ブンゲイブ・ケイオンガクブ

本を読まない文芸部員と楽器を練習しない軽音楽部員のような感じのブログ。適当な創作・レビュー等々。

『Born To Be Breathtaken』For Tracy Hyde

 ラブリーサマーちゃん加入後のFor Tracy Hydeの音源リリース第二弾。当初ライブ会場+コミケ(!)限定の販売(それもCDという形態ではない)だったのが、8月31日より配信で入手可能に。
 ぼくはコミケで購入できた(サマソニ東京二日目行く途中にタイミングが合ったので行った。その節はありがとうございました>夏bot氏こと菅さん。人生初コミケでした)ので、配信で入手可能になったこの日にそのプライオリティを活かしてレビューを(現在iTMSでランキング駆け上がり中と聞いてすごい!と思った)。
 先に書いておくと、前作『In Fear Of Love』(リンク先で無料入手可能)から更に爽やかさが強調されていて、個人的には前作以上に好き。



1.Her Sarah Records Collection
 前作『First Regret』に続き菅梓ボーカル時代の楽曲をラブリーサマーちゃんボーカルでリメイクした楽曲。原典はBoyishとのスプリットEP『Flower Pool EP』
 軽やかでかつ上手く引っかかるドラムのフィルから始まるタイプのギターポップはすごく爽やか、という法則があるかは知らないが、まさにそのまま、ドラムのフィルからぱーっとギターやシンセのキラキラしたプレイが広がっていく様は、バンドのギターポップに対する拘りと理想の美しさが見える。
 Aメロのメロディ、細切れメロディ→可憐に昇降する長めのメロディの接続が爽やかにロマンチック。そこからのサビの畳み掛けるようなメロディの勢いも爽やかさの中に切迫感もあって、早めで直線的なテンポとともに、切なさが駆け抜けていくような感じがする。
 かき鳴らすリズムギターアルペジオ等のリードギターの絡みは鉄板。特にリードのフレーズや音の質感にThe Smiths的な雰囲気を感じる。長くないギターソロ部で旋回するギターフレーズも抜けがよくて、個人的にはアートスクール戸高氏のプレイを思い浮かべた。
 この曲の疾走感をより高めるのが曲の構成。最初にAメロを二回放ってサビに行った後は、そのまま間奏の後Aメロに戻らずまたサビに移行。そしてイントロと同じコードとプレイで流していくかと思うと、最後に挿入されるタイトルコール的な低いささやきとコーラスが入り、ここでこの曲の甘酸っぱさと切なさが高速で過ぎ去っていく風景の果てをさらっと見せて曲が終わる。
 つまり、最初のサビ以降はずっとサビのような感じがする。この間ずっと続く甘酸っぱくて切ない雰囲気がとても強力で、作曲者の理想の爽やかさ像みたいなものが、どこまでも文系チックなボーイミーツガールといった詩情も含めて大いに感じられる。
いつも同じ日々に/代わり映えない景色/それもいま変わってゆくから
 霞と花の先/ふいに流れるメロディ
 多分それは、彼女の心の中のコレクションにもうあるんだ

 ある人はこの曲を指して「僕らの世代の『Goodbye, our pastel badges』になるんじゃないか」と仰った。確かにこの曲には、渋谷系があって、アニメがあって、インターネットがあった上で達成されたようなある種の理想郷のような感じがする。ラブリーサマーちゃんの融解しそうなボーカルと確かなバンド演奏を得てリメイクされたこの曲は、より一層その輝きを増したのかもしれない。

2.Outcider
 「アウトサイダー」と曲名を聞いた限りだと「えっ爽やかバンドのはずのフォートレ、まさかのグランジナンバーか何か…?」と動揺するも、綴りをみればなるほど!という具合の夏が弾ける感じの爽やかポップナンバー(今作の歌もの三つはどれも三者三様にすごく爽やかだとは思いますが…)。
 今作で、というよりラブリーサマーちゃん加入後にリリースされた楽曲の中で最も渋谷系っぽさがあると思う。軽快にハネたリズムと、夏っぽさを感じさせるギターフレーズの数々、アコギの涼しげなカッティングなど、渋谷系ネオアコ感が強く曲に出ていて、最初聴いたとき「新体制でもこういう曲作るんだ」と思った。作曲は菅梓氏でなくベースのMav氏(@mav_curry)なのも意外に思ったが、前作でもこの位置は非菅曲(ラブリーサマーちゃんの曲だった)ので、その曲順を踏襲しているらしい。
 曲のメロディ自体は、ラブリーサマーちゃんのけだるげな歌い方もあってか、advantage Lucyのような感触も。Aメロの落ち着いて凛としたた感じからBメロで明るくなってサビでパッと弾ける感じは、よく出来たポップスのお手本のよう。とりわけサビのメロディが音程高く、細身の声を持ち上げて歌う様が可愛くも少し色っぽい。特に最後のサビでは転調もあって更に高くなり、よりキリキリした様が切なくて良い。
 歌詞もMav氏による。曲のイメージと合った単語のチョイス(夏の終わり、色合いの関係など)が鮮やかで、幻想的でかつ写実的で感じがする。
蒼い岬に満月見上げて、君はずっと何を想っているの?
 白い街の結晶見下ろして、もう過ぎ去った日々を思い出すの?

連れ立って駆けてった砂浜と犬の声。/煌めいて夢だった水の街のパレード。
 疲れ切って行きついた木漏れ日に眠った。/忘れるべき日のセピア色の風景。

夏の終わりというのも、寂しさと名残惜しさのロマンが沸き立つところ。ちょっと不思議な世界観と軽やかな曲でそれを描写したこの曲は、ちょっとした感傷的な短編マンガのような趣があると思った。

3.ビー玉は星の味
 今作の曲順は本当に前作を踏襲しているらしく、ここにはまたもや菅氏作曲のチルウェイブチックな半インストナンバー(半、というのはラブリーサマーちゃんのスキャット(?)が割と全編にほんのり挿入されているため)が登場する。
 菅氏のインスト曲、となるとやはり彼の別ユニットShortcake Collage Tapeっぽさが出てくる。今回も夢見心地なサウンドエフェクトの重なりの中に、夏っぽい郷愁とか何とかが渦巻いている。今回はベースのプレイやスキャットコーラスの入り方に少しファンクっぽさも感じられる。ふにゃふにゃしたシンセの鳴りはよりサイケデリックな感じ。スキャットコーラスが大幅にフューチャーされているため、それが一時的に消える中盤の寂寥感も心地いい。

4.After
 前作と同じく、菅氏書き下ろしの歌もの曲がこの位置に。5分近くで、やはり今作の大作ポジション。この曲はまた、時折シューゲイザーバンドとも形容されるFor Tracy Hydeのまさにその側面が表出し、ラブリーサマーちゃん加入後にやや変化した歌もののセンスと見事に融合した、まさにシューゲイザーがあって、アニソンの興隆があって、相対性理論があって、という数々の達成を踏まえて作られた、彼らなりのシューゲイザーの最新形、といった感じがする。
 歌メロは落ち着いたトーンのAメロから滑らかに繋がるBメロ→王道進行でキャッチーさと切迫感が詰まったサビ。このメロディの質が相当に高く、また作曲者が近年のアニソン等から受けたであろう影響を抽出したような、一部のアニソン特有の息が詰まるような高揚感がとても光っている。個人的に、この曲は今すぐにでもどこかのアニメ会社がちょっと感傷的なアニメのエンディングとかに採用すべきだと思う。そういった世界で戦っていって全く遜色のないキャッチーなメロディ。
 そのメロディがシューゲイザー的なサウンドに乗る。このサウンドもまたいちいち素晴らしい。Aメロで聴かせるコードカッティングの平行感、間奏やサビで一気に噴出する歪んだギターの壁と、それが歌メロを邪魔しない具合、シューゲイザーの名曲にありがちな意外と平坦でなく所々荒ぶるドラムなど、そういった要素が重なり合って、歌メロにも負けない快くて心地よい轟音になっている。
 曲構成としては、三回目のAメロ、Bメロの箇所にブレイクポイントを挿入し、そこから早口と頭打ちリズムと轟音で畳み掛けるCメロ→間奏と繋がっていく流れが、必殺の感がある。この早口ボーカルはラブリーサマーちゃんの儚げなボーカルの魅力を卑怯なくらいに引き出していて、その後の間奏ギターソロや最後のサビの雰囲気までもそれまで以上に切なさが乗せられていく。
 アウトロの、轟音の中で「トゥルットゥー」とコーラスが入るところまで、本当に隙がない。前半は低く抑え、そして後半で舞い上がらせるこのコーラスは、今作でも最も美しく爽快な箇所だと思う。
 歌詞も菅氏の作。よりガーリーさが増して、その可愛らしさの中で鮮烈な感傷が、シューゲイザーな音像に鮮やかなストーリーを溶かし込んでいる。
揃いのミサンガはわたしの願いを叶えずすり切れて、
 空転する時間を静かに物語ってる。

ミサンガという単語が出てくる辺り、Galileo Galileiへのリスペクトも感じる。
一番印象的なフレーズは、最後のサビの箇所。なるほど、と思った。
許したふりがたやすいのは
 茜射す光の角度が強がりも悲哀も絵に替えてしまうから。
 許せないままでいるのはさ、きっと君のことだけじゃない。
 湿った歩道の風に吹かれて想うの。

 歌詞の描写、メロディ、シューゲイザー、全てがある少女の感傷的な光景を浮かび上がらせることに収束したこの曲は、それこそこの一楽曲という中でストンとした物語性がありつつも、そのテーマが物語内で完結してしまわずに広く聴き手のイメージに入り込んでいくような感じがする。少なくともぼくは、またひとつ繊細で哀しい少女のイメージのつよいやつを得たなーと、この曲を何度も聴きながら漠然と思っている。


 以上四曲。
 曲順は完全に前作を踏襲していて、
1曲目…菅氏の過去曲のセルフカバー
2曲目…非菅氏曲
3曲目…インスト
4曲目…菅氏作の新体制下での力作曲
といった並び(だと思う)。この統一感がなんか面白い。もしかしてもう一枚くらいEPが出て、それもこんな曲順でやったりするんだろうか、と思ってしまう。
 楽曲については、つらつら書いた通り、今作は前作以上に爽やかさが強調された曲の並びになっていると思う(その分、前作で特に印象的だったヒリヒリした感じは少し後退したかも)。爽やかさにも、王道疾走ギターポップだったり、渋谷系ネオアコ風味だったり、シューゲイザーだったりで、元々バンドが持っていた幅の広さを現在のバンドのポテンシャルで爽快に解き放ったような感触がする。
 幅広く解き放った、といっても、それらはやはり“爽やかさ”という単語と、それに付随する様々な感傷ごとやら何やらによってピントづけられている。これはラブリーサマーちゃんの声も大きいだろうが、歌詞の方向性において足並みが揃っていることも重要だと思う。多くの鮮やかな風景描写の中にふっと忍び込めてある少女のイメージの哀しさ・いじらしさは、それそのものが残酷極まりない。爽やかさとは、夏とは、過ぎ去っていくものなのだという感覚が、かわいーなーたのしーなーな気分を越えて、刺すように伝わってくる。
 美しいということは悲しいということや寂しいということなんじゃないか、というのはぼくが日頃勝手に考えていることだが、彼らの前作や今作を通じて感じる気分もまた、あまり人を幸福にしないかもしれない鮮烈さ・甘美な感傷だった。太陽の照るどこまでも爽やかな青空の下で、過ぎ去っていったことを思いうつろになるときの気持ちの美しさというものを味わうために、歩いてるときとかに前作や今作をまた聴くんだと思う。