ブンゲイブ・ケイオンガクブ

本を読まない文芸部員と楽器を練習しない軽音楽部員のような感じのブログ。適当な創作・レビュー等々。

『Halcyon Digest』Deerhunter(2010年リリース)

 2022年11月からこのブログで書いてきた4ADレーベルに関する色々についての、これがひとまずの最後の記事になります。もうこのブログでも何回名前を出したことがあるか分からないこのアルバムについて、今回はしっかりそこそこにケリをつけておこうと思います。なるべく盛大に様々な切り口で見ていこうと思います。

 

songwhip.com

 

 この記事の前段となる、Deerhunterの歴史を書く作品を通じて見ていく(ついでに関連ソロ作品も)記事は以下になります。

 

ystmokzk.hatenablog.jp

 

 こうやってDeerhunterに関する記事を書いていく端緒となった、彼らが所属する4ADレーベルに関する記事は以下になります。ちなみにDeerhunter、『Microcastle』から4AD所属になりますが、この時点ではアメリカ国内はまだKrankyの方に所属しており、本作『Halcyon Digest』から全面的に4AD所属となったようです。

 

ystmokzk.hatenablog.jp

ystmokzk.hatenablog.jp

 

 

いくつかの“前書き”

 いつも思うけど、このブログの最近の前書きは長すぎます。前書きというか、普通に作品内容の考察が入るからだろうけれども、それらを相対としてどう表現すればいいか分からないので、ひとまずは“前書き”と呼び続けています。

 

 

Deerhunterというバンドについて

 これは前回の記事の前書き部分にありますんでそっち読んでください。特に各作品レビューについてはDeerhunterのみならず関連するAtlas SoundやLotus Plazaのリリースまで時系列で並べていますので、どういう状況で本作が出たか、その位置付けなんかも多少気付くところが出てくると思います。

 本作時点でのバンドの状況を端的に言えば、2nd『Cryptograms』以降のものすごい勢いとクオリティで楽曲を量産しまくって、インターネット上に無料音源配布とかも盛んに行って、時折ミスってアップしてはいけない音源をアップしてはBradford Coxが逆ギレする、みたいなのを繰り返していた時期(およそ2007年〜2010年)の、その最後の方に本作がリリースされた、という具合です。

 

 

このアルバムを一言で言うと

 無茶を言うな…と思いつつもそれでもなんとか、本文内容をある程度書いた段階で思った限りで言えば、「拡張されたギターロックによって出力された幻想音楽に導かれた、睡眠薬・催眠術的リアリズムを通した妄想混じりの記憶世界の彷徨」ということになるのかな、と考えました。一言にしては長い?それもそうかも。

 ここから、本作をもう少し詳しく考察していきますが、音響面・楽曲面での面白さと、そういった音や歌詞やアルバムタイトルやジャケットなどから立ち昇ってくるイメージの面での興味深さとがあるかと思われますので、その両面で内容を少し見たり予備知識的なことで横道に逸れたりした後に、本編となる本作全曲レビューに入っていきたいと思います。

 

 

睡眠と記憶:アルバムタイトルや音が示唆するものは

 記憶というものを辿ることについては、かつて日本のバンド・Number Girlの歌のなかで向井秀徳はこのように喝破しています。

 

記憶探しの旅ばかり

しかしいつしかそれは妄想に変わっていく

 

      TATOOあり / Number Girl

      (『SUPPKEI』(2000年)収録)より一部抜粋

 

このそんなに長くもないフレーズはしかし、身も蓋もなさすぎるくらいにそのとおりであって、非常に端的にそのとおりであって、個人的にも色々と身につまされる思いがします。

 Deerhunterもまた、妄想と記憶が混濁していく具合の中に独自のサイケデリックで退廃的な美的感覚を浴びせてくるバンドですが、本作のタイトルは『Halcyon Digest』です。“Halcyon”という語は辞書だと「カワセミ、穏やかな期間」などの、ギリシャ神話由来の意味があるそうですが、果たしてDeethunterが「カワセミ・ダイジェスト」みたいな動物万歳なタイトルを付けるでしょうか。

 ここでいう“Halcyon”というのは十中八九、トリアゾラムという名称のベンゾジアゼピン睡眠導入剤の商品名「ハルシオンから来ています。化学にも薬学にも明るくないのでアレですが、しかしながら多少なりとも“メンヘラ的文化”に触れたことがある人なら、この単語を他のいくつかの薬品名と共に聞いたことがあると思います。

 ハルシオンはれっきとした睡眠薬ですが、しかし、様々な副作用や危険性が指摘されたり、そして何より、この薬物の乱用による問題が世界各地で起こってきたことが知られています。つまり、正式に販売されている薬剤ではあるものの、ドラッグ的な使用のされ方をしてきたということです。Wikipedia日本版の記事によると、この薬を娯楽用途・多幸感等を目的としての乱用の症例は、全薬品中第2位とのことです。

 ただ、ヘロインやコカイン、覚醒剤などの本当に法的にアウトな薬が、往々にして多幸感やアッパーな精神的効果を持つのに対して、あくまでも睡眠導入剤であるところのハルシオンはそのような効果はありません。

 

麻薬や他の一部の向精神薬のような多幸感はなく、サイケデリックな夢を見るわけでもない。生じるのは酒に酔ったような酩酊感である。それに加え、健忘により思わぬ事故を引き起こす可能性があるため、睡眠障害の治療以外には使用しない。

 

       Wikipediaトリアゾラム」より一部抜粋

 

※弊ブログやこの記事は決して薬物乱用だとか、違法薬物の推奨だとかを意図しませんし、そのような行為は違法となり、然るべき法律により処罰されるし、何よりもそれを摂取する人の人生を確実に何かしらの形で破壊するであろうことから、全くもってそのような行為に反対するものであります!!!

 

 閑話休題

 おそらくDeerhunterは“Halcyon”という語をそこまでドラッギーなものとして使う意図はなかったんじゃないか*1、と考えたりします。全くないとは言わないまでも、この語で彼らが言いたかったのは「睡眠導入」という要素の方なんじゃないかと思います。

 Deerhunterの楽曲、特に『Halcyon Digest』までの楽曲には、かなりの頻度で「眠る」という行為が出てきます。これは以下のブログでも指摘がされていたことでした。

 

masakuroy.com

 

ラジオがフリーズしたとこで目覚めたんだ

何人かの女の子で占拠されていた

ずっと前から知ってたんだ いつ?どこ?

 

    Spring Hall Convert / Deerhunterより一部抜粋

 

慰めて ぼくを包み込む 慰めて 慰めて

包み込んで 包み込んで 慰めて 慰めて

 

もうもはや自由を喪うのを夢見る

コンクリート製の四方を囲む壁だけ見ていたい

6×6で囲って ぼくのことビデオで見てね ああ

1日2食をぼくに食べさせて もう消えちまいたい

 

      Agoraphobia / Deerhunterより一部抜粋

 

夢を見た 怖い夢だったから目が覚めた

何気なく逃げようとしたけど そんな逃走劇は

終ぞ起こりませんでした

終ぞ起こりませんでした

終ぞ起こりませんでした

終ぞ起こりませんでした

 

      Never Stops / Deerhunterより一部抜粋

 

正直やや恣意的に並べたけれど、確かに寝ていたり、そこから起きたり、またはWishな意味での夢を見たりする歌詞が散見されます。

 「夢を見る」という表現に、実際の現象としての“夢”と、願うという意味の“夢”の両方が含まれているのは面白いことで、なので『Microcastle』では『Agoraphobia』で閉じ込められることを“夢見た”直後に『Never Stops』で怖い“夢”に起こされたりしています。もしかしてこの辺半ばギャグで曲を並べてるのか…?

 それで、夢を見ている時というのは不思議なもので、下手をすればもう名前も思い出せないような昔の知り合いとか、または全然会ったことは無いけどテレビや本屋ネットとかで見たことある人とか、下手すれば漫画やアニメとかの登場人物でさえ、なぜか自由に夢に現れては、なんの違和感も無く一緒に暮らしてたり、同じ会場にいたり、話したり、何かをしてたり、といったことが起こります*2。それは、記憶と妄想とが夢の中で曖昧になってしまっている状態なのかなあと思います。

 Bradford Coxはアルバムタイトルについてfacebookでこのような言及をしています。

 

タイトルは、甘い記憶やでっちあげられた記憶のコレクションについての言及なんだ。たとえばぼくがRicky Wilson*3と友情があるとか、ぼくが打ち捨てられたヴィクトリア朝時代のオートハープ工場に住んでいる事実とかね。ぼくらが記憶として持っておきたいようなもののダイジェストバージョンになるよう記憶を書いたり書き直したり編集したりする方法について、そしてそれがどれほど悲しいことかっていうことさ。

 

            Bradford Cox facebookにて

 

 彼もやはり向井秀徳と同じく、積極的に記憶が妄想にする変わることのおかしさやそれを求めること等の悲しさについて、というテーマを持っていた、ということがここから分かります。そしてそこにハルシオンという“睡眠導入剤”を持ち込むことによって、曖昧で自由でしかし現実ではない“夢の世界”においてそういう「本当に存在する記憶」同士や「妄想の記憶」が様々に出会う様を、そうやって形作られる光景の奇妙さと、時折そこに宿る妙な美しさや悲しさとを、歌と音楽とで纏め上げた、というのが本作の意味的なテーマになるのかなと思います。もっと短く言うと「夢を通じての記憶と妄想の混合と混同の彷徨」

 ただ、Bradford Coxにおける"妄想”が決して普通な“幸せ”を意味しないこともまた事実で、『Agoraphobia』で語られた「司法の壁に閉じ込められる夢」みたいに、とても理不尽な目に遭ったりするようなことを彼が“夢見る”ことがしばしば、むしろ大体そういう碌でも無い願いばっかりなことには留意しておくべきでしょう。これはひねくれから起こるものなのか、それとも彼の中の“幸せ”に関する考え方が、その出自等から壊れてしまっているが故に発生するある種の不幸・悲劇なのか。

 

 あと、別にこのテーマに完全に沿って歌詞が書かれている、ということを言いたい訳でもなくて、こういったテーマがあるという前提を持った上で歌詞を読むと生じてくる面白みもあるよね、という程度のものです。実際、別にテーマに沿ってなさそうな、歳を取りたい・取りたくない、だの、謎の超越者目線から誰かに語りかけてくるものだの、というかお前、イエス様になってるやん…な歌だの、色々です。

 そういう色々ごった返してる内容をひっくるめて「取り止めもない夢です」って言えてしまうこのアルバムタイトルは、中々に卑怯で上手。それを全力で表現するための、全体的にぼんやりしつつも、幻想的にはなりすぎない程度に、適切に乾き荒廃したようなサウンドなのかなとも思います。

 そしてこういう、ネガティブな方向に偏った支離滅裂な夢を追いかける姿勢は、同時代のバンドの幾らかが晴れやかに祝祭的な方面で、トライバルな感じで音楽を作成したことと全然共通性を持ちません。別に積極的にそういう流れにアンチしていた訳でも無く、自身の中に渦巻く虚無の中の楽しい記憶とか読んだ本や見た映画のこととかを繋ぎ合わせた結果、本作みたいな作品が結果として出力された、くらいのものでしょう。

 

 

技術的考察:どう曲を書き、どう音を鳴らすとこうなるか

 このテーマもはっきり言って無茶で、世界中の無数のインディーロックバンドが彼らを、特に『Microcastle』と本作の雰囲気や音に憧れているだろうに、本作のような作品が別に世に溢れている訳でもなければ、同じような作品、と言われても簡単には思いつかないところを考えるに、本作の全てを解き明かし、本作的雰囲気を再現した人というのは存在していない*4、と考えられるため、エンジニア的知識も器楽的な修練も全然積んでいる訳ではない筆者にそんなことは出来ない道理です。

 しかしながら、素人考えで考えつくことまでは少し書いておきましょう。もしかしたら何かがどうかなって、Deerhunterワナビーの方々の役に立つことが僅かでもあるかもしれないし、それに自分としても本作の技術的手腕を少しでも追求してみたい気持ちがあります。

 

ソングライティング

 音を真似できてもなかなかDeerhunterっぽくならないとしたら、それはメロディ回しやそもそもの曲構成において、Bradford Coxという人間の独自性、言うなればクセがとても強いことによるのかなと思います。

 本作の楽曲の傾向を本当に強引に3つくらいに分けると、ひとつは『Helicopter』に代表されるような、静謐さの中をメジャーセブンス等のシリアスなコード感で耽美に表現するスタイルがあって、ひとつには『Memory Boy』等の割と順当にギターポップ的なメジャーコードのキラキラした感じを聴かせるものがあって、そしてもうひとつが、オールディーズ的な甘ったるいコード進行をスロウコア的にボロボロにギターで弾いてそこにあまりにBradford Cox節の効いたボロボロのメロディと歌を乗せるスタイルでしょうか。『Don't Cry』とか『Basement Scene』とか。

 そして本作に流れる絶望的なまでの気だるさを、これを退屈と感じずに何か背筋が凍るような思いを感じられるようになるかどうかは、この3つのうちの3つ目のタイプの楽曲をどう聴けるか、なのかなあと考えたりします。このタイプの楽曲はそこまで極端なエフェクト展開はあまり見られませんが、そもそもの演奏自体に極端なエフェクトが掛けられて響きがえらく間延びしたりと、その異様さが静かに、しかし悍ましく響いてきます。

 この爛れた感覚をどう出すかが、本作みたいな曲を書きたい人が挑戦すべき事項でしょうか。そしてそれは、サウンドだけでは片手落ちで、退屈を退屈と思わずに前のめりで単純なメロディの繰り返しに意味を見出すような、そんな確固たるぼんやりした意思が必要になります。そしてそこが、もしかしたらサウンドの再現よりもずっと難しいことなのかもしれません。

 あと、本作に限らずの彼の作曲技法でしばし見られることですけど、別にちゃんとスッキリしたメロディの解決だって書けるくせに、わざと中途半端なコードの反復で曲展開を作って、妙に抜けない焦ったいメロディ反復をして、なのに不思議にポップさを感じれる、という展開とメロディを書くことがあります。こういう曲の書き方を同じようにする偉大な先人の例としては、なかなかに偉大すぎるけど、Kurt Cobainという例があります。

 

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 あと、Bradford Coxのことばっかり書いたけど、Lockett Pundtも2曲アルバムに提供しています。2曲ともポップさとバンドのサイケな持ち味を活かしたいい曲で、特に『Desire Lines』の方はBradford Coxが「バンドの中でも1番のお気に入り」などと行ったことがある名曲です。

 

演奏法・エフェクト・エンジニアリング

 難しそうな小見出しですが別に大したことは書けないので、まず入り口として、4AD記事後編で引用したものをまた引用させていただきます。

 

mikiki.tokyo.jp

(2010年前後のブルックリン勢などインテリジェンスが光るバンド群について言及した後に)

そんな、どっちかっていえば構築的でポップ、もっと雑に言えばちょっと頭良さそうな人たちがやってるんだろうなってバンドたち、ブルックリン勢の活躍の傍、時同じくして出てきたけどこいつらはなんか、そもそもが違うなっていう感じだったのがディアハンターだった。2008年『Microcastle』でその存在感を大いに感じた俺たちに2010年決定打になる『Halcyon Digest』がもたらされた。下北沢でノルマ払いながらライヴをやらされていた誰もが〈これだ!〉と思った。そして新しいディレイ・ペダルとディストーション・ペダルとピッチシフターを買いに御茶ノ水へ走った

 

      夏目知幸(シャムキャッツ※2020年解散

      のコメントより一部引用 強調等は筆者による

 

 本作の楽器的な魅力というのはまさに上記引用の下線部の箇所で示されていると思います。至言だと思います。本作で繰り広げられる摩訶不思議なサウンド、それをシューゲイザーとはっきりと呼ぶのも憚られるし、スロウコア的に感じれる部分もあるけどそれとも違う、如何とも表現し難い不思議なサウンドは、しかしライブ映像等も見る限り、確かにギターから出力されているし、ギターから出力が可能なサウンドな訳です。

 ギターという楽器は本当に様々な演奏方法を模索されてきた楽器で、時にはハードロックやメタルのような複雑なリフやソロの演奏方法に拡張されたり、パンク・ハードコアのようなシンプルさを突き詰めた直接的な破壊力の方に拡張されたり、そしてサイケデリックロックに端を発する、幻想的に音像が広く拡散していくような方向に拡張されたりしてきた訳です。

 特に「幻想的に音像が広く拡散していくような方向」というのは非常に興味深く、たった1本のギターから、それだけで演奏していると想像もつかないくらいのサウンドレイヤー、音の壁的なものを発生させることが出来るのです。これについての重要なパイオニアの一人はやはりMy Bloody ValentineKevin Shieldsでしょう。

 

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 上の映像は、その幻想的な音響もさることながら、この魅力的で幻想的な音像を、ほぼ1本のギターだけで鳴らしている、ということが非常に重要です。普通のバンドというのは3人〜5人くらいのサイズかと思いますが、そういう人数でオーケストラ的な演奏をするのは、単純に人数が足りないところです。バイオリン等弦楽器を何人も配置し、さらにトランペット等金管楽器も揃えて、となると、そっちの知識がないのでアレですが、10人くらいいても全然足りないでしょう。チェンバーポップと「呼ばれるような音楽の作り手の中には、それでも10人程度の小楽団的な編成でライブを行う人がいたりしますが、それは人を集める手間も練習する手間もそして当然お金もとてもかかる手段で、数人で運営してライブハウスにノルマ払って演奏するようなバンドマンに簡単に出来ることではありません。

 

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チェンバーポップの具体例。まあ、こういう編成と音楽でなければ味わえない感慨も間違いなくありますが。

 

 でも、上のMy Bloody Valentineの動画のような演奏なら、一人のギタリストがそれなりに機材を揃えて演奏方法をマスターして演奏すれば、オーケストラとは確かに趣は大きく異なりつつも、しかし音の厚みではオーケストラにも引けを取らないかもしれない音像を、たった一人で再現することが可能となります。My Bloody Valentineの真に偉大なところは、もしかしたらギタリスト1人でオーケストラ並みの轟音を作れることを証明したことかもしれません。

 もちろん、レイヤーの広い轟音ばかりがバンドサウンドの醍醐味ではありませんし、もっとタイとなバンドサウンドというものもとても良いものだと思います。重要なのは、ギターロックというひとつの編成がそんなに大人数でないスタイルで、昔ながらの初期The Beatlesライクなタイトなコンボ演奏から、My Bloody Valentineみたく謎に壮大な光景を思わせるサウンドまで演奏が可能になった、ということなんです。間違いなく、My Bloody BValentineはギターロックの表現能力を飛躍的に“拡張”したんです。

 …ずいぶん前置きが長くなりましたが、何が言いたいかというと、Deerhunterも同じように、ギター演奏方法、ひいてはギターロックの可能性をみんなが思いもよらなかった方向に拡張してみせた、ということです。そしてそれはそれでも所詮ギターという楽器から出力されるものなので、機材を揃えて、演奏方法を真似することができれば、再現ができるのです。この魅力的な音響を、スタジオマジックで終わり、ではなくライブでもそれなりに再現できる、ということを知った当時のバンドマン達が機材を買いに楽器屋に走った、というシャムキャッツ夏目氏の証言はなるほど!と思えるものです*5。そして氏が指摘するように、この点に関して間違いなくひとつの方法論の頂点として存在するのが本作『Halcyon Digest』なのです。本作はそういう意味で、アーティストの世界観が強力に示された大傑作、という枠を逸脱して、ギターロックというジャンルにも新たな実りを捧げることのできた作品だと言うことが出来ます。

 

 …長々と大袈裟な物言いするのはいいから、さっさとどうやってこういう音出すのか教えろ?確かにそれも大概そうだし自分も早く知りたいので、考えていきましょう。まず本作のサウンドMy Bloody Valentine的な「全てをレイヤーで塗りつぶす」サウンドではなくて、もっと何と言うか「無音の空間に煙のように立ち込めるサウンドと言えるんじゃないかと思います。確かにエコーも色々と掛かってますが、そもそもこれギターの音か…?というのもたくさん聞こえてきます。そういう音を結局どうやって出すのか、実際にどう言う機材を彼らが使っていたのか見てみましょう。以下にBradford CoxとLockett Pundtという二人のギタリストのエフェクターを列挙します。まあいつのボード写真かよく分からんし、ライブの時の足元だから、スタジオでこのとおりかは全然確かじゃないけどもな

 ちなみに英語圏は誰がどういう機材を使ってるか調べるサイトが様々あり、自分は以下でチェックしました。

 

equipboard.com

 

●Bradford Cox

(左上から時計回りに)

・Line6 DL4 Delay Modeler(ディレイ)

Eventide PitchFactor Harmonizer(?????)

・BOSS TU-3 Chromatic Tuner(チューナー)

・BOSS OS-2 Over Drive/ Distortion(歪み)

Behringer RV600 Reverb Machine(リバーブ

Ibanez DE7 Digital Deley/Echo(ディレイ)

 

●Lockett Pundt*6

(左上から時計回りに)

・BOSS NS-2 Noise Suppressor(ノイズ除去)

・Strymon TimeLine(ディレイ)

Behringer RV600 Reverb Machine(リバーブ

Eventide PitchFactor Harmonizer(?????)

・TC Electronic PolyTune 3 MINI(チューナー)

・BOSS BD-2 Blues Driver(歪み)

・(えっこの銀色のやつ何…?歪み…?)

・Interfax Harmonic Percolator HP-1(ファズ)

・(この横長の水色のやつも何…?)

・Catalinbread Echorec(ディレイ)

 

 はい。こうやって見てみると、流石にリードギタリスト側のポジションなLockettの機材の方が多いなとか、Lockett側はStrymon TimeLineというディレイの中でもとりわけ何でもできる機材が入っているのでアレですが、しかしBradford Coxの方の機材が案外そんなに多くなかったり、両者とも意外とリバーブは安価なBehringer RV600だったり*7、Bradford側の歪みがまさかの1個しかない、といった幾つかの意外な点もあったりしますが、しかし二人とも共通する重要機材があります。

 これぞ、Eventide PitchFactor Harmonizerです。この機材についてはBradford Cox本人がこのようなコメントさえ残しているようです。

 

 "I was about to give up writing with a guitar and then this thing came along." - Pitchfork, December 20, 2010

 

ギターで曲書くのもうやめようかなって思ってた、そしたらこれが出ちゃったんだよね。

    ピッチフォークにて2010年12月20日

 

2010年12月という、本作が出た直後の発言ということもあり、このエフェクターがあの音の正体の重要な一角です、というのは少なくとも間違いないことのようです。ソングライティング自体に影響を与えうるこのエフェクターはどういうものなのか、そのバグってるとしか思えない機能を以下の試奏動画でご確認ください。ちなみにこのエフェクターの発売は2007年です。

 

www.youtube.com

 はい。このように、弾いたギターの音に別の音を付け足して、それにモジュレーションやエコーやもっと訳の分からないものを色々と掛けて鳴らすことの出来る、はっきり言って怪物ペダルです。実際上の試奏動画でも、どことなく『Halcyon Digest』的な音が聞こえてくると思いますが、おそらくこれを駆使したのでしょう。そして、本作の音世界に魅了され、オレもあんな音出してえ、我が国のディアハンターになりてえ、という人たちがこぞってこのエフェクターの存在を知り、購入した、ということがあったことを、夏目氏の証言は裏付けています*8

 しかしながら、非常に多機能すぎるエフェクターで、少なくともボタンひとつで簡単にDeerhunterの音が出る、という類のエフェクターでないことは間違いありません。そもそも実機を自分が所有してないので検証のしようもないのですが、再現、というか近いような音を出すためには、相当な試行錯誤が必要となり、時間と、そしてギタリストとしてのアイデンティティ、さらには魂まで吸われてしまうことになるでしょう。

 とはいえ、Deerhunter的な超越的音響をギターから発するには有効な機材であることは間違いないので、挑戦して見たい人は買いましょう。高いです。今見たら7万円超えてました。買って『Helicopter』のフレーズを弾きましょう。

 ギターサウンド的には、Eventideどうこうは別にしても、リバースディレイやシマーリバーブなんかも色々と重要になってそうだなあ、と思う次第。シューゲイザーで有名になった前者はともかく、2010年代に急に注目された後者はおそらくその人気の理由はの一角はDeerhunterだろうなあとも思います。

 

 …本作のサウンドは別にギターだけではないので、その他にも様々なエコー処理やら何やらが駆使されて本作が完成していることは言うまでもありません。バンドとの共同プロデューサー及びミックス担当としてBen H. Allenというエンジニアがクレジットにあり、彼はAnimal Collective『Merriweather Post Pavilion』やWashed Out『Within and Without』といった重要作にも関わった人物で、2007年にグラミー賞の受賞歴もあります。

 

 

本編:全曲レビュー+翻訳

 ここからようやく本編です。全曲、自分が訳した歌詞も載っけますが、精度はよく分かりません。適宜コメント等で補足いただけると嬉しいかもです。

 

 

1. Earthquake(5:00)

 正直、このアルバムの始まり方はかなり静かで、直球のインパクトとしては薄いと思われる。何せ前作『Microcastle』の始まり方が『Cover Me』→『Agoraphobia』というロック史に残るであろう印象的でインパクト絶大なものなので、どうも本人たちもそれと同じようなのを繰り返す気がなかったんだろうなあ、というのが本作の始まり方に対する個人的な感想だ。もっと言えば、本作の冒頭2曲の「覇気が無く、もうすでに死に絶えそうな感じ」は、実に本作のムードを表してると思うし、本作はこれで正解だと思うけども。本作になんとなく漂うスロウコアっぽい雰囲気もまずこの2曲からか。

 アルバムを再生して最初に聞こえてくるのがギターでも何かの変なエフェクトでもなく、無音の中をゆっくりと、死んだように無機質に鳴る打ち込みのリズム、というのがなんとも、冒頭からジャケットどおりの暗い感じを思わせる。これが生のドラムならまだ生命感が感じられたかもだから、ここの打ち込み音の採用は的確で、曲の雰囲気に対して徹底していると言える。

 そこから静かに、ギターによるものなんだろうけども例のピッチシフターとエコーによって変わり果ててしまった音によるアルペジオが響いて、そして歌が忍び寄ってくる感じは、暗黒から何か得体の知れないものが出てくるような怖さがある。静かにクレッシェンドしてくるギターをかき鳴らしたか何かによる音の差し込み方も、およそ普通のギターロックの方法論からは離れすぎていて、この辺の音響感覚は流石Atlas Sound等も含めてエレクトロ・アンビエント方面の技術もある彼らなんだけども、こんな荒涼として空恐ろしくなるような始まり方を聞くと、まるで前作の厳かに聞こえた始まり方が、バンドがはしゃいでいたかのように感じれてしまうんだから困るところ。

 別に大きな展開的爆発をするわけでもなく、静かに膨張して、弾けて、再開するのだけを繰り返していくこの曲の展開の、そこから生じる退廃感・生きているもののいなさそうな感じは、もう本当に4ADというレーベルがかつて有していた伝統的なイメージを地で行くような感じになっている。この冷たさはCocteau Twins的でもあるしDead Can Dance的でもあるし、何より実にIvo Watts-Russell的に感じられる。サンタフェにて隠居じみた生活を送る彼もこの1曲目を聴いた瞬間どんな感情になったんだろう。

 

歌詞

 

覚えているか 灰色の霧の中

汚れたソファで目覚めたことを

あと 通りで吠えていた灰色の犬のことを

 

コラムが貴方の足を震わす

貴方の足の下で 足の下で 足の下で

 

覚えているか 貴方の顔面が蒼白だったことを

シーツから骨を抜くのか

私のことを思ってくれるのか

海からやって来た 長らく失われていた友を

 

彼はどのくらいいいたのだろう?

 

 この超然的な雰囲気の曲においては、語り手もまた何かを思い悩む主人公としてではなく、まるで冥界からの手招きか何かのように怪しく振る舞う。「死を想え」的なことをはっきりと言う訳でもないところに、かえって空恐ろしくなるような世界観が生じているようにも思える。

 ただやっぱり、この歌詞世界の中に生きている者は果たして登場しているんだろうか、という雰囲気である。本作がこのバンドの作品で一番生と死が曖昧になっているとしたら、この冒頭曲の音や歌詞からの雰囲気というのはとても大きく、またその光景が妙にぼやけているところもまた「睡眠薬による走馬灯」みたいな意味に取れるアルバムタイトルに相応しい幕開けと言えるだろう。

 

 

2. Don't Cry(2:49)

 ようやくバンドらしい演奏、つまり、ドラムとベースとギターと歌による、それ以外の音がそんなに入っていない感じの、形式だけ見れば普通のロックバンドみたいに見える楽曲が現れる。けど多分、この曲を聴いて「普通のロックだなあ」と思う人もそういないだろうと思う。Bradford Cox式の児戯めいたオールディーズ信仰に貫かれたソングライティングと歌を、まるでゾンビのようなバンドがゾンビのように演奏し歌ってる感じ、みたいに思えるんじゃないかと考える。ここまで要素要素だけ見たら普通のバンド演奏なものを腐らせることが出来る、これがDeerhunterなんだ。そしてそんな生きてるのかも怪しい連中が歌う曲のタイトルが「泣かないで」だ。どうすればいいんだ。

 ちょっとしたガヤ的なノイズの後にすぐに歌と演奏がバンと入ってくる、けどもどっちも全然覇気がなく、妙に中域に偏ってぶっ潰れたようになってる演奏(特にギターはこれ、ファズでぶっ潰れてるのか)と、エコー処理によって妙に浮き出した歌の、甘く呟いてるように本人は歌ってるのかもだけどゾンビの呻き声じみてもいるような歌で、なかなかにエッジの死にまくった演奏を繰り広げる。ドラムは前半クラッシュシンバルを決して叩かないし、中盤で叩く時も拍子の変わり目に打つのではなく雑にダラダラと乱打されるので、本当に何かはっきりとメリハリが付くのを避けているアレンジなんだと理解できる。

 2分前くらいから始まったリフレインがなし崩し的に途切れて、ちょっとラフな弾き語り風な展開になる。ここにおいても、まるでゴミの溢れる中で歌を夢見心地で呟いてるかのような情緒は維持され、グズグズな雰囲気を引っ張ったままのその残念さは、次の曲のイントロがパーンとシュールに弾けるのに一役買っている。

 

歌詞

 

やあ 坊や ぼくはきみの友達だよ

きみが苛まれてる痛みをよく分かってるよ

きみのお母さんが雨の中 夢見心地で家に帰るの

見てきただろう  洗ったって拭えないよ

 

さあ 坊や 泣かなくていいよ

涙なんか流さなくていい 流さなくていい

さあ 坊や 顔をあげてため息をつくんだ

なんでなのかなんて分からなくていいから

 

この曲の語り手、お前誰だ?非常にいかがわしい具合に、痛みに苛まれている少年に声を掛ける様は実に不審者めいているけども、一体どういうシチュエーションの物語なのか。Deerhunterの歌詞は言葉数が多くないことが多くて、細かい情景描写をしない傾向にあるので、この歌詞もどうとでも取れる歌になっていて、書き手自身の苦しかったであろう少年時代に手を差し伸べる案外に前向きで私小説的な歌のようにも、虐待された少年をその弱り具合をいいことに誑かして何かしてしまおうとしている怪物の歌のようにも思える。

 ちゃんと背景がある漫画やドラマや映像と違って、文字の世界においては書かれた限りでしか世界が基本的に存在しない。なのでこれくらい「何かの物語の一場面」みたいな書かれ方をしていると、その前後の物語は受け取りてはどうとでも想像できてしまう。歌の中の「Little Boy」がこれまでどんな目に遭ってきてこの歌の後どんな目に遭うのかは聞き手に委ねられています、とこちらに邪悪な笑顔をして話しかけてくる話し手の顔が浮かんでくるかもしれない。

 

 

3. Revival(2:14)

www.youtube.comこの映像ってファンが作ったやつだったのか…ファンも実によく訓練されてる。

 

 先行シングルとしてリリースされた、シュールなポップさがある、中々に掴み所のない不思議な楽曲。アルバム全体の流れで見れば、確かに冒頭2曲の生命力のなさに比べればまだ血の気がするけども、それもなんか、どこの国の血の色なんだこれは…?という、国籍が妙になってしまっている感じがある。歌詞の内容も踏まえるに、少しばかり中近東な感じのテイストなのかこれは。少なくとも1発でLockett曲でなくBradford曲だと判るだろう代物。

 前曲の最後のグダグダから切り替わってピューンと始まる、その名状し難いシュールさが面白い。アルペジオの感じはまるで何処か中東の王朝の宮殿のように聞こえるかもしれない。イントロとAメロのコード進行は、4カポした上で「A→A7→G→Em」となっており、弾いてみると判るけども簡単単純な割に中々にシュールな響きになっている。サビのコード進行からこの曲をキーがG(4カポした上で、だけど)と仮定すると、つまりこの曲は普通のダイアトニックコードならマイナーであるべきⅡのコードをメジャーにした上で始まり、しかも同じ音のままセブンス化する、という実にダルな感じの進行になっている。歌もなんか、コードの響きにへばりつくかのような変な歌い回しをしていく。

 そして、そんなダルな進行がサビに入るとDeerhunterお決まりのモータウンビートによる縦ノリとそこそこに普通にポップなコード進行(D→C→G→Em)によって、そこそこのポップな爽快感が半ば強引に生み出される。しかし、あまりポップになりすぎないよう、Aメロでダルそうに歌ってたのを引き継ぎ、サビでもなんか西洋感の薄い、妙なメロディを書いて歌っている。十分に理不尽なはずの『Never Stops』のメロディがまだ十分サービスが効いてたように思えるくらい、ここのメロディの不思議さは掴みどころがないけども、それでも演奏と総合的に見たらそれなりにポップと言わざるを得ないから、何だか騙されたような気持ちになる。

 特に2度目のサビの後の間奏、ちょっと音の光景が遠くに下がるようなミックスがしてあって、ここで何故だか全く行ったことも見たこともなさそうな謎の国に対する郷愁が湧いてくるんだから、詐欺にも程がある。そして、最後のサビだけちょっとばかりテンション高めのメロディにしてみせて、そして「Stay」の掛け声でサクッと終わってしまう。この曲がたった2分14秒しかない、というのも、なかなかに騙くらかされた感じがしてもはや小気味よい。

 

歌詞

 

救われています 救われているんです

ああ 貴方はそれを信じますか?

3日目に 彼を近くに感じたんです

 

信じてくれないなんて分かっています

でも 愛すべき思い出があるのです

 

救われてる 救われてるんです

ああ 貴方はそれを信じれますか?

後悔などしません 信じることを選んだならば

 

自由 沈黙 いつだって ああ

これら全て 闇に満ちた廊下

 

暗闇 それはいつも さして意味はないのです

暗い廊下 私から離れて 呼びたまえ 「在れ」と

 

あっ…「再誕」ってタイトルはそういう…。日本人で、そういう信仰に浴したこともないし聖書をしっかりと読んだこともない人間だけど、流石にこれだけ分かりやすく書いてくれれば、これが誰についての歌かぐらい流石に判る。「3日後に」じゃないんだよもうそのままじゃねえかひねりも何もあったもんじゃない。そうかそれでちょっと舞台のことを考えて曲がヘブライ調、もとい中東っぽくなってたのか…。

 それにしても、割と聖書的な内容からそこまで逸脱していないように見えるこの曲の歌詞で、書き手は何が言いたかったのか。自分の全然浅い読書歴とその範囲からいくと、この曲でBradford Coxが聖人の関係者の視点で話すことと、太宰治が『駆込み訴え』等で書いてきたあの宗教や聖書物語に対する入り込み方に、どこか似たものを感じなくもない。新約聖書の物語の山場であろう、裏切りと死と再誕の流れには、様々な人がそこに多くの皮肉と悲劇とそして救いを見出してきた。別にBradford Coxもこの歌を通じて「神を崇めたまえ」と言いたかった訳じゃあるまいし、その物語の中に潜む様々な要素に何か共感を置けるものがあったんだろう。

 …それにしても、こんなちょっと社会的に危なそうな歌をサラッと先行シングルにするかよ。

 

 

4. Sailing(5:00)

 前の曲で曲なりにもシャキッとしたポップスを描いたアルバムが、この曲でまた、非常にぼんやりとダルさと退廃の感じが燻る、Deerhunter式ポップスともスロウコアとも言えそうな楽曲が、かなりの部分を弾き語りと歌のみの展開で繰り広げられる

 というかこの曲ちょっと『Amnesiac』あたりのRadioheadっぽいな。ポップスの秘境的フォーク技法による解体というか。そこそこにエコーの効いたエレキギターの寂しくなるような弾き語りは、割と似た感じの荒廃感を覚える。遠くへの意味不明な郷愁を掻き立てるファルセットが出てくる場面も割とThom Yorkeみがある。僅かにエフェクトを配置してどこか変な場所でのフィールド録音っぽくなってるのもRadiohead的なものを感じさせる。

 あと、幾らかエコーが掛かっているとはいえ、歌も極端な・変な反響の仕方をせず、案外にしみじみと歌い続ける。ちょっとしたギターの返しのミュート音が心地よい。流石にこれを「アンビエントR&Bの先駆」などと馬鹿なことを言おうとは思わないが。

 この曲の最後、風の音だけ残ってるみたいな感じもまた、次の曲のイントロが鳴った瞬間の突破力の、その影の立役者になっている。

 

歌詞

 

航海の中 風が吹く

もう何日も 水も無し 食べ物も無しでぼくは過ごした

素敵だった

 

ぼくは気にはしないよ 自分の存在以外は

どこでもないとか 何も見えないとか

 

(※)

恐怖だけだ ここできみに孤独を感じさせられるのは

手に入るのはなんでも受け入れるときみは学ぶ

 

法律がなければきみも悪いことなどしないよ

曲作りに長い時間などきみもかけられやしないよ

 

【(※)繰り返し】

【(※)繰り返し】

 

もう何日も 水も無し 食べ物も無しで過ごした 素敵だった

ああもう、ここBradford Coxが濃厚に滲み出ている…。『Agoraphobia』でも見せていたような、不幸で不自由な状況に謎の悦びを見出してしまう、この世界観。共感はできない。でも見ていてただただ面白い。

 ただ、そうケラケラ笑ってるわけにもいかない。上の訳でも強調してみたけど、前半は主語が「I」だったのが、途中から全部「you」に切り替わる。上記のような倒錯した価値観を、さりげなくこっちに押し付けてくるのだ。冗談じゃねえよ…!なんて悪いやつなんだこの天才ロックミュージシャンは。これも邪悪なユーモアセンスのなせる業なのか。

 あと「曲作りに長い時間などきみもかけられやしないよ」の箇所は、そういえばまるで本作の時期まで超高速で作品を連発していた彼の、それに対する説明めいたものに感じられる。前の記事でも密かに引用した部分を再度引用しよう。『Monomania』の時期のインタビューから。

 

monchicon.jugem.jp

 

──『Monomania』というタイトルは、H・P・ラヴクラフトの『霊廟』という短編の一節に由来しているそうですが、あなたはソロ・プロジェクトのAtlas Sound名義の『Parallax』のインタビューでも、「Deerhunterの他のメンバーには自分の生活があるけど、僕はモノマニアになっただけだ」と発言していますよね? これは何か関係があるんでしょうか?

Bradford:その頃、他のメンバーがバンドの外のことに興味を持っていたなかで、僕には絶望的に音楽しかなくて、そこにアイデンティティを求めていたんだ。必ずしも僕だけのことではなくて、世界中の様々なことに共通して言えることだと思うけどね。

(強調等は筆者による)

 

孤独によって音楽に没入するしかなくなる。そんな中で曲作りに時間をかけるなんてことできないよ、と、この曲の一節はサラッとそんなことを歌にしているみたいだ。なんて独特な弱音の吐き方なんだろう。

 

 

5. Memory Boy(2:09)

www.youtube.comえっそのメインフレーズ、キーボードなのかよ…別にギターでいいだろそこは…。

 

 ここで一気に頭の中極彩色ポップな、オールディーズポップスの流儀の2000年代的インディーロックバンド的、そしてDeerhunter的解釈とも言うべきこの曲が、全曲の心細くなりすぎる静寂を派手にブチ破って登場する。この曲のイントロの瞬間は本当にタチの悪いお笑いじみてるかも。

 これまででも頭ん中極彩色みたいなポップソングをこのバンドは幾つか作ってきたけれども、ここまでバーン☆って感じに炸裂するのはこれまで無かったんじゃなかろうか。ずっとモータウンビートで進行し、キラキラとポップなギターやキーボードのサウンドの中にはグロッケンシュピールや鐘の音さえ華やかに鳴り響き、当然コードはメジャー調バリバリで、持ち味の少々気持ち悪い歌い方はともかくメロディもかなりストレートにポップ、まさにDeerhunterでモータウン、ちょっとやってみました、な趣。定期的に入ってくる鈴みたいなカッティングの心地よさはまさにポップスの本懐、極彩色の夢、万華鏡の世界。

 それでも、肝心のブリッジの箇所で実にBradford Cox的な、中途半端なコードでモタモタと展開を引っ張る芸をしてしまいます。それでも全然曲のポップさが損なわれない、むしろ昔のオールディーズポップスにもこれくらいのモタモタ感があったような気さえしてくるから大したもの。そういえばこの曲のメロディ展開って何気に上の方に動画を貼ったNirvana『Silver』に結構似てる気がする。あれもポップスなメロディだったんだなあ。

 ミドルテンポのところで急に癇癪を起こしたかのように、演奏が少しばかりキラキラを削いでスカスカになって、Bradford Coxが少しだけ声を張り上げる。でもすぐにキラキラの中に回帰して、心底ダルそうに「gone, gone」とか呟き始める。まるで曲のポップさについていけないかのように気怠げなその所作もまた、シニカルなようにもむしろ曲のポップさを引き立てるようにも聴こえるんだから無敵だ。終わり方までバーン☆って感じにキマるのが可笑しくて仕方がない。

 

歌詞

 

ぼくに寄り添ってくれてたかい

記憶を駆けさせておくれ

きみが離れてくのが見える ああ テレビを忘れないで

 

もう家なんかじゃない もはやもう

 

あの10月 彼は毎日やって来てた

ルーズリーフのタバコの匂いがジーンズに取り付き

ぼくら戯れていただろう

 

もう家なんかじゃない もはやもう

 

自分の子供と認知してよ

貴方の眼では彼は行ってしまった

行って 行って 行って 行って…

太陽が沈むとこ 見たい人いるかい?

沈む 沈む 沈む 沈む…

 

華やかな曲だけど、歌詞だけ見るとなんか、捨てられた子供が過去の記憶に縋ってるような悲しさがある。そしてそれは少なくともこの曲の書き手においては、親の離婚により家に1人ぼっちになったという事実があることも確かで、おおう…。まあ、微妙に自身のそういう体験とは別の物語に仕立ててある風にも思えるけども。

 そういえば、曲タイトルはもしかして同名のElectro Harmonix社のディレイエフェクターから取ってきてたりするんだろうか。

 

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6. Desire Lines(6:44)

 このアルバムの最初の山場と言えそうな、Lockett Pundt作・歌の、濃厚なサイケデリアを特に曲の後半に発生させる、甘美にしてキャッチーなナンバー。大変人気のある楽曲で、ある人の評では後半のインスト部分のギターサウンドは「まるで脳に直接蜂蜜を練り込んで行くかのよう」という凄い形容をされてた。凄い表現だけど、これは実に言い得て妙だと思う。

 最初にイントロを聴いた段階ではきっと、そんな目眩くサイケデリアが展開される曲なんて夢にも思わないかもしれない。作者が違うこともあるのか、これまでよりもずっとはっきりと響く煌びやかなギターのクランチサウンドの煌めく感じはある意味全曲以上にストレートで、ドリーミーなギターロックとして実に王道的な音作りのように思える。特に2回目のAメロに入る前のコードカッティングの音の煌めき加減が良い。

 歌のメロディの方も、Bradford Coxのようなクセの強すぎる感じは薄く、地味だけどすんなりと流れていく、そこそこにキャッチーな歌に感じられるだろう。サビの盛り上がり方も、そんなに派手には盛り上がらないけど、なかなかしんみりとできるフレーズがキラキラしたアルペジオに乗って、なかなかそこそこに上質だと、その程度しか初めは感じないだろう。

 2度目のサビが終わった段階で曲の尺がまだ半分以上残っており、クラッシュシンバルの割と強い響きから、何かがこの曲の中で切り替わったことに気付かされる。ここからがこの曲の本領とも言うべきところで、幾らかディレイを効かせて反復するギターが初めはそこそこにサイケだなあ、くらいに響くのだけど、この延々と同じ8ビートを叩き続ける中で延々とこの煌びやかなクランチギターが反復し続けるようになって、段々と様子が変わってくる。ゆっくりと、この甘い煌びやかさは染み込んでいく。よく聴くと反復する周期が2小節半と中途半端であり、これもまた延々と渦巻き続けるようなサイケデリックさを生み出している。延々と同じアルペジオをたまにパターンを変えながら弾いてるだけなのに、謎に中毒性があり、またその裏で密かに膨れ上がっていくパッド的な音色の様も実にサイケデリック。本作でも最高のギターオーケストレーションが聴ける場面であり、シューゲイザー的な轟音の方法論とは異なる形で、このセクションでは延々と渦巻くような極彩色のサイケデリアを繰り返し続け、そして段々とフェードアウトして終わっていく。このフェードアウトにまるで永遠の恍惚が遠くなっていくような名残惜しさを感じるようになったら、つまりはそういうことなんだなあ。

 

www.youtube.comライブでもこの素敵な轟音具合はしっかり再現されるから素晴らしい。

 

歌詞

 

若かった頃なら 興奮することもあったろう

でもそれって時が経つにつれて成長するものか?

あれは物事の進み方か?

永遠に黄金に手を伸ばし 永遠に闇に消え

そして冷たくなる

 

自由に歩もう ああ ぼくと行こう ああ

遠くへ ああ 毎日さ ああ

 

若かった頃は どんな人生を歩むかなどまず分からない

かつて恩寵だったものも今や引き倒される

まあ 毎日できることをすればいい

また そういうことをせずにいるのなら

良くなるものも悪くなってしまうだろう

 

自由に歩もう ああ ぼくと行こう ああ

遠くへ ああ 毎日さ ああ

 

本作のテーマ的なところや、Bradford Coxがこの時点でまだある程度持っていたピーターパン的なものに縋り付く精神性からすれば意外なくらいに、「歳を取ること」についての悲しい部分も受け入れて大人になろうよ、安心して、僕についておいで、みたいな感じの歌だったりする。そ、そんな前向きなテーマのくせに、こんな恍惚に満ちた蟻地獄みたいなインプロ展開をするのか…。やはりLockett PundtもまたDeerhunter、色々とアンヴィヴァレンツなことを美しくやり遂げてみせる男だ。

 

余談

  この曲をBradford Coxはアルバム中1番のお気に入りだと絶賛しているけど、その際の言い回しが実に面倒くさい。

 

ぼくがDeerhunterで一番好きなのはそのレコードの『Desire Lines』さ。で、実はぼくがこの曲に全然関係してないって知ったら驚くかい?ぼくは最初のヴァースでギターを弾いてたんだけど、ぼくがうまく弾けなかったから、次のヴァースをLockettが弾き直したんだ。ぼくらはちょっと作業を止めて、アルバムを別の場所で録音するつもりだった。それでぼくらは「よし、もう1曲やってみるよ」って感じだった。プロデューサーのBenは言ったんだ。

「なあ、俺のやり方でさせてくれないか。君は明らかに俺のやろうとしてることに満足してないみたいだから、俺にただひとつのことだけに集中させてくれよ、爪先を踏んできたり、首元に息を吹きかけてきたり、こっちを細かく管理しようとする君抜きでさ。干渉無しで仕事させてくれよ」

Benは意見を述べて、そして「出ていってくれ」って言ったんだ。ぼくはスタジオから追い出された。まあ勿論、ぼくも同意したけどね。ドライブして、最愛のDeerhunterソングの元に帰ってきたよ。ぼくは部屋にいなかったのさ。

 

うん、あまり関われてないのは分かったけど、その情報、いる?*9

 というか、爪先を踏んだり首元に息を吹きかけたり、実際にしたのかお前…

  

 

7. Basement Scene(3:41)

 『Sailing』と似たようなどこにも行けないようなジリジリした感覚をバンドサウンドにて展開し直したような、Deerhunter式のスロウコア的放浪の感じの完結編のようなあての無さを感じさせる楽曲。そう言えばファルセットが出てくるのも共通してる。歌詞のやるせない感じも込みで、この曲あたりを「ダルいな〜」と聞き流すのではなく真顔で聴き入ってしまうようになると、いよいよ本作に取り憑かれたようになってきている段階かも。

 派手で無いし前曲のような煌びやかさも無いシンプルなギターサウンドで、停滞する展開と漫然と進んで行く展開を繰り返す、たまにそこにファルセットが入ったり、言葉無き唸り声みたいなのが伸びていったり、という、実に生気のない、ダルさの極みのような楽曲構成と演奏をしている。時折、楽器の残響に極端なエコーを掛けて変に混ぜっ返してきて、これが曲のうだつの上がらなさを気持ち悪い方向にブーストしていく。

 ただ、冒頭2曲と違うことと言えば、歌詞を読まずともなんとなく、ここでの歌い手は精霊でも死体でもゾンビでもなく、ひどく憔悴し、もうくたびれきってる感じの人間なんだと伝わってくること。そういう意味では、この曲はDeerhunter流のブルーズだと言ってしまうこともまた可能かもしれない。

 『Sailing』とやはり同様に、この曲のやるせなく全く華の無い終わり方もまた、次の曲のあまりに印象的なイントロの最初の音を際立たせている。本作、そういう曲の終わりと次の曲の始まりの間のマジックが随所に仕掛けてある。この辺は曲ができた後に並べてみて結果的に出来たものなのか、それともある程度繋がりを想定して録音していったのか。

 それにしても、クレジットを見るとこの曲だけやたらとミックス周りの人員が多い。なんで…?意外と難産だったのか…?

 

歌詞

 

夢 取るに足りない夢 地下室のシーン全てについて

起きたくない 起きたくないんだ 起きたくない 嫌だ

 

光が黄金に変わるのを見たことあるなら

今夜連れ出してくれ 一緒にキマってしまおう

歳取りたくない 歳取りたくないんだ 歳取りたくない

 

夢 取るに足りない夢 きみの友情とその終りについて

もう 起きたい 起きてたいよ 起きていたいんだ

 

ぼくが死んだら

友人どもはぼくのことなど忘れてしまうのさ

歳を取りたい 歳取りたい 年老いてしまいたい

 

ブラフ地区*10 奴らぼくの名を知っている

ブラフ地区 奴らは知ってるんだ

ブラフ地区 奴らはぼくの名を知っている

ブラフ地区 奴ら知ってるんだ

ブラフ地区 奴らはぼくの名を知っている

ブラフ地区 奴ら知ってるんだ

ブラフ地区 奴らはぼくの名を知っている

ああ 畜生だね

 

もしかしたら、本作で一番「Bradford Coxの視点の歌」してるのはこの曲なんじゃないか。そのくらいにこの曲の歌詞は案外素直に、当時の彼の心境を語っている風な内容になっている。「夢を介した記憶と妄想の混合と混同」なんてテーマ知るかよ、愚痴のひとつも言っちゃいけねえのかよ、クソが、となんか勝手に自分で立てたテーマに自分で毒ついてそうな不貞腐れっぷりがここでは見られる。冒頭から“夢”なんてどうでもいいんだよクソめ、みたいなちゃぶ台のひっくり返しがキマっている。特に、意外なくらいに“Pitchforkはじめ様々なメディアに祭り上げられてロックスターになりたくも無いのになってしまった自分”についての歌をいくつか書いている彼の、そのフラストレーションな部分をここまではっきり書いていじけて見せているのは、色々とあっても、それでもなんだかんだで彼も人の子なんだな、という気持ちにさせられる。最後のアトランタ市内ブラフ地区の下りは正直よく分からんけど。

 まあ、次の曲の歌詞の超越的で非常に冷淡な視点とこの曲との対比もまた素晴らしいんだけども。

 

 

8. Helicopter(4:58)

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 ここまでいくらか楽しく可笑しく各曲紹介をしてきたけれども、流石にこの完璧に構築され未だに非常に慄きうる冷気を放ち続けているこの曲を前にすると、そういう気持ちも凍りつく。静と動、無音と炸裂、Eventideによって徹底的に霊化されたギターサウンド、メジャーセブンスの冷徹な響き、インターネット上にあった架空のロシア人ゲイの悲しい運命について描いた小説に感化されて生まれたという実にDeerhunter的すぎる理由と内容の歌詞等々、筆舌に尽くし難い大名曲

 いきなり、謎の炸裂音とリールを巻くような音が、ドラム等の代わりにこの曲のリズムとなって反復を始める。この音からして正体が不明であるのに、そこに降り注いで来る音が、Eventideの例の赤箱によってもうすっかり原型を留められていない音に成り果ててしまったギターのフレーズと、それに完全に同機した歌だという。これが聴こえてきた時の冷たさ・嫌な実感。こういう曲に限ってボーカルのエコーはずいぶん少なく、実にシリアスで生々しい響き方をこの曲のヴァース部分の歌はする。

 そして、サビでの炸裂の仕方。ここからドラムが入ってくることによる部分もあるけども、その入り方は決して激しいものではなく、まるで優雅に天から地面に舞い降りるような様であることがまた、まるであちこちにできた水飛沫を瞬時に凍らせるかのようであることがまた、この曲の彼岸のような鳴り方を形作る。シマーリバーブによって形作られる奇妙に霊的なレイヤーや、何か水がピチャピチャいうようなエフェクト、諦観に満ちた、と言うか諦観に導かれたかのように項垂れていくメロディ、何もかもがこのEM7→C#mのコードの反復をひどく残酷に、しかし耽美で美しく彩っていく。サビでもボーカルはダブルトラックになるだけで、決して深いエコーは掛けられない。

 2度目のサビ以降はよりエフェクトの膨張が楽曲を浸し、3度目のサビの後には最早エフェクトの反復が恐ろしいくらいに膨張し、それが静かに破裂するかのように最後のサビに突入する。ボーカルもまた、この悲劇の歌のフィナーレを務めるべく高らかにかつ優雅に声を張り上げ、そしてファルセットで悲しい余韻を残した後、再度膨張し続ける謎のエフェクトを見送っていく。

 何もかもが理解できない次元で紡がれて、そしてこの曲以外では味わえないんじゃないかと思うような種類の衝撃を聴く人に与えていく。ここまで書いた文章も、この曲のその素晴らしさをまるで捉えることが出来ていない。それはどこかピラミッドの美しさを語ることの難しさや意味の無さを思わせるかもしれない。まあ、この曲をRadioheadでたとえるなら『Pyramid Song』くらいの立ち位置か、って言いたいだけなんだけども。言い方が悪いが、こんな圧倒的な曲を作ってしまったらそりゃこの路線で最早やっていくことなんて残ってなくて、極端を極めた暴走の『Monomania』に移行していっても仕方がない。

 

歌詞

 

ぼくの手を取って 一緒に祈っておくれ

ぼくの最後の日々を一緒に

悪魔がぼくにやって来て

ヘリコプターが弧を描いてシーンを飛ぶ


安らぎのために祈る ぼくらを祈っておくれ

彼がきみを一番愛してるって知ってる

彼がきみを一番愛してるって知ってる

 

ぼくの洞穴に光が射す

この痛みにはうんざりしている ああ ああ

 

ああ こういうドラッグを 彼らは射ってる

ぼくにとっては こんなのひどい方法で

彼らはかつて払ってたみたいにはもう払えない

ぼくは日毎に都合をつけていたよ

 

誰もぼくなど気にしない

ぼくに連れ沿う人はいない

ぼくは僅かな望みしか持たない

そして今や 彼らはぼくに倦み切っている

 

今や 彼らはぼくに倦み切っている

今や 彼らはぼくに倦み切っている

今や 彼らはぼくに倦み切っている

今や 彼らはぼくに倦み切っている

今や 彼らはぼくに倦み切っている

今や 彼らはぼくに倦み切っている

今や 彼らはぼくに倦み切っている

今や 彼らはぼくに倦み切っている

 

あまりに希望の無いこの歌詞の物語は上述のとおり、作者であるBradford Coxが、アメリカの作家Denis Cooperがブログに書いた、架空のゲイのロシア人の悲劇を描いた小説に大いにインスパイアされて書かれたものだという。その小説については、奇特にも翻訳してくれている人がいて、その記事を以下に貼る。

 

ranaldou.hatenablog.com

 

物語の概要はこんな感じか。

 

 ロシア人Dimitry Marakov(通称Dima)はデザイナー志望で、インターネット社会で成功を求めた結果、写真家コミニティで成功している写真家の恋人となり、しかしその生活に満足できずに、ポルノモデルやゲイセックスのハードコア動画の男優として活躍、裏の世界で名が知れていく。

 裏の世界にはエンターテイメント会社の重役等に加えて、危険な犯罪組織の主要人物も属していて、その犯罪組織の人物に執着されるようになった彼は、友人からの再三の引き留めを振り払ってその男の元で暮らすようになり、結果、秘密の娼館で10数人の男性に集団レイプされボロボロになるような扱いを受けるようになり、そして不審な死を遂げる。

 彼の友人だったLebedevは彼の死を調べで白日の元に訴えかけようと奔走するが、訴えをした警察からは事件をでっち上げていると言われて捜査を打ち切られ、様々な死の噂があり、真相は闇の中となった。彼の死に関するひとつの証言として、全然別の殺人事件で公判中の男が、2005年の暮れにDimaに似た若い男娼がロシア北方の人里離れた森でヘリコプターの上から突き落とされるのを目撃したと証言した。

 

なので、この曲の曲名は『Helicopter』なのだそうだ。

 この、あまりに救いの無い小説から彼が強烈にインスパイアされたことは、この曲の救いのない冷徹さが如実に示している。彼は小説を通じて何かのメッセージを得て何か言おうとしたのではない。何か言葉にならない、共感とも哀感ともつかない、ともかく強く暗い感情を、なんとかそのまま曲にしようと努めたのではないか。その結果としてこの悲しい曲が出来上がった訳だけども、音楽というのは不思議で、この悲しい曲は素晴らしい演奏により、永遠にDeerhunterのライブのハイライトを作り出す楽曲になった。

 架空の人物の悲しい物語に全身で共鳴し、壮絶な楽曲の形でその喪われた魂を永遠の形で定着させる。実にDeerhunterらしい、倒錯に倒錯を重ねすぎて何もかも訳が分からないのに、大変な感慨と感傷を残していく楽曲だ。

 

www.youtube.com

 

 

9. Fountain Stairs(2:38)

 まるで前曲でのあまりの壮絶さによる喪失感を慰めるが如く現れる、Lockett Pundtによるテンポよくキラキラしたサウンドを走らせるギターロックナンバー。正直楽曲のフォルムも演奏もどことなく『Memory Boy』と被ってる感じもあるけども、でもこの位置にこの軽やかな曲が欲しい感じは結構ある。

 何のもったいづけもなしに、いきなり歌と演奏から始まる。モータウンビートに導かれて、ぼんやりとしたキラキラサウンドに包まれて、Lockettのボーカルもかなり厚めのエコーに包まれて、Lotus Plazaでの演奏やアレンジを本作で一番思わせるドリーミーさを有している。リズムのせいなのか、メロディ回し方がどこか1960年代のThe Rolling Stonesみたいに聞こえる感じがあって、さしずめ「The Rolling Stoneをドリームポップ濃厚なアレンジでカバーした」みたいなポップソングに仕上がっている。間奏の程よくファンシーなファズギターも快い。

 そして、この曲の最後で棚引いていくギターのノイズもまた、次の曲の印象を高める働きをしている。ここではノイズをカットアップしてすぐ次の曲のピアノのイントロが聞こえてくる、という処理になっている。

 

歌詞

 

噴水の階段のとこに本を置き忘れてた

対称性のチャプターは誰も気にしない

そして 四角形をなぞりながらタバコを吸って

コンクリートに指を這わせ 秋の空気を感じた

 

辺りを見回すと 回ってるみたいに感じれる

地面に足をつけ 天井に向かって

 

シャツに陽光 手には汗

全て逆行に陥って 予定は全部キャンセル

そして マーチングバンドを見るハメになった

歩道をスキップして そこには誰もいない

 

実に自然体で鮮やかな「ちょっとしたトラブルがあって残念な1日」の描写。まあそんなこともあるよね、って感じ。「コンクリートに指を這わせ 秋の空気を感じた」っていう普通に爽やかで趣ある描写は、逆にBradford Coxの歌詞からは出てこなさそうな感じがある。前曲の冷徹さを思えばそれも仕方のないこと。
 

 

10. Coronado(3:19)

www.youtube.comこの映像もまたファンメイド。いいセンスのファンがいる。この曲のノスタルジックさをブーストしている。

 

 珍しくサックスを従えて、ファニーでポップでデッドな感じをさらりと表現した、実は案外バンドの他の曲に似たようなのが見当たらないタイプの曲。Bradford Coxの捻くれまくったポップセンスが捩じくれたままポンとポップスに昇華されていて、もしかして名曲では?

 前曲のノイズの棚引きがサクッと打ち切られてこの曲のピアノのイントロになる。コードをただ弾いてるだけのピアノなのに、なぜだか妙にノスタルジックさを誘うところがある。そこに並走するアコギの音もまた同じような効果がある。

 そして曲の本編が始まると、割と普通にもっさりと牧歌的でローファイなギターロックみたいな感じになる。よく聞くと微妙にコード進行も歪なんだけども、そんなの全然気にならないくらいに、この曲のムードは夢見心地でネバーエンディングな楽観性がある。延々と2種類のコード進行を繰り返していくだけの構造もまた、そう思わせる効果を発揮しているんだろう。ボーカルも、メロディがあるようなさしてないような、そんな歌とも何とも判別のつきづらい塩梅なんだけども、でもこれで存分にポップに聴こえるんだから、何だかまた騙くらかされてるのかもしれない。

 間奏では同じコード進行の反復の中で、サックスが存分に楽しげなフレーズを吹き倒す。これがまた、妙に洒落すぎることも無く、なんか的確にノスタルジックな雰囲気を構築していく。まるでその辺で二束三文で手に入れたレコードからたまたま聞こえてきた、みたいな、本当に実にいい意味での“安っぽさ”があって、それがこの曲のおもちゃみたいな質感をより高めているんだろうな。

 思えば、荒涼とした光景から始まり、ダルい歌があったり蜂蜜を脳に直接刷り込まれたりホモ小説インスパイアの壮絶な音響に撃ち抜かれたりといった摩訶不思議なアルバムもここでラスト前。そんな位置にこの、あらかじめノスタルジックに加工された、“かわいい狂騒”をねじ込んでくる構成力の秀逸さが、よりこの曲の価値を高めている。

 

歌詞

 

ぼくは病気で ぼくは死んでた

セメントのベッドに頭を寝かせて

数年良い年もあった けど彼ら知りもしない

 

さあおいで ぼくを吊るしっぱなしにしないで

だって降りたいよ

さもないと彼らの言うこと信じ始めようかな

 

胸の内ではそんなもの信じやしない

そして 前を見れば きみが去るだろうことを知る

きみが行ってしまうのをただ待つなんてできない

 

胸の内では気持ちがハイなんだ

何故?の答えを知りたいんだ

とても沢山尋ねて 彼らはぼくを持て余す

彼らは電話を切るんだ

 

そして目覚める前に死んだら

それって絶対ウンザリだなって分かる

給料が必要な人たちだっているし

まあ 彼らは血を流す必要がある

 

ああ、なんて標準的にDeerhunterしている、実に標準的に病みきった歌詞だろう。なんかもうネガティブさもここまで軽やかに言葉を重ねていかれると、何かの拍子に反転してプラスになってしまうんだろうか。出始めの歌詞からして「ぼくは病気で ぼくは死んでた」ですよ?投げやりなくらいの直接さも込みで、Deerhunterとしてとても真っ直ぐで正しい!自分の死と他者に対する皮肉とをカードに振る舞うこの語り手の行動は間違いなく病んでるんだけど、でもその振る舞いが妙にスマートにもキュートにも見えるんだから、大概認識がバグってる。ここまで本作を聴いてきたら認識もやっぱバグるもんなのか。

 

 

11. He Would Have Laughed(7:29)

 ついに最終曲。アルバム中最長の尺を持つこの曲は、もはや殆どシンセみたいになってるフレーズの反復とトライバルなリズムとエフェクトの総動員に導かれて、割と素直でポップなんだけど当てのない感じもしつつ漂い続けるボーカルの様子にぼんやりとした虚無感が滲む、アルバム最後にしてその果てのない反復っぷりに気が遠くなるような楽曲

 もうイントロからして、Eventideが炸裂しまくっている。音色も全くギターの原型を留めていないけれどもそれ以上に、この印象的な反復フレーズはもしや、PitchFactorのアルペジエイター機能で出力した音のいい感じの部分を延々とコピペして制作されたものではないかと思ったりする。この延々と反復するフレーズは、本作で散々繰り広げてきた「夢を通じての記憶と妄想の混合と混同の彷徨」というものが、結局、何か最終回的な展開などあるはずがなく、 どこまでも無限に続いていく性質のものなんだよ、ということを最後の最後にリスナーに強く印象付ける役割を果たしている。そこにトライバルなドラムが入るか割とオーソドックスなドラムが入るかの切り替わりは単純に気分と曲の聴いた感じのポップさを考慮しただけで、本質はこの永遠に続けることも可能であろうループそのものにあるんじゃないかと思う。

 そのループを取り巻く音もまた、本作で出てきた様々な音色のリフレインのように感じられる、夢が爆発して侵食していくかのようなシマーリバーブのレイヤーや、別のパターンで幾何学的なフレーズを描くEventidalなギターサウンド。どこまでも果てなき宇宙を感じさせるボーカルのエコーの掛かり具合には、まるで夢と宇宙とを直結させてしまったかのような広がりと、そんな無限の広がりの中で一人ぼっちみたいな寂しさとを感じさせる。

 4分が過ぎてしばらくした頃、延々とループし続けるかと思ったフレーズが消えて、宇宙的なエフェクトの中から、スピードが遅くなった別のフレーズが反復を始め、そしてもっさりしたドラムと歌が始まる。最後の最後に、この妙なエフェクトの中から、妙に土臭い、彼らなりのThe Bandみたいな、アコギを軸にしたバンド演奏が立ち上がってくる。The Bandにしてはボーカルがもうエコー塗れすぎるけども、それでも時折エコーエフェクトを撒き散らしながら、しかし次作『Monomania』で見せるような声の歪ませ方さえ披露して、不思議にアメリカーナな雰囲気を見せる。

 まあ、最後は結局その演奏も潰えて、また元のエフェクトだらけの海に還った、と思ったら、突然音が機械的に打ち切られてアルバムが終わる訳だけども。この唐突なこときれ方に、彼らがこの作品で用意した最後の“夢の終わり=死、みたいな仄めかし”のマジックが、つまり、マジックを一瞬で死に絶えさせるというマジックが披露される。このマジックを見届けたら、それなりの感慨なり余韻なりに浸った後、とりあえずは元の日常に戻らないといけない。もしくはまた繰り返すか、他のアルバムを聴くか、時間が許すならもうそのまま寝ちゃうか。本作は用法・用量を守って、正しくお使いください。

 

歌詞

 

歳を取るほど 退屈してくだけ

当代のカルトスターへの道を見つけよう

歳を取るほど 退屈してくだけ

自分の時間を過ごせるよう 新しい方法を探そう

 

ぼくは黄金を掘る男 金を見つけ 土地を見つけ

ぼくは黄金を掘る男 お前の土地を買うまで休めない

 

甘美さはやがて苦痛に変わる

甘さの中に苦痛が生じてくる

息ができなくなるまで休めない

お前に見られていると息ができない

 

歳を取るほど 退屈していく

これをぼくに理解させておくれ

さあ 夢を見たまえ

 

「わたしはテーブルの上に住んでいました」

「どこに行けばいいか分からないの」

「どもだちがどうする気か知ってるよ」

「ともだちが今どこにいるか知ってるよ」

「私は農場に住んでおりました ええ」

「私は農場などに住んだことはありません」

「ともだちはどこに行っちゃったの?」

「ともだちはどこに行っちゃったの?」

 

寝てる時は何をするんだい

話をしたらどこへ行くんだい

「我が同盟には誰も必要ない」

「我が同盟には誰も必要ない」

 

貴方の友達はどこに行くの?

彼らはどこで貴方に会うの?

貴方は何になりたかったの?

ああ 地獄を閉じてくれ その口を閉じておくれ

 

この曲はJay Reatardという、薬物とアルコールの中毒により29歳で早世したメンフィスのガレージロッカーに捧げられている。わざわざ別のスタジオで、単独でこれを録音したらしい。

 

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このどうにも破滅的な人生を送り、破滅的な末路から逃れられなかったロッカーに対して、Bradford Coxが何を思ってこの曲を書き、録音し、このアルバムの最後に置いたのか。その辺はあまり想像しすぎるのも良くないところだろう*11。「彼は笑った」という曲名について、そういう予備知識が入ってしまうと如何ともしがいくらい「彼」が固定されてしまうけども。

 死、夢、黄金、退屈。様々な要素が、彼の意思なのか、死んだ彼の意思なのか、特に意味はないのかもよく分からずに、この曲の中で変に混じり合っている。

 

 

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あとがき

 以上、全部で11曲、46分のアルバムでした。えっ日本盤ボーナストラック2曲…?あんな妙なインスト、蛇足じゃん。

 とても急いで書いたものの、ひとまず言いたいことはそれなりにしっかり書けたんじゃないかと思います。弊ブログで何回も何回もいろんな角度から語ろうとしてきた本作ですが、やはりこうやって腰を据えて、かつこの摩訶不思議なバンドの全キャリアを外観した上でしか書けないものが、とりあえずは書けたような気がします。

 アルバムタイトルから本作テーマを「夢を通じての記憶と妄想の混合と混同の彷徨」という風に設定しましたけども、夢や目覚めについて歌ってるのは全体の半数弱くらいでした。まあそれでも全然多い方だし、基本的に寝てる、っていう指摘はそうなのかもと思いもしました。言葉というよりも、人が“眠ろうとしている”時に自覚する「浮遊感」「重力感」「苛立ち」「不安」などの要素が、音としてよく表現されているような気もします。眩しいシマーリバーブの響きが妙に凍てついた世界を感じさせるように、物事は色々とアンビバレンツな要素があり、それを多方面から照射すると、こんな音が出力されたりするのかもしれません。正直この最後のセンテンスは書きながら意味がよくわかりませんでした。

 それにしても、ここまで4AD的な死と耽美の世界を全力でやり切った作品もおそらく4ADの歴史の中でも珍しいでしょう。かつてそういう雰囲気を追い求めていた創始者Ivo Watts-Russellがレーベルを去ってからもう結構経った時期に、まさかここまで4ADすぎるアルバムが出るなんて、レーベルの昔からのファンでも思ったかどうか。

 ただ、本作で出てくる「死」というのもやはり両義的なものが感じられて、それはやはり本作が「夢」というファンタジーを挟むことで描かれているからなんだろうか、と思います。一番悲痛な死が描かれた『Helicopter』の元ネタにおける死があくまでフィクションであるように、現実的な死の重みなどとは異なる、夢の世界という“生”も“死”も何もかも曖昧になる世界を、本作は歌と楽器とエフェクトと言葉で描いてみせた、そしてその世界にどこまでも果てがないことを喚起させた、その無限のイメージの発散に引き摺り込まれそうだと聞き手に思わせる段階で、やはり何か異様で危うい魅力を有していることは言えるでしょう。

 とは言え、これを書いてる筆者だって、そして作り手のバンドの誰もだって、本作に熱中して死に憧れて自殺、みたいなのは決して望んでいないと思うんです。とはいえ、本作を聴いて「よし、前向きに生きていこう」みたいな感想を抱くこともないでしょうけども。

 もしかしたら案外健康的でいい本作との付き合い方かもなのは、本作に収められた楽曲のライブ動画とかを見て、こんなにイメージに塗れた楽曲群が案外、しっかりとフィジカルで演奏されうるものなんだ、ということを感じることかもしれません。純粋に、こんなイマジナリーな音楽でもライブで演奏できる、ということは計り知れないくらいロマンチックなことです。

 どうか本作を聴く人が、あまり深刻になり過ぎずに、ドラマチックさと美しい感傷を程よく得て、日々そこそこに安心して眠れるよう、なんだか訳がわからないけど最後に祈っておきます。このあとがきは相当グダグダだなあ。まあいいか。

 以上です。それではまた。

*1:一応インタビューでBradford Coxは「僕はドラッグは一切やらない」と発言している。本当かなあと思いつつも本当かも。

*2:筆者は1回、自分がSonic Youthのメンバーになってて、ギターを弾けと言われて、あんなギターどうやって弾いていいか全然分からなくて泣いてしまいそうになった夢を見たことがあります。

*3:彼がフェイバリットに挙げるバンド・The B-52'sの創立メンバーでありギタリスト。

*4:尤も、そんなことをしても仕方がない、もっとオリジナルなことやれよ、という話でもあるのだけれど。

*5:実際、この辺の年代のアーティスト、たとえばThe Nobembersやシャムキャッツや昆虫キッズといったバンドにはDeerhunter的音響を目指した痕跡が作品からもライブからも感じられます。

*6:2011年発売のStrymon TimeLineがある時点で『Halcyon Digest』より後の時期の写真であることにご留意ください。

*7:逆にこれだけ多機能をあの値段で実現してるBehringerも凄いですけども。はっきり言って名器です。

*8:実際昆虫キッズの高橋翔はこのエフェクターを使って、特にバンドの後半のアルバムでいくつか印象的なギターを聴かせています。

*9:まあ、レコーディングの際のアーティストとプロデューサーの衝突なんて、The Beatlesの時代やらXTCの事例やら見ても、古今東西ファンの好物エピソードのひとつだけども。

*10:Geniusにあった注釈によると、アトランタ市内にそういう名前のエリアがあって貧困地域で、ドラッグの蔓延や犯罪率の高さで知られているらしい。つまりゲットー的なやつか。

*11:あまり関係ないかもだが、どこかのインタビューで彼はインタビュアーの細かい質問に対して「麻薬調査官的な質問の仕方はやめろ」とキレていたことがある。