【『マーク・コズレック』公演中止のお知らせ】2019年5月に開催を予定しておりました「マーク・コズレック」公演を、アーティスト都合により中止とさせて頂きます。公演を心待ちにされていた方にはお詫び申し上げます。東京公演:2019年5月10日(金) #bbltokyohttps://t.co/WPcEZ66fsu
— Billboard Live TOKYO (@billboardlive_t) May 7, 2019
ファック!!!*1
アメリカのクソ野郎で天才、マーク・コズレックの全キャリアより10曲、個人的に最高なやつを選んでいきます。彼がどんなにクソ野郎で優れたソングライターか、見ていきましょう(やけくそ)。
時代順です。彼のキャリアはRed House Painters→Sun Kil Moon、たまにソロ、というかんじになっています。このブログの更新中に、今年もすでに新譜を出していたことに気づきました。7曲で90分ってどうよ…。
1. Katy Song(1993, Red House Painters(Rollercoaster) / Red House Painters)
彼のキャリアの始まりはバンド・Red House Painters(以下「RHP」と省略します)。4ADに見初められた彼らは一躍「スロウコア」なる当時の新ジャンルの騎手のひとつになった。RHP初期は4ADのアーティストって言われて「わかる〜」って感じになるウェットでオブスキュアーな音や歌の具合が特徴。そしてはじめっから曲が長い。本当に曲のテンポがスロウだからというのもあるかもだけど、単に繰り返し多いよ。。
しかし、初期RHDの代表曲筆頭であろうこの曲の淡い哀愁の感は流石。初期にして既にこの方向で完成してる。うっすらとした膜越しに暗いセピア色の世界を眺めるような音色・リバーブ感、そして終盤の執拗な、遠くの空で何か悲しいことが起こっているかのようなリフレインが、前後不覚になるかのようにひたすら甘美で哀しい。
2. Over My Head(1995, Ocean Beach / Red House Painters)
アルバム『Ocean Beach』はRHP、のみならずRHPより後の彼のキャリアに関わる転換作。4AD的な湿って奥行きめいた感覚はかなり剥ぎ取られ、一気にフォーキーでドライな砂っぽさ、大地っぽさが加味されていく。
全曲レビューを既にこのブログで書いてますが、この曲はやっぱり格別。ひたすら繰り返されるアコギのセンチメンタルで涼しくも寂しさに満ちたリフレイン、滴るようなメロディの儚さ、1回のみ挿入されるアコーディオンパートの郷愁の高まり具合、終盤のどうしようもなくグダグダになってしまうところ等々々。この曲を聴くとやっぱ、気分が瞬間にして同時に永遠な感じになってしまうな。
3. Have You Forgotten(1996, Songs For A Blue Guitar / Red House Painters)
- アーティスト: Red House Painters
- 出版社/メーカー: Fontana Island
- 発売日: 1996/07/23
- メディア: CD
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なぜかこのアルバムだけサブスクに無い…権利関係がややこしいのかな。
前作の過渡期を超え、ここから乾いたセンチメンタルな曲を歌い続けるマーク・コズレックのモードに。これはSun Kil Moonの重要作『Benji』の前くらいまで基本的にこの路線で続いていきます。
それでこの曲。いきなりほぼ弾き語りのみの曲なのに、彼のキャリアの中でも最上級に晴れやかさと感傷的な具合とが絡み合ったメロディの冴えが本当にやばい。アコギの音のそっけなくもレトロな感じも良く、歌の隙間を沢山盛り込んで、そのたびに挿入されるアコギの細かなリフもとても美しい…。コードを調べたらかなり簡単だった、けど微妙に変則チューニングだった。変則チューニングいいなあ。
4. All Mixed Up(1996, Songs For A Blue Guitar / Red House Painters)
上記と同じアルバムからもう1曲。マークが自身の曲は勿論、他人の曲のカバーにおいても極上のセンスを発揮する一例。The Carsを原曲とするこの曲の、街の裏通りか何かで天使が舞い上がっていくようなメロディ・アレンジの改変具合は(原曲に対するリスペクトをあまり感じないことを若干不安に思いながらも)非常に素晴らしい。
この曲については少しシューゲイザー的なギター等の用いられ方もしている。このアルバム自体、バンド名義ながらほぼマーク一人で作ったらしいけれど、彼の徹底した美学が高度なアレンジを生んだ一例かなと。このビデオクリップも、そういった感じを素敵に映像に転化している。
5. Between Days(2001, Old Ramon / Red House Painters)
みんな大好き“くるりの『How To Go』の原曲”ことこの曲。色々な相似に笑った後に、この曲の力強くもうっすらとして晴れやかなやるせなさが広がっていく感覚に気づいてほしい。Sun Kil Moonの『Among the Leaves』くらいまであったラウドナンバーのうちでも、この曲の完成度はシンプルで引き締まっている*2。もっさりしたリズムの平坦な逞しさ、間奏からのブレイクの、ハードロック寸前でエモっぽく片付けるアンサンブルの妙。
それにしても、くるりだったらすごく感じるバンド各パートの頑張り感(特にドラム。シングルver・アルバムver問わず)に比べて、こっちの原曲だと全然そんな気がしないのは不思議。
あと、実際はかなり早く完成していた、この曲を含むアルバムがレーベル等とのゴダゴダに巻き込まれ全然リリースできなかった間にバンドは完全に空中分解。この後、彼の現在まで続いている名義である、Sun Kil Moonの時代に移っていく。
6. Carry Me Ohio(2003, Ghosts Of The Great Highway / Sun Kil Moon)
韓国のボクサーの名前を冠したSun Kil Moon(以下「SKM」と省略します)というバンド?ユニット?の最初のアルバムは、彼のRHP時代に培った多くのセンスをより朗らかに・メロウに響かせられるよう発展させたもの。おそらくこのアルバムがRHP名義で出ていても何の違和感もなかったとは思うけども。そもそもSun Kil Moonがバンドなのかソロユニットなのか、それすらよく分からない。平気でSun Kil Moonと自身のソロを並立させて、しかもSun Kil Moon名義で完全弾き語りアルバムとかも出すしなこいつ。
そのアルバムの2曲目を飾るこの曲。曇った感じのコード感から漂うヒリヒリとした郷愁の感じは、彼が自身の出身地についての思いに踏み込んで歌っているためか。コーラスでメロディが天に昇るように駆け上がっていくのが大変美しい。淡々として荒廃の感がある繰り返しの多い曲なのに、時折現れるこのコーラスのメロディですべて持っていかれる。地味にオブリのギターやベルの無駄のないアレンジも非常に有効。
7. Neverending Math Equasion(2005, Tiny City / Sun Kil Moon)
名義がSKMと変わろうが他アーティストのカバーはする。それどころか、なぜかアルバム1枚をすべてModest Mouseの楽曲の“超訳的な”カバーで構築したこんな作品を出す始末。
それにしても、どの曲も見事にマーク的なノスタルジックでフォーキーな世界観に完全に作り変えられている。Modest Mouseの原曲と聴き比べると笑いとため息とが出てしまう怪作。この曲なんかもう絶対こんなに広大な草原の感じがする曲じゃなかったでしょ原曲は。Modest Mouseの中の人はこのアルバムをどう思ってるんだろう。
あとこのアルバムは、普段自分で曲を書くとやたら1曲が長くなるくせに、他人から曲を借りてくるとなぜかやたら短く纏めてるのが可笑しい*3。
8. Micheline(2014, Benji / Sun Kil Moon)
『Benji』は彼のキャリアにおいて2回目の非常に重要な転換点にして、その転換の度合いが丁度良かったのか、この作品を境に大きく趣を変える、その前と後それぞれの良さを両方とも備えていたこともあってか、久々に彼が多くの人たちから注目を浴びるほどの名作となった。
このアルバムが名作となったのは、彼の偏執的なまでにテーマに沿って書き連ねた歌詞の向こうの世界のもの悲しさと、まだある程度残っていた彼が旧来持っていた美しいメロディのセンスとがかけ合わさったことによるものなのか。特におそらくその人気を『Carissa』と分け合っているであろうこの曲は、長調のメロディにまろやかなギターと歌を響かせる、このアルバムきってのポップナンバーだ。歌詞はこのアルバムに一貫する「死」にまつわる話である割に、楽曲のメロディやトラッシュになっていく歌い方は自由さ・軽快さがありながらどこまでも艶やかに空に溶けていくような感じがする。後半から入ってくるピアノの音色もどこまでもメロウに澄み切ったこの曲の印象をより強くする。
9. God Bless Ohio(2017, Common as Light and Love Are Red Valleys of Blood / Sun Kil Moon)
『Benji』の中で彼が発明した「言葉数多めでストーリーテリングする」という手法がそれ以降の彼の楽曲における一貫した音楽的スタンスになってから、彼はもはや誰も追随しない、独自の音楽性に向かってしまった。スロウコアというジャンルは遥か遠く、言葉の節々には彼のリアルタイムな苛立ちや不安や、それに沿った寓話・エピソードの挿入などで好き放題に彩られる。毎回CDの収録時間マックスギリギリまで収録された楽曲に夥しい量の単語数。何故それほどに歌うことがあるのか…。
この曲が入ってるアルバムは2枚組130分程。その多くをドラムとベースのみ+α程度のトラックが占め、そしてひたすら続くマークのトラッシュトーキングなボーカル。聴く人によってはひたすら地獄かもだけど、不思議とソリッドな感覚が心地よい名盤だと思うんですけど。
その中でも特に、10分以上も尺があるのに、緊張感と少しばかりのメロウさと、そして『Benji』以降のひたすら嗄れたセンチメンタルの結実でぞくぞくする歌い口のこの楽曲は最高級の代物。出身地オハイオのことになったらマジで本気を出すいい奴だ…。以前歌詞を翻訳しました。アルバム全編翻訳…?こんなクソ長いアルバムそう簡単にできやしないよ…。
10. Weed Whacker (2018, Mark Kozelek / Mark Kozelek)
突然「ソロでアルバムが出る」と知って、ほんと多作だなーっていうのと、ソロとSun Kil Moonと何が違うんだろう割と本当に分からないな…と困惑したこととを思い出す。
嬉しい誤算だったのが、このソロアルバムが確かにソロっぽくバンド編成な楽曲が少なかったことと、そしてソロとは言いながらも弾き語りではなく、むしろ弾き語りの編成でどこまで複雑にミニマルで可憐なことができるかを試している風であったこと。そう、このアルバムは割と全編で、かつて彼が全開にしていたノスタルジックな可憐さがある程度帰ってきている。特にこの、不思議なテンポで・ちょっとシャッフルして、ファンシーに揺れながら進行していくこの曲の愛らしさは、上のアルバムの緊張感とも『Benji』のヒリヒリする感じとも異なる、不思議なファンタジックさがあって、やはり心地よくも空虚な「永遠」を感じてしまったりするものでした。
いつかまた来日企画立つかな…。
*1:どんくらいチケットの売り上げヤバかったんだろう…。
*2:それでも平気で8分以上あるけれども…。
*3:Paul McCartney『Silly Love Song』のカバーみたいにやたら長くすることもあるけど…。