ブンゲイブ・ケイオンガクブ

本を読まない文芸部員と楽器を練習しない軽音楽部員のような感じのブログ。適当な創作・レビュー等々。

『名前をつけてやる』スピッツ(リリース:1991年11月)

名前をつけてやる

名前をつけてやる

 

 日本のロックの名盤としてすぐに上がりがちで、また日本の猫ジャケでも真っ先に上がりがちなスピッツのメジャー2枚目のアルバム。1枚目と同じ年のうちにリリースされてて、その制作ペースの速さと、それに全く釣り合わない名盤具合とに翻弄されます。

 そんなサクッとできた制作行程をリスペクトして、この記事もサクッと書き上げたいところではあったけど、とてもそんなこと出来なかったな…意外といけました。とりあえず種々の前置きはせずに、サクッと本編に入ります。

 

 

1. ウサギのバイク(3:29)

 ジャケットを見て、曲目を見て、すぐに「なんかかわいい」って思えるのがこのアルバムの魅力のひとつだと思うけど、その一部であるこの曲からして、その可愛らしさの裏でささやかに、しかししっとりと幻惑してくる

 木の葉舞うようなアコギのアルペジオを中心にひたすら展開していくこの曲は、まるで「森の中に誘い込まれる」ような感じがする。どこか民謡っぽくもあるメロディや、特に最初のワンコーラスはずっと女性コーラスと並走のスキャットで通すところとか。むしろ歌詞が始まるところでそれまでの幻惑感から抜けて、また別の幻惑にかかっていくような。歌詞付きの歌が始まるとベースが活発に弾き始めるのは今回初めて気づいた。変なパーカッションも入ってきて、静かに賑やかになってく。間奏のギターソロもロックさをたたえたまま角を丸くして、鮮やかにこの森の光景を結んでいく。

 草野さんのボーカルは前作までにあったフニャフニャさは抜けて、今作は基本フラットに歌われる。その平坦さは、ゼロ年代にちょっと力強くなるまでずっと続いて行く類の平坦さだ。情感を抜き出して乾かしたような、澄んでてややパサついた声。

 歌詞の方も、歌い出しがいちいち衝撃的だったりした前作と違って、以下のとおりいささかマイルドに現実逃避していく(そもそもこの曲の本当の歌い出しはスキャットだけども)

 

ウサギのバイクで逃げ出そう 枯れ葉を舞い上げて

優しいあの娘も連れて行こう 氷の丘を越えて

 

さりげなく差し込まれた「氷の丘」が大事で、前作冒頭の「冷たくって柔らかな 二人でカギかけた小さな世界」と対比させられるワード。そもそも移動しようとしていることを「前作の潔癖症の引きこもりからの脱却」と取るか、「氷の丘を越えてもっと危ない場所に向かってるだけでは…」と捉えるかで意味が変わってくる。この辺難しいから、普段は比較したりなんかしない。フワフワと、このアルバムに誘われればいい。

 

 

2. 日曜日(2:36)

 「ちょっとだけハードロック気味なスピッツ」というのを今後彼らは時折見せてくるけど、その最初かもしれない。2分半ちょっとの短さで、サウンドに重たさも全然感じないけれども、でもこのアルバムでのこの曲の役割は「2曲目でちょっと元気目なスピッツを見せる」だと思う。

 曲の構造はとてもシンプル。AメロとBメロにわざわざ分けて解釈する必要あるかな?というくらいシンプルな長調で展開する。ディストーションギターはよく聞くとハード目なリフになっているけども、何故か全然そんな感じがしないのは、草野ボーカルの明後日の方に透き通った声のせいか。ベースも特にBメロで蠢きまくってるのに、不思議とこの曲は静かな印象すらある。

 この曲の印象がガラッと変わるのは2回目のサビ後に来るミドルエイトだろう。初期スピッツにおけるミドルエイトが基本的に「サイケデリアの付加」として機能する一方で、この曲は例外的に、むしろここをサビと言いたくなるようなロマンチックさを託されている。リズムチェンジして、タムを利かせたドラムのプレイに乗って、オールディーズポップのような艶やかなメロディが挿入される。草野ボーカルもこの時ばかりは少し潤いを見せる。

 歌詞。ハードロックがハードロックに聞こえないのは歌詞のせいもあるのかもしれない。冒頭もなんかゆるい。

 

晴れた空だ日曜日 戦車は二人をのせて

川をのぼり峠を経て 幻の森へ行く

 

「戦車」という本来質量的に重々しさの象徴な概念が、ここではとても軽い。なんせ川を上ってしまう。ガルパンでも戦車が川を登ることはないはず。

 

色白 女神のなぐさめのうたよりも

ホラ吹きカラスの話に魅かれたから

 

ミドルエイトの歌詞。この辺はやはりスピッツの本質にさりげなく触れる箇所だと思う。感情の喜怒哀楽よりも優先すべき好奇心がある。スピッツの少年っぽい要素のかけら。

 

 

3. 名前をつけてやる(3:46)

 3曲目で早々にタイトルナンバー。このアルバムでも特に気だるさを感じさせる、いい意味で小さくまとまった、落ち着いてるけどちょっとファニーな世界観が実にこのアルバム的なナンバー。

 全体的にリズム感が少しハネ気味で、そこがこの曲最大の特徴になっている。リズムに合わせて身体とかを揺らす時やや引っかかる感じ。少しだけファンク的かも。特にベースのリズムの取り方がよく効いてる。ギターもよく聞くと歌の後ろでワウをワカチャカ言わせている。そこと、間奏等のモジュレーション利いたギター等のなんとも言えない薄らサイケ感と、サビののっそりとメロディがせり出す感じが、割とコンパクトなソングライティングの中で滑らかに共存している。サビでは他メンバーのコーラスワークも聞けて、小ぶりな壮大感(?)を醸し出す。

 そんなこの曲の最大のフックは、最後のサビが終わった後の静寂な展開だろう。ミドルエイト的に登場するこのセクションでの、草野さんの弱々しいコーラスや、フォーキーさとギターのサイケさが併走する感じに、この小さな世界における宙ぶらりんな、小さな宇宙を感じさせる。シューゲイザー的な手法だけどもとてもささやかな、しかしドリーミーで印象的なセクション。

 歌詞の方も、上記の印象を補強する。むしろ上記の印象は歌詞に大いに引っ張られていると思うけども。

 

名もない小さな街の 名もないぬかるんだ通りで

似た者同士が出会い くだらない駄ジャレを吐き笑った

 

1行目のサラッとした舞台設定の、無駄の無さと「ぬかるんだ通り」という少しばかりの奇妙な言葉の並べ方による想像の余地とがさりげなく凄まじい。

 

名前をつけてやる 残りの夜が来て

むき出しのでっぱり ごまかせない夜が来て

名前をつけてやる 本気で考えちゃった

誰よりも立派で 誰よりもバカみたいな

 

この、掴み所があるようで無いようであるようなサビのフレーズが特にファンキー。幾らでもエロいことに繋げられるパーツは揃っているけど、10人が10人とも同じ解釈には至らなそうなフワッとした調子は、まさにこのアルバムの雰囲気を体現しているところかもしれない。「つけてやる」という謎の上から目線は間違いなく狙ってそう書かれていて、そう思うと、歌詞の目線がやや第三者的なこの曲の「小さな街の小さな物語」っぽさが気になってくる。

 

 

4. 鈴虫を飼う(4:48)

 前作では『月に帰る』とか『死神の岬へ』とか壮大なタイトルが当てられた三輪テツヤさん曲が、今回はこのタイトル。ずいぶん質素になったな…と比べてみて思ったけど、楽曲もタイトルどおりの質素さ・平和さがある落ち着いた曲。このアルバム落ち着いた曲ばっかだけども。

 イントロからして落ち着いてる。ゆったりとしたシャッフルのリズムはゆりかごのようで、マンドリンも入ってささやかに響きを添えている。コーラスの利いたギターの響きももっと4ADっぽくなりそうなところを、この曲のまったりした雰囲気をはみ出さないようなプレイに徹している。曲構成的にはこのアルバムに珍しくAメロ→Bメロ→サビとなっている(なのでなのかこのアルバムで最長の楽曲がこれ)けれども、それによるドラマチックさとかはあまり感じられず、むしろそういうものをを排除して、ひたすらに「穏やかな生活感」のようなものを醸し出す演奏と歌が展開されていく。伸びやかな草野ボーカルのサビメロは盛り上がりよりもむしろ落ち着く方に作用する。

 歌詞も、不思議さはありつつもしみじみとした光景が綴られていく。

 

天使から10個預かって 小さなハネちょっとひろがって

腹を抱えながら 色のない窓を眺めつつ

 

鈴虫の夜 ゆめうつつの部屋

鈴虫の夜 一人きりゆめうつつの部屋

 

鈴虫とともに一人で暮らす寂しげな光景はちょっと辛気臭い。RCサクセションにも『忙しすぎたから』というゴキブリと一緒に暮らす曲があるけれど、あの曲の貧乏臭さや寂しさと連なるような要素がこの曲にもあると思う。それでもゴキブリじゃなくて鈴虫なのはソフトでいい。

 そういえばスピッツは虫をタイトルにした曲もいくつかある。『ハチミツ』『グラスホッパー』『ホタル』『宇宙虫』『夢追い虫』『未来コオロギ』『ハチの針』…なんか傾向があるかと思って並べてみたけど、花の名前ほどのものは特にないようだった。。

 

 

5. ミーコとギター(2:47)

 このアルバムでとりわけ奇妙さ・不条理さを発揮しているのがこの曲だろう。そして今作で一番アグレッシブなナンバーでもある。この曲で一番なくらいだから、やっぱり基本静かなアルバムだ。

 割とBPMは早めだけども、その上でアグレッシブに動き回る16ビート。今思えばこれってStone Rosesっぽいなあと。っていうか『Elephant Stone』(特にアルバム版)じゃんって今更気づいた。16ビートなのでより細かく動き続けるベースだったり、フォーキーな曲にワウギターをかましたり、結構まんま。Stone Rosesの1stアルバムが1989年で、なおかつフリッパーズ・ギターの『ヘッド博士の世界塔』がこのアルバムと同年なので、渋谷系文化としてそろそろこういうノリが流行り始める、その直前くらいの時期になる。ミドルエイト的な箇所ではよりワウを強めて、ドラムはタムを利かせて、声もエフェクトかかって、という辺りも、少し後の時代の渋谷系ロックバンドあるあるな特徴なため、この曲はその先駆例のひとつと言えそうだ。

 そんな意外に無邪気そうな模倣の裏で、歌詞は中々に混沌とした内容になっている。それは前作『テレビ』のようなナンセンス仕様ではなく、むしろ歌詞中の登場人物の関係性のことでなのが最大の特徴。ミーコは誰と寝たのかな。

 

ミーコの声は誰よりも強い だけどはかない

そしてミーコの彼はミーコの彼じゃない 誰も知らない

いつかは二人で幸せになりたかった

 

ミーコの彼はミーコの彼じゃない」という混乱した状況、そしてどうも歌い手はミーコと添い遂げられそうにない、という感じをポップに歌い上げる。その辺の含みはミドルエイトに忍ばせてある。

 

一人よがりじゃなくて 嘘じゃなくて

大きな“パパとミーコ”のようなギターと

今日も歌うよ 裸の世界を

 

このクイズのような暗号のような歌で、語られるのはここまで。なので、この歌詞はミドルエイトで突如出てくる「パパ」のことをどう思うか次第になってしまう。ファンの定説は「近親相姦」であることを申し添えておく。その解釈が一番、この楽曲の煌めきとミーコのはかなさが際立つのかもしれない。手塚治虫『奇子』*1を出すまでもなく、胸クソ悪い話だけども。場合によってはこの胸クソ悪さが、よりによってアルバムで一番明るいこの曲のその胸クソ悪さが、アルバムの印象に大きく影を落とすことになると思う。

 

 

6. プール(3:53)

君に会えた 夏蜘蛛になった

ねっころがって くるくるにからまってふざけた

風のように 少しだけ揺れながら

 

 初期スピッツの代表曲と言い切ろう。性と逃避と、そして薄らと死をも捉えて、鮮やかで幻想的な光の揺らぐ刹那を永遠に切り出した、彼らの最高傑作のひとつだろう。上記の冒頭の歌詞で「夏蜘蛛」が「身体を重ねた男女の手足の数」という解釈を読んだ時の衝撃たるや。その後のひらがな多用がなんだか恐ろしい。日本の夏ってこんなにエロかったんだ、って思う名曲。

 効果的にコーラスとリバーブのかかったクリーンギターのイントロが眩しい。歌が入ってからの延々と続くドローン気味なバックのギターの鳴りは部屋の外で延々と鳴き続ける蝉か何かのようだし、陽光の中の視界の歪みそのもののようでもある。ベースが支えなければ崩壊しそうなフワフワ具合を、そのベースがかなり動き回って、水面下の輪郭を彩っていく。退屈さや気だるさが増せば増すほど夏は煌めいて甘くなる、みたいなサウンドと歌。

 

街のすみの ドブ川にあった 壊れそうな笹舟に乗って流れた

 

どこかの街、少し田舎で寂れているかもしれない街で、視界が壊れそうな眩しさと影の中で二人が蠢く。その長くないメロディの端正さと、終止の危うさがなんとも儚くて切ない。

 

ひとりを忘れた世界に 水しぶきはね上げて

バタ足 大きな姿が泳ぎ出す

 

 歌詞が最小限で、そして一切無駄がないので、全て引用してしまいそうになる。ギターソロはまるで、短い夏に迷い込んだ幼さの乱反射のように涼しく青い。

 どうしたって印象的な瞬間が、2回目のサビの後に訪れる。リズムが無くなって、バックで鳴ってたようなギターのクリーンでドローンな揺らぎと、あとはため息のようなボーカルだけの空間。カーテンの隙間から注ぐ陽光のような、二人の体温だけの世界のような、永遠の快楽のような、永遠の融合のような、永遠の忘却のような、永遠の放浪のような、永遠のメロウのような…。

 このセクションに閉じ込められたそんな「永遠」が、このアルバム自体をいつまでも日本の名盤に押し上げ続ける。そこからドラムのフィルとともにあっけなくAメロに戻ってしまうのが惜しまれるほどに。いや、そのあっさりとAメロに帰って曲が終わってしまうことをもって、あのパートの「永遠」の情感が完成するのかもしれない。

 日本の夏、「君と僕」のエンドレス・サマー、それはこの小さな曲に、とても艶めかしく封じ込められている。個人的に夏は大っ嫌いな季節だけども、夏という概念のおかげでこの曲が成り立つのなら、夏もまあ、悪くはないかな、とか思ってしまう。どうして「夏」という概念は「永遠」という概念と相性がいいのか。

 

 

7. 胸に咲いた黄色い花(3:25)

 一旦入り込むと前後不覚になりそうな前曲から、カラリと立ち上がらせてくれるポップな曲。個人的にこのアルバムは『ミーコ』からこの曲までが特に聴きどころ。

 イントロからして印象的なギターフレーズはXTC『Mayor Of Simpleton』のオマージュ。XTCの方もうだるような穏やかなサイケデリアがポップに弾ける大名曲*2だけど、スピッツのここでの「輸入」具合もちょっと音がメカっぽかったりで絶妙と思う。サビの後ろでも鳴り続けるこのフレーズを軸にこの曲ができている。

 『Be My Baby』のリズムを取り入れた歌謡曲みたいなメロディは適度に下世話*3で、前曲の緊張感さえ漂う美しさから切り替わるに相応しいメロディだと思う。そんな溜めたAメロからサビにサッと飛翔する感じの眩しさは、コンパクトで機能的な眩しさだ。それこそブレイク時のアルバム『ハチミツ』諸楽曲のような。2番でバックにサイケなギターの挿入も忘れないし、この楽曲を通じて4回しか鳴らないバラライカも、王道ポップスの伝統を挿入するいい仕事をしている。

 初期スピッツでは大体楽曲の半ばで入ってくるミドルエイトが、やはりこの曲でも少し世界がねじ曲がったような違和感を挿入しつつ、元のコード進行に戻った時のホッとする感じを演出している。

 この曲の歌詞は、下らない妄想と狂気との境目くらいを軽やかに、ちょっと喜劇的に歩いていく。罪の無いファニーさがいい塩梅だと思う。

 

月の光 差しこむ部屋 きのうまでの砂漠の一人遊び

胸に咲いた黄色い花 君の心宿した花

 

砂漠の一人遊び」が具体的にどういう行為かの考察は置いといて…肺に睡蓮の花が咲いてやがて死んでしまうのはボリス・ヴィアン『うたかたの日々』だけども、もし比喩じゃなければ同じことが起こってるこの主人公は、呑気にもその花に「君の心」が宿ってると思って幸せになってしまう。あれっ結局やってること「砂漠の一人遊び」のままじゃね…?この辺の妙な愉快さがこの曲の肝だろう。ちょっとThe Smiths的なねじれ方をしてるかも。

 でも大丈夫、この黄色い花は「幻」だと、歌の中で言い切っている。

 

時の淀み 行く手を知り 明日になればこの幻も終わる

 

しかしながら、そう分かってるからこそ「だから何?」という風にさえ聞こえるサビのリフレインが一層滑稽で悲しみを帯びてくるというもの。やっぱりこの曲はどこか喜劇的だと思う。

 

このまま僕のそばにいてずっと もう消えないでね

乾いて枯れかかった僕の胸に

 

 

8. 待ちあわせ(2:58)

 前作にあったパンクなノリの楽曲が今作で死滅したかのようにここまで思われたけど、この曲のチャチでヤケっぱち気味な疾走感は辛うじてその面影を残している。

 不穏なフィードバックから入るカオス気味なイントロから、とてもキュートな草野ボーカルが現れるAメロへの切り替わりはガクッとなる。ギターはちゃんとマッシブに歪んでるし、ドラムはパンクなツービートなのに、まるで迫力が無いのが素晴らしい。そしてブリッジでリズムチェンジをして、その上でこれも少しばかり、前作のヘナッヘナボーカルが顔を覗かせる。スピッツのロックに疾走する曲は何故か常に情けなさが隣り合わせだ*4。バランス感覚。

 アウトロではちょっとスペーシーなインプロをやってみたり。ワウのかかったギターがノイジーに暴れまわっているけれども、そこまで破滅的な音を立てる訳でもなく、次の非常におとなしいイントロに間に合わせるようにしぼんでいってしまう。

 

だけど君は来ない待ちあわせの星へ 約束した場所へ

 

約束する場所が星単位!この辺宇宙的なアレンジと呼応してる。

 

シャボン玉の中でぬくもり確かめた 震え押えながら

飾りのない恋 ドロドロの

 

草野先生的には「飾りのない恋」=「ドロドロ」となるらしい。「飾りのない」=「ピュア」みたいな方向に決して行かないのがスピッツ。信頼があります。それにしてももしかしてここのシャボン玉は「待ちあわせの星」までの移動手段なのか…?

 

 

9. あわ(4:32)

 前曲の歌詞を受けた訳でもなく、むしろ前曲の勢いを全て削ぎ殺した上でしれっとこの曲が始まるところは笑いどころかもしれない。今作のシュールさ担当枠でもある*5

 少しジャズっ気の入ったシャッフルビートがとてもユルい。気力が全然入ってない感じの雰囲気の中をベースがランニングしている(からやっぱジャズは意識してある)。リードギターもジャズっぽいフレーズといえばそうなんだけど、それ以上にこの曲のシュールさを音にしたようなラインを色々と弾いている。ワウでフワフワ〜って音出してるのも笑える。

 草野さんの歌も、今作で一番フニャフニャさが強い。前作的なストレンジさというよりも、本当に脱力して歌ってる、って感じの気だるさが曲にマッチしてる。特に、Bメロでギターとともにスタッカート気味になったと思えば、サビでなんともアンニュイに音が伸びていくところ、歌詞なんかも適当に繰り返しちゃうところに、なんか苦味のあるロマンチックさを感じる。

 3分10秒から先は歌もなく、この平気でのんびりぼんやりしたスイングを続けていく。一度ボサノバ的にブレイクしながらも、また元に戻って最後まで行く様はシュールだし、しかしタイトルから想起されるソフトさと同等の「割れてしまいそうな」緊張感も薄ら感じる。

 そして、シュールな歌詞の数々。

 

こっそりみんな聞いちゃったよ 本当はさかさまだってさ

 

すぐにショーユのシミも落ちたよ ほら びっくり大笑い

今日もこんなひょろひょろの風の中 ぼんやりしてようかなあ

 

(で、で、で)でっかいお尻が大好きだ ゆっくり歩こうよ

 

今作でとりわけシュールな言葉が連なってるのが、ここだけでも分かると思う。そしてそんな不思議さを不思議さだけで終わらせないスピッツ。2番目のサビに半ば無意味に不穏なフレーズを入れ込むのを忘れない。

 

機関銃を持ち出して 飛行船を追いかけた 雨の朝

 

 

10. 恋のうた(2:41)

 ラスト前にこのインディーズ時代の、彼らにとって転機となった*6大事な曲が入っているところが興味深い。単に前作から短い期間のレコーディングで曲が足りなかったのか。でもこの位置にこのサイズ(3分弱)のこの曲はよく嵌ってる。

 少しバックビートを強調した演奏はちょっとチンドン屋風だけど、コーラスの利いたギターアルペジオや、無振動でフラットに伸びる草野さんのボーカルを活かしたメロディなど、スピッツの基本となる要素を色々と備えている。そして、実に愛らしくかつ実直で、悪くいえばヒネリゼロな歌詞の素朴な響きが、この曲をレゲエというよりもカントリーっぽく聞こえさせている。終盤のメンバーのコーラスも可愛らしい。罪の無い歌だなあって感じ。

 

ミルク色の 細い道を 振り返ることなく歩いてる

きのうよりも あしたよりも 今の君が恋しいから

 

 

11. 魔女旅に出る(3:59)

 アルバムの最後を勤めるのが、このアルバムからの唯一のシングルとしてリリースされたポップな楽曲。

 この曲の最大の特徴は、バンドサウンドの上にかなり壮大にオーケストラを導入したことだろう。草野コーラスとともに演奏をリードしていくストリングスはなかなかに派手で、正直、他のアルバムの曲からは激しく浮いてて、最後にしか置き場は無さそうな感じはする。けど、むしろ逆に映画のエンディングみたいな効果を発揮している。特に間奏で次第に独自のメロディを構成して盛り上がっていく様はなんとも映画のエンディング的。確実にオーバープロデュースだけども、結果的になんか良かった、みたいになるのがこのアルバムの良さなのかも。

 楽曲としては相当にシンプルな構成をしている。特にサビはかなりあっさりしていて、この曲にストリングスを入れようと思い立った人はどうしてそう思ったんだろう、と不思議になったりする。でも、そのあっさりさと歌詞のフレーズが、非常に相性がいいのは確か。

 

ほら苺の味に似てるよ もう迷うことはない

僕は一人いのりながら 旅立つ君を見てるよ

手を離したならすぐ 猫の顔でうたってやる

ラララ 泣かないで ラララ 行かなくちゃ

いつでもここにいるからね

 

(タイトルで察せられるとはいえ)お前が旅立つんじゃないんかい!なところ*7や、まさかのジャケット回収のフレーズも含まれてたりで、言葉数が少なく言葉も平易だけど、不思議とカラフルな光景が広がっている。この辺、ブレイク時期へ至るまでのポップな歌詞への基礎体力がすでに十分ある感じがする。「猫の顔でうたってやる」も意味わからんし妙に上から目線だし…アルバムタイトルも回収にかかってるのか。

 余談で、この曲のオーケストラを担当した長谷川智樹氏は、次のスピッツの作品『オーロラになれなかった人のために』で全面的にアレンジ協力をすることとなる。そういう意味ではかなり重要な1曲でもある。

 

 

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総評

 以上、全11曲で収録時間は39分程度。

 多くのファンにスピッツの最高傑作のひとつとされ、「日本の名盤◯◯選」とかであればだいたい取り上げられがちなこのアルバム、しかしながらその佇まいは「全曲大名曲!!!」っていう派手な感じではなく、むしろ非常に落ち着いた、ささやかでさえあるような楽曲集となっている。

 きっと、『ロビンソン』や『チェリー』ではないにしても『青い車』や『渚』クラスの曲がゴロゴロ入ってるのを期待して聴いたスピッツ初心者の人は面食らうタイプの地味さだと思う。まだ前作の『夏の魔物』や次々作の『日なたの窓に憧れて』の方がそういうキャッチーさがある。『魔女旅に出る』にはそこまでのキャッチーさは無いし、この曲を頼りに聴くのは勧められない。

 だけど、この一見地味な感じに含まれている、ささやかで、どこかあっけなくて、儚くて、そして時々煌めきのある世界観に一度入り込めたら、あとはこれらの、ある程度粒が揃えられた楽曲から生まれる「森の向こうの小さな町」みたいなアルバムの色々に、実にいろんな可笑しさや虚しさや優しさ、あるいはやらしさなんかを見出せると思う。

 更に、当時の洋楽事情、特にUKのギターポップ〜マッドチェスター〜シューゲイザーといった流れを一通り把握した上でこのアルバムを聴くと、その意外なまでの圧倒的同時代性に少なからず驚くとともに、そういったジャンルのサウンドの効果は日本語だとこういう情緒を生むんだ、といった見方が生じてくると思う。メンバーが「ライド歌謡」と自称したのは伊達ではなく、日本のシューゲイザー名盤にもしばしば名前が上がるのでしょう*8。逆にこのアルバムからライドはじめ洋楽のシューゲイザーギターポップを聴きはじめるのもいいかと。

 そんな感じで、深い森の向こうの、不思議さに満ちた小さな町の、気の利いた物語集、と思って聴くのが結構しっくりくると思う。筆者も、このアルバムを聴くときは楽曲単位で抜き出すよりも、冒頭の『ウサギのバイク』から「お邪魔します」みたいな気持ちで聴きはじめるようにしてる。いいところに誘ってくれますよ、このサイケに歪んだデブ猫ちゃんのアルバムは。

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 最後に、やはり参考にさせてもらったブログと、そしてこのアルバムから発展して聴いていける洋楽のアルバムをいくつか紹介(基本的なものばっかだけど…)して、この記事を終わります。

blueprint.hatenadiary.comいつもありがとうございます。

 

この辺のギターポップの基礎って言うほどネオアコじゃなくって、かなりの割合でThe Smithsっしょーって気がしてる。

 

 The Stone Rosesサウンドの、日本での先駆的なフォローワーにスピッツも含まれていたのに今更気づきました恥ずかしい。ローゼズはシューゲとブリットポップの間で宙ぶらりんな存在になってしまったけど、非常に独特で重要。再評価が来そうで来ませんね…。

 

 Rideはギターロック方面からシューゲイザーを聴いていく際の基本。『プール』を気に入った人はぜひ『Vapour Trail』を聴いてほしい。音に溶け込む・沈み込むって感じ。

 

 『Mayor Of Simpleton』が入ってるアルバム。他の曲もポップでいいのが色々入ってる。けどこのアルバムからXTC聴きだして果たしてXTCにハマれるかな、という気はする。『Black Sea』あたりの方がインパクトあると思うサウンドが全然違うけど。

 

 遥かに時を超えて今年なんですけど、割とガチで『名前をつけてやる』の最良のフォローワーはミツメのこのアルバムかなあと思います。なんか森の中っぽさあるし。そういえばスピッツフォローワーとしても有名なミツメが最近ついにスピッツのカバーをライブで披露して、しかもその曲が『プール』だったということで評判になりました。

 

 最後の蛇足な部分が、もしかして誰かの参考になればとても幸いです。

*1:これは奇子自体が親からヤられはしないけども。

*2:PVもめっちゃオシャレで気が利いてて大好き。渋谷系の時代にこの曲がもてはやされたのがよく分かるし、それこそカジヒデキがモロパクして叩かれたことが「渋谷系の歴史」の一部となってしまったりしてる。

*3:あくまでスピッツの尺度だと「下世話」気味かも、という話

*4:この傾向は『8823』で破られた後もちょこちょこ顔を出してる気がする。

*5:ので、内容も平穏質素な『鈴虫を飼う』ほどには穏やかじゃない。曲自体は下手すればこっちの方が穏やかだけども。

*6:それまでパンクをやってたインディーズ時代のスピッツが、この曲から草野さんがアコギを弾くようになった、とのこと。作風がフォーキーになっていく転機だったらしいです。

*7:奥さんが単身赴任する人とかいたらぜひこの曲を捧げてあげて、ちょっとした夫婦喧嘩になってほしい。

*8:個人的には、このアルバムのアレンジは「がっつりシューゲイザー」していない部分こそが魅力だと思います。「がっつりシューゲ」したいわけではないバンドがニュアンスを求めてシューゲを取り入れる際に、非常に参考になるアルバムの一つではないかなと思います。