Wilcoの代表曲のひとつ、おそらく筆頭になる曲でしょう。各会場で大合唱を引き起こすこの曲が、実際はこのアルバムでも最も物静かなナンバーであることは不思議な取り合わせだと思います。とても優美で、静謐で、そしてタイトルに直接「神」と出てきてしまう曲。筆者もタキシードか何か着て、厳粛な気持ちでこれを書くべきではないのかなとか思ったり*1。
5. Jesus, Etc.
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このアルバムの中でもこの曲だけ、とても特別な感じがしてしまうのは、アルバム唯一の渋味の利いたマイナー調の楽曲だから?優美なストリングス隊により彩られているから?それとも、911の後の世界においてあまりに悲しみとかを背負うに相応しい歌詞をしてしまっているから?どういったつもりで、こんな美しくで悲しい曲を作ったんだろう。思いを馳せてしまう。 曲の開始早々から、エレピが艶を出すバンド演奏の上に、弦楽器隊の繊細な旋律が被さる。Wilcoではこのアルバムより前だとフィドルの使用はあったけれども、これほどクラシカルでフォーマルちっくなストリングスの導入は初だったろう。ロックバンドのストリングスはThe Beatlesの『Yesterday』から続く感じの厳粛さみたいなのがあると思うけれども、この曲もそのうちに含めて支障ないものと思う。『Yesterday』と違うのは、この曲がバンド演奏もしっかり組み込まれていることと、そしてはっきりとマイナー調であること。 Jeffのボーカルは囁くような具合。言いたくはないけれども、とても大人びた、シックでビターな味わいが生まれている。彼のナチュラルに割れたような声質が、静かな音の間にそっと乗っかるのは、普通に考えればとてもムードが出てくる感じだけれども、完全なリラックスを許さないかのように、曲展開は神経質なストリングスだけ残してブレイクを挟むなどの展開を見せる。 コーラスでメジャー調のコードに反転するところで、この曲の渋味はいくらか甘く晴れた感じに反転する。落ち着いたメロディ・符割は、頼りたくなる/縋りたくなるような温もりを、歌詞の内容(“singing sad sad song")とはやや反しながらも与えてくれる。 しかしながら2回目のコーラス以降はメロディが追加され、切迫したコード感の中ボーカルもやや声を張り上げ、そこに柔らかいスライドギターの旋律が絹のように舞い降りる。そのややエモーショナルな展開も、さっと元のコーラスの締めのフレーズに着地する。この辺りの手際により、この曲はメロディの終着点で常に、大いなる落ち着きを保っている。 3回目のヴァース、リリカルなヴァイオリンのピチカートに導かれて絞り出すように歌うJeffの「Our love」のリフレインは、それこそこの曲に何らかの神聖さすら与えている。語るのも野暮だけれども、歌が元の譜割を取り戻した後の歌詞が「Our love is all of God's money」のくだりで、歌詞を書いた彼自身、この曲を神様に捧げるような気持ちで書いたような雰囲気がある。そして最後のコーラス、ストリングスがずっと舞い続けて、幻灯のように曲を包み込んでいく様に至っては、当初の渋味などどこかに消えて、代わりに何かに跪きたくなるような、切ない祈りの感情で満たされてしまう。 この曲は、他の曲で出てくるようなオバケめいたノイズの類は一切出てこない。むしろエレキギターすらこのスタジオ録音版では鳴っていないんじゃなかろうか。そのため、ザラッとした雰囲気はJeffのボーカルを除けば皆無で、むしろJeffの声だけが少し痛々しく感じるほど。そしてそれは、この曲が正規リリース後に人々の祈りを吸い上げてしまうこととなった、歌詞の内容とあまりに一致しすぎてしまった。 ジーザス、泣かないで。 ぼくを頼っていいんだ、ハニー。 何でも都合よく考えを結んでくれていいんだ。 衛星みたいにぼくはそばにいよう。 星々の知識はきみの方が正確だった。 各々が沈みゆく太陽なんだ。 高層ビルが揺れて、口をつくのは悲しい悲しい歌ばかり。 きみの頬を伝ってくコードに合わせて、 苦いメロディーがきみの軌道を変えてしまう。 泣かないで、ぼくを頼っていいんだ、ハニー。 好きな時に訪ねてくれていいんだ。 衛星みたいにぼくはそばにいよう。 星々の知識はきみの方が正確だった。 各々が沈みゆく太陽なんだ。 高層ビルが揺れて、口をつくのは悲しい悲しい歌ばかり。 きみの頬を伝ってくコードに合わせて、 苦いメロディーがきみの軌道を変えてしまう。 すすり泣きの音が響く。 高層ビルがみんなゴミ山になっていく。 きみの声はヤニ臭くなる。きみの手には最後の煙草だけ。 きみの軌道を変えてしまうんだ。 ぼくたちの愛、ぼくたちの愛。 ぼくたちの間にあるのは、ぼくたちの愛だけ。 ぼくたちの愛、神様に捧げられるのはそれだけ。 各々が燃え盛る太陽なんだ。 高層ビルが揺れて、口をつくのは悲しい悲しい歌ばかり。 きみの頬を伝ってくコードに合わせて、 苦いメロディーがきみの軌道を変えてしまう。 すすり泣きの音が響く。 高層ビルがみんなゴミ山になっていく。 きみの声はヤニ臭くなる。きみの手には最後の煙草だけ。 きみの軌道を変えてしまう。 きみの手には最後の煙草だけ。きみの軌道を変えてしまう。 きみの手には最後の煙草だけ。きみの軌道を変えてしまう。 神様に捧げる歌。と思わせて、実際は恋人の不安を、厳しい現実を踏まえながらも和らげてあげようとする歌。神様の語が入ってしまうためにその思いは若干宗教がかった祈りに繋がり、煙草という小道具を用いながらも渋く纏めた、優しいラブソング。 おそらくは、当初の制作時は上記くらいのコンセプトだったんだと思う。だけど分からないのは、どうしてその段階で、高層ビルの描写を入れこむ必要があったのかということ。高層ビルが揺れ、高層ビルがスクラップになる。この、911を見て書いたかのような歌詞が、リリース後のリスナー達にどう受け止められたか。 この曲の厳粛さや、ボーカルの悲痛さ、歌詞に出てくる「悲しい歌」「すすり泣きの声」、すべて、911を通すと意味が変わってしまう上に、その上ですべて意味が通ってしまう。 この曲が元々の意味を超えて過大評価されている、とか言いたい訳じゃない。ただ、偶然にせよここまで意味が通ってしまえば、それがいくらアーティストが予期してなかった後付けだとしても、意味は意味だと思う。この曲について考えるときに、特に印象的に聞こえてくる「Tallbuilding shake」「skyscrapers」といった単語が持ってしまった意味を無視することはとても困難だ。Jeff達が元々どんな意味をこの曲に持たせていたかに関わらず、この曲はそんな意味さえ含んでしまった上で「みんなの歌」になってしまった。誠実なバンドは、その重みを投げ出すようなことはしないし、それを分かって背負った上で、今日もどこかでこの歌を歌ってるんだと思う。 なんか精神的でスピった話になってしまったけれども、この曲がリスナー達の間で後天的に共有されるようになった“神聖なイメージ”こそを、この曲について考えるときには必ず取り上げないといけないと思っていた。高層ビルが崩壊するような大惨事がいつ起こってもおかしくないような、そんな不安ばっかりの時代*2に、宇宙的な譬え話を用いて、その中でお互いの愛だけをせめてもの頼りにどうにか生きていこうとする、そんな微かな力強さが、この繊細さに満ちた曲の美しさが、破滅的でなくてどこか前向きなように思える所以だろうか。 www.youtube.com バンドメンバーのみの演奏によるライブ映像。実に渋い。ライブアレンジも、エレキギターのちょっとしたアルペジオや、ラップスチールの使い方など、スタジオ音源とは違った形で実に繊細な演奏を見せている。 www.youtube.com あとこの曲で言うならば、Wilcoの楽曲でも最もスタンダードナンバー然とした佇まいからか、カバーが散見され、最も有名なのはこの、Norah Jonesのバージョンだろう。実にカフェ感のある仕上がり。もっとも、カフェの歌の歌詞に「高層ビルが崩壊して」みたいな歌詞がふさわしいかは知らない。逆に言えば、そんな重た目の時代に絡まった事柄などが時代が経って忘れられても、この曲は曲の良さゆえに歌い継がれていくのかもしれないかなと。前書き
楽曲精読
歌詞
楽曲単位総評