ブンゲイブ・ケイオンガクブ

本を読まない文芸部員と楽器を練習しない軽音楽部員のような感じのブログ。適当な創作・レビュー等々。

『シフォン主義』相対性理論

 いまや日本サブカル界の王道になってしまった感すらあるやくしまるえつこ等(等って感じが最近より強まってないですか?)のバンド相対性理論のデビューミニアルバム。これ改めて見ると全部で16分弱しかなかったのか…。

シフォン主義シフォン主義
(2008/05/08)
相対性理論

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 2008年に突如現れて、一気にサブカルの勢力地図を塗り替えてしまった一作。ジャケットからはまだそこまでの雰囲気は感じられない(裏ジャケのイラストの方は早速のやくしまる感全開といったファンシーでゆるめな雰囲気だが)。元々自主制作盤であり、本人たちがこの作品がどこまで今に至るまでの拡がり方に繋がると思ってたのか分かりかねるが、でもそれでも野心的で計算的な部分が色々散見される作品でもある。

 しかしこのバンドの作品となるとレビューがたくさんしかも多角的に存在するから、当然それら全部踏まえてなんて書けないし、社会学的批評的はてブ的内容はそれこそ読みはじめたらドツボに嵌りそうなので、そこそこライトに書きたい。



1. スマトラ警備隊
 この曲が一曲目であることでもたらされたものって結構でかそうな、相対性理論を強烈に印象づける強力な一曲。
 やっぱイントロの突き抜けるようなインパクトと、そして絶妙に突き抜けきれないバランスがキャッチーだと思う。ダダダダッダッダッダッダダダダダっていうやつ、コードや勢い的にはNumber Girlとかそういう方面のバンドがやってたことをイントロに噛ませて、しかしナンバガだとしっかりやり切ってしまって壮絶な世界観になってしまいそうなところを、絶妙なギターのローファイさ、エッジの抑え方でやり切ってしまわずに、(誤解を恐れずに言えば)絶妙にちゃちいサウンドを構築している(このサウンドはこの作品全体に共通している)。
 そのイントロの後も、所々に歌を際立たせるブレイクを入れながらも、ずっと勢いを維持したまま疾走するサウンドが、いい具合のB級ガチャガチャサウンドで瑞々しく流れていくのはそれだけでも単純に気持ちがいい。この辺、ゼロ年代ロキノンサウンドを模倣してるようで微妙にズラしてる感じにも聴こえる。ドラムがフィルインとかで頑張りすぎてなかったり、ベースがあまり強弱無くずっと16分でルート近くを弾き倒してる辺りがこんな曲なら普通に高まりそうな演奏の熱をいい具合に逃がしている。
 圧巻なのが、印象的なイントロ・アウトロにAメロ二回サビ三回を演り切ったその上で曲全体の演奏時間が僅か2分42秒しかないこと。ポップソングの尺気にするマンのぼくはこれだけでももう溜息お手上げもので、なんて鮮やかで無駄のないペンなんだろうと思う。
 そんな楽曲の上で自由闊達にかつ持ち前のだるそうな熱の無い声で歌い捨てるやくしまるえつここの歌自体がサブカルだ、日本語ロックのメタだなんて、そんなことを思わせる声&メロディ&歌詞。おそらくこの作品のこの位置が『気になるあの娘』(『シンクロニシティーン』収録)ではここまで人気が出たか(おれは『気になる〜』の方が曲自体は好きなのだけど)。「大切に歌う」という考えから数万光年離れた、かといってウィスパーボイスのような優しい歌い方からも数千光年離れた、ぶっきらぼうロリな歌唱スタイルは、実際にそうかはともかく、音楽シーンにおいて「発明」に映ったはず。この曲は特に演奏とのギャップが今作中最も大きく、その分印象深い。
 歌詞の方に眼を移せば、完全にシュールな世界を歌っているようでいて、しかし絶妙に消極的で軽くメルヘン/メンヘラな要素が数多く撒かれていることに気づく。
更新世到来/冬長い/朝は弱いわたし/あくびをしてたの
北極星/超新星/流星群にお願いよ/誰か/止めて/あの子のスーサイド
テンポよく宇宙スケールになる単語の並びも素晴らしいが、ここでは例えばPizzicato Five野宮真貴が加入した直後からアルバム『女性上位時代』に至までに小西康陽が執拗に歌詞上で行ったのと同じ「歌い手のキャラクター説明(一人称による)」が行われている。そんなの大なり小なりみんなやっていることなのだが、やくしまるえつこがその辺のみんなとと違うところはやはり「自分はこういうキャラ」というのを打ち出して、その上で歌い続けているところだろう(だから2014年1月現在の最新作『TOWN AGE』の『ほうき星』の歌詞なんかは「あれっ…?」って感じもするのだけれど)。
 やくしまる及びバンドがこの曲で宣言した「こういうキャラ」とはどういうキャラか。遠くの街や宇宙や歴史や怪物などと海岸やテレビや漫画や学校などを平気で並列した上で、すべてなんか退屈でめんどくさい「わたしとあなた」に集約させてしまうキャラだととりあえず思う。
 ここまで書いて思った。そのキャラって初期スピッツじゃね?(強引な我田引水感)
まあ色々異なる点もあるけれど。
 それとあと、この曲に限らず今作全体に言えることですが、やくしまるさんこれ以降の作品と声違くないですか?キャリアで最もやさぐれ感あるのが一番はじめの作品っていうのがウケるし特異だなと思った。

2. LOVEずっきゅん
 今更言うまでもなく、相対性理論及びやくしまるえつこの名前を一気に音楽シーンに轟かせた、最早近年の少女ポップの流れからしたらクラシック感すらある、歴史に残ってしまっただろう一曲。
 何を置いても、サビの「ラブ ラブ ラブずっきゅん」のリフレインが鮮烈。殆どこれだけで天下取ってしまった、とまでは言わないが、オタクからそこそこの音楽好きまでを振り向かせるこの強力なワードを発明して歌った段階で、彼女らが特別なポジションにつくきっかけは出来上がっていた。言葉が持つ威力を感じることしきり。それを言葉に合わせた媚びっ媚びの元気アイドル声ではなく、けだるげで投げやり気味なやくしまるの声で歌うという、そのシュールである意味媚びっ媚びの〜からはみ出たところでそれ以上にあざとすぎるスタイルがもの凄い。
 サビ以外のメロディも含めて、どことなく歌全体やギターフレーズなどに歌謡曲的な雰囲気が感じられる。サビ以外の部分は「IIm7→V7→I△7→VIm7」の循環コードが用いられ、マイルドな印象をうっすら抱かせる。
 が、そのマイルドなコードを囲む演奏が、それほどマイルドでない、というかむしろ気合いが入っている。クリーンギターの鋭角的なカッティング、ややトライバルな勢いのタムプレイをするドラム、そして野暮ったい歌い方で歌われるぶっきらぼうな音節の切り方と昇降の仕方をするメロディ。つまりこのコード進行の箇所は、コードのマイルドさと演奏の熱っぽさ、そして歌の無感動さとで三方に引き裂かれている。
 そこからの、サビでの前曲と同様の不思議な一体感で突破していくところにこの曲のダイナミズムがある。サビはコードも演奏も一直線なものになり、そこに上記必殺のリフレインが絡む様はまさに「一点突破」といった趣。さらに二回目のサビ後半では各楽器陣が分裂しそれぞれ激しい演奏を展開、激しいカッティング、フィルイン連発のドラム、スラップまで飛び出すベース等々の相対性理論の演奏で一番激しいんじゃないかと思わせる一幕、そしてそれに負けないどころかむしろ強引にまとめあげてしまう歌。
 その激しいパートが終わって「ラブーラブー」とリバーブかけて上昇していくところ、そしてそこをサビ終わりのコールでさくっと終わらせ、最初のAメロフレーズをさらっと繰り返して最後ジャン、ジャーンって具合にあっさり余韻少なめで曲が終了する辺りまで、過不足無く展開を詰め込み、その結果曲の尺が3分19秒。とても優良な三分間ポップスに仕上っている。
 歌詞については、サビは殆どタイトルコールの繰り返しなので、Aメロの箇所にて世界観が構築されている。これもやはりテンポよく宇宙的なものと学校クラスの話を殆どシームレスで行き来してしまう。
ここ/ここ/ここはどこ/宇宙/わたし中央線乗り越して気付いた/明日は始業式
相対性理論の歌詞の特徴のひとつとして、本人たちの生活感を全く感じさせないというのがある。この曲も、彼女らが当時高校生だった訳でもなければ、ましてや宇宙に行ったりタイムトラベラーに会ったりする訳ない。このバンドの歌詞は徹底してフィクションである。しかし、そんな彼女らの歌詞は同時に、どこか他の場所に旅行や、冒険しに行ってる訳でもない。奇しくもこの曲の歌詞にはこんなフレーズもある。
きみ/きみ/君は誰/want you/わたし冒険少女/
 アマゾン帰りの恋するハイティーン

ここにあるのは、冒険の詩情をどうこうするのではなく、とりあえず設定のひとつとしてこんなのあるよ程度の扱いで「冒険」が消費される。認識としての「アマゾン」が登場はする。しかしこの歌詞の舞台は上記の通り中央線であり、せいぜい二番の歌詞で歩くのやめてしまう由比ケ浜くらいまでだ。
わたし年がら年中/貝殻集めて歩くの/由比ヶ浜
 ふた/ふた/二人が急接近したあの日から/貝殻集めて歩くのやめました

相対性理論の歌詞世界は決して東京周辺を出ない(あ、でも新幹線に乗ってる歌(『三千万年』)もあったな…)。そしてそのことで楽しそうな感じもしない。ただ、「場所」という横軸は動かなくても、「宇宙」という縦軸や、「時間」という奥行きは、それこそ「中央線乗り過ご」すのと同じ感覚で移動してしまう。この移動は世界観的な広さをまるで伴わない。そしてその中で歌の中の女の子は恋をしたり失ったり世界崩壊を目の当たりにしたりする。
 「セカイ系」という単語は「きみとぼくの関係性が世界そのものに直結してしまう」という世界観の小説や歌詞などを指して(時に揶揄として)用いられるものだが、相対性理論の歌詞はそれを逆手に取ったようなユーモアやどうしようもなさに満ちている。東京近郊で完結し広がる気のない、不思議で、甘くて、退屈な、そんな世界。どうしようもない破綻さえも、実感を離れた形でさらっと消費されてしまう。
あれ?/あれ?/いきなり脳卒中
彼女らは作り上げてしまった、ゼロ年代の「空想の中のトーキョー」を。勿論それはこの曲だけによるものではなく、この後の作品群の積み重ね合ってのものだが、しかしそうやって次第に詰み上がっていく世界観は決してこの曲の舞台設定からブレない。そんな相対性理論ゼロ地点な歌詞。
 ちなみに、この真部氏(だけなのかはやや不明だが)の作り上げた「ゼロ年代の空想のトーキョー」は当然、かつて小西康陽がピチカート・ファイブで築き上げた「90年代の空想のトーキョー」と対比されるべきだと考える。そうなると真部氏は第二の小西康陽なのか!?ということになるが、ぼくは相対性理論以外の氏の作品がそこまで好きでもないので、その辺については詳しく無いのが残念なところ。

3. 夏の黄金比
 冒頭から三曲続けてテンポの速い楽曲なのがこのミニアルバムの特徴。その三曲の中では一番地味ではあるが、しかし幾つかのカオスな点からやはりこの曲もインパクトが大きい。
 当時彼らは影響を受けた音楽にThe Smithsを挙げていたが、それが最も顕著に出ているのがこの曲。The Smithsの代表曲を一通り聴いていればすぐにピンと来る、クリーントーンでコーラスの利いたギター。アルペジオ主体で進行する直線的なビートの楽曲というところもThe Smiths的なポイントが高い。ベースが意外とうねったりラインを上下させたりするのもそれっぽい。サウンド的に曖昧にNWからの影響は感じさせても特定のバンドから強く影響受けてるように感じられないのが相対性理論の楽曲の特徴のひとつだが、この曲は明らかにその例外。それが相対性理論サウンドから浮いているという訳でもないけれど。
 そんなサウンドに乗って歌われるメロディや歌詞、これが意外とアイドル調。今作で一番アイドル感があるのがこの曲ではないか。「ドキドキ」の箇所のブレイクなんか、80年代のアイドル歌謡っぽさがあって、おそらく故意犯。歌詞も曲のキラキラ具合に合わせてなのか、そんな具合。
夏の終わりは/甘いキャンディーだった/夏の終わりに/わたし恋をした
聞かせて聞かせてエピソード/ワクワク/はじけてはじけて/八月のストーリー
普通にちょっと繊細気な可憐な少女風の言葉。さっそく相対性理論っぽくないぞ!
 しかしこの曲のインパクトはそこではない。ぶっちゃけ以下の二点のせいで上記のことは大体頭から吹っ飛ぶ。
その1:「箱買い」パート
 曲の中盤、突如それまでのThe Smiths歌謡を放り投げて始まるこのパート。
 突然のスカのリズム!ランニングしだすベース!
 繰り返される「コントレックス箱買い/コントレックス箱箱箱買い」のフレーズ!
 この展開の脈絡の無さが、この曲を強烈に印象づける。少なくないファンはきっとこの曲の名前が『夏の黄金比』であることよりも「コントレックス箱買いのうた」として記憶しているのではないか。
 そしてこの「コントレックス箱買い」のフレーズが、いちいち水買いに外に出たく無い「引きこもり気味少女」の印象を急激に与え、これまでの「相対性理論っぽくない」歌詞を一気に異化する。この女の子のアイドル的な恋の世界、これはコントレックス箱買いする引きこもり女の子の妄想ではないか。
 そういう意味では、巧みな挿入だと言える。
その2:終盤のコーラスパート
 「箱買い」パートが終わるともとのThe Smithsな曲調に戻ってくる。何故かホッとした気持ちでギターソロを聞き流していると出てくるのがこのパート。やくしまるが前半の歌詞の頭を伸ばして歌う、それは分かる。
 そこに追いかけて入ってくる男性陣のコーラス、それも(失礼ながら)下手い!素人くさい!投げやりくさい!次の曲の追いかけボーカルがもっとまともなのを考えると、おそらくは故意にこうしているんだろうが、正直これがインパクト以外のどんな効果を狙ってるのかわからない!
 このコーラスパートが終盤の殆どを占めるため、この曲を聴く者はこの終盤コーラスがやけに耳に付き、さっきの「箱買い」のこともよく思い出せなくなって「…なんだったんだこの曲?」と困惑の念を抱くことになる。最後に「夏の終わりは 甘いキャンディーだった」って付けられてもその余韻よりも謎コーラスのことばかり思い出されてしまう。
 …という具合に、ある意味今作で最もシュールな曲。

4. おはようオーパーツ
 この辺から急激に印象が弱くなる。前三曲がインパクトありすぎたせいで、後半二曲は完全に割を食ってるなあ、という気もするが、むしろ次作『ハイファイ新書』以降はこの曲のようなミドルテンポの曲調がメインになることを考えると、案外重要な曲なんじゃないかとも思えてくる。
 アルペジオ主体のギターや動き回るベース、シンプルな裏打ち気味ハイハット利かせ気味ビートによる演奏の空間っぽさは確実に次作以降の作風に繋がっている。リアルタイムで聴いた人はこっちのが冒頭三曲よりもメインになるなんて考えてただろうか
 そこに乗る歌は、他の曲同様メロディの短く切る箇所と長めに取った箇所の対比が印象的な淡々としたAメロから、真部さん(?)のコーラス(今度はまとも)が入ってくる辺りから歌に浮遊感が漂い始め、やくしまるとの混声になり、そしてサビではキラキラ旋回するギターや完全に四つ打ちなビートをバックに、シュールな言葉遊びのフレーズで歌が漂っていく。
 歌詞はかなり言葉遊び要素が大きいが、同時に不思議な距離感も生かされている。
髪の毛サラサラ/ストレートくせ毛/わたしはハラハラ/デイトレード失敗続きで
脈絡も現実感もゼロに「デイトレード」という単語が挿入される辺りが独自の個性。
触れれば溶けだす/チョコレート/ふしぎ/
 明日はドキドキ朝帰り/どうなっちゃうんだろう

この辺はちょっと「おっさんが歌詞書いてる」風にも感じなくは無いが。
白亜紀/ジュラ紀/インダス/エジプト/地球はまわる/まわるよまわる
言葉遊びとして登場するこのスケールの突飛な単語と、取って付けたような「地球は回る」の対比が、説得力は限りなく少ないが不思議な世界観を醸し出して、そして
おー/おー/OPQRST/UVカット
という、なんじゃそりゃー!な言葉遊びで締めてしまう。
 冒頭三曲のたえにインパクトは削がれてしまうが、既に次作以降の「こういう曲」のパターンをほぼ構築してしまっている、よく聴くと結構重要で面白い曲かもしれない。

5. 元素紀行
 本作でも最も適当っぽい感じの曲。「アルバムの締め」的な投げやりなメジャー調ジャンクポップ感が魅力。
 本作では一番歪んでそうなギター、相対性理論の他の曲ではあまり聴けそうでないどっしりしたミドルテンポのリズム、まんまThe Pillows『Back seat dog』じゃねーか!(やっぱそういうのも好きなんすね〜)なサビ(?)のコーラスなど、オルタナポップ好きなら素直に楽しい要素が散りばめられている。
 この曲、2分45秒しか無いけど、そんな中二度目のサビ終わって残り35秒くらいしか残ってないところで新しいメロディの大サビっぽいのを挿入してくるところがすごく好きだ。歌詞にも3分間ってあるけど、まさに3分間ポップマエストロとしての妙を感じさせてくれる。
 歌詞については、完全に言葉遊びといった感じ。キャラクターとしての「やくしまるえつこ」は殆ど感じられない。なのでただ単純にシュールな言い回しを楽しめる。
塩素/窒素/過酸化水素/塩素/窒素/過酸化sweet sweet days
ここはちょっとクスッとくる。上手いこと言った風なのがウケる。
三分間でもいいから/三分間でも
この辺、自称「Youtube時代のポップ・マエストロ」としての矜持を匂わせている。


 以上5曲。
 一番上で述べた通り、5曲で16分弱しかない。2分台の曲二曲と3分台の曲三曲。
 この一曲の短さは、自然にそうなったというよりもむしろ、狙って三分間サイズにしているのではないか、という気がする。『元素紀行』の歌詞からも、「Youtube時代のマエストロ」という自称からもその気概が伺える。
Youtubeをネットサーフィンの合間にちらっと観る娯楽、と考えれば、その「ちらっと」に10分とかかけたくない気がする(そういうのはニコニコ動画で観る)。だとすれば「Youtubeでちらっと聴ける」サイズの楽曲ということが考えられ、それが「Youtube時代の〜」という自称と3分間ポップスマエストロっぽさと繋がってくる。実際今作以降も相対性理論は3分台の曲が多い。楽曲制作の際に一曲の尺をしっかりコントロールしているように感じる)
 この作品のもうひとつ大きな特徴として、それぞれの曲名がある。どれで検索しても相対性理論のその曲がきちんと出てくるはずである。それは単に相対性理論が流行ったから、というのもあるだろうが、それ以上にタイトルが独特であることが重要だと思う。曲目を字面で見た時の奇妙な感じ、特にスマトラ警備隊』と『LOVEずっきゅん』が平然と並んでいる辺りインパクトが非常にでかい。耳の前にまず目を引く、というのが、彼らの戦略のうちであったことは疑いない。
 戦略。楽曲ごとの数々の「戦略」については上で述べたつもりだが、ともかくこの作品には様々な「戦略」が見え隠れするし、それが結果としてヒットを通り越え「相対性理論やくしまるえつこのトーキョー」みたいな世界観をつくりあげるのに繋がっていく。そしてインディー少女ポップのひとつの大きな着火点となった。これがなければさよならポニーテールもパスピエも存在していたか疑わしい(代わりに何か別の傾向が出来てただけかもだが…)。
 そういったことを考えると、やはり「歴史上の一枚」となってしまうのかもしれない。ジャパニーズガールズポップの分水嶺、日本語ロックの転換点…。

 だが、そんなこととりあえずどうでもよくて、ただ単に、聴く人を楽しませてくれる要素をたくさん詰め込んだ、いつ聴いても小粋で素敵な作品であるということが第一である。3分間のポップソング万歳!なのだ。この作品はそれに尽きる。



ここまで書いて、あんまりライトじゃない文量かもしれないと思った…。
この先の作品を思うとしんどい…。