ブンゲイブ・ケイオンガクブ

本を読まない文芸部員と楽器を練習しない軽音楽部員のような感じのブログ。適当な創作・レビュー等々。

【こ】今夜はブギーバック/あの大きな心 / 小沢健二

相当に久々になってしまったブログ更新は、さらに相当久しぶりになってしまった、あいうえお順になんか1曲取り上げてブログ書く企画のやつにします。投げ出した訳じゃないやい(もうやらないと思ってた…)

「こ」の段は、曲名では「恋の〜」とかでいくらでもいい曲があるけれど、でもやっぱ、久々の更新だったらなんかデカいのブッ込みたいですよね。というところからの、このチョイスにしました。

Eclectic
Eclectic
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小沢健二
EMIミュージック・ジャパン (2002-02-27)
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動画が見つからないぜ。。。

アルバム『Eclectic』は、90年代に渋谷系の中心人物として、そしてオシャレでキュートな“王子様”として、音楽好きからお茶の間までを射程に活躍した東大出の才人・小沢健二が、98年頃から活動を実質フェードアウトさせた後に、2002年に突如リリースした作品。それまでのポップで溌剌とした作品から一転、ひたすらにダークで密室的で術祖的なR&Bサウンドが展開されており、当時のファンから激しい賛否両論を受けた作品である(それでも次作『毎日の環境学』におけるファンさえも半ば無反応にならざるを得なさそうっぷりに比べたらマシでしょ…)

作品解説は以上。あと最近ceroが収録曲をカバーしたりアルバム『Obscure Ride』のサウンドの参照元にしてたりで再評価の気運が高まっている。正直今このアルバムをディスってもいいことなさそうだ。いやこのアルバム好きだからいいんだけど。

あまり書きすぎるとこの記事が『今夜はブギーバック/あの大きな心』でなくてアルバム自体のレビューになりそうなので手短に追記すると、このアルバムの特徴(いびつさと言い換えてもいい)を思いつきで言うならば、「華奢な日本人が華奢なままで黒人ばりのR&Bをやろうとすることの不可能性」だろう。思想的な面で日本人が黒人的な“リアル”と全く同調することは困難であろうし、それが大学教授を親に持つ控えめに言っても“お坊ちゃん”と言われても仕方のない身である小沢健二ならなおのこと。

しかし、このアルバムはハナからそんなリアルなど求めていない。このアルバムにあるのは、乾いた概念や比喩に満ちた言葉の数々で“本質的でねっとりとした性”を描こうとする逆説めいたアプローチだ。それは直接的な肉体性というよりはむしろ、光と闇のファンタジーじみた、性の実験室じみた“非現実性”に傾いてる。身も蓋もないこと言うと、村上春樹っぽいというか…。

その思想面での「本来の黒人性からの乖離」が、音にも出ている気がして、それがこのアルバムを一層いびつなR&Bアルバムにする。音が全体的に、“本場の黒人音楽”と比べるとクリアな気がする。黒人音楽的な「くすみ」「暴力性」「ギラギラ感」のようなものがここにはない。それがこの音楽を“R&Bっぽいけどなんか違う、いびつで特別で非現実的な音楽”にしている(んだと思う)。ceroディアンジェロと自分を結びつける触媒にこのアルバムを用いたとされるのは、そういった部分が関係あるかもしれない。

(以上、普段さして黒人音楽を愛聴しない人間によるアルバム評でした)

そんな寄る辺のない、妙な孤独と焦燥ばかり募るアルバムにおいて一番ホッとする瞬間が、この彼のかつての代表曲の再録であったことは、こればっかりはもう明らかだ。彼のキャリアの最も華やかなりし頃にリリースされ、その後日本語ラップの代表作にして最大級のヒット作品として大いなる存在感を今でも保ち続けるこの曲。

しかし、この新録では少なくともその「日本語ラップの名曲」たる部分、つまり原曲でスチャダラパーが担当したラップパートはごっそりオミットされている。しかし、原曲で結構な尺を占めるラップが全部削除されたのに、曲の尺はそこまで短くなっていない。

その訳こそ、このリメイクにて追加された歌詞、およびセクションなのだ。ぼくはこの部分がとても好きだ。

やがて陽炎が空を焦がすこの街で/あなたに会えたよ
 それを最高に感じる
 南へ行く高速道路/あなたと下る時
 欲望と愛の行方を見てる魔法のように

原曲が持つ歌詞の情景はパーティー会場であり、その点でこの曲は本作の他の曲の多くの場面がベッドルームじみていることと異なっている。しかしながら、この新規挿入部により、この曲のストーリーはベッドルームへ向かう過程へと書き換えられており、他曲との接続が図られている。

ただ、そんなことよりも「やがて陽炎が空を焦がすこの街で」「南へ行く高速道路/あなたと下る時」といったフレーズが持つ、「ああ、小沢健二っぽいなあ…」と思わずにはいられない類のダンディーな響きに惹かれる。そしてそれらは次の追加フレーズに吸い込まれていくのだ。

あの大きな心/その輝きにつつまれた
 あの大きな心/その驚きが煌いた
 あの大きな心/その輝きにつつまれた
 あの大きな心を!

ここには結局、彼がかつて
愛すべき生まれて育ってくサークル
 君や僕をつないでる緩やかな/止まらない法則

とか
心すっかり捧げなきゃ/いつも思いっきり伝えてなくちゃ
 暗闇の中挑戦は続く/勝つと信じたい今は!

とか
強い気持ち/強い愛/心をギュッとつなぐ
 幾つの悲しみも残らず捧げあう
 今のこの気持ちほんとだよね

とか歌ってるのと、結局は同じことなのかもしれないなと。言い方は大人っぽくなってても。それは、チャラい言葉で言うならば、とてもエモいことだよな。

サウンド的にも、今作の他の曲のような変態おばけR&Bサウンドではなく、原曲のキラキラチャラチャラした部分こそ削ぎ落としながらも、幾分スタンダードで肉感的で小気味よくて落ち着いたソウルでファンクなアレンジが施されている。アルバムから浮きかねないくらいのストレートなアプローチは、ある意味この曲にかつてからと同じメッセージを載せてしまいたくなった、それを曖昧さで誤摩化したくなかった、彼の今作ではらしくない油断、もとい静かな熱さの現れなんだろうか、とか思ったり。


結局のところ、彼がライブ活動を再開させた際に演奏されたブギーバックは、本作のバージョンではなくかつての“J-Popのクラシック”めいた原曲バージョンだった訳で、現在の彼のライブ活動においては『麝香』くらいしか演奏されてない辺りにこのアルバムの悲しさの一端があるけれど、しかしそれゆえにこのアルバムの寄る瀬のなさ・孤独さとそれ故の崇高な感じはかえって高まるかもしれない。

ただ、近年の彼のライブを観てないので具体的に知らないのだけど、近年ライブで披露される新曲の数々というのが大変素晴らしいと聞いていて、自分は彼のライブは一般販売された『我ら、時』でしか知らないのだけど、

ここで聴くことの出来る新曲や最近の新曲などと並べたときに、よりしっくり来るのは、この「あの大きな心」バージョンなんじゃないかな、とか思ったりする。というか流石に原曲は94年の曲ですから、今聴くには流石に古いかなーみたいな、あと若いなーパーティーやなーみたいな部分もある訳で、当時よりもR&Bやらをよりシリアスに受け止められる今の我々からすれば、こっちのバージョンの方が楽曲としてしっくりくるところだと思ったりもする。

いずれにせよ、この曲のこのバージョンのメロウさや真摯さ、そして彼の宗教的とさえ言えそうな“人の繋がり”に対する哲学観が、とても好きだ。願わくば、原曲バージョンだけでなく、こっちのバージョンの他の人によるカバーとかも聴いてみたいものですね。そのような形などで、もっと語り継がれてもいいものだと思う。