ブンゲイブ・ケイオンガクブ

本を読まない文芸部員と楽器を練習しない軽音楽部員のような感じのブログ。適当な創作・レビュー等々。

『The Beatles』The Beatles(1968年11月リリース)1/2

 最近またこのアルバムの曲順いじりに熱中していて、何度も聴きかえして色々と纏めておきたくなったので、この歴史的な2枚組のアルバムについて書きます。

 何かもう語られ尽くしている作品のような気もするし、きちんと書こうとすれば夥しい文章量になって纏りがつかなくもなりそうですが、そこはそれなりに読みやすくなる程度に抑えて書ければなあ、というつもりで書きました。それでいて、何かしら決定版めいたものをも目指して。その結果、またかなり長い文章になりそうだったので、2分割することになりました。今回は前編。

 

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 なお、弊ブログの2枚組アルバムの記事でも本作を取り上げていました。このテーマでこれを取り上げないはずがない。

 

ystmokzk.hatenablog.jp

 

 なお、本当はこの記事を書く端緒になった「ホワイトアルバムの曲順いじり」こそが本命で書きたい内容なので、この記事はそこに向かうための前段、序章みたいなものでもあります。

 

 

 

アルバム概要

 今更語り直すことのない有名な作品だとは思いますが、しかし様々な語り口ができる作品なので、それぞれの論点を落とさないよう、かつ簡潔に紹介するのは困難です。

 

 

The Beatles唯一の2枚組、計30曲・93分超えの超大作アルバム

 本作は彼らの9作目のスタジオオリジナルアルバム、ということになります*1。1968年11月にリリースされ、前作アルバムの『Sgt. Peppers Lonely Hearts Club Band』から1年と5ヶ月くらいのインターバルになります。その間もシングルやEPは出てますが、アルバムのリリース間隔としてはこれはこのバンド存命時で最長になります。

 しかし、そのインターバルを覆すほどの物量。2枚組アルバムということで、disk1が17曲、disk2が13曲の合計30曲で、収録時間合計は93分33秒という圧倒的なボリュームは当然このバンドのオリジナルアルバムではトップで、1枚平均にしても15曲47分弱と、彼らの実質最終作『Abbey Road』の17曲47分30秒*2に次いで長いものです。そもそも、前作『Sgt.〜』までの彼らのアルバムが40分を超えたことがないということは、本作がそれまでの2枚以上のボリュームを持つことを示しています。また、90分超えというその尺は、同時代の当時2枚組LPとしてリリースされた多くのアルバムがCD時代になり1枚の収録時間が伸びるとCD1枚に収まるようになったの異なり、CDになっても2枚組にせざるを得ないほどの物量の作品だった、ということになります。

 なんでそんなにボリュームがあるのか、については後段で触れましょう。

 

 

多種多様な楽曲、「現代音楽の全て」(←疑義あり)

 このアルバムに関する評としてしばしばこれが言われており、確かに様々な音楽性が含まれていることは間違い無いですけど、でも「現代音楽の全て」は流石に言い過ぎです。ただでさえ1967年に頂点を迎えたサイケデリックロックの後にはポピュラー音楽だけをしても相当に様々なものが生み出されてきているというのに。

 このアルバムの音楽の多様さは詰まるところ、その多くがPaul McCartneyの、ひとり多重録音が可能になった環境下での様々に小器用なアレンジや、バンドの3人目のソングライターとして急激に成熟したGeorge Harrisonの存在、あと『Revolution 9』あたりのせいだと思われます。サイケを通過したことで各メンバーがキーボード周りの演奏に慣れていたことも大きいでしょう。音楽性の多様さゆえに散漫な出来になっている、などと言われますが、それはアルバムの所々にそういう「変わった味付けのもの」が混じるだけのことであり、アルバムの基調にはアコースティックな楽曲と、そしてそれよりずっと多い、よりヘヴィになったバンドサウンドの楽曲が確かにあります

 …そのヘヴィなサウンドが結果としてVelvet Underground等のよりダークで病んだ音楽と共振することに成功している、という意味では、そっち方面の音楽性の広がりは間違いなくあります。そしてその主役は圧倒的にJohn Lennonです。

 

 

John主導の、ソリッドで毒々しくカオスなロックバンドサウンド

 そもそもの話として、本作は前作までの複雑で凝りまくった制作行程によるサイケデリック路線の行き詰まり*3などもあり、また作曲時の状況などもあり、よりシンプルなバンドサウンドやフォークサウンドに回帰することが明らかに目指されていました。同じ年の3月の『Lady Madonna』にその兆候はあったけれど、それよりもグッとバンドサウンド寄りの作品で、後述する個人作業増加の傾向はありつつも、でも30曲中22曲くらいは、実質的にも形式的にもバンドサウンド的なものに収まっています。

 本作30曲の作曲者別内訳はJohn曲13曲、Paul曲12曲、George曲4曲、Ringo曲1曲となっていて、サイケ期にはPaulに押されていたJohnの作曲数が一気に増加し、かつ1曲の弾き語り的作品と1曲の前衛作品、1曲のミュージカル調を除いて、ゴツゴツとしたバンドサウンドを響かせる楽曲になっています。対抗する曲数のPaulが個人技の充実による非バンド的楽曲が多いこともあって、本作のバンドな側面を見ると、Johnの存在は数的にも圧倒的です。

 それ以上に強烈なのが、彼が本作の多くの楽曲で繰り出す、コード感からし暗く淀み、怠さ・神経質さに沈み、時折怪しいアルペジオを響かせたり、ヒステリックにシャウトしたりする、そのかつてなくダークな作風でしょう。彼のこれより前の作品では同様の傾向は『I am the Warlus』をはじめとしたサイケ曲に見出せますが、特に彼が『I am〜』で苦労を重ねて成立させた「崩壊したコード感覚」がひとつ、これらの要素に大きな影響を与えていると思えます。

 

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それ以外にも、当時の妻との破綻した生活や終生の妻となるOno Yokoとの出会い、後述するインド旅行で得たスピリチュアルな感覚、その際に同行したフォークミュージシャンのDonovanから教えてもらったアルペジオの技法、そして、ブーム当初のキラキラ感が失われて、どんどん重症に陥っていくドラッグの問題などが、彼の楽曲制作に確実に暗く重い影響を重ねていきます。彼が小さい頃、両親に育児放棄されたトラウマもまた、このような中で不気味に躍動を再開したのかもしれません*4。この辺の彼の楽曲の影響源だけで、誰かがその気になれば本を1冊書けるくらいのボリュームが出てくることでしょう。

 ともかくそのようなこともあってか、本作の彼の楽曲はRingoに歌わせた1曲を除いてどれも何かしら暗い要素が入り込んでおり、本作を初めて聴いた人に「なんか暗い、気色悪いアルバムだ…」と思わせることに繋がっています。しかし、まさにこの部分がこのバンドの歴史でも最も破滅的・退廃的な美の感覚を宿した場面であることも確かで、この辺りは特に1990年代のオルタナティブロック以降に大いに再評価を受けることとなり、本作の再評価にも大きく繋がったところです。

 興味深いのは、そのような暗く怪しい彼の楽曲の多くはバンド編成で製作され、クレジットを見ると大体バンド4人ともが参加していることです。このような暗く破滅的な楽曲が、当時団結に大きく傷が入りつつあったはずのバンド全員によって形作られていることに奇妙なものを感じられます。

 また、Johnのこのアルバムに典型的な作風は、実は他の時期ではなかなか見られないものであり、同年頭レコーディングの『Hey Bulldog』や、バンド晩年の『I Want You』、そしてソロ1st及びそれまでのシングル楽曲幾つかに留まります。そのような本作以外での散発っぷりを見るに、本作でのこの彼の「闇の奔流」とさえ思える充実っぷりは、危うくも痛ましくも、しかしオンリーワンな格好良さをずっと漂わせています。

 

 

自在に小器用に傲慢に我が道を行くPaul McCartney

 John Lennonが闇の中でキャリアハイを迎えていたのと同じ時期、バンドのもう一人の天才である彼もまた、キャリアの絶頂を迎えていました。『Sgt.〜』以降の八面六臂の活躍さえもまだ頂点ではなかったとそう思わせるのは、まさに本作において、彼が終生の才能となる「自分一人で何でも演奏して洒落た佳作を量産する」スタイルを確立したことにあります。全部1人演奏によるソロ『McCartney』諸作や同様のスタイルで作られたソロの2004年の名作『Chaos and Creation in Backyard』などは、本作の彼こそをその大元としているのです。

 これには、スタジオの録音機材がそれまで4トラックしか録れなかったのが、一気に倍の8トラックまで録音できるようになり、であればバンド全員で同時に演奏しなくても、1人がそれぞれのパートを繰り返し録音すれば楽曲として成立させられるようになった、という、録音技術の発展が大きな技術的原因としてあります。この辺の技術的進歩の積み重ねの中において”宅録”という概念もまたやがて産声を上げることとなりますがそれはまた別の話。

 

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 個人的に、彼の才能の最も輝くところは、このような環境下において自分の思うがままに演奏陣を配置して、もしくは自分で多重録音して、小器用に小洒落た楽曲を作ることのできるポップソングの制作・編集能力にこそあると思っていて、それは確かに本作で確立されたものです。しかし、この才能はどこか「彼が見えているゴールに向かって演奏陣がやって来るのを演奏陣の尻を叩きつつ待ってる」ようなところがあり、これと完璧主義者的側面とが合わさり、演奏陣を疲弊させてしまうきらいがあります。

 実際、本作のセッションで彼はバンドメンバーと何かと衝突し、『Ob-La-Di, Ob-La-Da』では終わりの見えないレコーディングを繰り返してメンバー等を疲弊させ、そして『Back in the U.S.S.R.』に至ってはドラムに注文と苦言をつけまくった挙句、Ringo Starrの一時離脱といった事態まで引き起こします。その際に自分でドラムを叩いて完成させてしまったこともまた、彼の才能のタチの悪さを思わせます。もしかしたら彼も、そのような衝突にうんざりして、1人でできる部分はどんどん1人で済ませるようになり、いつの間にか何でも1人で完成させてしまう大家になっていったのかもしれません。そう思うと結構寂しいタイプの才能のようにも思えます。

 しかし、そのような犠牲やらメンバー無視やらを繰り返して製作された楽曲がまた、いくつかのお遊び的トラックを除いていちいち素晴らしい・完成度が高いのもまた事実です。何よりも、シングルで切ったためにアルバム未収録となった、彼の生涯の名曲のひとつであろう『Hey Jude』は同じ時期の録音です。逆に言うと、彼の生涯の大名曲がアルバムから外れてしまったばかりに、本作の彼は「小洒落た佳作」ばかりな印象になってしまっているかもしれません。

 でもその「小洒落た」部分こそが、一番本作の音楽性を広げている部分でもあります。ともかく「手管を費やしてそれっぽい雰囲気をポンポン作り出す」ことにこの時期の彼は本当に長けています

 あと強権について弁護するならば、単純にレコーディングの段取りをコントロールする、といった面で、Johnがメインを降りて以降は彼が色々と細やかな気配りをもって指揮をしないといけなかった、といったやむを得なかった事情も絡んでくるところ。そりゃますます人間関係のノイズ・不確定要素の少ない「1人録音」に傾倒してしまいそうです。また、Ringoのドラムを酷評する一幕があったかと思うと、一方で彼の初めての自作曲『Don't Pass Me By』の録音には他メンバーではPaulのみが参加してたりなど、この辺関係性はシンプルではないな…と思わされます。

 

 

作風の確立・密かな量産体制に入ったGeorge Harrison

 Lennon-McCartneyという当代最強クラスのソングライターコンビの影に隠れざるを得ない形で作曲者としてのキャリアを始めざるを得なかった彼は、基本的にこのバンドのキャリアの最後まで「アルバムでGeorgeの曲は2曲まで」という暗黙のルール下に置かれ続け*5、それは本作でも2枚組で4曲なので、相変わらず守られています。

 しかし、本作収録の4曲はこれまでと比べてもクオリティが一気に上がっていて、また独特の、Johnとも絶妙に異なるシニカル具合もしっかりキャラが立ち、おまけに本格的インド修行を経験したことによるインド精神の内在化=これまでのように表面的にインドっぽい音楽を作るのではなく、ダウントゥーアースな音楽性の中に神への信仰を宿らせていく、彼のソロ以降のひとつの基調となる姿勢も1曲ですでに始まっています。

 何よりも、彼の代表曲のひとつ『While My Guitar Gently Weeps』の存在は大きく、これと次の曲が並ぶあたりはアルバムの最初のピークでしょう。この曲ではリードギターEric Claptonを招く、という、当時のメンバー間の人間関係のギスギスさを和らげつつ楽曲に決定的な要素を刻み込むことに成功しており、この盤外戦術めいた手法も含めて、彼はようやく自身のアイデンティティを確立した節があります*6

 しかしそれでも、結局これまでの暗黙のルールと同様の曲数しかアルバムに収録できなかったのも事実で、後述のイーシャーデモ27曲の中でも、本作に収録されなかった彼のボツ曲3曲は結局バンド外でしか発表ができませんでした。特に101テイクも演奏しアレンジもしっかり作り込んだ『Not Guilty』が丸々ボツったことへの彼の苦渋を思うと居た堪れません。

 それでも、本作における彼の作曲能力の飛躍的向上は疑いようがなく、次の録音となった『Let it Be』におけるボツトラックの中に『Something』はおろか、『All Things Must Pass』『Hear Me Lord』『Isn't it a Pity』『Let it Down』といった後の2枚組ソロ1stに収録される名曲群が埋もれていて、本作で何かのタガが外れた彼の作曲の才能の絶頂が、この充実した曲目から感じられます*7

 彼のソロキャリアについて書いた弊ブログの記事は以下のとおり。

 

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 なお、本作における彼の貢献として忘れてはいけないと思うのがギターサウンド。特にJohnの楽曲において、彼がJohnが求める激しくも鋭いディストーションサウンドをJohn共々各曲で披露しており、これらはまさに1990年代以降のオルタナティブロック的な音色の青写真のひとつと言える類のものでした*8。Johnの怪物的ソングライティングもまたこのギターサウンドあってこその部分があります。

 特に激しい歪みは、アルバム本編ではないけどもアルバム収録曲の別バージョンとしてシングルB面に収められた『Revolution』で、これはギターをアンプを通さずにコンソールに直で繋いで、プリアンプ2台を爆発する寸前までオーバーロードさせて作ったものだとか*9

 

 

概要の結論:2枚組にならざるを得なかった理由

 上述のとおり、バンド内の3人のソングライターが3人とも、その才能のピークに達していて、そして後述のインド体験もあって視野も広がり、楽曲の旺盛な量産体制に入り、アレンジセンスも半ばプロデューサーを置いてけぼりにするほど熟達し、それぞれが収録を譲る(=ボツにする)ことのできないクオリティの楽曲を多数持ち込んだことこそが、本作が2枚組にならざるを得なかった理由だと思います。人間関係の悪化したメンバーがそれぞれのエゴをぶつけた結果、とも言われますが、いやでもこれだけクオリティの高い楽曲を何個もボツにしないと1枚に収められない、というのもムゴい話で、ここでボツになった楽曲を集めて後で出す、とかするくらいなら、ここで一気に放出してしまう方がいい感じがします。プロデューサーのGeorge Martinはそれでも1枚に纏めた方がいい、と思ったようですが、個人的には2枚組になるようエゴを通したメンバーの方に分がある気がします。

 次の記事で詳しく書きますが、このGeorge Martinの「1枚にしたい」という判断は後に多くの「自分ならこのアルバムをこう1枚に纏める」というチャレンジが世界中で生まれることに繋がりました。しかし、これだけの充実した楽曲を含みまくった楽曲を全く漏れなく当時のLP1枚の尺=長くても50分程度*10に収めることは困難で、というか無理です。何か抜け落ちます。

 

 

アルバム制作の背景

 ここから先は本当に背景の話なので、楽曲自体について読みたい人は飛ばしてください。

 

 

サイケデリック時代の行き詰まり

 1966年から始まったサイケデリックのブームは確かに人の認識・イメージの広がり方を拡張しました。LSDなどのドラッグが生み出す幻覚的な光景は人々の想像力を刺激し、やたらとカラフルなデザインや、テープ操作やキーボード等を多用したサイケデリックサウンドなどの流行を作り出しました。このブームははじめ、本当に無邪気に人々に受け入れられ、様々な底の抜けたように明るいデザインやポップソングが生み出されていきます。The Beatlesもまた1965年末にリリースされた『Rubber Soul』にて先鞭を付け、翌年の『Revolver』ではいきなり徹底したサイケデリックな編集感覚を見せ付けます。ブームの頂点である1997年には『Sgt.〜』をリリースし、こちらは特にジャケットのデザインにおいてサイケデリックブームを象徴するものとなっています。

 しかし、そんな彼らもサイケに行き詰まります。元々のバンドリーダーだったJohnはすでに1966年にシングル『Strawberry Fields Forever』を奇跡的にモノにした時点で燃え尽き気味であり、次なるトライアルの『I am the Warlus』は彼の行き詰まりがパラノイア化したような、ダーク寄りな幻覚作用が見出せます。Paulも正直、手法的には『Revolver』でやったこと以上のドラッギーさは避けている印象で、『Sgt.〜』はポールの楽曲が多数を占めますが、その肝心の楽曲の冴えがいまひとつ。続く企画である『Magical Mystery Tour』も、それに関連した楽曲の出来はともかく、テレビ企画としては行き当たりばったりだということで評価が低く、彼らの人気に影が指すこととなります。そもそもPaulだって『Hello Goodbye』より後に同じ路線のポップソングをフレッシュな形で書くことは今後無理だったでしょう。

 それまでバンドを経営面でマネジメントしていたBrian Epsteinが急死したことなども重なり、彼らは方向転換を迫られます。1968年に入ってピアノブギめいた『Lady Madonna』が製作・リリースされたことは、時代の変わってきたことを彼らが認識していたことも理由にあったでしょう。同時期に後年発表される『Hey Bulldog』『Accross the Universe』も録音されていたことを付しておきます。

 そして、サイケデリックが無邪気に受け入れられた時代もまた、ドラッグによる様々な健康被害や事故、ヒッピーの出現と世間との衝突などにより、一部の先鋭化をよそに一般的な「明るい文化」の側面は後退し、代わって「ドラッグ禍によるロックンロールの退廃化」が始まっていきます*11。まあThe DoorsVelvet Undergroundの1stは1967年のうちにリリースされてはいますが。

 

 

インドへの瞑想旅行とイーシャーデモ

 音楽制作の行き詰まりの解消にも役に立つとでも思ったのか、それとも本当に「真の人生の意味」を瞑想を通じて求めることに突破口を見出したのか、すでにインド滞在経験のあったGeorge Harrisonの提案により、ヒンドゥー教の聖地リシュケシュに滞在し、Maharishi Mahesh Yogiの提唱する超越瞑想の修行を受ける旅行をしました。この修行に一番興味を示したのは当然前からインドに傾倒していたGeorgeだけども、その次にJohnがかなり深く修行に没頭していたことは、幾つかの曲に感じられるその影響を思わせるコード感覚のこともあって興味深いところ。彼の場合さらにそこに、半ば誤解によるものとはいえMaharishiに対する激しい幻滅もあり、本作における激しさの原動力ともなっている節があります。

 異国の地でファンタジックで新鮮な感性を得るという多くの過去のアーティストが体験したことと同じものを手にしたのか、同行したDonovanやThe Beach BoysのMike Loveからのインスパイアが効いたのか、教義への落胆が狂おしいエネルギーを生んだのか、もしくは本当に教えを深めることに成功したからなのか、滞在中に彼らは膨大な量の楽曲を書き上げ、そして帰国後Georgeの家に集まり、アコギとパーカッションそして歌によるラフで簡素なデモを大量に録音しました。当時のGeorgeの家の地名から、これらは「イーシャー・デモ」と呼ばれ、John15曲、Paul7曲、George5曲の全27曲が残されました。録音時はメンバーみんなとても無邪気で楽しげだったとか、4人が楽しく団結できた最後の時間だとか。それにしてもこの時点でJohnの絶好調っぷり。すでに当時の普通の1枚ものアルバムの曲数を1人で超えてしまってます。

 これら27曲のうち21曲がこの後のアルバムのセッションで改めて録音され、2曲ボツになった以外の19曲は本作に収録されました。他の楽曲も別のアルバムに転用されたりソロに転用されたり他者に提供されたりそのままボツのまんまだったり。2018年の本作デラックスエディションにて遂にその全貌がオフィシャルに公開され、海賊盤などを買わずとも触れられるようになりました。リストを眺めたり聴いたりしてると色々発見があります。後に『Jealous Guy』として完成する『Child of Nature』のこの時点で美しく異国の感覚がするメロディや、やたらコーラスがそれっぽくはしゃぎ回ってる『Honey Pie』、そしていかにもこの時期からありそうな曲調なのにこの時点では影も形もない『Long, Long, Long』など。

 

 

○イーシャーデモ中のボツ曲

 なお、デモからのボツ曲は8曲あり、この内訳はJohnが4曲、Paulが1曲、Georgeが3曲。それぞれ見ておきます。

 

●John曲(4曲)

Child of Nature

 上述のとおり後にソロで『Jealous Guy』に転用される楽曲。この段階でコード進行・メロディは完成しており、このまま本作で完成版がリリースされていたら彼の強力な楽曲のひとつとして、アルバムの印象も少し変わっていただろうにと思われます。というか、ソロの仰々しいアレンジよりもここでのささやかだけどフォーキーで美しい佇まいの方をより好む人も一定数いそう。

 実はGet Backセッションでも演奏されていて、やはりここでバンド演奏で完成してたらアルバム中でPaulの『The Long and Winding Road』と双璧をなす美しいバラッドになっていたかもだけど、でもこういうタイプの曲がギター主体でまとまりそうなセッションでもないもんなあのグダグダのセッションは。

 

Mean Mr Mustard

Polythene Pam

 どちらもどこか曲の断片じみた佇まいで、それがそのまま『Abbery Road』後半のメドレーに転用されるのに実に丁度よかった感じがあります。『Mean〜』についてはこの時点であった強引にサビっぽいセクションを作る箇所は『Abbery Road』収録時には削除。『Polythene Pam』のアルバム中での勢いある演奏はメドレーでの聴きどころの一つ。ここでの破片みたいな存在感から思うととても幸せな末路を迎えたのでは。

 

What's the New Mary Jane

 曲構成にもメロディも悪ふざけめいた節回しや唐突さが目立つ、おそらく当時の彼のドラッグ状況が最も出てる、よって、普通のポップソング的まとまりのない楽曲。これに比べたら『Happiness is a Warm Gun』のなんと素晴らしく纏っていることか。

 アルバムの録音本編にも持ち込まれ、一応録音されたが、やはり纏りなく終わっている。その後Plastic Ono Bandでのリリースも計画したが結局頓挫し、正式なリリースは1996年の『Anthology 3』を待つこととなりました。6分超えの尺にはあてどなく彷徨う気味の悪いインプロが添え付けられていて、何処かのいかがわしいサイケバンドの風味が。そういうことがしたかったのか…?

 2018年のデラックスエディションにはもっと短いバージョンが収録。こっちだといよいよ何がしたいのかよく分からない曲になってます。なんだこれ…。

 

●Paul曲(1曲)

Junk

 後にソロ1stに再録され、その際には別バージョンのインストまで収録され、アルバムの核めいた存在感を見せる。切なくも気品にあふれたメロディが光る佳作。ソロの方についてもやはりアコギ弾き語りの体裁であるためイーシャーデモとちょっと聴いた感じはかなり似てるが、イーシャーデモの方はソロ版にある静かにセンチメンタルなスキャットの展開が無いので、フルで聴くと印象が違います。

 とはいえデモの段階で十分に完成度は高い。同じ弾き語りスタイルの『Blackbird』が収録となったからもう触れなかったのか、スタジオでの録音は本作でもその後のアルバムでもなされず、ソロでの発表を迎えます。

 というかPaul、ボツ率低いな。まあ確かにこのデモに入ってる彼の曲はハズレなしだなあ。

 

●George曲(3曲)

Sour Milk Sea

 メロディの取り回し方があまりにGeorge Harrison節の効きまくった、ある程度The Beatlesを聴き慣れてくると一発で「これはGeorge」と分かるくらいメロディに癖がある、なのになかなか突破力のある、不思議に捩くれつつよく纏まったポップさを有した楽曲。

 バンドで採用されなかったのは不思議だけど*12、しかしその後すぐApple Corps(The Beatlesメンバーの立ち上げた会社)が契約したアーティストJackie Lomaxに提供され、John以外のメンバー+Eric Clapton+Nicky Hopkinsという豪華メンバーにて録音され、『Hey Jude』などと同じタイミングである1968年8月にシングルリリースされました。本作よりもリリースが早い。特にNicky Hopkinsのピアノの勢いに牽引されたリズムの勢いの良さが強力で、作曲者本人によるプロデュースも的確かつ円滑と、Georgeの当時の急激な成長っぷり・ソロでの快進撃を予感させる一幕。

 

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Circles

 一転、従来的な「陰気なGeorge Harrison」のイメージをなぞるような、消え入るようなマイナー調の楽曲。この一連のデモの中でも例外的にオルガンをメインとした演奏で、っていうか他のデモと違いすぎて「イーシャーデモのセッション」とは別のタイミングで録音されたのでは…?とも言われています。一人で悶々と作り込んでる感じがあるし、妙に不気味だし。

 ずっと後になって、1982年の割に気楽なソロ作『Gone Troppo』に本当に何故か再録されることとなります。リズムやファニーなシンセなんかも入ったりして、陰鬱さはデモよりも薄まっている印象。このソロのアレンジが、もし1968年にバンド録音にこの曲が持ち込まれたときに想定されていたものかは不明。

 

Not Guilty

 上述のとおり、本作における「George不遇」の象徴のような楽曲。そんな末路を思わせることもなく、ここでのデモではいい具合に黄昏た風情とGeorge節な奇妙に間を開け言葉を詰め込む節回しが、マイナー調なのにとぼけた味わいを醸し出す、実に濃厚なGeorge Harrison味を飄々と響かせています。いやほんと、この後残されるがっつり演奏されたバンド版と比べても、このデモ版の「どこかの国の奇妙なフォークソングのカバー」的な雰囲気はなかなか趣が異なっていて面白い。アコギの響きってとてもいいものだなあ、と思わされます。

 

 

没頭とエゴと消耗と対立のレコーディング

 シンプルなフォークソングやロックンロールになりそうな楽曲のデモを沢山こさえて、さあ本格的にレコーディングに入るぞ、ということに。しかしこれは、参加したメンバーやスタッフの多くが消耗し、時にダウンし、時に逃亡を図り、そしてその後しばらくは人間関係の修復ができなかった程の、大変に地獄めいた部分があったようです。

 レコーディング初日、後に『Revolution 1』と呼ばれるものの録音から入りますが、作者のJohnはその日ずっとイライラしていたらしく、次の日になると今度は彼はメンバーでもスタッフでもないOno Yokoを自分の横にずっと座らせるようになり、そのために他のメンバーとJohnがコミュニケーションし辛い状況がいきなり生まれていました。メンバーでもスタッフでもないしJohn以外誰も呼んでいない彼女は次第にボーカルを取ることにもなり、更にはレコーディングの内容、バンドの方針に口を出してくることもあったようで、いわゆる「5人目のビートルズ」を気取り始めたようです。うーん、これはウザい…*13

 このような環境だったり、被害妄想じみて周囲に対して攻撃的になったJohnの態度のことなどもあったりしてか、セッションは急激にギスギスしたものになっていきます。自分の曲にしか積極的な興味を見せないJohnに対抗してか、中期以降バンドの制作を牽引してきたPaulも自作曲について完璧主義者的な意固地さを発揮し、上述の『Ob-La-Di, Ob-La-Da』での執拗なレコーディング*14とその中でGeorge Martinにさえ罵声を浴びせる事態になり、それまで優等生的だったPaulも相当ヤバい奴になっていき、やがて『Back in the U.S.S.R.』でのRingoのドラムダメ出しからの一時脱退に繋がります。

 このような破綻した関係性の中で、各メンバーは「全員揃わずに作業したほうがトラブルにもならないし早い」ということに気づき、各自バラバラに録音を進めるようにもなっていきます。この辺の流れが本作に「ただのソロの集合体で、バンドの作品ではない」という論評が与えられる理由の一端になっています。

 

 

“ロックバンド”作品としてのホワイトアルバム

 …でも、どうかな。確かに、当事者たちはそんなメタメタな思いをして関係性も壊れちゃったかもしれないけど、でもそれを気にせずに本作を聴いたら、本作のバンドサウンドの楽曲についてはどれも、「時に複雑な構成やアレンジを見せつつも、実によく纏まっている」ように聴こえるんじゃなかろうか、と結構思っています。特にJohnの楽曲は基本的にメンバー全員で演奏されており、確かに彼は暴君だったろうけど、それに他メンバーよくしがみ付き、素晴らしい演奏を数多く披露しているのではないかと思います。キーボード類が全編に目立つことがなく、割とギターがゴツゴツと響く楽曲が多いのも、オルタナ以降の世代からすると「緊張感も込みでよく纏まった演奏」のように思わせるところがあるのかもしれません。

 逆に、本作より前の『Sgt.〜』や『Magical Mystery Tour』をバンドっぽく無い作品だと感じるとすれば、それはおそらく「スタジオ内での操作に拘りすぎた、バンド演奏そのものからの出力とは大きく異なった音色」や、そもそもキーボード類の出番が多すぎたことなんかが理由にあるようにも思います*15。本作の楽器的な主役はやっぱりギターで、そこが本作を「ロックバンドな音」と思わせることになり、また初期のようなストレートなビートバンドとも全然異なる、さまざまに拗れ切って痙攣するような曲構成やギターサウンドが、彼らのギターロックバンドとしての可能性の、その極北を見せつけられる思いがするのかもしれません

 その傍証として、アルバムに収録されてないからここに動画を貼っておきますが、シングル版の『Revolution』の、オルタナティブロック的サウンドの先駆的存在として、実によく纏まったロックンロールになっているこの演奏を貼っておきます*16。どのような困難なプロセスがあったにせよ、結局こうやって残ってる音源を聴く限りは、これはやはりよく団結したロックバンドの、実に格好良い演奏、としか聴けません。

 

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【参考】1968年という磁場

 本編である各曲レビューに入る前に、本作が制作されリリースされた1968年という年のことについても見ておくことで、本作が世界的にどういう状況の中作られたのか、というところが少し見えやすくなるかもしれません。純粋に作品だけを聴いていこうとする上では、全く余計なことかもしれませんが。

 

「革命」の荒れ狂う年

 Johnがなぜ本作にて『Revolution』に拘り、結局3パターンもリリースされることになったのかといえば、この年に世界中で様々な革命が発生し、冷戦下の世界秩序が大いに揺さぶられた光景を彼が目にし感化されたから、ということになるでしょう。ソロ初期においては本当に左派活動家との協力関係にあった彼ですが、その発端は1968年になるんだろうなと思われます。

 まず、この年の1月早々にチェコにて“プラハの春”が始まり、鉄のカーテンの向こう側の共産主義世界に激震が走ります。共産党一党独裁やモスクワの支配からの解放を訴えたこの革命は結局、8月にソ連軍が軍事介入したことで終わりに向かって行きますが、このことが西欧の共産主義者たちに与えた失望は大きく、どこか牧歌的な共産主義賛美は後退し、活動は先鋭化していきます。

 一方、既にソ連と対立していたもう一つの巨大共産主義国であった中国では文化大革命による混乱の真っ只中で、これは本質的には共産党内での権力争いですが、しかしその際の毛沢東サイドの理論武装っぷり、いわゆる「毛沢東主義」が世界に肯定的に広まっていた時期でした。この年の12月には農村から学ぼうとのスローガンの元に”下放”が唱えられ、混乱に拍車がかかってゆきます。毛沢東はそもそもその思想の中で「革命とは綺麗事ではなく、暴動だ」とはっきりと謳っており、これはある種の勢力による暴動発生の論理の肯定につながっていきました。

 バンドの本国の隣であるフランスでは5月革命が勃発、学生を主体としたデモやゼネストの発生や拡大は戦後から続いたド=ゴール政権の退陣に繋がりますが、旧来的な共産党主体ではなく、もっと当時の若者から自発的に発生したこのうねりは、上の二つの革命以上によりカジュアルな影響をポップカルチャーに与えたところです。この年より前から政治的思想を取り入れ哲学化していたJean-Luc Godardの映画の影響が大きかったりすることなどなど。

 更にこのような中に加えてアメリカでのベトナム戦争への反対運動の高まりや、一方で1967年的なヒッピー思想の後退などの、そんなグチャグチャした状況に、Johnはどのように自身をその流れの中に置こうとしたのか。ある意味では、その加速していく状況に興奮と混乱とを感じそのままに表現しようとしたものが、本作で最も混沌に満ち溢れた『Revolution 9』なんだと言えるでしょう。

 

ベトナム戦争の泥沼化の果て、アメリカの“敗戦”の始まり

 すでに大概に泥沼化し、反戦活動がヒッピーブームの苗床にもなったであろうところですが、1968年には本格的に、世界最強の軍事国家であるはずのアメリカの“敗戦”の予兆が見え始めます。1968年1月末から始まったテト攻勢において一時的に南ベトナムアメリカ大使館が占拠されたことや、南ベトナム側の残虐行為などが大いに報道され、アメリカの世論が反戦に大きく傾いたことは、圧倒的な大国であるはずのアメリカの地位を動揺させ、それもやはり上記の革命の風潮ともども、カルチャー的な影響が出てくるところです。

 反戦、ヒッピー、中国の下放などなど、カルチャーはどこか自然やスピリチュアルなものを求める傾向が出てきますが、その流れの中でのThe Beatlesのインド修行だったという側面は見過ごせませんし、しかもその修行が中途半端に終わったということは、そのような潮流の“行き詰まり”さえも結果的に先取りしていたという、皮肉なヒップさすら備えていることになります。

 

“Down to earth”の潮流の中のThe Beatles

 先述のとおり、サイケデリックやヒッピー文化を軸とした“サマー・オブ・ラブ”の潮流は1967年をピークに退潮しつつあり、その中で音楽的潮流として“Down to earth”な音楽性が広がっていきます。1967年にはサイケデリックの影響下にある作品を出していた名だたるバンドの多くが、1968年にはもっとルーツロック的な作品を、まるで申し合わせでもしたかのようにリリースしています。ブルースロックのブームがあったこともこの傾向と方向を同じにしていますし、またこの潮流に沿った新進アーティストも登場します。どんなアルバムがあったかいくつか恣意的に列挙します*17

 

・『Wheels of Fire』Cream(7月)

・『Sweetheart of the Rodeo』The Byrds(8月)

・『Astral Weeks』Van Morrison(11月)

・『Village Green Preservation Society』The Kinks(11月)

・『Beggar's Bunquet』The Rolling Stones(12月)

 

 それらの中でも決定打となったのが、7月にリリースされたThe Bandの1stアルバム『Music from Big Pink』でしょう。Bob Dylanのバックバンドだったとはいえ当時無名の新人たちが、突如「古くて新しいルーツミュージック」を自在に演奏し提示してみせたことは各方面に大きな衝撃が走り、The Beatlesにおいては特にGeorge Harrisonが大きな反応を見せ、この年の終わりに訪米した際にこのアルバムを大量購入し、帰国後に周囲の人間に配り歩いたという、モロに現代サブカルチャーの“オタクの布教活動”めいたことをしていました。

 『The Beatles』のリリース時期や録音時期的に、The Bandのこのアルバムが直接本作に影響を与えたとは考えにくいけれども、しかし何かしら共振するところは間違いなくあっただろうな、ということは、本作のいくつかの楽曲からも感じられます。少なくとも、The Bandやその他のアーティストがこれらの作品を録音していたのと同じ時期に、The Beatlesが本作を録音していた、ということは言えるでしょう。

 ちなみにこの“Down to earth”の潮流、いかにもドラッグ感のあるサイケデリックロックとの対比・ナチュラル思考っぽい雰囲気により勘違いしやすいけど、音楽性がルーツ寄りに変わってもドラッグの蔓延は変わっておらずむしろ段々と深刻化し、実際それによってこの潮流の第一人者であったであろうThe Bandは大いに蝕まれ、活動が終わっていきますがそれは別の話。弊ブログにもその辺のことも含めて書いたThe Bandの記事があります。

 

ystmokzk.hatenablog.jp

 

 

本編①:Disk1(合計46分25秒)

 ここまでまた実に長かったですけど、ようやく本編。長すぎるので、前編のこの記事ではdisk1までを扱います。

 LPであれば8曲目までがA面、それ以降がB面となります。A面の強力さに比べてB面ちょっと弱いかなあ…。

 

 

1. Back in the U.S.S.R.(2:43)

 1968年、まさにソ連界隈が荒れているっていうその時だというのに、ソ連から西側に来たスパイが「やっとソ連に帰れるぜ!」と歌う歌詞を、妙に不真面目なThe Beach Boysテイストでぶっ放すPaul作のパワフルなロックンロールで本作は幕を開ける。本作においてPaulのバンド感のある楽曲は限られるけど、そのうちの1曲で、そして上述のとおり、いびって怒らせて出て行っちゃったRingoの代わりにPaul自身がドラムも、ついでにピアノもパーカッションも一部リードギターも務めてしまった、Paulらしい業を大いに含んだ曲でもある。そういうことするから嫌われるんすよ。

 飛行機のジェット音をイントロに入ってくるはどこかバタバタとしてガチャガチャとしてもっちりしたバンドサウンド。Paulのボーカルまで実にもっさりした具合で、1960年代前半の彼らと比較してもずっともっさりしたこの具合に、1960年代も終わりつつあるそんな感じがしなくもない。とはいえ楽曲はPaul作の楽天的な雰囲気で、この後始まる主にJohnによる重苦しい雰囲気は感じさせない。

 ヴァースではピアノが演奏を引っ張り、コーラスではパッとギターリフが目立ってくる対比はさらりとよく出来てる。そしてブリッジ部分の、歌詞もコーラスもよく言えばファニーに、悪く言えばかなり不真面目にThe Beach Boysをオマージュした風なアレンジには、インド修行で同行したMike Loveの影響なんだろうけども、しかし実際真似しようと思ったら相当難しいであろうThe Beach Boysのコーラスワークを「別に“風”で良ければこんくらいテキトーでも良くない(笑)」的な処理にしてしまっていることで、かえってパチモンとしての面白さが出てきて、かつ後進にも「そうか、The Beach Boys風っていってもこんなもんでいいのか!」と勇気を与えているかもしれない。

 何気に最後のブリッジからヴァースに戻ってきて以降の、延々と高音をワンノートで勢い任せに弾き倒すギター伴奏が少々オルタナ的で格好良く、この辺はこのアルバム的なノイジー感覚がこの曲にも混じってるんだなあと思わされる。

 物語風にしてしまうことが多いPaul曲の歌詞をしっかり読み込むのはそんなに興味が湧かないが、わざわざソ連なんていう面倒臭い設定を軽々しく持ち込んだこの曲は話が別だろう。皮肉で書いてるんだろうけど、歌詞を真面目に捉えて「ビートルズは親ソのクソアカバンド!」と憤慨する向きもあったらしい。あと録音中にプラハの春が起こってしまったことで「不謹慎」の誹りも受けることになる。だからソ連なんて設定は面倒臭いんだよ…と思いつつ、それでもこれを冒頭に持ってきて茶化すのがPaulの1968年へのスタンスだったのか。

 

ああ ウクライナの女の子たちにはホントやられちゃう

西側の女なんて全然メじゃないね

あとモスクワの女の子たちにかかるとぼくは歌っちゃうね

我がががが、「我が心のジョージア」をね*18

 

この歌詞を2022年以降、ウクライナ戦争真っ只中の時代に読むとまた当時とは異なった不謹慎な妙味が浮かんできて、この辺の業の深さが思われる。だからソ連なんて本当に面倒なんだ。

 ちなみにこの曲、ソ連崩壊後のロシアで2003年にPaulがライブすることになった際にはもちろん最重要な曲になって、遅れて会場入りしたVladimir Putin大統領のためにアンコールでもう一度演奏するなどもあったりした。本当に何の因果か、この曲の置かれた状況は政治的にメチャクチャ面倒臭い。

 

 

2. Dear Prudence(3:55)

 ポップにファニーに弾けてみせたPaulのすぐ後で、本作の奇妙な奥行き、薄寒くなってくるような精神の感覚、西洋的ポップソングから離れた東洋的・オリエンタルでエキゾチックで、そして何か致命的にヘヴィで狂ってる感覚を、「お嬢ちゃん出ておいで」的な歌詞で歌い上げる、Johnの本作におけるカルマロッカーっぷりがいきなり静かに炸裂する名曲。アルバムを順番に聴いていくとこの曲の時点で「えっこのアルバムなんか怖い…」となってくると思う。実際怖い曲ですよこれは。歌詞が激烈な感情の内容ではないだけに余計怖い。まるで何かいかがわしい新興宗教のテーマソングみたいな。しかしそんな怪しさが実に素晴らしい。

 前曲ラストの飛行機のジェット音とこの曲のアルペジオクロスフェードしてこの曲が始まる。その関係で、プレイリストを作る際は前曲とこの曲を繋げて収録しないといけないことはプレイリスト作りでの制約になっているけどそれはまた別の話。

 この曲のトレードマークは何といってもイントロから聴こえてくる、非常に不安でかつ蠱惑的なエレキギターアルペジオだろう。インド修行の際にDonovanに教わったスリーフィンガー奏法で奏でられるこれは、ドロップDのチューニングにて、開放弦を利用したフレージングで爪弾かれる。特にイントロの高音弦を段々降っていくところの不可解さは天才的なそれで、これだけで音楽の舞台がどこかリシュケシュじみた辺鄙な場所に引き込まれていく。近年で言うならBig Thiefが時折やる変則チューニングのアルペジオとか、これなんかと共通する感性だろう。歌のフレーズに入って以降もルート音を0→3→2→1→0→…と半音ずつ下がっていくループを基調とし*19、そのマントラじみた繰り返し方にはやはり奇怪な感覚が付き纏う。その中で歌うJohnの声もまた、ダブルトラックで曖昧になった上に無感情のような響き方をして、やはりどこか宗教的ないかがわしさを思わせる。

 演奏は最初アルペジオと歌のみで進行し、段々リズム隊が入って、不穏に停滞するリズムギターが入って、と次第に増えてくる。特にベースはこの半音下降のラインを絶妙に印象的に躍動させ、前曲に引き続きRingo不在時の録音なためにドラムもPaulが担当した関係でひとりリズムセクションになっているが、重要な役割を果たしている。

 3回目の節回しが終わると、この曲はいよいよテンションを不気味に拡張していく。エレキギターアルペジオをやめてコードをかき鳴らし始め、そしてドラムが呪詛的なパターンの中に巧妙にフィルインを叩き込んでいく*20。ここの次第に畳み掛けてくるドラムプレイは圧巻で、これが呼び水になったかのように、リードギターも歪んだ音で怪物的なフレーズを繰り返し、またバックではピアノの高音が壊れたベルのように反復されたりもして、演奏自体はボーカルも含めて整然としているものの、実にカオスな音像がそこに生まれていく。そしてそれが、これまでにも出てきた歌のサイクルの終わりのフレーズでサッと途切れてしまう際の呆気なさがまた、不思議な感慨を抱かせる。

 アウトロの、元のアルペジオよりもよりボロボロになった感じのアルペジオが聴こえてくる頃には、聴き手はすっかり西洋的ポップソングの文脈を一時的に忘却してしまっているであろう。正直、リシュケシュな雰囲気は本作全体でもこの曲が最も色濃いだろう。まあ歌詞もまた、リシュケシュでおきた光景そのままだから、なおのことそうなるんだろうけども。

 インド修行に一緒に参加した、女優Mia Farrowの妹Prudence Farrowが、瞑想に集中するあまり何日も自室から出てこなかったのを心配して、Maharishiから彼女を外に出すように言われたことをそのまま歌詞にしている。この中で「景色が綺麗だし、きみも綺麗だから出ておいで」という歌詞は、そういう状況のことだと判ればなんともたわいのない内容のように思えるかもだけど、そういう背景がなければ、曲調とも相まって、やっぱり新興宗教の山奥での修行を呼びかけるラビか誰かの歌にしか思えないかもしれない。

 

愛しきプルーデンスさん 眼を開いてみて

愛しきプルーデンスさん 空の晴れた様を見て

風は穏やかで 鳥たちはこう歌うでしょう

あなたは全てのものの一部なんだと

愛しきプルーデンスさん さあ 眼を開いてください

 

見回して ええ 見回して 見回すんです 見回して

 

絶対怪しい…!

 Johnお気に入りの1曲だと後年彼自身により語られ、また別世界への憧憬について意欲的なこの曲は、後年そのような方向性を志すアーティストからカバーされることにもなった。Siouxsie And The Bansheesのカバーは、この曲の醸し出すサイケデリアがニューウェーブ的なものとも親和性があることを示すし、dipによる25分弱にも渡るサイケデリックなカバーも存在している。

 

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dip - Dear Prudence (long mix) - YouTube

 

 ともかくこの曲の「西洋の音楽のルールから外れた場所で妖艶に咲き誇る」かのような様子は本当に素晴らしい。このコード感はこのバンドでもこの時期のJohnのみが持ち得たもので、その「どこでもなさ」こそがこの曲を時代を超えた存在にしているのかもしれない。

 

 

3. Glass Onion(2:18)

 前曲の次がいきなり『Ob-La-Di, Ob-La-Da』なら、前曲の怖さもある程度抑えられただろう。でも代わりにこの、Johnの手によるシニカルさと強迫観念を手短にかつダイレクトに叩き込んでくるソリッドで破調気味なロックンロールによって、本作に対する恐怖感は決定的なものになる。先生やっぱりこの人病んでます。

 歌詞にも明らかなとおり、この曲は明確にJohnが皮肉めいた悪意をもって書いた曲で、しかしPaulがポップな曲にしれっとシニカルさを挿入するのに対して、Johnはそんな小器用なことをせず、むしろ歌詞で意図した皮肉さ以上に、この曲は攻撃的なものに仕上がってしまったんじゃないか。

 冒頭、3曲目にしてようやく登場するRingoのドラムの、素っ気なくも重たいスネア2度打ちに続けて、すぐに歌が始まっていく。実はこの曲は上記2曲で離れていたRingoが復帰して最初に叩いた曲らしいけど、それがこんなに悪意剥き出しな曲でいいのか…?そんなこともお構いなしに、マイナーコード始まりで、その後セブンスばっかり出てくる毒々しいコード感と常時ささくれ立った歌とが響いていく。『Strawberry Fields Forever』で決定的な役割を果たしているドミナントマイナーのコードが、この曲でも象徴的な“景色が歪むかのような感覚”を演奏ともども齎している。それにしても、この曲のJohnの歌い方は本当に、皮肉では済まない、悪意マシマシのダークさがある。2度ほど挿入されるブリッジのセクションではもはやその苦しさ・苛烈さを隠しもせず、年代順で行くとシャウトするロッカー・John Lennonの、悪意に満ちた新境地となっている。

 楽曲はソリッドなロック演奏を主軸としつつも、妙に様々な非ロック的楽器が挿入されていく。それは歌詞に合わせた仕様になっていて、『I am the Warlus』に引っ掛けた歌詞のパートでは類似したようなストリングス、『A Fool on the Hill』に引っ掛けたパートであればそこで使われたのと似た縦笛、といった風に、楽曲を彩るため、というよりも、もう殆ど当てつけのように楽器が挿入されていく様はやはりヒステリックなものがある。

 そしてこの曲の一番恐ろしいのがその終わり方。唐突に演奏が途切れたかと思うと、まるで恐怖映画みたいにディミニッシュコードで纏められたストリングスが不穏な音を流し続けて終わってしまう。本作におけるGeorge Martinのストリングス仕事はこの曲とか『Piggies』とか、ともかく妙に悪意の方面に活用されている。

 歌詞は、さまざまな過去のThe Beatlesの曲の歌詞を上げ連ねて、「歌詞についてあれこれ詮索するなんて意味ねーんだよアホ」とでも言いたげな内容になっている。でもなんか、そういう揶揄を通り越して、もっと強烈な悪意のようなものが感じられてしまうのは、彼の病んだロッカー仕草が実に壮絶だからか。

 

セイウチとぼくについて話したことがあるだろ

セイウチとは凄く仲良しなんだな

あっ きみにもうひとつだけヒントをあげようね

セイウチってポールのことだったんだ

 

鉄であつらえた浜辺にて

レディ・マドンナは収支合わせに躍起さ

見てみなよ そのタマネギみたいなお眼鏡でね

 

この辺のフレーズをどこまで冗談でどこから本気で悪意を込めて歌っているかは、下手すれば書いた当の本人すら分かっていなかったんじゃないか。その辺の本人のコントロールさえ超えて悪意が勢い任せに出てきちゃった、みたいな事故的な具合がまた、本作をおどろおどろしく彩っているし、またその緊張感がとてもリアルでもある。

 それにしても、この後味の悪いアウトロは、続く本作一快活な曲の勢いをいい具合に台無しにしている。こういう効果も狙ってJohnがこの曲順を推したんだとすれば、本当にその悪意は筋金入りだな。

 

 

4. Ob-La-Di, Ob-La-Da(3:09)

 本作で最も世間に知られているのはこの曲だろう。童謡じみた親しみのあるメロディにスカのバックビートがピアノのリフで取り入れられたPaul謹製のポップソング。どこか“子供向けの歌”みたいな扱いであろうけども、そんなこの曲を上述のとおり彼が周りがドン引くほどの完璧主義的な強圧さで作り上げていったことは本作的なカオスみのあるエピソードだ。

 イントロの玩具箱をひっくり返したようなピアノからして、あまりに延々とこの曲のレコーディングが終わらないことにキレたJohnがドラッグを決めまくった状態で無茶苦茶に弾いたピアノパターンを採用したものだというから、Paulの方もどこまで本気なのか分かんねえ。この険悪だったろう時間をのちに「スタジオで僕ら2人が、とびっきりの時間を過ごしたのを覚えている」と語る彼の心臓の毛は多分半端ない。

 Paulは当初からこの曲にスカの要素を入れようとして、外部ミュージシャンも招いてパーカッションなどを録音したのに、それら全てをボツにして録音を再開している。これにJohnがキレて上記の顛末だけど、そこまでして拘って作ったこの曲のリズムがいうほどスカの要素前面に出てるか?ということはよく思うこと。スカとして味わうにはやはりメロディが強すぎるのかなあと。でもその“隠し味”くらいのものこそを彼は欲してたんだろうか。

 楽曲としては本当にたわいもなくポップソング。コーラスのタイトルコールの、子供がはしゃぎながら歌っても様になるような炸裂の具合はPaulならでは。段々ボーカルのボルテージがやたらと上がっていくのは楽曲に変化を与えようとするPaulの思いやりかもしれないが、George Martinに悪罵するほどの執拗なボーカル録音の賜物でもある。どうもこの曲は語るべきエピソードのことばかり目がいってしまう。あまりにうんざりしたGeorge Harrisonが、その後録音した新曲『Savoy Truffle』にてこの曲のことを揶揄してみせるエピソードがあったり。この曲に向け発表された揶揄でも最速のものだっただろう何せ同じ作品内だ。

 歌詞はやはり物語調で、男女の役割が最後に入れ替わる、といった歌い間違えという事故によって生まれたユーモアセンスもある。執拗にこの曲のボーカル録音に拘ったPaulが、他のメンバーが面白がったからとはいえよくこんなミスをそのまま採用したな…。

 

 

5. Wild Honey Pie(0:53)

 本作においてPaulが何かと揶揄されてしまうのは、前曲の後にこういう変なトラックまで入ってきてしまうこともあるんだろう。変な弦のヴィブラートが何かツボにハマって即興で作ったらしい、Paulの一人録音によるナンセンスな小曲。とはいえ、そのツボにハマったナンセンスな響きを、いくら1分足らずの尺とはいえすぐに全パート演奏して、一応バンドサウンドの曲をすぐに完成させてしまうPaulの機動力は流石。

 本当に奇妙な楽曲で、間抜けなタイトルコールが入っているせいでインストとも言えない中途半端さがまたなんとも言えない。“Honey Pie”には女性器のスラングという意味もあるらしく、そういうことでいくと要するにこの曲でPaulは変な音響の中でひたすら「お○んこ〜」と繰り返し歌っていることになる。なんとナンセンスな。

 しかし、妙に悪運の強い曲で、ボツになるはずがGeorge Harrisonの当時の妻がこれを気に入ったことでアルバム収録が決まったり*21、後年Pixiesに謎にリキの入ったカバーをされたりと、謎な評価のされ方をしている。まさかオルタナティブロック勢からこの書き捨てみたいな曲にリスペクトが来るとは流石のPaulも思ってもいなかったろう。

 

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 あとこの曲、単体では実にしょうもない曲だけど、この曲の後また妙に怖い雰囲気の曲が並ぶ関係で、この曲のナンセンスさもまた、どこか怖いもののように扱われている節がある。実際自分も最初に聴いた時、流れでなんか怖く感じた気はする。このA面、あまりに『Ob-La-Di, Ob-La-Da』が浮くように作られすぎてないか。

 

 

6. The Continuing Story of Bungalow Bill(3:14)

 録音の妙なデッドさ、John特有のリズムチェンジが奇妙にどろっとした形で行われること、そしてOno Yokoの単独ボーカルパートの存在など、本作的なカオスさを妙におどろおどろしい形で収録することとなった楽曲。メロディ全体がやはり西洋ポップス的でなく、特にコーラスはどこか中近東の行進曲めいた雰囲気なのがまた妙な感じの源泉なんだろうか。

 この曲は確かにバンドで録音されたJohn曲だけど、でも不思議とそんなにバンドな感じがしないのは、冒頭のスパニッシュギターやら、バッキングがアコギ中心だからか、中近東っぽい感じのメロディ回しやら、終盤で目立ってくるチープなキーボードやらと、あまりバンドのささくれ立った音が聴こえてこないからか。「John Lennonによる世界の音楽紹介コーナー」みたいな雰囲気が、歌詞のシニカルさの割にあるのがどことなく不思議。最後の掛け声が次の曲のイントロに繋がるのはいい感じだけど、CD時代は楽曲の切り方が悪くてまるでクロスフェードじみた感じにこの曲と名曲である次曲を分かち辛くしていた。リマスター以降は曲を切るタイミングが改められて、掛け声までしっかりこの曲の中に収められた。

 歌詞はアメリカの銃社会やら、獣を気軽にハンティングする様に対する皮肉を歌ったもの。銃に関しては『Happiness is s Warm Gun』の混沌っぷりが突き抜けているため、テーマがやや被っていてこっちは地味な立場にあるかもしれない。

 

子供たちは彼に尋ねた 「殺したら罪にならないの?」

「とっても凶暴なら別なのよ」彼の母親が口を挟んだ

「見た目で殺されるなら ぼくらも殺されてたかもね」

子供達みんな歌うよ

 

“やあ バンガロー・ビル 誰を殺したの?”

 

 

7. While My Guitar Gently Weeps(4:45)

 前曲の掛け声に合わせてこの曲イントロのピアノが情熱的に鳴る。George Harrisonの黄金の名曲の一角にして、どこかラテン風味のあるマイナー調に漲る緊張感と、そしてそれを打ち破る妙な粘り気を持たせたEric Claptonリードギターが曲名の如く響き渡る、5分に届こうという尺の楽曲。「JohnでもPaulでもないソングライター」であるところの彼の、その独特の熱情の放ち方が割とストレートに発揮された楽曲。本作収録の彼の4曲の中では間違いなく一番ストレートに名曲してるだろう。

 ただこの曲、本作のこの位置ではまさに窒息しそうな緊張感に満ちた、下手するとブルースロック的な重々しさをこの位置で発揮しているけども、元々からこのようなヘヴィさを求めて制作されていたのか疑問はある。最初の方ではアコギとキーボードだけのテイクもあったりして、この曲がこのようにどっしりと重厚な曲に仕上がったのはやはり、この曲をこの時期のバンドで制作したからなのかなとも思う。結果として、まさにタイトルどおりのアレンジになったと思う。

 ピアノのイントロの雰囲気を打ち破るように鳴らされるギターの不思議にひしゃげた音からして、この曲名の言わんとすることを射止めた感じがある。Georgeの突き抜け切らずに内側に滑り込んでいくようなボーカルメロディは、このリードギターリズムギター、どっしりと重いリズムセクションを鎧にして、どこか儚げな存在感を醸し出すこととなる。個人的にはリードギターと同じくらい、ミュートで荒く短くブラッシングで刻み込むリズムギターもこの重苦しい雰囲気の構築に多大に貢献していると思う。Eric Claptonのリードもまた、The Beatlesに対する遠慮みたいなものも作用してか、バッキングでのフレーズとリードとして顔を出すときの境がいい具合に曖昧で、弾きすぎていない感じがかえってリアルなところがあるように思える。間奏などにおいても、弾き倒しすぎず、ひとつのノートを大切に引き伸ばしベンドさせてみせる具合、その亡霊めいたプレイがこの曲にはとてもよく合っている。

 この曲の醍醐味はやはり歌が終わって以降の3分半を超えたあたりからのインプロか。しっとりと咽び泣くギターも味わい深いが、それに加えて妙なテンションで喘ぎ倒すGeorgeの嘆き倒すかのようなボーカルも、何か妙なものに取り憑かれたみたいな雰囲気があって、フェードアウト中に叫ぶところといい、格好いい。そして、急に早いテンポではしゃぎだすタンバリンの若干ミスマッチな具合も、逆にこの曲の終わり方の熱狂感を表現している。

 歌詞はある関係性の破綻のことについて歌っている。それはレコーディングの状況からして、どうしたってバンド内の関係性のことと勘繰られてしまうだろう。でもそういう背景がなくても成立するのは、微妙に遠回しな比喩故のことであって、その辺の慎ましさがこの曲がGeorgeの名曲の一角として普遍性を得ている由縁か。

 

きみを見て判ってしまった 愛は眠りこけてしまっていると

ぼくのギターがすすり泣いている間に

床を見てみたら 掃除が必要だって分かった

ぼくのギターはまだすすり泣いているよ

 

どうして誰も君に教えてくれなかったのか分からない

どうやってきみの愛を詳らかにするかを

誰かがどうやってきみを操ったのか分からない

奴らはきみを買い叩き 売り捌いた

 

ここに見られるのは、ただ関係性の破綻を嘆くだけでなく、その原因を推測し、憐れむ精神だ。最初のコーラス部のこの、社会構造に対して非難するスタンスは、彼の遺作となるソロの『Brainwashed』のタイトル曲にも連なる精神性かもしれない。

 まさにバンドで演奏するにうってつけの、ギターがひたすらに映えまくる上に延々と繰り返し続けることができる楽曲であるため、ソロ以降の彼のライブでも度々演奏されてはライブのハイライトを形作ることとなる。サーカスの音楽として制作された公式マッシュアップ集アルバム『Love』においてはアコギのデモにGeorge Martinがストリングスのスコアを新たに書き上げ、これが彼がThe Beatlesに残した遺作となったりもした。面白い話としては、彼が死去した後の追悼ライブでこの曲を演奏する際に何故かPrinceが参加し、最後のソロで延々とギターソロを激しく唯我独尊縦横無尽に弾き倒し、演奏の趣旨がすっかり分からなくなってしまう一幕だろう。もはや「Gently Weeps」でも何でもなくて、きっとあの世でGeorge Harrisonも爆笑しながら感極まったことだろう。

 

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8. Happiness is a Warm Gun(2:45)

 前曲でのどこか感動的な感情の爆発もどこ吹く風、いきなり不穏に囁くような歌とやはり不穏なアルペジオで始まるこの曲は、3つか4つくらいの曲を強引に繋ぎ合わせたかのような歪な組曲構成の中に、当時のJohnの薬物問題や銃への問題意識、Yokoとの不倫関係などの様々などうにもならない問題をグデグデになるまで煮込んだような歌世界を落とし込み、激しい攻撃性と停滞・混濁と、そして最後に謎にポップになって、わずか3分足らずにそれら全てを強引に叩き込んでしまう、本作でもとりわけ歪で、しかしギリギリのところで物凄く完成度の高い形に纏まった名曲。よくこんな訳の分からなさすぎるものを完成させたなと、当時の彼の集中力の奇妙な高さに怖さを覚えるやつ。

 『Dear Prudence』等と同様の不穏なアルペジオは実にすぐに終わり、そこから歪んだギターが乱暴にかき鳴らされ、ボーカルも急に荒れ狂う。この急激な移り変わりに、作者の精神がおよそ安定した状態から遠く離れてることが伺える。

 そして、そこから一気に意識が混濁するかのように、気だるさに満ち溢れたパートに突入する。醜く歪んだギターの音もまた、薬物やら性やら何か不潔で邪悪なものによってすっかり“ダメ”になった有様、ドロドロに溶けてしまった精神の様をそのまま描写したかのような、激しい沈没感がある。そこからの急激なリズムチェンジと、責め立てるようなボーカルの勢いには、本当に不安定な精神の動きを、完全にコントロールできなくなる寸前でどうにかバンドサウンドに縛り付けているかのような痛々しさが見て取れる。

 これらの激しい浮き沈みの中で、各パートの繰り返しの回数などにこれといった法則性はなく、実に支離滅裂な風に各パートが展開される。よくバンドメンバーもこんなもの演奏できたな。特にベースはヘヴィなギターのリフに負けじと自分もリフを構成し、この曲によく合った退廃的なラインを響かせている。

 そして最後、急にポップなコード進行に移って、それまでの鬱屈を余裕で突き抜けていくタイトルコールのボーカルとドゥーワップの悪意あるパロディなコーラスワークが8ビートな演奏の中で聴こえてくる。Johnレノンのボーカルは殆ど叫んでいるのに、なのに実にポップに聴こえて、なんて暴力的な声なんだろう。しかも、このセクションにおいても語りのようなパートに入ると急に拍子が変わり、満足に語り終わったみたいなタイミングでまた元の8ビートに戻り、そして演奏のブレイクの中で曲タイトルを、地声で透き通って歌えるギリギリの高さの高音で歌ってみせる。ここに至って、乱れに乱れまくっていたこの曲のボーカルに、何か気高きものさえ見えてしまい、訳が分からなくなっているうちに再開した演奏もあっという間に終わってしまう。

 歌詞についても、何個かの楽曲の断片を無理やりくっつけたものだから、楽曲同様どんどん内容が移り変わっていく。大体ロクでもないもので構成されているけども。

 

彼女は大外れをするような娘じゃない

ヴェルヴェットな手触りのことをよく自覚していて

それはまるで窓を這うとかげじみている

鏢打ちブーツに色とりどりの鏡を付けた男が群衆に紛れ

虚な目をしつつ しかし腕は激しく動かし続けている

彼の妻が用いた石鹸の香りは彼が食い尽くし

そしてナショナルトラストに寄付してしまった

 

最初のパートからして、露悪的すぎるイメージの混線が発生している。「ヴェルヴェットの手触りの女性」という、ナニを手で触ってもらうのか、というイメージに、靴に盗撮用の鏡をつけて、虚な目のままこっそり扱き続ける男、そして最後2行は作者がもはや愛していない当時の妻に対するカッスカスの想いを歌ったかのよう。何もかも酷い。

 そして曲展開して早々これだ。

 

埋め合わせが必要だ だって落ちていってるんだ

 

曲調の混濁っぷりからはこの“埋め合わせ”はドラッグに思えるし、また前後の繋がりからはこれはセックスのようにも思える。なんにせよひどい。そして最後は「幸福とは(撃ったばかりで)暖かい銃のことさ」と高らかに歌い、これには実際の銃の他にも注射器やら男性機やらのイメージが被せられて、ともかく猥雑極まっていて酷い。「いやこれはアメリカの銃の問題についての歌ですよ」の逃げ道があることもまたタチが悪くて、実際にPaulは後年この歌のことを「銃社会の問題を訴えてるんだ」などと臆面もなく主張する。分かってるくせにこの野郎!

 何かもう、目まぐるしく激しく気色悪く変異していく果てに、妙にスッキリとした終わり方で、騙されたような気持ちにもなる。でも、この乱れ倒した楽曲構成は後年に幾つかのバンド、たとえば『Paranoid Android』におけるRadioheadなどが参考にしているものでもある。また、The Breedersがカバーを残している。この曲はまさにオルタナ本流な混沌具合なのでよく合っている。というかKim Dealさん本作大好きか。彼女も後年バンド内の薬物問題に直面するんだから、因果って怖い。

 

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 というか、LPだとこんな訳分からねえ曲でA面終わるのか。すげえなThe Beatles

 

 

9. Martha My Dear(2:28)

 B面に入ると、急に動物がタイトルの曲が増えて、この曲もタイトルは動物のことではないけども、Paulが自分の飼っている犬への親愛を恋人への愛に誤魔化して作ったラブソングを曲展開に沿って様々にアレンジを変えて表現した、本作の彼の小器用な洒落方の象徴のような曲からB面は始まる。

 聴くときのテンションによっては「本当に器用にやってみせるね。でもこんなのに何の意味があるんだ」とか思ってしまいもするけども、でも本当に自由自在にアレンジを変えていく手際の鮮やかさにかけてだけは間違いなく素晴らしい。

 軽やかなラグタイム調のピアノから始まり、歌と共にストリングスが入り、更にメロディの展開に合わせて控えめなホーンが入り、『A Day in the Life』中間部のような軽やかなシャッフルのセクションを挟んで、楽しげなホーンの間奏、そしてブリッジから元のメロディに戻る。僅か2分半足らずの中で、多くの外部アーティストによる演奏が整然と出たり入ったりし、さりげなく様々な変化を詰め込み、そして何よりもそれらがとてもさりげなく行われるところに、作者の矜持を感じさせる。こういう玩具箱的な小品ならその気になればいくらでも作れてしまうんじゃなかろうかと思わせるポテンシャルがこの時期以降の彼にはある。ポップス的な手管すぎて、本作に捩くれたロックを求める筆者みたいなのからすると縁遠くも感じるけども。

 

 

10. I'm So Tired(2:03)

 小器用さの極みみたいなPaulの前曲の後に、まるで血管に不純物が詰まったみたいにドロドロとしたテンションで、それが急に血圧が上がってテンションが爆発するみたいな、実に不健康な不安定さを見せつけるJohnのこの曲が来るのは、なんだか対比として収まりが良い。軽やかにはしゃいでいた前曲に対して、この曲はもうタイトルからして「疲れて」しまっている。楽曲の系譜的には同じ作者の『I'm Only Sleeping』等と連なる、というかあの曲の状況がもっと悪くなったのがこの曲、みたいに思える。

 この曲もまた、イントロなんて仰々しいしそもそも面倒くさい、とばかりにいきなり歌と演奏から入る。スローなテンポ、シンプルすぎてスカスカなバンド演奏に、実にだるく濁ったJohnのボーカルが聴こえた段階で、この曲がこのタイトルであるその理由を即座に理解できる。まあ最初のフレーズからタイトル歌ってるし。

 コードのキーはメジャーで、ヴァースの繰り返しは一部強引な半音下がある以外は昔からポップスでよく見る進行がよく聴くと使われている。Ⅰ→Ⅵm→Ⅳ→Ⅴ7というやつ。演奏のスカスカすぎる加減でそうは聴こえないが、でも気だるさに満ちた出だしに妙に甘いものを感じるとすれば、それはこのコード進行のせいかも知れない。

 しかしそれも、ブリッジで妙にコード進行が淀み出すまでの話。血の巡りが悪すぎて血圧が次第に上がっていくのか、段々とボーカルは変なテンションで、継続して低い演奏の体温と裏腹に急にファルセットしたり高音で鋭く叫んだりする。そしてコーラス、頭打ちのリズムでワイルドにテンポを刻み、低いところから次第に吹き上がり、ワンフレーズをシャウト的に炸裂させた後に、1回目はまた元のローテンションに戻り、そして2回目はこのワンフレーズを数回繰り返して、それであっさり曲が終わってしまう。「は…?」と思わされたその余韻に、Johnの怪しげな喋りが僅かに挿入される。

 ある意味、Johnのボーカルの暴力性に全面的に頼った楽曲で、演奏は実にスカスカ。合間にかすかに聞こえるコード垂れ流しのエレピがそのスカスカ感をさらに強調する。しかし、John Lennonという稀代のシャウトボーカリストにおいては、その歌を躁鬱な具合にテンション低めから急にテンション高めに爆発させるだけで、ただそれだけで大変に格好良くなってしまう。我々はたまにそういう性質のボーカリストがいることを知っている。Kurt Cobainとか。そういう意味でこの曲はまるでグランジみたいな構成だと、言ってしまうこともできるだろう。この曲も作者のお気に入りだと後年本人が発言している。

 歌詞は、インド修行時に瞑想に熱中しすぎて睡眠不足に、正確には神経過敏になって「眠れない」状態に陥ってしまったときのダルさに起因しているらしい。歌詞を読むと、意外にもそんなに邪悪なことは歌ってなかったりする。歌のテンションの振り切れ方の激しさで勘違いしちゃうよなあ。

 

すごい疲れてる 一睡もしてないんだ

すごい疲れだ 精神の調子も狂ってる

身体を起こして1杯入れとくかな いやいやいや…

 

すごい疲れで 何したらいいか分からんね

すごい疲れてるぼくの頭はきみのことばかり

電話すっかなって思うけど きみが何するか分かるぜ

 

「変なこと言ってる」って君は言うんだ

でも冗談じゃない マジでやられてるんだ

眠れないんだ 自分の脳を止められないんだ

3週間もだぜ 気がおかしくなりそうだ

ぼくが手にした全てきみにあげよう

僅かばかりの心の平穏のために

 

要するに「インドの修行で神経やられちゃった際に、飲むのもタバコも我慢して、おれの救いはYoko、君だけだぜ…」ってだけの歌。案外可愛い歌なのかもしれん。テンションのぶち上げ方が怖いけども。

 

 

11. Blackbird(2:18)

 前曲終わりの唐突な衝撃と幕切れなどまるでなかったかのように、穏やかでカントリーフィールのあるこのPaulのアコギ弾き語りの名曲が始まる様はまたシュール。いよいよ他のバンドメンバーも、他のバンドの音もなく、本当にアコギと歌、そして床を足でタップする音(と若干の鳥の声)しか入っていない、Paulの一人ぼっちの真骨頂のようなシチュエーションで、彼は実に見事にこの名曲をものにしている。孤独な時に最も輝く才能、というのもなかなかに気の毒い。

 アレンジもクソもなく、Paulの手によるツーフィンガー奏法でのアコギの妻引きと、力みの少ない、サラッとした歌。ミニマルにアルペジオを反復させるJohnの呪詛的な技法に対して、Paulはもっと本能的にグッとくるトーンをどんどん連ねていく。所々の切なく響くトーンの選択まで含めて、このアコギの弾き方にはまるで無駄なところがない。

 ブリッジの部分だけ歌は重ねられているけども、このちょっとした切り替えは作者の曲展開を強調して聴きやすくしようというサービスか。少しばかり宇宙的な感覚がして、この辺はもしかして、Johnの『Across the Universe』に触発されてこの曲作ったのでは、と思わせる部分がある。

 「黒い鳥」と題されたこの曲の歌詞は、黒人の公民権運動にインスパイアされた、密かな応援歌としての意味が添えられている。童謡めいているようでいて密かに政治的なことを歌う辺り、彼もやはり1968年の時代にいたんだと思わされる。

 

黒い鳥 真夜中にさえずっている

沈んだ瞳をもって 見方を学んでいくんだ

その人生においてきみは

まさにこの自由に飛び立つときを待ってたんだ

 

黒い鳥よ 飛んでいけ 飛んでいけ

暗い闇夜の中の光を目指して

 

白人的なカントリー調でありつつ黒人のことを歌うのは、Paulが意識的にも無意識的にも曲に込めるちょっとした矛盾や皮肉の感じがある。でもそんなものでこの曲の透き通った感じが損なわれるものでもない。もしかしたら本作のPaul曲ではこれが一番いい曲かもしれない。シンプルが故に、何も揺るがしようのない良さが宿っている。

 

 

12. Piggies(2:04)

 嫌にクラシカルなアレンジを伴って、時にわざとらしく仰々しいアレンジさえ携えてサラッとかなり辛辣なことを歌い上げるGeorgeによる小品。メロディだけ聴くと彼にしては妙にクラシカルで正統的なメロディに思えるけども、おそらくは始まりからして彼なりの悪意に満ちている。

 この曲においては、貴族的な装飾を施すことがメロディ的にもアレンジ的にも最優先されたものと思われる。イントロから聞こえるハープシコードがまさにその象徴で、これは当時プロデューサーとして駆け出しの時期にあったChris Thomasによるプレイ。もはやプロデューサーを無視するのが当たり前になっていたバンド状況における彼の本作への最大の音楽的貢献はこのハープシコードかもしれない。この曲の皮肉に満ちた有様からすると、短く切ったベースの音さえ、まるで豚の鳴き声を意識したものかのように思えてくる。実際に豚の鳴き声のSEも随所に挿入されるし。George Martinがこの曲の「皮肉っぽいくらいわざとらしい貴族的雰囲気」のためにストリングスの優美なスコアを書かされたこともちょっと笑えるエピソードか。

 ミドルエイトの部分の玩具箱的な雰囲気は、さすが『Sgt.〜』や『Magical〜』を通過した後のバンド、って感じの手際の良さ。その後の大袈裟極まったコーラスの重ね方も含めて、徹底的に皮肉をやるときのGeorgeは本当に底意地が悪すぎて愉快。最後のトドメのようなクラシックなコーダと、それを台無しにする豚の鳴き声のSEで、完遂の2文字が浮かぶ。

 歌詞はGeorge Orwellの『動物農場』にインスパイアされたもの。同じコンセプトの曲を同じ年のアルバムでThe Kinksがリリースしていたりもする。ミドルエイトの箇所にはGeorgeの母親が追加したフレーズもあったりして、これもなかなか辛辣なことを言っていて、この親あってのこの子ありか…と思わされる。

 

しっかり補強された豚小屋では

彼らは周りで何が起こってるかなんて気にしない

彼らの眼には何かが欠けてしまってる

彼らに必要なのは上出来なくらいぶちのめすこと*22

 

どこにだって山ほどの豚ども 豚じみた暮らしをしてる

彼ら豚妻を伴って夕食に出かけるようだ

フォークとナイフを使って 自分のベーコンを食べるんだ

 

悪意たっぷり。本作はことあるごとにRadioheadに対する影響のことを考えてしまうことがあるけど、流石にこの最後のフレーズを『Knives Out』のカニバリズムと結び付けて考えるのは違うだろうな。

 元々は1966年の時点で作曲して忘れていた曲らしく、そう言われると同じ年の『Taxman』と皮肉の方向性が似てるかも知れない。この曲がバロックポップとして、本作の音楽性をクラシック方面に押し広げている要素として認識されること自体が、Georgeの好きそうな底意地の悪い冗談みたいに思える。そして1991年の彼のソロの日本公演でまさかのこのバンド演奏に向かない小品が演奏されたという。意外とトピックスの多い楽曲だ。

 

 

13. Rocky Raccoon(3:33)

 動物シリーズが続く。Paulの手による、場末のバーでの物語を伴った小さなショーじみた雰囲気を巧みに備えた、トーキングスタイルからスキャットへの移り変わりも印象的なナンバー。Paulは本当に器用。このB面自体、彼の器用さが最もアピールされたセクションのようにも思える。

 アコギの冴えない響きからPaulの少し鼻に掛かった、酔ってるのか、みたいな崩れたトーキング調のボーカルが唐突に始まる。この辺の行き当りばったりっぽい雰囲気もまた演出なのか。よく分からん結構どうでもいい物語も、こうも雰囲気をもって捲し立てられると、なかなかにそれっぽい「いい具合に安っぽい雰囲気」が醸し出されてくる。そこにハーモニカなんかも添えられて、よりそんな雰囲気。

 そして語り手が何か調子が乗ってきたのか、サラッとスキャットに切り替わっていく様はとても鮮やかだ。スキャットと共に跳ね回るピアノもまた、絶妙なEQ・リバーブ加減により場末のおもちゃピアノめいた風情があり、このピアノの感じは後年のElliott Smith辺りのテイストが感じられるというか案外この辺が元ネタなのかというか。

 しかし本当に、実に器用に徹底して「ぶっきらぼうな場末のバーの感じ」を表現していて、なんだこの嫌味ったらしい才能は…となんか僻んでしまう。お前みたいに器用すぎる場末のバーの芸人がいるか。いやアメリカは広いからいるかもしれねえ。

 

 

14. Don't Pass Me By(3:50)

 1960年代半ばごろに「実は曲作ってるんだ〜」と話をしてからようやく、満を辞して(?)登場するRingo Starr初の単独作曲の楽曲は、彼が好きなカントリーのテイストをフィドルの全編導入によって直接的に表現した、実にもっさりと平坦に進行していく、もっさりとコミカルなナンバー。ちなみにRingoの単独作曲の楽曲はThe Beatlesに2曲あり、もう1曲は実質最終作『Abbey Road』に収録の『Octopus Garden』。

 この曲、実に起伏が感じられない。メロディがそういうものだからなのかボーカルの調子のせいかコード進行もシンプルだからなのか、メロディの展開はあるはずなのにあまりそれを感じさせず、延々と同じ調子で進行していくように感じられる。この、全体的に弛緩し切っているような、酔っ払いが延々とグダを巻いているかのような、なんともたわいもなく不毛な雰囲気、これこそを作者は望んでいたんだろうか。どこまでが作者の望みで、どこからがこの曲がテキトーにアレンジされた結果なのか。このトラックはその辺がわかりにくい作りになっているようにも思う。まあ、朗らかで楽しそうだからいいのか。確かにこの曲は、それぞれに緊張感のあるA面やC面・D面ではなく、割と呑気なB面じゃないと収められない。

 上述のとおり、メンバーでこれの録音に協力したのはPaulのみ。Johnはともかく、仲が良かったはずのGeorgeまで参加していないのはどういうことか。Ringoは後年どこかのインタビューでこの曲の制作について「すごく興奮したし、みんなも本当に協力的で〜」などと発言している。嫌味か。「ぼくを無視しないでくれ」っていう曲名がなんかむなしい。

 

 

15. Why Don't We Do it in the Road?(1:42)

 B面終盤は急にラフになる。この曲はPaulによる、ブルース進行を軸にしたピアノとリズムで、ただただ同じフレーズをパワフルに喚き散らして終わる、別に気の利いたポップさとか小洒落た要素もなく、『Wild Honey Pie』みたいな変な音響も無い、ただPaulgが喚き倒したかっただけでは…って気のする楽曲。しかし、そのひたすらシンプルに叫び倒すだけ、という構成がお眼鏡にかなったのか、Johnは本作のPaul曲でこの曲を特に気に入っていると言う。マジか…。

 レコーディングはRingoのドラムとハンドクラップ以外は全部Paulによるもの。イントロのドラムフィルが終わった後は平坦な演奏が延々と続き、その上をパワフルモードなPaulのボーカルが様々な調子で、彼の思う“ソウルフル”を求める感じで叫び倒す。その楽曲の様子を見てJohn曰く「自分が歌った方がもっといい曲になった」とのこと。でもまあそんなことするほど大層な曲でもねえわ。

 唐突な終わり方といい、Paulがちょっとやってみたくなってちょっとやってみてそれなりに満足したから終わり、みたいな感覚を受ける。まあ、別に、良いんでは無いでしょうか。そのための時間ギチギチの2枚組だし。

 タイトルは「なんでおれたち路上でアレをしねえんだ?」ということで、「アレ」には諸説あるけど、着想元がインド修行中に見かけたサルの交尾だそうで…Paulさん色々と歌にそういうの含ませてニヤニヤするタイプなんだなと。流石にこれをThe Rolling Stones『Street Fighting Man』に対するThe Beatlesの回答、とするのはこの曲を持ち上げ過ぎだと思う。

 

 

16. I Will(1:46)

 短い尺のpaul曲が続くけど、こちらは至って真面目にポップソングとして制作された、シンプルなようで案外複雑なコード運びをするアコギ、優しげでポップな歌、あと可愛くポコポコ鳴るパーカッションなど、可愛らしいものがコンパクトに詰まった気の利いた佳作

 どこか少し気だるげな風にも聴こえるアコギの響きには、ボサノバなんかの影響も入り込んでいるらしい。聴いてる分にはPaul印のポップなメロディがまず耳に入ってくるせいで、まるでボサノバなんて考えもしないけども。それにしても本当に「ただコードを鳴らしているだけ」みたいな局面が少なく、密かにもしくは明確に、曲の中で爪弾く弦や抑える位置が移り変わっている。それを全く大変そうに見せないのは、やはりそれが作者の矜持なんだなあと思わせる。

 paulのこういう曲をJohnは嫌ってそうなイメージがあるけど、この曲ではパーカッションで参加している。ベースはPaulが口で鳴らした低音をそのまま使用している。この曲の不思議にウォームな佇まいには、このような“手作り”の要素が色々と入り込んでいるからか。一度だけさりげなくメロディが変化するパートが挿入されることといい、本作におけるPaulの「さりげない」方面の良さをかき集めたかのような楽曲で、そのような「さりげない」良さに満ちている。

 

 

17. Julia(2:56)

 B面、そして1枚目のラストはJohnによる本作的なアルペジオをずっと弾き語り的に使用した、シンプルにしてどこか当て所ない思いというか虚無感というかそういうものも感じられる、“空っぽのJohn Lennon”的な風情のある1曲

 虚無的なムードだからこその美しさというか、ぼんやりしているからこその良さみたいなのがよく感じれて、また一部セクションでは本作的な闇の感じもあって、弾き語り的シンプルさながら奥行きのある楽曲になっている。Johnのボーカルは終始力がまるで籠っておらず、まるで感情がどこかに出かけてしまったみたいな感覚である。でも、そういう虚しさからしか出てこない類の透明感というものもこの世にはある。この曲にはまさにそれがあると思う。

 ヘッドホン等でよく聴くと純粋な弾き語りではなく、アコギが2本重ねられて、絶妙な音響の奥行きが出るようミックスされていて、ボーカルも同じ感じだ。なのでこの曲で途方もない感覚みたいなのを覚えるとしたら、そのある程度はミックスの賜物でもあると思う。

 「Julia」というのは作者の小さい頃に不幸すぎる交通事故で亡くなってしまった母親の名前で、彼は両親に育児放棄されたことに加え早くに母親を亡くしたことで、母親の愛を知れずに生きてきてしまった。そのことに対する直接的な決着はソロの『Mother』を待たねばならないが、この曲ではそんな過去の失われた遠い存在しない記憶のことと、「Ocean child」=「洋の子」=Ono Yokoという、当時焦がれ倒していた相手のこととが混濁してしまった上での、ぼんやりとした思いを切々と、何かしらどうにかしてどこかに届けようとする、そんな健気で、そして居た堪れない男の姿がある。

 

ぼくの話すことの半分は意味なんて籠ってない

でも ただ貴方に届けようと話すんだ ジュリア

 

ジュリア ジュリア 海の子 ぼくを呼ぶ

だから愛の歌を歌うんだ ジュリア

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・

前半終わり

 後半も早々に書き上げたいところですけど、如何せん書くことが本当に多い…。

 ここまで読んでいただいた方は、引き続きお楽しみに。

 

*1:『Magical Mystery Tour』をカウントすれば10枚目だけど、あれはオリジナルアルバムとは異なる立ち位置で、コンピに近い。

*2:これも、後半に楽曲の細切れでメドレーがあったり、ボーナストラック前の無音を含んでいたりという量ではある。

*3:Johnが1967年の制作時間の大半を『I am the Walrus』1曲に費やしてしまったことはその象徴でもある。しかし、この曲で得たコード感の崩壊具合は、確実に本作の彼の作曲に大きな影響を残していて、そしてその部分がとりわけRadioheadをはじめとした後進に影響を与え続けている。

*4:これは彼のソロ第1作まである程度精算される機会を得れなかった問題でもある。

*5:なぜか『Revolver』のみ3曲。

*6:実際、次のGet backセッションにおいても、ギスギス人間関係の緩和のためにBilly Prestonをキーボードとして招く、というファインプレーを見せている。

*7:逆に、これだけの充実しまくった名曲群がThe Beatlesのセッションとしてはスルーされ続けたのか、という思いにもなる。まあそのおかげでソロ1stの名曲率の高さがあるんだろうけど。

*8:それまでこの手のディストーションギターは主にPaulが担当していたけど、『Hey Bulldog』辺りからGeorgeがこのような音色で激しいギターを弾くようになっている。

*9:これを担当したエンジニアのGeoff Emerickは、なかなかJohnが思ったような歪みを出せなかったことへのJohnからの執拗で異様な叱責と、ともすればスタジオの機材を地名的に破壊しかねないプレッシャーとで押し潰され、また同時期に『Ob-La-Di, Ob-La-Da』の終わりの見えないレコーディングとそれによるメンバー間やスタッフとの諍いなどもあって、レコーディングから身を引くこととなった。『Revolver』や『Sgt.〜』での不思議サウンドをエンジニアの立場から可能にした功労者だったのに。

*10:Bob Dylanなんかは初期の頃からこのくらいの尺でアルバムを作ってたりする。当然1枚組。

*11:これはロックを発展させつつも破壊し続け、およそ1970年代半ばまでには多くの重要な人物の命が失われ、ロック停滞の時代を迎えることになる。

*12:メロディがThe Beatlesらしからなすぎたのか。

*13:しかし、もしかしたらこのことが特に、Johnの楽曲をよりラフに、ぶっきらぼうに、そして絶妙にアンコントローラブルで破滅的な演奏に仕上げることの出来た遠因だったりするのかも。

*14:特に一度それまでの録音物を放棄してやり直し始めたのが大いに周囲をイラつかせたらしい。

*15:この点、同じくスタジオ操作まみれのはずの『Revolver』がでもそこまで“ロックバンドじゃない”と言われてない気がするのは、なんだかんだでギターサウンドが主軸にあるからなのかなあと思う。

*16:このクリップ、演奏はスタジオていくと同じで、ボーカル類だけこのクリップのために撮り直したもので、なのでスタジオ版には無いコーラスワークなども付いてきてる。こっちのコーラスアレンジの方がライブ感があってより格好いい気もする。

*17:一方で、特にThe Beach Boysを中心としたポップなサイケ感に強く影響を受けたソフトロック勢が1968年に多く作品をリリースしていたり、ブルースロックの潮流の火付け役になったJimi Hendrixがメイン3枚のスタジオ作の中でもとりわけヘヴィにサイケした『Electric Ladyland』をリリースしているのに象徴される、より不健全で不可逆なサイケデリックロックへの旅路も多数見られたり、といったこともあるので、全てが皆ルーツ思考だったなんて言えるはずも無い訳だけども。

*18:当時まだグルジアと呼ばれていた国ジョージアアメリカのジョージア州とを掛けたシャレ。結構しょうもないぜ。

*19:この半音進行は不穏だけど、でも基本となるコードがメジャーのDなので、全体としては特に暗くもない妙に開けて落ち着いた雰囲気が出るという、絶妙な塩梅。

*20:ここのドラムが妙にテクニカルで、本当にPaulが叩いたものなのか一部ファンの間では議論があったらしい。結局、2018年盤に収録されたベーシックトラックでもこのフィルインがそのまま入ってるから、初めからPaulのドラムで録音されたもの、ということになるのか…?

*21:「そんな理由で決まるのか…!?」とも思うけど、でも『Revolution 9』が収録されてしまうんだから、他の人のワガママも聞き入れないといけなくなったんだろうな。

*22:この1行をこそGeorgeママが追加した。なんちゅうフレーズだ…。