後編です。15位〜2位までを書きます。1位の詳細は別記事になります。なぜなのか。
前編の記事はこちら。
インターミッション:2003年のその他5曲
いきなり本編に戻る前にここで、アルバム単位ではベスト30に滑り込ませられなかったけど、でもせめて触れておきたい名曲・時代感を表すためにも触れておきたい楽曲をここで5曲だけ触れておきます。
1. House of Jealous Lovers / The Rapture
シングル自体は2002年のリリースだけどアルバムは2003年やからええやろ…。
イギリスとアメリカ東海岸を中心にポストパンクリバイバルという潮流が起こったのが2000年代中盤くらいのことで、ニューヨーク出身のThe Raptureはその先駆的存在であり、かつそのギャリギャリしたギターをディレイで響かせる様やメロディよりも響き重視のボーカル等は、これより後のポストパンクリバイバルのバンドよりよっぽど捨て身で、なのでよっぽどポストパンクしていたような気もする。
ややこしいのは、彼らが大ヒットしたのはそのポストパンクのリバイバルっぷりからだけではなく、そのポストパンク具合をDFAのJames Murphyがプロデュースしたことで、フロアを熱狂させるダンストラックとして成立したことに大きく依っているから。アルバム『Echos』より前のミニアルバムなどを聴くとむしろ、リズムキープすらやや怪しいくらいのスカスカで捨て身なポストパンクっぷりが魅力だったように思うけど、ここで一気に、安定して反復するリズムの上でギャリッギャリのポストパンクを演奏するというスタイルに変化し、それでヒットしたこと。そして思えば、この曲の成功が、後のポストパンクリバイバル勢においても「踊れること」を重視する雰囲気が大きくなったことに繋がるのかも。別に踊れることだけがポストパンクの魅力じゃないし、むしろ踊ってられないくらいの緊張感の方にこそポストパンクの魅力を感じることもあるけども、でも何にせよ、時代を左右した1曲であることは間違いない。
それにしても、あくまで裏方のつもりだったであろうJames Murphy自身がこの何年か後にLCD Soundsystemでより多くな成功と支持を得ることになるなんて、当の本人ですら夢にも思わなかったかも。
2. Maps / Yeah Yeah Yeahs
またもやニューヨーク出身の3人組バンドの彼女たちは、ボーカル・ギター・ドラムの3人組というベースレスの編成で、スカスカの音響をむしろ有効に活用してソリッドで2000年代以降の音響的感性で突き進む、新しいポストパンクのグループと言える。多くの楽曲ではそのようなソリッドさの中でメロディというよりもアジテーションのように言葉を畳み掛けるKaren Oの存在感が、インダストリアルなシンセっぽいサウンドの反復とどうかけ合うかに面白みのある楽曲が多い。
しかしながら、この曲は突出した完成度と、不思議に湧き出してくるアンセム的なテンションにより、このバンドを代表する名曲として広く認知されている。Yeah Yeah Yeahsというバンド名は知らなくてもこの曲は聴いたことがある、ということもあるだろうと思う。Aメロ的な部分ではやっぱりメロディと言い難いボーカルなのに、それがサビになると低いボーカルメロディで優しくも抱擁感のあるメロディが流れていくのには、そんなに派手なメロディでもないのに、とても高揚感が味わえるから不思議で、それで、この感じ、どこかで似たようなものがあるような気がしてたけど、この度それが、David Bowieの名曲『Heroes』だということに気づいた。歌い方にしても、最初メロディらしからぬメロディで進行して、やがて雄大なメロディに移行することで大いに印象づかせる点が共通している。この曲は2000年代の『Heroes』だったのか…と気づいて*1、何故だかやたらと腑に落ちた感覚になったのでこの項の文章はこれで終わりです。まじでいい曲。
3. Music Lovers / Jerry Lee Phantom
この曲もまた、Jarry Lee Phantomというバンド名よりもずっと有名というか、密かに音楽好きの間で聴き継がれて行っている感じのある楽曲。彼らは音楽愛をハイセンスに振り回す快楽的なバンドサウンドを展開させる活動をしていた。声がやたらとHiGEの須藤寿と似てる。この曲はタイトルからして、そんな彼らの活動の中でも直球も直球、彼らのアンセムとして相応しい、ダンスミュージックのクールなまま狂乱する感覚そのものを掴んで差し出したかのような、快楽主義の極みのような楽曲。リリース時期的に上のHouse of Jealous Loverを横目に制作できるギリギリの時期ではあるけど、関係は果たしてあるのかないのか。別にどっちでもいいけど。
イントロのちょっとダサめなギターリフで少し外しておきながら、すぐに到来する鍵盤のそれ自体が華麗に踊っているリフレインのフレーズが、完全に楽曲の推進力となっていく。このピアノリフに導かれながら、リズム隊はハットを連発するディスコティークなノリを打ち込みよりも程よく野暮ったい具合に繰り返していくし、ギターのソリッドさもまた、野暮ったさとクールさのバランスが丁度いい。そしてサビのひたすらに高揚感だけ響かせるキャッチーなコーラスとタイトルコールで、バンドと聞き手の「今、ここにいる俺たちこそがミュージックラバー」っていうテンションが刹那的に駆け抜けていく。これはもう、バンドの枠を超えて「音楽を愛すること」の象徴みたいに取り扱われてしまうのも無理はない。
このバンドがなくなった後も後続バンドのThe Beachesで演奏されたり、本人や他者が度々DJでプレイしたり、近年ではアイドルネッサンスのカバーなるものも存在しているようで*2、完全に「音楽好きの間で聴き継がれていくアンセム」となっている。
4. Seven Nation Army / The White Stripes
ベスト30を作っていく中でこの人たちのアルバムを入れ忘れてたので、ここで扱わさせて頂く。この曲が抜けてる2003年のリストというのもなんか勿体ないもの。
The White Stripesはロックンロールリバイバル勢の1角として扱われることが多々あるけど、The Strokesとも共通する「1990年代に肥大化したバンドサウンドをどうスカスカで過激な形に再構築するか」という命題に、ギターボーカルとドラムの2人だけという無茶な編成で立ち向かったバンドだ。ガレージロック的な勢いで乗り切るのが基本的戦術だったけど、ここではそのスカスカさと過剰さのオンオフの強烈さ、そしてオンの時でもスカスカな空白をも緊張感の演出に上手く利用するアレンジでやり切った、この一連のトライアルのひとつの完成形とも言える楽曲だ。全然テクニカルなことをしないドラムプレイの大味さを逆手に取って、一発で印象に残るダークなリフをメインに据えて、そのオンオフに全てを賭ける構成は、この編成で可能な潔さの極点のように感じられる。これ以上やろうとすればもっとドラムを複雑化するとかギターサウンドに空間的なものを多用するとかしないといけなくなるが、それをするとThe White Stripesではなくなってしまう感じもするから、このバンドの楽曲制作の舵取りは並々ならぬ困難さがずっとあったと思う。その制約の中だからこそ生まれ得た、とっておきのギターアンセム。
そして、何故かサッカー業界でとても盛んに歌われるアンセムになっている。経緯は分かるとして理由が全然分からん…歌詞かなあ。
連中をブチ倒してやるさ 七カ国軍でも止められやしない
連中は身ぐるみ剥ぎにくる 俺の背後で当然めいて
そして俺は夜にひとりごちる だって忘れられやしないから
頭の中を行ったり来たりする色々を 煙草の煙の向こうで
そして俺の眼に飛び込んでくるメッセージは言う
「そんなもん放っとけよ」
5. ハイウェイ / くるり
オリジナルメンバーが欠けたくるりは、サポートメンバーで2002年を凌いだ後に、2003年から本格的に活動を再開させ、まずはロック回帰が印象的な『HOW TO GO』をリリース*3する。そしてその後、2つの映画サントラ音源とその片方の主題歌となる『ハイウェイ』をシングルでリリースした。
『ハイウェイ』は実に巧みな楽曲で、くるりがこれまで天然で出していた「リラックスした自然体の歌の感じ」を再度捉え直し、巧みな曲構成・サウンドと的確にラフな歌詞とでさらりと表現して見せた、さりげない大名曲だ。2002年のぼんやりさを音楽的に極めたような『THE WORLD IS MINE』を経て、日常に立ち返った“風な”作風は、もしかしたら近い時期に録音された『グッドモーニング』等々も含め、本当はそういう「ナチュラルな日常めいた作品」を志向していたのかもと思える。その後実際は、ドラムに海外からChristopher McGuireが加入して、ストイックなロックモードの『アンテナ』に帰結していくわけだけど、2003年前半は『アンテナ』とは違う作風を目指していたのかも、と、『ハイウェイ』が『アンテナ』に収録されなかったことを通じて思ったりしてた。
本編
再開します。
15位〜11位
15. 『You Are Free』Cat Power(2月)
アメリカの女性SSWの彼女の作風全般に横たわる独特の荒涼感について上手く言える気がしない。彼女の楽曲に通底する、それがたとえシンプルな弾き語りフォークの形式を取ろうとも、楽曲自体が普通のポップス然とした甘さを決して発さず、しかしクールと言うには中々面妖な複雑さを持っているスタイルは、時にスロウコア的とも評されている。
そんな「不全なままに楽曲が成立してしまう」技術を費やした楽曲をかなり異形なままにゴツゴツと並べたのがこの作品だと思ってる。冒頭の曲こそピアノ弾き語りめいてソフトだけど、続く『Free』のアコギでグランジを無理矢理やる様は、ナチュラルさを志向することの真逆を行く異形さだと思えた。その後も、楽器のチョイスの少なさだったり、楽曲自体の歪さだったりで、すんなりポップに聴ける曲は遂に現れない。楽曲中に楽器や声が追加されたり抜かれたりする様に緊張感の変化を感じ取り、あとは自分でそこに快感を見出すことになる。そこには、「オーソドックスなギターロックのバンドサウンド」に頼らない場合、ここまで“無音に後退した地点”から再度組み直していく必要があるんだ、ということを思い知らされる。
不思議なのは、それでもこの作品の楽曲にはまだ、何かしらのキャッチーさが見出せることだろう。『He War』の歌ともつかない歌、フレーズとも言えそうにないフレーズに、その総体としての不思議なグルーヴ感に、不思議な官能が確かに存在していて、これを何と表現したらいいのか、その肝心な部分がよく分からない。
それまでの“オールドロックを最新形に発展させるバンド”だった感じのあるゆらゆら帝国から、ここで一気に“ポストパンク以降の実験精神をバンド編成に捕らわれずに実践していく音楽ユニット”に変化した。まだ同時発売の『めまい』の方は以前からあるまったりしたポップさがあったけれど、この『しびれ』においては、バンド音楽の人間的でウォームな部分を取り去り、代わりに無情でインダストリアルなサウンドをどんどん注ぎ込んだ冷たい質感の音楽ばかりが並んでいる。かなり怪しく躍動する『時間』がそれでも人力さに満ちていて温かみを相対的に感じれるくらいだ。
この後『Sweet Spot』→『空洞です』の流れで“完成”という名の終わりに達してしまうゆら帝サウンドの、その終わりの始まりがここに確実に刻まれている。ひたすら神経が9分間以上不安に晒され続ける『侵入』、壊れた機械のように躍動する『誰だっけ?』の流れは怖くて、それまでのエネルギッシュなロックンロールをしていたゆらゆら帝国がずっと遠くに行ってしまったように思えて寂しくなりつつも、緊張感にヒリヒリとしてくる。そして、真顔で阿波踊りを踊り続けるようなPVどおりのミニマリズムの『夜行性の生き物3匹』、Velvet Underground『White Light/White Heat』の先を模索して進行し続ける『貫通』とミニマリズムを極める。だけど最後、ギターリフと歌のポリリズムも何のそので宇宙的なスケールでポップさを展開させる『無い!!』に、謎に感動させられる。冷たいスタイルだからこその感動もあるんだとこの曲や『めまい』の方の『冷たいギフト』なんかは示している。この辺が、『空洞です』でも『ひとりぼっちの人工衛星』などで活かされているんだと思う。
13. 『ぞうの王様』真空メロウ(11月)
今回のベスト30のメンツで唯一サブスクが無いのはこのバンド。弊ブログで11月に書いた下北系ギターロックの記事の2003年版を書くならばまず真っ先にこれの枠を確保するくらい、何というか、忘れられてほしくない異質さを持ったバンドだった*4。グランジがあって、Radioheadがあって、そのような流れから影響を受けたギターロックの中でも、彼らはとっておきに意味不明なエキセントリックさがあって、その理不尽な楽曲中のテンポチェンジ等を自在に特殊な激情に重ねる楽曲が積み重なったこの1stアルバムは、彼らが残せた最も大きな金字塔だ。
ギターロックの3ピースバンドは、ギターソロのスカスカさを避けるならば、基本的にアルペジオを弾くかコードを弾くかしか出来ない。それとベースとドラムと歌だけの組み合わせで1つの楽曲の中で多様なことをしようと思ったら、展開を何度も作ることが1番手っ取り早い。けれどそれはやりすぎると楽曲がどんどん複雑になって、キャッチーさが失われてしまう。この点、彼らはそこの見切りが適切に過剰で、楽曲のどこかの点で突如、理不尽なくらいに切り替わって見せたりして、繊細さから豪快さへ、神経質さから爆発へと繋げてくる。そして、その理不尽さへの違和感自体に何かしら過剰なものが感じられて、その過剰さ自体が楽曲を強引にドライブさせる構造となっている。『レオナル堂』の細かく切り替わるたびに様々にギアが入っていく様はその1番のサンプルだろうし、これを一番極端にやると、爆発的で躁的な轟音と、静謐で憂鬱げな抑制とのギャップが激しすぎるのを死ぬほど強引に繋いだ『心ナイフ』になる。それははっきり言って、3ピースバンドのサウンドの可能性そのものだと思う。もちろん、どこか焦点か普通と明らかに違う歌詞や歌の様も重要なんだけども。
3ピースバンドをしようと思って、でもどうしたら個性的な曲ができるか悩むことがあれば、ぜひこの、自然に奇形すぎるギターロックバンドの存在に触れてみてほしい。こんなに尋常じゃなく鮮烈なの、なかなか替えが効くものではないんだもの。もっと活動が続いて、売れてればなあ。下北系ギターロックで、一番惜しい存在だと思う。
12. 『暁のラブレター』aiko(11月)
昨年にサブスク解禁もあり、さらに最近「実は結婚してました」発言もあったりで何かと話題が途切れないaiko関係。ずっとずっと鉄壁の金太郎飴とでも言いたくなるほどのハイクオリティで女子っぷりの煮詰まりまくった*5作品を作り続けている訳で、どのアルバムが突出して良いとかそういうのはあまりそぐわないアーティストだと思ったりもするけど、でも、aikoを細かく聴き込んだ訳では無い自分ですが、1枚選ぶならこれにします。理由はこのアルバムのレビューでもよく見られるのと同じ「曲順がひたすら良い」に尽きる。
冒頭の流れから、ちょっと劇的。不安な響きも大いに含まれつつ次第に壮大になる短いバラッド『熱』からそのまま繋がって、何気ないスキャットのようなラインが一気にアップテンポでギターロックな楽曲のメインフレーズになっていく『彼の落書き』の流れは、彼女には珍しいタイプのスリリングな爽快感が強く宿っている。そこからひたすら何もかもタイトルのごとくフワフワした情緒になるシングル『アンドロメダ』*6を経て、いきなりクライマックスのごとく始まる“隠れた名曲”『ふれていたい』が終わる頃には、豪快さも繊細さも、優しさも激しさも含まれたaikoの世界観の濃厚なやつにすっかりシェイクされ切ってしまう。この4曲はaikoなりの王道さを突き詰めた流れになっていてとてもキャッチーだと思う。その後も豊かなスウィング感あり凛としたギターロックあり洒落たピアノ曲ありとテンポよく流れて、気がつけばシングル曲『えりあし』の「ぶったりしてごめんね/愛しくて仕方なかった」とかいうそんな歌い出しのシングル曲ある!?という場面に到達する。その後も最後の宇宙的なスケール感のバラッド『天の川』までテンポ良く進行していく。
もしかして、次のアルバム『夢の中のまっすぐな道』がタイトルと裏腹に複雑な編曲が多くみられる作品になるくらい、このアルバムは当時aikoが出せるストレートさをしっかりと詰め込んだ作品なのかもしれない。そんな作品が当初CCCDで出たのは残念だったけど、今はもうそうなんの関係ない。aikoを聴き始めたい?生半可な自分が言うのも何だけど、これからがいいと思いますよ!いやまあ『カブトムシ』が入ってる『桜の木の下』の方が分かりやすいかもだけど。『時のシルエット』の方がいい?とか言われてもまあ議論は色々あると思うので。でもかっけーじゃん『“暁の”ラブレター』ってさあ。
あと、最近読んだ岡村詩野さんがaikoのルーツについて語ろうと挑戦して断念する文章が面白かった。この人でも無理なんだ…ってなった。
つまり、このままブラックボックスのように「ルーツ不明」のままにしておいた方がいいということだ。彼女が作り手として、そうした作風を自身で解明しながら制作したり、個性に自意識が働き過ぎてしまったとき、おそらくaikoの魅力は薄れていく。せいぜい外野がこうして勝手にパンドラの箱を開けているのが最も幸せなことなのだと思う。aikoの手のひらの上で転がされながら。
www.youtube.comこの時のaikoバックバンドのギターの人、ジャズマスターやんけ。ジャズマスだいすき。
11. 『Summer Sun』Yo La Tengo(4月)
Yo La Tengo自体、ずっとチルいインディーポップを作り続けてきたバンドだけど、その彼らの中でも最もチルい空気が流れ続けていく作品といえばこの『Summer Sun』ではないか。「Yo La Tengo」の「Summer」の「Sun」やで?チルくないわけがないやろ。
冒頭のインスト曲からして、適度にクリアなぼんやり加減で進行し、そして実質1曲目の『Little Eyes』の、夏の夜中を軽やかに疾走するようなこの感じはどうだ。そして、さらにソフトに夏の夜を駆けていく『Season of the Shark』からの、シングルのノイジーなギターロックっぷりから変貌したまろやかな『Today is the Day』の流れの鉄壁な「夏の夜」具合に、出所不明のノスタルジアが聞き手を優しく苛んでしまう。あれっSunの要素は…?Yo La Tengoってやっぱ夜っぽいイメージが強い。
このアルバムには、これまでのアルバムにあったような、ノイジーで格好いいギターロックナンバーは入っていない。わざわざ元々そうな『Today is the Day』を作り替えるくらいそこは徹底していて、そういう爽快感を除くことで、アルバム中をまろやかな質感で統一させている。後半は割とくっきりした音像の曲も幾つかあるけど、夏の夜の田舎のパーティーの様子を10分間切り取ったような『Let's Be Still』が終わると、彼らの優しさがレイドバックした音像で鳴る最終地点『Take Care』にたどり着く。夏休みはもう終わり、だけど大丈夫、気をつけてね、と現実に見送られていくかのような寂寥感。また夏になったらこのアルバムをかけて散歩とかドライブとかしたいなって思う。
10位〜6位
10. 『So Much for the City』The Thrills(5月)
インディーロックで真正面からThe Beach Boysの多幸感に挑戦した勇敢で偉大なレコードがこのThe Thrillsというアイルランドのバンドの1stアルバムだ。サンシャイン・ポップと呼ばれたその陽光の優しく差し込む快活で弾けたカリフォルニアな音楽に、かつてのソフトロックのアーティストたちと同様にアイルランドの若者たちが憧れ、再現を試みたという事実だけで何だか胸にくるものがある。インディーロックがなし得た、21世紀で最高のソフトロックのアルバムの1枚と呼んでもいいかもしれない。
ともかく冒頭3曲を聴いてほしい。U2の『Joshua Tree』かThe Thrillsの『So Much for the City』かくらいに強烈な3曲が、あっという間に聞き手の耳の向こうの世界をカリフォルニア色に染め上げてしまう。ロマンチックさと弾けたシャッフルビートを往復する『Santa Cruz』に、The Beach Boysも曲名にした伝説のライブの地をタイトルにしたやっぱりシャッフルビートでノスタルジックに弾ける『Big Sur』、そして、これで分からんならサンシャイン・ポップはもうしばらく諦めなよとさえ言いたくなるほどに甘くポップでシャッフルでサンシャインな『Don't Steal Our Sun』で完全にトドメを刺される。なんでシャッフルビートっていうのはこんなにサンシャインなんだろう、っていうことにこの3曲の並びは気づかせてくれる。その後も楽しげなパーティーのようなその残像のような楽曲が連なっていく。
そして、こういうポップさの中心にあるボーカルの、あどけなくて弱々しい感じがとても愛らしい。おそらくだけど、曲も書いてるこの人はこれらの曲の中にあるような楽しいパーティーなんてしたことないんじゃないかな。じゃないとこんな「ここには幸せしか存在しません!」みたいな音像にならない気がする。歌詞もよく読むと結構コンプレックスある感じで。
バンドはあと2枚アルバムを出して、2008年に解散した。最後のアルバムのタイトルは『Teenager』だ。彼らはしっかり、何かを捧げ切ったんだと思う。本人たちは悔いも様々にあるだろうけど、でも美しい話だ。
www.youtube.comこのコンプレックスまみれなスポーツ描写…と思ったら後半バスケ強え…。
9. 『imagination』クラムボン(11月)
2002年のポストロック以降と911以降とでぼんやりした風な音楽的潮流を敏感に察知して、彼女らは2002年10月に『id』という、それまでの明朗にポップソングしてた作風を大きくアブストラクトな方に変えた作品をリリースした。やや習作感のあった『id』に対し、そのほぼ1年後にリリースされたこのアルバムは、彼らがポストロック以降の“辺境の感じ”を完全に自分たちのものにして、世界のどこでもないような世界の日常風景みたいなのを確信を持って描き出した傑作だ。オリコン上で煌めく歌ではなく、どこかの日常からさりげなく生まれる“うた”の感覚を、ここでの彼らは熟達した演奏能力と詩的センスでもって綴っていく。そのタイトルが「imagination」というのは示唆的だ。
タイトル曲の、派手に恋を爆発させる歌ではなく、日常のさりげなさにちょっとした感動や感傷を探してみる感覚の、軽やかで儚げな感じ。そこからの『tourist on the 未来'n』の、The See and Cakeとかそういうポストロックの感覚を見事にクラムボン式のポップソングに落とし込んだ様には、ぼんやりしたまま世界のどこまででも行けてしまうんじゃないか、というような不安な全能感に溢れている。世界に対して無限に覚醒していった結果かえってぼんやりするような、そんな質感。その後も様々なそういう、不思議な覚醒状態の楽曲が連なる。そして、とどめと言わんばかりの悠然さをもって進行していく『Folklore』が終盤に待っている。ポエトリー寸前でまだ歌のようなボーカルのあり方の、日常の光景や日記帳の中に進んで埋没しようとする感じ、そこからサビ的な部分で浮かび上がってくる大らかなコーラスの、全然勇敢でも頼もしくもないけど、でも色んな人々の営みが確かにあるんだなあ、って感じのする感覚。何でそんな感覚でこんなに感動するのか、やっぱりうまく説明ができないでいる。
願わくば、世の中が落ち着いて、こういう風景の音楽がよく聴こえる世界が戻ってきますように。だけど、別に都市や国が滅んでも平然と鳴り続ける音楽のようにも感じられる。音楽的冒険の末に世界のどこでもない自分の家に帰ってきたような、そんな作品。
8. 『Think Tank』Blur(5月)
殆どDamon Albarnのソロのような気もするけどギリギリBlurなポップさもあるような気がする、絶妙な匙加減の作品。このアルバムの録音中に重要メンバーのGraham Coxonが脱退、彼がクレジットされたのは1曲だけで、その他はおそらくDamon主導だろうと思われる、後の彼のソロに繋がる、繊細で辺境的でそして陰気な要素を多数含んでいる。しかしながら彼のソロ作品よりもずっとポップな感覚が残っているのは、バンドという形式による束縛の成果、いわゆるバンドマジックの変種だろうか。ちなみに既に彼はGorillazの方で成功を収めている。
『13』までのBlurの作品は、どんなに音楽が複雑化しても、まだどこか青春の続きみたいな要素があったんだなあと、このアルバムの徹底して乾いた情緒の感じを聴いてると思う。代わりに自身の経験から得たアフリカ音楽的なリズムアプローチを随所に散りばめて、そして得意の陰気なメロディを様々に展開させていく。もう恋とかウィットとか皮肉とかを可愛らしく歌い散らす存在はおらず、成熟し、当時の政治状況に対する非難なども織り交ぜた“大人の歌”が連なっていく。そこでは情緒の動きはドラマチックではなく、エモを失った淡々とした中に淡く印象を響かせるものとなる。先行シングルだった『Out of Time』のメロディがその象徴だろう。『Amnesiac』以降のRadiohead的なものっぽくもあるけど微妙に違う。Damonの方がメロディに湿り気がある気がする。従来のBlurっぽさを残したバカロック『Crazy Beat』『We've Got a File on You』はまあご愛嬌。たまに『Good Song』『Sweet Song』などの美しいメロディの曲もあるけど、これらはタイトルが素っ気なさすぎて、やはり本作的なドライさの中にある*7。
最後に収められた『Battery in Your Leg』のみやや様子が違って、少しばかりJohn Lennon的なエモーショナルなメロディと展開を持っている。この曲のみ作曲にGraham Coxonも含まれていて、そのエフェクティブで決定的なギターも彼が弾いている。この曲があることで、彼の脱退によりBlurが何を失ったかが分かり、そしてそれによってDamonは自身の世界観を徹底できて、今作は皮肉にもBlurでとりわけ統一した作風の、完成度の高いアルバムとなった。ジャケットは日本でもすっかり有名になったバンクシー。
でも、これで終わりはなかなか後味悪かったので、再結成して『Magic Whip』でちょっとおとぼけなBlurの感じもやってくれたりして良かったと思う。Damonはちょっとおとぼけを入れるくらいの方がなんかホッとする。『Magic Whip』は2015年の自分の年間ベスト2位だったけど、記事がインポートの関係で乱れて見れたもんじゃないのでここには貼らない。
7. 『The Love Below』Outkast(9月)
今回の30枚のリストはソウル・R&B・ヒップホップが致命的に少ない。そのことで誹りを受けるのならばそれは仕方がない。そのうちちゃんと聴きます。
それでも、流石に超有名なOutkastの2枚組は知ってる。メンバー2人のソロアルバムの抱き合わせみたいな2枚組をグループの作品として出しちゃうのは思い切りが良くて好きだけど、正直Big Boiサイドの『Speakerboxxx』の方を通して聴いたことは無い。だけどもう1枚の、21曲78分以上という単体でも異様なボリュームを誇るAndré 3000サイドの『The Love Below』は、そのアホっぽいジャケットに反して、彼の全才能を一気に放出するかのような、古くからのソウルミュージックの伝統と現代のアバンギャルドさとを自在に行き来しその中で新しいポップミュージックのフォーマットさえ欲望する、恐ろしく多様でかつ躁的な楽曲集となっていて、何度も聴いた。長いからこれ単体でも通して聴くのは大変なんだけども。でも所々にキャッチーな曲や驚くようなアレンジがあるし、それにラップが少ないし…。
一聴して分かるであろうことは、この時点の彼が全盛期のStevie WonderとかPrinceとかのような、次々とファンクやソウルの新しい扉を見つけて開け放って、ジャンルそのものを大きく前進させてしまった存在だったということ。往時の彼らと同じく、ここでの彼はそれだけ音楽ジャンルという概念について傍若無人で、ジャンルの方が俺について来い、と言わんばかりの多様な音楽性を炸裂させている。その最も極端なもののひとつが大ヒットシングル『Hey Ya!』で、これは最早ソウルミュージックですらないのでは…?というそのポップっぷりは、しかし何もかも的確に配置されたその強靭すぎるポップトラックっぷりで有無を言わせない力がある。かと思えば、アルバムを順番に聴いていけば最初に「えっ?」ってなるであろう『Spread』の、Aphex Twinが作ったソウルトラックなのか、というくらいブッ飛んだ高速チューンっぷりには、まさにジャンルを広げる、もしくはそんなもの気にせず破壊するくらいの勢いが感じられる。終盤の喘ぎ声の入れ方はPrinceだけども。かと思えば、アホっぽい幕間の後に始まる静謐なギターサウンドの響く『Prototype』はニューウェーブのサウンドでR&Bをしてるような不思議さが面白い。タイトなR&Bトラック上でヘロヘロな声でAndreが捲し立てまくる『Roses』も最高だし、シンセの感じがとても1980年代な『Love in War』とか、トラックだけなら岡村靖幸みたい。終盤にも高速ドラムンベースでブッ飛ばす『My Favorite Things』のカバー*8だとか、Norah Jones(!)が参加してしんみりした弾き語りに奇妙なコーラスが乗る『Take off Your Cool』だとか、最後まで隙なく隙間なくやり倒している。
まさしく一人の才能ある人物の、その絶頂が刻まれた作品。この後Outkast自体があと1枚のアルバムで活動を終え、その後も彼の纏まった作品は出されていないけれど、ここでもう一生分くらいの才能を鮮烈に吐き出しまくったのだから、それは仕方がないことだと思う。この時の彼の瞬間最大風速を、誰が越えられよう。出せる時にベストを尽くし倒した彼の大勝利だろう。いつでもちょっとザッピングしては、すげーってなる金字塔。
「昭和のキャバレーで流れてそうな音楽」というある意味ファンタジーな音楽を追求してきた小島麻由美の、その到達点と言ってもいいであろう徹底して彼女流の高機動でダークなジャジーさを極め倒したアルバム。
アルバム前半はもう、ひたすらその徹底した世界観にひたすら圧倒され続ける。高速タム回しで忙しなく躍動し続けるドラムが大いに牽引していく『ポルターガイスト』に始まり、邪なラテン風味がスウィングしていく『眩暈』に続く流れの、そのダークなトーンの狂騒感は素晴らしい。『眩暈』ではサビでメロディがメジャー調に転調するところもかえって怪しさを増すように響くから面白い。そこから、静寂の中に煙が舞うような雰囲気の『赤と青のブルース』、少し可愛らしさの出たでも歌詞はSM的なブンチャカ調の『黒い革のブルース』と続き、深夜の奥のバーで鳴るような『ハードバップ』で終わる流れは徹底していて、いい意味で息が詰まりそうになる。
このアルバムがいいのは、後半は一気に作風が変わって、それまで抑制してたロマンチックな側面が大きく羽ばたいていくこと。怪しげな中に神々しいファンタジーさを放つバラッド『月の光』、一転すごくお気楽なメジャー調で気だるげなポップさを剽軽に滑らせる『恋はサイケデリック』に流れでアルバムの雰囲気は一変する。とはいえ『恋はサイケデリック』の歌詞を読むと、これって何かキメてる…なので、やっぱり怪しい危うい雰囲気は続いている。3連の楽曲が続いていくアルバムの終わり方で、可憐さと同時に素面に戻ったことでじわじわと悲しさが募るような、でもやっぱ怪しい1行が忍ばされているような、そんな幻覚めいた雰囲気のままアルバムは終わる。
子育ての中で子供に絵本を読むような世界観で作られた彼女の2014年のアルバム『路上』の世界観から一番遠い、はっきり言ってインモラルな世界観の作品。だけど、彼女がそれまで培ってきた背徳的な雰囲気の総決算とも言えるその様は、初見も強烈なら、何度も聴いた時のジワジワ冒される具合も深刻で、彼女の作品でも最も劇薬的な存在と言えるだろう。この作品か、この次の現実的な無味乾燥さを表した『パブロの恋人』が筆者の思う彼女の最高傑作候補だ。
そういえば、この作品のアマゾンレビューを読んで、発売当時、ちょっとした昭和ジャズ歌謡ブームが来てたことに気づいた。流石にここまでマッドなのはなかろう。
5位〜2位
5. 『Spoon and Rafter』Mojave 3(9月)
「Slowdiveの人たちがその後になんかやってたユニット」くらいにしか長らく知らなかったこのバンドの作品にこんな順位をあげるくらいに入れ込むことになるなんて思わなかった。なんでこの人たちイギリス人なのにこんなにアメリカーナ出来るの…。今作はその上で、Jim O'Rourke的な音響派アプローチさえ見せた上で、美しく暖かなカントリーロックを量産しているアルバム。そういえばSlowdiveだってシューゲイザーやってたわけだから、このような音響派的アプローチも自在なわけだ(?)
冒頭の9分を超える『Blubird of Happiness』で圧倒される。アンビエントフォーク的なアプローチの仕方に、Jim O'Rourkeを意識してるのは結構あると思うけど、そこからゆったりと雄大なカントリーロックの演奏に繋がっていくところがとても格好いい。背後に通したノイズやシンセの扱い方も実に立体的で、ナチュラルさだけでない不思議な神聖さが満ちていく様は美しく、その後また静寂の中様々なノイズが浮かんでは消えていく様は、おそらく『Yankee Hotel Foxtrot』を意識している部分もあるはず。ずっと神聖な朗らかさが続いていくのがこちらの良さ。
この曲の後は、ひたすらグッドなカントリーソングがしみじみと展開されていく。ベタなスティールギター頼りのアレンジでなく、盛り上がる箇所で容赦無くグロッケンとかシンセとかを突っ込めるのはこのバンドの美点で、地味な楽曲であっても展開する際にハッとするようなアレンジのささやかな華やかさをしばしば見せてくるところは、本当に様々に気が利いている。たまにノイジーなギターなんかも遠くで聞こえて来たりして、またそうやって賑やかにしていると、フッと楽器が消えた時のしみじみ具合もとても味わい深くなる。この作品はそういう展開のオンオフの快楽もとても大きく、冗談抜きでイギリスのWilcoじゃん、って思う展開が沢山ある。『Too Many Morning』のメロディなんかにはイギリスの夭折したフォークシンガーNick Drakeの影なんかもチラつくし、イギリスのバンドであることの意味も案外色々とあるような気もする。
ここには、筆者が最初勘違いした方の「オルタナティブカントリー」*9の音楽がたくさん詰まっている。こんなところに理想郷があったなんて、理想郷は元シューゲイザーバンドの人たちが作ってたなんて、と驚かされた。でも思えばRideの3rdといい、シューゲイザーバンドって案外フォーク・カントリーと相性がいいのかもしれない。
4. 『Transatlanticism』Death Cab For Cutie(10月)
エモというものをよく分かってない時にこれを聴いてしまったせいでエモというジャンルを壮大に勘違いしてしまったことが思い出される。エモってこんなファンタジックで、雄大で、透明感があって、どこまでも行けそうな音楽のことなんだって思って、それがそのままこの作品に対する印象となる。赤い紐に絡め取られたカラスのジャケットは、実にこの音楽について雄弁な存在だ。抑圧があるからこそ、美しく飛翔できてしまう。それは本作のサウンドそのままの構造だ。
まず、何もかもから解放されて全能感を得る儀式として『The New Year』が荘厳に鳴り響く。大味なギターの鳴らし方の合間にben Gibbardのボーカルは透明に響く。素晴らしいことを歌っているのかと思えば、こうだ。
新しい年が来た 何も違いを感じやしないが
あっこの残念さはエモだ。エモは残念な音楽だ。残念さがあるからこそ高く飛べる。
Postal Serviceでソングライティングもアレンジの覚醒したのか、この先次々と印象的な楽曲を連発していく。ギターを立体的に重ね背後のノイズ等も含めて世界観を作る当時のギタリストChris Wallaの手際も悉く見事だ。派手な炸裂がなくともしみじみと不思議なリフレインと共に進行し、間奏のグロッケンが泣ける『Title and Registration』や、フワフワした感覚を淡々と進行させ、サビで少しだけ轟音になって力強くなったかと思ったら元のフワフワ感に戻って終わる『Expo '86』など、そこには広大で、だからこそ手を伸ばしても無限に届かない、そんな空が広がっている。眺めていれば美しい。
だけどそこに、そんな空を飛んでしまうキラーチューンがひとつ。それが『The Sound of Settling』で、最初のアルペジオからバンドサウンドが入って、コーラスの流れた後に入る幾何学的なギターリフで一気に重力の様相が変わっていくような感じがして、最後のサビはシンプルなフレーズゆえに、どこまでも飛んでいけそうな、そんな勇敢さを感じさせる。男の子の全能感の極みのような瞬間が、この短い曲の終盤数十秒には存在する。
その後も、叙情派エモの看板に偽り無しの展開の数々が待っている。タイトル曲の静かに迫り来て荘厳なエンディングを迎える様は感動的だし、その前後の楽曲の海にぼんやり漂うような情緒も美しい。アルバム終盤で勇敢さをパワフルに稼働させる『We Looked Like Giants』から、静かに海に佇んでアコギを爪弾くような『A Lack of Color』に繋がる終わり方は、ここまで超えて来た勇敢さや純粋さが通り過ぎていくノスタルジックで甘い寂しさを残して、まるで冒険を終えた後の抜け殻のようなぼんやりした感覚に包まれる。
Death Cab For Cutieというバンドについては、時に甘酸っぱすぎる音楽に思えてあまり聴かなくなることもあるけど、たまにこのアルバムを取り出すと、やっぱこういう気持ちはいつまでも失いたくないなあ、という気持ちになってしまう。
3. 『HELL-SEE』syrup16g(3月)
これを年間1位にできれば『coup d'Etat』の時みたいに全曲レビューできたんだけどもなあ。でも1位は絶対この年はアレだから無理だもんなあ。いつかこのアルバムも全曲レビューしたいものだと思います。
シングルを作ろうと思ったら思いの外曲が湧き出たから、スタジオとも呼べないような部屋でレコーディングを続行して作られた、15曲で1,500円という破格のアルバム*10で、その割にファンの多くから最高傑作と呼ばれる。
『Deleyed』『Deleydead』が入るからややこしくなるけれど、これら過去曲の蔵出しシリーズを除くと、つまり、その時の最新の五十嵐隆の楽曲を収めたアルバムだけでカウントしていくと、この『HELL-SEE』はメジャー2枚目のアルバムということになる。『coup d'Etat』でネガティブなだけではない、面白逆ギレヘンテコ想像力の歌詞を手にした訳だけど、『HELL-SEE』の魅力は、そんなユーモアに満ちた愚痴のような批評のような歌詞を15曲分も書いて、楽曲もワンアイディアでスッキリした作りのものを沢山量産したところから生まれているんじゃないかと思う。良くも悪くも、丁寧になりすぎない、雑にポンポンと楽曲を投げ出していく中に、五十嵐隆の天然でヘンな部分とシリアスさとがいい具合に混沌と並んで、独特の「ダメダメなんだけどなんか可笑しい世界観」が生まれているんだと思う。
まず、冒頭の『イエロウ』からして、丁寧に作られた感じのしない、「必殺」みたいな気合を感じさせない、その代わり軽快に、それなりに不健康でイラついた風な雰囲気を残して過ぎ去っていく。ギターソロの適当さが最高だ。そこからBPMを落とした『不眠症』が始まるけど、これも同じメロディが段々テンションが高くなっていくシンプルな構造の中に、ふつふつとした形でsyrup16g流の憂鬱さが吹き上がっていく。かと思えば、明確なテンションの爆発もないまま淡々と進行するタイトル曲だったり、急にThe Policeの『De Do Do Do, De Da Da Da』のリフをそのままパクった『ローラーメット』があったり、ギターポップ的な美しさのある『(This is not just)Song for me』があったりと、何気に今作は曲調が広くて、緩急のつき方の良さがアルバム自体のポップさを向上させている。サウンド自体はコーラスの効いたギターとシューゲイザー的ノイジーさの幅は相変わらずだけど、それらを特にミドルテンポの曲で聴かせるアイディアに様々な巧みさがあり面白い。特に突出しているのは『ex.人間』と『正常』で、前者はコーラスの効いたブリッジミュートのリフとシューゲ展開を淡々と交差させ、そして今作で一番珍妙でユーモラスな歌詞を、そこそこに深刻なシチュエーションの中に投げ込んでくる。
少し何か入れないと 体に障ると彼女は言った
今度来る時電話して 美味しいお蕎麦屋さん
見つけたから 今度行こう
「そういう時にそういうこと言わんやろ…」というシチュエーションの可笑しみをとりわけ有効に活用した事例だろうか。後者は、syrup16gのシューゲイザーバンドとしての側面を代表する名曲で、三連符のテンポの中でシューゲイザーサウンドをどんどん沈んでいくような情緒に活用する荒技で、ギターノイズの中で憂鬱なラインを低い声で呟く五十嵐は彼らのネガティブさの奥深さを見せつけてくる。
何故か終盤3曲がとてもポップなのも特徴で、淡々と虚しさが優しいメロディで舞い上がっていく『シーツ』、今作で一番パワーポップな楽曲にユーモラスに綴られたメンヘラ深刻物語が乗っかる『吐く血』、そして、引きこもってるのに近くに来たなら来てよと面倒臭いことをやたらキラキラしてソフトな演奏とメロディで歌う『パレード』と、ネガティブにしても様々あるんだよ、色々あっていいんだよっていう、そんな自由さをたたえている。このアルバムにとりわけ重いファンが多いのは、この辺のネガティブさがゲットフリーしてる感覚がとても大きいんじゃないか。
ちなみに、2003年の五十嵐隆の創作意欲とユーモアセンスは、この大名作にも収まらず、さらに訳の分からないテンションでラフに1曲やり切ってしまう表題曲含むシングル『パープルムカデ』に、理不尽すぎる逆ギレから様々にイメージを変異させていくおもしろ五十嵐歌詞の最高傑作候補『タクシードライバーブラインドネス』を含むミニアルバム『My Song』をリリースしている。五十嵐隆とART-SCHOOLの木下理樹は奇しくもこの年に同じ数の新曲(24曲)を発表し、二人とも間違いなく何かのピークに達していた。
2022.2.20追記:全曲レビュー書きました。実は文章量がこのランキングの1位よりもちょっと長い…。
2. 『Ghosts of the Great Highway』Sun Kil Moon(11月)
スロウコアの開祖的存在のひとつとなったRed house Paintersが契約問題のゴタゴタによりすっかりダメになった後、中心人物のMark Kozelekが始めたバンドかユニットか何かの活動形態がSun kil Moon。韓国のボクサーから名前を取ったこのユニットはほぼMark Kozelek名義と差が分からないくらいの存在として現在でも精力的に活動していて、今年も『Benji』より後の念仏を沢山詰め込んだアルバムをリリースしている。
でも『Benji』より前のSun Kil Moonは、ほぼ後期Red House Paintersと地続きの音楽性と言っていい。アメリカーナ的なフォーク・カントリーを鳴らしつつ、そこに無限にぼんやりした憂鬱を抱き続けられそうな音の奥行きやメロディを備え付けた音楽、というのが『Songs for a Blue Guitar』〜『Among the Leaves』までの彼の中心的な作風だろう。その中で、Sun Kil Moonの最初のアルバムとなる今作は、単純に歌も楽曲も演奏もアベレージが高く、各曲も割と短めに整えられ、そして全体的にどこか暖かくて明るくてロマンチックなヴァイブが感じられる、傑作中の傑作だ。特に曲が短めなのは聴きやすさに直結している。あと確かにRHP最終作『Old Ramone』より少し明るい気がする*11。
アルバムはのどかで素朴なフォークソング『Glenn Tipton』で始まる。爽やかな吟遊詩人を装ったMarkのボーカルも爽やかに徹している。けどすぐ次の『Carry Me Ohio』で、彼が元来より得意とした、くすみ切った薄暗い世界観に天使が舞い降りるようなメロディと展開の楽曲が始まる。延々と憂鬱なメロディで進行するのかと思うと、僅かに差し込んでくる別のメロディで一気に飛翔する様が神々しい。彼の地元を冠したタイトルといい、静かに気合の入った1曲だろう。その後すぐラウドなギターサウンドが入った滑空するようなギターロック『Salvador Sanchez』に入る。こういうオルタナティブなギターサウンドも、『Benji』より前まではRHPと同じように演奏していた。
Markの優しいメロディメイカーとしての才能がもしかしたらキャリア最高峰に出力されたのが『Gentle Moon』で、アコースティックなバンドサウンドに優雅なストリングスが乗り、ソフトな感触のままロマンチックにメロディが舞い上がる様は息を呑むような美しさがある。そのすぐ後に現れるラウドなギターで淡々と進行する『Lily and Parrots』がまるで照れ隠しのようだ。
今作で例外的に長い、やはり韓国のボクサーから題を取った『Duk Koo Kim』は14分を超えるけど、特に8分に達する前ぐらいで歌が終わって以降のサウンドの移り変わりや、そもそも9分くらいで演奏が切り替わってアコギの爪弾きやら何やらで展開していく様は、Mark Kozelek的な壮大さでリリカルさが移り変わっていく、繊細さに満ちた展開だ。
Mark Kozelek作品を聴き始めるなら、これから入るのがいいのかもしれない。くるりの『HOW TO GO』の元ネタのアルバムから入るのもいいけど、『Old Ramone』は尺が長い。60分弱の本作を尺が短め、と感じてしまうのもアレなんだけども。そして、天使の羽を付けた子供のジャケットがなんともプリティで、そしてこの時期の彼の祈りが込められているような気がして、神聖でもある。
1位
1. 『LOVE/HATE』ART-SCHOOL(11月)
To be continued…
追記:1位『LOVE/HATE』の単体記事をようやく書きました。個人的オールタイムベストでも2位のアルバムです。この記事よりもずっと文字数が多いです。
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一旦の終わりに
ということで、2003年の30枚でした。1位は別記事で書きます。
素晴らしい作品が多すぎて、初めは10位以内に入っていたRadioheadがズルズルと順位が後退していったのが印象的でした。2002年に引き続きぼんやりしたアメリカーナ的な作品が多く入っているのは筆者の趣味です。きっといろんな視点の2003年が存在すると思うので。
2003年といえば、書き忘れてたのでここで書きますが、スヌーザーのディスクガイドが出たのがそういえばこの年の次の年でした。リアルタイムで読んだわけじゃないのでアレですが、確か2003年の最新のアルバムをもとにそこから過去の名作等に派生していく、という作りになってて、勉強のための本として以上に、読み物としてとても面白かったような記憶があります。何故か今は手元にないし、なんなら自分のものとして所有したことはなかったような気がしますが、この記事を書き終わろうとする今更になって急に欲しくなって来ました。
やっぱり自分は2002年や2003年に、何かぼんやりした憂鬱や不安がファンタジックに渦巻く、みたいな世界観が好きなんだろうと思います。そういう意味でも、2003年の第1位は2003年の第1位に相応しい作品だと本当に思います。なので近いうちに、しっかりと書くようにしたいと思います。
まだ1位を書き終わっていないので完結していないようなものですが、折角なので今回紹介したアルバム30枚のうちの推し曲を揃えたプレイリストを貼って終わります。サブスクになかった真空メロウ以外の29組の楽曲が入っています。適宜ご利用ください。
それではまた。
*1:歌ってる内容は別れる恋人を必死に呼び止めようとする内容みたいだけど。Mapsって「My Angus please stay」の略なのか。
*2:2010年代のアイドル文化の飽和は、でもこういう不思議な局面も生まれたことには色々と興味深い価値があったんだと、こういうのを聴くと思える。
*3:ロック回帰ながら、シングル版のドラムは打ち込み、というねじれた具合が実にくるりらしい。
*4:なんか何年か前に再結成してそこから活動してるのかしてないのかよく分からん状態だけども
*5:この煮詰まり方が、作品を重ねていくほどにその詩情もそこに含まれた業も深まっていく感じがすることは、彼女の作品が決して変化が全くないものではないことのしるしである。
*6:このアルバムジャケットのメリーゴーランドのイメージは、この曲の不思議なリズム感に一番あってる気がする。
*7:前作『13』の時点で『Mellow Song』と題した曲があったりはするけど。
*8:そんなことしていいのか…。面白さ至上主義って感じですげえ。
*9:『Yankee Hotel Foxtrot』みたいな音響派要素の入ったカントリーをそう言うんだと思ってて、オルタナカントリーは別にそういう音楽ではないと分かった時にはちょっとびっくりした。
*10:リリース当時の話で、リマスターされた後は普通のアルバムの値段になった。でもその分リマスターの恩恵はもの凄く大きいので、今買うならリマスター版の方が間違いなくいいです。
*11:『Old Ramone』はリリースこそ2001年だけど、制作自体は1998年に完成していて、なのでそれと2003年のアルバムとを比べるのは良くないのかもしれない。