ブンゲイブ・ケイオンガクブ

本を読まない文芸部員と楽器を練習しない軽音楽部員のような感じのブログ。適当な創作・レビュー等々。

Wilson3兄弟よ永遠に The Beach Boys30曲レビュー【前編】

 最近このブログは解散とか人死にとかでしかろくに記事を書いてないんじゃないかと思うけども、これは年を取って自分が憧れるようなより上の年の人たちが活動を止めたりこの世を離れたりするような流れに入ったからなのか。なら人生って切ないなって思うけども。もっと書くべきことのストックはあるのに仕事が忙しくてなかなか処理できてないから、解散とか死去とかを優先することになる…。

 

 Brian Wilsonが亡くなりました。結構リリースや活動が途切れた時期を経て、1年ほど前の2024年5月に「認知症により日常生活上の処理が自力でできない状態にある」との報道がされて、という流れからだったので、驚きはなく、ただただ、安らかに逝けたのならいいけど…と思いました*1

 何か書こうと思って、最初は、彼が残した繊細で別世界みたいな楽曲群のリストを作っていましたが、選曲の途中で、そうか、今回のこれで、The Beach Boysという偉大なグループのうち、そのクリエイティブの中核だったWilson三兄弟が皆この世界からいなくなってしまったんだな…、と気づいたので、選曲の形式をあの3兄弟に関係する楽曲というテーマに絞って、30曲選曲しました。

 彼らの、息を呑むほど美しかったり、妙にファニーだったり、いい具合にしんどくて凛としていたり儚かったりといった素晴らしい楽曲群を、せめて30曲、リアルタイムに世に出たものもそうじゃなかったものも含めて、見ていきたいと思います。まずは前振りと、前半15曲です。

 

 

Wilson3兄弟とは

 今回のテーマの主役である、The Beach Boysのメンバーとして活躍し、今回のBrian Wilsonの死去によって完全にこの世からいなくなってしまった3人について、なるべく簡単に説明。

 

 

長男:Brian Wilson(1942-2025)

 いきなり「簡単に説明できるかよ…」にぶち当たる。まあ書こう。

 Brian Wilsonというロック史には当然、人類の音楽史にさえ足跡を残したであろう天才中の天才の特徴には色々なものがあるけども、『Pet Sounds』という美しさと儚さとに一点集中した大名盤が1枚あることでかえって見えにくくなっている類の才能もあると思う。

 つまり、“美しさ”“コーラスワーク含むアンサンブルとコードの妙技”“弱気で儚げな繊細さ”“可憐かつ奥深い音響特性”*2についてのずば抜けた特性を有していた『Pet Sounds』のBrian Wilsonの才能はあくまで彼の一面に過ぎず、彼の重要で本当に独特な「アメリカンなユーモアセンスを活かしたストレンジなメロディ/トラックメーカー」としての特質は、むしろ『Pet Sounds』以外でこそ伸び伸びと現れていることをここでは強調したい。よくよく考えると、バンドの代表曲の一つである『California Girls』なんて、シンフォニックなイントロを過ぎた後からは打って変わって相当変なメロディだよ?ヘロヘロなローファイか?

 

www.youtube.com

 

 その美しさの特性の一翼を担った美声のファルセットボーカルは次第に『Pet Sounds』以降の退廃的な隠遁生活の中で失われていったけど、その妙にシャッフルのリズム大好きなところや変なコーラスワークを率いて世にも不思議な楽曲を作り上げていくノウハウはなんだかんだで失われず、不調の1970年代においても様々な名曲・怪曲を残していったことに今回の記事では焦点を当てることになる。その後、兄弟2人が逝去した後にバンド再評価が起こり、ソロ活動で過去を克服して『Smile』を完成、そしてさらにその後のフラットでキュートな音楽の楽しさをノスタルジックさと共に噛み締めた『That Lucky Old Sun』をリリースしたことで、彼の音楽物語は一つの“完結”を迎えた。その後のバンド再結成作がダメ押しに思えるほど、彼の”後期”の活動は充実していたと思う。惜しみなく沢山の宝物を残してくれたから、ぼくたちはいつまでも彼の作品群に溺れていける。

 

 

次男:Dennis Wilson(1944-1983)

 バンド内きってのハンサムでプレイボーイ、唯一本当にサーフィンできる人物である彼は、そういえばThe Beach Boysはバンドで、そのドラマーであるけども、どちらかといえばバンド内でも異質で、それ故に不遇なSSW資質のアーティストとしての存在感の方が印象が強い。自作曲の発表が1968年からながら、1969年〜1970年にいきなりその才能が噴出し、未発表曲も含め物凄い数の楽曲を録音し、アルバム『Sunflower』にて4曲を収録するに至った。しかし、The Beach Boysにおける彼のソングライターとしての活躍は、リリース作品上ではここがピークになってしまったことが彼の不幸の一側面。

 続くアルバム『Surf's Up』の時期においても旺盛に作曲・録音していたにも関わらず1曲も収録されなかった。ソロアルバムを出すつもりがあったためとも言われるけど、そのソロアルバムもこの時点では出せなかったため、この時期の未発表曲のクオリティの高さも踏まえると損失は大きい。そしてこの頃に、ピアノやストリングスメインの大仰でスピリチュアルなバラッドという彼の作風が固められた。それは、何だかんだでスタンダードでプリティで人工的なポップスの形式を基本としたBrianの作風とは対照的な、浮世離れして大自然に拡散していくような感覚と神経摩耗を思わせる雰囲気とに彩られた重苦しい美的表現で、大量の未発表曲があることは悲しいけども、確かにそれらがThe Beach Boysの楽曲ど真ん中かというとまあそんなことにはならないな…とも。時折感じられるThe Bandっぽさとかもまたバンドの比較的ポップス志向なのと合わない。しかし、その独特の静けさと穏やかさと掠れたまま消え入りそうな儚さは、やはり代え難い個性と魅力を漂わせている。

 そんなバンドのカラーと合わず孤立しがちな才能に覚醒してしまった彼、1977年にはようやくソロアルバム『Pacific Ocean Blue』をリリース。この頃になると彼もまた声が相当に不健康なハスキーさになってきて、相当に荒んだ暮らしが深まりつつあった。2ndソロアルバムの予定だった『Bambu』は結局未完となり、そして1980年代に入っていよいよ退廃の極みに陥り、1983年末頃、別れた元妻の持ち物を探すと言って海に潜り、そのまま帰らぬ人となった。

 

 

三男:Carl Wilson(1946-1998)

 彼は実際の兄弟間のみならずバンドでも末っ子的存在で、リードギター担当で*3、しかしながら『God Only Knows』というBrian全曲でも至高の1曲のボーカルを任されたあたりからその天使めいた声の透明感で頭角を表し、またアルバム『Wild Honey』ではソウル趣味を炸裂させたボーカルも見せ始め、Brianが表舞台から遠ざかっていくことも相まって次第にバンドのメインボーカル的存在になっていく。同時並行でバンドの音楽制作やライブの取りまとめ役も務めるようになり、1970年代前半まではバンドの運営さえ任されたような有様だった。

 彼は3兄弟の中では最も佳作で、共同作曲は結構前からあったけども、純粋に彼一人で作曲するようになったのはアルバム『Surf's Up』収録曲から。数は少ないものの、1曲のうちにロックなパートとしっとりしたパートとを織り交ぜた楽曲が複数あるなど凝り性気味なところがあり、コンパクトな曲は少ないけどしっかりと作り込んだものが並び個性も十分ある。

 Dennisと同じく1970年代後半にはバンド内の勢力争いみたいなのに負けてしまいやる気を大きく減じ、ソロアルバム2枚を挟みつつそれでも1985年のバンドセルフタイトルのアルバムまでは自作曲を投入してバンドのクリエイティブ面に寄与したけど、その後『Kokomo』の大ヒットやBrianのソロ移行などによりバンド内イニシアチブがMike Loveに大きく偏って以降は、自作曲をリリースせずにただただ録音やライブに参加するだけの存在になってしまった。Mike LoveとBrianの訴訟後にバンド復活のチャンスがあった際にはBrian曲に1曲ボーカルで参加しつつもネガティブなコメントを残し、結果的にこれがバンドでの最後のボーカル録音曲になった。肺がんで死去したが、その半年前までバンドのライブに参加し続けた。

 

 

本編

 ここから本編として、今回選んだ、3兄弟が作曲した30曲を見ていきます。曲名の後ろに括弧書きでリリース年と出典に加え、作曲者を記入します。B=Brian、D=Dennis、C=Carlとなります。他にM=Mike Love、A=Al Jardine。更に他に共作者が他にいる場合は”他”を追記します。

 別に、この3兄弟しか作曲していなかったわけでもなく、他のメンバーであるMike Love、Al Jardine、Bruce Jonstonもそれぞれ素晴らしい楽曲を残していますけども、1960年代半ばまではほぼBrianが全曲を書き、そこから後にBrianの深刻な不調の後の分業が始まって、とりわけ3兄弟の他2人の作曲能力の急成長とその作風の個性は大いに魅力であり、今回この3兄弟に絞って選曲しようと思った次第です。

 

 

1〜5

 

1. This Whole World(1970『Sunflower』,B)

 『Pet Sounds』が突出して有名なバンドだけど、あればBrianのソロのようなものとよく言われる。より民主的で、メンバーそれぞれが楽曲を書くようになって以降の最高傑作は、というと、1970年のアルバム『Sunflower』になる。何故かは分からないけど、この時期は各メンバーが本当に多くの名曲・佳曲を制作していて、リリースまでに何度も曲目も変わりボツも増えたけど、結果選び抜かれた12曲はどれも自信に満ち、優れたプロダクションを有し、どこか穏やかで優しい。この後もひたすら続くバンドの苦難の道を知らないかのような晴れやかさ・曇りのなさが魅力。

 Brianもこれより後ほど不健康な状況ではなく、ボツ含め多くの楽曲を作っていて、その中から選ばれたこの曲は、わずか2分弱の尺の中に3回も転調しその度に景色の切り替わるような思いのするメインヴァースと、そこからさらに転調して繋がるブリッジの構成を全く無理を感じさせないアレンジとCarlの力強く伸びていくボーカルとで通してしまう名曲

 ろくなイントロも間奏もなしに最後のアカペラまで一気に詰め込んでしまう構成はよく考えると無茶苦茶だけど、そんなこと微塵も感じさせない全能感がこの曲には宿っている。なんせタイトルが『This Whole World』だもの。Brainはこれ書いたときハイだったのかな。真夜中に90分で一気に書き上げたらしい。

 案外ザクザク刻むギターとともの歌はいきなり始まって、バタバタ感の気持ちいドラムフィルの後すぐに、結構なオマージュ例の見られる「Bawn-Da-Didi」のドゥーワップ式コーラスパターンの、その分厚くて輝かしい様が降り注いでくる。このバンドが反則なのは、どんな伴奏よりも最高になりうるこのコーラスワークを常備していることで、これはそれが極まった一例と言える。そして、その変幻自在のコーラスワークを突き抜けて聴こえてくるCarl Wilsonの、気高さだけで成立してるかのようなボーカルの素晴らしさ。

 この楽曲の複雑なコードの転調について。それぞれの進行自体はオーソドックスなもので、ヴァースの最初のパートは「C→F→Em7→G→Am→F」と、Em7以降が若干細かく動きつつも、Cをキーとして楽曲の溌剌さを表す明るい進行。だけどここから突如キーがAに移行して「A→F#7→Bm7→E7→C#m」と、5度の上昇下降を繰り返す進行で揺さぶってくる。リズムもここで頭打ちになり、情感をナチュラルにブーストしていって、しかしそこから着地するのが、C#mがそのままメジャー化したC#のキーだというのが意味不明で、ここからは分数コードも入り「C#C#/C→F#→A♭7→B♭m→B♭m/A♭→FM7」と、頭のC#のえらい晴れやかな感じがB♭mから一気にドラマチックな不安さに移行する。ヴァース1個にこんなに転調を盛り込んどいて、しかし不自然さは全くないところが凄まじい。

 そこから繋がるヴァースもまた、何故かB♭のキーに移行してしまう。ここはセクションが変わることもあり景色がガラッと変わるけど、歪には感じさせない。「B♭→E♭M7→B♭→F→G」と移行し、最後のF→Gはよく聴くとここが転調のための進行だなと感じるけど、ここでGに移行したことで、ヴァース最初のCに自然に戻れるようになっている。この帳尻の合わせ方も、やや強引なところを全くそう思わせずむしろ感情の高まりのように処理してしまうボーカルによって自然に戻っていく。

 2回目のブリッジは歌詞はなしでキラキラとした演奏をもとにコーラスワークだけで構築され、メインボーカルのファルセット込みの伸び方はギターソロの代わりのようなそうでもないような、このバンド必殺の美しさを短い時間にこれでもかと見せつけてくる。そして、そこであっさりと演奏がブレイクしコーラスが低いところに集まり、最後は元のヴァースをアカペラで歌い、あっさりとフェードアウトする。こんな神々しいエコーに包まれて複雑に組まれたコーラスワークを、ただのコーダとしてあっさりと終わらせてしまうこの贅沢さこそがThe Beach Boys。水と空気とコーラスワークがタダの世界観だ。

 突然世界全体への愛について思い巡らす歌詞はBrian自身によるもの。分かるようで分からないような、規模が大きすぎてかえって何も言ってないような感じもするけど、ともかく謎に全能感が自分の内から溢れかえってきたんだろうなって感じがする。

 

この全き世界について考えてみる

夜更けに世界みんなの愛に思いを馳せる

あらゆる場所の無数の人々

どこに行っても見えるんだ 愛が 愛が 愛が

 

こうして見るとなんか初期の中村一義みたいなとこある。影響受けたんだろうな。

 

 

2. Oh Darlin'(1980『Keepin' the Summer Alive』,B M)

 1974年に1960年代のヒット曲集めたベスト盤が大ヒットしたことで、それまでのCarl率いる泥臭く自作曲を寄せ合うバンド体制は終わり、「なんだ、昔と同じようにやりゃあいいんじゃん」とでも言いたげなMike Love側勢力が盛り返す。その後のアルバムは一部を除いてファンからの評価が低く、1980年のアルバム『Keepin' Summer Alive』なんかもうジャケットも「どんな寒い場所でも俺たちは夏しちゃうぜ!」という中々恥ずかしい仕上がりで、そんなアルバムのタイトル曲をMikeではなくまさかのCarlが書いていたりもする。けど、このアルバムは案外いい曲が入っていて、特にCarl作の2曲はどちらも優れた曲だ。

 この時期はかなりダウンしてた筈のBrianも2曲ほど頑張っていて、『Goin' On』という曲ではこのバンドの3連バラッドの最高到達点とでも言いたくなるようなボーカルの絶妙なリレーが強力。そしてこの『Oh Darlin'』は、ゆったりしたテンポにメロウな演奏とコーラスワークが響き渡り、Carlがどこまでも甘いボーカルで歌い上げる、バンドのバラッドでも最甘なムードを有する1曲。このアルバム、Carl Wilsonを聴く作品だなあって感じる。

 冒頭のアコーディオンの段階でノスタルジックな奥行きがある。この辺はアルバムをプロデュースしたBruce Johnstonの趣味か*4。伴奏の中心となるピアノの音にもエフェクトが掛かっていて、控えめに幻想的な雰囲気が演出されている。勿論それらの中心はボーカルで、1970年代を通じ成熟したCarl Wilsonの声はアダルティックな艶やかさや優しさを醸し出す。アルバムの曲順で行くと冒頭のタイトル曲でタフなボーカルを見せた次にこの曲が来るので、やはり彼の声を満喫する作品に結果的になってるんだと思う。

 ブレイクから繋がるサビの、可憐に咲くようなアレンジが実にメロウで優しい。控えめなブラスが効いていて、この辺もBruce Johnston色。ここまで堂々としたサビのメロディも珍しい感じ。2回目のヴァースとサビの間に挟まるパートやミドルエイトなど、そもそもBruceが実は作曲参加したんじゃないのかとさえ思うほどに激甘展開で、ミドルエイトでMike Loveのボーカルが入るところのワビサビ加減も的確*5。終始甘々なムードに騙されながら、演奏は遠ざかっていく。たまにはこういうのも悪くない。

 

 

3. Had Phone Ya(1976『15 Big Ones』,B M他)

 アルバム『15 Big Ones』は非常に問題のある作品で、上述の1974年のリバイバルによって方向転換したバンドが「昔のようにBrianが全編プロデュースするアルバムを出そう」ということで、精神科医*6の下で治療中だったBrianを担ぎ出して、まだ本調子じゃない彼の書いた幾つかの新曲と、ボツ曲のストックから数曲、そしてセラピー的に録音したカバー曲とで、バンド結成15周年になぞらえてなんとか15曲揃えた作品。特にカバーじゃない曲が過去のボツ曲しかないB面はどうかしてる。カバーもかつての『Sloop John B』『Cotton Fields』のクオリティなど求むるべくもない。

 でも、この曲は相変わらずのBrianの凄みをさりげなく、しかし鮮烈に伝える。またも2分未満の尺において、どこかヨーロピアンな情緒漂う洒落たアレンジのシャッフルテンポで、どこか地に足つかない不思議の国めいたメルヘンなメロディを編み、巧みなメンバーのボーカルリレーで演出し、そして終盤は不思議な展開を繰り返してシュールな結末を迎える、彼のストレンジさと美的感覚とがシュッと収まった1曲

 トランペットの短い1音の後にさっさと歌が始まるのが実にThe Beach Boys*7。Mike Loveのクセのない声は案外こういうお洒落な雰囲気に合う。金管楽器と細かいブレイクで入るストリングスの交差が実に洒落ていて、そこからセクションが変わってドラムが入り、Carlの芯の効いた声に変わるところのメリハリ加減がまたこのバンドらしい展開。そこからすっかり嗄れてそれまでと別人なBrianのボーカルに変わるのも違和感がそんなになく、むしろこの老人ボイスを上手く活用してる。Brianの才能の一つに声の使い分けの巧みさがあるけど、この曲はその有力なサンプルのひとつ。

 しかし、そんなハリのあるサビは実は1回しか出てこない。2回目のヴァースの後に早速それまでと異なる、やや不穏気味なメロディ展開が挟まり、シュールな「You」コーラスの連発で引っ張った後、楽曲は1分14秒にして最終地点に辿り着く。Brianの嗄れた声で「ねえ早く 早く電話を返してよ」と呼びかけ続ける。M7の往復というシリアスなコード進行ながら、そこにふざけ切ったようなコーラスでチャチャを入れるのがBrian流のアレンジか。ともかく、お洒落で晴れやかだった雰囲気は謎に切迫した調子に切り替わったままフェードアウトしてしまう。何なんだ…と困惑すると同時に、2分足らずにこの楽曲としてのストーリーテリングを詰め込むのは実にBrian Wilsonだとも思わせる。

 元々は彼の妻も所属するグループAmerican Springのために1973年に制作・録音したもののボツになっていた曲*8。なんかほんとこのバンドはひたすらボツがついて回る。伊達にメンバーが「このバンドは世界最高の未発表曲のストックがある」と言うだけのことはある。

 

 

4. Little Bird(1968『Friends』,D他)

 26分に満たない尺のアルバム『Friends』は、『Smile』不発後に表舞台から引っ込んだBrianが、しかしただ大人しく引きこもっていたかと言うとそうではなく、むしろおとなしさを極めて、これはこれで物凄く不思議な奥行きのある静かな世界を作り上げていたことが発見される作品集。歌詞もなしに進行していく『Passing by』の静けさに吸い込まれそうな奥行きで終わるA面は特に凄い。

 そんな作品において、Dennis Wilson曲の発表は始まった。2曲収録され、どちらも2分弱。もう一方の『Be Still』が後の静寂荘厳バラード路線を僅かに予感させるものになっているのに対し、この『Little Bird』は、彼が当時未発表に終わっていた『Smile』におけるBrianの趣向を理解し、そのアメリカンなフォークロアーと何かしら切迫した緊張感という要素を自分なりに解釈して、やたら沢山の展開を通じて2分弱の尺に綴じてみせた、後の彼の作風とは異なるシュールさが興味深い習作にして秀作

 いきなり始まる歌と演奏はどこか打ち拉がれたような調子だけど、そこから急にコーラスワークとバンジョー等によって“不思議の国アメリカ”な情緒が挿入され、ヴァースはそれらを頻繁に繰り返す構成。こんなのは彼の楽曲は勿論、バンド全体でもここまで短い間に切り替えが入るのは滅多になく、かつ、ビギナーズラックにしてはその切り替えに不自然な強引さもない。40秒過ぎのメロディは彼のハスキーな声が活きたワイルド気味な展開だけど、ブラスやコーラスのそっけない処理が必要以上のワイルドさを上手く削ぎ落とす。

 この曲はともかく展開が多く、元のメロディに戻ったかと思えば、妙にコードが陽転して新しいメロディが挿入され、バイオリンのシックなソロが静かに響く間奏になったかと思うと、1分23秒過ぎには急に緊張感のあるコードと加速したテンポ、妙なファルセットとで展開してみせ*9、そのくせまたバンジョーが入りだすとコード感は明るくなり、シュールなコーラスワークでアクセントを付けつつ、そのまま早々にフェードアウトしてしまう。

 流石に怒涛の展開すぎてそれぞれのセクションの情緒を味わうには短すぎる感じがするけど、でもそれぞれのパートでしっかりと『Smile』の各場面の情緒を引っ張り出してきているのは、多分リアルタイムでは多くの人が知りようもなかったあのトラディショナルさの魔改造っぷりの、その優秀なサンプラーめいた要素がある。そしてそれはあまりに後のDennis Wilsonの作風と違いすぎる。Brianお兄ちゃんがDennisの書いてきた曲に喜んで、ミニ『Smile』をアレンジで実演してあげた、みたいな感じなのか。そうでなければ奇妙極まるアレンジがあまりに巧みすぎる。

 

 

5. Long Promised Road(1971『Surf's up』,C他)

 『Sunflower』は本当に素晴らしいアルバムだけど、なぜか売れなかった。ヒットしてたらその後のバンドの歴史もポジティブな方向に変わっていたかもだけど、そうはならなかった。バンドはセールス向上や運営のために、Jack Rieleyという人物をマネージャーとして雇う。彼の存在はその後の3枚のアルバムの期間のバンドを大きく左右し、それによる支障も色々とあった*10けども、しかし彼の活躍によって確かに売り上げはアルバム・ライブ共に向上したし、そしてその3枚の期間までが、Carlを中心に各メンバーが曲を持ち寄り試行錯誤し続けられた期間でもあるため、Jack Rieleyの功罪もまた判断がとても難しい。彼がバンドから離れたのちに、上述のリバイバルが起こり、創造力の減退した1970年代後半を迎えてしまうものだから。

 そんなJack Rieley時代最初のアルバム『Surf's Up』のこの、意味不明なまでに暗いジャケットは何なのか。収録曲も結構暗いものが多く、環境問題を扱ってたりもするし、B面は特に暗くて、終盤に当時のBrianのダークな『Til I Die』と、未完作『Smile』でもとりわけ漆黒の美しさ極まる名曲『Surf's Up』の一応の完成版とを収録したものだからそりゃ暗くもなる。その陰でDennisの強力な楽曲が全てボツになってたりもしてるけど、でも結構良いアルバムだ。これで結構売れてもいるからよく分からない。

 前置きが長すぎだけど、そんなアルバムにてCarl Wilsonは完全な自作曲*11を漸く2曲世に放った。こちらは静のパートのジェントルな佇まいと動のパートのワイルドさとを明確に意識して構成された、“自身の歌の多面的な魅力をどうしたら伝えられるか”について欲張りにかつ生真面目に考えたんだろうな、と思え、演奏まで含め多くを彼自身で担当し、目論見が見事に成就した名曲

 そう、クレジットを見て驚いたけど、この曲はバッキングボーカル以外は全てCarl自身の演奏となっている。本当かよ。ともかく、無音に静かに響くピアノか何かの音で曲は始まり、1960年代の彼と比べても低音の深みを増した作者自身のボーカルのまろやかな響きがすぐに聴こえてくる。AORなんて言葉はこの頃まだなかったと思うけども、洗練されたR&Bなどをおそらく元に“ジェントルさ”というものを彼が考えて作ったのがこの静パートなんだろう。ウーリッツァーエレピの予め枯れた音色が醸し出す黄昏と停滞の感じは、このままのテンションで最後まで続くとつまらなくなりそうな空気も。でもそれは、メロディが繰り返しを外れていく中でにわかに楽器が増え、テンポさえ少し早くなって入っていくサビのためのタメだから安心。

 サビの、テンポが速いわけじゃないけど真っ直ぐに進行していく足取りの上でそれまでの黄昏感を振り払うかのような勇敢な賑やかさがなんだかうれしい。ストレートなコード進行に、そのストレートさを活かしつつ4つ打ちのタイミングで音を気持ちよく入れてくるコーラスワークはメロディの歯切れの良さをダメ押し的に補強し、そしてサビ最後のボーカルの伸びていくメロディにいい具合のカウンターパートのアタック感を付与する。コーラスワークでリズム感を補強するのは流石の変幻自在のコーラス力。最初のサビではブレイクの若干の寂しさを経てまた黄昏たヴァースに戻り、2度目ではそのままスピリチュアルな音響のミドルエイトのタイトルコール含むセクションに。Carl自身の気高さそのものみたいなボーカルに無感動なふざけたホーンめいたMikeのコーラスの合いの手が対比として上手い。

 最後のヴァースまでに2分も経過していない詰め込み様の上で、コーラスワークの追加された最後のヴァースを経て、サビを一度回した後に始まる、案外このバンドでは珍しい、楽器のソロ的なフレーズ中心の明確な“間奏”においても楽器の響かせ方が面白く、固く歪み重ねられたギターソロの横で、ファズったホーンみたいな音が4分のリズムをバリバリに縁取る。このセクションだけは妙に少年的なケレン味があって、そのまま最後のサビに入って、例のソウルフルなコーラスが残ったままフェードアウトしていくのは爽快感がある。

 おそらく全編Jack Rieleyによる歌詞は難解で、哲学的なような煙に巻いてるだけのような、いい具合にマジとニセモノとを感じさせる。さすが後世でFlipper's Guitarが引用してくるだけのことはある。

 

向かうところが遥か昔に思えるときに

未来に関するなぞなぞに答えるのってまあ難しい

心が涙で酷く苛まれ始めると 子供っぽくくすくす笑えない

魂を機械的に浮上させるべくかつての人生を捨てるのも無理

 

でも 向かってくる戦いはぶちくらすし

躓かせてくるやつは全部はっ倒す

縛ってくる鎖なんて全部ぶん投げるんだ

 

www.youtube.com

 

 

6〜10

 

6. Good Time(1970『Sunflower』Outtake or 1977『Love You』,B A)

 『Sunflower』はバンドのレコード会社の変わり目に制作された都合から、そのリリースに至るまで様々なアルバム名や曲順が存在し、結果発生したかなりの数のボツ曲はそれぞれに様々な末路を迎えた。割と早いうちにリリースされたもの、10年越しくらいでオリジナルアルバムに当時の録音を少しミックスいじっただけで収録されたもの、他の曲に派生したもの、1990年代以降のボックスセット等で初お披露目されて「えっなんでこれをボツに…?」となるもの等々。この曲は1977年にリサイクルされたから、まだマシな方なのか。アルバム『Love You』については別の曲で書こう。

 すっかり声が嗄れたBrianのボーカルも多々聴こえるアルバムにおいて昔のクリアーな声のままのこの曲はなんというか、能天気サイドのBrian Wilsonを象徴する、色々とファニーなフックを有しつつ、でもヴァース→ブリッジ→コーラスでコロコロと表情を変えながら、圧倒的なコーラスワークで謎のファンタジックな幸福感に導かれる曲。『Sunflower』の時期のBrianの楽曲は穏やかなものが多く、穏やかを通り過ぎてえらい呑気な曲が主にボツ曲に多く見られる。

 イントロのアコーディオンはともかく、そこに多音階ウッドブロックなんていう、なんでそんな楽器を入れようと思ったの…?というものがとても自然に入ってきて、この段階でこの曲は少々児戯めいた雰囲気が出てくる。Brianは児戯めいた雰囲気を作る天才でもある。『Smile』はそれがあちこちに暴走した結果頓挫したようなところがあるけど、この曲ではきっちりと曲構成を組んでポップにまとめられている。

 綺麗なメロディを組んだヴァース、ちょっととぼけた風のブリッジ、そして一気に開けるようなサビと、サラッと軽いノリで出されるそれぞれのセクションが普通によく出来ていて、そしてブリッジとサビにはその感触を最大化しうるだけのコーラスワークが追随してくる。ブリッジのいかがわしいコーラスからサビでブゥワーって吹き出してくるコーラスのギャップは単純に強力。そして、こんな軽そうな曲に結構なホーンセクションがさらりと配置される、そのアレンジ能力。

 歌詞はかなりたわいもない、ちょっとエッチなふくみも持たせたものだけど、でもサビのなんか妙に悟った風な前提がこの能天気な曲に少しの楔を打つ。

 

長持ちなんてしないのかも でもどうでもいいっしょ?

ぼくら二人 ただ楽しい時間を過ごしたいだけ

今に煙みたく儚く消えるのかも でもどうでもいいっしょ?

ぼくときみと ただ楽しい時間を過ごしたいだけ

 

 

7. Sound of Free(1970『Sunflower』Outtake or D solo Single,D M)

 Dennis Wilsonのボツ曲伝説をこの辺から始めていこう。といってもこの曲は一応ちゃんとリアルタイムでリリースされはした。1970年末頃、Dennis Wilsonのソロシングルとして。時期的に『Sunflower』前後に作られた曲で、きっと読んでる方も書いてる自分さえも「また『Sunflower』かよ…」と段々なりつつあるところだけどまあ実際いい曲がボツ含めて多すぎる時期だから仕方ない。なんでソロシングルを出したのかよく分からないけど、これが売れてたらすぐにソロアルバム出してたのか果たして。

 その辺の歴史のことはともかくとしてこの曲。Mike Loveという後に反目し合う人物との共作という意外な要素を持ちつつ、大瀧詠一かよ、って具合の3連のピアノ反復のポップス的なイントロで始まり演奏もそんなポップさを保ちつつも、楽曲自体のコード感や歌の雰囲気に厳かなDennis Wilson節を響かせ、テンポチェンジでワイルドな光景も挟み込む、欲張りながらよく纏まった1曲

 4音のピアノ単音の3連のリズムで反復する昇降によって形作られたシャッフルテンポのイントロ、その明るげなムードからは、まあポップな曲が始まるんだろうなという期待しか普通持たないと思う。ロックバンドでありながら様々なポップスのDNAを自身のサウンドに十全に取り入れるThe Beach Boysとしてのポテンシャル、その晴れやかな発露のひとつと思ってしまう。

 しかし、歌が始まった最初のコードはⅥm7だ。それまでの晴れやかさを一気に否定してくるまさかのマイナーコードで、そしてDennis特有のハスキーなボーカルによって、楽曲は急にイントロからは予想できない類の厳しさを放つ。それでも伴奏の3連ピアノやベルめいた響きなどは維持されるのでポップさは残っているけども、この辺の裏切り方は作者の計算によるものだろう。ひととおりメロディを回し終わるとブレイクするけども、そうなるとさらに持ち前のワイルド成分を隠そうともしなくなる。45秒以降の一旦テンポを遅くした上でのどっしりと土臭い展開はThe Beach Boysメンバーでも彼特有ののものか。不思議なタイミングでのファルセット挿入といい、なかなかにバンド定型から外れた自由さが心地よい。

 間奏になる頃には3連ピアノは目立たなくなり、むしろ引っ掻くような音質のギターフレーズが目立つ。最後のヴァースも強引に引っ掻くようなギターが際立っていて、そして歌は全然続いているのに楽曲の尺優先という感じにさっさとフェードアウトして終わってしまう。ちょっと勿体無い。

 今ひとつどうか変わったのかよく分からない共作者Mike Loveの存在感。まさか歌詞だろうか。中々仰々しくて、本当に歌詞なら貴方そういう引き出しもあったのねと。

 

そこら中の光と闇の遺児たち

みな視野なしに生まれ 大地に魂を繋がれたまま

いつだって自由の音の方に引き寄せられてさ

 

 演奏にはThe Beach Boysメンバーは全然参加しておらず、部分的なボーカルやコーラスにWilson兄弟が参加しているに留まる。まあ、確かにソロで出してもいいやつだな。逆にこれを本当にThe Beach Boysの曲とカウントしていいのか…まあいいか。

 

 

8.  Wild Honey(1967『Wild Honey』,B M)

 アルバム『Wild Honey』の奇妙さは大変に魅力的で、『Smile』の未完成から立ち直りきれなかった感のある『Smiley Smile』の影を少し残しつつも、Carl Wilsonが中心となったR&B趣味と、Brian Wilsonの隠遁ホームスタジオによるローファイ録音とが妙に噛み合って、世界にも稀に見るヘナヘナなR&Bスタイルがここに誕生した。ショボいオルガンだけを伴奏に平気でR&Bしようとするのはこの時期のこのバンドくらいだろう。それは無茶無謀を通り越してもはや変態的ですらあり、故に唯一無二のシュールなテイストが刻まれている。そのアレンジを纏めたのはBrian。

 シングル曲『Darlin'』辺りはまだそれでも当時の普通のポップスチャートに混ぜても違和感はそこまでないかもだけど、このアルバム冒頭に置かれたタイトルトラックはそうはいかないだろう。チャチなピアノとふざけた昇降を繰り返す変な音のシンセ、やたらポコポコと打たれまくるパーカッションなど、おもちゃ箱を撒き散らしたみたいな奇妙な様子の上でCarlのソウル効かせたボーカルが相応の爽快感を強引に乗っけていく、サイケにもR&Bにもなってない、だけど確実にこの曲だけの何かが半ば不意に生まれている、そんな妙な面白さに満ちた1曲

 アルバム再生開始0秒から鳴っているその“変なシンセ”はエレクトロテルミンなる、かのロシア製であることと『Good Vibration』での珍妙な音での使用例などが有名な楽器テルミンを模倣しようと作成した楽器で、楽器に触れずに音が出るテルミンに対して、こちらはスライダーを動かして音を調整するという、なんか後退してるようなでも分かりやすいようなそんな構造をしている。ともかくそんな珍妙な楽器が、笛と呼ぶにもなんともフニャッとした妙な音で音程を昇降している。これがトランペットならどれほどまだ正調R&Bに近寄れたか。もちろん近寄らなかったからこそいいんだけども。並行するピアノもまた、トイピアノみたいな軽い音をしていて、ユーモアと爽快感の入り混じるコーラスとともにボンゴも溢れ出さんばかりに入ってきて、そしてそこに、本来ロックバンドとしてもR&Bとしてもなんかあるべきであろうドラムがない。それはそれはもうまるで地に足着いてなくて、フワッフワで、この時点で作者BrianはまともなR&Bを作る気なんて全然なさそう*12。そんな中で当時まだ20歳だというCarlの、それまでの天使みたいなソフトなボーカルとは打って変わった、ハイトーンのまま勢いでがなり立てる歌い方はまるで、おもちゃ箱をひっくり返した子供部屋でシャウトするかのような歪さだ。子供じみた室内学的な演奏ともう子供じゃないと叫ぶ子供っぽいシャウトの奇妙な調和。これで歌の第一声が「ママ」なのは逆に出来すぎだろう。

 歌が始まるとようやくスネアだけ入るようになる。かなりデッドな音で、それも結構変なタイミングで来るので、やはりフワフワっぷりは変わらない。なんなら、曲展開がブリッジに切り替わるところで定番の2拍4拍にスネアが入るようになるため、そこでやっと幾らかのアンサンブルの安定が図られることになるし、そしてそれでもキックやハット・ライドは徹底拒否するあたり、やっぱりBrianさんこの曲をまともにバンドの形式で作る気がまるでありません。その上でボーカルはエネルギッシュに若さを振り絞り続ける様はシュールであるし、シュールだからこその奇妙な爽快感さえ生じているから、やっぱり唯一無二じゃないか…という感じになる。一応はこれを“R&B”だという売り文句で世に出して、当時の本当にR&Bをやってた方々はどう思ったんだろうか。間奏のサイケ風味の方が勝ってるオルガンからミドルエイトにすかさず入る曲作りの上手さはそれでもやはりBrian Wilson

 “Wild Honey”という曲名には、それはまあ相応に性的な意味が意図されているようでそういう歌詞でもあるけども、このどこか子供っぽい勢いの曲にそのような意図がさらりと盛り込まれるところは作詞を担当したであろうMike Loveの強かなところか。

 

ママ!これだけは確かに言っておくよ

あいつはぼくの彼女さ 最早まったくそういうわけなのママ

そんな立ちはだかって眉を顰めても何にもいいことないよ

あの娘に心やられて 愛とめどないんだよ

愛とめどないの あの娘のワイルドハニーを味わってからは

 

 

9. Passing By(1968『Friends』,B)

 『Smile』の混沌の果てに精神をひどくやってしまったBrian Wilsonの、しかし何もしないわけでもなくそれはそれで続く創作と探究の、その一応の果てがえらく穏やかなアルバムの中の、最も穏やかながら異様な存在感を有するこの曲。最早言葉もなく、長く伸びていくハミングと、ナイーヴすぎて現実味の感じられないソフトでシュールな演奏が描き出す、密やかに美しくもどこか儚さの匂い立つ、陽光の狭間に隠された幻想郷のような楽曲。またはBrian Wilsonの美意識の果てのひとつ。

 この曲を前にして解説の言葉はほとんど無用のように思える。アルバム『Smiley Smile』『Wild Honey』は「なんだこれは…(笑)」みたいな部分が散見されるけども、なんとなく同じ時期な感じのする『Friends』ともなるとシュールではあってもなんかツッコミを入れるような隙は少なく、その透徹された雰囲気は「ここではこれはこういうもの」という具合の法則性が実に閉じた形で完結しているため、そしてその法則性がどこかとても感覚的なものであるため、外から何か言う気が削がれる。いわんやその閉じた穏やかな世界の最奥である、まるで不可触の花園のように密かに咲いたこの曲をや。

 しかし、それでも、それだからこそこの曲のそのような唯一無二の魅力の僅かでも掴みたいと思う気持ちが別個にある。筆者が記載しうる限りにおける断片的なそれらは、「メインの旋律であるボーカルよりも派手な存在となりうる太いギターやらトランペットやらが演奏から排除され、弱々しいギターとオルガンが伴奏の主となっていること」「分数コード連発、さらにヴァース後半の微細にして耽美なコード進行の変化」「途中から密かに被さってくる謎にノイジーな楽器の存在」「終盤になってそれまでの旋律がマイナー化されること、そしてそのまま楽曲がフェードアウトしていくことの不穏さ、残酷さ」等々が挙げられる。特に終盤のマイナー化は、同じコードのままメジャーとマイナーを繰り返す強引さで、しかしその強引さを一切感じさせない、むしろこの曲の締めとしてこれほど相応しい、美しいものが腐敗してしまう予感のような余韻の鮮やかさをよくぞ、というその手腕の確かさ。

 日本の小西康陽なる人がPizzicato Fiveでこの曲をカバーしている。2パターンもカバーを残している。そうだよなそういう類の美しさだよな、とつくづく思う。

 

www.youtube.com

 

 

10. All I Wanna Do(1970『Sunflower』,B M)

 この曲はMike Loveの曲なイメージが強いけど、でもクレジットでBrianの方が前に来てるからきっとBrianがメインの作曲者なんだろう。というかアレンジによる音響のことも考えたらまあBrian主導の曲なんだろうけど*13

 シンプルなリズムと曲構成を基本Mikeが終始シリアスに歌う、シンプルに調理すれば少々R&B風味の効いたポップスとなっていただろうところを、たっぷりの幻想的なエコーと包み込み&広がるようなコーラスワークでケアした結果、後世になって“ドリームポップの先駆的作品のひとつ”と名指しで呼称されるほどの再評価を受けた楽曲。いろんな楽曲を作ってはボツを繰り返したため強力かつ個性的な楽曲が多いアルバムにおいて、確かにこの曲だけえらいエコーだらけで不思議だけど、再評価までされてたとは。まあ確かに方法論的にドリームポップと直結しやすい要素がこの曲にはある。

 冒頭のキーボードのシンプルなアルペジオの段階でエコーたっぷり。エレキギターの響きも反響の中に点を打つような、ベルを置くかのような鳴り方をしている。リズムと歌が入れば、それらももれなく深いエコーを纏っていて、そしてそれらは、ロマンチックにメロディが変化し続ける訳ではなくむしろどこか淡々と進行するこの曲だからこその落ち着いた、ふくよかな広がりを聴き手にもたらす。着想はこのバンドなのでおそらくはかのPhil Spector方式のウォールオブサウンド的なところなんだろうけど、そう言う影響が顕著だった1960年代半ばよりも機材も録音技術も向上した時期において、当時のウォールオブサウンドよりずっと楽器数の少ないものにエコーを増して似た感じにしようというのは結構実験的で、なので全然元のウォールオブサウンドとは似てない音になった上で、むしろ後年の人たちはこの曲の方にこそ言葉の意味どおりの“音の壁”を感じるのかもしれない。

 やがて演奏もコーラスも深いエコーの中でシチューめいて溶けていく。しかし、持続音とパーカッシブなアクセントが織りなすレイヤーを声だけで成し遂げてしまうこのバンドの標準装備は、構成のドリームポップバンドの多くが「いやそんなやすやすと声だけでそんなレイヤー作れたら苦労しねえ…」と思ったであろうほどにはプロフェッショナルにクリエイティブ。楽曲中央部くらいでメロディがファルセットを伴いメロウにかつ少しだけ劇的に動く箇所は、シンプルなこの曲のフックとして実に的確で、そこからレイヤーだったコーラス隊の一部が一気に前に出てくる、しかも絶妙に切なげにメインを追いかけるボーカルも重ねられる徹底っぷり、その後の天使が断続的に降り注ぐようなコーラスの何気に凄絶な様に、ドリームポップという観点で見ても、やっぱこの変幻自在のコーラスワークはチートじゃねえか…と改めて思わされる次第。えっていうか改めて聴くとこの辺りのコーラスワークなんかすげえことになってるな…。

 それにしてもこの曲のMike Loveは歌い方も歌う内容も実にジェントルで清々しい。こういうことも出来る人なんだよな。

 

きみに幸せを届けたい そればっかりなんだ

きみがどこにいてもぼくの愛がそばにあると分かって

それできみが幸せに思ってくれるなら

 

ああ 座って目を閉じてると 優しい思いが去来する

ぼくの愛 爛々と燃えてる 夜毎に輝く月や星みたく

 

www.youtube.com

 

 

11〜15

 

11. Sweet Sanday Kinda Love(1978『M.I.U. Album』,B他)

 1970年代半ば以降のバンドのグダグダヒストリーっぷりは色々酷くて、自分も最初知った時は困惑した。アルバム『M.I.U. Album』が出るまでに2枚のアルバムがボツになり、その間何を思ったかバンドのMike Love派*14が、超越瞑想で知られるMaharishi Yogiに1960年代後半から入れ込んでたこともあってか、マハリシ国際大学でレコーディングをする(!?)こととなり、それにWilson兄弟の下2人が反対し全然レコーディングに参加せず、こうなるとまたもやアルバムはボツになりそうなものだけど何故か完成しリリースされた、という経緯。1978年ということを思うとまあ何を今更…と思うような保守的な内容で、おまけに2作連続ボツの憂き目で既にボロボロのBrianがより痛ましい目に遭ったため、ファンからも結構酷評されているけども、幾つかいい曲もある。

 この曲は、1978年という時代にあってはあまりに時代錯誤が過ぎて逆に面白くさえ思えるがっつりオールディーズポップス形式の楽曲に、ナチュラルに1970年代式の演奏と、そしてCarlによる円熟し切ったメロウなボーカルが乗る、あまりに普通すぎることが逆に普通じゃない、みたいなただのポップス。なんでこんなの作ろうと思ったのか。Carlの存在感があのアルバムで最も前に出る瞬間であることは間違いない。

 相変わらずイントロは不要とばかりにいきなり伴奏、そして歌が始まるのはこのバンド仕草だけど、その後のメロディ運びがいつもと全然違う。作曲家Brian Wilsonの奇妙な天才性はどこかに行ってしまったのか…とさえ思うほどのストレートにオールディーズなメロディ運び。途中から入ってくるコーラスワークも変に捻らず実にストレートなバッキングを務め、本当に、作曲者が、この曲で、何をしたかったのか、分からない。実際のオールディーズのカバーも含まれたアルバムにおいて、そういう感じの曲を作ってとせがまれたのか。

 そういうことを除けば、曲自体はむしろ結構いい。少しばかりドラマチックさがクサい感じもするミドルエイトを除けばずっと同じメロディで回っているけど、それが問題にならないくらいにはしっかりと積み上げられた曇り無きワンメロディが強い。Carlのボーカルの透き通って甘い感じもとても良い。まるで間奏もないままミドルエイトに進み元のメロディに戻り、そのままオールディーズポップス特有のフェードアウト自体が寂しくなる形式の儚い万能感で幕を下ろす。全然Brian印じゃないけども、たまにはこういうのも悪くない。

 演奏は、しかしちょっと変で、Phil Spector方式のリズムの打ち方の空白箇所に合いの手で入ってくるハイハットが妙に存在感があり、連打で敷き詰められたピアノの横で入ってくるオルガンのどこかチープな響きはオールディーズにしてはなんだかヘンテコだ。この感覚、リアルなオールディーズじゃこういう変なクセみたいなの残さんだろって思えるそんな感覚を、なんか他にどこかで味わった気が…と思ってたところ、大瀧詠一の1980年代オールディーズ“風”のそれとちょっと近いのかなと思った。オールディーズ風になるよう努めるにせよ、何故だか出てしまう当代風の演奏のクセ。曲は昔のそのままだとしても、そういうところで差異が出るのなら、新曲として昔っぽすぎる曲を作ることにも意味はあるのかも、と、この曲に限った話じゃないが。歌詞はまあ、いいか。

 

 

12. Steamboat(1973『Holland』,D他)

 なんかサイケデリックそうなジャケットのようで、実は水辺に浮かぶボートの写真を逆さまにしただけ、でもそれが、遠くで霞むお城みたいに見える、実際筆者は長くそんなふうに思ってたこのジャケットのアルバム『Holland』は、その名のとおりオランダに何故かメンバーとマネージャーが移住(!?)して制作した、という、数ある理解に苦しむ経緯で制作された彼らのアルバムでもとりわけ意味不明*15な作品。なんならベーシックトラックだけ録って仕上げは地元のロスに戻ってからやったとか、アルバムが売れそうにないとレーベルに思われた後にリード曲を完全にアメリカで制作してたりとか、もう無茶苦茶だけど、なのに、作品は良好なものに仕上がった*16。全員が楽曲を書き、懐古でなしに“新曲”に取り組む、そんな『Sunflower』以降の流れの最後の作品。この後懐古そのものなベスト盤が大ヒットして、このバンドの歴史は困難に捻れていく。

 アメリカに戻ってから作った『Sail on, Sailor』がなければ、まさかこの曲がアルバム先頭の予定だったのか…そりゃ流石にだめだろ…とはでもまあ思う。ゆっくりとボートで水面を漂っていくような、ぼーっとしたまま景色が移り変わっていくのをそのまま音にしたような、イマジナリーでかつレイジーな、美しいような、ぼんやりしすぎのような、変な深みを持ったスローなDennisの曲。実際の配置である2曲目というのも、どうなんだ…?とは思うけど、独特の広がりを持ったいい曲だ。

 遠くからゆっくり近づいてくる、蒸気のような、音のおがくずのような、そんな様子にぬるっと歌も始まる。あのアルバムのこれ含め2曲あるDennisの楽曲は何故か全てCarlがボーカルを取る*17。静かな始まり方はDennis曲の定番だけど、この曲はそういうのとも違って、穏やかな混沌というか、異国情緒というか。ともかく様々な楽器が使われている*18こともあるんだろうか、想像力がゆるゆると解き放たれてるような感じはVan Dyke Parksとかにも近いのかも。

 シュールな曲調の中をゆるゆると進行するCarlのボーカルは爽やかながら、やはりメロディのぼんやり具合は決して覆らない。そこに付随してくる、もはやユーモアしかないようなコーラスワークは、だてに『Smile』のレコーディング経験してないな、という手慣れっぷり。このようななんとも言い難いユーモアセンスは後年のフォロワーにはなかなかそこまで手が回らないところか。上質の絨毯のようなシュールなコーラスだ。

 楽曲はぼんやりゆらゆら揺れ続けるだけでなく、結構理不尽な1音転調のブリッジを挟み、やはり理不尽気味なコード進行のサビのような、ちょっと闇に落ち込むような変なコードを挟み込んで、全体のぼんやり風味は壊さないものの、ただ単にぼんやりゆらゆらだけで終わらせない気概がある。

 そもそもなんでThe Beach Boysが蒸気船の歌なんて歌うのか。この時期はまだJack Rieleyがいた頃で、この曲は彼もクレジットに入ってるので、多分彼によるもの。じゃなきゃこんな小難しい歌詞にはならない。ぼんやりしてるようで、妙にインテリ散らしている。ちなみにアルバムレコーディング後、なぜか彼だけオランダに残り続け、そしてバンドのマネージャーをクビになる。なんだこの人。

 

川は甘美なるベリーと花々のベッドになって

岸辺はカラッカラの嘘 どうぞお気をつけて

流れは英雄の眼鏡具 朗らかな返答で架橋し

運河は赦しの樋 あらゆる賞を総なめ

 

人生とかいう蒸気船はいつも忠実に往く

 

 

13. Add Some Music to your Day(1970『Sunflower』,B他)

 アルバム『Sunflower』が素晴らしいのは、各メンバーが自作曲で大活躍していることもあるけども、その上でバラバラではなく、そこそこにまとまって“いい作品・いい音楽”に向かおうとしている姿勢がどことなく見えてくるところ。“どことなく”って何だよ…という話だけど、少なくともこの曲はそんな雰囲気の象徴と呼んでいいんではないか。フォーキーな楽曲に乗せて、ソフトから少しセンチメンタルでロマンチックな曲展開をメンバーのボーカルリレーでとても印象的に彩り、そして綺麗なMike Loveによる「地名を歌詞にすればいいんだ」方式を音楽ジャンルに当てはめた素晴らしい歌詞が認められた名曲

 短いながら明確なイントロがある。アコギによる優しげなフレーズはソフトロック的な、少し暖かい日向のような趣。この曲自体そんな、少し暖かい日向の広がるある昼間の公園、みたいな風景がなんとなく広がる。というか、アルバムジャケットの光景がそのままこの曲に当てはまるのか。もうこの曲タイトル曲で良かったんじゃないか。

 ボーカルリレーはまずMike Loveから始まる。この曲ではまだいつもの妙に軽い歌いまわし方ながら、同時にそのまま真面目な歌い方をする。もしくはそう聴こえるのは、周りのコーラスワークの神聖さゆえか。その後もMikeがよりソフトに歌ってたりもしてややこしいが、自分の認識だとその後Bruce Johnston→展開部はCarl or Brain Wilson→ブレイクの箇所でDennis Wilson→最後のヴァースがやたらと細かくて、多分、Mike→Al Jardine→Bruce Johnstonの順番で歌い継いでいく(そうじゃないかな…)。

 合間に挟まれるタイトルコールを繰り返すハーモニーパートの多幸感も凄いが、この曲の最も大事な箇所は間違いなくWilson兄弟*19が歌う展開部で、ここの急に胸が張り裂けそうな寂しさが訪れる曲展開のドラマ具合が、作曲者の絶好調さとエモさとを確実に伝えている。作詞者も実に空気を読み、もしくはここだけBrianが自分で書いたのか知らないが、感動的なことを歌っている。

 

音楽 それは きみがひとりぼっちのときには

連れ添ってくれるのさ その孤独な魂のために

 

1日が終わって 疲れ切った目を閉じる

音楽はぼくの魂の中に

 

 楽曲はそのエモのピークを後に最終バースを慌ただしいボーカルリレーでさらりと流し、分厚いコーラスのタイトルコール連打による、圧倒的な多幸感のフェードアウトによって締められる。「音楽を何か日々に足してみようよ」という呼びかけが、よく考えるとこれは音楽産業による宣伝めいても聴こえるけども、そうではなく、とても敬虔な祈りみたく聴こえてしまう瞬間。

 そして、Mike Loveもまた地名連想方式*20で随分と綺麗な歌詞を書いたもんだ。

 

日曜の朝 ゴスペルが魂によく効く

ブルーズ フォーク カントリー 転がる石めいたロック

世界は一つになれるかも もしこの世の皆が日々に音楽を加えたら

 

映画館で 心に触れてくるのを感じるだろう

また 夏の日々の間ずっと アイスクリーム販売車を追いかける

子供達の歌として聞くだろう

きみの結婚式の日にも奏でられるだろう

何百万通りもあるんだろう 日々に何か音楽を足すことには

 

www.youtube.com

 

 

14. The Night was so Young(1977『Love You』,B)

 アルバム『Love You』のB面、いわゆる後半部分は一時的に復活したBrian Wilsonのメロディの良い楽曲集となっていて、ちょうど1965年のアルバム『Today!』のB面の1970年代版とでも呼べそう。その中でこの曲は、Brianにしては珍しい、明確に“夜”のムードを想定して製作されたと思しき、囁くような歌い方から広がっていく曲展開の、チル的なものに片足突っ込んでるような夜的な優美さや、楽器の音が夜の空気に消え入るような感じのする程よい音響が的確な隠れ名曲的な1曲

 このバンド名物のいきなり歌とオルガンで始まるけども、オルガンはいつもの4分連打ではなく、パイプオルガン的な持続音を効かせた演奏がどこか神々しさを思わせる。メインボーカルであるCarlの優しく囁くような歌い方には1970年代を渡ってきたことによる円熟の兆しが見え、また自身の兄の真っ当な力作に応える感じも。アルバム『Love You』自体がWilson兄弟の絆のようなものが垣間見える、全曲をBrian Wilson書き下ろし・プロデュースで、それを残り2人の兄弟がメインで支えるバランスのアルバムとなっている。

 この曲自体は結構ミニマルな構成で、囁くようなヴァースとゴスペルじみたサビとを分かれ目も曖昧なまま、ブレイクのちょっと気の利いたコーラスで強引にヴァースに戻りながら繰り返し続けるだけのもの。リズムの存在感もかなり希薄な中で、少ない音数の中を突如真夜中に灯すマッチのようにコーラスが沸き返るのはなんだか、静かに感動的になるものがある。チルな祈りめいたそんな情感を、よく考えるとただの浮気な内容を歌っただけのこの曲に感じてしまうのもいかがなものかとは思いつつ。

 

夜はまだ早く 全ては静まり返っていた

ぼくの家の窓辺で静かに月が眩いでいた

彼女の唇のことを思う この身の内側までチルっていく

そして思案する どうして彼女は身を隠さないといけないか

 

誰か教示し給え どうして彼女は身を隠さないといけない

彼女はただ通り過ぎ 試みもしないままだ

この愛をあるべき場所に導くことについて

 

夜の聖歌みたいなこの曲で本当、何を歌っているのやら。隠遁明けはずだけど、Brianって案外ロックスターなんだなと思う瞬間。

 

 

15. (Wouldn't It be Nice to)Live Again(1971『Surf's up』Outtake,B他)

 2021年のコンピ『Feel Flow』にある程度まとめられたことで改めて明らかになったのは、Dennis Wilsonの楽曲のボツの多さとその質の高さ、そこから生じる圧倒的な不憫さ。ソロアルバム制作を目論む時期と並行していたとはいえ、なぜこの曲や『4th of July』といった良曲が1曲もアルバム『Surf's Up』に収録されずに終わったのか。まあ、Jack Reileyと相性が良くなかったり、この曲をアルバム最後に収録するよう本人が要求したり*21と、色々あったんだろうけど。

 さてそんなこの曲がどんな曲かといえば、作者らしい大仰なバラッドながら、明確に突き抜けるようなサビメロディ的なものと、その後の跪いて祈るようなパートの対比が綺麗な威風堂々たるロックバラッド、といった趣の力作。次作『So Tough』には『Caddle Up』よりこっちを入れてやれよ…と言いたくなるくらいには素晴らしい。曲タイトルは『Pet Sounds』冒頭曲を丸々含んでるから関係ありそうな感じがするけどその気聞くと別にそういうこともないかって感じ。

 実に辛気臭いフルートか何かの音に導かれて、マイナー気味な調子でうつろ気味なボーカルが入ってくる。彼のバラード曲に割とありがちなこの目線があてどころなく彷徨ってるかのようなメロディが、しかしすぐにこの曲特有の、野暮ったくも大きく突き抜けるようなサビのメロディに移り変わっていく。大仰ながらスピリチュアルな抜け方で超越的な感じになりがちな彼のバラッドにおいて、ここまで素直に正面からメロディをはっきりとぶち上げてくる楽曲はかなり珍しい気がする。サビの途中から入ってくるドラムの感じも実に良く、バタバタと入るフィルの感じが案外The Beatlesっぽさがあって、そんなものを仮にもこのバンドの曲で感じるとはと、少し意外な王道さ。ウネウネと同じラインを旋回し続けるギターのオブリもこのバンドの曲としては大分異色。まあコーラスワークの広がり方があまりThe Beach Boys的でないこともあって、確かに「この曲がどれだけ良いものであってもThe Beach Boysの曲としてはちょっと…」という判断がなされたことは、まあちょっと分からんでもない。

 4分に達する前から少し調子が変わって、神々しかったコーラスが少しフックを付けてきて、ピアノもジャズみを増して、フルートの音が不思議な雰囲気を撒き散らしたまま、ちょっとしたインプロセッション的なものをした上で楽曲はフェードアウトしていく。最後のタイトルコールを交互に差し込んでいくコーラスワークはまだ少しThe Beach Boys的か。

 歌詞においても不器用そうな実直さに満ちた強い希求を、詩的な表現とか雰囲気とかそんなのまるで無視で叩きつけてくる。テーマがテーマだからか粗野にもならず、何だろうこのテンションの上がり方は、と不思議に思う。

 

もう一度生きることができたら素敵だろうね

丘の頂で愛し合うんだ

 

愛は死に絶えるだろうとか誰が言ったんだ

まさにそんな原初の嘘を誰が言ったんだ

さようならなんて誰が言ったんだ

男は泣けないなんて誰が言ったのか教えてくれ

ぼくは泣くことができる

そしたらぼくら二人きりで生きていく

そしてそれでいいんだ それでいい

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

中締め

 後半の15曲も早いとこ書き上げてアップしようと思います。それではまた。

*1:ロサンゼルスの移民排撃反対デモ鎮圧にトランプ大統領が州兵を派遣するとかいうアメリカ史上でも有数のカオスな事態の中で果たして…とは思いもするけども、せめて…という気持ちもある。

*2:これについては、リアルタイムでの彼本人は当時の耳の状態などもありモノラルのみの監修であり、後年リリース(1997年)されたステレオ盤については彼の監修もありつつMark Linettという、1990年代The Beach Boys再評価の立役者と言っていいエンジニアによるところが大きい。彼がステレオの世界に解き放つことができた、左右から包み込む『Pet Sounds』こそ、1990年代以降の”音響の魔術師”としてのバンドの評価され方の、もはやある種の原点ではないかとさえ思う。The Beatlesでこのような現代式リミックス的なの出すのはずっと後だったし。

*3:スタジオミュージシャンが多用された『Pet Sounds』や『Smile』の時期でも彼は意外と演奏の方の録音に参加し、実際に一部音源にきっちり演奏が録音として残っていたりする。

*4:彼もバンドにおいて自作曲で甘いノスタルジックさが極まった楽曲を数曲発表している。

*5:元々はBrianボーカルが入ってたらしいけどBruceの判断で差し替えたとのこと。当時のBrianの声の状態を思うと残念ながら的確。

*6:この精神科医Eugene Landyも中々問題のある人物で、Brianの創作物を自分のものにしようとしたり、その後追放されたりと色々とあるけど、そんなのまで書いてたらこの記事終わらない…。

*7:このアルバム、冒頭4曲連続でいきなり歌から始まるもんな。流石にテキトーすぎる。

*8:この曲はBrianの浮気相手に呼びかける歌詞。え、そんな曲を妻のいるグループに歌わせようとしてたの…?

*9:ここの部分の緊張感は、2004年版『Smile』でいうところの第2部的な要素。

*10:どうしてThe Beach Boysに関わる人物は皆クセモノばっかりなんだ…。

*11:歌詞はJack Rieley。BrianもCarlも、自分で歌詞を書くことにそんなに拘りがなさげなのは興味深い。

*12:そもそも本人の精神状態がまともでなかったのはある。

*13:流石にMike Loveが自前でこの曲の音響を出せるんだったらその後の歴史は相当違うものになってただろうから。

*14:Mike LoveとAl Jardine。1970年代中頃からバンドのマネージャーもMikeの親族が務めてるし、彼の支配欲みたいなのは何かとバンドに暗い影をもたらしてもいるけども、一方でバンドがまだ現役で活動しているのも彼の手腕による部分があって、おまけに彼は共和党員でしかもトランプ支持者と、非常にこう、功罪というか、扱いに困る…。

*15:一応、オランダのライブのファンの熱心さに打たれて、といった凄く当たり障りのない理由から、ドラッグがオランダでは手に入りやすかったからと、いった当たり障りしかない理由まであるらしい。

*16:ある意味では合宿レコーディングみたいなものか。いやでも合宿で移住はしないし、牧場の納屋横のガレージをスタジオに改築するなんてことも普通しないだろうけども。

*17:Dennisがオランダに住むのが嫌でやる気なかったからか。

*18:キーボード類はクラビちゃチェレスタまで登場し、ペダルスティールに、口琴なんてものさえ出てくる。様々なSEも挿入され、映像的な感覚。

*19:クレジットを見るとメンバーで唯一Dennisだけリードボーカル表記がされていないからメインでは歌ってないのかもしれない。でもどう考えても「When day is over〜」のくだりの声は彼に聴こえる。

*20:リシュケシュでの超越瞑想の修行中にPaul MacCartneyに言ったとされる「(どうしたらそんなに歌詞が書けるの?という問いに対し)簡単さ、地名を入れればいいのさ」と即答したという逸話。

*21:その結果、この曲は外されて代わりにかの『Smile』でも一番凄絶な楽曲が掘り返されて最終曲の位置とアルバムタイトルまでになるのはなんとも。