※この記事は一応、相当前にやった以下の記事の、1位を紹介する、いわゆるシリーズものの完結記事になる予定でした。
しかしながら、いつまで経っても書きたいことがまとまりやしないので、そこで、1曲ごとに分けて書けば、せめて先に進むに違いない!と思って、なので曲数分+総評1回の、計12回の記事掲載する予定です。なんか自分でもアホか!って感じ。
っていうか、2002年1位どころか、オールタイム1位候補ですよ。
正直このアルバムについて詳細に語ることが出来るようになるには、ある程度DTMとかでノイズとかそういうのを自在に使えるようにならないとなあとか、そういうこと等を思ったりして、ひたすらこのような全曲レビューを書くのが億劫だったのですが、今回とある視点を得たことで、全然語り得ないながらも、何かこう、筆者の憧れの気持ちみたいなものが、後から見返したときに参照できるくらい具体的になっていれば、と祈る気持ちで、書いていってみます。Pitchfolkで21世紀最初に10点満点を得たという完全無欠のアルバム、しかしながらその面持ち自体にどこか、何かが致命的に欠けていて、それゆえにどうしようもなく奥行きを感じられるアルバムの、何がどうなってそんな効果になっているのか。これは本当にずっと、研究しがいのあるテーマです。聖書か何かみたいな…。
そう、聖書か何かのようなアルバムだからこそ、まさに精読のようにするべく、アルバム1枚を1曲ずつ順番に見ていこうという、これはそういう連載になります。そのうち息切れして終わりそうな予感もするけれども果たして…。
1. I Am Trying To Break Your Heart
前書き
アルバム冒頭がこの、不思議な歪さを持ったカントリーソングであることが、このアルバムの静かな衝撃の程を最も雄弁に語っている。こうやって記事を分けないといけなくなったのは、ひとえにこの曲について色々考えるだけで全く先に進めなくなってしまったからだし…。
ある程度フォーキーでカントリーでアメリカ的なロック音楽が、ノイズ等によってなだらかに侵されてしまうというこのアルバムの基本スタイルを、最も象徴する感じの曲。アコギと歌だけを取り出して聞けば、展開もなく延々と同じフレーズを繰り返す平板な曲になっている。けれどもこの素材を徹底的に、アレンジの様々な出し入れ・移行によって強引に、全く単調でない展開を生み出している。
この曲のアレンジの凄まじさを最も簡単に理解するには、YouTubeか、もしくはJeff Tweedyのソロアルバムで同曲の最もシンプルな形態、つまり弾き語りで演奏されているものと聴き比べれば分かる。弾き語られるこれは、多少ヒネてくすんだ感じはするものの、とても単調なフォークミュージック*1。そこからこの、何とも形容にもレビューにも困り果てるような怪物的な楽曲に飛躍するには、思うに相当のトライと、混迷と、そして何らかのブレイクスルーがあったに違いない。本アルバムのドキュメンタリー映画のタイトルになるだけのことはある。
楽曲精読
アルバムの再生を始めて、最初に入ってくる音からして、普通バンドものが出すような音ではないのは間違いない*2。ラジオのチャンネルをひねったかのようなノイズ、それも意外と濁りのないノイズが左右から差し込まれる。少し挿入されるドラムのリズムは妙に遠く感じるしすぐに引っ込んでしまう。代わりに、キーボードのバラバラな感じの音や反復する謎のシンセ、パット感、そういったものが充満して、おもちゃ箱の中のような、それにしては音響的にオブスキュアーなような、そんな妙な空間が生まれてしまっている。
そんな中でやっとフォーキーなアコギの響きが聞こえてきて、ようやく楽曲が始まる、と思ったら、また随分と変則的なフィルインを反復するドラムが挿入される。そしてグロッケンっぽい音。余談だけど、この楽曲で繰り返し鳴らされるこのグロッケン的な音は実はアンティークシンバルと言うらしく、シンバルなのにこうやってメロディを鳴らすように使われるらしい。正直ポピュラー音楽でこの楽器が使われてるのをこの曲くらいしか知らない*3。ちなみにこんな形をしている*4。
やっと始まった歌のメロディのヒネた渋みや、そのフレーズのそんな長くなさ、そもそもコード2個くらいに添えられたメロディっぽいという、そのそっけない感じが、バンドアンサンブルや各方面からの不思議な音の鳴りによってぼんやりと浮かび上がってくる、というのがこの曲の基本的な構造だ。これだけポストロック的なサウンドが詰め込まれているならば、歌が無くてもインストとして成立するんじゃないか、とも思ったりするけども、しかしながらそんなこと全くないほどの存在感が、このぶっきらぼうな歌には確かにある。いや、むしろあくまでもこの「歌」こそが中心にあって、その周囲を様々な音が混沌と取り囲むことこそが、この曲を、非常に複雑でどこか虚無的・破滅的で、しかし飄々として美しい、現代のアメリカンロックとして成立させている、一番重要なところなんだと思う。それはある面では、2001年9月11日以降、かつてない混沌が降りかかったあの時代におけるかの国そのものの光景・立場をさえ、感じさせるところがある。
この後の様々な音の抜き差しについては、詳細を紹介するだけの知識は残念ながら全く無いけれども*5、しかし思うのは、浮遊感のコントロールが抜群だということ。これは、一方では存在感の大きな楽器(アコギとか)の抜き差しによってもコントロールされるが、他方では、ドラムが非常に重要な働きをしている。ひたすら反復されるフィルインは、楽曲の骨組みとしてのドラムではなく、他のシンセやアコギの音と全く同じような扱われ方をしている。つまり、ただのオブリガードとしてしか使われていない。この曲が最も地に足がついた感じになるのはおそらく、2分半過ぎごろ、ようやくドラムが普通に8ビートを叩き*6、楽曲の骨組みの役割を力強くこなす場面だろう。そしてそれはシンプルにアメリカを感じさせるピアノフレーズと共に、わずか20秒程度でまた消えてしまう。ここの部分の微かな心細さがとてもドラマチックだと思う。
3分20秒からもドラムは割と普通気味な8ビートを叩くけど、しばらくすると今度は他の楽器の鳴りが急に少なくなる。ノイズが歌とともに雑然と垂れ流された後、ドラムが消えたタイミングにて、歌はタイトルコールを繰り返す。それはとても怪しい、暗示のような瞬間だ。
そしてその暗示の直後に、楽曲はコード感はそのままに、これまでで最大の広がりを見せていく。8ビートのリズムに、分厚いミストのようなパットが詰まり、太く醜いノイズが密かに差し込む。
やがて8ビートはフィルイン交じりに崩れて、ほつれていき、そして混沌が広がりまくった状態で中心のリズムは消失する。これまでスピーカーの近くで鳴っていたJeffのボーカルは、随分と遠い地点にて、今までのメロディをシャウトしている。この状態のまま楽曲は最後まで向かっていく。最早バンド演奏の感じは(左右のオルガン・ピアノを除けば)残っておらず、Jeffは突如7曲先の楽曲のフレーズを歌い出すし、その頃にはノイズが随分と細く鋭角なものになり、結局は、このビームのような騒音だけが、一度全ての音が消えた後に再度鳴らされて、ブチ切られて、楽曲は終わる。
この混沌と神経質さにとどめを刺す終わり方から、次の曲のナチュラルなサウンドが鳴り出した時の安心感のことについては、次の曲の更新時にお話しします。
楽曲単位の総評
アルバム『Yankee Foxtrot』は、決して悲壮感に満ち溢れたアルバムではない。また、遠く儚くファンタジックなノスタルジーに浸るような雰囲気にも感じない。ただ、朗らかなインディロック*7でもないことは間違いないし、ルーツロック趣味全開のThe Band/Littele Feet過ぎるアルバムでもない。しかしながら、様々な音響的仕掛けにもかかわらず、シカゴ音響系のタームに回収されきってしまうアルバムでもない。
Jim O'reukeによる最後のミックス作業がアルバムにどこまで影響を与えたかは分からないが、バンドはジムが参加するより前に、音自体は全て録り終わっていたともいう。つまりこの曲で見せるノイズ等の類やドラム等の仕掛けも、シカゴ音響系等の影響はきっとあっただろうけれども、直接ジムによって追加された訳ではなく、元々からバンドが意図して録音されていたもの。
アルバムジャケットの荒野めいた土色に合わせてか、本曲をタイトルとした上記のドキュメンタリー映画も、ずっと同じような土めいた色合いに画面が加工されている。それに引っ張られているのか、この非常に多くの楽器が登場し、カラフルな出来になっていてもおかしくないこの楽曲も、不思議とそれらと同じようなモノトーンさに感じれてしまう。むしろこの曲からアルバムの土色が導き出されたかのような、この不思議な浮遊感の中に生まれた、とても荒涼とした色味は何なんだろう。
思うに、このアルバムにおける視点は割合、ずっとフラットに安定している。演奏だって、グランジのようにバンド全体がうねる場面は全く無い、どころか、彼らのディスコグラフィー中でもアバンギャルドな『Misunderstood』みたいなダイナミックさもこのアルバムには殆ど存在しない*8。基本的にはジャストなリズムで、安定して、これ以降と比べても軽快な演奏が、フラットに続いていく。
そんなフラットな演奏に、場面場面でノイズやサイケデリアの侵食が降りかかっていく。このアルバムの収録曲の多くはそんな構図になっていて、それは最早このアルバムのテーマの一つである。そして、その最も極端なのが、この曲なんだと思う。そっけないほどにどこまでもフラットに反復していく楽曲の構造は、むしろこのテーマに最も即した形態となっている。リスナーは、このひたすらフラットな楽曲が位相をズラされ、そしてやがて混沌に飲み込まれていく様に、エモさとかとはまた違った、逃避的なサイケデリアともまた違った、妙な実感と脅威と、そして一握りの清々しさを抱く(んだと思う)。全く無邪気なような、もしくは悪意に満ち満ちているような、そんな両義性をさらりと音に忍ばせながら、バンドは前人未到にして誰もがそこにいたであろう(2001年当時の)“現代のアメリカ”の世界を描いていく。
それにしても、このように複雑な成り立ちをしてしまっている楽曲を、その構成物を殆ど失くすことなく、しかしながらライブ感たっぷりに豪快に演奏できてしまうこのWilcoというバンドの凄さには、以下のようなライブ映像を見てもついため息が出てしまう。特に音源通りかそれ以上のドラム+色々の演奏を一人でこなしてしまうGren Kotcheの物凄さが際立っている。この人は本当にドラム叩きながらアンティークシンバルでメロディのオブリをつけるんだ…。
歌詞翻訳
1曲目にして早速物凄く長くなってしまったので、折角なので歌詞翻訳も付けてみます。これを書いている今、手元にCDが何故か無いので、ひとまず適宜訳します。
ぼくは水族館で酔っ払うアメリカ人、並木通りの暗殺者。
光輝く大都市に潜伏しよう。
きみから離れた時、ぼくは何を考えてたかな。
口下手な稲光のことなんか忘れてしまおう。
寄目がちの変態たちみたいに服を脱いでしまおう。
冗談じゃないんだ。笑うのはよしてくれ。
傷つきはしないとぼくが言った時、ぼくは何を考えてたかな。
夢を見てるあの茶色の瞳たちの間を滑走したいよ。
内からくる悩みに耐えて、ぼくを強く抱いて欲しい。
ぼくがずっと呑んだくれてたときみが言ってただろ。正解だったよ。
ぼくが「おやすみ」と言った時、ぼくは何を考えていたんだろうな。
暗澹たる聖書の夜明け前にきみを抱きしめたい。
きみは大した大人しいドミノだよ。今すぐぼくを葬ってくれ。
タッチダウンなんて信じないから、そのバンドエイドを剥いでくれ。
きみに「やあ」って声をかけた時、ぼくは何を考えていたんだったか。
きみを強く抱きしめたら、きみは常に昔みたいにぼくを愛してくれる、
そんな風なことをずっと思ってきた。
きっとぼくはそのまま眠って、そして大都市は光り輝き続けるだろう。
きみに戻ってきてもらった時、ぼくは何を考えていたんだろうね。
ぼくはきみのハートを壊そうとしている。
ぼくはきみのハートを壊そうとしている。
でもきっとまだ、簡単じゃ無いと言って、嘘をつくんだろうな。
ぼくはきみのハートを壊そうとしている。
使い捨てられる紙コップで酒をあおりながら、
ぼくは並木通りで暗殺者している。
光り輝く大都市に潜伏していよう。
きみから離れた時、ぼくは何を考えていたのかな。
(ぼくはきみを愛している人間なんだよ…)
どこかで読んだWilcoの作詞法は、メンバー間で書きかけの歌詞を回していき、より奇妙でファニーな文章の繋がりになるよう、言葉を継ぎ足していく、というものらしい。これもそんな感じで作ったのかなあ、と思いながら訳したけれども、しかしよく分からない部分を強引に訳しながらも、何となく行き詰まった2人の関係性が見えてくる。
タイトル部分は「ぼくはきみを落胆させようとしている」みたいな訳もできるんだろうけど、でもここは「ハートを壊す」じゃないと、この曲の感じは全く出ない気が何故かした。
ややネタバレ的なことをすれば、この歌詞の前提から最終曲の歌詞に繋がっていくのは、なかなかに感動的だなあと思いました。
最後に
1曲だけでこんなに文章長くなるの、本当にこの調子で残り10曲+総評を達成できる気がしないけど、大丈夫なのか…。
*1:それでも意外と小気味よく聞けるのは、色々と工夫を凝らしてこの単調な曲を演奏することができるJeffの表現力・演奏能力によるものだと思う。
*2:ただ正直、アルバム1曲目にシンセとかノイズとか何とかのイントロを付けて、なんか壮大さとか曖昧さとかを出したがるバンドが90年代以降とても多いのも事実
*3:っていうか聞いた感じグロッケンとそんな変わらないから、もし仮に使われててもせいぜいグロッケンかなーとしか思わないでしょう
*4:おそらくは、これ単体、及びグロッケンとかと並べて演奏されるのが普通だと思う。少なくとも、このバンドのドラマーみたいに、ドラムセットの一部みたいな感じでリズムキープしながら叩いてメロディ奏でるものではないのでは…
*5:一体どれだけの楽器が、特にシンセとかどれくらいの機材が使用されてるんだろう。そういうのの一覧みたいなサイトないかな
*6:いわゆる”裏打ち”のリズムではあるけれども。この曲ではドラムは、決して本当に普通の8ビートを叩かない
*7:1個前のアルバム『Summerteeth』は、とてもいい意味でこの“朗らかなインディロック”している部分があった
*8:『Ashes Of American Flags』『Reservations』辺りのみ例外的に、引き算方面のダイナミクスを強く感じる。これは、この2曲のアルバムにおける立ち位置の特異さを自然と物語る