前と異なる邪悪さ・痛々しさがありそう。とりわけドラムの機動力が曲をグイグイ引っ張っていく。低音で歌うAメロと強引に絞り出すようなささくれまくったサビの1オクターブ差のギャップは、とりわけブレイクからBメロなしフィルインでサビに突入するラスト局面で壮絶に映える。
I'm waiting for APARTで猿がやる I'm waiting for 本当の俺の歌
そう云って どうだって よくなってしまったって
シンプルで直情的な曲展開以上に曲の重苦しい雰囲気を作っているのが、歌詞の部分。今作で最もささくれてやさぐれた歌詞を持つこの曲は、活動休止以降の本人の生活における停滞感・腐敗感が滲み出ている。身も蓋もない言葉の数々に、より自身の生活のリアルを切り売りしていこうという木下のいい具合に投げやりな意思が感じられる。

7. 君は僕の物だった
 今作を締める静謐で曲中の温度変化少なめな曲。ゆったり目なリズムで淡々とメロウに、過ぎ去っていくような雰囲気で進行していく様はかつての『1965』や『LOVERS』といった曲と共通するところがある(サビの「あーあー」というコーラスなどはホントに『LOVERS』そのまま)。
 この曲のサウンドの特徴は、終止刻まれ続けるギターのブリッジミュートだろう。The Police『Every Breath You Take』辺りを参照にした思わしきその音響はしかし、ドラマチックさや風景感をカットして、ひたすら内に溶けていくような感覚がする。サビなど一部で用いられるシンプルなパターンのアルペジオも思いの中に籠っていく寂しさのように響くし、木下の歌も終始淡々としながらも、特にサビの繰り返しなどに静かで寂しい熱を感じさせる。
 歌詞は、木下の実体験に基づいているらしい、悲しげな光景が描かれている。
気付いた? 5キロ痩せたの 急に 泣かれたって
 何か 猿になって しまえば 楽になれたっけ

このメンヘラ臭!第二期以降の、少年っぽいロマンからどんどん離れていく湿っぽさ・しんどさが、何とも身も蓋もない形で表出されている。


 再スタート後初のミニアルバム、ということで気合いが入っているのか、彼らの普段のミニアルバムより1曲多い全7曲収録となっている(同じ収録曲数の作品には後年の『Anesthesia』がある)。
 当時の新メンバー加入後初の作品だが、そのせいもあってか、作風に様々な変化が見られる。具体的に、The Cureミーツグランジみたいな曲は減り、その分をストレートなギターロックだとか、ギターポップだとか、ファンクとかにアプローチして、新しい魅力を放っている。この辺りの作風の変化は、特に戸高賢文の加入により、ギターサウンドの幅が広くなったことが影響している。サウンドイメージを木下と共通した視点で、かつ自身の個性を強く反映しながら構築できる「アートのもうひとつの顔」としての役割を、後年ほどではないにしても既にその萌芽が随所で見えるくらいに活躍している。
 サウンドのついでに木下のソングライティングも微妙な変化を見せており、全体的に湿った辛気くささが滲み出てきている。きっぱりと虚無で荒野な感じの『LOVE/HATE』とはメロディの質感も歌詞の方向も結構異なっていて、よりドロドログダグダした生活感や人間臭さが出ているのかもしれない。具体的には性的な描写がより直接的になったり、やたらささくれて投げやりな心情だったり、何度も繰り返される「いつかの海へ」的ノスタルジーだったり。
 混沌と虚無のロマンに沈み込んでいく少年の時代は終わり、それはとても素敵な映画のようだったけどでも終わり、ぞっとするような現実的などうしようもなさに溺れていく、大人になりきれなかった何かのうごめきのような詩情の、PARADISE LOST期のアートの出発点となった作品。この救いの無い感じは、次作『LOST IN THE AIR』でより追求されるところである。今作には、その予感、と言うには豊穣すぎる、過渡期的ながら半ば意図的のような、不思議な歪さと楽しみがあるように思う。