ブンゲイブ・ケイオンガクブ

本を読まない文芸部員と楽器を練習しない軽音楽部員のような感じのブログ。適当な創作・レビュー等々。

『ニュールンベルグでささやいて』『C.M.C』The Roosters(1982年〜1983年リリース)その他諸々

 前回の記事で、サブスクがついに解禁されたThe Roosters(z)の全スタジオ“アルバム”についてレビューしましたが、今回解禁されたもののうち唯一(唯二?)アルバムではないけども解禁された作品があります。今回はそれらについての話です。どちらも1982年にひとつのセッションで録音され、なぜか2枚(+α)に分けてリリースされたものですが、もしこれらが1枚のアルバムとして出ていたら…という妄想も含めてお送りしていきます。

 先に妄想の結論を書いておきますが、筆者の個人的な評価としては「もしこの時期の楽曲が1枚のアルバムに結集していたら、日本のオルタナティブロック界の『風街ろまん』になっていただろう」というものです。しばらく前からちょいちょいこんなこと書いてますがなんのことだったのやら。これについても当然触れます。

 前回の記事はこちら。

 

ystmokzk.hatenablog.jp

 

 

作品概要

 今回扱う2枚の12インチ(俗に言う“ep”とかのサイズ感…?)およびその他の楽曲はこのバンドのオリジナルメンバーで録音した最後の録音であり、そしてその演奏・表現のポテンシャルが最も強烈に発揮された、オリジナルメンバーの臨界点とも言える凄まじい内容に仕上がっています。オリジナルメンバーの脱退の直接の原因となった当時のバンドリーダーの大江慎也の異変も含めて、本当にギリギリのところで出力された、しかしだからこそ、圧倒的に異様で、激烈な内容になっているのかもしれません。

 一方、そのリリース形態がフルアルバムではなくシングル2枚(+α)という形だったために、長らくまとまった形での復刻などがなされず*1、ここに収められた楽曲を聴くにはベスト盤やCDのボーナストラックなどで落穂拾いをして聴く必要がある時期が長く続きました。

 今回サブスク解禁にあたり、基本アルバムのみのところこの2枚のみ例外的に一緒に解禁されたこと*2は素晴らしい判断だと言えます*3。改めてこれらの“異様な楽曲集”をまとめて聴く機会を得て、当時バンドがものすごい作品をこんな早い時代に出していたんだな…と驚く向きもあるかと思います。

 冒頭の文章と被りますが、これらの楽曲は1982年という非常に早い時期に、完全にオルタナティブロック的な表現になってしまっている、凄まじく先駆的でかつ暴力的な作品だと、今の時代の楽曲と並べてみてもそう思えると考えます。“鬼子的”とさえ言えるのかもしれません。そもそも各楽曲のモチーフからなんかおかしいし…そんな歌誰も作らねえよ…のオンパレードだし。2023年現在だって今から取り上げていく楽曲のような歌詞を書くなんて普通考えないだろうし、なのに今よりもっと多様性の少なかったであろう1982年に…大江慎也…どうして…??

 

 

バンド史:1982年9月のセッション

 1982年9月から10月初めにかけての約1ヶ月のセッションがオリジナルメンバーで行った結果的に最後となるレコーディングになりますが、その成果物は率直に凄まじく、結成から僅か3年、1980年にレコードデビューしてから僅か2年で、プロデューサーの入れ知恵や介入もありつつも急激に進化してきたバンドの、その最終地点を思わせる内容で、そこで録られた8曲のうち4曲がシングル『ニュールンベルグでささやいて』に、2曲が翌年の『C.M.C.』に、1曲はなぜかしばらく後の1984年のアルバム『GOOD DREAMS』に今回の2枚の収録曲リミックスとともに収録され、そして残る1曲『Go Fuck』は発表が見送られ、公式にリリースされたのは解散から16年後の2004年のボックスセット『Virus Secrity』においてとなります。

 セッションにはバンドメンバー4人のほか、プロデューサーの柏木省三が主催するバンド・1984のメンバーも加わり、うちキーボードを担当した安藤公一*4は後にバンドに加入することとなり、アルバム『φ』のリリース後に脱退するまでのシンセサウンドを一手に担うこととなります。

 このセッション後のシングル『ニュールンベルグでささやいて』のフォトセッション中に大江慎也の神経衰弱等による異常がメンバー内で確認され、その後1983年初頭まで大江は療養生活に入ります。それにより求心力が失われたバンドは、今回の2作で大活躍したドラマー・池畑潤二が1983年中に脱退し、また同じく活躍したベースの井上富雄も次作アルバム『DIS.』の完成を見届けてから暫く後の1984年はじめに脱退、バンド内のバランスは大きく変わることとなります。

 …そのような傷だらけの歴史が後に連なっていくにしろ、以下の8曲がこの1ヶ月程度のセッションで一気に録音されたことはやはり、驚異だと言わざるを得ません。

 

・ニュールンベルグでささやいて

・撃沈魚雷

バリウム・ピルズ

・Rosie(In Nurnberg version)

・C.M.C.

カレドニア

・ゴミ

・Go Fuck

 

 ちなみに、クレジットを見ると、この時期の楽曲は作曲がバンド名義になっているものが大半で、真にライブでの演奏とセッションを経てバンドで完成させたものなんだろうなと思わせます。ただの印税関係の事情かもしれませんが…。

 また、このセッションとは別のタイミングのようですが、後に『Sad Song』に発展する『Sad Romance』の弾き語りデモ*5や、花田裕之ボーカルによるThe Modern Lovers『Astral Plane』のカバーなども1982年のうちに録音されており、この年、アルバムリリースはなかったものの、バンドが創作能力について一つの極点に達していたことを思わされます。

 今回の2枚の収録曲のうち、『Drive All Night』のカバーのみは録音時期が1983年に入ってからで、後にバンドの音楽面を大いに支えることになる下山淳のバンド初参加はこの録音のようです。カバーだし、ドラムがドラムマシンなこともあり、雰囲気が他の曲と違う感じがするのはこの辺の事情があるのかもしれません。

 

何がそんなに異様なのか・オルタナティブなのか

 聴けば時代ギャップを考慮しても「何だこの変なの…!?」と思うだろうし、ロックンロールを求めてこのバンドのベスト盤を聴いてて『ニュールンベルグでささやいて』の箇所で「…?」となった人も多々あったろうなあ、と思われます。聴けば分かることかもで野暮ですが、各楽曲の解説に入る前に、これらの楽曲に共通する驚異的な点を先に幾つか述べておきます。

 

演奏の激しさ・特にリズム隊・特にドラム

 オリジナルメンバーの演奏能力は相当高いですが、特にポテンシャルが物凄かったのはリズム隊で、ストレートなR&R志向だった1stや2ndではこの特徴はそこまで前に出てきていませんでしたが、3rd『INSANE』においてはドラムの手数が激増する場面が増え、そのポテンシャルの凄まじさが垣間見え始めました。

 しかし、池畑潤二のドラミングが日本のロックの歴史に残るとすれば、それはまさにこの2枚の作品におけるプレイによるものだと断言できます

 そのプレイは一言で言えば、音場を埋め尽くすほどの圧倒的な手数によるタム等のファンキーな連打、ということになるでしょう。楽曲によっては、ドラムの圧倒的な鳴りの隙間にギターと歌が聞こえてくる、くらいのバランスさえあって、特にシングル『ニュールンベルグでささやいて』の方は、ここまでドラムが縦横無尽に炸裂し続ける作品も珍しいんじゃないかと思います。もちろん、そのようなドラムが存在しうる曲構成になっている、ということもあり、この辺の作品で作曲がバンド名義なのは、もはやドラムありきで楽曲が発生したんじゃないかとさえ考えられます。

 埋め尽くすプレイだけでなく、『Rosie』再録でのダブ的な音響で響かせるタム回しも強烈で、ともかくドラム演奏においてひとつの極みのような作品だと思わされます。共通するのは、そのような物凄いエネルギーが蠢いているのに、楽しさよりも殺伐さが際立ってくるところ。これは楽曲自体がそのような属性になっていることも影響があるのかもしれません。

 

歌詞の着想の異様さ

 上の曲目リストを見て、「曲名が異様!」と思われた方はそのとおりで、本作の楽曲はどれも歌の世界観が異様で、かつ以前の不良ロック的なところとも、以後の夢見がちニューウェーブな世界観とも連続性の無い、バンド史においても孤立した世界観が築かれています。本当に一体、何がどうなってこんなことに…?プロデューサーの影響があったかもですが、映画『爆裂都市』に大江(と花田)が出演したことで破滅的な世界観に触れたことも影響が大きかったかもですが、それにしたってなぜこんな…。

 戦争兵器に関する歌が2曲、薬物に関する歌が3曲*6、意味不明な歌が2曲*7、そしてやたら神々しく親密なセックスの歌が1つ。正直この中なら、まだ人間味が全開に感じられる『Go Fuck』の方が従来的な色合いがあり、そしてよりにもよってそれがボツとなってしまったものだから、いよいよシングル2枚の大江歌詞は異様な作風となってしまいます。

 特に異様に感じられるのが、歌い手の意思が全般的に希薄なことで、苛烈な内容を歌っていても、叫ぶように歌っていても、そこにまるで歌の主人公としての感情が現れてこないのは、まるで書き手の意思が拡散して世界に薄く散逸してしまったかのような憂鬱さがあります。“おいら”なんて愛嬌ある一人称はまるで出てくるはずもなく*8、この時期の非人格的な歌詞はまるでこれ以前の威勢の良さとこれ以降の神経質な虚弱さとを分断するブランクかのような。そもそも三人称的な歌詞が多いこともまた妙な感じです*9歌ってる内容自体が非日常的すぎることもあり、どうしてこんなことを歌にしようという発想の段階からして実に不可解。そこが大変不気味でかつ居た堪れないところです*10

 …というか、『バリウム・ピルス』というあからさまなタイトルと歌詞の楽曲が存在したり『カレドニア』というどう考えても精神状態がおかしい楽曲が存在したりする時点で、メンバーもスタッフも大江の様子がおかしいことは分かってただろうに…とは思います。不健全で忌むべきことのようにも思われますが、ここには日本でも先駆け的に強烈に病んだロックがあるという事実、これが何気に日本ロック史の中でこの時期やこの先何枚かの作品が伝説化され、少なくないフォロワーを産んでいる部分だと個人的に感じます。仮にThe Roostersの様々な音楽性を完全にオマージュし進化させることができる存在がいたとして、この辺の歌詞まではどうなんだろう。もはや歌としてのクオリティさえ求めてないような意味不明さ。少なくとも「商品としてのキャッチーさ」なんて、この時期の彼の中にはほとんど存在し得なかったんでしょう。

 

海外のポストパンク・ニューウェーブに完全順応した音

 『INSANE』の最後の2曲の時点でそっちの方向に向かっていましたが、この時期にはもう完全に海外のポストパンク・ニューウェーブサウンドと同調し、要素要素を見るとなるほど確かに…と思わせる海外バンドの参照点などが見えてきます。後の『DIS.』以降はネオサイケ的な要素が一気に高まりますが、この時期はむしろゾッとするくらいソリッドなポストパンクの感覚が強いように思えます。

 しかし、この辺のセンスは本当に、一体誰のセンスだったんだろう。再結成後のライブパフォーマンスを見るにやはりみんな古いロックンロールやR&Bに深い愛着があるように感じられて、そんな人たちが、海外の流行に敏感だったとして*11も、ここまで急にサウンドの舵を切るもんなのか*12

 こうして考えていくと、やっぱり浮かんでくるのはプロデューサー柏木省三の存在で、これらの音楽的に大変充実した作品群にあの悪名高いプロデューサーの貢献が大きいというのを認めざるを得ず、なのでやはり功罪の程が本当に大変に複雑になっていきます。やはり音楽的には、少なくともThe Roosters(z)時代のこのプロデューサーは物凄く天才的な人だと言わざるを得ないのでしょう。

 また、完全にそっち方面の音楽“だけ”をマネしてやっているわけじゃないことが大事で、あくまで要素として取り込み、出力されたものは中にはロックンロール要素が混じったり、パワーポップ成分が強烈に活かされたり、ともかく混沌としていたりなどいます。この辺の色々と訳の分からない、「それをマネしてもそうはならんやろ」という具合は、完全にプロデューサーが0から演出するのは間違いなく無理*13で、そこはやはり、プレーヤーたるバンドメンバーの力量とセンスあっての天然ものだろうと思います。

 ちなみにさらに言えば、一部楽曲においては積極的にノイズを楽器的に使用していることもあり、オルタナティブロックにまで足を突っ込みかけていた節があります。まだ1982年の日本でそれは、相当に速すぎる状況だと思います。

 

意味不明の熱量、故に唯一無二の存在

 この時期の楽曲が本当に物凄いことになっている理由は、上記の要素が全て同時に火を吹いたためだろうと思います。つまり、バンドのポテンシャルも、大江の精神的荒廃による自滅めいた爆裂的世界観も、同時代的な音楽要素のチョイスも、まさにこの1982年9月のセッションに凝縮され、様々なベクトルがはち切れんばかりに集まり、結果として意味不明な質と量の熱量が溢れた、唯一無二と言っていいであろう楽曲群が生み出されたんだと思います。この、コントロールを誰もが放棄した結果のようにさえ思えるやけっぱちな楽曲群は、ある意味ではこのバンドの歴史上最もパンクな存在でもあるのかもしれません。

 それは、リリース前後の様々な不幸とバンドの破裂寸前のポテンシャルが重なった結果とも言え、どこか物悲しい要素も多分に含まれている感じもありますが、それにしたって凄い楽曲群で、これからそれぞれ見ていきますが、あまりバイオグラフィーに寄った感傷的なものになりすぎないよう気をつけて見ていきます。あとついでにアルバム『GOOD DREAMS』に収録されたリミックスにも少し触れておきます。

 

 

『ニュールンベルグでささやいて』(1982年11月リリース)

songwhip.com

 

 

1. ニュールンベルグでささやいて (詞:大江慎也,中原聡子 曲:The Roosters)

2. 撃沈魚雷 (詞:大江慎也 曲:The Roosters)

3. バリウム・ピルス (詞:大江慎也 曲:The Roosters)

4. Rosie (In Nürnberg Version) (詞/曲:大江慎也)

 

 スーツを着たメンバー4人の写った、赤を基調としたカラーリングで静かに鮮烈な、とりわけ花田の伊達男すぎる様が全体のスタイリッシュさを底上げしてるような気さえするジャケット。内容の異形さ・魑魅魍魎っぷりをまるで感じさせないオシャレさ。

 はっきり言って、4曲とももの凄い。リアルタイムで聴いた人は「どうなっとるんだ…」とその豹変っぷりに、賛否はあれどもどっちにしろ多かれ少なかれ困惑したんじゃなかろうか。

 

 

1. ニュールンベルグでささやいて(4:54)

ニュールンベルグでささやいて - YouTube

 

 前作の『We wanna get everything』にポストパンク経由のファンクとファンカラティーナの要素を振りかけたらこうなる…なってたまるか!という、池畑潤二という高出力ドラマーのポテンシャルを限りなく100%に近いほど発揮し展開される、奇妙にして神経質かつ炸裂感の強い、ポストパンク式の冷たさとファンカラティーナ的なリズムの乱れ打ち具合が大江の奇妙なストーリーテリングのラップと合わさった、異形なのに爽快感のある化け物じみたファンク。どうしてこんなものが生まれてきたのか、バンドの状況の混迷とポテンシャルの臨界とが見事に重なった結果の名曲。はっきり言ってこのバンドの歴史で見ても浮いてるくらいに何か突出した存在。

 冒頭から、冷たいトーンのギターストロークと妙に機械的に反復していくサックス*14、そしてその割に妙にサンバ的に乱打されるパーカッション類とドラムという、アンビバレンツなはずの組み合わせが初めっから当然の権利のように渾然一体となって現れる。リアルタイムで聴いてた人も後追いでベスト盤とかで初期から順に聴いてた人もここで大いに「!?」となったことだろう。ロックンロールバンドからこんなTalking Headsのバージョン違いみたいなの出てくるなんて予想する訳ない。

 楽曲が本格始動するのはサックスが消えて代わりにギターとベースがそれぞれリフを反復させ続けてから。この曲で特に思い知らされるのは、このようにセクションチェンジするときのドラムの動き方が特に強烈に叩きつけるものがあって、ダンサブルな中でもそこに強烈な“ロック”としての必然性が生じてる。ボンゴ的な軽いパーカッションっぽい音が多いように見えて、しかしセクションが変わると急にドスの効いた重いタムの乱打に切り替わってくる。何気にイントロだけで50秒以上ある。

 そんな叩きつけの後からいよいよこの曲の異様さを完成させる大江のボーカルが入ってくる。もはや歌ではなく、ラップと呼ぶのも不思議な、しかし実にリズミカルな口調で、実に退廃的な光景を英語とドイツ語を交えて畳み掛けていくその姿は異様も異様。しかし、その言葉の畳み掛け方は楽曲の展開に実にマッチしていて、これだけの演奏の中にあっても、間違いなく楽曲の推進力の先頭に立っている。

 かなり無骨で殺伐としたバンドの音や歌に対して、シンセサイザーの音は結構1980年代的な雰囲気の感じられるどこかフワッとしたもの。間奏やサビではメインのメロディラインを奏でるため、その存在感に違和感を覚えるかどうかは聴き手の年代にも関わってくるのかも。

 英語及び時折ドイツ語で綴られる歌の内容は「売春や薬物が蔓延した退廃的な街の様子」について。なんでこんなテーマで書こうと思ったのか*15。元々は当時まだ分裂状態にあった西ベルリン*16を舞台にするつもりが、語感の関係でニュールンベルグになったのではと言われてる。歌詞にその痕跡がある…語感だけの理由で退廃的な街扱いされたニュールンベルグ…。「トルコ人のヤクの売人」「アラブ系の客を待つ偽ブロンド髪の娼婦の少女」「灼け付いたコンクリート」「退廃しきったワインバーはすべて戸を閉める」等々、本当にどうしてこういう歌を歌おうという発想になったのか*17

 アルバム『GOOD DREAMS』に[Health Mix]なる名を付けてリミックスが収録された際には、冒頭のサックスがカットされ代わりに、よりサイコな印象を抱かせる変なフィルターの効いたシンセが入っている。シンセはバッキングにもより落ち着いた音で入り続け、ドラムがステレオでタムの乱打が広がってたのが中央に収められて、全体的にリズム隊の存在感が下げられ*18、代わりにウワモノのウェイトが大きくなっている。間奏のブレイク後に登場するノイジーな下山淳のギターはその際たるものだろう。パーカッションのダビングもあり間奏部のカオスさは増しているが、ドラムの乱打がステレオで広がってないのは結構この曲の迫力や快楽性を下げてしまってる感じも。

 2004年の再結成後のライブでは基本的にシンセなしで演奏される。こっちの方がストイックなバンドの音のみな感じがしていいかもしれない。そしてドラムは高い音のパーカッションこそないものの、それを普通のタムに置き換えた上で平然とスタジオ音源と同等かそれ以上の機動力を発揮する鬼のような腕前…。1982年の音楽が現代でも全然異様であることの説得力を発揮していた一幕だっただろう。

 

 

2. 撃沈魚雷(3:07)

 重厚で強烈なジャングルビートを基軸にブルース的なコード展開をしつつ、歌は何故か軍事兵器のことを延々と歌い続ける、妙な炸裂感がある楽曲。やはりロックンロールではない何かではあるけども、前曲と違ってこれを“ファンク”を断言するのも躊躇われて、ニューウェーブ要素もこの曲は薄くて、なんだろうこれ…とりあえず少なくともまあロックではあるか…ってなる。

 歯切れのいい大味なドラムの衝撃から楽曲が始まっていく。この曲こそ、いよいよドラムの鈍重なタムの連打が楽曲の音の大半を占めるんじゃなかろうか、というサウンド具合。ギターとベースはユニゾンでリフを構成し、というかギターは重厚に歪んだもの1本だけというシンプルさで、なので尚更、左右にパン振りされた各タムの乱打される音が聴感的に多くを占めることになる。ニューウェーブ的な神経質さは結構徹底して存在せず、なのでドラム乱打形の楽曲が2曲続きつつも、前曲とはかなりテイストが違う感じになっている。歌詞の雰囲気もどちらも異様ながらかなり違ってるし…。

 その上で楽曲の展開としては、ロックンロール的な展開の仕方を軸にした、かつジャングルビートの採用、ということで、Bo Diddleyの曲解の果て、みたいな趣となっている。というかこれジャングルビートって呼んでいいやつなんですかBo Diddleyさん…?大江のボーカルもどこかまだ初期のぶっきらぼうな荒々しい質感があって、威勢の良さが残っている。歌っている内容が意味不明なので、そんな内容の歌詞でロックンロール的に歌い散らすのも、それはそれで異様なんだけども。

 歌詞はもう、タイトルのとおり、“撃沈魚雷”なるもの、または低空ミサイルのことのみを歌っている。それを人間の感情や行為に比喩的に結びつけるとかそういうのも全くなく、ただただ戦艦か潜水艦かそういったものの歌になっている。

 

A Low Missile, honey  A Low Missile, honey

フルスピードで突っ込んで一気にぶちこわす

度肝をぬいてつっこんだら一網打尽

A Low Missile, honey

Draw a Straight Line and a Direct Way

 

何の比喩でもない軍事兵器の歌を延々と重厚なロックンロールに載せる、その異様さもまた、意味不明で行き場のないバンドのエネルギーの沸騰具合を思わせる。

 

 

3. バリウム・ピルス(4:10)

 戦慄のサイコビリーサイコビリーの“サイコ”ってそんな意味でしたっけ…という具合の病んだ歌詞を有した、明らかに大江の精神状態がマズいことになっている兆候が歌詞にも曲のコード感にも露骨に現れた、“サイコな”ブギー・ロカビリー曲。これ筆頭に『カレドニア』『C.M.C.』などの露骨に病んだ曲を録音しといて、その録音後のフォトセッションで大江の精神疾患の深刻さに気付いたというメンバーはちょっとどうなんだ…とちょっとだけ思わないでもない*19

 鈍く歪んだギターを幕引きに、怪しく蠢くベースと、そして頭の中の気味悪い神経の異変みたいなうねり方をするシンセが入ってきて早速怪しい雰囲気。よく考えるとこのような露悪的な雰囲気のサイコビリーというのも、Bauhausからの影響が感じられなくもない*20。ただ、ゴスなロックに徹してるというよりむしろ、この曲はもっと演劇的でなしに本当に病んでる雰囲気が漂っている。バイオグラフィーも分かった上で聴いてると、実に嫌らしいモヤモヤが残り続ける。この曲においては演奏のキレの良さの割に「いかにスカッとさせてはいけないか」に拘ってる節が特にプロデューサーの手腕と思われる部分に感じられ、同時期に彼が率いたバンド1984の悪趣味さと連続する部分が垣間見える。

 大江の歌は明らかに前曲のようなキレの良い威勢は失われ、代わりに夢遊病者のようにフラついた視点で、薄気味悪いメロディをしかし案外リズミカルに歌い抜けていく。あくまでもロカビリー的な、ブルーズ進行的な曲展開を一回りした後に、この曲のサビとでも言うべき、ブルーズ進行から逸脱して妙に飛躍するセクションでは、急に湧き上がるシンセの勢いと共に高くヒステリックなメロディを歌い、そこには後に大江ソロでプロデューサーの意のままに人形みたいな具合に悲惨なことを歌わされる彼の姿の原型が認められる。相変わらず爽快なフィルを連打するドラムとの対比はかなり痛々しい。

 歌詞を見ながらこの曲の歌の様子を聴けば、いくらそういう病気の人たちのことを客観的に歌う体裁になっていようと、これが歌い手自身に起こっていることだと容易に想像がつく。

 

サイコセラピストと呼ばれるのは

ニューホスピタルの集団療法

エレクトロニクスを駆使して

フローズン・ハートで治療する

君は近ごろ少し変さ どこか普通じゃないと思ったら

3685にTELEPHONE 診察してもらうんだ

ヒョウイ現象 ボケ状態 精神変調 被害妄想気味

 

ALL THE BAD DREAMS DRIVE IN

HOW LONG DID YOU WATCH T.V. YESTERDAY

ALL THE GOOD DREAMS FADE AWAY

HOW LONG DID YOU WATCH T.V. YESTERDAY

 

…この歌詞、本当に大江慎也が自発的に書いたのかなあ。プロデューサーから唆されて書いたとかじゃないかなあ、と、その後のソロの成り行きをある程度知っていると疑いの目で見てしまう。どういう経緯であれ、このように精神疾患そのものを歌にしてしまうのは日本でも先駆的な事例で、syrup16gとかの一部の歌のご先祖さまと言えなくもないだろう。不幸なことだけども。あと、この時点で既に後の名曲『GOOD DREAMAS』に連なるフレーズも、そのタイトルの意味合いの裏付けも登場している。こちらもやはりどう考えても痛ましい…。

 なお、このようなロカビリースタイルに落ち着く前にはテクノポップ調だったこともあるらしい。いまひとつ想像つかない…。

 

 

4. Rosie (In Nürnberg Version)(5:40)

 1stアルバムの中でも異端的な存在だったダークな楽曲を、よりそのエグさを強調すべくダブ的な処理を噛ませてよりスローなテンポで再録。テンポ自体は元々こういうテンポでむしろ1stアルバムの方が加速させたものだと北九州時代の録音を聴くと分かるけども、しかしダブ処理はまさにこの時期的な混沌の具合にとてもよく合っていて、歌詞の世界観も不思議とこの時期の楽曲と違和感がない。この曲の再録はプロデューサーが提案したことらしく、やはり柏木省三は音楽的には的確かつ創造力に溢れた貢献をしていると言わざるを得ない*21

 前曲の後味たっぷり悪目の余韻から続き、遠くから響いてくるギターのエコー効きまくりのカッティングが、引き続き悪い夢を見続けているかのような感覚にさせてくる。この曲もまた、まんまオリジナルのダブという感じでもなく、細かく反復するベースラインはむしろニューウェーブ的な感覚に思えるし、イギリス経由のダブ感覚が反映されているように思える。特に、かなりエコーを掛けられて、現実感覚から離れたところで歌われているかのようなボーカルの様が、1stの頃よりずっと儚げでまた痛々しい。比較すると、1stのアレンジの方がより現実的な猥雑さとその中を渡り歩くエネルギッシュさに溢れていて、こちらの方は退廃的なイメージの中に意識が散逸してしまいそうな危うさをずっと抱えている。それはこのシングル4曲の流れの終着点として相応しいボロボロ具合だろう。キメの部分で僅かに決断的な演奏になるのがなぜだか物悲しい。フェードアウトで終わっていくところも含めて、その虚しさの表現に抜かりがない。

 

カラッポ頭にレゲエ・ソング

明るい日差しを あびたがり うつろに空を見つめて

ただただ体ゆらす

 

 

・・・・・・・・・・

小結

 以上4曲、17分53秒の作品です。

 ひとつの作品として見ていくと、折角の大傑作アルバムの成立チャンスを割ってしまっての4曲入りシングルですが、これはこれで非常に鮮烈かつ効果的な纏りにはなっています。それまでのバンドの音楽と大きく異なる、異様さに満ちつつもエネルギッシュでかつ冷たい過激さを示した楽曲をリードに持ってきて、とはいえ従来的なロックンロールの感覚も『撃沈魚雷』『バリウム・ピルス』における一応のブルーズ進行などで若干担保し、そしてメジャーデビュー曲『Rosie』のリメイクで懐かしさとバンドの変貌ぶりとを印象づけて締める、ひとつの作品として実にロジカルに組まれたものとなっています。もしも『撃沈魚雷』『バリウム・ピルス』の代わりに『カレドニア』『ゴミ』が入っていたら、相当混沌とした作品になっていたことでしょう。『C.M.C.』については、『ニュールンベルグでささやいて』とは別に表題曲にしたかった気持ちがあっただろうことは楽曲の完成度から理解されるところではあります。

 ともかく、大傑作アルバムが潰えたことを無視すれば、“ロックンロールを遥かに超えた、作品ごとに急速に進化していく、最新型のThe Roosters”を強烈に印象づけた、強力なシングルだったと言えるでしょう。不健康さの影も、それを遥かに追い越すバンドの強靭さの勢いとあとえらくスタイリッシュなジャケットのおかげもあって、結構しっかりと追っかけている人でなければまだ気付かなかったのではないか。まあ、本作と同時期に録音された楽曲を流用する割にえらく間の空いた後のリリースとなった次作のジャケットを見てしまうと、バンド内の“異変”は否応なしに感じられてしまったんだろうけども。

 

 

『C.M.C.』(1983年7月リリース)

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1. C.M.C. (詞:大江慎也 曲:The Roosters)

2. カレドニア (詞:大江慎也 曲:The Roosters)

3. Drive All Night (詞/曲:Elliot Murphy)

4. Case Of Insanity (Live) (詞/曲:大江慎也)

 

 前作から半年以上も空いてようやくリリースされたこの12インチ、ジャケットを見て「なんか一気に不健康そうな見た目になった!」とギャップに驚くだろう。大江慎也の似顔絵、というか、当時の精神状態の悪状況を特徴や色彩に反映させたかのようなこの絵は、大江曲2曲の前作以上の凄惨な具合*22を思うと、エグいくらいに的確な仕事と言える。こういう絵柄にすることもプロデューサーの指示だとしたら流石に「人の心ないんか」事案が露骨になりつつある構図になる。

 なお、本作リリース前時点では1982年9月録音のうちまだ4曲が残っていたはずだけども、そこから本作には2曲しか収録されていない。4曲のボリュームにするために、1983年の新録1曲と、そしてわざわざライブテイクを1曲持ち出す羽目になっている。そこまでして1982年9月録音の残り2曲を温存しておきたかった理由は、後で推測を後述する。

 また、後のアルバム『GOOD DREAMS』に収録されたこの時期の楽曲のリミックス4曲のうち実に3曲は本作からとなっている。つまり本作の収録曲はライブテイクの曲を除きすべてリミックスが存在する。極端だ…。

 

 

1. C.M.C.(5:02)

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 『Let's Rock』を超える爽快感に満ちたパワーポップでありつつ、“平穏なビーチリゾートを軍事兵器が無慈悲に無感情に蹂躙する”という以上事態極まる過激な歌詞により非常に深い業を抱えたまま、その物凄くキャッチーなフックによってバンドの代表曲とさえなった、ポップさについても病み方についても激烈なものを有した、サウンド的にももはやオルタナティブロックに片足突っ込んでいる感じさえある大名曲。これこそ、エネルギッシュさが臨界点に達したバンドと、精神の均衡が危うくなったが故に前人未到の境地に達した*23大江の歌とが交わったところに生まれた、バンド史上でも最も鬼気迫る、奇跡のような1曲と呼んでもいいと思う。元タイトルは『サマーサマーサマー』で、サビの歌詞からだろう。そしてこの不思議な正式タイトルは“Cruising Missile Career”(巡航ミサイルキャリア)の略。これをサビで連呼する曲、というだけで、何かの異様さを感じるところだろう。

 素っ頓狂な、目覚まし時計のような、警報のようでもあるような不協和音気味なギターか何かの音によってこの曲及びこのシングルは幕を開ける。本当に何の音なのかよく分からない、妙にチープな音色だけども、混乱したテイストは少なくとも感じ取れる。その音の下で乱打されるドラムがスネアロールに収束したところで、あっけらかんとしたパワーポップが始まっていく*24。と同時に、バックではジェット機の音を模したと思われる、ギターシンセによるノイジーな音*25がまるで主旋律代わりに入ってきて、この辺は割と本当にオルタナティブロックしている要素になっている。きっちりした8ビートのようで要所要所でバネの効いた感じもするドラムや途中からルート音を外れて自由にフレーズを描き出すベースなども、活き活きと統制から外れていく感じがあって、バンドの演奏能力の円熟っぷりを思わせる。

 そのバンド史上最も快い勢いに乗って、大江のボーカルも初期からの荒々しさの集大成のような、吹っ切れたボーカル回しを見せる。Aメロ→Bメロを繰り返しながら、言葉の上では淡々と破滅的な光景をシュールかつ無惨に描き出しながら、次第に高まっていってはまたAメロに戻り適切に焦らす手管には、ポップソング書きとしてのセンスも存分に降りてきている。演奏もシンプルな8ビートと3コードのAメロから、マイナーコードも入ってきてリズムも大袈裟な叩きつけを見せて煽るBメロへ上手く移行し、コード展開と演奏と歌とで、バンド史上最高にテンポよくポップさを積み上げていく。

 そして、大江時代のロックンロールバンドとしての頂点とも言える、意味不明で破滅的な勢いに満ちたサビに到達する。メンバー一体となったユニゾンと、Bメロから続けて入る耳鳴りのようなノイズとを伴い歌われるこの日本のロックンロールの金字塔のひとつであろうサビ、大興奮の中ライブでシンガロングしたら絶対に楽しいに決まってるこのサビは、こんな酷すぎるフレーズで紡がれる。

 

C.M.C.  C.M.C.

SUMMER DAY SUMMER BEACH SUMMER SUN

突然空は丸こげ 悲劇のサマービーチ

 

特に、ユニゾンが解けた後の大江のボーカルの、勢いに引きつられてがなり割れたボーカルの、レッドゾーンに振り切った自棄っぱちさは、このボーカリストのベストボーカルのひとつだろう。歌詞の無駄に破滅的な様子含めて、チバユウスケthee michelle gun elephantの頃の歌い方や世界観の原点のひとつには、間違いなくこの曲、このサビがあると言っていいと思う。酷ければ酷いほど最高な、実に朗らかな危うさ。

 この曲は間奏やアウトロの時間もたっぷり用意され、その間鳴らされるギターソロがまた、かつてのギターそのもの音を信頼したロックンロール的なテクニックのそれとは似ても似つかない、エフェクト塗れになって妙な歪み方で、フレージングよりもサウンドありき、まるで流星の軌道のように突き抜けていくそんなセンス一発なギターソロの感じが大変にオルタナティブロック的。これ本当に大江か花田のギターなの?すごく下山淳っぽい音色とプレイじゃないかー?とかも思うけども。

 すでに色々と触れたけど、歌詞は本当になんでこんな…といったテーマと描写が延々と続いていく。

 

 爆撃機が400機 所狭しと飛びまわり

機関銃の音がひびき 対空砲火の弾が飛び交う

500キロ爆弾 ガス爆弾 雨あられと 舞い落ちる

リゾートホテルは粉々に壊れ

火の粉が海に降りそそぐ

 

突然空は真っ黒こげ 悲劇と化した サマービーチ

やしの木繁る 海辺の歴史は

あっというまに木端微塵

 

 

舞台となるサマービーチをここまで物理的に蹂躙する理由が全く示されないこともまたこの歌の理不尽さを助長させる。冒頭で「あの娘とワインをかたむけてる」主人公らしき者はすぐ歌詞からいなくなり、歌い手の視点はそのまま淡々と破壊を描写し続けるカメラに成り代わってしまう。その上で、このバンドでも最高にテンション血走るサビを歌うんだから、やっぱりどうかしてる。

 野暮なことだけど、圧倒的な軍事兵器による平和な営みの蹂躙は現実で起こっていることで、ウクライナで、イスラエルやガザで、大々的に起こっているそういうことを横目にこれを聴くのはとても不謹慎な気もしてくる。歌詞の書き手である大江慎也が戦争についてどういう思いを持っているかは、この淡々とした描写の歌からは思い知りづらい。もしかして戦争狂じゃないかと不安になるかもしれない。そう思った時は『Sad Song』の原型となった同じ年に作られたデモ曲『Sad Romance』にてひそかに語られる戦争に関する歌詞を読んで、少しの安心を得ることができる。

 『GOOD DREAMS』においてはまた[Health Mix]なる形でリミックスされる。そこまでの大きな変化は無いようで、変にウネウネとしたノイズがイントロ等に追加されている。元のジェット音をストレートに模したものと比べるとより気持ち悪いグジュグジュ感があり、全体的に悪趣味なこのアルバム収録のリミックスの方向性には割と沿っている。歌い直していることもあり、歌の勢いはやや減っているか。演奏終了後のノイズが少しくどい。

 大変大人気曲であり、バンドの1980年代最後のライブ(=解散ライブ)時にはオリジナルメンバーが集合して演奏され、そのライブ盤でも収録されたり、あるベスト盤ではわざわざそのライブ盤からこの曲を拾ってきたり、なんか解散から結構経った後からPVが制作されたり等々々。トリビュート盤ではPealout*26にカバーされ、モロに殺伐に引きずり倒したようなオルタナティブロックなアレンジは逆に原曲もかなりオルタナ要素を秘めていたことをアピールしていた気もする。

 

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2. カレドニア(3:49)

 精神の平衡を欠いた大江の整理の付けようのない頭の中を直接覗き込んで音にしたかのような、非常に不可解で奇天烈で混迷に満ちたサウンドの中を、南方の島々の地名を順々に“飛んでいく“大江の歌が落ち着くところもなく浮遊し続ける、この時期の楽曲で最も危ういところまで行ってしまった異形のポストパン。一応ガワは非常に快活な前曲から、一気に明らかに不健康になりギャップが激しい。これはそう思われるよう狙った曲順だろう。

 冒頭の目標をまるで見失ったカメラみたいなシンセからして妙だけども、本格的にサウンドが展開されるよいよいよその奇天烈さにギョッとする。実にナンセンスな音運びで反復し続けるピアノ、同じコードを延々と断続的に弾くだけのギター、薄気味悪いベースラインと変なタイミングにスネアが入り間をタムで繋ぐ地味に無駄に機動力高いドラム。全ての要素が安定とは程遠い、しかし攻撃的とも言い難い挙動をしていて、混沌としているという一点において妙に調和している。ある意味ではこのバンドの楽曲で最もポストパンクをディープにやっていると言えなくも無いかも。特にピアノは決定的な役割を果たしていて、メインリフのクラシカルな要素まるで無しの素っ頓狂さには驚かされる。前衛音楽に影響されたのか。

 大江の歌も、実に遠くから聞こえてくる。それは音響的な加工によるものもあるし、歌い方や歌っている内容の意味不明さ・現実感の乏しさによるところもある。「飛んでいく」と無感情気味に連呼する大江のボーカルからは完全に魂が抜かれた感覚というか、自我が漂白されてしまった虚しさが本人の意図に関わらず感じられてしまう。これがあの威勢のいいロックンロールを歌っていた男なのかと、順番にこのバンドの作品を聴いていくと耳を疑ってしまうだろう。「ダークに振る舞ってる」という感じもまるでなく、完全に異常な状態としか思えない。はっきり言って痛ましい。

 楽曲は奇妙な展開の仕方をしていく。展開する際に妙にクラシカルな響きを思い出してくるピアノがシュールで、また終盤に向かっていく間奏では他の演奏はそのままにドラムだけが急に駆け出したテンポになるなど、ドロドロな楽曲の中でも案外演奏で緩急をつける努力がなされている。極め付けは終盤にそれまでになかったメロディとして現れる「IN TO DEEP BLUE SEA」と繰り返し歌われるセクションで、ともかく隙間なくタムをポコポコと叩き込みまくるドラムに、急にラグタイム的に弾けたフレージングを見せるピアノが実にミスマッチでカオスな空間を作り出し、楽曲自体を深いところに段々と沈めていく。次第にまたリズムも加速し、唐突に終わりを迎える。その唐突さがまた不安を覚えるような怖さがある。

 歌詞の意図は本当によく分からない。歌詞に出てくる地名のうち、“スカルノ峰”“ウギンバ”はニューギニアの山岳地帯のもので、“ナッソウ”もニューギニアにある湾の名前。おそらくは『撃沈魚雷』『C.M.C.』などと続く戦争シリーズで、太平洋戦争でとりわけ凄惨な、食糧危機と疫病とが跋扈した戦線について触れていることになるけども、そういう凄惨さを単語で匂わせつつも、まるでそれとは関係ないような精神の漂流じみた歌詞の流れのように思える*27。直接的に病気を匂わす『バリウム・ピルス』よりもかえってこっちの意味不明さの方が病的に感じる。

 単に“Re-Mix”と題に付されて『GOOD DREAMS』に収録されたリミックスバージョンは、よりにもよってドラムを全部オミットして、代わりにコンガの頼りなくポコポコする音を配置し、左チャンネルのリズム的なギターも多くを削除され、よりドロドロして取り止めのない音の感覚を強調した、個人的にはよりエグく悪趣味に思える方向に走っている。ピアノの音もエグいコーラスで歪められ、かなり気色悪い。

 

 

3. Drive All Night(4:58)

 本作唯一の1983年に新たに録音された、公式リリースされた楽曲では初の花田裕之メインボーカルで、当時まだ発売されたばかりのドラムマシンLinnDrumをリズムに導入し、下山淳も合流しノイジーなギターを弾いた、色々と隠し味を効かせたカバー曲。カバー元はアメリカのSSWであるElliott Murphyの4枚目のアルバム『Just a Story from America』の冒頭曲。Bruce Springsteenと同時期に割と近い作風で出てきてしまったこのSSWの元バージョンはもっとワイルドなドラムの入ったテイストだけど、ここでの打ち込みドラム*28によるカバーは批評的なものを感じる。

 病的なところのある本作の他3曲と比べると、元の楽曲のパワフルな性質もあり、実に屈託のない仕上がりになっている。とはいえ、原曲に備わっていたパワフルな人間性を中和する方向に、このカバーの特徴であるノイズと打ち込みリズムは働いている。ドラムは、この曲の録音の段階ではまだ池畑潤二が在籍していた*29にも関わらずLinnDrum打ち込みで、しかしこのプログラミングについては池畑が行ったらしい*30。脱退を前にして消極的になってたのかもだけど、むしろ新しい技術をちょっと使ってみたかった無邪気さの方が勝つのかもしれない。冒頭から入ってくるノイズに続いて入ってくるその短調でチープなリズムは、どことなく生ドラムでは得難いプリティな趣も感じれる。何気に池畑脱退後もバンドが打ち込みドラムを使うことは殆ど見当たらず、これくらいじゃないか。

 物凄いリズム隊に惚れ込んでバンドに加入した下山淳からしたら、この曲での池畑との“共演”の仕方はしかしもどかしかったかもしれない。それでも、おそらくは冒頭のノイズや後半のギターソロなどを担当している。歌うついでに花田裕之がここぞとばかりに弾けばいいように思いもするけど、そこを他人に余裕で任せてみせるのが彼らしい。そんな彼のリリース作品では初のボーカルは、エコーのかかり方がまるで往年のロックンロール風という趣があり、大江の病み具合も含めて尖った雰囲気のボーカルとはまた違った、男性的なもっさりしたワイルドさを幾らか有した響き方が1970年代ロック的。ミドルエイトセクションの男性陣のコーラスワークの素朴さもなんだか可笑しい。

 “Club-Mix”と題された『GOOD DREAMS』収録のリミックスでは、打ち込みドラムの音色がより炸裂系の派手な音色になり、またギターやベースが下山の演奏に差し替えられた。他の同アルバム収録のリミックスと比べるとそんなに派手に変わってはいないけども、バンドにおける下山の役割の増加した状況が現れている。また、あるベスト盤にはこっちの方が収録されていたりもする。

 

 

4. Case of Insanity(Live)(5:01)

 新曲が足りないこともないのに出し惜しみするためわざわざ引っ張り出された、3rd『INSANE』収録曲の1981年12月のライブテイク。とはいえ1982年9月録音全般に漂う“精神疾患の感じ”の出始めの楽曲でもあるため、作品通じての妙な統一性は取ろうとされている。誰がそんなろくでもないもん取ろうとしたのかは、まあ察しがつくだろう。

 興味深いのが、よく聴くとこれは、ライブをそのまま録音したものでは全然ないと分かるところ*31。そもそも、普通にライブを録音したら、ボーカルがダブルトラックになる訳がない。また、ギターの音もエグいコーラスか何かが掛かっているのか、音程がかなり怪しい響きを放っている。この辺、おそらくはライブ録音した各トラックにエフェクトを掛けて、ライブの生の感覚とは違った何かを目指したものと思われ、つまりこれは単なるライブテイクではなく、ライブ録音したものをさらに一定の意思の元にリミックスした音源となっている。どういう意思かといえば、このシングルに濃淡ありつつも共通する“病的な感覚”をライブテイクにおいても、選曲とリミックスによって追及した、ということだろう。十中八九プロデューサーの仕業だとは思うけれども、とはいえやっていることのコンセプチュアルな手法自体はさりげなく実に的確で、このプロデューサーの功罪が功も罪もより深まる1曲なのかもしれない。

 

 

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小結

 以上4曲、18分52秒に作品です。

 なぜ1982年9月セッションの残り2曲『ゴミ』『Go Fuck』を残してカバーやライブテイクまで引っ張り出して4曲揃えたんだろう…とは思っててそれについては後述するけども、しかし改めて見ていくと、これはこれで意外と意欲的なこともやってるな、と感じれて、苦し紛れの部分があるかもにせよ、ひとつの作品として完成してるなあと思われました。『C.M.C.』を表題曲としてシングルを切りたい気持ちも、『C.M.C.』の圧倒的な完成度を思えばそれ自体は納得しかないし。

 ただ、ジャケットと4曲ともに共通させたコンセプトの方向性が、どうにも病的で、危うい方向性に向かってることは間違いないな…とも思わせる内容で、しかもこれが大江慎也の長期入院から退院した直後にリリースされた、という事実は、なんだか居た堪れないものがあります。

 そして、『ニュールンベルグでささやいて』を聴いて感銘を受けてバンドに近づいた下山淳の初参加が、このように最強のリズム隊との“ニアミス”に終わってしまったことは、この後彼に降りかかる様々な苦難のその出発点という感じも。

 

 

③1982年9月セッションのアウトテイク

 なぜか12インチ2枚に収録されなかった1982年9月セッションの楽曲について。

 

1. ゴミ(後に『GOOD DREAMS』に収録)

 同じセッションで録音された既発曲のリミックスなどと一緒に、なぜかアルバム『GOOD DREAMS』の冒頭に置かれる形でようやく世に出ることになった、エコーの効いたギターや変なシンセなどが跳ね回り、バネの効いたリズム隊が転げ回り、威勢のいい方のボーカルで様々なゴミを連呼する大江のボーカルが不思議なニューウェーブファンク。これもまたなんぜそんな発想になるんだ…という歌詞をしてるけども、いい具合に荒っぽい歌い方と全体的に活き活きした演奏が楽しい、おもちゃ箱を撒き散らかしたような内容の一曲。

 エフェクト的なシンセもそこそこに、響いてくるギターカッティングのエコーの濃さに印象を持っていかれる。その上で、そのギターの響きが攻撃的でも抒情的でもなく、ただただファニーな印象ばかりを発しているのがこの曲のいいところ。他の同セッションの曲みたいに何か病んだ空気を感じ取っていささかの不憫さを覚えながら鑑賞するようなことは比較的しなくていい。呼応するベルめいたキーボードの音もチャーミング。バネの効いたドラムの転げ回る様も大変いいけども、特にここぞとばかりにウネウネともうひとつのリード楽器として動き回るベースが大変楽しげでいい。大江のボーカルもAメロでは同じフレーズを繰り返し続けるが、歌い方は初期から共通する威勢よく吐き捨てる感じなのが、シュールながらスカッとする。ニューウェーブな音の雰囲気やミニマルさなのにメジャー調なのも妙な屈託のなさを生んでる。

 特にサビの箇所における不思議な狂乱具合はシュールで、シンセがビャーっと大味に鳴らされる中をともかくフィルを叩き込みまくるドラムと、それ以上にひたすら音数多くうねりまくるベースが実にエキサイティング。こんなことできるベーシストだったのか、と、初期のロックンロールバンドの姿からは予想ができないプレイだと思う。大味なシンセの奔流もまるで脳内のごちゃついたイメージが一気にブゥワーって出ていくような感じがする。とことん楽しくアホやってる感じが、この曲の実にいいところだ。

 歌詞の方を見ると、これはこれでなんか病みが垣間見えるのかもしれないゴミの名前の列挙。

 

石油かす 割れたガラス

抜けた髪の毛 糞尿 お茶かす

 

  

2. Go Fuck(遥か後にBoxセット『Virus Secrity』に収録)

■THE ROOSTERS / Go Fuck 2ver(DemoTake+LIVE音源) - ニコニコ動画

 

 問題の楽曲。リアルタイムでライブで演奏され、雑誌などでその存在が喧伝され登場を期待されていたにも関わらず、主にタイトルのせいなのか歌詞のせいなのか、結局リリースされず歴史の闇に消え、バンドが解散してずっと後の2004年のボックスセット『Virus Security』でようやくサルベージされたこの曲は、絞った音数、騒がしさのない淡々とした演奏の中、大江が初期からの荒々しさを残したボーカルで朗々と、何か切なさと切実さを感じさせる言葉遣いで性愛について歌う、さしずめThe Roosters流のR&Bラブバラッドと呼んでいいだろう。とはいえ、公式リリースされた音源はおそらくは1982年9月の録音時に一旦ミックスダウンされたものだろうから、さらに色々とアレンジを加える可能性はあったのかもしれないが。

 イントロの段階で、この時期の録音にしては案外にシンプルなギターストロークとドラムのフィルから始まり、それらがある一点でスッと、淡々とした8ビートの演奏に切り替わり、同時に歌も始まる。ギター音もコーラスこそ効いているもののこの時期の他の曲に多い歪みは殆どなくかなりクリーンな音色で、ドラムも実に淡々と8ビートを刻み、ベースのみそれなりに動いて伴奏を牽引する。しかしどの楽器も、あくまでこの曲の主役は歌、と割り切った動きに思える。

 オールディーズポップスのような甘いコード進行の元に朗々と歌うボーカルの様こそがこの曲最大の聴きどころ。この時期の他の楽曲の激しかったり尖っていたり暗かったりなどといった様子と異なり、この曲での大江は実に落ち着いていて、ニュートラルで、なので逆に、正統派に歌の技巧が高いボーカリストではないことも浮き彫りにはなっている。誰もこのボーカルにMarvin Gayeとかそういうものを見出したりはしないだろう。しかしながら、正統派歌手ではない、もう少しアウトローな立場だからこその歌声というか、飾り立てることさえ知らないかのような、純度の高い無垢さ・荒々しさを感じさせる。これより後の「夢みがちなボーカリスト」の感覚とも明確にテイストが異なり、初期からの歌い方の集大成が『C.M.C.』でありこの曲でもあったのだと思えるところ。だからこそリリースされなかったのがひたすらに惜しまれる。

 基本的には同じメロディをやや退屈気味に繰り返しつつも、しかしある程度すると、同じメロディながら背後のコードが急に陰りを帯びる場面に入る。その地点まで来ると伴奏にシンセも追加され、ここを起点にメロディも変化していき、ようやくBメロめいたメロディに入った後に、フックが取り付いた元のメロディに回帰するという、静かにドラマチックな展開を見せる。この辺の、慎ましくも密かにダイナミックなソングライティングは、大江の作曲でも非常に珍しい類のものだと思う。慎ましいレベルの変化だからこそ伝わるものがあるということを、この曲の彼は認識していたんだと思う。

 歌詞については、録音前のライブ演奏時にはより露骨でしょうもない部分もあったものの、そこから商品化を目指して徹底的に書き直していったのか、タイトルほどには露骨に下品な表現もそんなに見えず*32、むしろ様々なメタファーを介して性愛について切実に歌い上げる様は、それこそ「俺はただお前とやりたいだけ」と歌う『恋をしようよ』で始まった初期からの路線の終着点のように感じられる。

 

口笛吹いて 声たかだかに 腰をふるわせよう

ベッドの横から 身をのりだして

動悸は波うち 肌は汗ばむ

快楽の喜びに泣こう つるつると始めよう

 

ARE YOU FINE? ARE YOU FINE?

服は床に脱ぎすてて

うっとりと仕込もう 背骨が折れるくらいに

 

背骨が折れるくらいに」という、強い愛の表し方には、大江元来の不器用さからこそ出てくる最も美しい部類の言葉のように思える。ロマンチックだ。ここには漠然とした不安はありつつも、狂気や病みは見当たらず、ただただ“愛”をなぞろうと手を尽くそうとする心理のみが描かれる。それはある種健康的なことで、逆にこの時期のリリースからこの曲が外されてしまったことで、結果的に不健康で危うい曲ばかりがシングル2枚に集まったようにも感じられる。

 このように実態は実に慎ましくも燃え上がる情念を歌うラブバラードとして存在し、そこに過激なタイトルを付して、リアルタイムで雑誌に「80年代最大のプロテストソング」などと喧伝されていたにも関わらず、結局はリリースをされないまま大江は脱退し、その後もリリースの機会などなくバンドは解散、長い時間を経て、2004年の豪快な蔵出しボックスセット『Virus Security』*33にてようやく陽の目を見た。その後は大江のソロライブなどで歌われるようになり、再結成The Roostersもやがて取り上げるようになり、2014年の京都磔磔でのライブを収録したDVD『All These Blues』にその様子が収められた。

 

 

 なお、その他にもこのセッションとは別のタイミングだけども1982年中の録音でリアルタイムで未発表だった曲として、The Modern Loversのカバー『Astral Plane』と、後の『SAD SONG』の原型である大江による弾き語りデモの『Sad Romance』があり、どちらも『Virus Secrity』に収録されています。

 

 

考察

 ここから先は個人的な憶測・妄想ばかりが並んでいます。

 

なんでシングル『C.M.C.』は新曲で固めなかったか

 シングル『ニュールンベルグでささやいて』にて1982年9月録音の8曲のうち4曲がリリースされたけども、その段階で『C.M.C.』含む4曲が残っていて、そのまま立て続けに残り4曲をひとつの12インチシングルにしてリリースすることはできたと思います。なんなら『Astral Plane』のカバーも既に存在していたはずだし。しかし実際は、シングル『C.M.C.』は他者の楽曲のカバーと過去曲のライブテイクで水増しされ、残り4曲のうち2曲のみの収録に留また形でしかも半年以上先にリリースされました。

 際立つのは『Go Fuck』の不在ですが、何気に『ゴミ』もこの時点で放置されていて、忘れた頃に在庫吐き出しのようにアルバム『GOOD DREAMS』に収録されます。別に『Go Fuck』が色んな理由で没になったとしても、『ゴミ』はシングル『C.M.C.』に全然突っ込むことできたと思います。

 ひょっとしたら、『C.M.C.』のリリースを検討している段階では、これら残った2曲を温存し、もう1枚12インチシングルのリリースを画策してたんじゃないのか、と考えられます。そして、そのもう1枚の12インチのために『Astral Plane』のカバーも温存されてたんじゃなかろうか、と思うのです。3曲、もしくはまたライブテイクを1曲入れた4曲でリリースしようとしていたのかもしれません。事前に『Go Fuck』はリリース前に名曲としてレコードの帯などで仄めかされていたこともあるし。

 しかしそれが、大江の体調不良や歌詞の問題でそもそも『Go Fuck』自体がボツになったことなどもあり、歴史が変わってしまったのかな、と妄想します。もし第3のシングルが無事にリリースされていたら、このバンドの歴史はどうなっていたのか、この記事は3枚のシングルを扱う記事になっていたのか。アルバム『GOOD DREAMS』は『ゴミ』抜きで製作されていたのか。歴史にifは無く、妄想に妄想を重ねたその先にはとりわけ不毛な考察が広がっていきます。

 

 

どうして1枚のアルバムでリリースしなかったのか

 ひたすら理解に苦しむのがこの点です。3枚目のシングルどうこうよりも、こっちの方が大問題です。

 1982年9月録音の8曲の合計演奏時間はおよそ35分。十分にアルバム1枚分に達します。『Astral Plane』のカバーも加えればますますいい具合の尺になります。仮に歌詞がダメで『Go Fuck』をボツにするという史実と同じ重篤な判断があったとしても、尺的には『Astral Plane』入れればまだなんとかなるでしょうし、曲目もまだ全然物凄いものがあります。前作『INSANE』だってそもそも7曲30分弱しかないし。

 複数のシングルに分けてリリースされたのには、プロデューサーの意向があったと言われています。コロムビア傘下の12インチ専門レーベルShan-Shanからリリースされましたが、この辺はプロデューサーだけの意向ではなく、そのようなややマニアックなレーベルにThe Roostersという人気上昇中のバンドを持ってきて箔をつけたいレーベル側の思惑もまたあったりしたんじゃなかろうかと考えられます。

 初期The Roosters(というか『φ』『NEON BOY』くらいまでのこのバンド)がその素晴らしい楽曲群を生み出してきた反面、それがプロデューサーや環境に振り回されて出力され続けた産物であることはそこそこ知られており、本人たちのインタビューで「知らないうちにアルバムが出てる感覚だった」という話もあり、決して本人たちの意思ベースで作品が作られていたわけではない事情が分かっています。今回取り扱った楽曲群も、様々な場所でプロデューサーの邪悪な存在感が覗き、果たして本当にバンド4人のポテンシャルから素直に出てきた作品と呼べるかは不安な部分があります。また、飛行機の音にもしたノイズを後から入れて完成度が上がった『C.M.C.』のような例もあります。

 しかし、それでも、これらの楽曲を1枚のアルバムに結実できてたら…という思いは拭えません。

 

 

[妄想]日本のオルタナティブロックの“風街ろまん”として

 というわけで、ここでは今回触れた1982年9月のセッション等をかき集めて、こういう1枚のアルバムがもし出せていたら、という妄想をしていきます。

 シングルでも十分名曲は名曲として残りますが、それでもアルバムという単位で残っていた方が「日本のロック名盤」とかの特集に取り上げられやすくなります。むしろそのような企画が様々な雑誌や媒体で出てくるようになってから、はっぴいえんどの『風街ろまん』はその権威も影響力も増していったかんじがあります。別に権威や影響力があるから偉い、すごい、という話でもないですが、でももしThe Roostersがこの時期の楽曲をまとめて1枚のアルバムで出せていたら、きっとその影響力は今以上だったかもなあ…という、だからどうなるわけでもない妄想です。

 こんな曲順でどうでしょう。当時はまだレコードメインだからA面B面も意識して。

 

A-side

1. Rosie

2. C.M.C.

3. バリウム・ピルス

4. 撃沈魚雷

 

B-side

5. ニュールンベルグでささやいて

6. Astral Plane

7. カレドニア

8. Go Fuck

9. ゴミ

 

 んーまあ名盤。曲がそもそも凄いからどう並べたって名盤になるだろうけども*34。現実的にこういうの出せただろうか。『C.M.C.』とか1983年にダビングしてる部分あるくさいしなあ。1982年に何もリリースしないわけにもいかなかったから、結局1枚のアルバムじゃなくてシングル2枚に割ってしまったんだろうか。でもこういう並びとかで1983年の頭にでも出てたらなあ。

 こういうのを再現できるようにするためにも、サブスクで“未発表曲・レアトラック集”みたいなののリリースが希望されます。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・

終わりに

 以上で、The Roostersサブスク解禁を期に書いてきたシリーズは終わりです。シリーズって言っても2個しか記事ないが…。

 ともかく、中期のThe Roosters/zの異様さというものは、半ば事故によって、半ば邪悪な意思によって生まれてるところがあり、素直に称賛しづらくも、しかしむしろだからこそなのか鬼気迫るものがあり、その魅力は他に代え難いというか、代えが効いてしまった場合その代えも大概不幸だろうなというか。でも、たまらなく惹かれるものがあるのも間違い無くて、このもどかしさの上に、今回取り扱った最も強烈な楽曲群がアルバムとして世に出なかった不幸もあり、さらにもどかしく感じていたところです。そのような戸惑いが、きちんとここまでの文章に滲んでいれば幸いです。読む分には読みづらいだろうけども。

 歴史にifはなく、オルタナ版『風街ろまん』なるこのバンドの名盤は少なくともこの世には存在せず*35、ただかろうじて今回サブスク解禁された2枚のシングルと幾らかの“未発表曲”があるのみです。でも、それでもその2枚は確かに世に出て、非常に素晴らしかったり絶妙にキモかったりと、その存在感は現代でも色褪せきることは決してないと思っています。聴いたことない人はぜひ、ちょっと聴いてみてほしいなと思います。こんな日本のロックのオーパーツのような楽曲群があるのかと。

 それではまた。

*1:2018年にようやくリリース当時と同じアナログ12インチで再リリース。

*2:他のシングルや12インチは未解禁。『SOS』くらいは解禁しといた方がいいような…。

*3:逆にこの二つが解禁されなければ相当ファンから非難が出ただろうことも予測はつきます…スタッフの判断は賢明だったかと。

*4:この人もなかなか只者ではなく、元々The Roostersのスタッフとして参加していたところ、ライブで『INSANE』収録曲を演奏する際にキーボードが必要となり、楽屋で演奏していたりとか、突如『ニュールンベルグでささやいて』のキーボードアレンジを振られたりとか、それまでキーボード類の演奏をしてこなかったのに、次第にシンセに詳しくなり、機材に関する使用テクを他バンドに提供するようになったりします。調べて一番驚いたのは、その後音楽業界に身を置き、スピードスター・ミュージック代表取締役などの要職を渡り歩いていたり。

*5:歌詞も完成した『Sad Song』とはかなり違うけども、このデモの歌詞は戦争映画がどうとかなどと、同時期の楽曲との連続性を感じさせるものになっています。メロディもより単調な繰り返しとサビのフリーキーなフェイクが取り付き、完成版との違いは興味深いところ。デモの録音時期は上記8曲の録音時期の終盤…?

*6:『Rosie』再録含む。そういう意味でもこの再録は妙に作品に馴染んでいる。

*7:『ゴミ』もこれに含む。

*8:まあ『INSANE』の頃にはもう出てこないし、そもそも“おいら”を使ってる歌自体そんなに多くないけども。

*9:この点でも『Rosie』は奇妙にこの時期の歌詞と並べても違和感が少なくて、今回の要素が過去に全く存在していなかった訳ではないことが確認できます。

*10:これはひとつの推測だけども、後述するように『ニュールンベルグにささやいて』に元ネタの本があることなど考えると、当時の大江は非常に多忙で切迫したスケジュールと生活の中で、自分の中から“積極的に歌いたい”と思うような事柄が枯渇して、それで自分の興味関心で拾った情報をそのまま歌詞にしてるんじゃないか。だからこそ歌い手の視点は希薄になるし、歌としての方向性も意味不明なものになる。その結果異様で唯一無二な世界観が出来上がってるのは皮肉だけど、これもまた、余裕のない状況から結果的に生まれたものなのかもしれない。

*11:メンバーが海外からの影響をリアルタイムで言及してたりもするので、この辺は間違いなく事実だろうけども。

*12:後にニューウェーブ的なギターサウンドを一手に引き受けていく下山淳は少なくとも1982年9月セッション時はまだThe Roostersと合流していない。彼が参加するのは上述のとおり『Drive All Night』のカバーからなので、今回の作品には一応少しだけ参加はしてるけども。

*13:その辺の事情は同じく柏木プロデュースの大江ソロが音楽的には今ひとつな結果に終わったのと無関係ではないかも。

*14:延々と一定のフレーズを反復するイントロのこれに、録音時は結構苦労したらしい。キーボードで鳴らすホーンの音色みたいにも聞こえるがれっきとした生音のサックスだそう。

*15:その着想の元ネタのひとつとして、1970年代、麻薬やら売春やらが蔓延しそのような社会環境ができてしまう悪場としての西ベルリンの状況を告発した本『Wir Kinder vom Bahnhof Zoo』(邦題:かなしみのクリスチアーネ―ある非行少女の告白)が存在するようだ。これに様々な記事や写真集などなどを混ぜ合わせてこうなったらしい。

*16:David Bowieが『Low』を制作した辺りからそういう退廃感のモチーフのメッカになってた印象。

*17:上述のとおり、何か歌いこと、という発想ではなく、とりあえず衝撃的な情報をそのまま歌詞にしておこう、くらいの発想なのかもしれない。

*18:アルバムリリース時にはどちらも脱退していたからなのか。

*19:とはいえ、大江の精神状態の変化は既に『Case of Insanity』の歌詞などでも窺える状況だし、メンバーも、何かよくないことが起こっているのは分かりつつ、しかし生まれてくる楽曲が物凄い出来なこととあとスケジュールの過密さで、その辺のケア的なところを、明らかに作業が止まるくらいの事態になるまで構ってられなかったところはあるんだろう。このようにその陰惨な背景が透けて見えるほどの楽曲がキチっと録音されこうやって世に出たことは、幸福なことなのか不幸なことなのか。リスナーからすれば大変に得難い経験だろうけども。

*20:『Telegram Sam』のBauhausカバーは1980年のリリース。

*21:逆にそうだったのが大江ソロでなんでああもチャチい感じのことしかしなかったのか、バンドという触媒を失ったからなのか、もっと仄暗い欲求があったのか、実に不可解かつ不愉快。

*22:まあ録音時期前作と同じだけども。

*23:普通誰もこんなとこに達しようと思わねえよ…というのも込みで。

*24:『Let's Rock』にも言えるけども、元々1950年代ロックンロールフリークだっただろうけども、このような歪みがはみ出る形のブリッジミュートギターでゴリゴリとやり通す様はなんだかんだでRamones以降のバンドなんだよなあと思わせる。

*25:これについては、当時のキーボーディストの安藤氏が解説していて、それを読むと、このノイズをはじめとするこの曲のノイズはどうも1983年にダビングされたっぽい。その時期が事実であるなら、この辺はちょっと今回の2作がひとつのアルバムにできなかった事情に絡んでくる。

*26:彼らもdipなどと同じく、The Roostersオルタナ側から照射し続けたバンドで、他にも『SAD SONG』『ニュールンベルグでささやいて』をカバーしている。元The Roosters花田裕之とも共演し、そして自身の解散直前にリリースしたベスト盤の末尾に『C.M.C.』のカバーを収録するほどの熱の入りっぷり。dip共々、The Roostersオルタナ方面で見ていくとやっぱ中期がフォーカスされるんだなあという例でもある。

*27:上述のとおり、ニューギニア戦線での日本軍の死亡理由は栄養失調や餓死、熱帯地域特有の様々な疫病による病死が主で、水死ではない。

*28:LinnDrumはTR-808と並ぶリズムマシン初期の傑作で、Princeの使用などで知られる。YMOはアルバム『浮気なぼくら』(1983年5月リリース)や『サーヴィス』(1983年12月リリース)にて大いに使用している。ちなみにこのカバー曲は1983年5月に録音されているらしい。

*29:1983年6月頃に脱退。

*30:なので彼が”The Roostersでドラムを叩いた”音源は1982年9月録音が正真正銘最後となる。

*31:実はキーボードも元のライブでは演奏されておらず、あとでダビングしたものらしい。スタジオ版の時点でキーボードが主軸のはずだけども当初は入れずに演奏してたのか…。

*32:まあ「あそこを食べて」とか朗々と歌っとるが。

*33:それにしてもこのボックスセットもなんでこんな名前なんだ…?

*34:あまり本文でクドクド書くものじゃない気がしたので脚注で書くと、曲順の意図としては、1stアルバムで最後に置かれていた曲の再録を先頭に持ってくることでその変貌っぷりを印象付け、まあ一番キャッチーな曲は2番目くらいに置いて、同じくシングルA面級の曲はB面先頭、そして最後に「こんなアルバム『ゴミ』だぜ」って感じに曲が並んでる訳で、かなりオルタナ感あるんじゃなかろうかこうなれば、っていう妄想。

*35:『DIS.』を無理やりそう呼ぶこともできるか…?いやあれはオルタナよりもニューウェーブか…。