アートスクール、所謂Love/Hate期の第2のリリースは2タイプ。6曲入りミニアルバムと3曲入りワンコイン(当時)シングル。それがこの『SWAN SONG』それぞれDisk1とDisk2。しかも枚数限定生産だったこともあり、アートの廃盤でitunes等配信サイトでも入手不可な音源の中では最もプレミアがついている。そしてそのクオリティの高さから、アートの廃盤作品で最も人気あるとか、下手したら最高傑作の声すらあるとか、木下自身「自分が今まで作った中で一番好きな作品かも」(MARQUEE vol.56より)とすら言ってたり(なら再販or復刻してくださいよ…)。
色々困難はあるだろうけど、EMI(当時東芝EMI)様は第1期アートのシングルのコンピレーションを出すべき。Number Girlのリマスター出し終わったら次にやって欲しいことと言えば、第1期アートのリマスター&補完だけど、特にそれをする契機もないか…。
SWAN SONG(DVD付) (2003/07/30) ART-SCHOOL 商品詳細を見る |
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Disk1
1. LILY
虚無的な陶酔感と痛々しいグランジフィーリングが交差する、ひたすら暗いミドルテンポナンバー。前作『モザイク』や後のフルアルバム収録『Love / Hate』辺りと共通する雰囲気(個人的にはこの三曲を「Love/Hate期」の虚無グランジ三部作として扱いたい。まあこの時期の曲の殆どが虚無的だけど)。
今作から特に頻繁に登場するようになる薄い閃光のようなSEに導かれて始まる演奏の、その覇気のなさ・ボロボロ加減がこの曲の最大の特徴。ボーカル以外全楽器同時に入るのにすごく音圧薄くスカスカで寂しい。イントロのキュアー的なリードギターは音が細く弱く申し訳ばかりの潤いがあり、太く重く響くベースとリズムが同期した、フレーズと呼べるほどにも動かない単調さ。僅かに空白を埋めるその加減がとても寂しい。この曲のみならずこの時期のアートを象徴する演奏である当時既に崩壊していたというバンドの有様も思い浮かぶというもの。特に精神がアレしてたっぽいギター大山氏。
サビで利かせたグランジフィーリングも、リフが途切れる様が寒々しい。その隙間に入ってくる、連続するスネアとキックの入り具合はこの曲で最も力強さを感じるところ。がっつり潰れたギターの音もこの時期的で、余計な爽やかさが入ってこない、いい具合だと思う。サビ後のその歪んだ音でイントロと同じフレーズを演奏するところも、それほど空間的でもないただ潰れた音、という感じがして、この曲の混迷と落胆のエナジーが後述の不思議コーラスと合わさって表出している。
この曲の他のパートと同様、沈み込んだ感じのボーカル。呟くような様からサビでシャウト気味な歌唱を見せるのはグランジ的だが、決して抜けのいいところに向かわない具合が痛々しい。極めつけがサビ後の不思議コーラス、ファルセットとシャウトを繋げたような「イェイウーウー」のフレーズのいびつで頼りない感じ、ここにこの曲の精神薄弱具合が収束していく。
歌詞。ここにきて情景描写やカットアップは格段に減り、代わって自虐の度合いが非常に増していく。
「僕には花があったのにね/いつか散って消えてたね」
「花が散った」という自虐は後に『Love / Hate』(曲)でも使用される。
「声にもならない悲しくも無い/ただこの穴から抜け出せず
いっそ目を閉じて/何も見ずに/はいつくばって/ただ願うんです」
この辺りの感覚は後の木下理樹の作風にもずっと受け継がれている感じがある。目は開けたり閉じたりしている風だが。
2. DRY
やはりレクイエム期以前までと全く異なる、透き通って寂しい感じが疾走する楽曲。
今作でも、というか当時のアートでもとりわけテクニカルで機械的なリズム(第二期以降のアートの先駆けのようなプレイ)が真っ先に特徴として挙げられる。消え入るようなアルペジオの上で、非8ビート的な一定のプレイを反復する様に、バンドの音楽性の広がり以上に楽曲の物悲しさが縁取られる感じがする。
サビでは一気に勢いに乗る演奏。特に定期的にブレイクしドラムだけがスネアを5連で決める箇所が凄惨なアクセントになっている。同じフレーズを弾き倒した(こいつ大丈夫か?感ある)かと思うとサビメロ終わりから疾走感あるフレーズを弾いたり二音アルペジオするギターの具合もシンプルながら利いている。
この曲の2、3度目のサビ後の展開はアートの間奏でもとりわけ凝っていて、ギターのフレーズの変化と同時にボーカルも囁きとファルセットを使い分け、曲の光景を上手く展開している。特に3回目のサビは3段階の展開となっており、その度に挿入されるスネア5連が快い。
展開でもう一つ特筆すべきなのが2回目サビ以降をブレイクしてからの展開。ここでは各楽器の演奏は勢いを抑えながらも継続され、突然空中に放り出され浮遊するような感覚がある(特にドラムのハイハットのプレイが非常に打ち込み的・機械的で効いてる)。そしてそこからドラムの連打を中心にせり上がっていく演奏、からの最後のサビという展開は、第1期アートの楽曲でもとりわけ凝った演出。
曲の最後は何故か前作『モザイク』と似たような、バンドの息を合わせたブレイク繰り返しのプレイ。広がった曲の光景の余韻を機械的に打ち消す感じが容赦ない。
歌について。Aメロは『ミーンストリート』を流用。サビの直線的な勢いから、先述の通りその後の展開に合わせて変化していくボーカリゼーションが魅力。特にこの時期の木下のファルセットが素晴らしく、景色とともに気が遠くなっていく感覚がする。
歌詞。特に演奏的にも盛り上がる3回目のAメロがグッと来る。
「ねえいつか誰かを愛す/真剣に自然な感情で
この雨が止む事は無いさ/永遠に少しずつ死んでいく」
願いと諦めが交錯するこの辺りの感情は甘美でロマンチックだ。
3. OUT OF THE BLUE
今作では最も「らしい」疾走ナンバーではある、がそれでもやはり今作特有の翳り・虚ろさがあちらこちらに覗いている。
虚空からわき出すようなエフェクトに導かれた静パートの静寂と、動パートのメロディのせり上がり具合・ディストーションギターのブッ潰れ具合とのギャップ、そしてそれがありながら曲の勢いとしては途切れない感じがこの曲の魅力。静パートのスカスカの中を、微妙にアクセントつけて演奏されるベースラインが演奏を引っぱり、サビではパワーポップ的な勢いがドラムパターンの変化によってコントロールされる。特にギターは歪みきったパワコードごり押しで爽やかさを感じさせないところが特徴的。後ろでこっそり鳴る単音のピアノが虚しい。
2回目のサビ以降はAメロをそのままの疾走する演奏で繰り返す。ここではギターも幾らかキラキラさを取り戻し、それもあって景色が滑らかに流れていくような感覚がとても鮮やかで、その後バンド全体のキメで打ち消される感じも含めて、この曲のノスタルジックな雰囲気を最大限に演出している。特に最終盤は、歌詞のフレーズ、そして最後の最後に追加されるシャウトも相まって、このバンド特有のイノセンスの響きを感じられる。
「夏になればきっと/僕は思い出すのさ/からかいあって子供みたいだった事
She said,She said,She said」
サビのフレーズ「おおすがって、ただすがって」が最初「おうち帰って、ただち帰って」と聴き間違えて、おうち帰って、って絶叫するなんて、と思ったのが懐かしい。木下の愚直な歌唱が曲のどこか空虚な疾走感とどこまでもマッチしていて、聴いてて個人的にすごくぐっときて、普段熱くならないところが熱くなるような感じがする。
4. LOVERS
以前の『1965』とかと同系統の、淡々と進行するメロウな楽曲のひとつ、にして個人的にはその最高峰。今作でももっともうつろな感覚が得られるのはこの曲だろう。
何か特別なエフェクトがかかっている訳でもない、シンプルな8ビートのドラムの冷たい響きから始まり、淡々と楽器が増えていくイントロからして静かに引き込まれる。アルペジオのフレーズがPavement『Major Leagues』の引用っぽいが、これが延々と繰り返されるため、穏やかに覚醒していくような・沈み込んでいくような感覚。ドラムのシンプルなフィルイン、サビの穏やかなコーラス、2回目サビ以降のシューゲイザー気味なギターの音処理の夢見心地さと詩情の夢の無さのマッチング、すべて穏やかで染みるようにメロウで素晴らしい。
それほどメロディか派手に昇降する訳でもないメロディが、演奏の雰囲気に自然に馴染む。サビのメロディは木下ソロの『RASPBERRY』の流用でかつBelinda Carlisleの『Heaven is a place on earth』っぽくもあるけれど、曲の雰囲気に見事に溶け込んでいて切ない。アートの全歌詞でもとりわけイノセンスと虚ろなフィーリングばかりにフォーカスした歌詞も素晴らしく、全文掲載したいくらい。
「名前が無いこの惑星で名前が無い恋人と
白日にさらされてハッピーエンド夢見てた」
歌詞にもあるとおり「全てが夢のような気がして」くる可憐なこの楽曲の歌は、最後以下のどうしようもなく暗くキャッチーなフレーズの連呼で締められ、あとは穏やかに演奏に消えていく。
「何一つかなわずに/何一つかなわずに/何一つかなわずに/何一つかなわずに」
甘美な夢は、叶わないからこそ美しいのだろうか、ぼくたちのギターポップは一生地を這いつくばっていくのだろうか、などというアホなことを考えてしまう、虚しさの永遠を木下理樹なりに捉えた、素晴らしくメロウな一曲。
5. SKIRT
前曲が木下理樹の虚しさを閉じ込めた楽曲なら、この曲はその虚しさから生じる名状しがたい感情を解放した一曲と言える。ファン人気も高いという、第1期アート屈指の名曲。個人的にもアートの楽曲で最上位クラスの曲だと思う。
アコースティックギターのミニマルな響きが鮮やかな、淡々としたAメロ。やはりミニマルに纏まったメロディを、かなりぶっきらぼうに歌うボーカルが印象的で、乾いた爽やかさがある。
そこからサビでは演奏もメロディもぐっと持ち上がる。歌はけだるさでコントロールをロストしてる感じのままメロディを駆け上がり、ギターがバックでアートスクール的なうねりのフレーズで旋回する。一回目ではファルセットで元のあっさり演奏に抜けていくが、二回目以降のサビではシャウトも交え、演奏もディストーションかかったままの状態となる。
「My sunshine/君は笑うと/My sunshine/子供みたいで
My sunshine/こんな話は誰にだってよくあると
分かっているよ/それぐらい/分かっているさ/それぐらいは」
「My sunshine/哀しい歌が/My sunshine/好きだといった
My sunshine/こんな話は誰にだってよくあると
分かっているよ/それぐらい/分かっているさ/それぐらいは」
この「分かっているよ」のリフレインに重ねられる、男の子の弱さ・ノスタルジーへの希求・情けなさが、この曲が強く支持される一因だと思う。シャウトはけだるげなような泣きながらのような声質になり、裏声も交えているためか吹けば飛びそうなか弱さがある。
二回目のサビが一通り終わると、演奏が一気に引く。いつものブレイクだが、この曲においてここからの展開は非常に丁寧で、鳴りっぱなし→アルペジオ→全楽器と呻き入り、そこからせり上がりきったところで呻きは木下史上最もあられの無い、どうしようもないシャウトに変化する。そのシャウトを連発する裏で演奏は雄大に展開して、そして最後のサビに着地する。三回目の「分かっているよ〜」のリフレインの後にまたシャウトを連発し終了。
この、極端に細い身から無理矢理にでも絞り出して、何の意味かも判然としない形で繰り出される木下のシャウトが、もしかしたらアートスクールで最も美しい箇所かもしれないと思う。願いや祈りと、諦めや虚無が交差し混濁した、とてもみっともない叫び、これは木下理樹のキリキリに尖り傷ついたイノセンスそのものだ。
木下本人も思い入れがあるとかで、アルバム『Love / Hate』に今作から唯一収録されたり、ライブのアコースティックセットやソロ弾き語り等があればよく演奏されたりしている。アートスクール的な退廃した世界観、みたいな曲ではないけれど、木下理樹という人間の奥底の部分が見えてくるような、そんな名曲。
あと多分澤部渡は関係ないと思う。
6. SWAN SONG
今作中唯一、完全に陽性なメロディ・コード進行を持つ、Love / Hate期の楽曲でも『ジェニファー’88』と並んでポップな曲。この曲だけは後にベスト盤に収録されたため、前曲と並んで、絶版の今作でも割と耳にしやすい方か。
やはりこの時期特有の曖昧なエフェクトに導かれて始まるサウンドはかなりキュアーを、とりわけ『Just Like Heaven』を意識してそうな感じ。明るくもまどろむようなクリーントーンのギターは、これまでの今作の翳りに翳った雰囲気から緩やかに解放される感じがする。特にリードギターのフレーズは、コーラスがかかって不思議にユルくなった音も含めて、まさに『Just〜』のイントロのフレーズの一部を切り取って繰り返しているような感じ。このギターフレーズが、終盤のブレイクを除いてずっと反復されるのがこの曲最大の特徴で、ディストーションギターが入ってきてもこれのおかげで曲は不思議な潤いを保ったまま進行する。ギタリストの人権を侵してるのではと思われるほどの徹底反復っぷりだ…。
こちらも『Just〜』そのまま、というかギターポップの王道チックなメジャー感強いコード進行に乗せて、しかし歌はやはり木下理樹。ポップなのに覇気のないメロディが、やはりけだるそうに細切れに繰り出される。そんなAメロのしかし最後で、食い気味に入ってくる滑らかなメロディが美しい。シンバルを使わずに単調に「這ってる」感のあるドラムも良い。
「腐り切った感情で/僕は今日も生きている
どうでもいい、でも一度/心の底から笑ってみたいんです」
サビはディストーションギターと例のリフの不思議なマッチングの中、徐々に上昇するコードとメロディがシンプルながら鮮やか。アート最初期の楽曲『Outsider』から流用されたメロディが、ここでは切々としたボーカルでもって、このバンド的な力強さと求心力を持ったキラキラした響きに昇華されている。
「苦しくて逃げ出して/心ならとっくに焼け落ちた
はいつくばって/みっともないな/でも今日はそんな風に思うんです
笑っていたいんだ」
今作、6曲中3曲で「はいつくばって」という単語が登場する(『MEMENTO MORI』も含めれば4曲)。地面にへばりついて虚ろに空を見上げる様が今作のサウンドから思い浮かぶけれど、この曲ではそこで虚無に回収されきらなかった心のもがきやささやかな祈りが垣間見える。なんとなく思いついたレベルの希望、その眩しさが存分に発揮されている。
二度目のサビ以降の間奏を単調にやりきった後のいつものブレイク、そこでのアコギの爽やかな響きと浮遊感、そこから特に劇的でもなく元の演奏に戻っていくところが、とても鮮やかな風景を感じさせて、今作の締めとしてとても美しいと思う。白鳥の歌とは、白鳥が死ぬ間際に歌うとされる美しい歌の事だが、ここで披露された“白鳥の歌”の眩しさには、当時のバンドや本人個人の壊滅的な境遇を考慮せずとも、より普遍的な苦しい中の僅かな望みの美しさを感じさせる。
Disk2
1. SWAN SONG
2. LILY
3. MEMENT MORI
ワンコインシングルの方にのみ収録された唯一の曲。入手が困難でかつ億劫になる。
非常に穏やかで静謐なサウンド。二番から本格的に入ってくるドラムは打込みで、シンプルなベースとアルペジオなど、手作り感というか木下ソロ的な側面が大きいというか。特にバックで流れる暖かみのあるシンセの音が大きい。MARQUEE誌の全曲インタビューの中で「シンセで賛美歌的な音を入れて明るくしようとしたんだけどより一層暗くなったね(笑)」と本人は言う。そして、この曲の歌撮りの最中に泣いてしまった事も。
「完璧で誰からも愛し愛されて/次は違う人に生まれ変わるんだ
もう遅過ぎる/笑われてもいい/味わってみたい/ただ愛される気持ちを」
呟くようなボーカルが特に2度目のサビ以降にファルセットとシャウト気味の歌唱に変化するところは確かにとても痛々しい。サビのメロディは『ミーンストリート』の流用っぽいが、よりひび割れそうな感情に満ちた歌唱になって、曲の静謐さを打ち破って響く。その裏で歪みを増すギターの、それでも破壊的になりすぎない具合が対照的に穏やかで良い。
コード進行が『SKIRT』とほぼ一緒。あと次作『UNDER MY SKIN』もか。三曲並べても曲の雰囲気やメロディに共通点はありながらも結構幅があると感じる。当時の彼らはバンドが不全な状態とは思えないほどアレンジが広がりつつあった。シンセの使用は特に第2期以降顕著になるが、その先駆け的な一曲。
以上6曲+1曲。
全体的に統一感のある曲調。それはエフェクトの多用や3音アルペジオの連打などのアレンジ面と、ソングライティング、特に歌詞の面とに分かれる。この作品から完全に「Love / Hate期」的な音になったと感じる。ギターの音はレクイエム期のえぐいコーラス感が消えクリーンか、もしくはひどく歪んだ音になっている。ニューウェーブ的な響きも随所から感じられる。コード感がメジャーともマイナーともはっきりしない曲が増え、ダークというよりもむしろ透き通るような感じがして、それが爽やかさではなく虚ろな雰囲気に直結している。時折挿入されるディストーションギターも、潰れきった音はかえって整理がなされていて、衝動や情熱よりもダウナーさや機械装置的な質感を得ている。
音の虚ろさが、見事に詩情の虚ろさとマッチしている。自嘲自虐を連発する歌詞は、自分の中の虚しさばかりを覗き込んで単語を絞り出している。その姿勢はバンドや生活の崩壊した状況から来たものかもしれないが、アートスクールというバンドの世界観の、最も内向的な部分を晒している。
この作品は上記の二つの点で、数あるアートの作品の中でも純度が最も高い作品になっている。虚ろなまどろみをずっと漂っているような、何も無くて何も触れられないみたいな、そんな感覚だけで作品が作られている気がする。だから、個人的にはそういう雰囲気を求めている時によく手が伸びる作品。アートスクールのCDを1枚だけしか所有できないとしたら、これと『Love / Hate』のどちらにするかで迷う。
“荒んだ青春”と“なにもない青春”は別のものだと思う。木下理樹は露骨に荒んだ青春マン、といった感じだが、この作品はどこまでも“なにもない青春”に優しい作品だと思う。なにもない虚しい気持ちのまま、それゆえに景色のいちいちが美しく見えてくるような、そんな気持ちをくれる。それだけで生きていけるんじゃないかって、そんな開き直りのような事さえ考えてしまったりした。“何一つ叶わない”という恍惚の中をずっと漂っていたい、と言いかけた辺りで胸を突く何かもあり、それらどっちも大切にしたいと思った。