ブンゲイブ・ケイオンガクブ

本を読まない文芸部員と楽器を練習しない軽音楽部員のような感じのブログ。適当な創作・レビュー等々。

(翻訳)『God Bless Ohio』Sun Kil Moon

Common As Light and Love Are Red Valleys of Blood

Common As Light and Love Are Red Valleys of Blood

 

昨日の年間ベストのアップまでには、Sun Kil Moonの2枚組アルバムの全ての歌詞を自動翻訳に掛けて読むことが出来なかったから(もっと早くから始めてればよかった…)、昨日アップしたレビューは不十分だった。

『Common as Light and Love Are Red Valleys of Blood』というアルバムには、Mark Kozelekという男の人生体験、生活、ツアーでの苛立ちや、第45代アメリカ合衆国大統領への罵りなども含まれているけれど、それ以上に強調されるのが、人々の死、それも誰かに殺されたような話の数々だ。オハイオの大量殺人や、マイアミの銃撃事件、フランスの同時テロ、相模原の障害者施設殺害事件も含まれる。また、旅先等で出会った不審な人死にも。

そういった認識や憤りの上で、彼は祈る、回想する、愛する。このアルバムは数年前の彼の傑作『Benji』と同等か、それ以上に彼の死生観や、それゆえの祈りに関わっていることが、今日1日ずっと自動翻訳を読んでて、多少なりとも分かってきました。

そこで、このアルバム冒頭に収録された、個人的には彼の歴史でもトップクラスの緊張感とヒステリックさがあると思う大名曲『God Bless Ohio』を、自動翻訳を足がかりに、どうにか翻訳してみました。正直英語をまじまじと読んだ経験がセンター試験と卒論くらいしかない筆者にとって、言い回しが全然わからず*1、気力の問題もあってある程度判断を放り投げた訳にはなっているけれども、それでも彼の思うところが、幾らかは分かるものになっていればと思います。故郷オハイオに関しては思いが熱く、オハイオを主題にした曲は絶対に名曲にする彼が、10分もの尺にあたる言葉を尽くした歌詞。内容的に、正月だというのに実家にも帰らずに家に引きこもってるぼくにとっては胸が痛みまくるけれども、もし貴方が正月で帰省されているなら、またはされていなくても故郷とかがあるのなら、または故郷なんかなくてももういいから、ともかく、良かったら読んでみてください。

 

君は小さな子どもで庭にいて、僕とは友達であり兄弟だった。
トランプで遊んでた古い写真がある。
夜には豚の飼料になるトウモロコシを家々に投げつけたり。
その後の人生で、僕がレイト・ナイト・ウィズ・ジミー・ファロン*2で演奏していたとき、君はトウモロコシ畑で警察に追われて、警察犬に襲われていたんだ。
そして僕が帰省したら、そこはまるでゴーストタウンになっていた。
僕達は巡った。巡りに巡って、巡り倒した。
果てしなく空っぽなセクストンの家を通り過ぎて。
放棄されたモリー・スターク病院を通り過ぎて。

 

また僕は『ショーシャンクの空に』が撮影された、古いマンスフィールド刑務所のことを思い、僕が十代のころに知ってたアルコホーリクス・アノニマス*3に出たり入ったりしてた連中のことを思う。古い製鉄所を通り過ぎる。
祖父のこと、またあのおぞましい老人ホームや、たるんで死にゆく腕に刻まれた醜い刺青のことを思う。
父さん、僕はそんなのクソだ、って言ったんだ。
それが何であれ、僕に何かある訳じゃないし(?)。
父は9人兄弟のうちまだ生きてる2人のうちのひとりだから。
そして彼が死んでしまったら、僕はベッドに潜って、二度とどこにも行かないんだ。
僕は出来る限り強くなるつもり、なにせ、弟が自分より先に逝ってしまったら、大いなる世界に出て行いきたくないし、決して戻れないんだろうから(?)。

 

オハイオに祝福を。全ての男性・女性・子供たちに祝福を。
雪下6フィートで眠る亡骸たちに祝福を。オハイオに祝福を。

 

ニューヨークでテレビを見たときのニュース。
オハイオ州パイク郡の銃撃殺人事件*4
射殺された家族じゃなけりゃ、後はあれやこれやでしかない(?)。
町中にペットのライオンを放ったあと自分の口に拳銃を突っ込んだ男のこと。
隣人が追い出すまで地下室で男に奴隷のように拘束された少女のこと。
農作業の募集で呼び込んだ人たちを殺し、ベルデン・ビレッジ・モールの側に埋め、車とクレジットカードを盗んでいった、クレイグスリスト*5を使った殺人者のこと。

 

オハイオに祝福を。全ての男性・女性・子供たちに祝福を。
雪下6フィートで眠る亡骸たちに祝福を。オハイオに祝福を。

 

ああ、悲しみは無くならない。雨雲の上。
そうだ、悲しみは無くならない。雨嵐の中。
悲しみは無くならない。橋の下の落書き。
古くなって荒れ果てた納屋、ヒンジから外れ落ちそうなドア。
空っぽになったままのダウンタウンの駐車場、寂しい路地、
かつて子供用プールが付いてた、立ち退き済みの家々。
車道に放置された自動車。

 

ああ、でもオハイオにも美しいものがある。
ママ!ママ!僕のママ!愛しの!
あとは、タスカワード・ストリップを散歩するとか。
僕の妹の奇麗な子供たちや、池を横切っていくアオサギ
ドングリをかじる黒リス。夏の芝生でホタルがちらついたり。
ドミノピザは若い頃を思い出してしまう。ああ、若い頃!若い頃若い頃若い頃…!
窓の外から声が聞こえてくるあの子供たち。
僕もあの中の一人だったんだ、かつては、あの中の、あの中の!
最早俺は椅子に座りこんだクソ老体で、リビングで物思いに耽ってる。
今俺はこんな年寄りだけど、こんな遠い世界に来れて、こんな風になったのには感慨もある。
そして帰ってきたら、僕達でドライブ、ドライブして回ろう、回り倒そう。
かくれんぼに使ってたスーパーマーケットはとっくに潰れてる。
春夏秋冬、ママがそこで買ってきた食料で僕は育ったんだった。
ベルべッターチーズ、ワンダーパン、
チョコレートミルクにソールズベリーステーキTVディナー*6…。
彼女は僕や君を愛してたから、買物の際にお金を少しばかり溜め込んでた。
それで彼女は、クリスマスツリーの下で僕達がプレゼントを貰えるようにしてくれることができた。
父から凄く、凄く怒られるかもだったのに、彼が気付かないうちに買物代からお金をくすねてくれていたんだ。僕と君のために。

 

オハイオの暗雲から僕を救ってくれたのは何だろうか。
夢を追いかけていたのは何だろうね、貴方。
僕が家を買えて、または東京・テルアビブ・アテネレイキャビク・ローマを訪ねることができたのが、愛と音楽を追い求めたからなんて誰が知るだろう。

 

詩を書くことは癒しになる。サイコセラピーは癒しになる。
ビーチに沿って歩くのだって癒しになる。
だけど、音楽の癒しを安く見ないでほしい、ねえ貴方。

 

可笑しな歌もあるし、悲しい歌もある。短い歌も長い歌も。
でも、歌の力ほどに癒しと活力のあるものはないんだよ。
歌の力、歌の力ほどにはね。

 

オハイオに、神様、オハイオに祝福を、オハイオに慈悲を、救いを。

 

『God Bless Ohio』

 lyric by Mark Kozelek 翻訳:おかざきよしとも(@YstmOkzk)

 

 

*1:特に分からなかった箇所は(?)がついてます

*2:そういうトーク番組があったようだ。検索したら、MarkがRHPの『Mistress』 をバンド編成で演奏している動画が出てきて「!?」ってなった。

*3:アルコール中毒から人たちが抜け出せるように活動している共同体。運営は全て献金によってなされているらしい。

*4:2016年4月。同じ一家の人間8人が殺された。犯人は捕まっていないようだ。マリファナにまつわるトラブルとも言われているが真相は未だ不明

*5:新聞で言う3行広告のよなことをインターネットでできるサービス(クラシファイド、と言うらしい)の、アメリカにおける最大手メディア。誰でも簡単に使えるこういうサービスの宿命か、出会い系としての利用が大々的に問題になっているらしい。

*6:そういう名前のレトルト食品(冷凍食品?)があるっぽい。YouTubeに動画あり。