ブンゲイブ・ケイオンガクブ

本を読まない文芸部員と楽器を練習しない軽音楽部員のような感じのブログ。適当な創作・レビュー等々。

「BLUE GHOST TOUR FINAL 元気にさよなら」昆虫キッズ

 行ってきました東京は渋谷、クアトロ。はじめて入りました。
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感想書くの遅れに遅れて、ご本人の方からこんな記事まで投稿されてますが…。DVD、出るのか…!

あえていつもの書き方で書いてみよう。
※あくまで『BLUE GHOST』ツアーから観始めたファンの感想です。
以下、敬称略。

1. Alain Delon
 今回の昆虫キッズのツアーの出囃子はBruce Springsteen『Born To Run』だったらしく、自分が行った京都や福岡でのライブでも聴いたあの力強くもキラキラした演奏が会場の暗転の後に鳴り響き、昆虫キッズのワンマンライブが始まった。ドラム・佐久間裕太だけが登場し、ドラムに座り試し打ちも早々に、強烈な乱打、昆虫キッズ特有の爆発的なジャングルビート。会場にいた人の少なくない数が「あ、これが1曲目かあ」と膝を打ったかもしれない。
 怒濤のドラムソロの繰り返しの中他メンバー、ベース・のもとなつよ、ギター・冷牟田敬が登場、そして少し遅れて、高橋翔。サングラスをかけている。そういえばこの前広島で観たシャムキャッツの時夏目知幸もかけてたなあ。みんなしてロックンロール背負うぜ!って感じ?違うか。むしろDeerhunterのフラッドフォード・コックスのここ数年のロックンロール指向をブラッドフォード大好き芸人である高橋翔がマネしての前のきのこヘアーからの転身、という可能性ががが…。
 高橋翔がギターをかき鳴らし、いよいよ曲が始まる。歌いだしの歌詞。
さよならの言葉に手をかけ震えだす心は
 忘れずあの箱に閉まってそしたら溢れ出す宿命

開演前に前説で現れたスカート澤部渡が言った「今日はただのワンマンライブですから、最高にかっこいいバンドが最高にかっこいいライブをするんです」という感じのことを考える。喉の調子が最悪な状況だという高橋さんのライブ前数日のツイートを心配していたけれど、聞こえてきた声はちゃんとしっかりと相変わらずの高橋節。
 ワン・コード押しの上ものにベースで変化をつける手法を、彼らもよく使用する。その上でこの曲の基調となるコードの響きは曖昧で、そこにくっきりと輪郭をつけるベースラインと彩りを与えるピアノの響きが素晴らしい。一気に駆け抜けていく。バンド史上最高クラスの長丁場となっただろうライブが始まった。

2. Metropolis
 アルバム『BLUE GHOST』のメンバーによる解説動画にて「非常に二曲目っぽい感じ」というコメントがあったこの曲はアルバムにおいて実に「一曲目がしっかりした曲のアルバムの場合の二曲目っぽさ」を発揮しており、そして幾つかの公演のセットリストを観る限り、おそらく今回のアルバムツアーで常に2曲目に演奏されているだろう曲でもある。つまり二曲目としての貫禄がどっしりと乗っかった、堂々とした二曲目。歌詞の通り爽やかに(しかし完全に明るいキラキラ感とも違う)進行しながらも、唯一ぐっと加熱するCメロで魅せるバンドの勢い。とてもスムーズだ。
 この曲を始める前になにかMCをしていた気がする(「今年もよろしく」などと言っていた。このテキトーさ!)。サングラスはもう外していた。早過ぎて意味が分からない。単純に邪魔だったんかな。

3. ブルーブル
 スピード感ある曲の繋ぎ。彼らが時にナンバガフォローワーと見なされ、本人もその敬意を隠さない程の勢い。今回のツアーからしか昆虫キッズのライブを観たことのない自分にはこの彼らの1stアルバムからの曲の経歴というか、ライブでどう進化していったかとかそういうのがよく分からないところはあるけれども、それでもこの曲の勢いが尋常じゃないことは分かる。性急にかつ独特の詰まり方をするAメロから、サビで下から一気にしゃくりあげるような高橋翔のボーカル、それに追随していくのもと・冷牟田のコーラス。おいおいここにはナンバーガールスーパーカーもいるぜ。どっちも興味を持つ頃には解散していて(スーパーカーはギリ間に合わなかった)ライブ観たことなんてないけど。

4. ASTRA
 この曲のイントロが鳴った瞬間の観客の、特に男ども歓声がとても印象深い(自分もその中のひとりなのだけど)。スタジオ音源ではトランペットが鳴るところの代わりに鳴らされる高橋翔のカッティングを皮切りに、まさに暴力的で爆発的で、イービルでカオティックな演奏が放たれる。猛々しくも刺々しいギター、鉄の塊を振り回すようなベース、そしてThis is 昆虫キッズのドラム!って感じのリズムキープバッチリに殆ど崩壊しきったドラムプレイ。一気にフロアの前の方で暴れだす奴らが増加し、ぼくも自衛のために揺らす身体を固くして、なんかぶつかってくるクソ野郎をはじき返す。クソ野郎は笑っている。クソみたいな笑顔をしている。それは横目で見ていても清々しい感じがした。
メリーゴーランド回らない この惑星で踊ってく
 哀しみ時代のネオディスコ

機能不全、なぜだ、その原因を究明して修正して“正しい暮らし”を目指すことこそこの社会に生きるひとりひとりがすることじゃないのか。うるせえボケ。ただただ狂騒すること、その甘味の程を知るや。

5. 主人公
 『ASTRA』の後はこの曲のシーケンスが鳴り響く、というのがアルバム『こおったゆめをとかすように』でもライブにおいても鉄板の流れである。『ASTRA』の狂騒はそのままシーケンスを通じてバトンタッチされ、そして叩き付けるリズムそのもののような演奏と歌が始まる。『ASTRA』が派手に破片を飛び散らせるような爆発なら、この曲は内部破裂を繰り返した後にサビで変な熱を発するような曲で、その微妙なグラデーションの違いがまた楽しい。
 確か高橋翔はこの曲のメロディの高音部がかすれてしまった。彼の喉の完全復活という奇跡は遂に起こらなかったことが判明していくが、バンドは一切ギアを緩めない。むしろより摩訶不思議なサウンドに飛び込んでいく。

6. 変だ、変だ、変だ
 この曲を最初に聴いた時のことを思い出してみる。「なんだこれは」。打ち込みのビートが反復して「エレポップ系の曲か」と思ったら、上モノはエコーがかったギターのニューウェービーでクネクネした音ばかり。そして歌もなんかクネクネしていて、それら合わせてみて、夜っぽい、けどメロウでスウィートな感じとも違う、なんだこの感覚は、っていう。
 その感覚は、ドラムパッドを併用してきちんとアルバム収録バージョン準拠で行われるライブにおいては、より増幅される。それは、この曲のキモである二本のメタリックなギターの絡みがより視覚的に理解されるからか、それともどう考えてもスタジオ音源よりも極端なディレイの掛け方によるものなのか。機械的なようで有機的、無感動的なようでエネルギッシュなそのせめぎ合いは、特に辛うじて一回目のサビっぽくなった箇所の直後からの、アルバム『BLUE GHOST』で数少ないのもとコーラスパートにおけるコズミックな展開で全開となる。その演奏は、どこまでも眩しく、かつ亡霊的。晩年のバンドが得た、妖艶さとこどもパンクSFっぽさが合わさった独特のフォルムが、ぶわーっと噴出されてともかく気持ちいい。

7. Night Blow
 確か前曲から続けてこの曲へ。タイトルに「夜」と入ってるだけあって、そもそも全体的に夜っぽい『BLUE〜』においてとりわけ夜なこの曲でこのライブは更に新しい輪郭を獲得する。ファンクともR&Bともつかぬ不思議なソリッドさに、やはり二本のギターの、エフェクトを的確に利かせたサウンドがうねる。特に高橋翔のギターは、シンセのような不思議な残響を伴って鳴る。少ない弦の鳴りで、どこまでも夜の雰囲気、SFの雰囲気。

8. 冥王星
 『変だ〜』からのギターのエコー等で繋げた流れの終着点。夜の黒さをそのまま宇宙の黒さに直結させてしまう、子供じみた妄想力で本当に宇宙の果てを描こうとするこの曲こそ、SFロマンの昆虫キッズの極北だ。いよいよ高まっていく二本のギターのエコーは、遂にこの曲の中心部で眩しいばかりの星空を描く。その想像力は囁きを繰り返す。
天文台からずっと見てたよ
かつて人工衛星になって一切の優しさとむなしさを見つめる歌をゆらゆら帝国が歌った。この曲も、似たようなものだけれど、立ち位置は違う。地球のどこかでも他の星からでも、そこには地面がある。人間は重力に魂を引かれてしまってるものだから妄想をするのじゃないか。そしてそれで、どこまでもを見通すことが出来たら。

9. 楽しい時間
 前曲までの壮大なスペースオペラごっこから、この曲で急に引き戻される世界、それこそが現実、日常だ。ギミックを極力排して単調に努める演奏と歌唱は、妄想やロマンを剥がしきった現実、日常の交差していく様をまじまじと見つめる。それは、もはやキッズではない目線だ、グロテスクな程に。

10. サマータイマー
 この曲でまたロマンチックモードの昆虫キッズ。二本のギターサウンドの妙にしても、先ほどの夜〜宇宙モードとは趣を異にする、より水中っぽさのあるサウンドが清涼感というか、スピッツと初期ナンバーガールを繋ぐような不思議な雰囲気がする。そこに、ドヤ顔と投げやりさが交錯する天丼歌詞がリズミカルに乗って、そしてかなり爽やかなこの曲に「そして僕のゲロとレター/置き去りのまま」というきったねえフレーズがサラリとベチャリと貼付けられる。
 この曲のライブでの醍醐味は二回目のAメロ。音源では全部高橋翔が歌い上げるところをのもと・冷牟田コーラスが追いかける形になり、とてもバンドっぽさが出ていて美しい。このツアー以降の特色なのかそれ以前からなのかよく分からないがとにかくディレイ過剰気味な冷牟田ギターも曲のキラキラさを際立たせていた。

11. COMA
 前曲に続いて夏シリーズ。爽やかさそのものな前曲と打って変わって随分翳りを帯びた雰囲気に、リリース時期の違いというものを感じる。景色が広がるような、不思議で曖昧な調性は共通。
 この曲のメロディの優雅さに、バンドのソングライティングの変遷を強く感じる。記憶とかノスタルジーとかを大事にするバンドの、最も穏やかで鮮やかな映像の広がるこの曲は、ライブで淡々と演奏され特に盛り上がる訳でもないが、観ていて気持ちがスーッとなってとても好きだ。

12. わいわいワールド
 イントロの寂れたリゾート地っぽさが特徴的なこの曲のサビで、遂に高橋翔の歌が出なくなった。所々で顔をマイクから背ける表情に、このライブのそもそもの条件とはまた別ごとの壮絶さが現れ始める。それでも演奏は力強く、『My Final Fantasy』収録時からの積み重ねを感じさせた。ぼくはライブでこの曲を聴くのがはじめてで、ライブ終わって音源聴いた時のギャップを覚えている(音源には音源の良さがあるけど)。
 曲が終わって、高橋翔が突如ひとりでギターを弾きながらこの曲のサビを歌いだす。どうしたんだろう、と思ったら「さっきは歌えてなくて、この曲のこの部分を楽しみに来てる人もいると思ったから」という。彼の時に複雑で時にストレートな誠実さがあった。本当は歌えなかった曲全部歌い直したかったんだろうか。

13. アメリ
 えらくハードロック的な重い音で鳴らされたこの曲のイントロで、このバンドのライブにおける遊び心をまた垣間見る。この曲もライブでは初見で、音源の途中国家の挿入のとこどうするんだろう、と思ってたら、ブレイクしたあとすぐ華麗に再スタートした。なるほど。『Text』の曲はピアノの曲が多い。
 この曲もサビのメロディが高く、高橋翔はかなり苦戦していた。「歌えないくせにやたらキーが高い」という本人による自己分析。しかしそこのえぐり出すようなギリギリさこそが間違いなく昆虫キッズの魅力のひとつ。

14. Miss Heart
 前曲に引き続きピアノの入る曲。だけどしかし曲の表情は前曲とまるで違う。攻撃性は一気に立ち消え、最新ミニアルバムの冒頭を飾るこの曲には昆虫キッズの“やさしさ”(≒寂しさ)がパッと花開いている。片手をポケットにつっこんだままもう片手でだけピアノを弾く冷牟田。この曲のピアノそんなにシンプルだったのか。シンプルなのにとても優雅なラインを描くピアノと、アウトロののもとコーラスで、“今”の昆虫キッズだからこその“どこまでも行ける”感じが鮮やかに現れていた。

15. 象の街
 最新作からの曲が続く。「初披露時イントロのあまりの暗さで客席から笑いが起こった」というエピソードさえ持つこの曲、ホントに謎の辛気臭さがあって、その出所がまるで不明な感じが不思議。深いギターエコーの森の中、高橋翔のボーカルだけが怪しくも鋭い。そしてやがてそのエコーが他の演奏とともにどんどんと膨らんでいくクライマックスは、音源よりも遥かに長く続き、ノイズをギュルギュルいわせるのとも異なる、不思議な轟音を作り上げていく。そのギターのエコーは、他の楽器が演奏を終えてからも鳴り続け、そのまま次の曲へと繋がっていく。

16. 27歳
 前曲とこの曲の辺りが完全にこのライブの最深部だったろう。前曲のズブズブと沈んでいくようなエコーの底から、この曲の最初のギターがつま弾かれる。ライブにおけるこの曲の、アルバム音源とかけ離れたダブで幻想的なアレンジ(かなり前からこのスタイルだったっぽいけど、いつからなんだろう)。高橋翔の呻くようなボーカリゼーション、虚無の闇に反響して消えていくギターディレイ、柔らかな緊張感の中飛び交うシュールな歌詞。
心に張り付くタニシ それを見つめてる女の子の子
ダブな音空間の中を、どこまでも沈んで溶解していくような演奏。サビのメンバーごとのシャウトともつかない歌唱が、大して意味もないはずなのに聴いててとても寂しくなっていく。バンドは、この曲によって最も深くへ潜り、そしてここから、一気に駆け上がっていく。

17. WIDE
 本編終盤戦の始まりにして、このライブで最も4人のエネルギーが詰まりに詰まっては爆発した演奏となった。元々、活動終了を決めてから作るようなタイプの曲とは思えない、殆どバンドの掛け合いのみによって成立するようなこの曲。しかしこのライブでの熱量はそれを遥かに凌駕する。
 何を置いてもギター。もの凄い音量、もの凄いエコーの掛け方で鳴らされるそれは、ギタリストとしての冷牟田敬のベストプレイではないか。テレキャスターをほぼ垂直に構えて、全身で弦を振動させるその姿は、何かに取り憑かれてるようでさえあった。その音の眩しさが忘れられない。
 途中、二人のギタリストが微妙に異なるフレーズで掛け合うところのエネルギーをどこまでもチャージしていく感じから、そしてビートがストレートになってからの、最早フレーズとは言えない、何もかもを纏って突進していくようなギタープレイ。「氷を溶かせ」と連呼しまくる高橋翔。
 クアトロのステージは、無数のライトに囲まれた形になっている。それらに照らされるバンドの姿はどこでもとても美しかったけれど、この曲においてはもはやそのライトさえ置いてけぼりで、バンドそのものが発光していたとしか思えなかった。ヒューズが幾らでも弾け飛びそうなほどの熱量を、とても鮮やかに表出できるバンド・昆虫キッズの神髄の、最新形の最終形。

18. いつだって
 勢いは続く。ピアノを伴ってやはり鮮やかでかつナンバガ的なザラザラジャキジャキ感も伴って始まるこの曲は、しかしライブでは唐突なテンポチェンジで謎停滞感をバラ撒いて、そしてまた元の疾走テンポに戻る。この、少しじらしてからの疾走感も快いところ。
 スタジオ音源では「レレレレモンの」と歌うところをライブでは「ラリルレモンの」と歌う。こういう微妙に気が利いているようなそうでもないところも面白い。
 最後のサビ(?)の箇所で曲は終わらず、そのまま『まちのひかり』に雪崩れ込む。彼らのライブ特有の鉄板の流れ。

19. まちのひかり
 いまだに彼らの一番の代表曲と言えばこれになるのだろうか。音源では入っていたフルートがライブではなく、かといってピアノが代わりにフレーズを弾くようなこともないため、ライブでのこの曲の演奏は非常にアタック感が強調された形となる。しかしそれでも、全然グイグイくるのは、単純にソングライティングの良さと、あと演奏の勢いによるものか。
 前曲からのダイレクト接続によって前曲のザラザラ感からパッとこの曲の少し洒落た雰囲気になる流れが素晴らしい。そして音源よりも遥かに音程と魅せ方が洗練されたボーカル。“今”のエモーションみたいなのが入った節回しはライブならではの臨場感がある。間奏、フルートがないからホントにアタック感だけのシンプルな間奏、そこに入る一拍のブレイクのスカッとした爽やかさ。そして最後の「ひかり」連呼の朴訥さ。
 昔からのファンにおいては、この曲に積もった思いの程は相当なものだろう。ぼくも新参だけども、この曲の不思議で複雑な爽やかさと勢いがとても好きで、そして、それをこのように観れる最後の時間なんだってことを思った。

20. 街は水飴
 音源ではかなりオーソドックスなバンド演奏以外の比重が高いこの曲も、ライブでは冷牟田ギターが加わり(しかしながら同時にピアノも鳴っていた。サポートでカメラ=万年筆の佐藤優介が弾いていた?ステージ袖で弾いてたらしく、ライブ中は見えなかった…)、轟音ポップナンバーとなる。この曲の場合、轟音の核は佐久間ドラムである。ともかくシンバルを叩きまくり、キックを入れまくるサビは、『27歳』ほどではないにせよ別曲のような趣がある。
 しかしそれでも、変わらないのはこの曲のメロディ。どこか民謡みたいな感じがするのは、のもとコーラス部の「カモメや 囲えや」の箇所のせいかもしれない。ディレイ過剰なギターがまた、曲の世界観を強引かつ懸命に広げていく。

21. BLUE ME
 今回のライブはあくまでアルバム『BLUE GHOST』のレコ発ツアー最終日、ということになる。そこでこの、アルバムの核とも言えそうな、SFで静謐で宗教的なこの曲の登場となる。ツアー各地でのライブであまり演奏されてないような気もして、調べてみたらリリース直後のレコ発では演奏されていた。
 高橋翔がギターを置き、ハンドマイクで歌いだす。冷牟田ギターにはやはり深いエコーがかかっているが、この曲はその響きの長さが、ベースとともにより広く深い静寂を作り出す。
 高橋翔のボーカルが、喉が、ともかく壮絶だった。アルバム中でもとりわけ高いメロディが続くこの曲で、彼は何度もマイクの前でうなだれ、食いしばり、そして歌えた場面、歌えなかった場面。音源ではなかった(多分)のもとコーラスが重なるときの安心感を突き抜けて、瀕死の絶唱をする。
青の向こう側/青の向こう側/変な街の中で怯えていた
 Blooming/咲いている/Blooming/咲いている/哀しみの行き先を

高橋翔は業の深い男だと思った。ロックンロールが時折背負わせてきたタイプのやつだ。ひとときも目を離すことができなかった。ぼくたちは、ロックスターの痛ましい姿を観に来たのだ。そして、こんな過小だったからこそ、聴いて受けた感傷の深さもまたとんでもなくなってしまった。音楽を、ロック音楽をするとはどういうことなのか。あの姿をずっと忘れない。

22. FULL COLOR
 前曲の“忘却の彼方”感をギターノイズごと継承してこの曲が始まる。おそらく、ツアーすべての公演で本編ラストをつとめたこの曲。『BLUE GHOST』以降の“2人のスペーシーなギターの絡み”路線に『変だ〜』と共に先鞭を付けた曲。
 Deerhunterを咀嚼しまくった結果ニューウェーブみたいになってしまったかのような、冷たく澄んだ2本のギターの音が、水滴を垂らすように響く。夜空のような、宇宙のような、どこでもないような…そんなアルバムの世界観を、もしかしたらアルバム外から支えていたのかもしれない。
 そして展開。無数のライトが照射するような輝き。それは所謂“太陽さん”が作り出すものとはまったく性質を異にする眩しさ。その眩しさの中で、高橋翔はふりしぼる。
街は変わるけど/いつもフルカラーで/僕も変わるけど/手を振るからで
 最後、イントロに戻って曲が終わり、終わらない。エコーしたギターノイズが、どこまでも広がって、続いていく。楽器を置き、順番にステージ袖に消えていくメンバーたち。そして、ひとりその場にうずくまり、エフェクターを弄りノイズを操ろうとする高橋翔。そのノイズの響く時間は長く、無限に続くかのように思えた。しばらくして、彼はボリュームをゆっくりと下げはじめ、そして最後はまるで自分の胸にそれを収めるかのように見えた。立ち上がり、客席に礼をして立ち去る。本編は、終わってしまった。

en1. BIRD
 アンコールが始まる。
「昆虫キッズのライブはアンコールからが本番だよね」的なMC。最後のアンコール、という寂しさを、どうにかして紛らわさずにはいられない。ベースがメロディをなぞる。昆虫キッズ最後のライブ告知として使用されたこの曲、のイントロ。
 ぼくはこの曲が本当に好きだ。フォーキーでかつ持続音の多いコードバッキングは優しく、そこに寄り添うリードギターのリフは陽光が降り注ぐようだ。その陽光には、ディレイがたっぷり掛けられてより眩しい。この曲のサビも、高橋翔の歌唱は苦しそうだった(アンコールまでの間に喉が回復する、といった奇跡は起こらなかった)けれど、それでもこの曲は曲名の通り、スコーンと飛んでいく。

en2. シンデレラ
 この曲のギターコードが鳴った瞬間の歓声。初期からの重要なレパートリーのひとつにして、冷牟田敬完全ギターボーカルの一曲。彼の高橋翔とも異なるけだるげなボーカルが、しかし意外とドラマチックなこの曲のメロディを歌う時、特にサビでメロディにアドリブ的に変化を付けるときの情感が好きだ。それは、このライブでもしっかり発揮された。
 この曲中間部、のもとボーカルと他の男連中の掛け合いの箇所がある。ここで自然発生的に起こったコールアンドレスポンスの、楽しいこと。本人が「この曲でこんなコールアンドレスポンスが起こるのはじめて」と後に話していた通り、この、元々はコールアンドレスポンスのパロディ的なギミックとして曲に含まれていた感のあるセクションは、このライブの終盤を楽しく盛り上げる、素敵な役割を遂げた。

en3. GOOD LUCK
 アルバム冒頭の曲が、こんなクライマックスに来るとは思ってなかった。この曲の、どこまでもしっかりと王道感のある感傷的なサウンドが好きだ。高橋翔も、この曲で唯一音が高いサビの一部分を根性で歌う。アウトロのコーラスが、ずっとずっと続けばいいのにと思った。

en4. 恋人たち
「最後に『恋人たち』という曲をやって終わります。ダイブとかするかもなので、そのまま渋谷駅まで送ってってください」
 アンコールの最後に『まちのひかり』と並ぶ初期の代表曲を。この曲も、ピアノを伴った爽やかさと、ちょっとしたパーティー感が魅力な曲だけど、4人でストイックに演奏すると、どこまでもパワフルに響く。特に佐久間ドラム、キックのリキの入り方が違う。最後の最後に、戦車で押し潰すかのようなグルーヴ。もの凄い体力だ。
 曲の終盤で、やりきったとばかりに高橋翔が客席にダイブ。そのまま観客の上を流れていく。笑う高橋翔、やはり笑う観客たち、そしてステージで演奏を続けながらも笑う他メンバーたち。元気にさよなら、なんて言っていいのか分からないけど、あの光景は多少なりとも、そういうことだったのかもしれない。


en1. 裸足の兵隊
 客電が点く。しかし終わらないのは分かっていた。だってまだ演ってほしい曲がたくさんある。たくさんあるけれども、少なくとも1曲だけ、演らない訳がない曲がある、そう思って、それでも必死に手を叩く。
 3たび現れた昆虫キッズ。最後に演奏されたこの曲の、バッキバキのプレイ。すべての音が、本当にバッキバキだった。のもとベースのこの曲サビでのバキっと駆け上がるフレーズはエッジが利いていて、佐久間ドラムはあい変わらず高機動でバツバツンなプレイ、そしてソロでそれらをすべて聴こえなくする程の大音量の冷牟田ギターの、殆ど絶叫のようなソロプレイ。
 高橋翔。出ない声さえどこからか出す。そして最後に4回繰り返す。
海に行こう/見に行こう/なにか大きなものを見に行こう
そうだ。分かるようで分からない、ピンからキリまでの言葉の羅列や連なりも、基本破滅的なトーンを有しながらも広がりと温もりも有したサウンドも、どこまでもクールに死にもの狂いなスタンスも、すべては「なにか大きなものを見に」行くためにあったような。それは絶望でも、希望でも、なんでもないものでもある。最後、曲終わりの轟音を何度も何度もキメを入れながら繰り返す様は、バンドを惜しむ気持ちも、楽しむ気持ちも、誇らしげな気持ちも、憔悴しきった気持ちも、何もかも入っているし、何も入っていない。最後のギターノイズ等の残響が消えたとき、昆虫キッズとかいうバンドは活動を終了した。

 何度も何度も礼をして、ステージ袖に引っ込む。しかし客席からのアンコール希望の手打ちはやまない。遂に4たびステージに現れたメンバーたち。更に何度も何度も礼をしたり、かと思えば写真を撮るよう要求したり、「こんな変なバンド他にいないよ!」というコメントが出たりして、そして観客の不思議な祝福ムード。ある意味で「元気にさよなら」というテーマを客にもバンドにも強いた、このバンド最後の長時間のワンマンライブは、しかしその目的を、達成したのではないか。27曲、3時間をゆうに越える超長時間のライブの果てに、疲れきっていながらも笑顔の高橋翔がいた。その場に広がる不思議な多幸感と、「販売予定だったパーカーは間に合わなかったので後日ホームページにて販売します」のアナウンスなどのせいか、ひとつのバンドが終わったような空気がまるでなかった。人生初の解散ライブだったからその雰囲気を感じ取れなかっただけかもしれないけれど、でも、これを書いている今でさえ、なんだろう、活動終了という実感が湧かないのは、とても不思議な気分だ。とても不思議な気分のまま、1月を過ごして、これを書いている。

 あれを演ってない、これを演ってほしかった、という気持ちが全くない訳ではない(『太陽さん』は結局ライブで観れなかった)。だけど、それはもっと早くからこのバンドに興味を持てなかった自分のアレさのせいだ。それでも、なんとか、この素敵なライブに間に合った。そのことがとても嬉しくて、誇らしい気さえしてくる。
 昆虫キッズというビッグなロマンは消え去ったらしいが、その構成員は消えていった訳ではない。別バンドがある3人はその活動を当然継続する。そしてそういうのが無い高橋翔が、上記のnoteにおけるインタビューにてソロの活動を既に表明している(「これから、"ELMER"って名前でなんかはじめます。」とのこと。これででも実際始まったら全然別の名前だったりするかもしれないからこっちも適当に待っていよう)。それに今回の解散が致命的に袂を分かつ必要性からきた仲違いではなさそうなことも(とりあえず表向きはそうは見えない)、「もしかしたら…」を期待してしまうところ。
 ともかく、最高にエキサイティングで、ロマンチックで、壮絶で、支離滅裂で、かっこいいロックバンドだ。これからもずっと聴いていくでしょう。本当にありがとう昆虫キッズ。今年も、そして今後もよろしくお願いします。DVD待ってます。kontyukids.jpg