「伝える」でググって一番はじめに出てきた画像です。
このブログが「本当に書かないといけないと思ってることじゃないけど、なんかとりあえず更新したい」と思う時によくやる「楽曲10選」系の企画です。
今回のテーマは「伝える」ということ。つまり正直、歌詞の中身ばかりの話になってくると思いますので、各曲のサウンドについて語る感じにはそんなにならないと思います悪しからず。
歌詞の中で「伝える」となると、まあ「眼に映る全てのことがメッセージ」的な、全ての楽曲はメッセージソングだ、みたいなところがあるかもしれませんが、ここではもうちょっと「伝える」ことを重視して「歌詞の中で誰かが誰かに自分以外のことを伝えようとする」とか「伝えること・通信自体を歌にしている」とか、そんな具合で選曲をしています。
今から取り上げる曲よりも全然もっと今回のテーマに相応しい楽曲が世の中にはものすごく沢山あるんだろうなと思いながらも、ひとまず行ってみましょう。
1. A Day In The Life / The Beatles
いきなり超絶大ネタで少し恥ずかしい感じ…。
「ジョン・レノンが制作中に見た新聞とか映画とかから適当にシュールなネタを引っ張ってきて聞き手に伝えようとする」という、ナンセンス的な感じが充満して、本人もそこまで意味を考えてないような感じの歌。だけども、少なくともジョン・レノンがどんなものに面白さを感じて、それをどう伝えようとしたのかは分かります。ちゃんとヘンテコなエピソードを拾ってきてて変な面白みがあるのはジョンの優しさなのか(それともエピソードごと創作かもしれませんけど)。
そして当時物議を醸したという「I'd love to turn you on」のフレーズが、なんとも蠱惑的。
ああ、今日はこんな新聞記事を読んだ
穴はすげえ小さかったろうに、記者どもは全部数えたんだろうな
だから奴らはもう、ロイヤルアルバートホールを一杯にするのに
何個穴が必要か分かっちゃうんだろうね
君にもこのフィーリング、分かって貰いたいね
2. あの娘はあぶないよ / 小島麻由美
このタイトルの微妙な伝達具合。しっとりとしたアコースティックでボッサな感じの中、気だるげに歌われるのは、別れるにあたって不安げな感じとかを、その大事だった人に伝えて、お話ししたい、という感じのこと。よくよく考えるとたわいもない気もするけど、そこで「あの娘はいつもあぶないよ」と他人事のように、ちょっと距離を離して伝えようとするところに、この歌の少しねじれたいじらしさと情念の混線具合とがあります。
っていうか、電話かけるの真夜中みたいだし、これちょっとメンヘラ的な感じの歌だな…そう思うと後半突如サンバになるテンションが妙に怖い…。
ある朝 目が覚めて この世でひとりぼっちだとつぶやく
そうだ!大好きな人に最後の言葉お別れをしよう
真夜中 響き渡る電話のベル つまらせた声
大きな目に涙浮かべて あの娘はいつもあぶないよ
3. 気球と通信 / ムーンライダーズ
まさに今回のテーマど真ん中の曲。さすがムーンライダーズ曲の着想が広い〜。この曲はポップでまったりぼんやりとした曲の中で、通信が途切れそうな声とそれ以外の声とのかろうじての通信、みたいな感じで歌が進んでいきます。ポップなメロディがかすれそうになってる様がなんとも寂しい。
あと、曲も歌詞もかしぶち哲郎さんの曲なのはちょっと意外な感じ。検索してたら、スカートの人のブログでこの曲を題にした、かしぶち哲郎さんが亡くなった時の記事が出てきた。通信、できたらいいのに。
ボクヲヒトリニ シナイデホシイ
晴れた空からガラスの気球 光を浴びて儚く壊れた
何度も通信していたらしい ボクは知らなかった
4. Tonight's The Night / Neil Young
また大ネタ。今回洋楽は全部大ネタな気がします。洋楽の歌詞ちゃんと覚えたりしてないもんね…。
これは、ニールヤングが当時ドラッグの関係で自分の周りの人物が立て続けに死んだ時の楽曲。その内のひとり、ローディーとして一緒に活動していたブルース・ペリーのことについて淡々と、本当に淡々とその働きっぷりとか、そして亡くなったと伝えられた時の様子を実にあっさりとした感じに歌詞にして、タイトルで纏め上げるだけの歌。それが、ラフでヘヴィな演奏で、非常に不思議なダークさで鳴らされる。ニール・ヤングはこの知人の死について「悲しい」とかそういった言葉を一言も歌詞に入れず。淡々と往年のブルース・ペリーのことを歌う。
彼は何を伝えたかったんだろう。別に何も伝えようとか思ってなかったんじゃないか。彼が彼自身のために作った、鎮魂歌にならなそうな鎮魂歌。その「何か伝えたいわけではない」具合によって、逆に伝わってくる情緒がある。
とある夜遅く、人がはけてしまってから
奴はぼくのギターを手にとって、嗄れ切った声で歌い出した
その日は本当に、まるでとても長く感じたんだった
これもまた「通信」という手法に焦点を当てた曲。元々は同名の旅行ガイドに掛けたタイトルなんだろうけども、それがやくしまる的妄想力によって「一人ぼっちの惑星にいて、地球から遠く離れていく女の子と地球の男の子(?)との通信が次第に途切れていく」という歌になっている。ある種の歌の中では「通信」というのは次第に遠ざかってしまうもののメタファーのようです。最初はまだ飄々としてみせる主人公が、次第に帰れないことが分かってきてひたすら孤独に苛まれていく様が痛々しいストーリーになっています。最後の「バイバイ」の連呼がなんとも切ない。
彼女のソロ曲の中でも一際ポップさと実験性とのバランスに気を使った感じがある曲で、やくしまるソロのライブ盤でも上記の動画のようになんかコンセプチュアルなPVが作られてます。
必ず帰るよベイビー 地球の軌道はどこ?
とんととんととんととんととんと 見当もつかなくなって
浦島太郎も引き返すような辺境の星で
なすすべもなくただ任務をこなす
6. Burn The Witch / Radiohead
洋楽はひたすら大ネタです。これは現代の「通信」が生み出す「魔女狩り」について悪意全開で表現した歌。ある意味での安直にさえ思えてしまいそうなテーマ選びも含めて、実にRadioheadらしいキリキリと苦しい、逃げ道も無い様が歌われます。ストリングスの不協和音が迫ってくる様も、この国においてはSNSによる柔らかい同調圧力の比喩みたいに感じられてみたり。
PVの冒頭の鳥は明らかにtwitterのメタファーで、筆者もこれが無いと困るくらいに活用させてもらってるけども、それが生み出す数々の複雑な問題━━分断、ポストトゥルース、炎上、排外主義等々━━どれもが非常に、我々を内側から焼き尽くさんとする問題ですが、ここでそれらを語るには荷が重すぎる。実は相当前、『Hail To The Thief』から歌詞があってホームページに掲載されていたけれども、この問題がtwitterによってこんな形で浮上するなんてRadioheadは思っていただろうか。最近はリツイートの機能を開発した人が酷く後悔している記事も公開されて、この問題の包括的な対処方法は未だ見つかっていない…。
これは、低空飛行からの不可避攻撃
さあ、6ペンスの歌をみんなで歌おう
魔女を燃やせ 魔女は燃やせ お前の居場所は分かってるんだ
7. CUSTOM / 奥田民生
メッセージソング、というものから最も遠そうなミュージシャンのひとり・奥田民生も、一度この「伝える」ということについて真正面から挑んだ歌があります。彼のアルバム『E』は特に終盤、いつになく「真面目」で「本気」な楽曲が続いて、民生史上でも最重量級の流れが続いていきます。この曲もその一角。
この時期の彼は歌詞にあるとおり「伝えたいことは言葉にしたくない」と歌います。つまり彼の場合、「伝えたいこと」は意味を省いた歌も含む演奏で、聴いた人に伝わるようにしたいと。それが「音」そのものなのか、音から見えてくる「風景」なのか「情感」なのか。そんな何かの概念にねじ込めるようなものではないのか。ともかく、少しのはにかみも見せつつ、自身の巨大さを圧倒的に見せつけるこの楽曲の力に、こうやって言葉の意味を無視して、なんか根源的な部分を伝えたい人もいるんだなあ、と思いを新たにしたり。
伝えたい事がそりゃ僕にだってあるんだ ただ笑ってるけれど
伝えたい事は言葉にしたくはないんだ そしたらどうしたらいいのさ
そこで目を閉じて 黙って 閃いて 気持ち込めて
適当なタイトルで ギターを弾いてみました
8. Carissa / Sun Kil Moon
このブログのこういう企画ではやっぱり出てきてしまうマーク・コズレック関係。でもこの曲はこの企画を考えて2つ目に浮かんだ曲なので許してほしいです。
ストーリーテラーとしての彼の作風を確立し、その美しくも悲しい歌の数々から世間的にも高い評価を得た『Benji』の冒頭に座したこの曲のどうにもしようのない個人的な悲しみを歌に乗せて世界に伝えよう、という歌。マークの従姉妹の女性の名前がカリッサで、彼女が不意の不幸な事故で突然世を去ったことに対する動揺と、そこを起点に自身の人生での悲しみのエピソードや哲学が派生して、そして彼女の生きた意味に詩情を与えて世界中に届くように歌うんだ、と誓う。事実、この曲は世界中で愛される楽曲になりました。
カリッサは35歳 君は二人の子どもを育てなかったし
ゴミ箱を片付けなかったし、死ななかった
彼女は僕のまたいとこ、だけど僕はよく知らなかった
誰かのための雑用だったのか?孤独を埋め合わせる時間つぶしだった?
可燃性のゴミを捨てたのはそもそも君なのか?
子供達なのか?もしそうなら、彼らは永遠に罪を背負うことになるだろう
その景色を確かめるために僕はそこに向かう
血縁者の中で僕がどう形成されたか知るために、そこに向かうよ
僕が必要じゃなくても、本当に胸が痛むよ
どうしてこんな悲しいストーリーが繰り返されるんだ?
9. メッセージ・ソング / ピチカート・ファイヴ
ピチカート・ファイヴも前のサマーソングス記事から引き続き。筆者のライブラリの狭さが…。
これはもう直球も直球。作曲者・小西康陽の、制作当時の離婚等の個人的問題が、彼に多くの悲しくて優しい歌を作らせたけれど、この曲もそのひとつで、彼の子供に向けた、とても素直で誠実な優しさと願いが込められた、胸が痛くなるような思いが、彼らに珍しい豪快なギターロックに託されて放たれる。どこか童話のような、柔らかくて、その世界しか見えないような遠い場所の子供に向けて放つ、言葉の隅から隅まで、乾いた切なさと思いに包まれた、ひどく個人的なメッセージの手紙のような歌。歌というのはそういう個人的な思いの美しさを、時にこんな具合に世の中に知らしめてくれて、筆者は歌のそういうところがたまらなく好き。
雪の降る日 何もかもがとても懐かしくなる
風の中にきみの声をぼくは探している
いつか大人になる日に きみもたぶんどこかへ旅に出るはず
10. Guru / 大槻ケンヂ(アンダーグラウンド・サーチライ、筋肉少女帯他)
今回の企画はこの曲を取り上げたいために他9曲集めたようなもの。「伝えること」についての、日本における絶対的なアンセムにして、伝道師(guru)たる大槻ケンヂの、祝福のような、呪いのような楽曲。何度も再録されたりからも、彼の中でどれだけ大事な楽曲か分かる。
大槻ケンヂは、自分の持つ切なさややるせなさや祈りや願いを想像上の少女たちに託しすぎるきらいはあるけれど、でもその託しっぷりは本当に、何か突き詰め切ったような切実さがしばしば宿るし、そしてそんな彼女たちを通じて、この世界の不条理も、気高さも、残酷さ、美しさも、極端な何もかもを吐き出そうとする。よく考えれば何の事は無い、彼が妄想で美しい娘を作って、妄想で彼女を不幸にして、それゆえの美しさをもって世間に対峙しようとする。その姿勢はまるでマッチポンプじゃないかと、そういう批判は成立しないこともないかもしれない。
だけど、そんなことどうでもいい。大槻ケンヂが不幸な少女たちを媒介にこの世に召喚した悲しみや可憐さが、その不幸の分だけ、血を吐くほど美しく、狂おしくなっていって、そして彼はそれらを、泣き出さんばかりの思いで世に放つ。その時の彼の手の尽くしっぷりが、この曲では最頂点に達している。彼はもう、自分がマッチポンプかもしれないことなどとうに忘却して、一心不乱に彼女たちの不憫で可憐な姿を見つめ、そしてそれを世に問わないといけないと、本気で信じ切っている。ああ、「伝える」とは、ここまで思いつめることができるのかと、その狂気のような情念が、我々のようなしょぼいブロガーとかの背中さえも、焼き尽くすのです。
双子の姉の女の子と植物園に行った。
やるせない娘で、やさしく美しかったが、誰もそれに気づいてはいない。
気づくものか、わかるものか、わかってたまるか。
だが、お前だけはわかってあげなさい。
お前が悲しみにある時、彼女はよろこびにある。
春の夜の人のいない伽藍の底に シンメトリに双子の少女がいて、
遊びとはいえない、殺し合いのようなキャッチボールをしている。
ぶつけ合っては血の色の、泣き笑いの双子の野球だ。
その姉のギリギリの想いを、怒りを、やるせなさを、
お前がなぜ人に伝えないというのか、このバカ野郎!
俗世間にのまれたか。伝えろ!伝えろ!伝えろ!伝えろ!伝えろ!
お前が人に本当に伝えたいことだけを、お前は今から、
彼女の綺麗な魂のみを伝えたらいいじゃないか。
大丈夫だ、君ならできるよ。
伝道師よ、世界は、遊びとは言えない、
殺し合いのようなキャッチボールなんだ。
以上、最後はものすごい引用でアレですが、すっかり背中を焼き尽くされてしまいました。これからも頑張りまーす。