ブンゲイブ・ケイオンガクブ

本を読まない文芸部員と楽器を練習しない軽音楽部員のような感じのブログ。適当な創作・レビュー等々。

セルフタイトルのアルバム10枚

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 世間の一部で割と定説のように言われる「セルフタイトルのアルバムは名盤」というの、時々それ本当かなーと思ってしまうんですけども、でもまあ、自身のアーティスト名をそのまま作品にしてしまうってのは、作った作品集に対して何か気の利いた他のタイトルを付けるよりも、自身の名前をそのまま付けたくなってしまっている訳で、それってその人たちにとってどんな気持ちで付けるんでしょうね。想像もつかないな。

 という訳で、セルフタイトルのアルバムを10枚、「もしかしたらこういう気持ちからセルフタイトルにしてみたりしたのかもなあ」なんてことを書いたりしながら並べていきます。

 ただ、なんとなくですが「1stアルバムでセルフタイトル」というアルバムが世間にはかなり多くて、実際「セルフタイトルの1stアルバムが最高傑作」みたいなこともあるんですけれども、でもそれよりも「アーティストが活動を続けて満を持して出すセルフタイトル」というのに格好よさを感じたので、1stアルバム系のセルフタイトルは外しています。The Stone Rosesとか外したくなかったけど外した。。あと、番号をつけてセルフタイトルを連発していく系の作品も外してます。ツェペリンとかZAZEN BOYSとかそういうの。

 あと、年代は現在に近いものから逆順に下っていきます。

 

1. 『SlowdiveSlowdive(2017年)

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 再結成or活動休止から復帰するバンドが新作にセルフタイトルを付けるパターンというのがあると思うんですけども*1、オリジナルシューゲイザー勢の一角である彼らのこのアルバムはそれら「再結成セルフタイトル」の中でも最高の部類で、ノスタルジック系な安定感よりも、現役感溢れるドリーミーさを、なおかつ“現役時”にはこんなになかったでしょってくらいのアグレッシブなバンドサウンドで放出しまくってて、おそらく他ならぬ昔からのファンこそ一番びっくりしたのではとか思ったり。

 RIDEもそうだけど、現代インディロックにおける再評価のされ方を確実に踏まえた上で的確に、かついい感じのフィジカルさで作品を作ってくれることがこんなに頼もしいなんて、って思いました。シューゲイザーというジャンルがオリジネイターが現役で頑張ってるのが頼もしい、みたいになるなんて考えたこともなかったです。

 

2. 『Dirty ProjectorsDirty Projectors(2017年)

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 セルフタイトルのアルバムって割と「集大成」みたいなイメージを思い起こしがちになりますが、しかし色々見ていくと「過去を吹っ切る系」のセルフタイトルというパターンも結構存在していて、代表的なのだとメタリカとか。こういうパターンの場合従来のファン的にはどうなんでしょうか、「俺たちの好きだった時から変わり果ててるのに、なんで今ここでセルフタイトルなんだよ…」とか悲しくなったりするのかも。

 それで、Dirty Projectors、というかそのフロントマン、デイヴ・ロングストレスの実質ソロな今作など、典型的な「過去を吹っ切る系セルフタイトル」な作品です。しかしこれの場合、破局&メンバー総脱退という不可逆的な変化の後のこれなので、本人的には自棄を乗り越えた先の不退転な覚悟があったのかなと。音的にもバンドサウンドからずっと離れたトラックを連発してて、ああ、格好いいけどこういう方向にとんがっていくことにこの人は決めたのか…と思ってたら次の年に意外とバンドサウンド寄りに回帰してくれたので良かった(笑)でもこの作品は、そんな切実な状況がしっかりと音にもムードにも反映された、覚悟にまみれた渾身のセルフタイトルだと思います。

 

3. 『The LibertinesThe Libertines(2004年)

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 アルバム2枚のみで解散したバンドの2枚目を「集大成」とは言わないだろうけど、でもドラマチックでファンキーなバンド崩壊の美を放っていたこのバンドについては、その結末としてなんとかリリースされたこの2枚目はなんだかんだで「集大成」なのかも。突発的に行き詰まり果てたバンドの歴史としての。

 注目したいのが今作の音のボロボロでスッカスカでズタズタな具合。1stアルバムとプロデューサーは一緒なのに、何故こっちの方がサウンドが荒いのか(笑)バンドの崩壊のことを汲んでサウンドプロデュースしたのであれば凄いけど、結果的にこのアルバムには「崩壊するバンドならではのがちゃがちゃしたパワー」が生々しく封じ込められてて、この今にもネジが外れそうなグルーヴがなんとか成立して、やたら短くて雑な曲や、たまにやたらとロマンチックでポップな曲を演奏されると、聴いてると独特のエモさというか、美しさというか、そういうものを感じてしまうのを否定しきれないところがあります。楽曲の水準含めて商品としてのクオリティーは絶対1stの方が高いと思うのに、この笑えるくらいひどいセルフタイトルのアルバムは、そのひどさも含めて完成されてるなって当時から今に至るまで思います。

 

4. 『PIZZICATO FIVEPizzicato Five(1999年)

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 ラストアルバムでセルフタイトルというパターンが時折あります。The Byrdsとか、日本だとsyrup16gとか。歴史を締めくくるという重みにおいてセルフタイトルはなんともドラマチックですが、反面活動終了の間際というのは、少なくない場合がグループとしての活力が落ちている場面であって(だから活動終了するという場合が多いだろうし)、その状態で作るセルフタイトルが傑作になるかどうかは分からないところ。

 その点でピチカート・ファイヴのこれは、明確に「最後のアルバム」と謳われてリリースされたわけじゃないけど、でも『また恋におちてしまった』という題の曲で始まり『グッバイ・ベイビイ&エイメン』という題の曲で終わるこのアルバムに漂う雰囲気はなんとも「行き詰まりと、それをブレイクスルーするための終わり」のムードに満ちています。ヨーロピアンな装飾を上品に纏わせながらも、前作『プレイボーイ・プレイガール』で放出しまくってからさらに「いい歌もの」を野宮真貴ボーカルから引き出そうとする今作の小西康陽の姿は、倦怠と消滅とを振り払わんともがき倒すような、なんともしんどい執念を曲の隙間などから放っています。でもここに収められたいくつかの歌は彼のキャリアでもとりわけ悲しくて美しい。

 

5. 『サニーデイ・サービスサニーデイ・サービス(1997年)

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 「バンドが充実していってその頂点でリリースするセルフタイトル」の一番の理想形って、もしかしてこのアルバムなんじゃないでしょうか。サニーデイ・サービスの4枚目のアルバムは3枚目のアルバムと同じ年にリリースされて、本人達的には非常にあっさりと作品が完成してしまって(わずか10日間で録音終了とか)、リリース間隔を考えてタイミングを図ってリリースされたという逸話すらある今作は、バンドとしてのサニーデイ・サービスの最良の瞬間を納めた作品だと自他共に認める作品です。

 ともかくバンドサウンドがバタバタしていて、音はくすみ倒しているけれどもでも別に暗くはなくて、むしろポジティブに乾いてるっていうか、カラッと牧歌的な感じが続いていくのが今作の特徴。それはアコースティックそうな楽曲の隙間でひっそりと炸裂するダイナソーJr的な轟音ギターがあったり、何よりも最早故人となってしまった丸山晴茂氏の、その開放的な感じを全身で体現するようなドッタンバッタンなドラミングがそのムードを最高に表していて、下手するとスタジオでも微妙な演奏終わりのズレさえ格好いいサウンドになったりと、どこまでも自由で、自然体で、そしてそれがバンドの味になりまくる、そんな幸福な時期だったんだと思います。そういうラフでうっすらと幸福な空気を求めてこの作品をたまに聴いたりするのかも。

 

6. 『BlurBlur(1997年)

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 これはもう典型的な「過去を吹っ切る系のセルフタイトル」。ブリッドポップというひとつのムーブメントを意図的に終わらせようとして、とかを本人達がどこまで真面目に考えてたかは知らないけども、ともかくにブリッドポップという華やかなジャンルをまるっきり無視して「俺らはUSオルタナが好きやしそういうのしたいんじゃ勝手にさせろや」とし始めたアルバム。その姿勢は今作に収録されたシングル曲に特に顕著に現れ、そしてアルバムの他の多くの曲はざっくりとUSインディ影響なシングル曲に比べるとより英国的な暗さ、というかデーモン・アルバーン特有の「煮え切らないムードを延々と生々しく垂れ流す」系の曲。この辺からデーモンこういう曲を作りがちにどんどんなっていくと思うし、そういうのによって今作は「清々しい名盤」から外れてしまってる感じもありますけども。グレアム・コクソン好きな人はむしろここからが始まりかもですけど。

 

7. 『靖幸』岡村靖幸(1989年)

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 シンガーソングライター等の個人名アーティストの場合のセルフタイトルはバンドのそれとは意味合いが違うと思うんですけども、でもこの作品はそういうのとも違うよなあ。そもそもこれセルフタイトルと言えるのか?まあ自分の名前をタイトルにしてるんだからセルフタイトルだろう多分。。。

 岡村靖幸マイケル・ジャクソンやプリンスやもしくは同時代のブラコンとかと、当時の日本のバブルな世相とが交差した地点に生まれた才能で、ブラックミュージックの妙技を絶妙にバブル以降の日本的なムードに転化させることができました。ただ、そのバブルなムードへの転化は決して弘兼憲史とかに象徴されそうな世相の雰囲気だけを反映してるとかではなく、あくまで人間・岡村靖幸という人間の奇妙さやら気持ち悪さやらのフィルターを通じて放たれるので、その部分の個人的なユニークさや視点の独特さが、今日に至っても彼のバブリーな時代の曲が聴かれる原因のひとつでしょう。他には単に彼が天才すぎてトラックが今聴いても色褪せない(むしろバブリーな音が彼のユーモアで異化されてユニークに聞こえる)とか。今作くらいからより今の耳からの音的なキツさは薄まり、反比例して岡村靖幸的なキモさはいい感じにキツくなっていく気がします。

 

8. 『The Band』The Band(1969年)

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 グループが2枚目のアルバムでセルフタイトルを付ける心境ってどんなだろうと考えて、1stで鮮烈デビューをしてその次の作品で更なる可能性を伸び伸びと活かせた場合とかなのかなあと、2枚目で上手くいかないみたいなパターンが正直世の中には多い中、そんな幸福な洗練を達成した人達だけが達する境地が2ndアルバムでセルフタイトルなのかなと。

 その点でこのアルバム。元々から最高に検索しづらいバンド名のセルフタイトルということで、歴史的名盤とされるアルバム群の中でもとりわけ検索という概念から背を背けた名前に違いない。そんなある種どうでもいいものに背を向けて、その身体は深くアメリカの大地とそこに根付く「うた」に深く倒れかかっている。都会的な8ビートから大きく遠ざかったその人懐っこくも野暮ったいビートはまさに「大地のロック」みたいなジャンルの最初期の完成系で、その上に乗る野暮ったくも歌詞の内容読むと虚しさが満ち満ちてる歌の力や、実に緻密に「野暮ったさ」を表現する楽器陣など、その各種要素それら全てが「アメリカンロックの原子」のようにさえ感じられて、割とそういう意味で滋養のありすぎる、むしろ滋養だけで作られたようなアルバムであるような気がします。

 

9. 『The Velvet UndergroundThe Velvet Underground(1969年)

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 「ベルベッツのサード」というイメージが先行するせいで、このアルバムがそういえばセルフタイトルだったことを中々思い出せずにいました。ベルベッツのメインのアルバム4枚は4者4様にのちのインディーロックの様々な要素に転化された音やら方法論やらがひしめいていますが、今作はフォーキーな歌もの、特に素朴さと奥深さを併せ持ったフォークソング、という意味で非常に影響力あるように思えます。それにしてもルー・リードもどうしてこのアルバムではこんなひたすら甘いメロディーの楽曲を量産してたのやら。音数少ない中に浮かぶ彼の怪しくしわがれたボーカルと、あと今作から参加のダグ・ユールの「人の良さそうなインテリ」感ある嫌味ないボーカルとがいい具合にバランスが取れてて、特に終盤に1曲だけ不気味な曲があった後に、朴訥さの極みのようなモーリン・タッカーのボーカルが聴こえてくるのは、その卑怯さは時代を経れば経るほど増幅されていくような気がします。こんな素朴でかつ他に何もいらない、心地よくも少しさみしい空気を持った曲は中々ない。

 

10. 『The BeatlesThe Beatles(1968年)

 

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 今回のこのアルバム羅列の順番の年代順を新しいものから古いものへ進めたのは、最後にこのアルバムを出したかったからに他なりません。後年ポール本人がアンチのディスに対して「ビートルズホワイトアルバムだぞ、黙れってんだよ」と発言してますが、いつも調子のいいポールの調子のいい発言にも思えるけどでもそうだよな、としか言えなくなる圧倒的なアルバム。

 上のベルベッツもそうですけど、ともかくこのアルバムは後にインディーロック等に回収される要素が山ほどあって、むしろオルタナティブロックの元祖では?と油断してしまうと思ってしまうほどのものがあります。2018年にリリースされたデラックスセットの新mixでベースとドラムが中央に来たステレオミックスを聴くと、これを今現代でリリースしたらいい感じのオルタナティブロックのレコード(やたらボリュームは多いけど)として大変にもてはやされるのかなあと。詳しくはいつかきちんと書きたいので詳細は控えますが、自身の人生ごとソングライティングの形式を崩壊させギターの音を尖がらせたジョン・レノン曲のヒリヒリしてゾクゾクする感じと、自己完結を極めすぎてポップソングからフォーキーな曲果てはジャズ調までなんでもかんでもキャリアハイなほどポップな曲を連発するポール、そして100テイク越えの末にボツにされた『Not Guilty』がありつつも4者4様にアクセントとなる楽曲を提示したジョージの密かな充実っぷりとが光って、バンドサウンドの緊張感はリンゴのドラムではない曲でさえも強く感じられたりしてでもリンゴのドラムがまたソリッドな重みがあって…などなど、語りたいトピックスが多すぎますので強制終了。

 

 

 以上、10枚でした。

 セルフタイトルのアルバムも色々ですね。決して「長年の集大成」みたいなアルバムばかりではないことが分かるように選んだので、やはり集大成としてのセルフタイトル、という取り上げ方は個人的に疑問がつく感じはします。でも何にせよ、セルフタイトルにするにはそれにするに至った理由が皆それなりにあって、それを決めるときどんな気持ちだったのかなあ、などと考えながら作品を聴くのもたまには楽しいかもしれません。

 

*1:日本だとサザンオールスターズとかGREAT3とか