ブンゲイブ・ケイオンガクブ

本を読まない文芸部員と楽器を練習しない軽音楽部員のような感じのブログ。適当な創作・レビュー等々。

『Yankee Hotel Foxtrot』Wilco(4/12 War on War)

 さあ、アルバム随一の人気曲のひとつ。アルバム的にもこの辺からちょっと確変入ってるっていうか、ここから4曲連続で、さりげなくありえない高みに行ってしまってると感じます*1。アルバム中でもとりわけさらっとしたこの曲が、どんだけ色々書くべきことがあるか。

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Yankee Hotel Foxtrot

Yankee Hotel Foxtrot

 

Yankee Hotel Foxtrot

Yankee Hotel Foxtrot

 

4. War on War

前書き

 いろんな意味で、このアルバムを象徴する1曲と言っていいんだと思う。このアルバムに多く見られる要素、「単調」「フォーキー」「ノイズ」「不穏さ」「ポップさ」を全て、この曲はコンパクトに体現している。他のWilcoのアルバムを見渡しても、これほどにこのアルバム的な曲は見当たらないし、むしろ他のアルバムにこの曲があっても浮きそうだし*2、まさにこのアルバムにしか収まらなそうな、見事なフィット具合を見せている。

 楽曲としてはクッソシンプル、しかし情報量は意外にもかなり多い。この何気なく引き裂かれきったポップソングこそ、このアルバムの象徴だよなあとか思ったり。もちろん、曲のタイトルがタイトルなので、アルバムリリースのタイミングである911近辺の出来事を踏まえてもしっくりきてしまいすぎた楽曲であり、ある程度は当時の状況が偶然的に産んでしまったものではあるのだけれど。

 情報量、とりわけノイズのことについては、特にこの曲がその楽曲の呑気さと最もギャップがあるように思われる。ので、以下の精読の最後に、このアルバムにおけるノイズの扱い方に関する考察も、ロック文化におけるそれまでのノイズ使用の傾向と対比した形で、補稿として掲載します。

 

曲の精読

 この曲の単調さを最も如実に示すのが、イントロのアコギのギターコードが、音が増えても、ドラムが入っても、ピアノが入っても、歌が始まっても全然変わらずに続いていくところだろう。それだけに、ようやく歌メロディが展開してコードが変わるところに、大して劇的なコード展開でも無いのに、妙に快さを覚えてしまう。

 この楽曲のコード進行は「A→→→→(やっと展開して)E→Bm→E→A」だけ。折角展開しても、すぐにまたAに戻ってしまう。重ねて言うなら、3つのコードの選び方についても、所謂3度や4度のコード(この曲ならC#mとD)を使っていないため、劇的な感じも全然しない。ひたすら平坦に聞こえるけども、しかし展開部ではそれなりに展開することで、かろうじてのメロディアスさを保っている。

 しかしながら、この非常に単調単純な楽曲を聴いてて、その割には退屈しない、むしろ何箇所かで微かながらグッと来るような展開があるように感じるのは、ひたすらにアレンジにおいてあらゆる手管が、力技と感じられない程の丁寧さで敷き詰められていることによる。この点、アルバム冒頭の『I Am Trying To Break Your Heart』と並んで非常にこのアルバム的だと思う。そしてこの数々の手管こそが、この単純すぎる曲を人々に名曲と思わせる重要な要素となっている。

 以下、この「あらゆる手管」がどう作用しているかを、この単調な楽曲を部分部分に切り分けながら見ていこう。

 

・イントロ

 こんな冒頭からAのコードで延々展開しないイントロが、実に50秒近くもある。それなのに退屈に感じず、また実験的なことをしてるようにも感じさせず、ナチュラルな起伏を成しているところに、このアルバム的な手際の良さが光る。

 まず前曲の暗い余韻を、この曲のシンプルなアコギのストロークがかき消す。次にアコギがもう一本増え、ドラムのタム回しの奥でキーボードが反復し、やがて今作的なノイズのうねりが挿入され、微妙なタイミングでドラムがノーマルな8ビートになって、そして軽いフィルの後、一気にクリアで平坦になった音像の中で、ピアノがシンプルなリフレインを聞かせる。こういうこのアルバム中のシンプルなピアノフレーズ*3に、音色も込みで「極度に抽象化されたアメリカ」的なものを個人的に感じたりする。

 この、ピアノが現れた後の平坦な音環境がこの曲のベースになる。

 

・ヴァース

 ひたすら同じ歌詞を繰り返し続ける第1ヴァースの存在が際立っている。その単調に、なんともなフレーズを、厚めのコーラスワークを利かせて繰り返すのが単純に歌としてシンプルに、不思議なユーモラスさがある。ここには何のエモーショナルさも無くサラッと歌われ、それが楽曲の平坦さを阻害せず、むしろ平坦さを並行させることで、楽曲の奥行きというか、どことなく空虚な雰囲気を作り出せている。

 僅かな展開部には、しっかりとシンセの煌めいた響きが添えられている。これがまた、このアルバム的な妙な時空のねじれのようなものをこの平坦な曲に持ち込んでいて、微かな不穏さの表れになっている。

 展開部は特に中盤以降、歌が入るのはこの繰り返しのみになってくるけれど、2回目の繰り返し時には歌のフレーズがさらりと増えてたり、伴奏の楽器がちょっと変わっり、シンセの掴み所ないフレーズが目立つようになったり、ノイズをより伴ったりといった変化が見て取れる。

 

・2分付近

 「OK」の囁きとともにブレイクする箇所。ここの効き目がこの曲の単調さをカバーしてる。ノイズはまるで逃げ場を求めるようにうねりを増し、平坦さに僅かばかりの緊張感(本当に僅かすぎてユーモラスにすら感じるけれど)がここで付与される。緩急で言えば、かなり「緩」の部分が多いこの曲の「急」の部分とはっきり言えるのはここくらいだろう。すぐにまた歌の展開部に繋がるところとか、楽曲の尺的にもスマートに感じる。

 

・終盤

 最後の歌の展開部が終わって、バックでノイズが抑制されたような鳴り方をする中、やはり「OK」の囁きとともに始まる終盤は、いよいよこの楽曲がカオスみを帯びてくるところであり、バンドの「オルタナティブ」なカントリーアレンジの極致と言える。

 イントロのピアノフレーズの復活でこの楽曲の平坦さは維持されつつも、しかしリズムパターンは裏打ちに変化し、アコギのカッティングも短くなり、遠くではシンセの音とパーカッションが一体化して響いている。ノイズはまるでギターソロのような存在感で登場し、湧き出しては抑えられてを繰り返す。

 やがてドラムが細かいフィルの繰り返しに変化していく頃、ノイズはいつの間にかこの曲の中心にあって、そして突如力尽きるバンド演奏を尻目に、ファニーなうねりを残して消える。その際、パーカッションの音も少し残っているけど、この音が明らかにメロディを持っていることに驚く。『I Am Trying〜』でもそうだけど、このアルバムで出てくるパーカッションはしばしば音階を持ち、オブリガードのひとつとして機能してる。

 

・『Yankee Hotel Foxtrot』におけるノイズの使い方

 この、ノイズが最後に残る終わり方、このアルバムで頻出するこの終わり方に、このアルバムがロック史における「長い90年代」の終わりに位置するんだな、ということを思う。ノイズのロック楽曲への積極的な使用というのは、80年代のNWバンドが本格的に取り入れはじめ*4、90年代半ばまでにはノイズのロックにおける使用は結構メジャーなものになっていた。分厚く粗く歪ませたギターのフィードバックノイズは、シューゲイザーバンドの事例の後は普通に、ブリットポップのバンドさえ結構取り入れるくらいにはメジャーな手法だったと思うし、かたやアメリカでは所謂USオルタナの作法のひとつとさえなったような気がする。

 90年代的なノイズの使用方法、それは率直に言えば「楽曲に“崩壊した感じ”を付与する」ということに尽きると思う。何らかの展開を経てグワーッと高まった楽曲のテンションの行き着く先として、音をMaxから一気にミュートするのではなく、ひたすらに垂れ流しまくる。アンプの機構に任せるままに鳴り続け、やがて機構に従って止んでしまう音の情緒に、彼ら(及び我々)は何らかの「崩壊の美学」を感じ取っていたはず。Wilcoだって、90年代的なベタなノイズの使用方法を駆使した『Misunderstood』のような、崩れゆく様の豪快さで持っていく楽曲も作っていた*5

 そういったものと対比して思うのは、このアルバムにおけるノイズは、楽曲の盛り上がるタイミングとかとは全然関係なしに、あらゆるところで登場することだと思う。楽曲が平坦なうちから当たり前にノイズがどんどん挿入されていく様については色んな見取りが出来る。一方では、ノイズも他の楽器と同じように、楽曲のオブリガードに、メロディの一種になってしまっていること、という器楽的な理解。

 他方では、90年代ロックにおいて崩壊の象徴として鳴らされていたノイズが常に鳴らされているという、つまり、最早ノイズはどんなタイミングでも鳴る、つまり、どんなときも常に、最早あらゆる状況が崩壊してしまっている、という認識がこのアルバムにはあるのではないか、という非常に穿った、文芸誌的な理解も可能だろう。そして、この辺は本当に推測だけど、そんなこのアルバムの雰囲気こそが、911以降のアメリカの、色々と救いようの無い部分のある現状に過剰にマッチしてしまったのではないか。

 ただ、個人的にはこのアルバムのノイズは「可愛いもの・キュートなもの」と捉えてるところもあって、一概にノイズに悲惨さだけを見てはいない。それこそ彼らの次のアルバムは『Ghost is Born』というタイトル*6だけれども、このアルバムのノイズなんか、まさにどこか人懐っこいゴーストのようじゃなかろうか*7。単純に、こういうオブリちっくなノイズを出すためにどういうシンセを使ったのかとか知りたくなる…参考になるサイトとかご存知の方は教えてください。

 「ゴースト」という概念にどういうものを感じるか、「亡霊・亡者」的な恐怖な意味か、「おばけ」とかハロウィーンとかみたいなファニーさ・子どもっぽさ・愛らしさか、というのはまた、非常に興味深いトピックではありますけれども、また別の機会に取っておこうと思います。少なくとも、この人懐っこいゴーストめいたノイズがこのアルバムの大きな特徴のひとつであり、そして意外と他の作品でそんなに見かけるものでもないことは、特筆しておきたかったところ。

 

歌詞

genius.com

果てしなく戦争だ。

果てしなく戦争だ。

果てしなく戦争だ。

果てしなく戦争だ。

果てしなく戦争だ。

果てしなく戦争だ。

果てしなく戦争だ。

もうずっと戦争…。

きみは負けるだろう。負けないといけない。

どうやって死ぬかを学ばないといけない。

 

道筋というものを俯瞰で見てみよう。

道筋というものを俯瞰で見てみよう。

お前はぼくの伝記担当じゃない。

でも、お前はぼくにとってのデーモンにはなり得るんだよ。

炎上する扉をくぐらせて、ぼくを連れ出すんだろう。

お前は負けないといけない。

どうやって死ぬかを学ばないといけない。

もしお前が、これからも存在し続けたいと願うのならばね。

オーケー?

 

お前は負けないといけない。

お前は負けないといけない。

どうやって死ぬかを学ばないといけない。

もしお前が、これからも存在し続けたいと願うのならばね。

 

お前は死なないといけない。

お前は死なないといけない。

どうやって死ぬかを学ばないといけない。

もしお前が、これからも存在し続けたいと願うのならばね。

オーケー?

 

 この曲の歌詞は結局のところ「you」という単語をどう捉えるかだと思う。上記の訳はなんというか、というか原文を、911以降に起こったことを踏まえてしまった上で読んでしまうと、どうしたって「you」は「国家」とか「アメリカ合衆国」とかにしかならない。そう読むと「You are not my typewriter. But you could be my demon」の意味がしっくりきてしまう。

 このアルバム自体、911が起こるより前に全てレコーディング等完了していた経緯があるので、この歌詞の状況が911等を踏まえているものでは決してないことは間違いないけども、ではどうして急に、こんな国家を相手取った歌詞を書いたのか。もしかしたら国家はあくまで、「I and you」の関係性のただならなさを言いたいがための当て馬なのかもしれない。嫌な関係性を表現する出汁にされるアメリカ合衆国のことを思うと、かの国が少しだけ、より好きになるかも。

 南北戦争のことを歌にしたのはTha Bandだったけども*8、この曲はどこか、アメリカの戦争史を俯瞰したような目線にも思える。

 

曲単位総評

 「シンプルな楽曲にどこまで詰め込めるか」という意味でなら、この曲はそのバランスにおいて世界でも最高峰のもののひとつなのかなと思います。この曲のアレンジの仕方にこそ、バンドサウンドをどうオルタナティブに解体するかということに関する、多くのヒントが眠っているんだと。

www.youtube.com  それにしても、このアルバムリリース直後のWilcoのメンバー編成はいつ見ても奇妙だ。リードギター兼ソングライターであり、このアルバムのアレンジに深く関わったであろう*9Jay bennettがアルバムレコーディング中の諍いが元で脱退し、残されたメンバー編成はリードギター不在・キーボード関係者2名という、バンドとしてはあまり普通ではない状態。だけども、このアルバムの楽曲を再現するに当たっては、意外とこの編成で再現が出来ている。これを思うに、このアルバムというのは「リードギター」という存在をあまり必要としなかったアルバムでもあったんだなあと思ったり*10。だからこそ、「リードギターを有するロックバンド」ではない発想に満ちたこのアルバムから、非リードギター的なアイディアが幾つも出てくるんだろうか。

*1:時々あまりに普通にアメリカンロックな『I'm The Man Who Loves You』の存在が惜しく感じられさえする…この辺の悩み具合はその曲の時に言います

*2:浮くにしても「単調すぎて浮く」って感じがするところが、この曲がこのアルバムで浮いていないことの、バランスの取り方の絶妙さが垣間見えるところ。

*3:日本でいうとGRAPEVINEがまさに『真昼の子供たち』でこの曲のピアノの感じを引用してる。というか『真昼の子供たち』自体がWilco要素に満ちた楽曲で最高。ギターソロのNels Cline具合とか、そう思って聴くと非常に効果的なプレイで爽快。

*4:そりゃ辿ればThe Beatles『I Feel Fine』のイントロとかジミヘンとか色々あるとは思いますが、それらとこのアルバムが直接結びつくかというとノーだと思います

*5:まあむしろこの曲のような事例が後々の「ベタ」の起源かもしれないので、その辺の前後はよくわかりませんけども

*6:このフレーズが歌詞に出てくる『Theologians』のギターソロとか、まさにこのフレーズどおり!って感じのイメージがしてとても好き。こんな短い中に寂寥感を滲ませたギターソロも珍しいのでは。

*7:それと比べると、彼らの次作『Ghost is Born』で聞くノイズは、むしろ「人懐っこいゴースト」感のしないものが多い気がする。もっと背景然としているというか。特に『Less Than You Think』なんかはJim O'Rourkeの世界だなあって感じ。

*8:『The Night They Drove Old Dixie Down』とか

*9:それは件のドキュメンタリー映画からも窺われる

*10:このアルバム全体を思い返してみても、Wilcoの他のアルバムと比べても明らかに、明確なリードギターの存在が希薄。そこがまた、このアルバムを普通のロックでないものにしているのかもしれない