ブンゲイブ・ケイオンガクブ

本を読まない文芸部員と楽器を練習しない軽音楽部員のような感じのブログ。適当な創作・レビュー等々。

2018年前半で聴いた音楽(後編)

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後編です。「前半で聴いた音楽・後編」って前後どっちだよっていう。

ハンターハンターは今年中にもう1回くらい再開しますかね…?王子達の描写が増えてきた話進む!と思ったら突如大量に新勢力出てきたときはアホかと思ったけど果たして…。

 

あと、ジャケの写真代わりにAmazonのリンクを貼ってる訳だけど、SpotifyかAppleMUSICのリンク貼った方がいいのかな。自分Amazonにはややアンチ寄りだし。はてなブログの編集画面に選べるやつが出てくるようカスタマイズとか出来るんかな。私Spotifyの方はやってないけども。

 

6. 『Sparkle Hard』Stephen Malkmus

Sparkle Hard

Sparkle Hard

 

マルクマス大先生のご復活、ということで言われてた今作の、ささやかに快調な感じに、いやむしろ自分ペイヴメントより後の活動ってそんなにちゃんと聴いてないけど今作って他の作品と比較してどうなんだろう、と思ったけど特に聴き返す訳でもなく。

それでも今作が快作なのは一聴してすぐに分かる気がした。シンプルなバンドサウンド+αに、潤沢なソングライティングと、そして自由闊達でナチュラルにダルいボーカリゼーション。今までの彼の音楽から新しいことがあったかなんて分からないけど、それでも奇麗な曲やアグレッシブな曲がいくつも入っている、そのアルバムとしてのバランス感覚はさらりと端正な仕上がり。

特にフォーキー系の楽曲に良さを強く感じたのは自分の趣味なのか。『Solid Silk』『Middle America』辺りのしなやかで朗らかででもどこか翳りもあるようなフォルムはインディロックの理想型という感じがして、なんというかしみじみ。『Refute』までいくとオルタナカントリーの感じさえある*1けど、これらの楽曲のメロディから感じられる哀愁は、どこかやはりこの人特有のものも感じれる気がするから不思議。

 

7. 『For』uri gagarn

For

For

 


uri gagarn / Jinx

ライブを観ることは今年に入ってから多くなく、特に4月に入ってからは激減していたけれど、このバンドが観れたことはとても嬉しかった。とてもオルタナティブロックを観てる感じを感じられた、素敵なライブでした。無理くり福岡で予定組めて良かった。

ソリッドな3ピースバンド。いや3ピースという構成自体基本ソリッドにならざるを得ない気味ではあるけど、彼らの武器はその無骨さの佇まい。引き摺るような荒く鈍くささくれたギターの音色やリフも無骨なら、ソングライティングのメロディの置き方や展開等も無骨。その無骨さは、音が少ない、つまり無音により近い雰囲気で、その歪んだ閉塞感や緊張感がどこまでも衒いがなく、しかしながら端正。スロウコアというジャンルが元々はハードコアから派生したものであるということを何が何でも思い知る。そのハードコアさをしかし現代的にどっしりと支えるベースとドラムは元nhmbaseだという。というかボーカルギターの人もgroup_inou*2だし。

それにしても、先日都内某所で作品を纏めてアレして気付いたんですけど、このバンドってキャリア長いんですね。2004年には第1作を出していたり。ずっとこういうゴツゴツしたハードコアをやっていたのは恐れ入る。そして福岡で観たライブは本当に最高でした。

 

8. 『ロックブッダ国府達矢

ロックブッダ

ロックブッダ

 


国府達矢 "薔薇" (Official Music Video)

得体の知れない過剰さ。伝え聞く話からぼんやりと想像していたそんなこの人について持っていたイメージ(実際は未だに『ロック転生』は聴けてないですけど…)が、遂に今回自分の中で像を結べたと言うか。

なるほどわからん、という部分もありつつ、しかし思いの外、音自体はロックバンド然とした楽器ばかりが鳴っていて、本当に訳の分からない音が鳴りまくってるような、そんな想定よりは全然“近い”音だった。

それでも、何か混沌としている感じは分かる。いや、サウンド自体も曲の作りも、本人的には的確に・整然としているだろうことは想像されるから、混沌と感じてしまうのはこっちの感性の問題な気がする。細かいギターリフの連なりはゴツゴツさよりも絹のようなしなやかさを思わせ、それが多くの場面で楽曲の骨格となる。歌い方は思いの外イッてしまってはいない(むしろ声がオーケンと似てさえいる)けれども、節回しやコーラスの重ね方の過剰さに、いい意味での違和感が畳み掛けては過ぎ去っていく。skillkillsのリズム隊によるタイトな変拍子気味のリズムも適度なボトム感。パン振りまで動員した立体的な音像は時に宗教画のような雰囲気さえ醸し出す。

ただ、思ったのは本当に、普通に曲としていいものが並んでいること。決してジャケットの印象から思い浮かべる異形の音楽じゃない。訴えかけてくる情緒は確かに東洋的・宗教的・土着信仰的なムードも含まれているけれど、単にそれに特化している感じでもない。全然ポップだなあと思える人懐っこいメロディも多い。そして、各種エフェクトや音質的な現代感が、異物的な楽曲を現代のロックとして機能させている。いい意味で隠者っぽさがなく、開かれている。

破滅的な制作行程を思うと、どんな異物・怪物が出てくるんだろうと思ったけれど、蓋を開けてみれば今作は、得体の知れない過剰さを多く含みながらも、ポジティブな雰囲気を纏ったアルバムだった。これが目指すべき果てなら、なんと素晴らしい光景だろうと思った。

 

9. 『The CITY』サニーデイ・サービス

the CITY [ROSE-218X] [Analog]

the CITY [ROSE-218X] [Analog]

 

これのアナログって出てるんだ…Amazonリンク貼ろうとした段階で知った。


Sunny Day Service - ジーン・セバーグ【Official Video】

このPV可愛い女の子がずっとキモい動きしててエロ怖い。

今年が明けた途端に唐突にリリース予定が本人ツイートでアナウンスされ、その後全然音沙汰なく他の活動を平然としてたのでなんだ流れたのか…曽我部さん落ち着いてくださいよ…と思ってたらなんかきっちり予告どおりのタイミングでストリーミングが始まった今作。この経緯解説だけでこれだけの文字数要する段階である意味今回も前作と同じく、そのリリース形式自体のインパクトが出てきている。

その上で、1枚前のアルバムと比較した話になってしまえば、このアルバムにはある程度イメージを把握しやすい類の“得体の知れない過剰さ”があると思う。インタビューを読むと、曽我部恵一は実に明瞭に、自分が何をしたかったか/したくなかったか、どういう効果を求めていたか、今作を出してどんな批評を食らいそうか、といったことを話していて、この「訳が分からない」と言われそうな作品に対しての一応の答えを一通り、この人は持っているんだなと思った。その強みと、そして弱みもある程度分かっているからこそ、今度は自分の想定を更に外すべく『the SEA』という形で他者のリミックスに今作を晒すことをしているのかも。

抽象的な話になってしまった。冒頭2曲にていきなり極まる不穏さ・退廃感はしかしながら今作の支配的なトーンでもなく、突如として普通にいなたいロックサウンドに(幾らか過剰な処理を施してあるとはいえ)なる『おばあちゃんのカリフラワー』辺りから「あれっ…?」っとなり、その後はヒップホップ的なトラックとゲスト参加が入り乱れる中盤、今作である意味一番過激な中原昌也リミックスの『すべての若き動物達』を挟んで、メロウでソフトなバンドサウンド構造の楽曲が並ぶ終盤と連なっていく。最後に1曲目に対応したサウンドの曲を置くのも忘れない。曽我部恵一的には"ホワイトアルバム的”な作品を作るのが今作で何回目か*3なので、“ホワイトアルバム的な混沌”という概念に対してもその効用をよく知った上での演出や撹拌、そして幾らかの倦怠さえ、楽曲の配置やサウンドには感じられる*4

個人的には、冒頭2曲込みでいいから『イン・ザ・サン・アゲイン』や『卒業』辺りの曲を核に据えた、バンドサウンドとシーケンサーの調和に特化したアルバムをコンパクトに切ってほしい気もしたけど*5、きっと本人もそれで間違いなくいい作品が出来ることは分かってるんだろうけどしかしそんなもの作って何になるの?くらいに思ってることだと思う。近年のサニーデイの発狂したような新たな全盛期においては、そんなドラッギーさの中での果て無き慊らなさと、その中でありとあらゆる手を尽くしてもがく構図が散見されて、それは結局、人間・曽我部恵一がどこまでも感じられるところでもある。

 

10. 『針のない画鋲』土井玄臣

針のない画鋲 [NBL-223]

針のない画鋲 [NBL-223]

 


土井玄臣 - そこにてる / Motoomi Doi - Soko Ni Teru

前2枚の"得体の知れない過剰さ”を経て、静謐な今作でこの2018上半期10枚を締めるのは、単なるあいうえお順にしてはよく出来てる感じがして、ただの偶然を自分の手柄にしてみたくもなったり。

寂しさの塊のような、寂しくて苦しい物語の名手といった土井玄臣氏の音楽は、しかし前作『ぼんやりベイビーEP』や前々作『The Illuminated Nightingale』で見せたエレクトロニカ要素やそれによる高揚感、何よりもビートが、今作では失われた。1曲を除きリズムを伴わずに、ピアノやシンセ、アコギやエレキギターと歌のみで小さく花開いていく世界の、その佇まいの寂しさは、やるせなさは、かえってその頼りなさ・心細さと連続する果てしない世界の広がりを感じさせる。

どこまでも頼りなく揺らいでいく世界。複数の曲ではエレキギターの弱い鳴りが左右にパン振りされてややクラクラする音場を作り、リズムがない中でそれは自分の立ってる場所を曖昧にしてしまう。彼特有のファルセット多用のボーカルスタイルは、今回は突き抜けるようなメロディを描くこともなく、曖昧な音世界にせめてもの可憐な線を引いていくばかり。

唯一ドラムが入り、後期ビートルズの系譜に連なる王道感が漂う『マリーゴールド』へ帰着する流れは、このささやかながら力強い音は、せめてもの救いなのかと思ってしまう。これは「作曲時期の違い・断絶」により、実際は決してそうではないことが本人より仄めかされているけれど*6

リズムを喪い、もやもやした音の中を彷徨うことで、彼の歌の世界観はいよいよ日常を這い回る。上記国府達矢の世界観が長い葛藤の末に何かしらの悟りを得たものであるとするならば、土井玄臣の世界観は常に、日々に纏わり付く憂鬱や悔恨・閉塞の辺りを旋回し続けている。その光景は決してドラマ・演劇としての「悲劇」暗闇としてのシーンではなく、ただのありふれた日中、その辺の路上やら部屋やらでの出来事だ。

「何処に逃げてってもここに光が届く」(『みえないひかり』)

そういったものにずっと対峙していく彼のスタンスは、別に“正義感”"勇気”とかそんな立派なものではなく、単にそういったものくらいしか歌にしたいと思えるものがないからではないかと思ってる。逆に、そこにかけての彼の自然と自在な言葉のチョイスと、それを音楽に変換することで生まれる奥行き、その異化された世界の柔らかな光には、騙されるだけの価値が大いにあるんだと思う。

 

最後3枚は日本のシンガーソングライター3人の比較みたいな感じになっちゃった。

私事ですが、前編でも書いたとおり、2018上半期は、ともかく4月以降が全然元気がありませんでした。同じ鹿児島市内での転勤・引っ越し 、単純に仕事の忙しさ・集中力奪われまくる感じだとか、言い訳は幾らでも出来るんですが、流出していく精力に対して、その補填が全然追いつかなかった感じなのか。6月末の関東出張辺りでそこが少しばかり解決したような気もするので、下半期は頑張っていきたいですね。早速うまくやる気が出ず、この更新も遅れましたけど…。漸く出来た自作の発表にもなんとか漕ぎ着けたいところですし…。

*1:そしてこの曲でポップなメロディーを途中から歌いだすキム・ゴードンに中々の違和感っぷりとおかしみと良さ

*2:元、と言うべきなのか活動休止だからよく分からない

*3:サニーデイの『24時』に曽我部ソロの『まぶしい』と来て今作は3作目でしょうか

*4:この事前からある程度ちぐはぐさが想定されたアルバムを本人が「出来損ない」と切って捨てていて、しかし様々な形での爽快さも認識している辺り、自家薬籠の状態をきわどくも回避した、なんとも形容しがたい精神状態が今作からは感じられます

*5:これは前作『Popcorn Ballads』からも思ったことではある

*6:実際この曲は2013年の『あおいろ反抗ナイト』というコンピレーションに別バージョンが収録されているなど、この曲が結構早い段階に世に出ていることが判るし、歌詞もほぼ同じ