ブンゲイブ・ケイオンガクブ

本を読まない文芸部員と楽器を練習しない軽音楽部員のような感じのブログ。適当な創作・レビュー等々。

ひとつのメロディで曲構造が完結する曲

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 時々、世に色々存在する楽曲の、その構造とかについて考えたりします。日本でいうなら「Aメロ→Bメロ→サビ」みたいなやつのことです。英語なら「Verse→Chorus」みたいなので「Aメロ→サビ」となります*1。最後のサビ前とかに新しく出てくるタイプのメロディをCメロとか言ったりします*2。この曲はAメロからサビの潔い繋がりが〜とか、あの曲はなんかサビの後にさらにサビみたいなんがあるわー、とか、色々考えてたことがある気がします。

 

 しかし時々思うわけです。「もうサビとかサビじゃないとかめんどくさいやん!ともかく基本となるメロディとかのノリがなんかよければ、Aメロだけでも楽曲成立するやんか!」みたいな。今回は、そういう構造になっている曲だけを集めて、それぞれそういう曲構造がどんな印象・効果を生んでるか見ていきたいなというものです。勿論、自分の乏しい知識の範囲でのリストなので、他にももっといい事例があるものと思いますが、ひとまずはやっていきます。20曲あります。

ひとつのメロディで完結ってどういうこと?

 民謡をいくつか挙げて例を示しておきます。

www.youtube.com いわゆる「メリーさんの羊」です。もうこれは一目瞭然で、ずっと同じメロディを繰り返していきます。今回は極力、こういう曲を集めていくわけです。それにしてもこの曲、元々の歌詞は8番まであるらしく、延々とこの動画のように繰り返されると、少々単調で退屈ですね。

 そう、普通は同じメロディが淡々と繰り替えされると退屈を感じるものです。それで、そんな退屈を避けるためにも、メロディを追加して展開を増やすことが、ポピュラー音楽の作曲では非常に多いものと思われます。

 

 今回のテーマに合致しないのは例えばこんなの。

www.youtube.com  Johnny Cashこんなのも歌ってたんだ。。

 いわゆる「大きな古時計」。この曲だと、まずどこまでAメロとカウントするかもややこしいところがあるけど、少なくとも、日本語だと「おじいさんと一緒にチクタクチクタク」と歌われるセクションが、それまでのメロディと全然違ってるので、同じメロディだけで完結してるとは言えません。

 ただ、民謡にAメロBメロ的なのを当てはめてると思いますが、時によってはこういうのは所詮聴いた人がどこで切るか恣意的に判断してるだけに過ぎません。なので、以下に示すような「うーん…今ひとつメロディ切るとこ見つからないけどでも全部でひとつのメロディってしちゃうと長すぎるよなあ…」みたいな判断難しいやつもあります。

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 では、本編に入ります。

 

本編

 今回もSpotifyのプレイリスト公開前提で20曲選びました。けど今回は年代順とかではなくて、「ひとつのメロディで完結することでなんかこういう印象になる」というテーマごとのグループに分けて見ていきたいと思います。

 

●メロディが必要十分

 「もうこれ以上メロディ付け足す必要ないやん」って感じにひと回しのメロディが綺麗に完結しているグループです。こう、メロディって、Aメロでこう展開してサビでこう決着つける、みたいな流れがあったりするものですが、そういう流れがひとつのメロディで解決するんであれば確かに他のメロディくっつけなくても成立しますよね、っていう感じです。そのためか、他のグループよりもひと回しが長めな気がします。

 

・Stand By Me / Ben E. King(1962年)

www.youtube.com まずはこのスタンダードナンバーから。作曲者本人のバージョンにせよカバーバージョンにせよ、タイトルコールの箇所でソウルフルな抑揚が叩きつけられるためそこがサビ的に昨日しているようにも思えるけれど、しかしメロディ自体は同じものの繰り返しとなっている。昔の曲であり、まだVerse-Chorusみたいな構造が一般的になる前の、古き良きポップス的なものなのかな、とも思ったりする。「じゃあその古き良きポップスじゃなくなるのはいつからだよ?」って言われそうな感じだけど。この曲も50年代のリリースくらいかと思ってたけどそうでもなかったし。

 あと、原曲よりもJohn Lennonバージョンの方が好き。ドラムが入ってバンドサウンドになってるし。

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・Hervest / Neil Young(1972年)

www.youtube.com すげえのんびりしたカントリーソングという印象があるこの曲が、Neil Youngで最も売れたアルバムのタイトル曲というのが不思議な感じがする。これも何も知らない人が聴けば、1972年よりももっと昔にリリースされた曲と思うかもしれない。

 この単一のVerseのみ、みたいな構造のメロディをさらに後半だけ切り取ってリフレインするところ*3に、こののんびり具合に少しの寂しさが射し込む仕組みとなっている。ピアノの音もスティールギターの響きも柔らかい中で、なぜだかこののんびりした空気は、どこか知らない場所に取り残されたような感じがする。それで、この「取り残された感じ」こそをカントリーの雰囲気なんだと自分は勘違いし続けてきていて、それはきっとNeil Youngのこういう曲とかアルバムとかのせいなんだと思う。このままずっと勘違いしていたい。

 

・虹 / 電気グルーヴ(1995年)

www.youtube.com もはや電気グルーヴとかテクノとかそういった枠を超えて、「日本音楽史に残る名曲のひとつ」として歌い継がれ始めてる感のあるこの曲。ポップソングとしては『Shangri-La』の方が形が整っているけれど、『虹』のこの、ワンコーラスでメロディが完結してそれを繰り返していくという構成そのものが、楽曲自体の幻想的な雰囲気に直結しているように感じる。そんなに長くない旋律の、わずかに可憐に昇降するメロディ具合の絶妙さ。たとえばこのメロディに何か別のセクションを追加するようなことは、それがどんなに優れたメロディだとしてもひどく無粋なものに思える。

 電気グルーヴの音楽がピエール瀧の逮捕以降ずっと店舗販売取りやめやサブスク等で聴けなくなっている事態は本当に大いなる損失だと思うので早くどうにかしてほしい、という思いとは別に、たとえそんな状況がずっと続いて、何らかの力によって電気グルーヴの楽曲が全て徹底的に弾圧され、この世から消し去られるような凄惨な事態になったとしても、この曲はひっそりと歌い継がれていくんじゃないか…などという悲しい妄想をしたりする。

 

・冷たいギフト / ゆらゆら帝国(2003年)

www.youtube.com この曲はオールディーズポップス的なコード進行の上に成立していて、そういう意味では「オールディーズポップスのオルタナ的解釈」であるところのこの曲のメロディがずっと同じものの繰り返しであることは何だか論理的な帰結がある。

 で、オールディーズ調のメロディをわざわざ現代に引っ張り出してくる時というのは、そのオールディーズ調のメロディの中にある何らかの要素を抜き出して強烈に強調するような傾向があるように思ってて、この曲ならそれはベルベッツ的な歪んだリズム楽器の反復やハンマービート的な単調さの上にそのメロディを乗せることで、ある種の哀愁を彼ら的なシュールさと切実さでもってエミュレートしている。そしてそれを6分超えという長さに引き伸ばす。前奏も無しにいきなり歌から始まるこの曲での6分はかなり長いはずなのにあまりそう感じないのは、むしろこの侘しさにもっと浸かっていたいような気がするのは不思議なことだ。

 

●勢いゴリ押し

 こちらは「メロディ単体だと短いメロディの繰り返しを畳み掛けてて単純単調なのに、なんか演奏に乗ると妙に勢いあって突き抜けるな。これと間奏だけで全然いけるな!」みたいな曲です。

 

・All Along the Watchtower / Jimi Hendrix Experience(1968年)

www.youtube.com この曲は元はBob Dylanの楽曲で、彼の楽曲はかなり繰り返しが多くてまた今回の趣旨に沿うような形式のものも幾つもある。しかし、この曲については流石に質素すぎる原曲よりも、その後Jimi Hendrixによってカバーされたこのバージョンの方がずっと有名になり、いつしかBob Dylan本人もこのバージョンに沿った形でライブ演奏するようになって、彼の名曲リストの加えられたという、不思議な経緯がある。

 短く投げやり気味なメロディを連呼するこの曲の構造は、Jimi Hendrixの激しい歌唱とギターワークによって、「強烈な勢いのある楽曲」として半ば強引に利用された。ちょうど半分くらいの箇所で一度ブレイク的なセクションを挟むのが、展開として実に効果的に作用してて、幻惑的なギターワークから歌に戻る箇所の爆発的な勢いも含めて、彼の他のどの曲よりもパンク的な勢いがある仕上がりになっているかもしれない。

原曲

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・Like A Daydream / Ride(1990年)

www.youtube.com シューゲイザーバンドのオリジネイターの一つとして有名な彼らの出世作であるところのこの曲が全然シューゲイザー的な音じゃないことはちょっと笑う。しかし、逆再生シンバルからの爽やかな勢いに溢れたギターロック具合は実に爽快で、ギターのザクザクしたアタック音と、そしてとりわけシンコペーション含めて非常に手数多く転げ回るドラムの勢いが、この曲にエヴァーグリーンな雰囲気を与えている。

 そんな演奏の合間に聞こえる歌をよく聞けば、えっこんだけしかメロディ展開ないの!?っていうくらいにシンプルだったりする。しかもこの歌のフレーズを2回しした後はブレイクを挟んで、ずっと演奏が苛烈になっていく曲構成で、思いの外この曲における歌の存在割合は低い。でもでは歌が無い方がいいかというと決してそうは思えない。このよく聞くとぶっきらぼうでしかない歌フレーズとコーラスが乗っかってこその『Like A Daydream』なんだよなあ、っていう感じがするので、作曲って不思議だなーってずっと思う。

 

●豊かなループ感

 このグループは最初のグループほど単一のメロディとしての完結感が強いわけでもなく、だけど勢いで吹き飛ばしてる風でもなく、かつこの後のカテゴリーにも当てはまらないような気がするタイプの曲が結果的に集まりました。なのでこのグループ分けの名前が適切なのか分からないけど、でも聴いてて「ずっと同じメロディだ…」みたいな退屈さは感じられないので、何か楽曲作り上のヒントがある気はします。

 

・Enchanted Sky Machines / Judee Sill(1971年)

www.youtube.com ピアノを使うSSWだと自分はJudee Sillがとりわけ好きで、ピアノも歌も、技術的なところを通り過ぎた、何か神と大地へ向けた祈りみたいな感じに本当に満ちているように感じてしまうのは、この人の経歴とかからがっつり先入観が入ってるからか。ギターを弾いてる曲も多くあるけど、ピアノ弾いてる曲の方が好きなことが多い。

 それでこの曲。ライブでのピアノ弾き語りを聴くと、根っこはゴスペルとブルースを泥臭く混ぜたようなものだったのかな、という感じで、そこにスタジオ版ではバンド演奏にリッチなホーンセクションまで添えられ、実にいなたくて豊かでアメリカンな響きに満ちている。同じメロディの繰り返しにしても、その元となるメロディの微妙な翳らせ具合も効いてて、そのザラッとした具合に特に惹かれる。

 

・If You Want Me To Stay / Sly & The Family Stone(1972年)

www.youtube.com ひたすらスモーキーな歌や演奏と、凛々しさすら感じる本の響きとが交差し続けるこのSlyの名曲も、ひたすらその同じセクションを繰り返し続ける構成になっている。ゴリッとしたベース、リズムボックスの乾いた音の具合、ボーカルの嗄れ具合や震え方、どれを取っても渋くてかっこよくて、でもその渋さはどことなく当時のSly Stoneのボロボロ具合から出てきていることもなんとなく感じられるので、多分ホーンがなかったらもっと暗く聞こえてた気がする。ヒロイックなホーンの鳴り方は実にこの曲の印象を左右してる。

 この曲における繰り返しは、延々と当時のSlyの灰汁の最も格好良いところを繰り返し続けるような感じがして、これなら延々聴いてられる気がする。後にPizzicato Fiveが『きみみたいにきれいな女の子』でこの曲から色々な要素を拝借してるけど、流石にメロディの繰り返し方は拝借しなかった。

 

・心のなかの悪魔 / くるり(2020年)

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  今回のリストでは一番最近にリリースされた楽曲。とはいえこれはくるりの未発表曲を集めたアルバム『thaw』の収録曲で、2009年の『魂のゆくえ』レコーディング中に録音されたもの。延々同じメロディを繰り返す構造のこの曲がでも今回聴いて、『魂のゆくえ』のどの曲よりも良いように感じて、『NIKKI』の頃の『さっきの女の子』といい、隠れた名曲とかを通り越して、くるりの収録見送り曲のチョイスは如何なものか…とか思った。ここ何年かのくるりでもずば抜けてこの曲が一番いいと思う。なぜ当時アルバムに収録しなかったの…

 ダビング等無しのワンテイクのみの録音らしいけど、楽曲としては不足しているものがあるようには感じられない。間奏において僅かにコード進行が変化する箇所の緊張感が楽曲をぐっと引き締めていて、また歌が少しメインのメロディから外れる箇所の、そのわずかな変化に注がれたエモーショナルさが実にしみじみする。ピアノの八面六臂の活躍はこの曲にワンテイクとは思えない完成度を呼び込んでいて、ミニマルな伴奏から間奏のメイン旋律まで幅広くささやかに機能する。そして録音当時精神状態ボロボロだったという岸田繁の歌は、実に素直な響きがしてる。

 

●間奏がサビみたいな

 楽曲の最も盛り上がるピークの部分がサビではなく間奏にあるような楽曲が世の中には結構存在します。そういう構成であれば、メロディがひとつしかなくても全然聴ける楽曲として成立するんだろうと思います。

 

・She's Lost Contlrol / Joy Division(1979年)

www.youtube.com 実はJoy Divisionも今回のテーマにそぐうような構成の曲が数多くある。個人的に彼らを重要だと思うのは、彼らの楽曲そのものが「楽曲というのはどの程度まで演奏や歌を重ねたら成立するものか」という実験になっているように感じられるから。この曲も、(演奏能力も込みで)実にギリギリなところで、なんだかんだで実に魅力的なポップソングとして成立している。

 この曲についてさらに言えば、その最も盛り上がる要素が、一番演奏が拙いギターであることが、このバンドの奇跡的なバランスを象徴している気がする。そしてこれだけスカスカな演奏となると、存在感のあるIan Curtisのボーカルが途切れることの方がかえって楽曲の持つ虚無的な残響が印象に残る感じがして、またライブ動画だとそのセクションにIanの例の痙攣ダンスも入ってくるので、不思議と間奏の存在が際立つようになる。

 

・Coronado / Deerhunter(2010年)

www.youtube.com Deerhunterもまた今回のテーマに合う楽曲が多い。思うに、Bradford Coxが楽曲を作る際の基本的な考え方が、Verse-Chorusを大前提に置いてないんだろうな、もっと自由なんだろうな、という感じがする。じゃないと、こんなただただバンドだけで工夫せずに演奏したらつまらなくなりそうな楽曲なんて作ろうとも思わない気がする。

 どのくらいこの曲の作曲時に完成像が見えてたんだろう、と気になってしまう。この曲がポップでチャーミングに成立してるのは間違いなくサクソフォンの存在が大きくて、メロディだけ抜き出したら乱雑なこの曲をピアノの反復とともに「古き時代のアメリカの栄光の感じをサイケデリックに錯覚させる楽曲」にさせている。Deerhunterのいくつかの曲は他の人がカバーしても魅力的にならなそうな感じがするけど、この曲はその最たるもののひとつ。あとファン制作と思われる上の動画はこの曲の不思議な享楽の感じに絶妙にフィットしてると思う。

 

・海と花束 / きのこ帝国(2013年)

www.youtube.com きのこ帝国がシューゲイザーバンドとしてやってた最後の時期の、最もキャッチーに尖った楽曲。サビが無いことにも驚いたけれども、それ以上にその激しい浮き沈み具合がとてもキャッチーなサイズに収まっていることに、強い鮮烈さを覚えた。バンドサウンドの厚みの変化とコーラスだけでサビ的なセクションを作ってしまったこの曲に、もはやこれ以上新しいメロディを付け足すのは野暮と、この完成品を聴いたら明らかに思えるけども、やっぱ作曲時は思い切ってるよなあよくこれで行こうって思えるよなあ、とか考えてしまう。

 ギターという楽器が出せる透明感と混濁具合、その両方を極められるのがシューゲイザーという音楽ジャンルなのかもしれない。この曲のリードフレーズのなんとシンプルなことか。なのに、このフレーズじゃないと、という必然性が確かにある。やっぱこの曲を収録したミニアルバム『ロンググッドバイ』のサウンドのバランス感覚は絶妙だったと言わずにはいられない。

 

●阿呆みたいな

 今まで挙げてきた例は色々な方法論によって同じメロディの繰り返しでも単調にならないようにしてきた事例で、何も考えずに同じメロディを繰り返したら普通単調で退屈なものになる気がします。

 しかしながら、それも一定のラインを超えると今度は逆に、不思議な、抽象的な脱力感と童心還りに見舞われます。こういうのはトップチャート系のポップスでは得難い、インディー系特有のものだと思います。

 

・Flowers / Galaxie 500(1988年)

www.youtube.com Galaxie 500のジャンル的な立ち位置の微妙さは本当に何とも言いがたくて、スロウコアの先駆けになりながらもジャンルとして確立されたいわゆる「スロウコア」の概念と比べると全然違うものだし、ベルベッツチルドレンにしたってそんな単純なものでもないなと思うし、何なんだろう。とりわけ、楽曲が大体二つのコードの反復でできている1stアルバムは、こんな楽曲群でもアルバムとして通して全然聴けてしまうのか…というコロンブスの卵的な部分がある。でも2ndの方が圧倒的に完成度高いけども。

 その1stの冒頭を飾るこの曲も2コードで、どうにも頼りないラインを描くメロディとフォーキーなエレキギターのカッティングと変則的なリズムとで、単調なのに不思議な浮遊感のある、奇妙に心地よい空間ができている。いや、というか彼らの楽曲の大体が今言ったのと同じフレーズで言い表せてしまうけれども、でもこの曲はとりわけ単調な1stアルバムの中でも何故か妙にキャッチーに感じられる。曲がいい、ということなのか、アレンジの問題なのか、うまく説明ができないけどこの曲はとてもいい…。

 

・走る感じ / 渚にて(2000年)

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 このライブ動画よりも、この後にのせるプレイリストで取り上げるバージョンよりも、アルバム『本当の世界』のバージョンを聴いてください。最初聴いたときはちょっと本当に驚いた。こんな単調で、ローファイで、調子外れギリギリで、なのに不思議なエモーショナルさと、延々と景色が続いていくような感じとが演出できるもんなのか、となった。元のスタジオバージョンは裏打ちのビートになってるのが妙にキャッチーなのも大きいかも。

 渚にてはメンバーの男女それぞれが楽曲を書くけど、特に竹田雅子の書いて歌う楽曲は実に独特な情緒と寂しさとがあって、ある意味ではこういうのこそ本当のスロウコアなんかもしれん…みたいに時々空恐ろしくなる。何と言えばいいのか、空っぽの童心を楽曲にしてるかのような、数々の奇妙な楽曲。個人的にはそれらこそ渚にてを聴く理由になってる。

 

●無機的・断片的

 一番最初のグループからは一番遠いのがこのグループ。最早「演奏に微かに断片的なメロディが乗ってる」という構図になっているけれど、でもメロディが無いと成立しないような、ポップソングとしてかなりギリギリな、それでいて素晴らしい感じのするやつです。

 

・Pyramid Song / Radiohead(2001年)

www.youtube.com 『KID A』以降のRadioheadもまた、楽曲の構成がどんどん自由になっていったバンドで、その早速の極まりが、たとえばこの曲だったりするのかと。リアルタイムの人はこれを聴かされてどう思ったんだろう。最早「歌」ではなく、それ含めて「音楽」としか言いようのないレベルまで解体された「歌唱」。わずか2フレーズだけのこの歌唱も、でもこれ無しでこの曲が成立するかというと到底成立しないと言い切れるので、やはりThom Yorkの歌というのはRadioheadを成立させる大前提なんだなあとか月並に思う。

 今思うとこの、ピアノやストリングスがThomnの歌やバンドのドラムと交差するこの2001年『Amnesiac』の曲が、2016年の『A Moon Shaped Pool』に一番近い感覚を持っていたのかも。海の深くに沈んでいくPVの映像はこの楽曲のイメージそのままって感じ。

 

・Cattails / Big Thief(2019年)

www.youtube.com 実に土や草臭いバンドサウンドを現代に叩きつけた昨年の2枚のアルバムを通じてこの人たちを知ったけど、中心人物のAdrianne Lenkerもまた、Verse-Chorus概念に全く捕らわれていないソングライターだと思った。この曲とか、延々と短いフレーズを繰り返し続けることで楽曲が成立してて、実際的にひどく単調なのに、何故か聴かせてしまうその不思議さに気づいてからはとても興味深くなった。

 思うに、この曲の単調さは、まるでこの曲がどこかの森深くの村のフォークロアみたいに聞こえるような作用をしている。そういう意味ではVashti Bunyanの音楽に近い質感なのかも。アコギの響きは実に村の音楽風だし。そして終盤に入る様々な楽器のフレーズが実に、最後の最後でこの曲の幻惑効果を高めている。どこかの田舎の森の奥まで行ってこの曲やこれが入ったアルバムを聴くようなことをする休日もいいかもしれない。このバンドは他の曲にも今回のテーマに沿うような、単調で奥深い曲が多数ある。

 

●エモーショナル

 ここでは、同じメロディを繰り返す「だけ」にしたことでかえって楽曲がエモーショナルになっている事例を取り上げます。偶然か2曲とも日本の楽曲になった。

 

・恋愛スピリット / チャットモンチー(2006年)

www.youtube.com この曲の正面突破っぷりは相当思い切ってて、ここまで豪快な正面突破なバンドサウンドはなかなかない気がする。いきなりアカペラから始まって、そしてバンドサウンドが入ってからもそのフレーズを延々と繰り返す。歌い方の強度やフレーズの繰り返し、そして実に嫉妬に焦げ付いた歌詞でエモーショナル度合いをどっしりとコントロール(というか途中から最早垂れ流し?)していく様は豪快に尽きるし、何よりも歌詞も歌い方も含めて、別のメロディに繋がらずに延々と同じメロディを繰り返すことにものすごく必然性が生まれている。

 こういうのは正直、他の人が簡単に真似できる形式ではないし、本人たちからしても一生に1度しか使えない形式じゃないかと思うけど、その一生に1度を彼女たちは見事に渡りきった。それにしてもこの怖い歌詞の歌に『恋愛スピリット』って題つけるの今でもめっちゃ怖い。

 

・闇をひとつまみ / HiGE(2015年)

www.youtube.com この曲もまた、ひとつのメロディを延々と繰り返すことの効果がドロドロと渦巻くような楽曲。中期〜後期のThe Beatlesのジェントルで祝祭的なアレンジを、この他のどのメロディにも繋がらない延々と同じラインを繰り返す構成で閉じ込めることで、儚げな優雅さがどんどん寂しい場所へ向かって奥深くなっていくような、そんな効果を生み出している。

 それにしても、オリジナルメンバーが脱退した直後の本当に適切なタイミングで、このように技巧的にもエモーショナルさとしても本当に適切すぎる楽曲が出せてしまうというのは、本人たち的には悲しすぎないのかな。むしろその悲しみを形に残せたからせめて良かった、と思うものなのか。終盤で心持ち持ち上がる歌の調子が何とも張り裂けんばかりの、不思議な抑制をもって響いて、実に愛しい。

 

●演奏構成の劇的な変化

 これが最後のグループです。単調な繰り返しになるところを、演奏の構成をどんどん切り替えていくことによって切り替えていく。「Aメロ→Bメロ」的な形で説明すれば、「A→A'→A''→A'''」みたいな変化を、伴奏の変化で持っていく、というスタイルです。正直今回ここで扱う2曲のためにこの記事を着想しました。

 

・Via Chicago / Wilco(1998年)

www.youtube.com 3コードのシンプルすぎるフォークソングをほぼバンドのアレンジ能力頼みでひたすらドラマチックに、時にショッキングに展開させていく、Wilcoの代表曲にして、ライブでの鉄板中の鉄板。上の映像でも、2分過ぎからの演奏のドシャメシャな展開は非常にスリリングで、かと思えばそうじゃないセクションでは次第に演奏がしっかりとしっとりとアメリカンロックの理想的な豊かさを増していく。これらの極端で強烈な繰り返しこそがこの曲の構造であり、そしてその落差の強烈さこそが、Wilcoというバンドの実力が最も端的に出る場面のひとつ。

 演奏がどんなに酷くグチャグチャになっても、アコギを弾いて歌うJeff Tweedyはずっと安定していることが、このアトラクション的な仕掛けの大事なところで、この嵐が通り過ぎた後に歌とアコギが残るところこそ、最も多くの拍手が送られるところとなる。文字通り血みどろな内容になっている歌詞といい、実にエキセントリックな要素を併せ持ちながらも、タフさを維持し続ける、その姿がとりわけこの曲においては、ある種の感動を生んでいる気がする。

 

・Neighborhood #1(Tunnels) / Arcade Fire(2004年)

www.youtube.com 今回取り上げた楽曲の中で、最もすごいのはこの曲だと思う。この曲が延々と同じメロディを繰り返す構造だと気づいた時は、ものすごく驚いた。同じメロディの繰り返しで、楽曲をここまでロマンチックに展開させることが出来るのかという。しかもそれをデビューアルバムの冒頭でやってしまう。これに気づいたのが割と最近で、ようやく『Funeral』リリース当時の衝撃の程を、自分も僅かばかり理解できたのかもしれないと思った。

 厳かで、クラシカルですらある楽曲の始まり方から、次第にまず歌のテンションが上がっていき、伴奏にギターサウンドが現れる頃から、裏打ちのリズムが入ってきて、次第に楽曲はテンション的にも、BPM的にも加速していく。叩きつけるビートと歌唱、とりわけ少しばかり基調のメロディから外れた歌唱が飛び出す辺りのテンションの膨れ上がりっぷりの激しさが鮮烈で、音楽というのは、こんなに臆病なままに凛々しくなれて、痙攣したままに優雅に振る舞うことができて、そして圧倒的な演奏の調和に対して、絶唱による崩壊の感じはここまでがっつりと対峙できるのか、と、その壮絶な録音物に青ざめるような思いがする。酷な言い方をすれば、自分にとって彼らの全盛期はこの1stアルバムの冒頭なのかもしれない。でもこんなの、しょうがないじゃんか…という気がするくらいにはやっぱこの曲良すぎる。

 

 

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終わりに

 以上、20曲取り上げました。

 グループ分けは割と思いつきでやっているので、正直強引なところ、自分でもどうかな…?と思うところはあります。でも、こうやって分けることで、単一のメロディを繰り返すことの効果を、パターン分けて考えることのきっかけにはなった気がします。

 思ったのは、こういう構成は童謡・民謡に多いのかなと思ってたけど、実際はそうでもなくて、民謡もきっちりBridgeがあったりするもんだなあ、ということでした。自分も多少作曲とかするので思うけど、自然にこういう同じメロディ繰り返しだけでできた曲を作るのって難しい気がします。少なくとも自分は無意識でこういうのが出てくる気がしないです。ここで暑かったアーティストでも、まだ昔の人ならいざ知らず、現代のバンドでそういう作曲を繰り返すDeerhunterやBig Thiefは一体頭の中どうなっとるんだ…?と思いました。比べると日本勢は「ここぞというところで」みたいな感じがしなくもない。

 最後に、例によってSpotifyで作ったプレイリストを載せます。こちらは年代順です。一部サブスクに無い楽曲やバージョンがあったので、代わりのもので代替してます。

 

*1:日本でいう「Bメロ」は「Bridge」とか言いますが、「Pre Chorus」という呼び名があるそうです最近知りました

*2:英語ではこれの呼び名がどうも複数あったりして難しく、ひとまず自分は「ミドルエイト(middle 8)」という言葉がなんか好きなのでCメロと言いたくない時によく使います

*3:この切り取った箇所を境にVerse-Bridgeという構造と解釈することもできるのかもしれないけど、個人的にはそうは思わないです。